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2010年07月01日

納税者番号制度こそが 一般民衆を嬲り殺す為の悪魔達の狙い

ttp://www.asyura2.com/10/senkyo89/msg/483.html
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20100628/t10015410491000.html 6月28日 19時16分
NHKの世論調査によりますと、各党の支持率は、▽民主党が先週より2ポイント近く下がって30.3%、▽自民党が1ポイント近く上がって19.8%、▽公明党が1ポイント近く上がって4.3%、▽共産党が2.8%、▽社民党が1.1%、▽みんなの党が1ポイント近く上がって2.5%、▽たちあがれ日本が0.3%、▽新党改革が0.4%、▽「特に支持している政党はない」が1ポイント近く上がって29.2%でした。
 ↓
ニュース7、NHK世論調査。支持政党(%)
民主30.3
自民19.8
公明4.3
共産2.8
社民1.1
みんな2.5
たち日0.3
改革0.4
特になし29.2

合計すると90.7%です。100%ではありません。
残り9.3%は?wwwwwwwww
http://9123.teacup.com/uekusajiken/bbs/6339
あれ、
「残りの9.3%はどこに?国民新党がないじゃないか」、
と抗議した視聴者に対しては、
「支持率が0.04%といった低い数字だったので外した」
と言う類の説明だそうだ。
嘘付け、NHK!
ま NHKですら其処までするのならば 逆にするべき事が明確になる。
特に個人的な選挙事情がある人を除けば もはや国民新党の一択しかないかと


亀井静香代表、田中康夫新党日本代表、菅原文太氏等が有楽町マリオン前で街頭演説に立ち、増税より景気回復策に全力を挙げることや、弱者や地域にも配慮した政治の必要性を訴えた。
http://www.asyura2.com/10/senkyo89/msg/533.html



新聞・テレビでは絶対わからない菅直人総理、嘘をつくな!「消費税10%」で日本は崩壊する 
http://www.asyura2.com/10/senkyo89/msg/586.html


http://www.asyura2.com/10/senkyo89/msg/551.html
小沢一郎の力となり得る参議院選・候補者リスト(前篇) - 世相を斬る
北海道:徳永エリ

青森:波多野里奈

秋田:鈴木陽悦

岩手:主浜了

山形:梅津庸成 *多少自信がない

宮城:伊藤ひろみ

福島:岡部光規

茨城:長塚智弘

栃木:簗瀬進 鳩山グループ(最終的に鳩山は小沢の力になる)

群馬:――――

埼玉:日森文尋(社民党)*島田、大野共に選択出来ず。敢えて社民党候補を

千葉:道あゆみ *多少自信がない

東京:江木沙織(国民新党)*民主は3人目の候補者を出すべきだった

神奈川:――――*金子、千葉共に選択できず、自主投票

山梨:輿石東

新潟:田中直紀

富山:相本芳彦 *多少自信がない

石川:西原啓 *多少自信がない

長野:高島陽子

福井:井ノ部航太

静岡:中本奈緒子

愛知:安井美沙子

岐阜:小見山幸治

三重:―――― *芝は岡田ファン、小沢の力にはなれないでしょう

比例区はそれほど問題はないだろう。
有田芳生、喜納昌吉、清水信次、庄野真代、谷亮子、田村耕太郎
が確実に小沢への力となる。社民党の福島瑞穂も小沢の一助にはなる。
もしくは国民新党の候補者で
小沢一郎の力となり得る参議院選・候補者リスト(後編) - 世相を斬る あいば達也
民主党比例区候補の追加を私選しておく。

◎比例区(追加):工藤けんたろう、八代英太

◎選挙区

滋賀:林久美子

奈良:――――

京都:河上満栄

大阪:岡部まり

兵庫:三橋真記

和歌山:島くみこ

鳥取:――――

島根:岩田ひろたか

岡山:江田五月

広島:中川けい

山口:原田大二郎

愛媛:岡平知子

香川:おかうち須美子

高知:――――

徳島:――――

福岡:吉村剛太郎(国民新)*異論が出そうだがw

佐賀:甲木美知子

長崎:犬塚直史

熊本:本田浩一

大分:――――

宮崎:渡辺創

鹿児島:柿内弘一郎

沖縄:山城博冶(社民)


ラ・ターシュに魅せられて みんなの党は、風頼み・・自民党は、神頼み・・民主党は・・消費税が祟りとなりそうです 枝野幸男
年収区分で納税還付する・・なんて、到底無理なハナシです。
子供に買物行かせようと・・節税に励むご家庭だけでなく・・(苦笑)
 野党関係者は「年収での線引きはナンセンス。知人や親族の低所得者が買い物をしたことにして、還付を受けようとする者が続出する。過去に、国民が最も敏感に反応する税金での発言のぶれで政権が崩壊した例もある」と早くも追及に手ぐすねを引いている。

実質的な確定申告が1000万件単位で増える事務に、
1〜2年で、国税庁が対応出来るわけありません。
子供手当て は 何故に年収制限を付けられなかったのか?
その経緯を間近で見ているはずなのに 分からなかった 忘れた では済まない話だが。

まったく・・愚かなことです。
霞ヶ関赤門倶楽部の・・・
「大丈夫です!自民党もマニフェストで明言してます!」
などと言う菅言に乗せられ・・言っちゃったものの・・・
言われたほうの自民党だって・・ビックリしてます。
なんと言っても・・自民党のマニフェストには、こう書かれています。
" (消費税は) 当面10%とすることとし、政権復帰時点で国民の理解を得ながら決定する・・"
つまり・・ヤル気を見せてるだけ・・ポーズだけのことなんですね。
抱きつかれたほうも・・驚いたことでしょう。(笑)
それに関連して 財務省側から
納税者番号制度 「社会保障・税に関わる番号制度検討会」(会長・菅直人首相) - Google 検索
住民基本台帳ネットワークシステム(住基ネット)を利用した納税者番号「新設」が有力 導入に最短4年、費用は最大6千億円 産経とか言ってるキチガイ沙汰なんだがwww

誠天調書 2007年03月31日
2006年8月末時点における住基カードの普及率0.86%は,賢明なる住民の「あえて作る必要なし」という声の結果かもしれない。とはいえ住基ネットは,400億円近いコストを投じて構築され,年間で百数十億円の費用をかけて運用されている公共インフラである。
このシステムを運用する事によってカネを得られる人の為にのみに運用されている
だけである。
正直 年数百億円も掛かるものなのかと その筋に詳しい人に訊きたい。
主目的が 国民や共同体の利便性 ではなく
ごくごく一部の人達へカネを流すコトなのは明白だからなぁ。
消費税を上げた分が この運用費の上昇で吹っ飛びそうですがwwwwwwwww
なのに社会保障へ回す? 官僚制度へ寄生する連中の更なる儲けを増やすだけじゃんwww

誠天調書: 大本営発表「消費税上げは不可避」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080519-00000115-jij-pol
消費税率、「10%で収まらず」=社会保障の目的税化で−御手洗経団連会長 5月19日19時1分配信 時事通信
 日本経団連の御手洗冨士夫会長は19日の記者会見で、消費税を基礎年金や医療、介護などの財源に充てる社会保障目的税化した場合、「例えば、2020年とか25年になれば、10%で収まるとは思っていない」と述べ、将来は税率が10%を大きく上回るとの見通しを示した。
 御手洗会長はこれまで「15年度までに消費税を10%に引き上げるべきだ」との考えを表明してきたが、10%を超える水準に言及したのは初めて。
 経団連は14日、基礎年金を全額税方式とし、財源に消費税を充てるとともに、医療、介護保険制度への公費投入の拡大を盛り込んだ社会保障制度改革の提言を公表した。御手洗会長は社会保障費が毎年1兆円拡大している現状も踏まえ、医療、介護制度も消費税を財源にすれば、「10%ではやがて済まなくなる」と強調した。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080519-00000043-yom-pol
年金改革、税方式なら「消費税最大13%上げ」…政府試算(読売新聞) - Yahoo!ニュース 5月19日22時9分配信 読売新聞
 政府の社会保障国民会議は19日の所得確保・保障分科会で、読売新聞社、自民党の議員連盟「年金制度を抜本的に考える会」、日本経済新聞社などが提案した年金改革案に基づき、それぞれの案に必要となる消費税率などを計算した財政試算を発表した。

 その結果、2009年度に改革を行う場合、日本経済新聞社などが提案した基礎年金を税でまかなう「全額税方式」を導入すると、現行5%の消費税率に4・5〜13%(1%を2・8兆円で換算)の上乗せが必要となることが分かった。これに対して、税と保険料でまかなう現行の「社会保険方式」を修正した読売案では2%の消費税率上乗せにとどまった。

 政府が「全額税方式」の将来試算を行ったのは初めてで、試算にあたり、自民党の議員連盟や日経新聞などにより提案されている案を踏まえ〈1〉全員に基礎年金の満額(月6・6万円)を一律給付〈2〉過去の保険料未納分に応じて基礎年金を減額〈3〉全員に満額給付し、過去の保険料納付者に加算−−の3類型に分けた。
麻生時代の連中が言ってた事と菅の言ってる事と何処に違いがあるのか
頭の悪い俺には分かりません

消費税を3%へ減額する方が 全ての解決になるよw
足りない予算?
財務省の天下り先から精査し直せよwwwwwwwwwwwww
財務省の独占権益にすぎない「たばこ税」の行く先を全く追及しない連中の
その言う事を 誰が信用するかねぇwwwwwwwwwwwww

ただね この件は特に似非右翼系の鼻息が猛烈に荒いんだよねwwwwww
こういう観点でね

 ↓
誠天調書 2010年03月31日: 運転免許証の無線ICタグ RFID、街頭監視カメラ、Nシステム、そして官憲。
住基ICカードには、
運転免許証、保険証などあらゆる情報をリンクすることが予定されており、
またNシステム、コンビニや歌舞伎町などの街頭にとりつけたカメラと連動させ、
顔認識技術を導入して、誰がどこで何をしたかを監視しつくすシステムがつくられる
ことを明らかにし、警鐘をならしました。

保坂展人衆議院議員(社民党)が、
 盗聴法と住基法が同時に成立したのは決して偶然ではない。
 有事法とセットであること、国会の中でちゃんと議論しないで、
 裁判がんばってくれ、というわけにはいかない、
と国会議員の責務にかけてとりくむ決意を語りました。
更に その先で
自民党政権時代の連中は こういう事もしているんだよね

誠天調書 2008年04月24日
司法の広場 腐肉をあさる鴉サービサー 
"鴉金" - Google 検索

結局また RCC=弁護士=検察(→警察=暴力団)=高給官僚=政治家 なんだよねwwwwww
site:mkt5126.seesaa.net サービサー - Google 検索
現在 サラ金 過払い - Google 検索の訴訟特需で景気が良く笑いが止まらない法律業者は多い。
つまり取り立てていた連中が 合法的に取り立てられる側に回された事で
逆に 新たな取り立て権益が生まれている訳ですよ 財務省に近い部分でねwww

旧態のサラ金業界は潰されたけど
サラ金での現場の債権回収を担った者達は銀行-財務省権益の下で整理統合化されるが、
この先で 年金 健康保険 なども納税者番号制度で一元管理化され
それらがリンクする事で 情報の管理が広範に可能となり
財務省管理下で整理統合化された債権回収業者が
代理で事実上の債権化された「税 保険 公共料金」を合法的に回収できるようにしたい、
まさに財務省はウハウハすぎる展開な訳なんだよね。
こんな美味しすぎる話ならば
警察系や法曹系も そしてヤクザ連中も絡みたいだろうねぇww

えっと こういうのは俺の妄想ですか?



既に公共料金の中でも どちらかと言えば民営色が強いガス系は
http://okwave.jp/qa/q4807179.html
ガスの供給会社は
水道と違って民間企業ですから債権の回収をサビサーに依頼するでしょうね。
ほとんどが吹けば飛ぶような中小企業ですからね。(東京ガス・大阪ガス等は別格)
サビサーに債権が渡った事は信用情報機関に登録されます。
通常の申し込みにかかるクレジットカードの審査は落ちます。
その他ローンも当然審査が通りません。

電話は携帯電話会社で情報を共有しているらしいですね。
という状況だし 年金に至っては
民間の債権回収業者への督促や集金の委託を始めてしまっている、
徴税官が法という武器を使って 一般民衆から暴力的に毟り取る をする外堀は
もはや埋まっている と思わなければならない。

連中が そんな甘い輩だったかい?

2009.4.20 年金、税金、奨学金…金融サービサーが あなたのドアをノックする
http://homepage3.nifty.com/shiina-lawoffice/playboy_minkannitaku.jpg
国民年金保険料の納付書の封筒の裏にこんな文面が…。
金融サービサーによる代行業務の実例だ

地方自治体が徴収する住民税や、あるいは国民年金、奨学金の返済滞納も、債権者から債権を買い取ったフロの回収業者≠ェ追い込みをかけ、徴収する時代がやってくるかもしれないというのだ。

著書『無法回収「不良債権ビジネス」の底知れぬ闇』などでRCCをはじめとする金融サービサーによる債権回収の問題点を指摘してきた椎名麻紗枝弁護士は言う。
 「債務者の事情も考慮せずに問答無用で住む家までも奪ってしまうのは非人道的。私はこの2月に、サブプライムローン問題のその後≠視察するためサンフランシスコに行ってきました。

 低所得者に家を購入させ、その人たちが返済不能に陥ったことが現在の金融不況を招いたわけですが、ローンを払えなくなった人たちも家を追い出されるようなことにはなっていません。不良債権は政府の機関が買い取り、債務者はそれと新たにローン契約を結んで家に住み続けています。この点だけを比較しても、目本の金融サービサーによる債権回収がいかに債務者の生活を無視したものか、わかるでしょう」
 また、民主党の衆議院議員で、現在、金融サービサー、特にRCCの問題点を強く指摘する 鉢呂吉雄氏は「私の選挙区・北海道では、破綻した旧拓銀の債権をRCCが買い取ったというケースが多いのですが、『親の葬儀で集まった香典までもRCCに持っていかれた』という話も聞いています」と言う。

 一方、我々の取材に応じたRCC側 はこう主張する。「私たちは法律で認められた権限を行使しているだけです」…そのとおりだ。また、「私たち はこれまで他の人がやりたがらない仕事を社会のためにしてきました」とも言う。同社の前身は、96年に旧住専7社の不良債権回収を目的に、6850億円の税金が投入され、預金保険機構が100%株主となって設立された住宅金融債権管理機構である。

 そして99年に整理回収銀行を合併して現在の体制と なった。この時、旧住専の不良債権に 加えて、破綻した金融機関から買い取った債権の回収業務も行なえるようになったのである。Yさんのケースは、これに当てはまる。
 さらにその後、「健全行」からの債権の買い取り、回収にまで業務が拡大し、前述の「債権管理回収業に関する特別措置法」で認められた金融サービサーとしての業務が加わった。ここから、現在に至る金融サービサー跋扈≠フ流れが始まったと言ってもいい。

 しかし、RCCはそもそも旧住専の不良債権処理を目的に時限立法によって作られた会社であり、その期限は2011年末。前出・鉢呂議員はRCCを「歴史的役割を終えた。今では害のほうが多くなっている」と、期限を待たずに「解体するべき」と主張するひとり。
 だが、次の総選挙で彼の所属する民主党が勝利し、鉢呂議員らがRCCの解体に向けて動き、時限立法延長を否決したとしても、この金融サービサーの親玉を解体するのは容易ではない。
 RCCの前身である住宅金融債権管理機構の設立を認めた時限立法は旧住専問題の処理に関したものであり、金融サービサー業務など、その後に拡大された業務に関しては当てはまらないからだ。

 「RCCは、04年9月までに銀行から 一律千円で6342件の無担保債権を買い取り、なんと112億円を回収しています。つまり、約600万円の元手で100億円を超える収益を挙げたということ。消費者金融業には金利の上限≠ェありますが、金融サービサーの業務に関してはそういった規制もありません」(前出・椎名弁護士)
 こんなオイシイ商売はない。RCC以外でも586件で総額334億8千万円以上の債権をたったの1983万5千円で買い取ったというある外資系サービサーのケースもある(別表参照)。資料を提供してくれたのは、この金融サービサーに債権を買い取られた人物をサポートしている池田眞規弁護士。このサービサーは、非公開の入札方式で額面の1700分の1という低額で債権を買い漁り、取り立てをして荒稼ぎすると、取り立て中にもかかわらず、目本からいなくなってしまった。ちなみに、グレーゾーン金利の撤廃により、かつてのようなう ま昧≠ェなくなった消費者金融業から金融サービサー業務へ鞍替えするケースも出ている。

担保に取ってもらえるような資産もないオレたち貧民までも、ある日、突然≠ノ金融サービサーから返済を迫られることになりかねないのである。冒頭に言ったような地方税、年金。また、子供のいる人なら、いま全国で22億円の滞納があるといわれる給食費。病院に入院した時の治療費。さらには飲み屋のツケ、友人からの借金etcまで金融サービサーの業務が拡大される動きがあるのだ。
 その背景には、バブル崩壊から現在に至るまでに金融機関などが抱えた不良債権の処理が進んだ結果、金融サービサー業務にとって莫大な差益を挙げられるうま味≠フある物件(債権)数そのものが頭打ちとなっている事情がある。
  現在、金融サービサーが回収業務を認められているのは前述のように金融機関から買い取った債権だけである。しかし、104社ある金融サービサー各社のHPを見ると、業務内容として地方税などの「集金代行」も挙げている会社が数社見つかった。地方税の債権を自治体から買い取って回収することは現在の法律では認められていない。だから代行≠フ2文字が記されている。しかし、ある金融サービサーは地方税・国民健康保険料などの「公的債権」、クレジットカードなどの「一般債権」、携帯電話などの「通信料金債権」、さらに「各種授業料」「病院などの治療債権」の集金代行をHPに掲げている。ある社員が匿名を条件に取材に応じてくれた。
 
 「あくまでも集金代行ですから、払うか払わないかは債務者の任意です。だから、債務者に電話する際にも『払ってくれ』とは言えないわけです。でも、これは元の債権者であるクライアントとの契約にもよりますが、債務者が『返済する』となった時に振り込む先が弊社口座という場合もあります」
 集金代行という業務は本来、債権者に代わって債務者にぶ債務があるという事実を通知するだけのもの。だが、その通知の文面、封筒のデザインなどは、自治体など債権回収の素人≠ェ出すもの以上に迫力があり、債務者に「まずい、払わないと」というプレッシャーを与えるという。その上、自社の口座に振り込ませるとなれば、これはもはや集金代行≠ナはなく、立派な債権回収業務では!?
 そこで金融サービサーの監督官庁である法務省に訊いた。

