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2012年06月21日

「天下一人を以て興る。諸君みな一人を以て興ろうではないか。」と言う者達を宗教右翼カルトが合法的に抹殺する為の【DL刑事罰という21世紀の治安維持法】。

https://twitter.com/kikko_no_blog/status/215440742158577664 きっこ
何で違法ダウンロードの刑罰化に反対してる人がいるのか理解できない。
定められた料金を支払わずに他人の著作を盗み取る違法ダウンロードは
「万引き」や「食い逃げ」と同じなんだから罰せられて当前じゃん。

https://twitter.com/jhatajinan/status/215442076739960833
これはこれは。
ネットの形態からすれば ダウンロードとは「空気の吸い方」であり
「空気の吸い方」に合法と違法を問う事 それ自体が非論理的である。

東電の放射性物質の拡散 に対して 空気の吸い方が上手に出来ない奴は逮捕、と言うのかい?

よって
「空気の吸い方」に違法性を問わず
「空気の吐き方」「空気の出し方」に違法性を問う
という話が 最も現実的かつ社会認知されやすい方向性 として確立していった。
それが ネットの日本語圏 である。

きっこ が
コレを知らないのならば 相当な無知 とされざるを得ないし
むしろ“知らない”という可能性は低いので わざわざに こう言った可能性の方が高い。

これが「ニホンジンの左手」の本性である。
最後の最後では ニホンジンの右手と左手は手を結び ニホンのコッカを守る両腕と化す。
そして
支配者層であるニホンジンのコッカのニホンの右手と左手は
被支配者層である大和民族系日本人の社会共同体へ 大量虐殺と民族浄化を容赦なく叩きつける。

DL刑事罰とは事実上の「天安門」に等しい。
一神教で蛮族野蛮人な支配者層ニホンジンのコッカのニホンから
多神教で文明人な被支配者層の大和民族系日本人の共同体へ 銃弾は撃ち込まれた に等しい。

宣戦布告に等しい。
ヤクザが銃口を口の中へ突っ込んできて「撃つ訳が無いだろ」とニヤニヤして言った ところで誰が信じる?

旧式左翼なきっこが そこまで日寄る程に
暴虐に等しい「飴と鞭」が吹き荒れた証拠であろう。

萎縮したら思う壺である。それこそが宗教右翼カルトの思う壺である。

つまり 社会の圧倒的大多数へまで其処までの覚悟が必要となる程に
この極東の一諸島における支配者層の鬼畜外道は 人類史上でも言語道断な社会犯罪の域に達している。

北朝鮮や旧共産圏の共産党 や カンボジアのポルポトのクメール・ルージュ に比しても
それを越える民衆弾圧を加えるが「宗教右翼カルトの集団」である。
そして その上に有る 一神教で蛮族野蛮人な宗主国サマ の話 にも繋がっていく。

結局
こういう「文明の生態史観」の先に有る「“観念論的な”文明の生態史観」を
明確に正確に認識できない限り 永遠に喰い荒らされ続けるだけとなる。

厳格な階級序列で2000年近くに地球上の文明を支配統制し続けた一神教の側から
此の話が出てくる可能性は極めて低い。
そらそうだ、自分達の根幹が揺るがされるんだからねw

多神教で文明人の共同体の古代ローマが崩壊した先の 数少ない「“成熟しきった”多神教で文明人の共同体」
それが 大和民族系日本人の共同体 である。
これとて成立するまでには1000年以上の苦難を越えてきている。

〜奈良時代までの王政、平安時代という王政に寄生した貴族政、
その後の武家政治の右往左往の先に成立した徳川政権とは
一神教で蛮族野蛮人の政権 から 多神教で文明人の政権 へ移行する為の困難に極まりない道だった。

明治維新から今に続くニホンという支配統治体制は
平安時代へ逆行した“王政に寄生した貴族政”にすぎない。

多神教で文明人の共同体の古代ローマが崩壊した先でのEUは
長き暗黒の中世という 一神教で蛮族野蛮人の政治“王政と貴族政を軸にした”の政権から
近世以降は 一神教で文明人な“民主政を軸にした王政と貴族政”の政権 へと成長しただけであるから
そういう意味での 古代ローマの末裔達 とは言いきれていない。

そういう意味での徳川政権は古代ローマ時代の政治体制に似ているが
「多神教で文明人の政権」ながら「“民主政を軸にした王政と貴族政”の政権」
という近世の大衆文化の確立 の 其の先の政治形態への移行 が為されていなかった。

坂本竜馬が夢に見たのは 公武合体 の先に
「多神教で文明人の政権」ながら「“民主政を軸にした王政と貴族政”の政権」
という政治形態であったことを 改めて思い返してしまう。

坂本竜馬の暗殺とは そういう意味では小沢事件に等しい。
一神教で蛮族野蛮人な者達によるテロは 何故に必要だったのか?
「一神教で蛮族野蛮人な政権」で「王政と貴族政を軸にした民主政」
という方向性への歴史の逆行の転換の為には 坂本竜馬が最も邪魔な存在となるからね。

だから 21世紀の今でも小沢が最も邪魔になるんだよね。
「一神教で蛮族野蛮人な政権」で「王政と貴族政を軸にした民主政」という方向性で
最も美味しく生きてきた【宗教右翼カルトの集団】はね。

そういう連中が 今まで如何に徳川政権を貶めようとしてきたか?

自分達は何者なのか? 如何なる方向性を目指していけば良いのか?
ニホンジンなニホンのコッカ観 では無い 似て非なる 其の先を語り出さなければならない。



「違法ダウンロード刑罰化」 潜在的犯罪予備軍と国民がみなされて行く、監視社会、警察国家。 : nYoの どうにも、真実が気になる。2012年06月20日
http://blog.livedoor.jp/bettycat530-shinjitsu/archives/9447601.html

完全に、治安維持法で。。。




https://twitter.com/opasou/status/215433006050050050
今回のデモ、誠天さんが、
 民衆に向かって発砲 は”あっち”の負けを意味する、
というような趣旨のことを書いてたと思うが、最初どういうことか分からなかったけれど、

https://twitter.com/opasou/status/215433945947451393
ふと1万人も居たら、そして目前で発砲が起きたら、
中東でよく見かけるデモのように民衆は逃げるのではなく、
”特攻”をも厭わなかった可能性があるのではないか。

https://twitter.com/opasou/status/215434742722609152
もし そういう前提が成り立つとしたら、誠天さんの指摘は まさに的を得ていて、
発砲した時点で全国の大和民族系日本人の魂の炎に油を注ぐことになるだろう。