 「集金代行と言いながら自社の口座に振り込ませている業者がいるとのご指摘ですが、これは集金代行業務において債務者が任意に弁済した未払い金の受領業務を代行しているものです」
 受領代行? いかにも霞が関≠ニいった言葉遊びに聞こえるぞ! さらに法務省は「監督官庁として、金融サービサー各社の集金代行業務に対して、通知を送る頻度や、そこに返済の振込先口座を併記してはいけないといった指導をしています。集金代行業務と称しての支払いの請求・督促行為は厳しく指導しています」と言うが、安心はできない。2007年に与党から、金融サービサーの取り扱い債権の拡大を認める法改正案が提出された。ここには公的債権は含まれていないが、現状は「金融サービサーによる公的債権回収」に向けての既成事実作り≠ェ着々と進められている印象を受ける。
 どうやら外堀は埋められてしまっている? やはり、「自分は競売にかけられて困るような不動産など持っていないから」などと安心してはいられない。毎月の給料だって差押えの対象になる。もちろん全額ではないが、例えば額面35円の給料なら、約3分の1が差押えの対象となってしまう。どうするよ!?
 日本には米国債をはじめとして約558兆円の対外債権があり、世界最大の債権国といわれている。それを根拠に「この世界同時不況でも日本は大丈夫」ともいわれる。しかし、円借款など回収が困難あるいは不可能という債権も数知れず。さて、国が傾いた時、金融サービサー は海外にある債権を取り立てに行ってくれるのだろうか。それとも、これまで同様、もの言わぬ国民≠ゥら搾り取るだけなのか!
納税者番号制度を安直に作り上げる事は
そういう連中へ 一般民衆を嬲り殺す為の武器を与える事になる。
一般民衆や下層民が払いきれない公的債務を
あくまで委託という形の債権回収をさせて 其処へ天下る その寸前まで来ている訳だ。
納税者番号制度で一元的に管理させては 合法的かつ効率的に かつ徹底的に搾り取る体制を築き上げ
払えなければRFID免許証とNシステムで追い込む。

何処のキチガイ国家だよ。北朝鮮を笑える資格すらない。

菅は 仙石は 枝野は 野田は 玄葉は
自分達の言葉と思惑が散々に利用され
実際は大虐殺に加担している事を自覚できているのだろうか?
ホロコーストの主犯となる自分達 という自覚はあるのだろうか?
自覚できていなければ大馬鹿野郎だし 自覚しているのならば悪魔でしかない。

大衆迎合も満足にできない枝野じゃ 無理な話だろうけどね

http://www.asyura2.com/10/senkyo89/msg/523.html
菅・枝野・野田・玄葉 おまえら勘違いするなよ

消費税増税 と その先での納税者番号制度による還付など 現状では言語道断であろう。
こんな事が読み切れないままに財政再建を言い出した所で まさに絵に描いた餅でしかない。
ワールドカップサッカーで起きた事の本質を見つめ直す事をもせずに 理想ばかりを口にする連中、
と 国家権力の中枢を握る者達が同レベルならば 当然に国は滅ぶ。
自民党時代に積み重なった悪夢を 少しずつ取り除こうとするが政権交代だったはずなのにね。



ま とはいえ個人的に納税者番号制度 それ自体には賛成なんだよね 俺も。
あくまで一般民衆の利便性の向上に使われる事こそが主目的であれば なんだけどね。

ただね 管理された情報が
官僚機構によって独占的に恣意的に利用される状況が あまりに危険なのであって
其処を欠片も改善できてない現状では 弊害しか引き起こさない。
官僚とその周辺の美味しい生活の向上だけが主目的でしかない
現行の延長線上にある納税者番号制度などは 絶対に推進してはならない。

民衆への利便性をこそ重要視した納税者番号制度
その第一歩 それこそが実は「年金手帳」なんだよね。
何の為に 長妻が一円たりとて逃さない とまで言ってるのか、
その意味を分かっているのかねぇ。

年金ごときが 銀行通帳のように信用されるレベルで運用できなければ
他の 納税者番号制度を利用した制度など
信用できるモノとは絶対に成り得ない、からなんだよね。

菅と財務省が 納税者番号制度による消費税の還付 を言い出すのならば
そんな難しい事を成功させる行政システムの再構築への第一歩の象徴にもなろう「年金手帳」を
先に しっかり運営しきってから言い出さないと 誰も信用しないよ。

政権中枢に居ながら お前は何を見てたんだ 馬鹿か?



菅 サッカー 「残念だけど、本当によく頑張った」と - Google 検索とか
安直にtwitterで実況するだけの松田じゃ
日本サッカーが絵に描いた餅でしか戦ってこなかった意味を考えもしないんだろうけどさ。
天国へ行く最短の道は 地獄から遠ざかる道の模索 でしかないことを
あそこまで分かりやすく示したのに
見たいと思う現実しか見ない が 市民感覚 ってヤツかい?w

俺が 伊達や酔狂だけで ワールドカップの記事を書き続けてきた訳でもないんだけどね。




http://southafrica2010.yahoo.co.jp/news/ndetail/20100701-00000304-spn_wcup-socc
日本16強入りで協会に8億9000万円
日本代表が16強入りしたため、日本協会はFIFAから賞金など合計1000万ドル(約8億9000万円)を受け取る。

 今大会の賞金は1次リーグ敗退でも800万ドル。出場準備金として100万ドルが支給されるほか、16強進出チームの賞金額は900万ドルとなる。8強なら出場準備金と合計で1900万ドル、4強で同2100万ドル。日本協会は選手への報奨金として最終登録23人全員に1次リーグ1勝につき100万円、ベスト16入りで500万円を支給するとみられる。

南アフリカは放映権2700億円だから。

放映権が跳ね上がったのは日韓大会。
電通とアジアの力です

1998年フランス大会108億円
2002年日韓大会1040億円

東洋経済2010/5/15より

8割は不明金で無くなる訳ですね。
菅は 仙石は 枝野は 野田は 玄葉は
日本サッカー協会とtoto等を含めた周辺のカネの流れと天下りの流れを きっちり精査しきってから
消費税を上げる とか言い出せば?wwwww




http://southafrica2010.yahoo.co.jp/news/ndetail/20100701-00000303-spn_wcup-socc
鬼武チェアマン “長谷部コメント”に感謝感激
Jリーグの鬼武チェアマンは長谷部を全Jリーガーの“お手本”に認定した。

 同選手はパラグアイ戦後のテレビインタビューで「ほとんどの選手がJリーグでプレーしているので、Jリーグにも足を運んで、ぜひ盛り上げてもらいたいなと思います」と発言。その言葉にチェアマンは「涙が出た。心の中で感謝状を出します」と感激し、J全クラブに長谷部のコメントを文字に起こした文書を配布することを即決した。


http://southafrica2010.yahoo.co.jp/news/ndetail/20100701-00000017-dal-socc
パラグアイ戦がTBS史上最高視聴率に
 TBS・MBS系で29日深夜に生中継した、サッカーW杯決勝トーナメント1回戦、日本×パラグアイ戦の平均視聴率が57・3%(関東地区、延長前半13分まで)だったことが30日、ビデオリサーチの調べで分かった。TBSにとっては1951年の開局以来、過去の全放送番組で最高視聴率を記録する歴史的な放送となった。瞬間最高は64・9%で、前半ロスタイムのシーンだった。また、関西地区でも53・5%を記録し、放送したMBSにとっても同局歴代最高となった。
  ◇  ◇
 岡田ジャパンにとって無念のラストマッチとなり、列島が悔し涙を流したパラグアイ戦が、深夜に驚異的な高視聴率をたたき出した。平均57・3%(午後10時40分〜午前1時09分)は、W杯南アフリカ大会中継で最高の数字。瞬間最高は午後11時46分の64・9%で、スコアレスのまま迎えた前半ロスタイムだった。
 TBSが念願のW杯日本戦初中継で記録した「57・3%」は、同局史上過去最高の視聴率。これまでの最高だった72年12月21日の、水前寺清子らが出演したドラマ「ありがとう」の56・3%を抜いて、来年迎える開局60周年に花を添えた。
 もともとTBSが日本戦を中継できたのは“棚ぼた”だった。昨年12月に行われた民放の放送試合を決める抽選会で、先に選択権があったフジテレビが日本の進出は難しいと判断した決勝トーナメントを回避。残り福が、TBSに社史に残る最高視聴率をもたらした。
 パラグアイ戦を実況した同局の土井敏之アナウンサー(39)は、担当した13戦目の日本代表戦で初黒星を喫したが、「サッカーを愛してくれる方々、つまり結果だけではなく試合すべてをご覧になっていただいた方々が、いかに多かったことの証左だと思います」と感激していた。
 なお、これまでのW杯中継での平均視聴率最高はフジテレビが放送した2002年日韓大会の日本対ロシア戦の66・1%(関東地区)となっている。
PK戦の時が計測できない ってのが あまりの勿体無い

http://southafrica2010.yahoo.co.jp/news/ndetail/20100701-00000301-spn_wcup-socc?com=1&srt=points
中沢 「悔いはない」完全燃焼…代表引退を示唆
「4年前は終わった瞬間から始まりだったけど、今は悔いはない。ああすれば良かったとかもないし、この結果は胸を張っていいと思う」。全4試合にフル出場し失点は「2」。堅守を誇った32歳は今後について問われると「代表?分からない」と引退の可能性も示唆していた。

ポジショニング、体の入れ方、ジャンプのタイミング、
シュートコースの読み、カバーリング。

どれをとっても、すばらしかったです。
本当にありがとう。

代表の継続も期待しますが、
その技術の引継ぎも期待します。

ドイツ大会後1回引退して、日本のために戻ってきてくれた中沢に改めて感謝!!
彼と闘莉王のコンビは日本サッカー史上最高のCBコンビでした。
彼に続く選手が出てくることを切に願います

中澤、本当にお疲れ様でした。
闘莉王とのCBコンビが日本で史上最強だったことに疑いの余地はない。
4年後のW杯までに中澤を超える人材を見出せるのか??
重要な問題ですね。

意外と後釜はいないんだよねぇ…。
岩政、槙野ぐらいしか思いつかない。
吉田麻也を試すのもアリかも。
しかも あの闘莉王と組むんだぜ?ww
槙野・栗原・吉田辺りは取り敢えず肉付けろ




サッカー日本代表が帰国=関空に4200人出迎え〔W杯〕
http://southafrica2010.yahoo.co.jp/news/ndetail/20100701-00000012-jij_van-socc
 サッカーのワールドカップ(W杯)南アフリカ大会でベスト16進出を果たした日本代表チームが1日午後帰国した。到着した関西空港には約4200人のファンが出迎え、W杯での活躍をたたえた。
 到着ロビーには「夢の時間をありがとう」、「我らのヒーロー岡田JAPAN」と記された横断幕が掲げられた。この日帰国したのは、岡田武史監督のほか、家族の見舞いのためブラジルに向かった田中マルクス闘莉王選手(名古屋グランパス)を除く、本田圭佑選手(CSKAモスクワ)ら22人の代表選手。
 記者会見した岡田監督は「素晴らしいチームだった。日本の代表として、日本人の魂をもって戦ってくれたことを誇りに思う。この選手たち、スタッフと戦えて幸せだった」と話した。
 日本は海外のW杯では初めて1次リーグを突破し、決勝トーナメント1回戦でパラグアイに0―0からのPK戦で敗れたが、日本サッカーの新たな歴史をつくった。 


http://southafrica2010.yahoo.co.jp/news/cdetail/201007010010-spnavi
日本代表選手・監督 帰国会見
岡田 われわれの予定より少し早い帰国になってしまったことを、残念に思っております。できればもう1試合、1試合でいいからやらせたかった。なぜなら、このチームは本当に素晴らしいチームだったんで、もう1試合やらせたかった。出場している選手、していない選手関係なく、皆がチームが勝つためにということを考えて、そのために何をするんだと。チームが勝つことを前提に皆が動いてくれた、考えてくれた。自分たちで考えて、自分たちで戦って、僕もたくさんのチームを作ってきましたけど、その中でも1、2を争う素晴らしいチームだと思っています。

 ピッチの中でも日本の代表として、日本人の誇りをもって、脈々とつながっている日本人の魂をもって戦ってくれた。この選手たちを本当に誇りに思います。それとともに、こういう素晴らしい選手たち、スタッフと一緒に仕事ができて本当に幸せだなと思っています。
 また、サッカー協会、Jリーグなど、関係者の皆さまのサポート、そしてスポンサーの皆さまの支援、またこのチームを信じて応援し続けてくれた人たちの思いは伝わりました。その1つ1つの思いは小さいかもしれませんが、どの小さな思いもなくては今のわれわれはなかったと思っています。そういう意味で、サポーター、関係者の皆さまに心より感謝申し上げます。

 われわれのW杯は終わってしまいましたけれど、選手たちはまだまだ前に向かって進んでいかなければいけません。彼らはいろんな場所でこれから良い時もあり、悪い時もあり、懸命に前に進んでいくことだと思います。わたしが一緒に仕事をすることはないかもしれませんけど、常に彼らを応援して、成功を祈って、幸せを祈ってやりたい。是非多くのサポーターの皆さま、メディアの皆さま、ここにいる彼らを温かい目で見守ってやってほしいと思います。ありがとうございました。

■長谷部「このチームメート、スタッフと戦えて本当に幸せ」
川口 このチームともう少し試合をしたかったんですが、残念ながらベスト16止まりになってしまいました。ただ、出ている選手はもちろん、出ていない選手、それからサポートしてくれた選手、皆で力を合わせて、それぞれが100%の力を出して戦ってきました。それぞれが自信をつかみ、手応えをつかんだ大会ではありましたが、まだやるべきことはたくさんあると思います。
 このチームで活動することはもうないんですが、それぞれが各クラブへ戻って、さらに飛躍するべきだと思うし、飛躍しなければいけない。そして、Jリーグで戦う選手たちもさらに飛躍しなければいけない。そのためには選手は当然、頑張りますし、皆さんも熱い声援、それから厳しい意見、時には称賛、それぞれの意見を出して、共に日本のサッカーを強くしていきたいなと思います。そういう思いを感じた今大会でした。Jリーグにも是非、関心を向けていたければと思います。本日はどうもありがとうございました。

長谷部 まずは日本から現地に駆け付けて下さったサポーターの皆さま、本当に熱い応援をありがとうございました。今回はゲームキャプテンという大役をやらせていただいたんですが、本当にこんなに名ばかりのキャプテンはいないなと、僕自身感じています。
 このチームには(川口)能活さんをはじめ、ナラさん(楢崎)や(中澤)佑二さん、本当に経験のある選手がチームを支えてくれて、本当にチームワークがありました。もっとこのチームで試合がしたかったなというのが本音ですが、このチームメートと、そしてスタッフと戦えて本当に幸せでした。

■岡田監督「本気の試合をたくさん経験すれば選手は伸びる」
――岡田監督、グループリーグで日本は見事に2勝を挙げた。ベスト16に勝ち上がった要因、プレー面で、日本サッカーのどんな長所がそれを実現したか?

岡田 そんなに簡単に分析できる問題じゃないんですけど、ひとつは基本的に、日本人の良さを生かそうと。一番最初に言った、接近・展開・連続ということ。運動量で負けない。ボール際で負けないという基本的なことを忠実にやり遂げた。本当に一瞬のすきを与えたらやられると。おそらく互角の戦いをすれば、そこそこいきます。同じ数ぐらいのチャンスを作るでしょう。でも、これは誰が悪いというのではなくて、日本のサッカー、アジアのサッカーの欠点としての決定力の差で負けてしまうと。
 それならどうしよう、というところの考え方を選手たちがイングランドやコートジボワールとやって肌身で感じて、これぐらいまでなら自分たちでこういうことができるな、これ以上やりすぎたらカウンターでやられるなと、そういうものを自分たちで感じ取って、一戦一戦成長していったと。それが一番大きな要因じゃないかなと思っています。

――日本のプレーヤーがこういうところを磨いていけば、さらに上に上がっていける。そういうふうに感じているものはあるか?

岡田 それは環境だと思います。あのW杯での試合を年間5試合、6試合、南米予選やヨーロッパ予選のような試合をやっていれば、彼ら(日本代表選手)は必ず伸びます。もっともっと、そういう厳しい環境での試合、プレッシャーの中での試合、親善試合でなくて相手が本気でやってくる試合、そういうものをたくさん経験させてやりたい。それがあれば彼らは必ず伸びると感じました。

――監督に就任して2年半、順調に思い通りにチームを作ることができたか。それとも、山あり谷ありがあったのか?

岡田 チーム作りというのは、チームというのは生き物ですから。予定通りなんか絶対にいかなくて、2年後にこの選手が調子良くなるなんて、分かるわけないんで。その時その時にどうだろうと、いろんな予想、そして現状でのベストのメンバー。ただ変えちゃいけないのは根幹となる考え方、コンセプト。そういうものは全く変えずに、その中で、やはり予選を頑張ってくれた選手の中で今回入っていない選手もいます。これは仕方のないことで、そういうことは山あり谷あり、チーム自体も良い時もあるし悪い時もある。
 しかし、目指すところは変わらず、やることは変わらずという意味では、表面的では山あり谷ありで、わたし自身も苦しんだこともたくさんありましたが、あまり変わらずにやってきたかなと思っています。

――本田選手、今大会は2ゴールをマークした。4試合を振り返って、自身の達成感はあるか。それともまだまだと感じるか?

本田 僕ももう少しこのチームでプレーしたかった思いが強いので、正直に言えば達成感というよりは残念な気持ちの方が強いですね。

――慣れないワントップで体を張って頑張った。どのように考えて、どのような対応をしたか?

本田 非常にやりやすかったのが率直な感想なんですけど。というのは、後ろの選手がきっちり守ってサポートしてくれたおかげで、何の迷いもなく前線にいることができました。ゴールが生まれたのも、そのおかげだと思っています。

――W杯での2ゴールは、本田選手にとってどのような財産になるか?

本田 それはこれからの僕次第なんですけど、しっかり大きな財産にしないといけないなと自覚しています。

――もっとこういうプレーを身に着けていきたいと考えているものはあるか?

本田 自分のプレースタイルがまだまだ確立されていないので。逆に言えば、どういう方向にも伸びると思っていますので、すべての面において、もっとハングリーに、どん欲に練習して、いろいろな面で向上させていけたらなと考えています。

――続いて川島選手、日本代表は4試合でわずか2失点。まさに堅守と言われたが、自身のプレーを振り返ってどうだったか?

川島 自分としてはW杯に行くにあたって、日本を背負っていくという強い気持ちで臨んだ大会だったので、結果的に最後で負けてしまったのは本当に残念でしたけど、1つの結果として失点が少なかったのはうれしいことです。ただ、その結果は僕1人でなく、チームとして結束力があったからだと思いますし、ディフェンスの選手もそうですし、ディフェンスだけじゃなくて、前線の選手の守備があったからこその結果だと思います。

――遠藤選手は4年前のドイツ大会は出場がなかった。今回の大会の充実度は?

遠藤 充実はしていたと思いますが、結果としてまだ上に行きたかったので、悔しい気持ちと、この選手とスタッフと練習や試合がしたかったなというのが正直な感想です。

――中盤の要のポジションでよく走ったが、自身のプレーを振り返ってどうだったか?

遠藤 まだまだ貢献できたんじゃないかと思っていますし、僕自身もさらに成長していきたいなと思っています。

――中澤選手、名のある攻撃陣やFWをよく抑えたが、自身のプレーの充実度も含めてどうだったか?

中澤 やられた局面も思い返せばたくさんあります。結果は非常に良いものだと思いますが、家に帰ってVTRを見て「あ、やられたな」という局面が結構あるかなと思う。家に帰ってゆっくりと分析できればと思います。

――4年前のドイツ大会にも出場しているが、4年間で向上したと思えるものはあるか?

中澤 何でしょう? そこは分からないです。

――長友選手はカメルーンのエトー、デンマークのロンメダールら素晴らしい選手を1対1で抑えたが

長友 僕の力だけなく、チームメートのサポートがあって止められたと思うので、チームメートには感謝しています。

――世界のトップレベルのサッカーを体感して、こういうところは自分でもできる、または日本サッカーはできると感じたところはあるか?

長友 最後まで運動量で負けないとか、走り勝つという部分では、日本の特徴でもありますし、そういう部分は戦えるのではないかと感じました。

――岡崎選手、少し時間も経ちましたが、デンマーク戦の1ゴール、今どんな思いで受け止めているか?

岡崎 途中交代で出て、点が欲しいと思って走っていたら(本田)圭佑からパスがきたんで。(パスが良かったので)簡単に決めるのは緊張することはないな、と思ったんですけど。あれよりもパラグアイ戦でゴールを決められなかったことが悔しかったので、次はもっとレベルを上げてやっていきたいなと思います。

――FWとして、こういうところをレベルアップしたいと感じたところはあるか?

岡崎 やっぱりゴールを取る能力をもっと上げていかないと。どんな状況でも点を取れる選手になりたいなと思います。

岡田 僕らの仕事というのは、どういうことをやるにしても、自分が「やる」と言っても向こうが「いらん」と言えば終わりなので。その先のことはまったく考えていません。
 それよりなんか、今野が最後にしゃべりたいことがあるらしいです。(選手一同爆笑)

――今野さん、そういうことなので、お願いします

(選手たちから「闘莉王はいないぞ」の声)

今野 じゃあ、モノマネやります。闘莉王さんのモノマネで。「集まれぇ〜!」(さらに大きな爆笑と拍手)

――監督、こういったところでよろしいでしょうか?

岡田 何か、森本にもなんかやらせるみたい。(中村)俊輔が命令するみたい。南アフリカの歌を歌うらしいです。

森本 やぁ〜えぇ〜やゃ〜♪ (会場爆笑、拍手)

――大勢のファンが空港に集まった。空港から会見場に向かうバスで、笑顔で手を振っていたが、どんな思いで声援を受けていたのか?

岡田 正直、あれだけ多くの人が来てくれたことにびっくりしました。あそこ(空港)を出た瞬間に、「なんじゃ」と思ったんですけど。それくらい自分たちの感覚と差があったので。ただ、あれだけ多くの人たち、特に若い人たちが目を輝かせてくれている、生き生きとしている姿、それを見るのが僕は大好きなので。日本代表が(2002年日韓大会で)トルコに負けたときも残念でしたけど、(今回も負けたことで)彼らの生き生きした姿を見ることができなくなるのが非常に残念だと。そういう意味で、今日空港に来てくれた若い人たちが目を輝かせてくれている姿にじーんときました。彼らの応援があって、われわれも勝てたんだな。あらためてそういう気持ちです。

本田 試合前なんかに、点を取れという指示があったんですけど……。みなさんの岡田さんのイメージがどういうものか分かりませんけど、僕の中では温かい人というか。大阪出身というのも一緒で、そういうのもあるとは思うんですけど、普段は厳しいですけど器の大きな人だなと。

長谷部 非常にリアルプロフェッショナルな人。サッカーに関して妥協しない。でも普段は温かくて。素晴らしい監督だなと。監督と選手の間柄では、飲みにいったり食事に行ったりしない方なので、今度終わったら行きたいな、ゆっくり話したいな思います。

「限界はないと感じた」大久保嘉人=サッカー日本代表
http://southafrica2010.yahoo.co.jp/news/ndetail/20100701-00000024-spnavi-socc
久保嘉人(神戸)の囲み取材でのコメント。

「やっと帰ってきた。疲れたけど充実していた。もっと試合をやりたいという思いも強かったけど、自分としてはやれたという感じもあった。チームとしても個人としても、ここまでできると思っていなかった。試合を通してここまで走れるんだなというのは自分でも分からなかった。限界はないと感じた。そういう手応えを得られた。

(初めてのW杯は)楽しかった。どの試合ということじゃなくて、本当に全部が。チームが本当に1つになっていた。自分のポジションの役割は大事だなと思ったし、(大会前に)4連敗してもあそこまでやれるんだなとも思った。Jリーグでも、もっともっとやれるなという感じがした。(大会前は結果が出ず周囲も不安視したが)正直、個人的には見返せないんじゃないかという感じもあって、見返してやろうという感じは頭になかった。本当に大丈夫なのかなという心配ばかりだった。でも、いざやれば結果がついて自信ができて、こういう戦いができたのは良かった。
(その自信を得たのは、初戦のカメルーン戦を戦ってからか?)そうですね。それまでは、どれぐらい(相手に)やられるのかなと考えることもあったから(苦笑)。でもやっていくうちに、『日本人やれるわ』、『あ、こんなもんかな』という感じになっていた。
(試合が終わって泣くことは想像していたか?)いやあ、どうやろ。泣くとは思っていなかった。パラグアイ戦の最後は交代していたし。終わったなという感じだった。(涙は)悔しさもあるし、もうこのチームでできない、この代表チームで最後なのかっていう思いもあった。

(再び海外でやりたいという気持ちは)分からない。チームと契約があるから。休んで考えます。(レギュラーとして出場できたことの満足感は?)日本代表だからね。あらためて自信ということはないけど、みんながチームとして1つになってやれたことは自信になったし、チームワークが大事ということが分かった。
(どれぐらい休めば疲れが取れるか?)分からない。ゆっくり休みたい。どこか(旅行にも)行きたいんだけど、雨降りそうだし……。雨降ったら外に出たくない(笑)。今はまず刺身が食べたい。(疲労度は?)めっちゃ疲れている。飛行機移動が長かったし。ゆっくり休ませてください。

(今すぐにJリーグのことを考えるのは難しい?)考えていない。今はゆっくり休む。またすぐにサッカーしたくなるら、それから。(W杯を経験して、もっと上を目指したいという気持ちは?)個人としてはそう。代表でこれからどうかというのは今の時点では分からないけど。(日本が世界に通用するなと感じた点は?)技術や守備、スピードといったあたり。海外の選手が持っていないものを日本人は持っていると思うので、そういうところは通用すると感じた。
(あのポジションであれだけ走るということは、以前には考えられなかった?)今までで一番走ったし、こんなこと言ったら怒られるかもしれんけど、これ以上走ることはないんじゃないかなというぐらいやれた。それは自信になった。Jリーグでもこれぐらい走れば、どれだけ点が取れるんだと思うし、チームに貢献できるんだということが分かった。もっと自分にプレッシャーを掛けられるようにもなる。『代表じゃあれだけ走っていたじゃないか』って。それは良かったと思う。またベースが変わったと思うし、周りにも言われて、またできるようになればいい。あれだけ走ったことをJリーグでも出さなきゃいけきゃいけないと思う。

(自分の限界値が)広くなった。というより、限界はないなって思った。今までJリーグだと、ここは無理だなと思って、行かないこともあったけど、そういう場面でも行けて、もっと行けるんだっていうのが分かった。(周りからの見る目も変わると思うが)頑張る。ここからが勝負。(出迎えにも多くのサポーターが来ていたが)こんなに盛り上がっていると思わなかった。想像していなかったし、ビックリした。行く時と反対ですね。行く時は相手にされていなかったから(苦笑)。結果は大事だな、とあらためて思った」


http://southafrica2010.yahoo.co.jp/news/ndetail/20100701-00000088-mai-socc
「自分の心に刻みたい」駒野帰国、表情晴れやか
 試合後、下を向き、うつむく駒野選手に声を掛けたのは同い年の仲間たちだ。ロッカーが隣だった阿部勇樹選手(浦和)には「上向いて行こうや」と励まされた。5人目以降にける予定だった田中マルクス闘莉王(名古屋)、松井大輔(グルノーブル)の両選手には「おれたちがけっても外していたよ」となぐさめられた。

 それでも、その夜は一睡もできなかった。脳裏にしみついて離れないのは、あの場面。ける前からコースは決めていた。自信のあるゴール左上を狙ったはずだったが、クロスバーを直撃。「外した瞬間、やってしまったという気持ちになった」。PKはオシム前日本代表監督時代にも任されたことがあり、練習でもほとんど外したことがないほど得意だった。「PKは不安なままけってはいけない。自分がけるつもりで準備していた」。大舞台でも迷いはなかった。

 「負けは負け。しっかり自分の心に刻みたい」。所属する磐田でも今後、PK戦に臨む場面が出てくるかもしれない。だが、逃げるつもりは一切ない。「もし同じような場面があれば、迷わずけりたい」。力を込めた。


http://ysm1004.seesaa.net/article/155105840.html
川口能活「それぞれが各クラブに戻って飛躍しなければならない。そのためにもみなさんの熱い声援、厳しい意見、称賛をいただいて、日本サッカーを強くしていきたい」
長谷部誠「ゲームキャプテンという大役をやったが、こんな名ばかりのキャプテンはいないと感じている。川口さん、楢崎さん、中沢さん、経験豊かな人がチームを支えてくれた。本当にすばらしいチームワークのある、いいチームだった。本当にこのチームでもっと試合がしたかった」
本田圭佑「もう少しこのチームでプレーをしたかった。正直、達成感より残念な気持ちが強い」
松井大輔「このチームで戦えてよかった。力を発揮できたことはできたけど、点を取りたかった。(移籍のオファーは)W杯の前よりは、すごく多くなった」
長友佑都「一試合一試合、世界でも戦えるという自信を得た。(海外移籍は)チャレンジできれば。プレミア、セリエA、スペイン、いろいろある」
川島永嗣「失点が少なかったのはうれしい。この結果はチームの結束力があったから。DFだけでなく、前線の選手の守備のおかげもある」
遠藤保仁「充実した大会だったが、結果としてまだ上に行きたかったから悔しい気持ち。もっとこのメンバーで練習、試合がしたかった」
駒野友一「(PKを)外した瞬間はやってしまったという気持ちになった。自信のある方向にけると決めていたが、残念。決められなかったのは力不足だと思う。ずっと下を向いていたが、メンバーに励まされ、前を向いて帰って来られた」
阿部勇樹「いろいろと役割があるので、整理して臨んでいた」
中村俊輔「(代表は引退かの質問に)しますよ」
中沢佑二「やられた局面を思い返せば、たくさんある。家に帰ったら、とにかくゆっくり寝たい」
大久保嘉人「楽しい時間を過ごせた。もっと試合をやりたかった」
岡崎慎司「パラグアイ戦でゴールを決められず悔しい。次はもっとレベルを上げていきたい。どんな状況でもゴールを決めないと」
中村憲剛「悔しさも喜びもある。大事な局面でプレーできたが、期待に応えられなくて残念。あこがれ以上の舞台でできて、自分の今までの道のりは間違っていなかったと思う」
今野泰幸「どの試合もめちゃめちゃ気合が入っていたし、緊張していた。(戦ったオランダの)ファンボメルはテレビで見るより技術が高くて寄せも早かった」
玉田圭司「悔しいです。それしかないです」
矢野貴章「もっとレベルアップしなければいけない。絶対に負けられないという環境で、試合をするのが大事だと感じた」
内田篤人「これまで試合に出るのが普通だったが、今回は沸々と沸き上がるものがあった。これからは、練習でも時間を無駄にしないようにしたい」
楢崎正剛「(出場機会がなく大会を終えたが)悔いはない」



















posted by 誠 at 17:06| Comment(0) | TrackBack(1) | (゚∀゚) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

苦しくも至福の時間だった150分 2時間半。
「プレトリアの死闘」という悲しくも甘美な思い出が刻まれた。 その1

サッカーコラム J3 Plus+  日本代表のスタッフと27人の選手をたたえよう。
パラグアイ代表チーム、おめでとう。やっぱり、南米のチーム。強かった。

ポルトガルリーグの得点王が途中から出てくるというのは反則ではないのか?

0対4で敗れた南米選手権から11年。あの時よりも日本代表は手ごわいチームになっていたかな?



1998年のフランスワールドカップのフランス戦。

パラグアイの人はあの試合のことを思い出したことだろう。

12年前と同じような展開で進んだ試合は、あの時とは逆に、勝利の女神はパラグアイにほほ笑んだ。



次は、スペインかポルトガル。

どちらも厳しい相手だと思う。でも、パラグアイならいい試合ができると思う。

日本は負けてしまった。だから、今度はパラグアイを応援したいと思う。

それにしても、この日も岡田監督の采配は冴えていた。
阿部→中村憲の交代には驚かされたが、ロマンを感じる交代だったと思う。
現実主義の岡田監督らしくはない交代だったけれども、
もしかしたら、これが本来の岡田監督なのかもしれない。



駒野のPK失敗は仕方がない。誰も彼を責めることは出来ない。
今回は、たまたま、彼が外したにすぎない。
ロベルト・バッジオのありきたりな言葉を送ると、
PKを外す事のできる選手はPKを蹴る勇気のある選手だけだ」。
頑張っていた選手がPKを外して悲劇のヒーローになるのは、よくあるパターンである。

ありがとう岡田ジャパン。
勝利のために、グループリーグを突破するために、ベスト4に進むために、闘う姿は美しかった。
「ポゼッションサッカー」だけが美しいサッカーではないことを多くの日本人に示した。
サッカーの多様さな魅力を世界中に示すことができたのではないだろうか?

もう、明日からは次の4年間がスタートだ。

ただ、今日だけは、
世界のベスト16に入った日本代表のスタッフと27人の選手をたたえよう。


スポーツ見るもの語る者〜フモフモコラム:見事なベスト16!勇敢に戦った日本代表が美しく大会を去るの巻
見ている側としては、今大会は非常に満足出来るものでした。ワールドカップというお祭りを、予選から本大会、そしてベスト16まで楽しむことが出来たのです。200あまりの国と地域が参加したお祭りで、日本は残り10チームにまで残りました。もしパラグアイに勝っていれば、日程の関係で「残り5チーム」に入ることが確定するところまできていました。敗れ去った多くのチームが楽しめなかったものを、味わうことが出来ました。4年間たっぷり楽しめたのですから、もうこれは大満足です。

ピッチを駆ける選手たち。最後の一歩、最後の一足を出す根性。苦しい時間をじっと凌ぐ忍耐。チャンスと見るや猛然と攻め上がる勇気。批判や逆風にも揺るがず、高い目標へと突き進んだチーム。走り続けたチーム。延長を終えたあとはピッチに多くの選手が倒れこみました。さっきまでの力走が嘘のように、動けなくなっていました。

ことあるごとに選手たちは肩を組み、心をひとつにしていました。外した選手を誰一人責めることはなく、痛みをわかち合っていました。誇らしく、美しいチームでした。胸を張って日本に帰ってきてほしいヒーローたちです。

それでも、届かなかった。

今大会、日本チームは万全の状態で迎えられました。コンディション調整の成功もあり、過去にないほどの絶好調で大会に入る選手が頻出。怪我やカードでメンバーを欠くこともなく、理不尽な判定に見舞われることもなく、スムーズに戦うことが出来ました。選手たちは一体となり、まさにチームの力を結集していました。なかなかこれ以上の状態はないでしょう。それほどいい戦いが出来た中でも、ベスト8には上がれなかったという現実。120分間守り抜きながら、1点を奪うことは出来なかったという現実。これこそが、現時点での日本の位置。


4年前はただただ無念さが残り、次の一歩をどう踏み出せばいいのかもわかりませんでした。しかし、今回は違います。日本人の選手と日本人の監督による「日本サッカー」でも、十分に世界と戦えるという自信を得ました。 「みんなで」「賢く」「献身的に」「走る」という日本の長所・特徴を知ることが出来ました。そして、世界との距離を肌で感じることが出来ました。目の前が明るく開けたような気がします。すぐにでも次の一歩を踏み出したくなるような、大きな手応えが残っています。選手たちもそう感じているのではないでしょうか。

ワールドカップだけがサッカーではありません。日々は続いていきます。すぐにJリーグも始まります。お祭りを終えて、「本当の仕事」に選手たちは帰っていきます。ならば、それを熱く温かく見守ることがファンの「本当の楽しみ」。4年に一度のお祭りを待つだけじゃ退屈でしょう。1000円札を何枚かポケットにねじ込めば、遠藤の芸術的FKや、闘莉王の暑苦しさ、大久保がうっかり点を取る姿、川島のドヤ顔が目の前で見られるのです。もし彼らが海外で新たな冒険を始めるとしても、次代のサムライを見守る喜びがあります。最高の暇つぶしじゃありませんか。この4年がそうだったように、次の4年もきっとまたあっという間です。

お疲れ様日本代表。面白かった。ワクワクした。泣いた。

新しい歴史をありがとう!