大東亜戦争時の特攻の理念は
ニホンジンのコッカのニホン から 大和民族系日本人の共同体の民衆 への詐術の道具でしか無かったのだが、
今度は 大和民族系日本人の共同体の民衆 から ニホンジンのコッカのニホン へ向かう剣となってしまう。


https://twitter.com/opasou/status/215435045077393409
そうなると、天安門事件を遙かに超える“革命”的な出来事が待っている。

そして、世界中に国民に向かって発砲し軍隊を動員した映像が流れた時に、
果たして世界は どういう風にニホンを見るのだろうか と思う。

革命的かどうかは全く分からない、むしろ そうならない可能性の方が高い。
ただ無視はできない話へ転がる可能性は決して低くない と考えるんだよね。

誠天調書 2010年10月05日: バナナ共和国、フンタのリプレイ
http://mkt5126.seesaa.net/article/164718393.html


キタチョウセンガー とか カンコクガー とか チョオゴクガー とか言い出す連中は
自分達こそが そういう大量虐殺と民族浄化をするコッカのニホンの尖兵でしかない、
という事が理解できない程に幸せな人達なので
官憲から一般民衆が撃ち殺されても「殺される側が悪い」とか言い出すだけ。

俺は そういう観念論の違いをして ニホンジンは異民族 と呼ぶ事にした。

ただ この地球上の人類の歴史は
一神教にして蛮族野蛮人に近い側から多神教で文明人に近い側への
大量虐殺と民族浄化の歴史で埋め尽くされている。

それ故に
多神教で文明人の側 が 一神教で蛮族野蛮人の側 を虐殺する歴史は 何故か悪逆非道として語られてきた。
ネロ然り ハドリアヌス然り ね。

実際問題として 「多神教で文明人の側」が「一神教で蛮族野蛮人の側」を虐殺するのは 観念的に難しい。
その価値観 その美意識 その美徳観念 からして「殺される側が悪い」とは 言いきれない性分である。
俺達って 言うまでも無く そういう感じだよね。

だからハドリアヌスは皇帝の名と責任で あえて汚名を被ってでも
どうしても共同体の内側で空気を読む事が出来ないユダヤ人をディアスポラさせたんだよね。


こういう 観念論的な文明の生態史観 の話を欧米諸国から待っていても 来るはずも無い。

欧米諸国から近世の政治形態 すなわち大衆文化の発展と成熟の先に生じる民主政な部分の
機構的な面を 多神教で文明人の共同体の実情に合わせて導入していけば良い だけあって、
「一神教で蛮族野蛮人」の その価値観 その美意識 その美徳観念 に関する政治的機構を
輸入する理由も必要性も全くに無い。
そういう部分を誤魔化し完全に詐術の道具にしか利用しなかったから
大東亜戦争へと暴走が起きたんだよね。八紘一宇とか言い出してね。
小林よしのりも そういう面では間違っていないが
根本的な部分でカルトの下僕でしかないから そういう詐術に勝てない。

そして こういう部分は21世紀の今となれば 単なる侵略の手助け でしかない。

だから必ず DL刑事罰は21世紀の治安維持法と化して 大量虐殺と民族浄化の道具になる。
間違いなく膨大な犠牲者が出る。


明治維新から150年 こういう観念論的な文明の生態史観を明確に語ってくれる人は居たのだろうか?
居たのだろうけど、
広く浸透をさせる入口へ辿り着く事すら ネットの時代が来るまでは中々に難しかったのだろう。
俺は そういう人達の言葉をアチコチから拾い上げて 積み上げてきただけだ。

自分達は何者なのか? 如何なる方向性を目指していけば良いのか?
ニホンジンなニホンのコッカ観 では無い 似て非なる 其の先を語り出さなければならない。

そんなに難しい話では 決して無い。
たとえば

 さいた さいた さくらがさいた
 あかい あかい ひのまるあかい
 すすめ すすめ へいたいすすめ


少なくともコレは違う、って思えるよね。
2行目と3行目は変えようよ
そういう話の先を 積み重ねて行けたら良いな、って思うよね。

コレは子供の仕事では無い、大人の仕事だ。

政治家や知識人や経済人や 社会の上部構造に位置する者達だけの仕事でも無い。
本来は、社会を構成する圧倒的大多数の ホンのチョットだけ上に位置する者達の仕事だ。

その部分までをも
政治家や知識人や経済人などの社会の上部構造に位置する者達だけの仕事 と委ねてしまった事が
如何に致命的だったか もうイヤという程に味わってきたよね。

そういう事が始まろうとしているネットの日本語圏で
これからも お前らが勝手な事は言いだすな としたい連中がいる。
それが DL刑事罰 という【社会の圧倒的大多数の者達へ対する脅迫】の本質である。
だからこそ絶対に萎縮してはならない。

そういう戦争を始めたい連中がいる。
俺達の口の中へ銃口を突っ込んできて ニヤニヤしながら「分かってるな」と言ってきている。
これから猛烈な数の犠牲者が出る。
俺なんかは 容赦なく叩き潰されるだろう。


http://sky.ap.teacup.com/sierosereno/512.html
海皇紀 33巻
ファン
「オレは間違ってるかもしれん。
 ロナルディアの傘下に入り、
 誇りを失っても 貧しくとも、それでも生きてるほうが正しいのかもしれん」

アグナ・メラ
「ふざけるな! メシと寝所の為だけに誰が生きたいか」


・厳格な階級序列を胡散臭く思う
・困窮した時は一つのおにぎりを二つに分け合う
・ボチボチと真面目に勤勉に生きて行く
そういう程度なだけの そんな感じなだけの生き方が
此の極東の一諸島の圧倒的大多数を構成する者達の価値観や美意識や美徳観念なのに
其れだけを持って生きて行きたい と ただただ言い続ける俺は 何処が間違っているのだろうか?

誰か教えて欲しい。
俺は そんなにキチガイな事を言っているのだろうか?



塩野七生『ローマ人の物語]W キリストの勝利』の書評:ギリシア・ローマの伝統の衰退とキリスト教の台頭
http://charm.at.webry.info/200606/article_7.html

多神教で文明人な共同体としての平和を確立して行った古代ローマは
内政のみならず外交でも寛容な政策を軸にしていた。
その長き平和は 当然に「古代ローマという共同体」の外の平和と成長にも寄与し始める。
「古代ローマという共同体」の外からの圧力が強まり続けてしまうは 数百年の先に どうしても起きてしまう。

その政治的解決の最中
「古代ローマという共同体」の長き平和の内側は
文化が爛熟すると同時に、平和を当然とする世情の意識が 過剰な観念論の強要 へと続いていってしまう。
一神教とは 過剰な観念論が容易に積み上がる。
キリスト教の台頭とは 宗教右翼カルトの肯定 創価学会の台頭 と同様の意味合いで有る。

多神教で文明人な共同体の中に有って そういうカルトの存在は
当然の如くに 寛容さの前に許されていく という傾向が有る。

だが
「古代ローマという共同体」の外からの圧力が強まり続けてしまう政治的解決の最中の混迷状況時に
一神教の「過剰な観念論」を政治的道具 論争の道具 其の武器 として利用し始める連中が出始める。

冷徹な外交戦という論理思考のディプロマシーが必要な局面で
カルト「過剰な観念論」として押し返せなければ 何が起きるか?
もはや 其の先は語るまでも無いだろう。

ディオクレティアヌスは、
当時の新興宗教であったキリスト教勢力の拡大を許さず弾圧した。

東方の正帝リキニウスとの権力闘争を経て絶対権力を掌握したコンスタンティヌスは、
ローマ帝国の統一を維持する為の精神的支柱としてキリスト教を保護する寛容政策を取った。

313年にコンスタンティヌスが出したミラノ勅令によって、キリスト教は公認され、
ゼウス(ユピテル)を主神とするギリシア・ローマの伝統宗教と対等な地位を得ることになるのである。

コンスタンティヌス大帝の後に、
ローマ帝国全領域を統括する専制君主となる次男のコンスタンティウスは、
明確にキリスト教を保護優遇する宗教政策を打ち出すことになる。

キリスト教を
政治権力の正当性を担保する道具として利用しようとしたコンスタンティヌス大帝

だったが それ以上にコンスタンティウスは、キリスト教を厚遇して様々な特権待遇を与えた。

364年には、キリスト教会(司教・司祭・助祭)のみに許されていた人頭税の免税特権を、
教会関係の人間(生産手段としての農地・工場・商店)全てに拡大し、
その後、地租税など全ての税金を免除される特別待遇を得ることになる。

コンスタンティウス自身の 政治権力の正当性の強化の担保の道具 としてキリスト教を更に利用し
キリスト教というカルト集団もまた権益の拡大に励む為に ローマ皇帝の権力を利用する。
さて この場合は何が起きる?

それを21世紀の極東の一諸島では 眼前で生に見る事が出来る。


http://blog.livedoor.jp/dick21/archives/cat_50024605.html
コンスタンティヌスの「凱旋門」には
コンスタンティヌスの為に多数の浮き彫り彫刻群が創られ張り込まれている
塩野七生さんは その写真を詳細に収録して見せてくれる。
その僅か150年前のハドリアヌス皇帝の五賢帝の時代の文化の成熟は
昨今に映画化されたテルマエ・ロマエで 美麗なCGとして甦っている。
それと比べて

コンスタンティヌスに「凱旋門」の浮き彫り彫刻群は極端に見劣りするのである。
技術的にも、美的表現の上でも、誰が見ても稚拙なのだ。
あれほど優れていたローマ人の文化は、これほどまでに衰退してしまった。
コンスタンティヌス凱旋門を見るだけで それがハッキリと分かる。
それを塩野七生は
写真を見せられた読者の私も、あまりの違いに愕然とする。
国の力が衰退すれば、文化もこれほどまでに衰退してしまうのか。

と解説しているが
俺は今ならハッキリと 否 と答えられる。

それは国力が衰退したからではない。
カルトの政治への浸食を許したから と断言できる。

多神教で文明人の文化が成熟した先で カルトの専横 の暴走を眼前に見てきた俺は
カルトこそが文化の衰退に直結する要因である と断言できる。
その結果として更に国力が衰退した ので有って 話は完全に真逆である。

これは塩野七生の詐術に等しい。


五賢帝の時代の頃 と コンスタンティヌスの時代の後 の 文化の成熟を見比べれば、
その差は あまりに悲しくなるほど劇的に劣化しまくっている。

極東の一諸島における「文化の成熟」が崩壊し劣化していく
というのを 感覚的には理解できない人は多いだろうが、
それは 文化の側から起きるのではなく 経済の側から決定的な要因が起きるのではなく
政治の側から決定的要因として引き起こされるモノ なので有る事は
観念論的な文明の生態史観 をして考えていけば あまりにも一目瞭然なのである。

こんな話は 馬鹿馬鹿しい位に誰もが分かる話でもある。


https://twitter.com/RodinaTP/status/213489492265402368
まあいいや。
私はこれまで通り、自宅のCDを古い自作ステレオで聞いて、
一曲でも多く耳コピーでピアノで弾けるようになるよう練習するよ。
それが「私の音楽とのかかわり方」だ。
でも それは完全に 社会文化の後退 そのものだよね。
それが意味する所を理解できない者は 人として稚拙 としか言いようが無く、だからこそ
それが意味する所を啓蒙し続ける者達が どうしても必要になるのだ。
文化を語る者達が そういう文化の根幹を避けて語らず になるのならば 裏切りに等しいですよ?




http://charm.at.webry.info/200606/article_7.html
一神教の宗教原理に忠実であれば、
世界全体の支配者である天上の唯一神以外の神を信仰する集団・個人を看過できないはずである。
また、唯一神の存在を否定するような言論・表現の自由を容認することも難しいので、
『価値観の多様性』を尊重する社会との宥和性は基本的に高くないだろう。

権力者が支持してくれなかったり 信者数が圧倒的に少なかったり
など自分達が劣勢な場合にのみ他の宗教や価値観を容認せざるを得ない
というだけである。

一神教の教会側に
十分な権威(世俗の人々の支持)と財力(世俗の人々の寄進)があれば、
異教徒や異端者との共生よりも
それらを排除して宗教的な同質化を進める行動を選択するだろう。