果てしなく続く我慢比べ。


そしてパラグアイが3本目を決めたあと、この日のハイライトとなる駒野のキックが訪れます。

駒野は2007年のアジアカップ・オーストラリア戦でも3人目でPKを任されたように、
隠れたPK職人。
このチームの中でも名手のひとりです。
しかし、PKを外すのは いつも名手。
ゴール上へと叩き込む勇敢な駒野のPKは、クロスバーに阻まれます。
GKが絶対取れないコースを狙ったPK。
名手ゆえ、勇敢な男ゆえの外し方でした。

今日も雨が降っている・・・・・・。: AFCアジアカップ 2007 日本 vs オーストラリア 2007年07月22日
PK戦

   オーストラリア:日本
×   キューウェル:俊輔    ○
×      ニール:遠藤    ○
○     カーヒル:駒野    ○
○      カール:高原    ×
○     カーニー:中澤    ○

http://blog.livedoor.jp/vitaminw/archives/52512690.html
今大会、日本は何度もクロスバーに救われました。
この日は敵に回ったクロスバーさんですが、そういう日もあります。

選手たちは、このチームでの戦いが終わることを想い、涙を流していました。ベンチで静かに涙をこぼす闘莉王。ひとりたたずむ大久保。声を上げ、号泣する駒野。その肩を抱き、駒野よりも激しく泣きじゃくる松井。そこに寄り添うアテネの仲間・阿部。そっと頭を撫でた稲本。PKを外した駒野の痛みを分け合うように次々に仲間が集まっていきました。試合中に長友・遠藤という今大会の主軸がイエローカードをもらい、累積警告で次戦は出場出来なくなりました。もしここで勝ったとしても、その先はもうなかったかもしれません。それでも勝ちたかった。勝たせてやりたかった。そんな、いいチームでした。


駒野はこの試合のことを忘れられないでしょう。同じように、僕らもこの試合のこと、駒野のことを忘れないでしょう。多くのヒーローが生まれ、喝采を浴びた日本代表の中で、駒野は目立たず静かに自分の仕事をこなしてきました。中継したTBSの番組告知でも、各メンバーの名前を挙げる中で、駒野の名前はしっかりと漏れていました。そんな男が、クライマックスのスポットライトを一身に浴びたのです。僕は、これをサッカーの神様からの贈り物だと思います。

この先何十年も、僕らはこの場面を思い出すのです。同じような場面が訪れるたびに、駒野の涙がよみがえるのです。ドーハの悲劇のように、何度も何度も振り返るのです。あのドーハのピッチに崩れ落ちた中山や、最後のクロスに足を伸ばしたカズ、頭を抱えて座り込んだラモスの姿は、日本サッカー界の歴史であり、大切な記憶です。唯一ラモスが美しく見えた瞬間です。駒野はそんな素晴らしい瞬間に、自分を刻み込むことが出来たのです。多くのファンの胸に、自分を刻み込むことが出来たのです。ちょっとした駒野記念日です。

「みんなで」「賢く」「献身的に」「走る」 を もっとも地味に続けたのが駒野だった。
それは
大和民族系日本人の美徳“無垢な善性”という「みんなで」「賢く」があり
「献身的に」誰が見なくても「走る」を続ける“勤勉さ”を端的に体現している姿でもあった。
なおかつ、
そうであったとしても 諸行無常という敗者の美学が待ち受けてしまう という
大和民族系日本人の美意識の琴線に触れまくる これ以上ない好例でもあった。
だからこそ 大和民族系日本人ならば
その姿に感動し涙をして万雷の拍手を送れるのだ。

スポーツと政治を絡ませて安易な国粋主義というカルトの布教を
事あるごとに結びつけ続けるマスコミ新聞テレビ大手メディアなどなどの連中が存在し続ける限り
その対極に位置する思想を 俺は書き続けようと思う。


優勝でもしないかぎり、いつかどこかで負けるもの。

どこで負けるかよりも、どう負けるかが大事。

この日見せた、日本の美しい負けは、決して悲劇ではありません。

栄光という、眩しい光の中に消えていっただけのこと。

「サッカー」は終わらず、これからも続いていきます。

次にまた素晴らしい場面に出会えるよう、これからも見守っていきたいものですね。




幻想の終わり、夢の続き。: 見物人の論理
 残念。

 ほかに言葉がない。日本代表の冒険は、ここで終わってしまうのか。


 負けたことよりも、ベスト16止まりという結果よりも、このチームをもっと見続けていたかった。
 大会が始まってから1試合ごとに目覚ましい成長を見せたこのチームが、どこまで行けるのかを。
 それが断ち切られてしまったことが、何よりも悔しい。


 南アフリカ大会は、ある意味で、日本のサッカー界が囚われてきた幻想に終止符を打った、という意味を持つことになるんじゃないだろうか。
 「日本選手は技術が高い」とか、「中盤のパス回しなら一流」とか、そういうところをストロングポイントと考えて岡田監督はチームを作ろうとしてきた。前任者の「日本代表の日本化」という宣言が鮮烈に印象に残っていたこともあり、そういう基本姿勢を疑う人、否定する人は、ほとんどいなかった(岡田監督の技量でそれが実現できるのか、という懸念や批判はあったにしても)。

弱者の戦法ではあっても、2試合目、3試合目と大会が進むにつれて、チームは、攻撃的な闘い方を少しづつ模索しはじめた。本田だけでなく、松井や大久保、遠藤、長谷部、岡崎らがコンビネーションの片鱗を見せはじめた。3試合目が終わった後に岡田監督が会見で話していた通り、自分たちのどこまでが通用し、どれが通用しないのかという見極めを、選手たちが肌で理解しはじめた、ということなのだろう。

 ベスト8を争うパラグアイとの試合も、入り方はこれまでと大差なかった。
 パラグアイといえば思い出すのは1998年フランス大会。GKチラベルトを中心とした、しぶとく守り抜くチームで、延長の末、ブランのゴールデンゴールに散ったフランス戦は、あの大会の白眉のひとつだった。
 だが、そんな私のイメージよりもパラグアイは攻撃的だったし、選手たちは日本よりも早く疲れ始めていた。パラグアイは幾多のチャンスを作ったがミスも多かったし、試合が進むにつれて守備にも隙を見せ始めていた(とはいえゴール前の堅さは最後まで変わらなかったが)。

このチームは、遠藤ー長谷部というラインの後ろに阿部を置く形と、前に中村憲剛を置く形、2つのオプションを手に入れた。相手との力関係や状況に応じて、この2つを使い分けながら戦うというやり方が見えてきた。

 だから、中村投入後に1点を取って勝ち上がることができたなら、日本代表はさらにバージョンアップを重ねることができただろう。一度は見切りをつけた戦い方を再構築して、このレベルの相手にも通用するところまで磨き上げることができたかも知れない。
 そのチャンスを失ったことが、何よりも残念だ。


我慢比べの120分 
ハーフタイムなどの時間 約20分
PKの時間 約10分
苦しくも至福の時間だった150分 2時間半。
それが もう味わえないのかと思う 本当に残念だ。
けれども また期待もできる とも思えるからこそ
甘美な思い出として 心に刻める それが「プレトリアの死闘」だったよね。




ゲーム戦術を駆使して勝ち抜いた日本代表 - サポティスタ
相手との力関係を考え相手の良さを消し戦術的に戦った日本代表。評論家の後藤健生氏は今大会の日本代表チームをこう評する。

「先日までナイーブな大人しいサッカーしかできなかった日本代表とは思えないような戦い方だ。日本も、本当に大人のフットボールができるようになったものだ」

その一方で、こうしたサッカーを「つまらない」と切り捨てる人が、いわゆる「専門家」の中にもいる現状に対して疑問を呈している。

「試合のために戦略を立て、うまくそれを実践すれば、多少実力的に劣るチームであっても勝利を収めることができる。あるいは、コンディションが良ければ実力差はひっくり返せる。それが、サッカーというスポーツの面白さであり、ワールドカップのようなトーナメントの醍醐味である」

「だから、『日本代表のサッカーはつまらない』などという人は、サッカーの本質を履き違えているとしか思えない」


J SPORTS|コラム 【後藤健生コラム】日本代表のサッカーはアンチフットボールなのか?
http://www.jsports.co.jp/press/column/article/N2010063012505402.html

ワールドカップ初の8強を目指した日本は、パラグアイ相手に真っ向勝負を挑んでPK負けという形で2010年の挑戦を終えた。

パラグアイは、伝統的に守備の強い国だ。一方の日本も、今大会では堅い守備からのカウンターやセットプレーからの得点で勝ち上がってきた。実際、試合が始まってみると、両チームの慎重さが目立った。相手のミスを拾って大久保がいきなシュートを放ったが、これがこの試合のテーマだった。自らのビルドアップで崩すことはできず、互いに相手のミスを狙って得たチャンスが多かったのだ。

日本代表が前から激しいプレスをかけても、南米の選手には特有のキープ力があり、パラグアイがボールを失う場面はほとんどなかった(これが、日本が中南米のチームを苦手にしている理由だ)。だが、パラグアイの方にも余裕はなく、日本がプレスをかけると簡単に後ろに戻して逃げてしまう。パラグアイが引き気味なのは、日本を前におびき出そうとしたのかもしれない。

だが、今大会の日本代表は本当に大人だ。

簡単には相手の誘いに乗らないから、パラグアイも自らが仕掛けなければならなくなる。
そして、ゲームは膠着状態が続く。20分を過ぎてパラグアイのキープの時間が長くなるが、その後再び日本が上回る時間もめぐってくる。一進一退の展開が続く。パラグアイはMFのカセレスが出場停止で、代役として入ったオルティゴサがボランチとして左右に大きくボールを展開する。日本の3人のMFは深い位置にいるオルティゴサのチェックに行けず、オルティゴサからのボールが脅威だったが、ロングボールが流れてゴールラインを割るシーンが多く、日本としては助かった。

その後、日本は遠藤を高い位置に上げて、このスペースに人を配置して、オルティゴサをチェックするとともに、攻撃の厚みも増そうとした。こうした膠着状態の間にも、ゴール前、中盤で激しいボールの奪い合いが展開される。結局、双方ともチャンスはありながら、最後までゴールを決めきれないまま、延長も終了してPK戦に突入してしまった。



特筆すべきは、
パラグアイというハードな相手と戦った日本代表が、
激しいぶつかり合いにも一歩も引かず、逃げることなく対等に闘い続けたことだ。

グループステージのカメルーン戦では、
うまく90分をマネージメントして無駄な動きをしない戦い方で勝点3をゲット。

オランダ戦でも、
先制ゴールを決められた後、攻めに行きながらも守りもきちんとケアして、
失点を1にとどめるクレバーな戦いを繰り広げた。

そして、世界のサッカー界の中でもハードなプレーで知られるパラグアイとも
互角の「どつき合い」を演じたのだ。




日本では、こういうサッカーを「つまらない」と切り捨てる人が(「専門家」の中にも)いるようだ。

たしかに、華々しい個人技が見られるわけではない。スペクタキュラーなゴールがあるわけではない。だが、延々とボールの奪い合い演じ続けるのも立派なサッカーなのだ。いや、そもそも150年前にサッカーが生まれた頃、フットボールというのは、ボールの奪い合いが主体のゲームだったのだ。カメルーン戦やオランダ戦でのような、ゲームの流れを読みながら、自在に戦い方を変えたり、この日のパラグアイ戦のように激しいボールの奪い合いを繰り広げたり、つい先日までナイーブな大人しいサッカーしかできなかった日本代表とは思えないような戦い方だ。日本も、本当に大人のフットボールができるようになったものだ。

今回のワールドカップでの日本代表は、相手との力関係を考えて、相手の良さを消しながらしっかり守って、カウンターやセットプレーで点を取るという戦い方をした。いわば、ゲーム戦術を駆使して勝ち抜いた大会だった。試合のために戦略を立て、うまくそれを実践すれば、多少実力的に劣るチームであっても勝利を収めることができる。あるいは、コンディションが良ければ実力差はひっくり返せる。それが、サッカーというスポーツの面白さであり、ワールドカップのようなトーナメントの醍醐味である。もちろん「守りを固めてカウンター」といっても、それはそれなりの技術、戦術がなければ実行できるものではない。

だから、「日本代表のサッカーはつまらない」などという人は、サッカーの本質を履き違えているとしか思えない。

もちろん、将来的には、テクニック的にもフィジカル的にも相手を上回って、やりたいサッカーを貫いて、相手を圧倒して勝つようになってほしいものだ。だが、その課題は代表チームのスタッフの仕事ではない。各クラブや学校で育成に携わっている人たちの、そして、それを統括していく日本サッカー協会の仕事である。

8年後か、24年後か……。いつかは、ワールドカップで日本がそういう地位を占め、相手側がゲーム戦術を駆使して日本に挑んでくるような時代が来てほしいものである。


後藤 健生 06月30日12:50




http://blog.hokkaido-np.co.jp/sports-ryuji/archives/2010/06/post_129.html
 魂のゲームを見られたことに感謝します。勝利は常に望むものですが、敗戦こそが勝利に倍するヒントを与えるものです。悲しさ、悔しさの涙こそ、次へのステップです。
 長谷部キャプテンのキャプテンシーは、見事でした。ゲーム後、「Jリーグを応援してください」とキャプテンが語るところが、このチームの強さでした。
 岡田監督の一喜一憂しない強さは、日本サッカーを明日に繋げてくれました。
 応援も、批判も否定はしません。それも楽しみだと思います。ただ、スポーツの世界には、非難一辺倒は似合いません。前に進めるための応援が大事だと思うのです。


長谷部 Jリーグにも足を運んでください - Google 検索


ラストゲーム…長かった4年間
http://southafrica2010.yahoo.co.jp/news/ndetail/20100630-00000048-dal-socc
 4年前のW杯ラストゲームは大きな失望感と共に終った。正直に言えば、その数週間前の大会初戦の逆転負けで、ジーコジャパンの終結を思った。もちろん初戦に敗れても可能性は残っていた。けれど、練習時間のすべてをシュート練習に費やすチームの雰囲気は日々悪化しているように感じたし、気持ちのどこかで、南アフリカ大会のことを考えてもいた。
 しかし、ドイツ大会終了後に始動したオシムジャパンには、ドイツを戦って選手のほとんどが外れていた。海外でプレーする選手だけでなく、20代後半の働き盛りの選手たちもいない。ドイツでの空しさを晴らす場所もなく、彼らは“古井戸”と言われて退けられた。
 3連覇が懸かっていた2007年のアジアカップは3位決定戦で韓国に敗れ、若い代表選手たちの成長を感じることもなく終った。しかし、その年秋のオーストリア遠征で、スイスを相手に逆転勝ち。後半相手がメンバーを落としてきたのも事実だが、欧州組も融合され、「日本人らしい組織的かつ攻撃的なサッカー」で、世界に近づけそうな予感は十分にあった。
 そして11月、オシムが病に倒れて、岡田監督が就任する。2008年アジア3次予選を突破し、2009年W杯出場権を獲得する。その年の秋、オランダと対戦。前から守備をしかけ、相手を封じ込めるというサッカーで善戦。しかし、終盤に失速し、大敗を喫した。それでも岡田監督は「W杯ベスト4」という目標を変えなかった。
 それでも監督は「日本のサッカーの可能性を感じた」と大きな手ごたえを得ていたようだった。
 2010年2月の東アジア選手権でホームながら3位という結果に敗れた。3月の試合には勝ったが、4月、5月と親善試合に負けた。
 特に5月の韓国戦では、圧倒的なレベルの差を突きつけられた。彼らは欧州のチームにも引けを取らないフットボールで日本を砕いた。
 この試合後、岡田監督は進退伺いをにおわせる発言をした。W杯直前、チームはどうなってしまうのだろうかと、無責任な監督の行動に怒りを覚えた。しかも、翌日には「冗談だった」という始末。公式会見で冗談を言える立場ではなかっただろうに。
 その後、高地対策としてスイスで合宿。4-2-3-1という過去の布陣を捨てて、DFラインの前に阿部を置く3ボランチを実施。守備ブロックの位置を自陣に下げたことにより、ゴールを狙うやり方にも変化が必要になった。スイス合宿序盤、選手たちだけでミーティングを開いた。「自分たちは強いわけじゃない」と闘莉王が熱弁を振るう。「戦う気持ちが足りない。球際で相手に勝つには気持ちが大事だ」と松井をはじめ、欧州でプレーした経験を持つ選手が渇を入れる。
 続く、イングランド戦、コートジボワール戦にも敗れ、親善試合4連敗。危機感が高まる。
「みんなの中でもベスト4というのがずっとあったけど、コートジボワールとイングランドに負けて、このままじゃいけないというのが出たんじゃないですかね。それを言葉に発しただけでもみんながそういうことを思っていたんだという一体感が出たと思う」と話す岡崎は、長い間勤めてきた1トップでの先発の座を奪われ、アウトサイドのサブに回った。
 負傷で出遅れた中村俊輔、内田篤人にも先発の椅子は残されておらず、不動のGKだった楢崎も控えとなった。
「4-4-2のままで僕たちがボールを持つというサッカーをしていたら、どうなっていたかはわからない。ただああいう時期に、守りを固めるために阿部ちゃんを1枚入れて、守りから速攻という形に変えたことで、逆に大会前に刺激があって、みんなが引き締まったこともあると思う。いろんな面でいい方向に転がったと」と俊輔。
 W杯メンバーは攻撃陣の数が多いにも関わらず、守備的布陣へ変更したことで、攻撃的な選手の出場チャンスは自然と少なくなる。しかも、出場できた選手とて、自分のプレーよりも守備に追われ、ストレスも小さくはなかったはずだ。
「それまでの結果が4連敗だし、やっぱり、なりふりかまっていられないというのは、選手自分たちが作った結果だった。そこで、方向転換するのは、必然というか、まあ、岡田監督の判断だし、選手はそれを遂行するしかない。カメルーン戦が、そこにあってくれたから、そこへ向かってみんなでまとまれた。その試合で勝ち点3が獲れたし、みんなが盛り上がらない理由はない。本当にシンプルに意志統一ができている」と憲剛。
「戦い方が変わってもやることは決まっていますから、動揺はなかった。うまい選手もたくさんいますけど、守備だけやっていても、文句をいう選手がいない。それだけみんなチームが勝つために、自分の持ち味を押さえてでも、まず、点を取られないようにということで、入ってくれたので助かる」と中澤が彼らを称えた。
 世界と日本とのレベルの差。それを考えれば、守備重視は当然のことだと、大会前から中村(俊)や中澤、松井らが語っている。それに監督が気づいたのが1か月前ということなのだろう。監督は「主力の選手がコンディションやメンタル面での調子が良くなくて使えなかったから、現在の戦い方を選んだ」という意味の発言をしているが、彼の決断の理由はわからない。とは言え、急造チームは多くの選手たちの献身的な思いのもとで、進化し、結果を残した。これはピッチに出ている選手だけの手柄ではない。
「(4年前に比べたら)よりチームのためにやれるようになったかなとは思うし、個人のことよりもチームのために目を向けることが優先的にあったと思う。いろんな経験をして、自分が出ている、出ていないとは別に勝ちたいという気持ちが前よりは強くなった。だから、そのために何ができるかと考えていた」
 そんな風に話す稲本は、「やれることはやった」とすっきりとした表情で語った。
「人生にとってもっとも大きな挫折かもしれない。辛いのと悔しいのとしかなかった」と話す俊輔とて、ピッチ外での仕事には悔いは残っていないだろう。
 初戦に勝ち、オランダには最小失点で敗れ、デンマーク戦も3-1と勝利した。大きく掴んだ守備への自信を胸に挑んだ決勝トーナメント初戦のパラグアイ戦だったが、120分戦い、スコアレスドローでPK戦の末に敗れた。
 もう少し早く、3ボランチの戦い方を始めていれば、もっと攻撃の精度もあがっただろう。やはり1ヶ月ではそこまでの時間はなかった。この守備に、攻撃力が身についたら、確実にもっと上へ行けたかもしれないと、考えられずにはいられない。
 しかし、もうこのチームは解散した。新しい監督がどんなサッカーを志向するかで、メンバーも大きく変わってくるだろう。世界的に見ても日本には強力な武器を持ったエースはいない。選手個々の能力では、ジーコジャパンの選手たちのほうが上だった。でもだからこそ、全員が組織的にまとまり、小さな歯車が重なり合うことで、大きな力を生み出す。それがこの日本代表。憲剛は力強く言った。
「サッカーをやっているのは11人だけじゃないので、23人、サポートメンバーを入れた27人がこのチームです。他のチームよりまとまっていて、優れていたと思う。ヨシカツさんをはじめ、経験豊富な選手がベンチでもしっかりやっていた。そういうのを見て心を打たれない選手はいないと思うし、これはこのチームの誇るべきところだと思う。次の代表でもこの経験は絶対に忘れないと思う。チームの和があって、ここまで来たと言うことは忘れないと思う」
 人生初めてのベンチを経験した内田篤人は「今まで見ていなかった世界、思ってもみなかった世界を見た」という。そして、数日後にはドイツのシャルケで新しい選手生活をスタートさせる。
「この経験が活きるかどうかは、これからの自分の頑張り次第だから」
 世界を驚かせる結果は残せた。しかし、日本代表が世界に認められるかどうかもこれからに懸かっている。
 一夜が明けたプレトリアには燦燦と太陽がふりそそぎ、冬だとは思えない晴天。そして、日本代表のW杯が終ってしまったことすら、忘れてしまいそうなほどに明るい。そして、ブラジル大会のことは考えられない。また次の試合があるようなそんな気分さえしてしまう。
 4年間は長かった。いろいろなことがあった。いいことも悪いことも。選手たちはそれがどんなものであっても日々を明日の糧にするために戦う。(


http://fukug.blog.so-net.ne.jp/2010-06-29
ひとつのアイディアなんだけど、ヨーロッパの国々に追いつくために、アジアと中南米、もしくは中米カリブだけでもいいから合同の大会ができないものか。オセアニアも含めた環太平洋選手権とか。4年に一度しか世界の国々と本気で戦えないのはつらい。サッカー界のお偉い方々に一考してほしい。

P.S. 駒野にパラグアイのバルデスが熱心に声をかける写真を見た。一番、泣けた。

http://fukug.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_ed6/FUKUG/wca1006301031033-p4.jpg

http://fukug.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_ed6/FUKUG/wca1006301031033-p5.jpg


http://twitter.com/nissu_t9silver/status/17396773353
重要な事なのでもう一度言っときます。
「PK戦は誰かが失敗するまで続くゲームです。
 失敗者を必ず生み出す残酷なくじ引きです。
 何も恥じることはありません。」
by オシム


・オシムとPK: 肩の力を抜いて 2007年7月22日 (日)
オシムは1990年のイタリアワールドカップのユーゴスラビアの代表監督である。

オシムとPKの物語はこの大会で生まれている。

当時のユーゴは、

7つの隣国

6つの共和国

5つの民族

4つの言語

3つの宗教

2つの文字  により構成される

1つの国   と言われ



1980年にカリスマ大統領のチトーが死去してから分裂の危機にみまわれ、1990年のワールドカップ以降、戦火を交えながら解体の道を歩んでいく。

6つの共和国@スロベニアAクロアチアBボスニア・ヘルツェゴビナCセルビアDモンテネグロEマケドニアは現在の独立国家。


1990年のイタリア大会。オシム率いるユーゴは、準々決勝でアルゼンチンと対戦する。

退場者を出したユーゴは、アルゼンチンと互角に戦い、試合は延長でも決着がつかず、PKにもつれ込んだ。



以下、「」内は 木村元彦「オシムの言葉」の引用

「監督、どうか、自分に蹴らせないで欲しい。」

「PK戦になった瞬間に二人を除いて皆、スパイクを脱いでいた。」

「誰が蹴って、誰が外したかが問題にされるからだ。そしてそれが争いの要因とされる。」

「祖国崩壊が始まる直前のW杯でのPK戦。選手は民族代表としての責務を背負いスポットにボールをセットしなければならない。」



オシムは、

「「お前らとにかく誰かが蹴らないと負けるぞ」と笑いかけ、自ら指名した」

「オシムは5人を決定すると、クルリと踵を返してベンチから消えていった。」

「「あんなものはクジ引きみたいなもの。私は自分の仕事をすべてやり終えた」」





PKを制したアルゼンチンはこの大会準優勝する。

結果はくじ引きと言って選手の重圧へ配慮を示した監督が、PKを見つめるわけにはいかなかったのであろう。

オシムのやさしさである。



2005年のナビスコカップの決勝もPKとなった。この時もジェフの監督だったオシムはベンチから下がっている。しかしPKは制している。



今回のアジアカップのPK。ロッカールームで心配そうに待機しているオシムが画面に映った。



オシムの祖国の政情が安定して、

南アフリカワールドカップでは、

日本がアジア予選を勝ち抜いて、

本戦のグループリーグを突破して、

決勝トーナメントでPKになって

トラウマから脱したオシムがピッチにたって

川口のナイスセーブを見つめる

ということになればいいと願う。




posted by 誠 at 05:51| Comment(0) | TrackBack(0) | (゚∀゚) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

このチームで もっとやりたかった。
「プレトリアの死闘」という悲しくも甘美な思い出が刻まれた。 その2 2

http://southafrica2010.yahoo.co.jp/news/ndetail/20100630-00000045-jij_van-socc
壁破ったパラグア=紙一重の勝負制し、初の8強〔W杯〕
同じく初の8強入りを目指した日本より、パラグアイの方が踏みつぶされてきた歴史が長い。
120分の戦いは攻めて0―0。PK戦は5人全員が決めた。紙一重の勝負を制し、
4度目の挑戦でついに壁を破った。
マルティノ監督は
「われわれはサッカーというより、ハートを示した。
 こういう試合ではそれで十分」と言った。

 パラグアイにとって格下の国と準々決勝進出を懸けて争うのは初めて。
負けるわけにはいかなかった。
1986年大会はイングランドに完敗。
98年大会は開催国優勝のフランスに延長後半まで得点を許さず、ゴールデンゴールで敗退。
2002年大会は準優勝のドイツを終了間際まで追い詰めながら惜しくも敗退した。
24年越しで積み重ねた悔しさと経験が、見えない力になって背中を押したかもしれない。
高すぎる“南米の壁”アジア勢15戦勝ちなし
http://southafrica2010.yahoo.co.jp/news/ndetail/20100630-00000079-spn_wcup-socc
アジア勢のW杯での対南米初勝利は次大会以降に持ち越しとなった。

 アジア勢の対南米成績は以下の通り。

66年 △北朝鮮1−1チリ

70年 ●イスラエル0−2ウルグアイ

78年 ●イラン1−4ペルー

86年 ●韓国1−3アルゼンチン

86年 ●イラク0−1パラグアイ

90年 ●UAE0−2コロンビア

90年 ●韓国0−1パラグアイ

94年 △韓国0−0ボリビア

98年 ●日本0−1アルゼンチン

02年 ●中国0−4ブラジル

06年 ●日本1−4ブラジル

10年 ●北朝鮮1−2ブラジル

10年 ●韓国1−4アルゼンチン

10年 ●韓国1−2ウルグアイ

10年 ●日本0−0(PK3−5)パラグアイ

今大会も4戦4敗に終わり、通算で2分け13敗となった。

http://southafrica2010.yahoo.co.jp/news/ndetail/20100630-00000087-mai-socc
 前半36分、左サイドに流れた本田がダシルバに倒されると、レフェリーの笛が鳴った。足がかかっており明らかなファウルだが、パラグアイのマルティノ監督は、その判定に抗議した。日本のセットプレーを嫌がっていることを印象づける光景だった。

 30メートルほどの距離があったこのFKは、角度的にも直接ゴールを狙うのは難しく、遠藤がゴール前の味方に合わせようとしたが、クリアされた。

 デンマーク戦で本田と遠藤がゴールを奪った日本のFKを、パラグアイは強く警戒していた。ゴールを直接狙える位置では不用意なファウルを避けるという意識がプレーからも見て取れた。

 公式記録によると、日本が反則29回で4枚の警告を受けたのに対し、パラグアイは反則26回で警告1枚。ゴール近くなど、「危険な位置」でのファウルが少なかったことを表す数字でもある。

 結局、日本がFKから直接ゴールを狙ったのは延長前半9分に本田がけった1本だけ。だが、これも本田が得意とする右からでなく、反対側の左から。「自分の狙いたいコースにイメージ通りに行けば、(相手GKの)ファインセーブじゃなければ決まる」と思い描いていた遠藤は、直接狙う機会すら得られなかった。

 岡田監督が「南米のチーム独特の応用性を持ったチームだと思う」と警戒していたパラグアイの巧みな試合運び。それによって、日本のいい位置でのFKが封じられ、日本は得点源を失った。
パラグアイも相当に研究してきて かつ それを実効する力が有った訳だ。
個々にあっては実力差が有り チームプレイで強力な優位さを持てず
かつ 情報戦でも圧倒的優位に立っていない、
のであれば やはり地力では相当に苦しい試合だったことには間違いなかったんだよね。

http://southafrica2010.yahoo.co.jp/news/ndetail/20100630-00000085-spn_wcup-socc
 岡田監督は、就任当初はきっちりとボールをつなぎ、スローダウンしても崩せるチームをつくろうとした。

だが、W杯では期待していた選手が不調だったり、伸びなかったこともあって、現実的なサッカーを選択した。当初はFWがプレスをかける位置はハーフウエーラインより10メートル前の地点からだった。だが、W杯ではFWがプレスをかける位置はハーフウエーライン付近になった。DFはペナルティーエリアの前で最終ラインを敷き、より守備的になった。

今の日本の個の力、
たとえば技術、スピード、戦術的なアイデアなどのレベルを考えれば、
このやり方しかない。
南米勢を見ても実力の突出しているブラジル、アルゼンチンなどをのぞけば、
パラグアイもウルグアイも堅い守備からカウンターのスタイル。
世界で戦うために日本が堅い守備をベースにするスタイルは理にかなっている。


 ただ、パラグアイとの力関係もあるが、攻撃面では前半は相手のペナルティーエリアに入る場面がほとんどなかった。前半39分の本田のシュートは惜しかったが、ミドルシュートだった。パラグアイのDFはポジショニングが良い上えに、人にも強い。サイドを深くえぐってから折り返せないとゴール前でのチャンスは生まれない。

 パラグアイに疲労の見えてきた後半途中から、ボールをさばける中村憲を入れたことで、ようやくサイド攻撃が見られるようになってきた。だが、今度はゴール前の人数が少なかった。本田と途中出場の岡崎はいたが、あと1人欲しかった。守備への意識が高い分、厚みが足りなかった。

 延長戦を含めて120分間、南米の強豪を相手に互角の戦いを見せたことには価値がある。今回のW杯で日本は世界と戦う上でのベースを示した。ただ、継続的にW杯で好成績を収めるには得点力という意味で、プラスアルファが必要だろう。




http://southafrica2010.yahoo.co.jp/news/ndetail/20100630-00000012-spnavi-socc
「このチームでもっとやりたかった」阿部勇樹=サッカー日本代表
阿部勇樹(浦和)のコメント。

「ここで終わるわけではないですし、サッカー人生は続いていく、
 みんなで顔を上げて頑張っていきたいなと思います。
 欧州や南米、戦う相手によって また違ったなというのがありますけど、
 次で ほかの相手とやれたらと思っていました。
 これが結果だったので、下を向かずに頑張っていきたいです。

(やれたという実感は?)
特にないですけど、1点勝負だと思っていたし、
PK戦ですけど、全選手が持っている力を出して、やれることはやって負けてしまったんで。
 残念ですけど、サッカーは続くので、そこはみんな忘れずにやっていかないといけない。
 嫌でも続くんだということを、いい意味で思って、続けていきたいです。

 試合を重ねるごとに、
 相手は違いますけど、やり方を変えたりして、
 そこはスムーズにゲームをやっていけたと思う。
 こうやってやったらある程度できると思った。
(パラグアイは?)
 アグレッシブにくる、特にボールサイドに人数をかけてくるというのは
 どの試合もやっていた。

(途中からダブルボランチになった?)
 20番(ネストル・オルティゴサ)がフリーでロングボールでサイドチェンジだったり、
 そこに対してなかなか行けない距離だったので、
 トップ下を置いて後ろ2枚でということでやった。
 中で話し合ってもやりましたけど、ベンチからも指示はありました。


 1試合でも多くやれたことは良かったですし、できればこのチームでもっとやりたかった。
 もう少しやりたかったですね。
 やってきたことは出せたと思います。
 納得はしづらいけど、結果なので、次に向けてここからがスタート。
 また頑張っていきたいです」

http://southafrica2010.yahoo.co.jp/news/ndetail/20100630-00000064-san-socc
岡田監督が守備的な戦術にシフトする中、
バランスを保つ遠藤の役割は目まぐるしく変わった。
この日も守備的なポジションでスタートしながら、
前半途中には早々と前めに移動。
この段階で 既に攻撃的に切り替えてるんだよね
http://southafrica2010.yahoo.co.jp/news/cdetail/201006300001-spnavi
パラグアイ戦後 岡田武史監督会見
――後半の頭で遠藤のポジションを上げたが、
それは攻撃的にいくためなのか、それとも相手の20番(ネストル・オルティゴサ)に対してなのか。
それから最後のFKの場面で「上がれ」と指示していたが、
それも含めて攻撃的にいったという認識だったのか?
(後藤健生/フリーランス)


遠藤を前に上げたのは前半の20分くらいです。
相手が両サイドバックを上げてきて、ボランチが下がった状態で、
うちの選手全体が下がり過ぎて、どうしても本田が孤立するということで、
前半20分くらいで遠藤を上げました。

そのあとの交代は、点を取ることしか考えていませんでした。
リスクを冒して点を取ろうという、それしか考えていませんでした。
更に攻撃的に切り替えてるんだよね
http://southafrica2010.yahoo.co.jp/news/ndetail/20100630-00000004-spnavi-socc
「攻撃的な姿勢を打ち出したかった」中村憲剛=サッカー日本代表
中村憲剛(川崎)のコメント。

「良い仕事はしていないですね。良い仕事っていうのは得点を決めた時だから。
 0で終わったらホントに悔しいし、
 初めて出たからってオロオロする歳でもないし、自分の役割は頭の中で整理されて入ったんで、
 得点に絡みたかったのが正直なところです。
(中央は堅かった?)
 堅かったですね。その分、サイドから攻められたと思うんですけど。
 いろんなところで細かな差があったと思うんですけど。
 監督からは守備のポジションをしっかり取りながら、
 あとは攻撃のところで裏に出るなり、ボールを受けるなり、得点に絡むことを求められました。
(憲剛システム?)
 あれに戻ってやりました。
(監督も原点に戻って点を狙いたかった?)
 そうだと思います。

 展開を見ていて、絶対出番が来るって思っていたから、頭の中を整理していた。
(シュートシーンは?)
 とりあえず対角線に打って。相手のDFが触ってゴールキックになっちゃったんですけど、
 オウンゴールを狙えるGKとDFの間に速いボールを入れたかったんですけど。
 シュートを打たないと始まらないし、みんな分かっていると思うんで、
 攻撃的な姿勢を打ち出したかった」
http://southafrica2010.yahoo.co.jp/news/ndetail/20100630-00000034-spn_wcup-socc
後半36分。“失点しない戦い”から一転、
攻撃のスイッチを入れた岡田監督の期待を背負って試合に加わった中村憲は
「起点になって、ゴールにつながるプレーをイメージしていた」と話す通りにトップ下で躍動。同42分に左サイドをかき回して好機をつくると、
延長前半1分には大久保のパスを受けて右足でミドルシュートを放った。

奮闘実らずチームはPK戦で敗退。それでも
「チームが一つになって戦えば、大きな力になる。
 それをすごく感じた。結果は紙一重」
と、世界の舞台での躍進を前向きに捉えていた。
つまり互いに堅守のチーム作りをしてるのは分かりきっているので 
持久戦で消耗戦で神経戦となるは必至。
其処で 途中から攻撃的な選手を入れて勝負を掛けるは 両監督ともに同じだった。
パラグアイは分からないが
日本に至っては途中でシステムをすら切り替え続ける、
という賢さと上手さを兼ね備えた選手達が それを一致団結して後押しした形だ。

そして守備の要で在り続けた阿部を外し
走り続けた遠藤と長谷部をボランチに下げてペースを落とさせバランス役を担わせつつ長続きをさせ
憲剛を前にする、
それはWC前に負け続けたシステムだ。
そしてなお延長戦の直前には点を取りに行け と直接に全員に指示を送っている。
――円陣を組んだ時に、どんな言葉をかけたのか。

円陣の中で話したのは、
われわれのシナリオでは、延長であれ90分であれ、点を取って勝ち切るという目標
けれども失点しなかった、負けなかった 勝てなかったけど負けなかった。

地力が違う相手に 負け続けたシステムへ戻して なお負けなかった。
理想を捨て夢想を廃し 現実主義に立ち返っては強くなり
そして今一度に理想を追った時には 充分に通用した。

攻撃的でない と批判するは、
すなわち日本の実力を過大評価しすぎる夢想に等しいままに
見たいと思う現実しか見ていないだけになってしまう。
攻撃的に行きたくても 地力が違うから行けない だけなのだ。
でも岡田監督は 最後の最後で その一つ上すら見せた。
理想を現実へ転化させてなお 日本の実力以上をすら示し続けた。

 攻撃的になっても負けなかった。失点しなかった。

過去の代表で コレを成功させた事は皆無だ。
最後の最後に素晴らしい財産を残してくれた事を理解できる人は居るのだろうか?
どうすれば理想へ辿り着けるか?
 負ける という地獄から少しずつ遠ざかる道を模索していく事が天国へ到達する最善の近道。
という事を知らしめたんだけど すっごい視聴率だったんだけど
そこまで洞察しようと思った人は どれ位に居るんだろうね。
そうしなければ 死闘を無駄にする事になるだけだよね。





http://southafrica2010.yahoo.co.jp/news/ndetail/20100630-00000020-ism-socc
本田圭佑「多くのひとが応援、批判してくれたことに感謝している」/日本代表
本田圭佑(CSKAモスクワ/ロシア)のコメント。

本田
「パラグアイもいいサッカーをしていたし、結果が全て。特に何を言っても敗者なので
 。ただ、明日の記事には
 『ファンのみなさん、ありがとうございました』
 と書いておいてください。
 現地だけじゃなく、大会前に多くのファンが応援してくれた。
 多くのひとが批判してくれたことに僕は感謝している。

 目標は達成できなかったけど、
 批判する人がいなかったら、ここまで来れたかどうかも分からない。
 W杯前は そういう出来だった。
 がっかりした人もいるかもしれないが、
 真剣に応援してくれた人には心からありがとうと言いたい。

(4年後に向けて何が必要なのか?)
 サッカー人生はまだ続く。ここにいる全員がそう。
 出た選手、出ていない選手も何が必要なのか、この大会で感じることができたと思う。
 それをどう4年間で紡いでいくか。
 生半可なことじゃないけど、もっと内容にこだわって勝ちにいくとか。
 今回はこういう(守備的な)戦い方だったけど、ひとつ、日本の戦い方を示せた上で、
 もっと欲を出して攻めていく姿勢を次は見せるときなんじゃないかなと。

 個々というところで、まだまだ物足りない。
 ギリギリまでこだわってやってきたけど、
 それでも個々のところで全然物足りなかった。すべてはそこだと思う。

(大会に入って、イングランド戦からやり方を変えてここまできたが、それだけではダメだと?)
 そういう風に思う。一人ひとりの全ての技を向上させる必要がある。
 それから若い選手が海外に出るべきということも間違いなく言える。
 ただ、出る出ないは個人の問題でもある」
http://southafrica2010.yahoo.co.jp/news/ndetail/20100630-00000005-ykf-spo
 岡田ジャパンのW杯が終わった瞬間、
 チームメートをなぐさめることよりも、日本から応援に駆けつけたサポーターへあいさつした。


 実はオランダ戦で敗れた後では、
 あいさつもせずにロッカーへ戻り、
 日本サッカー協会幹部から「何をしているんだ。戻れ」と説教を受けていた。

 ピッチの4隅を周り、丁寧に一礼を終えると、
 最後は逃げるようにロッカーへ戻って大泣きした。



 落ち着きを取り戻しても、いつもの本田節はなく、「若い選手がもっともっと海外に出なきゃダメでしょう」と課題を口にした。日本という「殻」にはめられることを嫌い、世界で成り上がりたいという本田らしい。「負けたからには何も言えない」と多くを語ろうとはしなかった。
それでも泣ける本田 と 最後まで泣けなかった中田
其処の差が明暗を分けてるのかもしれないね