キリスト教の保護者であり続けたコンスタンティウスは、
ユピテル(ゼウス)やポセイドン、アテネなどの多神教信仰に代表される
伝統的な古代宗教を抑圧する為に、
供犠・祭儀・偶像崇拝という宗教信仰に欠かせない要素を
段階的に禁止していった。
文化は政治によって劣化する。
経済は文化を発展させる。
政治は経済が堕落させる。
バランス感覚を持てない者が人の上に立つ時、愚か者が成長を見越した施策は それ以外の殆どを狂わせる。

大帝コンスタンティヌスが新設した東の首都コンスタンティノポリスからして、「偶像」で溢れ返っていたからだ。建設当初からこのコンスタンティノープルには、キリスト教の首都として建設したからには当然だが、ギリシア・ローマの神々に捧げられた神殿は一つもなかった。だが、古代人は、特にローマ人は、立ち並ぶ彫像で飾られた都市でなければ都市とは見なさない。大帝コンスタンティヌスも、「新しきローマ」と呼んだこの新都建設に当たって、ギリシアを中心にしたローマ帝国の東方全域から、大理石の彫像を多量に徴発して運ばせ、それらを並べ立てて新都を飾ったのである。

おそらくこのキリスト教の首都はしばらくの間、キリスト教の教会とギリシア・ローマの神々の像が共存する都市であったろう。ギリシア人はもっとも美しい形は裸体であると信じていたので、その優先権は神々に与えている。というわけで神々の像となれば、常に、裸体か半裸体で表現される。キリスト教の教会と裸体の彫像の共存は、キリスト教的に考えれば許しがたいが、人間性の現実から見ればより自然な光景ではなかったか。だが、裸体の神像の生命も、この後、半世紀足らずでしかないのだった。

大帝コンスタンティヌスとその息子コンスタンティウスの二代にわたって実施されてきた、キリスト教の振興を目的にした諸政策は、時代順に分ければ次の三段階になる。

第一段階、公認することで、他の諸宗教と同等の地位にする。

第二段階、キリスト教のみの優遇に、はっきりと舵を切る。

第三段階、ローマ伝来の宗教に、他宗教排撃の目標を明確にしぼる。

第一段階と、それに加えて第二段階の本質的な部分までは大帝コンスタンティヌスが、第二段階の残りと第三段階までを、息子のコンスタンティウス帝が継続したと考えてよいだろう。息子は多くの面で父ほどの才能の持ち主ではなかったが、キリスト教優遇策においては終始一貫していたのだった。そしてこの路線で、半世紀が過ぎていたのである。
そして登場したのがユリアヌスである。

ユリアヌス帝は、絶大なるローマ帝国皇帝の権力を自由自在に行使して、
財政を逼迫する既得権益層の解体に尽力し、
価値観の多様性や信仰の自由を認めない排他的なキリスト教会の動きを牽制した。

キリスト教史観から見れば、
ユリアヌスという皇帝は唯一神の権威に服従しない罪深い反逆者である。

しかし非宗教的な歴史観から見れば、『多神教と一神教の共生』という
その後の人類の歴史で多くの戦争の原因となってきた課題を克服しようとし、
宗教階級や官僚機構の不正な既得権益を廃止しようとした偉大な皇帝であった。

後のキリスト教の歴史で「背教者」と弾劾されることになるユリアヌスの行った反キリスト教会とされる政策だが、それを一言でまとめれば、ローマ帝国民の信教状態を「ミラノ勅令」に戻した、のである。

ユリアヌスによって再び、あらゆる信仰がその存在を公認された。ギリシア・ローマの神々もエジプトのイシス神もシリア起源のミトラ神もユダヤの神も、キリスト教内部でも、これまで教理解釈の違いで争ってきた、三位一体説をとるアタナシウス派もそれに反対するアリウス派も、またこの二派以外の他の派も、何もかもがOKということになったのである。

信仰の完全な自由を保証する以上は、「異教徒(パガヌス)」という蔑称も、「異端(ハイレジス)」という排斥の想いも、あってはならないというのが、直訳すれば「全面的な寛容(トレランス)」の名の許に公表された、皇帝ユリアヌスの勅令であった。

ラテン語の「トレランティア」(tolerantia)を語源にする英語のトレランスでもイタリア語のトレランツィアでも、日本語訳は「寛容」とするしかないが、この言葉には、自分とは違う考えを持つ人でも認め受け容れる、という意味がある。この面でも、一神教との違いは明白だ。

ユリアヌスは、
コンスタンティヌス大帝からコンスタンティウスへと継承されたキリスト教優遇政策を中止する
という楔を打ち込んで、ローマの伝統である多種多様な価値観や生活習慣を承認する
『寛容(トレランス)の精神』
を政治と宗教に取り戻そうとしたのである。

ユリアヌスは、異教徒(パガヌス)や異端者に対して共感を欠き容赦なく排除しようとする。


しかし、ユリアヌス帝以後、
ギリシア・ローマの伝統的な多神教を完全に邪教として退けるミラノ司教アンブロシウスが登場して、
キリスト教教会の権威はより一層強まっていく。

テオドシウス大帝(在位379-395)はキリスト教を392年に国教化した。
他宗教の信仰を禁止して、
古代ギリシア(B.C.776)から1169年もの歴史があるオリンピア競技開催を廃止した。

西欧史においてオリンピックの祭典が廃止された393年は、
『古代ギリシア・ローマ文明の終焉の年』である
と同時に『世界宗教としてのキリスト教が勝利の凱歌を挙げた年』になったのである。
そして 何故か誰もが知る有名な事件へ一直線へ繋がる話に続く。
ある時
キリスト教会の強化の意向に逆らったローマ帝国の最高権力者テオドシウス帝を
ミラノ司教アンブロシウスは糾弾して、
公式にキリスト教会に対する贖罪の意志を示すように要求しました。

世俗のヒエラルキーで最も高い地位にある皇帝を謝罪させ、
神の権威を背負う自らの前に跪かせたのが ミラノ司教アンブロシウス でした。

アンブロシウスは、
世俗権力と神聖権威が相補的に機能する『権力の二重構造』を知悉した聖職者であり、
神聖ローマ帝国皇帝ハインリヒ4世を屈辱の謝罪に追い込んだ『カノッサの屈辱』へと続く
『世俗に対する宗教の優越』の範例を示した司教でした。

キリスト教をローマ帝国統一の最良の道具として利用しようとしたコンスタンティヌス、
ローマ帝国皇帝の権力の地位を
神の権威で正当性の承認とする事で政治権力をコントロール
しようとしたアンブロシウス、
中世に至るまでヨーロッパ全土で勢力を拡大し続けるキリスト教は、
世俗の政治権力にメタ(神)の次元からコミットすることによって、
各時代の政権よりも長い命脈を保ち続けていく事になるのです。

極東の一諸島の一般民衆の圧倒的大多数を構成するのは 大和民族系日本人の共同体 の住人だが
その者達が全滅する程に大量虐殺と民族浄化を仕掛けても、
ニホンジンのコッカのニホン というカルト集団にしてみれば
ニホンジンというカルト宗教の下僕を増やせば良いだけの話である。

ローマ帝国はテオドシウス帝の死後、
東ローマ帝国(ビザンツ帝国)と西ローマ帝国に分裂することになり
1453年に地上から消滅しますが、
キリスト教のカトリックとプロテスタントは21世紀の現代でも
この世界に悠然と存在し続けています。

ローマカトリックを頂点とするキリスト教会やプロテスタンティズムの教義が
世俗社会に与える影響力は かつてほど大きくはないですが、
未だ隠然とした存在感と権威性を保持しています。
ただし 一神教で蛮族野蛮人な観念論 として考えれば
その存在は 人類の文明の生態史観の中で 極めて凶悪なまでの存在で有り続けているよね。

イランやイラク、アフガニスタン、パキスタンといった中東のアラブ社会では、
一神教のイスラム教の教義が持つ世界観や倫理観(規範性)が
今でも政治や民衆に大きな影響力を与え続けていて、
世俗権力と宗教権威が同一であったり拮抗していたりします。
だから そういう世界を俺は
一神教で文明人な世界 とも考えてきた。
カルトの集団 と 大衆文化 の拮抗の世界、みたいな感じでね。
それが上手に回れば 指輪物語ではアラゴルンが王になる、其れがカルト的になるとサウロンの世界になる。


ユリアヌス帝が構想したような全ての価値観が等しく尊重される社会、
あらゆる宗教の共生が可能となる世界は現代に至るも全く実現されていません。

一神教と対立した多神教の力は ますます衰えていて、
一切の宗教言説や宗教規範にコミットしないという無宗教の人も経済が発展した先進国では増えていますが、
一神教的な信仰や価値観が対立する構造は全く解消されていない状態です。

一神教同士の融通の効かない価値観の衝突だけでなく、
グローバリゼーションと絡んだ経済的な利害関係が複雑に輻輳する中で、
現代の解決困難な国際問題が構築されています。

現代社会に存在する国際紛争やテロリズムの解決の道筋は遥かに遠いですが、
異質な他者を弾圧する排他的感情を抑制して、
宗教や価値観の多様性をお互いに尊重する古代ローマ的な『寛容と公正の精神』を
政治指導者と民衆が培っていくことが大切だと思います。

一切の宗教言説や宗教規範にコミットしないという無宗教の人も経済が発展した先進国では増えていますが
というのは 殆どの人が一神教の詐欺詐術の前に勘違いをしている部分である。
大衆文化の成長の先に居る者は多神教で有る。
無宗教と一神教 という 0か1か という宗教観は
一神教にとっては 大変に都合の良い話でしか無い。

一神教と多神教 という 1か多数か という宗教観の違いが理解されていくは
一神教にとっては 非常に都合が悪い話である。

この観点は 一神教で文明人の世界に居る者達が自然に理解するのは 大変に難しいだろう。
ところが 多神教で文明人な俺達ならば マヌケな位に肌感覚で分かる話になる。

クリスマスの直後に 除夜の鐘を聞き 初詣へ行く、に何の違和感も感じない。
こんなの多神教でなきゃ絶対に有り得ないよねw
多神教で文明人だからこそ こんな事が平和裏に行われ続けるんだよね。

なのに 一神教で蛮族野蛮人なカルトの美味しい生き方をしてきた連中は
その権益を如何なる手法をしてでも増やして
自分達の美味しい生き方の権益を永遠に存続をさせる謀りを続けようとする。

俺達の眼前で起きている大量虐殺と民族浄化は そういう事でしかない。




2012-06-20 contemporary navigation : 台風の気象操作と違法ダウンロードの刑罰化法案成立と原発再稼働の関係
http://ccplus.exblog.jp/18219905/
俺からは 今回の台風を気象操作 と言うには証拠が足りないかな。
状況証拠的には だけどね。

ただし
電荷した放射性物質の大量放出とエアロゾル化 という現象を考えれば
其処へ気象操作なE兵器の技術を加える事の影響を全く考慮しない訳にはいかない。

フクイチを中心とした不可解な巨大雨雲の画像の謎を解いて見ました|wantonのブログ
http://ameblo.jp/64152966/entry-11276994258.html

2012年6月10日19時30分 雲の画像
http://userimg.teacup.com/userimg/9327.teacup.com/tokaiama/img/bbs/0010601.jpg


この辺りは 雲の画像 というより レーダー干渉の画像 と判断した方が良い気がするんだけど
ならば 何故にレーダー干渉が起きたのか? というのは以前にも書いた。

誠天調書 2012年04月05日: IT系などサイバー攻撃をDigitalのD兵器(stuxnetなど)
 環境改変兵器をEnvironmentaのE兵器(人工地震やHAARPなど)、 は ABC兵器に続く禁止すべき攻撃兵器だと何故に言わないのか?
http://mkt5126.seesaa.net/article/262312494.html

誠天調書 2011年09月24日: 異常気象や地球温暖化のオゾン層破壊の真因は、原発運用や原発事故 及び 放射性核実験 にこそある。 核戦争や核実験 というよりも 核利用そのもの が、生態系を破壊し地球を滅亡させる元凶である。
http://mkt5126.seesaa.net/article/227323869.html


なので E兵器を思考の範疇の外へ完全に置く という姿勢の方が 愚か者の誹りを免れない と思うけどね。

枯れ葉剤作ったモンサントもダウ・ケミカルも、
元々原爆を開発した企業ですけど、
その企業とベトナム戦争時代に組んでいて、三菱モンサント化成なんていう企業の顧問に就いていたのが、
下山事件の犯人とされるインドネシア産業の八雲さんby柴田哲孝(仮名)