「とにかく点を取れ」「FWの位置で起点になれ」と岡田監督の指示のもと、
ただ1人、最後までスタミナを切らさずに走り回った。
主役は明らかに本田だった。

 思い切り蹴れば、どこへいくかわからないという公式球の特性を誰よりも理解していた。
 PK戦で外してしまった駒野は
 まさにこの“公式球の呪い”にかかってしまった格好だった


 が、その後に蹴った本田は、
 あえて力を込めずに落ち着いて決めた。


http://southafrica2010.yahoo.co.jp/news/ndetail/20100630-00000001-dal-socc
本田「駒さんを責められない」
敗戦の瞬間を見届けると、MF本田は1人でサポーター席にあいさつにむかい、
誰よりも先にピッチを後にした。取材ゾーンに現れると
「外した駒さん(駒野)を責められない。
 内容はどうこういっても仕方ないですね。結果がすべてなんで」
と、悔しさをかみ殺すように話した。

http://southafrica2010.yahoo.co.jp/news/ndetail/20100630-00000643-san-socc
駆け寄った仲間が「誰のせいでもない」と抱きしめた。目標のベスト4には届かなかったが、魂のこもったプレーに日本中が勇気づけられた。駒野ら日本代表は30日、帰国の途についた。

 この日、駒野は滞在先のホテルを出る際、口を堅く結んだまま、険しい表情で空港へと向かうバスに乗り込んだ。

 運命のPK戦。バーをたたき、上方に大きく弾んだ自らのシュートに、駒野は天を仰ぎ、頭を抱えた。うつむいてセンターラインの仲間のところへ戻る駒野を抱きかかえるようにして迎え、列の中へ招き入れたのは中沢佑二(32)だった。

 敗退が決まり、一番長く駒野の肩を抱いていたのは、松井大輔(29)だった。そして駒野以上に泣いていた。何も言わず、しゃくり上げ、ただただ肩を抱き続けていたようにみえた。そして逆の肩を、阿部勇樹(28)が抱いた。

 サポーターへのあいさつに駒野の背を押していざなったのは、稲本潤一(30)だった。努めて笑顔だった。駒野は笑顔を返すことはできなかった。それでも稲本は笑みを送り続けた。

 観客席にいたヨハネスブルク在住の島岡留美子さん(37)は「駒野選手を責める人なんて誰もいない。彼らの戦いぶりは日本人がやればできるということを世界に示してくれた」と号泣した。

 ロッカールームに引き揚げた後、駒野は無言でうつむきながら、報道陣の前を通り過ぎた。ゲームキャプテンの長谷部誠(26)は「誰のせいでもない。それ(PK)までに決着をつけられなかった自分たちのせい」とかばった。

 サンフレッチェ広島のユースチーム在籍時に監督だった木村孝洋さん(53)は「試合中はチームプレーに徹し、すべて出し切った。PKは運のようなもので、外したのがたまたま駒野だっただけ」とねぎらった。

 南アフリカから遠く離れた東京・原宿の飲食店。サポーターたちはピッチ上の選手たちと同じように肩を組み、PK戦を見守った。両手を組んで祈る女性。最前列の男性は「歴史を塗り替えてくれ」と絶叫した。

 駒野の失敗にサポーターたちは「あー」と悲鳴を上げ、頭を抱えながら床にへたり込んだ。だが、駒野へのヤジは飛ばなかった。すぐに、いたわるような拍手がわき上がった。

 東京都渋谷区の美容師の男性(25)は「駒野選手は最後まで頑張っていた。胸を張って帰ってきてもらいたい」。そう言い、目を腫らした。

http://southafrica2010.yahoo.co.jp/news/ndetail/20100701-00000501-san-socc
人目もはばからず泣いた駒野選手の姿は多くの人の心に刻まれたに違いない。

 駒野選手は和歌山県海南市出身。小学2年のときにサッカーを始めたが、中学3年の秋、父親を肝硬変で亡くした。関西選抜チームの一員として各地に遠征したが、滞在費や道具代などが家計を圧迫し、サッカーを止めることも考えた。

 中学卒業後は親元を離れ、寮費の一部免除を約束してくれたサンフレッチェ広島ユースに進んだ。「早くプロになって母を楽にさせたい」。寮長の稲田実さん(64)に、こう話したこともあったという。

 プロになってから、大学に進学した弟の学費や家計の足しにと、少ない給料の中から仕送りを続けた。「自慢の息子です」と語ったことがある母、友美子さん(54)は、あのシーンをどんな思いで見守ったのだろうか。

 記者たちが待ち構える取材エリアを無言で通り過ぎた駒野選手。本人の胸の内を推し量ることはできないが、日本には感動した多くのサポーターが待っている。堂々と胸を張って帰ってほしい。


誰が駒野を慰めたか
http://southafrica2010.yahoo.co.jp/news/ndetail/20100630-00000513-san-socc
 ドイツ公共放送「ARD」で解説を務めたかつての名選手ネッツァー氏は「駒野はこの場面を生涯忘れられないだろう」と話したという。PK戦。駒野のシュートはクロスバーを直撃して大きくはねた。頭を抱える駒野。そして大会からの敗退が決まると、泣きじゃくった。敗戦は、駒野ひとりの責任ではない。誰が、駒野を慰めたか。

 バーをたたき、上方に大きく弾んだ自らのシュートに、駒野は天を仰ぎ、頭を抱えた。うつむいてセンターラインの仲間のところへ戻る駒野を抱きかかえるようにして迎え、列の中へ招き入れたのは、中沢だった。

 5人目のキッカー、カルドソが決勝のゴールを決めると、歓喜の輪を抜けだし、1人のパラグアイ選手が駒野に駆け寄り、額をすりつけるようにして何かを語りかけた。自身4人目のキッカーとして落ち着いてゴール中央にPKを決めたアエドバルデスだった。おそらくスペイン語だったのだろう。駒野は何を言われているのか分からないはずだが、しきりにうなづいていた。気持ちは通じていたのだろう。

 一番長く駒野の肩を抱いていたのは、松井だった。そして駒野以上に泣いていた。何も言わず、しゃくり上げ、ただただ肩を抱き続けていたようにみえた。そして逆の肩を、阿部が抱いた。

 サポーターへのあいさつに駒野を背を押していざなったのは、稲本だった。努めて笑顔だった。駒野は笑顔を返すことはできなかった。それでも稲本は笑みを送り続けた。

 ロッカ−ルームに引き上げ、ミックスゾーンに姿をみせた駒野は、無言でうつむき、報道陣の前を通り過ぎた。バッジオが、バレジも味わったPK戦の残酷。


http://southafrica2010.yahoo.co.jp/news/ndetail/20100630-00000014-spnavi-socc
「駒野を酒に誘って死ぬまで飲ませたい」松井大輔=サッカー日本代表
松井大輔(グルノーブル/フランス)のコメント。

「いつものことというか、6年、7年(代表で)やっているんで、
 チームが変わるだけで あとはそんなにやることは変わらないんで。
(W杯で得たもの)
 一番は やっぱり自信。
 でっかい大会(のピッチ)に立つこと、いろんな選手とやること、
 大きな大会で結果を残すことが財産になると思うし、経験になると思う。

 今まで守るサッカーをしたことのないチームが
 ここまで戦いを理解して、ここまでできたっていうのは すごいと思うし、
 それが日本の強さになるんじゃないかと思います。

 勝ちたいっていう気持ちが一番に強かったと思います。
 海外でやっている選手はボールに対してファイトするのが当たり前だし、
 そういうのが日本には足りないなと感じてたので。それが浸透したじゃないけど、
 日本のサッカーに足りないところを補えたというのはあると思います。

(それは大会前の4連敗で実感した?)
 僕はほとんど出ていないから分からないけど、
 監督も、何回も球際のことに対して言っていたから、それで浸透したと思います。
 ほかの選手が どう思っているか分からないけど、
 背中で気持ちを伝えるのが僕のやり方だと思うし、それが示せたんじゃないかと思います。
 今は本当に日本のサッカーをポジティブに考えたいなと思います。

(ずっとやっていたスタイルでやってみたかった?)
 もしそのスタイルでやっていたらここまで来れなかったと思うし、
 この戦い方で日本の強さを示せたというか。
 どの戦い方が良いか誰も分からないし、
 勝った者が一番強いんで、それを追求するのがサッカーだと思うし、
 面白くないって言われても僕たちは勝っているっていうふうに言える。
 それが海外の戦い方であって、それをどう思われるか分からないけど、
 自分としては勝ったことが素晴らしい。それだけです。

(スペインかポルトガルとやりたかった?)
 今日勝つイメージだったんでね。ちょっと残念でしたけど、
 駒野(友一)を今日、酒に誘って死ぬまで飲ませたいと思います。
 僕は同い年だし、
 駒野をいつもいじっている感じなんで、いじり足りなかったのかなと思います。
 僕がもうちょっと近くにいれば良かったかなと思います。
 PKは、僕は蹴っていないでしょ。
 でもこれは運というか、まだ早いよって言われたのかもしれない。
(評価を上げた?)
 うーん、僕に足りないものは得点だと思うし、前の方に行きたかったけど、
 仕事という意味では人それぞれぞれの仕事があると思う。
 サッカーではそれぞれのポジションがあるんで、
 できるだけ本田(圭佑)に得点させられればと思っていたんで。
 それも僕としては達成できたと思うし、サッカー人生まだまだ長いんで、頑張りたいです。

 今大会は守っているチームが勝っているイメージ。
 ペナルティーエリアになかなか入れない。
 良いサッカーをしたとしてもたぶん勝てなかったと思うし、
 ペナルティーエリアのゾーンに行くだけの力を持った選手が力を見せられなかったと思う。
  そういう意味では、今大会ではこの戦い方がすごく良かったのかなという印象はあります」


http://southafrica2010.yahoo.co.jp/news/ndetail/20100630-00000000-dal-socc
大久保が涙「最高のチームやった」
大久保は、PKでの敗戦に涙。
「PKはほとんど運だから。悔しいけど、仕方ない。涙?なんかね…」
と、声を詰まらせた。
4年前は無念の落選。悲願の夢舞台で、思い切り躍動してみせた野生派ストライカーは
「キツかったけど、W杯がこんなに楽しいもんなんかなと思った。
 最高のチームやったしね」
と、最後は笑顔で会場を後にした。
http://southafrica2010.yahoo.co.jp/news/ndetail/20100630-00000013-spnavi-socc
「最高のチームだって思えた」大久保嘉人=サッカー日本代表
大久保嘉人(神戸)のコメント。

「開き直ってこれで良いと思えたからやれた。団結できて素晴らしかった。
(苦しんだ分、1つになれた?)
 そうかもしれない。おれたちがとことんやれたと思うし、素晴らしかった。
 最後はひとつのチームになっていたし、最高でしたね。
 自分のチームじゃなくて代表でそう感じるのは初めて。
 ここにきて本当に1つのチームになれたって思えた。
 最高のチームだって思えましたね。
 W杯はやっぱり違う。すごいガチンコで。
 そういう中でみんな助け合ってやっていたし。
 自分がやらなきゃいけないってのがすごい声にも出ていた。
 誰かがミスしたら みんなで取り返そうと囲んでいく気持ちがありましたね。

 このチームはすごかった。もっと強い相手とやりたかったね。
 でも今日もPK戦だったしね。パラグアイもすごいチームだった。
 おれたちはもっとやれたと思いますけど。
 精神的にも、ここまで体力あったんだなと。そういうのは分からなかった。
 ここまでディフェンスして前に顔出して、
 Jリーグじゃ無理だっていうのがあったんで、
 やれるんだと。おれにもできるんだと思った」
http://southafrica2010.yahoo.co.jp/news/ndetail/20100630-00000044-san-socc
強引にドリブルを仕掛けたり、ファウルすれすれの激しいプレーでボールを奪いに行く。「今は自信がある」という、左サイドの大久保はまさに、W杯を満喫している。

 今、大久保は「失敗から学ぶことの方が多い」と打ち明ける。“やんちゃ”に見えるプレーにも、過去に犯したミスからの反省が生かされている。かつてはがむしゃらにゴールを狙う“点取り屋”だったのが、状況を分析して時には一歩身を引いたプレーもできるようになった。


快進撃に主将・長谷部あり!落ち着きと献身性でチーム支える
http://southafrica2010.yahoo.co.jp/news/ndetail/20100630-00000008-ykf-spo
W杯直前に“代打主将”に任命されたMF長谷部誠(26)=ウォルフスブルク=の言動は、これまでのプレー同様に、落ち着きと献身性に満ちていた。

 「このチームメートとコーチングスタッフ、みんなでW杯を戦えてよかった。勝てなかったが、日本で応援してくれた皆さんに気持ちは見せられたと思う。僕たちの強みはチームワーク。チームとして戦うことを見せられたんじゃないか」

 チーム状態がどん底だった5月30日のイングランドとの強化試合、DF中沢に代わり初めてキャプテンマークを巻いた。

関係者は

「中沢は岡田監督が横浜M時代に主将に任命して優勝した間柄だ。
 当時は信頼感も薄れ、中沢も精神的に目一杯だった。
 主将を変えて流れを変えようにも、主力選手は個人主義者ばかり。
 そこでどこの派閥にも属さず『人畜無害』だが、
 誰もがドイツでの実績には一目を置く長谷部に白羽の矢が立った」


と明かす。

 長谷部は最後まで微笑みを絶やさず、「僕は何もしてない。今でもゲームキャプテンは中沢さんだと思ってる」と謙遜したが、最後のメッセージにも人柄がにじむ。

 「みなさんの応援が力になり、感謝してます。
  次は、ほとんどの選手がJリーグでプレーしてるんで、
  足を運んで盛り上げてもらいたい」


 日本がW杯初出場を決めた1998年、「ジョホールバールの歓喜」の後で、立役者の中田英寿氏(当時は湘南所属)も「Jリーグも盛り上げてください」と訴えた。

 12年後、中田氏がいない初めてのW杯でも、主将はしっかりとその魂を受け継いでいた。代表OBも「本人はドイツでばりばりのレギュラーなのに、なかなか言えることじゃない」と絶賛。低い下馬評を覆す快進撃は、長谷部主将抜きにはあり得なかった。





長谷部誠「このメンバー、スタッフともっともっと試合がしたかった」/日本代表
http://southafrica2010.yahoo.co.jp/news/ndetail/20100630-00000021-ism-socc
長谷部誠(ヴォルフスブルク/ドイツ)のコメント。

長谷部
「自分たちが全力でやった結果なので、それを受け入れないといけない。
 全部出し切ったと思う。

(足りなかったものは?)
 120分で決着を付けられなかったこと。PKは時の運。
 誰が悪いとかじゃなく、そこまでに決着をつけられなかった自分たちの責任だと思う。
 相手は非常に守備が堅く、自分たちもまた、守備がしっかりしていた。
 お互い戦っていたが、最後の得点が足りなかった。

(拮抗した試合だったが?)
 パラグアイとはあまり差を感じなかったし、やられている感じもしなかった。
 だから余計に悔しい部分はある。
 相手どうこうよりも、次のステージに行って戦いたかったという気持ちはある。

(大会前はふがいない戦いが続いていたが、そこからここまで来れた要因は?)
 準備期間でうまくいかなかったというのは間違いなくあるし、
 そこから監督が踏ん切りをつけて違う形でやる決断をしてくれて、
 それでチームがいい方向に行った。
 このチームの強みはチームワーク。
 出ている選手だけじゃなくて、出ていない選手のサポートは本当にすばらしかったし、
 こういう短期決戦におけるチームワークの重要性を今大会は感じさせられた。

(W杯を戦う上で足りない部分は?)
 今日だけを見れば得点が課題だけど、
 試合を重ねるごとに攻撃もよくなっていったし、手応えはあった。
 ただ、まだ世界と戦う上では個人のレベルを上げないと厳しいかなと感じた。

(ゲームキャプテンとしての重圧は感じていたか?)
 キャプテンとしては本当に何もしていない。
 (川口)能活さん、(中澤)佑二さん、いろんな選手が引っ張ってくれた。
 僕自身は何もやっていないので、プレッシャーもなかった。
 僕は今でもまだ佑二さんがゲームキャプテンだと思っていて、
 キャプテンマークを一時的に預かっただけだと思っている。

(W杯でつかんだものは?)
 守備で規律をしっかり保てば、世界でも簡単にはやられないと感じた。
 それからチームとして戦うこと。それが日本の強みだと思う。

(これでW杯が終わったが?)
 さみしい気持ちはある。このメンバー、スタッフともっともっと試合がしたかった」


http://southafrica2010.yahoo.co.jp/news/ndetail/20100630-00000011-spnavi-socc
「大舞台でワクワクするチームだった」遠藤保仁=サッカー日本代表
遠藤保仁(G大阪)のコメント。

「PKはしょうがないけど、
 90分プラス30分で勝負を決めたかったなというのはあります。
 充実していましたし、また次につなげていきたいと思います。
 (グループリーグ)3試合をみんな全力で戦ったと思いますし、
 出場できなかった選手も練習なり、そういうところで盛り上げてくれていたんで、
 出し切ったんじゃないかと思います。

 チャンスももちろんありましたし、ピンチもありましたけど、
 点が入らないことには試合には勝てない。
 みんなゴールにいきたい気持ちも非常に強かったと思いますし、
 結果ゼロで抑えもしたし、抑えられもしたんで、どっかで点が取れれば良かったかなと思います。

 日本もしっかりと守備をしましたし、
 自分たちも何度かピンチがあったけど、よく防いだと思う。
 先に点を取って、という展開にできれば良かったと思いますけど。
 それはずっと変わらず、しっかり取って速い攻めをするという気持ちでやりましたし、
 全試合狙いを変えなかったと思います。
 1つ目2つ目のプレスをかわせれば十分やれるなと。
 今日の試合に限ってはそういうところでしたね。

(PKは?)
 一番手でしたけど、自分がしっかり決めればいいかなと思いましたし、
 相手のGKもそんなに威圧感は感じなかった。
 落ち着いて決められたと思います。

(試合後の涙は?)
 このスタッフとメンバーと選手でプレーできなくなるのが寂しかった。
 こういう大舞台でワクワクするようなチームだった」
http://southafrica2010.yahoo.co.jp/news/ndetail/20100630-00000033-dal-socc
この日もチームNo.1の運動量で攻守に奔走したMF遠藤
「このスタッフ、メンバーとプレーできなくなるのが寂しかった。
 もう少し続けたかったですね」

チームの中心として輝きを放った“日本の心臓”は
「現役でいる限り、代表は目標。可能であれば何度でもチャレンジしたい」
と、4年後も見据えた。
http://southafrica2010.yahoo.co.jp/news/ndetail/20100630-00000064-san-socc
遠藤全開 走った13.8キロ サッカーW杯
 試合終了直後、目に涙を浮かべた遠藤だが、取材エリアに最後に現れたころにはすっきりした表情に変わっていた。「90分プラス30分で勝負を決めたかった。まあ出し切ったんじゃないか」。フィールドプレーヤーで唯一出番のなかった前回ドイツ大会から一転、今大会は1次リーグ・デンマーク戦の後半ロスタイムに退いただけ。ほぼ出ずっぱりだった中盤の要は充実感も漂わせていた。