所謂 金銀運営会ですね。

この資金が日本の政党の資金になったのは有名な話なんですが。


そのインドネシア産業の八雲さんの家が、
栃木県の矢板市にありまして、現在は記念館になっているのですが、
そこの地元政治家は、みんなの党(別名誰かの党)の党首

現在、モンサントと組んでいるのは、住友化学
経団連の米倉会長の会社
米倉が要求しているのがTPP

三菱化成は前回の消費税騒ぎの時の経団連会長でしたね。
で、日本代表のサッカーやってたのは、埼玉スタジアム=浦和レッズ=三菱の本拠地
大飯原発は三菱重工

大阪万博の時に三菱未来館という『台風を制御出来る夢の技術』について語っていたのも三菱。

ずいぶんと まあ偶然ですね。

ところで、シリア情勢が切迫しているみたいなのですが、どうも解せないことがあるんですよね。

シリア政府勢力のバックはロシア
反政府勢力はイスラエルとアメリカ
というのが常識ですよね。

でも、ここのところ妙なニュースが。。

ロシアがイスラエル空軍の無人飛行機の共同開発に参加を検討しているなんていうニュースが出てきたり。
http://japanese.ruvr.ru/2012_06_13/roshia-isuraeru-mujinki-kyoudoukaihatsu-kyougi/

イスラエルの無人飛行機 ロシアで生産
http://japanese.ruvr.ru/2011/12/20/62578320.html

ロシアとイスラエル、無人偵察機で組んでるじゃん。

で、今度は、ロシア国営の石油会社ロスネフチが、
□ックフェラーのエクソンモービルと合同で西シベリアの石油探査掘削を合意した
とかいうニュースまで出てきたわけです。
http://www.emeye.jp/disp%2FRUS%2F2012%2F0618%2Fstockname_0618_010%2F0%2F

ロシアのロスネフチ、米エクソンモービルと戦略提携実施合意書に調印
http://www.emeye.jp/disp%2FRUS%2F2012%2F0418%2Fstockname_0418_013%2F0%2F7/

ロシアとロックフェラーのエクソンモービルは、想像以上に深いパートナーになってきているようだ。
イスラエルと組んで中東戦争してたネオコン勢力は、今度はロシアとも手を握っているのである。

前回日本が大規模な気象操作と思われる台風の被害にあった直前も、
やはりロシア国営の石油会社ロスネフチが、□ックフェラーのエクソンモービルと合同で、
北極海とメキシコ湾の石油探査と掘削で合意しているのです。

気象操作?台風15号の猛威とH-IIAロケットの打ち上げの関係
http://ccplus.exblog.jp/15530088/

またまた台風 国道311号線沿線が危ない!!
http://ccplus.exblog.jp/15466260/

偶然とは思えませんね。
で、当時今度は三菱重工へのサイバー攻撃だそうだなんてこともありましたよね。。
http://ccplus.exblog.jp/15502759/

なんかイマイチ分析しきれないんですよね。このあたりが。。
誰と誰が組んでて、誰と誰が闘っているのかがよく分らない。
ディプロマシーで考えると 俺的には そんなに難しくないと思うけど
その辺りは あえて誤魔化しての更新にはしている。

ただ、日本が日本海の油田の試験掘削を発表しましたよね。
これって、ロシアにとってもアメリカにとっても、商売の邪魔ですよね。
一方、シリアやイラン情勢が切迫すると、石油の値段が上がってエネルギー会社は大儲けです。
ロシアと□ックフェラーのエクソンモービルの利害は一致しているわけです。
アメリカ海軍に教えているトマス・バーネットの話では、これはロシアと米国は直接闘わないというルールセット
関係無い第三国での争いはオーケーというルールセットっていうことですよね。
これが互いの利益になっているという考え方です。

だから、これも今の台風と関係あるかもしれませんよね。

これだけの気象操作は、ロシアとアメリカが共同でやらないと無理な気がするわけですよ。
ロシアがシオニスト達と闘っているという見方もあるみたいですが、
911にしても、ロシアの許可が無かったら、米国の非常事態宣言は出来ないことになっているわけです。
だから、ブッシュはプーチンに電話してオーケー貰ってるはずなんですよね。

ただ、オバマ大統領は大統領選挙を控えていて、
共和党の石油資源マフィアの人達の力を削ぎたいわけなので、中東の争いを鎮めたいのではないかと思う。

このあたりが、分析を難しくしているところなのです。
スロウ忍さんやリチャード某氏も、自説も良いですが、
少しは このあたりの事を分析しないと、間違った方向に行ってしまうのではないですかね??
いやぁ 言えないでしょw
で、G20で何が話合われたのだろう??


さらに言うと、中東が危機になって石油やガスの値段が上がると、原発を動かしたい勢力も勢い付くわけですよね。
ほれ、火力はコスト的に高いとなるわけです。
だから、三菱も石油やガスの値段が上がった方が良いと考えていても不思議ではありませんよね。
そして、原発稼働反対運動を止めたいために気象操作を歓迎するのも、これまた三菱ですよね。

原発一族は、ほぼ岩崎弥太郎の一族ですからね。。
分かっていなければ言えないだろうし
分かっていれば尚更に言えないでしょうね。

情報流通の流れ方が 先週あたりから更に不思議な傾向となっていたので
其のオカシサとは何か? を ずっと考えていたんですよね。


以前に話したけど
野村野球 ってデータ野球て言われるけど 橋上が その中身を話したよね(別に隠しては無かったけどw)
データを集めて確率を出すだけ では足りないと言うのが野村で
では 何故そうなったのか? までを考察し洞察をして
始めて情報を有効活用した事になる としたのが野村だった。


1. 情報収集をする(収集)
2. 情報選別をする(選別)
3. 情報を再構築する(分析)
4. 1.→2.→3.→ そして洞察を行う(洞察)

俺にとって更新時に時間を喰うのは むしろ4の部分になってきている。
そして情報の部分の話ではなく、
5. 実際に では どういう手を打つべきなのか? 
の時間もまた多くなってきてしまっている。


そう考えた先で だから どっちに転んでも俺はアウトじゃん って思うんだよね。



https://twitter.com/taru_eito/status/214680177182121984
性格なんでしょうね、すかさずRTで自分は理解し心得ているって心象を人に与えるの

https://twitter.com/ettahinin/status/214683303775707136
私は最近 だからこそあまりRTしない様にしよう としています。

https://twitter.com/taru_eito/status/214695854366392320
私もRT多くて言えた立場ではないのですが、
よく媚びては擦り寄る方 が気になったので、つい呟いてしまいました。
まだまだ未熟な小物と自分を恥ずかしく思っています。では・・・。
俺なんか恥晒しばかりをしていきましたし 今も 全然に駄目駄目ですし。

良いんじゃないでしょうか? 最初のうちは。
ウチの最初の頃は大手サイトに擦り寄りましたし。
そうして 数を増やし 情報流通の技術を上げて また 自らを恥じて勉強し直しては また頑張る
を繰り返していけば良いんじゃないかと思います。

ただ それぞれに それぞれの生き方が有るとは思いますので
身の丈に有った手法で そのホンのチョット上を頑張って行く 位で良いと思いますよ。

俺の場合、とにかく ある程度の最低限度の数を集めなければ意味が無い と考えて
とりあえずは ユニークで500/1日 を目指していたのを思い出します。

ただ 何度も言ってきたけど俺は そういう最低限の数字さえ集めた後は
もう数にこだわる気が 殆ど全く無くなった。
ただただ 自分の道を歩いてきた それだけだった。

今だって 数字が増えようが減ろうが その事で俺の根幹が変わる事は無い。
だからこそ
確実に ウチへ来て頂ける人が増え続けていく、というのは とても怖い とも感じた。
チラシの裏だけで良いじゃん とも考えた。

でも ネットの日本語圏 などなど色々と考えていくうちに 此処まで来てしまった。







6月20日 まるまる転載ダメ! NAVERまとめ「権利侵害」記事をインセンティブ対象外に
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120620-00000074-it_nlab-inet
中身は 概ね問題無い感じなだけの話。
そら 商用な転載 や カネが大きく動く転載 になれば駄目でしょう。
なのに そう書かないw 不思議だなぁw





https://twitter.com/Yu_TERASAWA/status/215396453261123585
先ほど、故黒木昭雄さんの遺作ミステリー『神様でも間違う』のカバーと帯、表紙、冒頭に
とじ込むサイン入りカラーポートレートのチェックをしてきました。
色などの微妙な修整はデザイナーと印刷会社に「一任」(笑)することとし、すべての作業が終了しました。
発売は6月30日です!
共に官憲から狙われまくりながら
自殺したとされる黒木昭雄 と 自殺したとされる中野正剛(なかのせいごう) の話を チョットだけ。

中野正剛は 東条政権へ激しく抵抗をし続けた衆議院議員である。



http://100.yahoo.co.jp/detail/%E4%B8%AD%E9%87%8E%E6%AD%A3%E5%89%9B/
1940年大政翼賛会常任総務となったが、同会に失望して翌1941年辞任。
戦時刑事特別法改正を契機として東条英機首相と激しく対立し、
『朝日新聞』1943年元旦(がんたん)号に「戦時宰相論」を寄稿して東条を激怒させた。
其の元旦の朝日新聞を東条は即時発禁処分とするが
配られた新聞を どうやって回収するんだ、なのにね。
つまり 其処まで冷静を失う程の話だった訳だ。

 
http://www.sal.tohoku.ac.jp/~kirihara/senji.html
「戦時宰相論」中野正剛(『朝日新聞』昭和一八年一月一日)
まぁ正直 21世紀の今なので こういう文語調は読みにくいですねw
国は経済によりて滅びず,
敗戦によりてすら滅びず。
指導者が自信を喪失し,国民が帰趨に迷ふこと によりて滅びるのである。
俺はクニが滅ぶか否かではなく んな事よりも
極東に一諸島における人々が住む社会共同体という単位 を以て 自分達は如何なる民族で何者なのか
と言ってきた。


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E9%87%8E%E6%AD%A3%E5%89%9B
「難局日本の名宰相は、絶対強くなければならぬ。
 幸い、日本には尊い皇室がおられるので、
 多少の無能力な宰相でも務まるようにできているのである」
と東条内閣を痛烈に批判した。
そら東条も激怒するわなw

この記事の内容に東條は激怒し、朝日新聞に対して記事の差し止めを命じた。
しかし東條は中野の この論文が記事になってから読んだのであり、
この差し止め命令は まったく意味のないものであった。


http://www.waseda.jp/student/weekly/tokusyu/tok893.html
時の最高権力者・東條の執拗な弾圧にも屈せず、東條内閣の倒閣運動に執念を燃やした

中野は、あの戦時下の恐怖の憲兵政治といわれた弾圧の下で、一人公然と東條と対決し、
「東條討つべし」と叫んだ早稲田人であった

中野が惚れたナチスというのは、
実はナチスの「大衆運動」のスタイルにすぎない とする室教授の分析は鋭い。

その意味で、中野は大衆政治家といわれた大隈の申し子であったというべきであろう。
だからこそ、彼は孤立を恐れなかった。

彼は自立した国民の支持を確信していたからである。
国民が目覚めれば、天下は、まさしく中野一人を以て変わるかもしれないではないか。


昭和16年つまり1941年には「言論出版集会結社など臨時取締法」が制定されている。
これによって大政翼賛会もが成立する。

そういう訳で 中野正剛は打倒東条を公然と掲げていたのは
21世紀の今となれば むしろ非常に良く分かる話である。


http://100.yahoo.co.jp/detail/%E4%B8%AD%E9%87%8E%E6%AD%A3%E5%89%9B/

1943年10月21日、直接行動で倒閣を図ったとされた東方同志会事件で逮捕される。
罪状は「戦時刑事特別法 第7条 戦時に際し国政を変乱する事を目的にした行為」の予備罪としてだった。
完全に破防法の個人への適用だよね 治安維持法の適用そのものだよね。
10/21〜10/24までは警視庁が取り調べたけど 何ら容疑の事実は出なく

25日身柄を警視庁から憲兵隊に移されたが、
小林健治裁判官が勾留(こうりゅう)を却下したため26日釈放された。
実際には 司法官僚と官憲の激しい抵抗が有ったが
現職の国会議員を そういう予備罪で逮捕拘留であった為に 流石に東条への批判が激しかった。