 岡田監督が守備的な戦術にシフトする中、バランスを保つ遠藤の役割は目まぐるしく変わった。この日も守備的なポジションでスタートしながら、前半途中には早々と前めに移動。延長前半2分には直接FKで岡崎の頭を狙うなど、最後まで攻撃を支え、1試合の走破距離は両チーム最長の13・8キロ。1番手を務めたPK戦でも確実に右に決めた。
通常10q 多くて11q
その中で13qってのが どんだけ怖ろしい事か凄い事か。


http://southafrica2010.yahoo.co.jp/news/ndetail/20100630-00000645-san-socc
遠藤保仁の父、武義さん(62)
「あいつが泣く姿なんて、初めて見た。よっぽど悔しかったんでしょう。でもよく頑張った。負ける気はしなかったが、PKだけはしようがない」


長友佑都「トライできたW杯だったので悔いはない」/日本代表
http://southafrica2010.yahoo.co.jp/news/ndetail/20100630-00000019-ism-socc
長友佑都(FC東京)のコメント。

長友
「自分はチャレンジできた、トライできたW杯だったので悔いはない。
 楽しめたW杯だったと思う。

(引き分けで敗退となったが?)
 最後、点は取りたかった。
 シュートの精度も、ラストパスの精度も、そこの部分が足りない。
 これは日本サッカー全体の問題だと思う」
http://southafrica2010.yahoo.co.jp/news/ndetail/20100630-00000010-spnavi-socc
「自分たちで(世界に)チャレンジしたんで、
次につないでいかないといけない。手応えを得た、いいW杯だった。

涙を流して、悔しさを味わった僕や(本田)圭佑、オカ(岡崎慎司)たちが
(つかんだ手応えを)つないでいかないといけない。
(これからは)僕らが代表を引っ張る存在にならないと。
世界で戦うために何が必要かを強く感じた大会だった。

(監督には)ありがとうと言われた。
僕も『(監督の)何百倍の感謝の気持ちでいっぱいです』と言いました」






http://southafrica2010.yahoo.co.jp/news/ndetail/20100630-00000006-spnavi-socc
「チームとして最高でした」田中マルクス闘莉王=サッカー日本代表
田中マルクス闘莉王(名古屋)のコメント。

「これほど一瞬一瞬を思い切って味わえたことが良かったと思うし、
 この最高の仲間と、こういう機会を与えてくれた神様に感謝しないといけないです。
 チームとして最高でした。申し分ない、最高の人たちだったと思います」
http://southafrica2010.yahoo.co.jp/news/ndetail/20100630-00000545-san-socc
前半20分にGK川島が好セーブして弾いたボールは、
中沢が横へ流し、長友がクリア。
競り合う選手とカバーに回る選手との間で「あうんの呼吸」ができあがっていた。

だが、無失点のままPK戦負け。
「ベスト8の力はあったと思うが、16強の壁は想像以上に高かった」と中沢。
闘莉王は「みんな最後まで気持ちを切らさなかった」と強調した。

2人ともPKはけらなかった。
闘莉王は5人目で準備していたが、出番は回ってこなかった。
ええええええwwwwwwwwwwww
お前が5人目かよwwwwwwwwww

誠天調書 2006年11月17日
試合は2対1リードしていた 本当に終了直前の場面だったので
試合の結果には殆ど影響しないPKであったが

サウジアラビア戦の後半ロスタイムにPKを外した浦和の日本代表DF闘莉王が、
今後の代表戦やJリーグでもキッカーに名乗り出る姿勢を明かした。
「気にしていない。また蹴る。蹴らないと外せない」。

他選手を制して蹴ったものの“大ホームラン”。

オシム監督に
「次のキッカーが彼でないことが分かったのは収穫」と皮肉られ、
自身も移動のバス内では
「みんなオレに何かいってくれ!」
と自虐的発言をしていたが、へこたれる様子はなかった。
とはいえ
田中マルクス闘莉王 - Wikipedia
終了直前にFWの高松大樹が獲得したPKを自らキッカーを名乗り出たが外してしまい、試合後には「もうPKは蹴らない、こんな落ち込みはない。」と落胆していた。オシム監督も「今日の収穫は、だれにPKを蹴らせてはいけないかが分かったことだ」と冗談交じりにコメントしている。

実際 その後に代表で蹴る事は無かったのに、
(2007アジアカップのオーストラリア戦のPK時は そもそも怪我で参加していない)
岡田だって この事を知らないとは思えないのに
なのに あえて最後に指名する。
凄いと思う、
指名する側も受ける側も その胆力が ね。


http://southafrica2010.yahoo.co.jp/news/ndetail/20100630-00000035-jij_van-socc
中沢
 PK戦はどっちに転ぶか分からない勝負。誰でも外すわけだから。
 とにかく16強の壁を破りたかった。それは想像以上に高かった。
 ここまで来たら、相手はうまいし、強いし、速い。
http://www.yomiuri.co.jp/wcup/2010/news/japan_t/news/20100630-OYT1T00394.htm?from=yoltop
中沢(横浜M)
「しっかり耐えて1点取って(勝とう)と思っていた。
 (ドイツW杯からの)4年間で、ああすれば良かった、こうすれば良かったというのはない。
 やりきったなという気持ち」







http://southafrica2010.yahoo.co.jp/news/ndetail/20100630-00000032-dal-socc
前半からファインセーブを連発し、完封したGK川島だったが、PK戦ではすべて決められて終戦。「自信を持って臨んだので(勝利に)貢献できずに悔しい」と、唇を噛んだ。直前の親善試合イングランド戦からスーパーセーブで一気に定位置をつかんだ日本の新守護神は「年齢的に次もある。この悔しさを次の大会にいかしていきたい」と、14年ブラジル大会でのリベンジを誓った。
http://southafrica2010.yahoo.co.jp/news/ndetail/20100630-00000032-jij_van-socc
川島

どんな形でも負けたのは悔しい。
PKは1、2本目をいい形で反応できていたので、結果的に止められず残念。
この大会を通して自分たちができたことを自信を持って次へつなげたい。
http://southafrica2010.yahoo.co.jp/news/cdetail/201006300003-spnavi
川島永嗣(川崎フロンターレ)
「この経験を次のW杯に生かす」

 かけがえのない経験だったと思うし、もちろん今回の大会で120%やることを考えていましたけど、この経験は次の大会にも生きてくると思うし、自分も生かさないといけないと思います。(今までサブが多かったが)自分がどんな状況に置かれても、自分自身の役割だったり、貢献できると思ってやってきたことは変わらないし、逆にそれは自分がそういう時期があったからこそ、今、感じられることも多い。今までの経験がすごく大きかったと思います。
 この結果は残念だけど、でも自分たちは自信を持っていたし、日本が想像以上にどんどん良くなっていった。この経験を次のW杯に生かさないといけない。(PKは?)ゴール前に立った時は自信があったけど、とても失望している。残念だけど、止められなかった。


http://www.yomiuri.co.jp/wcup/2010/news/japan_t/news/20100630-OYT1T00394.htm?from=yoltop
川口(磐田)
「川島には(PK戦は)GKの見せ場だし、冷静に(自分の力を)見せてやれ、
 としか言えなかった。
 選手はよく戦ったと思うが、大事なのはこの後。
 W杯のような大会の後は(気持ちの持ち方が)難しいが、新たな戦いが始まる」



http://southafrica2010.yahoo.co.jp/news/ndetail/20100630-00000017-ism-socc
中村俊輔(横浜FM)のコメント。
中村俊
「(試合に出る機会がほとんどなかったが?)もしかしたら中学の時に(ユースから)落とされたとき以上(の悔しさ)かもしれない。

(落選した2002年W杯よりも?)2002年はそんなに。

(今大会にかける思いは相当強かったと思うが?)だからこそ残念だった。

(W杯で悔しい思いをすることが多いが?)そういう風にできているんだろうね。まあ、山あり谷あり。その方が終わったときに面白い。次は山だね」

http://southafrica2010.yahoo.co.jp/news/ndetail/20100630-00000032-spn_wcup-socc
岩政&内田、出番なし「鹿島サポーターは悔しがってる」
J1鹿島から岡田ジャパンに選ばれた岩政と内田は
ともに1度もピッチに立たずに終戦を迎えた。
「僕と(内田)篤人が試合に出られなくて、鹿島のサポーターは悔しがっていると思う」と岩政。
中沢、闘莉王が安定したプレーを続けたため、出番なかったが、
不測の事態に備え、体を温め続けた。
練習中には大声を張り上げ、チームメートを鼓舞。ムードメーカーに徹し、侍ブルーを支え続けた。

内田は「自分はまだまだ実力不足。試合に出るためには足りないものがある」と唇をかんだ。
最後の試合をベンチから見守り
「1次リーグと決勝トーナメント1回戦ではレベルが全然違った」と実感。
W杯後は7月1日付でドイツ1部リーグのシャルケへ移籍。
「サッカー選手として、人間として大きくなりたい」。
22歳の若武者は、早くも4年後のブラジル大会を見据えている。



http://southafrica2010.yahoo.co.jp/news/ndetail/20100630-00000005-spnavi-socc
「胸を張って帰ろう」川口能活=サッカー日本代表
川口能活(磐田)のコメント。

「家族も待っているし、胸を張って帰ろうと言いました。
(今後の4年間は?)
 それは選手の気持ち次第だと思うんで、確かに今持っている力をみんな出したと思うんですけど、
 この結果に満足せず。大会を去ることは事実だし、この悔しさをバネにできればいいと思います。
(過去3大会と比べて?)
 あまりそういう話は。過去のチームは過去のチームで頑張ってきたんで。
 みんなで力を合わせて戦ったんじゃないかと思います」

http://southafrica2010.yahoo.co.jp/news/ndetail/20100630-00000062-san-socc
 「勝っていくチームはベンチの雰囲気がいい。それは自分がやらないといけない」。なかなか出番のない選手に声をかけ、ときにはバカをやって雰囲気を盛り上げた。若手はみな「(川口)能活さん中心にチームがまとまった」と話す。今大会の日本の最大の武器となった一体感は、川口なしではあり得なかった。

http://southafrica2010.yahoo.co.jp/news/ndetail/20100630-00000058-jij_van-socc
 今年に入って不調が続いていた日本。覇気のない戦いぶりを繰り返していたチームが生まれ変わったのは、直前合宿地のスイス・ザースフェーで行った選手だけのミーティングからだった。
 5月27日、ザースフェー入り後2日目の夜だった。チーム主将の川口能活(磐田)が選手を宿舎の一室に集めた。テーマは「みんなが感じていることを話す」(川口)。当初は10分か15分で終わるかと思われたミーティングは、1時間近くに及んだ。
この辺りの経緯は、この記事を読むと微妙に違ってくる
http://number.bunshun.jp/articles/-/34853
2月14日の東アジア選手権で韓国に1−3で敗れ、チームのほころびはどんどん大きくなっていく。それを肌で感じながら、岡田監督は選手に規律を求め、外部への不平不満をもらさないよう情報を統制しようとした。しかし、事態は悪化する。3月3日、アジア杯予選バーレーン戦では、引き分け以下で、日本協会は岡田監督を支える新任のスタッフの加入を視野に入れていた。5月24日の韓国戦で0−2で完敗すると、岡田監督は犬飼会長に対して口頭で進退伺を伝えた。チーム内に修復不可能な亀裂が入った。

 その亀裂が、岡田ジャパンが結束を固める1つのシグナルになっていく。6月4日のコートジボワール戦で、亀裂は爆発する。0−1のハーフタイムで、岡田監督は闘莉王の攻撃参加を自粛するように伝える。しかし、攻めに執着する闘莉王は聞く耳を持たない。岡田監督は中沢に闘莉王の説得を託すが、反対に闘莉王は選手を集めて、自分たちの判断を尊重して戦おうと、団結を呼びかけた。完全に岡田ジャパンは死に体になっていた。
川口は それを見かねて といった所が 実態だったようだ。


議論は熱を帯びた。泥臭いプレーをと叫ぶ声も上がれば、
守備的戦術の導入の必要性を問う意見もあったという。

このミーティングの最大の成果は、「弱さを自覚すること」だった。
中村憲剛(川崎)は「これまで、全員で話すことはなかった。
今現在の位置が低いと開き直って、変わった」と説明する。

それが、岡田武史監督がスイス合宿から導入した守備的布陣を受け入れる土壌となった。
W杯直前のスイス合宿中に、チームキャプテンの川口が岡田監督に選手の思いを集約して伝えている。岡田ジャパンの原則である、前線からのプレスに対し、チーム内からは疑問の声が上がっていた。「無理に前線から追い回しても限界がある。もっとブロックをつくって守るやり方もある」。こうした選手の言葉を代弁した川口の進言に、岡田監督は理解を示した。

 この日、岡田監督はチームの戦い方について、初めて具体的かつ明確な説明を行った。

 岡田監督 守備というのはまじめにきっちりやれば、誰にでもできる。守備はいろんなやり方がある。だが、攻撃はセンスが必要になる。そこで(得点力、決定力のある)本田が必要になる。だけど本田は前線から追えない。だから(守備を)どうするんだ、ということになる。全体を考えてチームの戦い方を考えた。
http://southafrica2010.yahoo.co.jp/news/ndetail/20100701-00000056-spn_wcup-socc
ただ、問題があった。本田1トップの場合、両サイドには本田の守備力を補う選手が必要だ。候補は松井と大久保。パラグアイ戦翌日の会見で岡田監督は「本田は前線から(相手を)追い回すことができない。全体を考えてこう(いう布陣に)なった」と説明している。本来の右MF中村は相手を追い回すタイプではない。本田を1トップで使えば、中村を先発から外さざるを得ない。


 選手の肉声に耳を傾け、自分の信念、理想のサッカーを曲げてまで、「勝つ」サッカーを追求した。

コレらの記事を合わせて読み返すと
選手側も日本人なので頭の良い人間が多いから システム面まで知性が回る者が多い事が分かるし、
岡田監督側も それでも
あくまで 最後の決定権は自分にある という線は譲らなかった、
そんな折衷案に見えるよね。
妥協の産物 とはいえ だからこそ強烈に現実的とも言えるんだろうね。

トルシエやオシムの如き上からの規律が先行するのでもなく
ジーコの如き下からの自主性をのみ先行させるのでもなく
そのバランスこそが 日本代表が昇華した力の源泉 になったのだろうね。



前でボールを奪い、早いパスで攻める理想のサッカーからの方向転換。それでも、
「みんな勝ちたいから、なりふり構っていられない。
 不調は選手がつくった状況。
 岡田さんが判断して、選手は遂行するだけ」(中村憲)だった。

こうして、大会に向けた歯車は少しずつかみ合った。そして初戦のカメルーン戦で勝利。1次リーグで出番のなかった中村憲も「カメルーン戦があったからみんなまとまれた。そこで勝ち点3を取り、盛り上がらないわけがない。みんな、ことあるごとにそう言っている」と振り返る。「ザースフェーの夜」から、躍進は始まった

http://southafrica2010.yahoo.co.jp/news/ndetail/20100630-00000632-san-socc
速いパスをつなぐ理想のサッカーを捨て、強化試合で結果が出なかった中村俊らこれまでの主力を外した。阿部を守備的MFに置き、徹底して守った上でカウンター攻撃を仕掛けるなどの守備的な戦術にシフトした。

 “点取り屋”としてよりも、中盤でチャンスメーカー的役割が多かった本田を1トップに置く布陣は、初戦のカメルーン戦(14日)の4日前に初めて実戦で試すなど、かなりの“大バクチ”だったが、これが見事に機能した。

 どん底のころ、選手たちは何度も話し合いを持った。試合前、肩を組み合い、団結した。選手たちは自分たちで考え、行動するようになった。
選手達が ピッチ上で頻繁に話し合う姿が見れるようになったのは
そういえばオランダ戦からだった気がする。
ベンチスタートとなった中村俊だが、実は他の選手たちに、相手選手の特徴を伝えるなどの“アシスト”をしている。パラグアイ戦後、本田は「批判する人がいなかったら、ここまで来られたか分からない」と打ち明けた。前評判の低いことが選手の“反発力”となり、エネルギーになった。

 岡田監督は19日のオランダ戦前、次のように語っている。「われわれは1人1人の力は小さいかもしれないが、1たす1を3にするようなチーム」だと。

 パラグアイ戦後、海外メディアの反応の中には「凡庸な試合」との厳しい声も目立った。ただ、「技術では劣るが精神的に勝る」「規律ある守備」など、欧州や南米型のサッカーとは違う、日本のサッカーの良さを見いだす意見も少なくなかった。

 「世界に日本のサッカーを見せられたと思う」。今となっては、松井大輔の言葉は大げさではない。南アW杯は、ほとんど相手にされてこなかった日本が見直されるきっかけになった。

http://southafrica2010.yahoo.co.jp/news/ndetail/20100630-00000066-jij_van-socc
苦戦必至と見られていた日本が決勝トーナメント進出を果たす大きな要因となったのが、岡田監督が大会直前に採用した守備的布陣だった。敗退から一夜明け、岡田監督が「戦術変更」の背景を語った。
 国内最後の強化試合、5月24日の韓国戦までは守備的MFに長谷部と遠藤、左右とトップ下のMFに、1トップを置く布陣で臨んだ。しかし、スイス合宿から、中盤の中央に長谷部と遠藤、その背後に阿部、左右のMFと1トップを置き、中盤を厚くする布陣に切り替えた。
 4月のセルビア戦と韓国戦で守備が崩壊状態に陥ったため、「戦術変更」は守備重視とみられていた。しかし、岡田監督は「本田を使う場合、本田は前線からボールを追うのは無理なので、守備が必要になる。W杯を勝ち抜くために考えた」と、本田の1トップ起用を念頭に置いた布陣だったことを明らかにした。
 今大会、本来の持ち場ではない1トップで2得点を挙げた本田について、岡田監督は「いろいろな得点の可能性が出る。やってくれると思った」と期待通りの活躍だったと評価した。



戦後のコメントを拾っていくと「サッカー人生は続いていく」という言葉が目に付く。
おそらく最後に岡田監督が選手に そう伝えたんだろうね


http://southafrica2010.yahoo.co.jp/news/cdetail/201006300001-spnavi
――PK戦で負けたことで悔いはあるか。もっと攻撃的にすれば良かったとか(外国人記者)

 試合内容については、悔いは残っていません。ただ選手たちは、本当に素晴らしく、日本人の誇りを持って、またアジアの誇りを持って、最後まで戦ってくれた。そのことには誇りに思っています。ただ、その選手たちに勝たせてやれなかったのは、やはりわたしの責任。執着心、執念が足りていなかった。そういうふうに感じています。

――「勝つサッカーをする」ということで、途中までシナリオ通りだったと思うが、点が取れなかったのはなぜだと思うか?

 サッカーで点が取れなかった原因、それを1つで言うのは難しいことだと思います。もともと、それほど得点力がないので、その中で数少ないチャンスをものにしているチームだと思っています。その点が足りなかった。これを戦術的な分析をするよりも、やはりわたしに執着心、執念が足りなかったと思っています。

――執念が足りなかったということだが、具体的には?(田村修一/フリーランス)

 執念が足りないということを具体的に振り返ってみて、自分がこの選手たちに何がしてやれたんだと思ったときに、やはり自分自身がもっともっと、勝つために執着心を持たなければいけなかったのではないかと。それほどしっかり、試合直後に思いつくことがなかったので、そう言いました。

――今大会で世界を驚かせることはできたか。また今後に向けた課題は何か?

 われわれは驚かせるためにやるのではなく、勝って驚かそうと言っていたと思います。その意味で、勝てなかった。目標に達せなかったということで満足しておりません。日本のサッカーにとって、今、試合が終わって、こういう形で冷静な分析ができる状態ではないので、追って技術委員会が(分析を)してくれるのではないかと思います。

――後半の頭で遠藤のポジションを上げたが、それは攻撃的にいくためなのか、それとも相手の20番(ネストル・オルティゴサ)に対してなのか。それから最後のFKの場面で「上がれ」と指示していたが、それも含めて攻撃的にいったという認識だったのか?(後藤健生/フリーランス)

 遠藤を前に上げたのは前半の20分くらいです。相手が両サイドバックを上げてきて、ボランチが下がった状態で、うちの選手全体が下がり過ぎて、どうしても本田が孤立するということで、前半20分くらいで遠藤を上げました。そのあとの交代は、点を取ることしか考えていませんでした。リスクを冒して点を取ろうという、それしか考えていませんでした。

――最後のパラグアイのPKゴールが決まったとき、何を考えたか?(外国人記者)

 まあ、正直、これでわれわれのW杯が終わったと。本当に寂しい気持ちでいっぱいでした。

――円陣を組んだ時に、どんな言葉をかけたのか。また、今回の成績を受けて、代表監督を続投する意志はあるか?

 円陣の中で話したのは、われわれのシナリオでは、延長であれ90分であれ、点を取って勝ち切るという目標だったので、点が取れずに勝てなかったのは残念だったけどPKで勝とうよ、というような言葉をかけました。この後のことについては、今はとても考えられるような状態ではないですし、おそらくもうやることはない、というふうに思っています。

――前の試合で「サッカーはチームプレーであることを証明しよう」と言っていたが、それは十分に証明できたと思うか?(大住良之/フリーランス)

 われわれのサッカーというのは、レクリエーションでなくて、勝ち負けのあるスポーツ。ということは、結果として勝たないと、やはりいけない。通用したかどうかというのは、やはり結果で答えないといけないと思っています。その意味で、やはりまだ足りなかったという感じが残っています。

http://southafrica2010.yahoo.co.jp/news/ndetail/20100630-00000048-mai-socc
 12年にわたる挑戦が幕を閉じた。98年フランス大会で指揮した後、Jリーグ監督も務めて優勝を経験したが、「自分の指導者としての限界を感じていた」。経営学、脳科学、心理学、武術、気功、占星術……。「自分の殻を破る、何か秘密のカギがあるはずだ」と、さまざまな分野にヒントを求めた。

 そのさなかにオシム前監督の病気退任に伴って緊急登板し、W杯の切符を手にした。だが、今年になって不振が続いた。「岡チャン不合格」と書かれた横断幕が競技場に掲げられたこともあった。今春、岡田監督は親しい知人にこんな連絡を入れた。「負けたことですっきりした。もう大丈夫。逆にファイトがわいてきた」。どん底を経験し、迷いが消えた。パラグアイ戦前日には、こう話した。「私にも理想のサッカーがある。でも今は、日本代表監督として勝つことを考えている」

 本大会の躍進で周囲の評価は激変したが、「これだけ変わるということは、また(悪い方にも)変わるということ。バッシングを受けても褒められても、自分は自分の道を進むだけ」と言い切る。
http://southafrica2010.yahoo.co.jp/news/ndetail/20100630-00000065-jij_van-socc
 ―一夜明けた心境は。
 感傷に浸るというより、選手にあと1試合やらせてやりたかった。無念。
 ―29日の試合後、自らの執念が足りなかったと言った。
 選手には百パーセントの力を出せば必ず勝てると言ったが、うそになってしまった。何かが足りなかった。
 ―「日本らしいサッカー」はできたか。
 皆さんで判断してほしい。自分の頭の中では済んだこと。ベストと思うことを、その都度ベストのメンバーでやってきた。
 ―今後の日本に必要なものは。
 これ以上日本のサッカーを背負えない。ベスト16には入ったが、一回の結果で判断できない。長い目で見ないといけない。そのときのW杯でうまくいかなかったおかげで、次にうまくいくこともたくさんある。
 ―試合後、続投はないだろうと言った。
 ないでしょう。(意思は)変わらないですね。

http://southafrica2010.yahoo.co.jp/news/ndetail/20100630-00000646-san-socc
走力では相手を圧倒 日本代表スタミナの秘密

 実力的にはワールドカップ(W杯)南ア大会出場32チーム中、下位にランクされる岡田ジャパンが歴史的快挙を成し遂げた要因の一つには、選手が本番のピッチで100%の力を発揮できるよう、綿密に練られたコンディショニングがある。

 4年前のドイツ大会はその失敗から“自滅”した。初戦の豪州戦で坪井慶介が負傷。左太もものけがで田中誠が登録メンバーから外れ、大会直前のドイツとの親善試合で負傷した加地亮(あきら)も万全な状態には戻らなかった。結果論ではあるが、W杯開幕直前のドイツ戦にピークが合ってしまい、チームとしての調子はその後、下降線をたどった。

 前回と比べるとコンディションは雲泥の差。「選手にけが人がいないのが驚異的。風邪をひくやつもいない。選手自身も(体の)ケアをすごくしてくれている」。決勝トーナメント1回戦が行われるプレトリアに入った6月27日、岡田武史監督はこう話した。

 確かに、大会を通じて故障者は驚くほど少なかった。今野泰幸が右ひざを痛めるなど、細かいけがはあったが、毎日、ほとんどのメニューを全員で取り組むことができた。しかも、多くの選手が「コンディションの良さ」を口にした。事前合宿地のスイスでは体の重そうだった選手たちが、本番に入ると90分間、パラグアイ戦では120分間、フルに走り回った。

 心配された高地対策も万全だった。1次リーグ初戦のブルームフォンテーンは標高1400メートル、2戦目のダーバンは違ったが、3戦目のルステンブルクは同1500メートル。決勝トーナメント1回戦のプレトリアも同1200メートルある。高地は酸素濃度が低く、疲労がたまりやすい。そのため、細心の注意が必要だったが、高地トレーニングの専門家である杉田正明・三重大准教授を帯同させ、毎日の尿検査や血液検査で各選手の疲労度を数値化、徹底管理した。

 高地への順応についても疲労が抜けにくい高地に長くとどまるのではなく、時折低地に降りて疲労を回復させる方式をとった。低地では選手に一定時間低酸素マスクを着用させる念の入れよう。その結果、日本は高地での試合を戦い終えたときでさえ、選手は「ほとんど息苦しさを感じなかった」と口をそろえた。

 国際サッカー連盟(FIFA)の公式データによると、チームの総走行距離(延長を含む)は4試合で米国に次いで2位の464.52キロに達した。オランダ戦は日本の108.606キロに対し、オランダは104.261キロ。勝利こそできなかったが、走力では相手を圧倒していた。


 相手の分析も徹底していった。チームに常時帯同している分析担当者2人はもちろん、出場国に在住する日本人に随時現地メディアの記事などを送ってもらうよう依頼、情報を集めた。協会内のTSG(テクニカル・スタディーグループ)も大会中、日本が今後対戦しそうなチームの偵察に出かけた。

 そして、その情報、データを戦術に生かし切った。例えば6月24日の1次リーグ最終戦のデンマーク戦では相手の左サイドバックのS・ポールセンの守備に難があると見るや、右サイドを徹底して攻めた。本田圭佑は右に流れてパスを受け、GK川島永嗣も右サイドを狙ったように、ボールを送り続けた。

 監督とドライバー、メカニックが力を合わせて初めて速く走れる自動車のF1レースのように、岡田ジャパンも監督、選手、スタッフがそれぞれの仕事に責任を持ち、一体となって勝利を目指した。

 おそらく、この中の一部が欠けても、ここまでの快進撃はならなかったはずだ。「スタッフ、選手たちの力を合わせて大きな力になった」と岡田監督。日本人の得意な「集団としての力」を前面に押し出し、今回の快挙に結びつけた。


http://number.bunshun.jp/articles/-/34853
 岡田監督がパラグアイ戦でみせた戦いぶりに、なんら恥じるものはない。4−3−2−1の守備的な形から入り、後半にかけて岡田監督は勝負に出た。MF遠藤を前線に上げて、点を取りに行った。「リスクを冒してでも点を取りに行った。点を取って勝つ。私は勝って世界を驚かせると言った。だから、点を取って勝つんだと、ずっと選手には言ってきた」。

 パラグアイ戦で得点のチャンスは何度かあった。その倍近く失点のピンチはあった。ことごとく中沢、闘莉王、川島を中心に、文字通りに壁になって、シュートを体に当てて防いだ。それでも、失点覚悟で攻めを決断したところに、最後の最後で勝負をかけた岡田監督の真骨頂があった。

 岡田監督を支えてきたのは、絶賛と批判を繰り返す世の中への反骨心だった。W杯予選真っ最中だった08年、岡田監督の言葉は痛烈だった。

 岡田監督 オレは今でも忘れない。フランス大会で非公開練習をした時、浴びせられた言葉を。「お前は代表の様子を世の中に伝える義務がある」と言われた。非公開練習はサッカー界では常識だった。それを一方的に断罪された。それも代表監督を「お前」と呼ぶ、その見下した光景を忘れられない。

 選手と戦い、世の中の評判と戦い、そして結果を出そうともがいた。結果を待ってから批判も称賛も選べる世間の評判に対して、旺盛な敵対心を持ち続け、それをエネルギーに変えた。この日、何度も岡田ジャパンの評価について質問され、「それは皆さんが決めてくれれば」と精いっぱいの言葉を返した。




http://southafrica2010.yahoo.co.jp/news/ndetail/20100630-00000025-maip-spo
 TBS系で29日深夜に生中継されたW杯決勝トーナメント1回戦、日本対パラグアイ戦の
平均視聴率は関東地区57.3%
だったことが30日、ビデオリサーチの調べで分かった。
今回のW杯中継では最高。
視聴率は集計の都合上、
放送開始の29日午後10時40分から30日午前1時10分(延長前半13分)までの数値。

瞬間最高視聴率は
関東が前半ロスタイム中の午後11時46分の64.9%、
名古屋は午後11時39分の61.0%だった。
PKの時の視聴率は どれ位に行くんだろうねw
後から分かれば良いんだけど

http://southafrica2010.yahoo.co.jp/news/ndetail/20100630-00000028-mai-spo
TBS系で29日深夜に生中継されたサッカーのワールドカップ(W杯)南アフリカ大会決勝トーナメント1回戦、日本対パラグアイ戦の平均視聴率は関東地区57.3%(関西地区54.1%)だったことが30日、ビデオリサーチの調べで分かった。今回のW杯中継では最高。視聴率は集計の都合上、放送開始の29日午後10時40分から30日午前1時10分(延長前半13分)までの数値。瞬間最高視聴率は関東が前半ロスタイム中の午後11時46分の64.9%、関西は午後11時41分の62.3%だった。



http://southafrica2010.yahoo.co.jp/news/ndetail/20100630-00000009-ykf-spo
オシム節さく裂、成長太鼓判も「侍のように勇ましく戦うべき」
8強を逃した日本代表について、「W杯で日本は自信を手にした」と評価。一方で、「もっと侍のように勇ましく戦うべきだった」と苦言を呈し、メディアやファンにも成長を求めた。

 オシム氏は、日本がPK戦の末に敗れたパラグアイ戦後に解説として登場。120分間の死闘を演じた日本代表について、「サッカーファンではない人の目を開かせる戦いだった。選手たちはこの戦いで自信を手にしたはずだ」と賞賛した。

 格上のカメルーンやデンマークを下し、強豪オランダと互角の戦いを演じた日本の戦いぶりを「どんな強豪ともかなり対等な試合をすることができるということが証明された」と評価した。

 一方、「自分の力だけでゴールを上げることができるという誤解に基づくプレーがあった」とワンマンプレーには苦言。「日本人は歴史を通じて勇敢さを保ってきた民族。侍の時代にしろ、戦争中の神風攻撃にしろ、勇気がなければできない。サッカーでは自分の命をピッチの上で失う危険はない。もっと侍のように勇ましく戦うべきだった」と代表の消極プレーに注文も出した。

 また、PK決着に批判的なオシム氏は、「W杯の試合でこういう形で決着するのがふさわしいのかどうか」とFIFAにもチクリ。「『こぼれたミルクは戻らない』ということわざがある。今日の日本はミルクをこぼしてしまった」と、悔やんだ。

 「今後はW杯でどこまで勝ち進むかということを意識したトレーニングができる。そういう日本代表になることができる」と代表の成長に太鼓判を押したオシム氏。

 最後は「ゴールをあげた選手だけが注目される」とメディアを批判。「代表ばかりでなくJリーグの試合も見るべき」とファンへの注文も忘れなかった。


http://southafrica2010.yahoo.co.jp/news/cdetail/201006300006-spnavi
 元清水エスパルス監督で日本サッカーにも精通するズドラヴコ・ゼムノビッチ氏に、パラグアイ戦の印象、そしてW杯における日本代表の戦いについて、語ってもらった。

■ベスト8に進めなくても後悔する必要はない
 最後はPK戦で負けてしまいましたが、日本サッカーのいいところを世界に見せられたのではないでしょうか。これまで世界の強豪と戦うと差を感じてきましたが、今大会はその差はありませんでした。日本は世界の強いチームと並んでいると思います。

 パラグアイ戦の試合の入り方は、グループリーグの3試合と同じで、W杯本大会に入ってやってきたディフェンスがしっかり機能していました。わたしが思うに、日本は今大会で最も組織的なディフェンスをしていました。日本はラインコンパクトに保ち、ボールに対してアグレッシブにいく。相手に時間とスペースを与えない。こうした戦いが常にできていました。

 攻撃に関してはカウンターを狙っていました。ポゼッションはパラグアイが58%、日本が42%と少し下回った。でも、これも作戦だと思います。相手にボールを持たせておいて、カウンターに出ると。本田が前にいることでボールが収まるし、大久保、松井、遠藤などが前線に出て仕掛けていました。その中でファウルをもらってFKからチャンスをうかがうという狙いがはっきりしていました。シュート数も負けていません。日本が16本、パラグアイは18本。枠内シュートはお互い6本ずつ、と数字の上ではどちらがベスト8に進んでもおかしくない試合でした。内容的にも、日本はフィジカル面でも、走ることでも、精神的にも負けていませんでした。

 こう着状態がずっと続き、最後の最後に、岡田武監督は中村憲を投入して勝負に出ました。これは勝ちにいくというさい配でしたね。アンカーの阿部に問題はなかったけど、もっと前に出られる、攻撃的な選手を入れた。この変更は機能していたと思いますが、ゴールを奪えなかったのが残念です。でも、80分くらいまでは日本のペースでした。


 最終的に、日本は点を取れなかったわけですが、それは相手も同じ。パラグアイも日本の守備を崩せず、得点できなかったのです。パラグアイには日本よりもヨーロッパで活躍する選手が多い。サンタクルス(マンチェスター・シティ)、バルデス、バリオス(共にドルトムント)などが偉大なクラブでプレーしています。そんな彼らでもゴールを決められなかった。こういうゲーム展開になると、お互い相手のミスを狙いながら、できるだけ失点しないようにディフェンシブになります。そんな状況でも、岡田監督は最後の10分でリスクを背負って攻めに出た。結果は出なかったけど、その姿勢は評価できると思います。

 ベスト8には進めませんでしたが、後悔する必要はありません。日本は悔しさの残らない試合をしたのです。過去の大会では、自分たちの力を出し切れず、心残りのまま終わってしまいましたが、今大会ではすべてを出し尽くして戦いました。世界のメディアが日本の戦いを素晴らしいとたたえたのです。ここまでのディフェンスができたのは日本しかいません。


 W杯で戦った4試合を振り返っても、守備は安定していました。日本は4試合で2失点しかしていない。ほかのチーム、例えばイングランドは1−4でドイツに敗れましたが、日本はそんなことがまったくなかった。見ていてもすごい安心できるディフェンスでした。選手の動き、ラインコントロールなど、一人一人が役割をきっちりこなしていたのは日本だけ。今まで、最も守備が強いチームはイタリアでしたが、今大会、そのイタリアは最終ラインが機能しなかった。逆に日本は素晴らしいディフェンスができていたと思います。

 日本は本大会直前にやり方、システムを変えて臨むことになりましたが、岡田監督はよく決断したと思います。強い守備がチームを勝利に導く。これはW杯だけでなく、あらゆる場面で言えることですね。攻撃的なサッカーはボールはつながるけど、上に行くにはそれ以上に守備でのハードワークが求められます。
 日本代表が南アフリカで示した戦い方は、今後、日本サッカーが目指すべき方向性になると思います。これからはこうした戦い方で世界に立ち向かうのだと。今回の戦い方は日本に合っていたと感じました。日本では、どこのチームもゾーンディフェンスをやっていて、小さいころからみんなそれを習っています。守備に関しては、この方向性を追求していけばいいのではないでしょうか。

 あとはFW、前線でいい仕事のできる選手を育てることが大事です。例えば、本田みたいな選手、前でボールをキープできる選手、突破できる選手などですね。もちろん、ゲームメーカーも育てないといけません。日本にもこういう選手はすでにたくさんいますが、世界で戦える選手ですね。

 その意味では、今後さらに日本が上に行くためにすべきことは、育成の見直しでしょう。Jリーグではなくて、それよりももっと若い選手たちの育て方を少しずつ変えないと。W杯を戦った選手たちは精いっぱいやった。日本代表はすでに出来上がったチームなので、これ以上変わることは難しい。そこを変え、世界で勝てるようにするには、選手の育成が何よりも大事になります。小学生、中学生、高校生、彼らのベースアップを図り、スキル(技術)を上げ、動き方の特徴を生かすことが重要です。

 今大会の結果を、日本は前向きにとらえていいと思います。すごいですよ、日本のサッカーは。世界からの評判もいい。ここを出発点に、ベースとしながら、さらに新しいことを上乗せして上に行けるように。日本にとってはすごいチャンスなのですから。最後に、わたしから日本の皆さんに一言、「おめでとう」という言葉を贈りたいと思います。


このチームで もっとやりたかった、
選手と代表チームも そして観客も 両方が そう思える敗戦。
それは あのドイツの時の
もう二度と見たくない という敗戦とは 完全に真逆だよね。

日本人の敗戦の美学に 見事に合うような
負けて なお得られるモノが有る そういう瞬間を眼前に迎えられる時は
 せめて それを しっかり受け止めて置きたいよね。



posted by 誠 at 05:10| Comment(0) | TrackBack(1) | (゚∀゚) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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