結局25日の晩には釈放され 夜も遅いので特捜課の宿直室に泊るように言われ それに中野は応じ、
翌26日の朝 憲兵隊の車で連れて行かれ 中野が自宅に付いたのは午後2時。
 空白の時間が其処に有る。

その26日の深夜、日本刀で切腹自殺を遂げた。

自殺の原因は 今も謎に包まれている。

時の首相の東条は 官憲(当時は憲兵)とは極めて密接な関係が有り
此の時も 猛烈な圧力が官憲へ掛られている。


其の割腹自殺には、隣室で休んでいた憲兵を始め家人も翌朝まで気付かなかった。
彼の机の上には自刃の直前まで読んでいたとされる雑賀博愛の「大西郷全伝」の
頁が開かれたままに遺されていた

中野が自決した当日の定例閣議にて東条は 国務大臣の大麻唯男に
「中野が自殺しましたよ。出しておいて良かったです。
 もし憲兵隊か警視庁で自殺されたら大変でした。
 内閣が幾つ有っても足りませんでした。
 やっぱり 法律に従って帰宅させて良かったです。」
と話した。

  歴史群像 2012年4月号 より



http://shuyu.fku.ed.jp/html/syoukai/rekishi/nakano.htm
平成12年の早稲田大卒業式。
総長の奥島孝康は式辞の中で、玄洋社の系譜に連なる早大出身の政治家、中野正剛を取り上げ
1万人の卒業生に語りかけた。 

徒党を組んだり、付和雷同したり、大会社にぶら下がったり、権力者に擦り寄ったりするのではなく、
 各自が個を強め、孤立を恐れず、自信を持って21世紀の時代の扉をけ破ってください
」、
奥島が引用した「中野の歴史的演説」は、
1942年(昭和17)11月10日、早大の大隈講堂で開かれた創立60周年の記念講演として行われた。

太平洋戦争が始まって、約1年後である。
中野は熱弁を振るった。
日本の巨船は怒とうの中に漂っている。
 便乗主義者を満載していては危険である。
 諸君、自己に目覚めよ。
 天下一人をもって興れ

それは、後輩たちを激励すると同時に、
当時の東条英機(とうじょうひでき)内閣への批判の意味が込められていた。

学生たちは起立し、校歌を合唱してこたえた。
しかし 中野の演説を聞いた学生たちの多くは、やがて学徒出陣などによって戦地で命を落としていった。

昭和17年つまり1942年11月10日であり、「戦時宰相論」が出る2ケ月前である。
中野正剛の 5000人の学生を前にして3時間に及ぶ講演は「天下一人を以て興る」と題されている。


http://www.waseda.jp/student/weekly/tokusyu/tok893.html
中野はいう。
「諸君は、由緒あり、歴史ある早稲田の大学生である。
 便乗はよしなさい。

 ……歴史の動向と取り組みなさい。
 天下一人を以て興る。
 諸君みな一人を以て興ろうではないか。
 日本は革新せられなければならぬ。

 ……日本の巨船は怒涛の中にただよっている。
 便乗主義者を満載していては危険である。
 諸君は自己に目覚めよ。
 天下一人を以て興れ、これが私の親愛なる同学諸君に切望する所である」

「天下一人を以て興る。興らざるは努力せざるにある」
という中野の言葉を胸に抱いて、
この学窓からミレニアムの世界へ、勇気凛凛 諸君が翔いてくれることを期待する。


http://blog.livedoor.jp/gokokumin/archives/51989021.html
 政治が面白くないから俺は黙っていようと言うのは、滔滔たる衆愚のことである。
 諸君は大学生ではないか。
 一念殉国の誠を尽くそうではないか。・・・

 天下悉く眠って居るなら諸君起きようではないか。
 この切迫せる世の中に、眠って居るのもうすら眠りであろう。
 諸君が起ちて直ちに暁鐘を撞けば、皆醒めることは必定である。

 天下は迷わんとする。
 言論のみでは勢いを制することはできぬ。
 誰か真剣に起ち上がると、天下はその一人に率いられる。
 諸君皆起てば諸君は日本の生気を分担するのである。・・・

 日本の巨舶は怒涛の中に漂っている。
 便乗主義者を満載して居っては危険である。
 諸君は自己に醒めよ。
 天下一人を以て興れ。


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E9%87%8E%E6%AD%A3%E5%89%9B
当時、早稲田第一高等学院の学生であった後の首相の竹下登は、
この演説を聴いて感動し政治家の道を志している。


ニホンジンのコッカのニホン とは似て非なる共同体を言いだしては ネットの日本語圏の下士官層を とまで言い出す俺に
この先 如何なる官憲の鉄槌が叩きつけられるか?

何故に俺が此処から出ないのか?
とにかく そういう事です。


DL刑事罰が施行して 直後か 数か月か1年か過ぎた頃に
俺や俺の周辺で不思議な事件や事故や事象が起きるのでしょうか?
それも きっと偶然なのでしょうなぁ。

俺は自殺する程に 意気の盛んな人間じゃないし、
俺の現実の周辺部にも そんな意気の盛んな者達はいない。
ボチボチと 勤勉に真っ当に 生きている、ただただ それだけなのにね。

カネも無いから 避難権利区域な相当の被爆地からの引っ越しすら出来ない下層民な俺なのにね。

とは言え その時が来たら 後は 宜しくお願いしますね。
いや 死ぬ気なんかは これっぽっちも無いけどさw



亀井静香公式Webサイト 亀井静香VS中村慶一郎 2008.11.22◎月刊日本12月号
http://www.kamei-shizuka.net/action/2008/081122.html
中村

中野正剛は朝日新聞に請われて昭和18年元旦の、朝日新聞紙上に「戦時宰相論」を書いた。
中野正剛は、
「国は経済によりて滅びず、敗戦によりてすら滅びず。
 指導者が自信を喪失し、国民が帰趨に迷ふことによりて滅びるのである」
と喝破しました。

現在の政治は、まさに「指導者が自身を喪失し、国民が帰趨に迷」っている状態です。

現在、亀井さんが衆議院本会議場で座っておられる議席は、
中野正剛が座っていた誇り高き議席だと聞いています。

今日は、亀井先生に大いにいまの政治を叱咤していただきたい。










posted by 誠 at 23:54| Comment(0) | TrackBack(0) | (゚∀゚) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする