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2013年10月14日

「The Hunt For Gollum」 「Born of Hope」 指輪物語から“支配”と“統治”の違いを知る。

The Hunt For Gollum  Movie Website
http://www.thehuntforgollum.com/updates.htm

http://www.thehuntforgollum.com/player_film-hd.htm


おいおいおいおいw これ凄いな。

2009年05月02日 3000ポンドで こんなの作るなよ、すごすぎる――ある名作の二次創作
http://nofrills.seesaa.net/article/118435164.html
3000ポンド……換算してみますか?
今のレートでだいたい45万円です。
小さな金額ではないけれど、例えば映画制作に使うような金額ではありません。
でもこの金額で こんな映画を作っちゃう人たちがいるから、マニアはすごい。

映画のサイト&ブログ:
http://www.thehuntforgollum.com/
http://hunt4gollum.blogspot.com/

IMDB(ロケ地がウェールズだそうで):
http://www.imdb.com/title/tt1323925/

BBCの紹介記事:
Lord of the Rings on a shoestring
Page last updated at 12:16 GMT, Friday, 1 May 2009 13:16 UK
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/northern_ireland/8028657.stm

この映画、The Hunt for Gollumは40分の非営利の劇映画で、
予算は£3,000という ものすごい低予算。
この予算内に収めるためには当然俳優もスタッフもボランティアで、
プロデューサーのBrian Laveryさん(北アイルランドの人)は、
『指輪物語』が好きで好きでたまらないという160人のボランティアが協力して制作し、
非常に楽しかったと語っている。

監督のChris Bouchardさんは、Brian Laveryさんいわく、
チームの中でも彼以上のマニアはいないというほどの『指輪』マニアだとのこと。

ピーター・ジャクソンの映画も、ジャクソンやスタッフは相当なマニアだったそうですが、
£3000でこれを作っちゃう人たちのマニア度は、ひょっとしたらジャクソンをしのぐかもしれません。

お金があって何かをするにも情熱は必要ですが、
お金を使わずに何かをするには、
それ以上の情熱と創意工夫が必要だし。

で、プロデューサーの話では、
こんな低予算だったにもかかわらず、
毎日「何かできることはないか」という『指輪』ファンからの連絡が入って、
結局俳優から音声さん、デザイナーさんまで集めることができて、映画制作が実現した、
とのことです。
この制作の過程そのものが映画になりそうな。Behind the scenes的なものではなく、劇映画で。

キャスト一覧のページを見ると、
http://www.thehuntforgollum.com/cast.htm
俳優さんたちは自主制作映画やテレビなどでキャリアのある方々です。

映画のストーリーは、アラゴルンが「指輪」の真実を追う、というもの。
制作者はトールキンの著作権管理団体とは常に連絡を取っていたそうです。
著作権管理団体は、
「営利目的でないのであれば、ファンが3部作を膨らませることはかまわない」
というスタンス、極めてフリー・カルチャー的で粋。
http://creativecommons.org/weblog/entry/14329

こういう、「ファンによる、ファンのための」映画というものを、
Laveryさんは有望なものと見なしています。
「こういうことが実現可能なのだということがたくさんの人に伝わって、
 この先、また別なファンベースのものができるかもしれない」と。


2009.4.7 The Hunt for Gollum
http://pub.ne.jp/syamagam/?entry_id=2070587
「指輪物語」に「インスパイア」された「オタク」達が作った「映画」「王様」は
こっちの方がかっこいい


2009.4.26 LOTRファンによるファンのための映画、オンライン公開
http://pub.ne.jp/syamagam/?entry_id=2110741
日本のファンは字幕つけて!


2011/5/11 The Hunt For Gollum - LOTR Prequel
http://blogs.yahoo.co.jp/zegen2413a/51676841.html

イギリスの「指輪物語」のファンたちが作った40分ほどのアマチュア映画。
サイトで視聴可能だ。
60万円ほどの低予算で作られたらしいが、
160人近いスタッフが関わったとのことなので
大半は無償で働いたのだろう。

物語は いわゆる前日談的なもので、
 1つの指輪を探す闇の勢力が迫るなか、
 指輪のありかを知るゴラムを 闇の勢力よりも先に捕獲するために、
 ガンダルフの命を受けてアラゴルンは1人で旅立つのだった…
といったもの。
森の影に隠れながら敵たちを始末していく馳男さんの活躍がカッコいいぞ。
さすがにオークの集団を1人でノシてしまったのには「あなた強すぎじゃない?」と思ったけど。
其の辺りは
 そもそもにアラゴルンとは何者なのか?
の解説が特に映画版では完全に省かれてしまっているからね。


ドゥーネダイン - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%82%A5%E3%83%BC%E3%83%8D%E3%83%80%E3%82%A4%E3%83%B3
シンダール語の「西方」(dún)と、「人間」(edain)で、「西方の人」を意味し、
・中つ国の西方に存在していた島の住人であるヌーメノール人、
・ヌーメノールの滅亡から生きのこって、中つ国へ移住した末裔
を差す。西方語ではこれを直訳して「西方の人」とも呼ぶ。

同時代の一般的な人間に比べて高い技術力を有するほか、肉体的にも優れていた。
ヌメノール時代の男性の平均身長は6フィート4インチ(193cm)ほどもあった。
また 資料によってまちまちではあるが、寿命が長く、常人の3倍ないし5倍は生きたとされている。

王族であるエルロスの子孫は特に長寿で400歳にもなった。
存命の間は壮年期が長く続くが、いったん衰えが来ると一気に老け込んだ。
ただし文明が爛熟する前のヌメノール人は、
寿命を悟ると衰える前に自ら眠るように世を去るのが常だった。

こうした長所は「エダインの子孫」に与えられた恩寵であった。
ヌメノールの没落後の彼らは、中つ国で暮らすうちに この祝福は徐々に取り消されていき、
身長も寿命も縮んで並の人間に近づいていった。



ヌーメノールのドゥーネダイン
ヌメノール人とは何者なのか? それは第二紀にまで遡る。
「イルーヴァタール」(神々達と思ってしまっても此処では構わない)はエルフと共に
モルゴス(此処では大魔王みたいなモノと思ってしまって構わない)と戦い、打ち倒した。
第一紀が 此処で終わる。

その第一紀の戦いを生き延びた「エダイン」を祝福し、
(此処での「エダイン」は当時の中つ国に生きていた神々に味方した人間達と思ってしまって構わない)
西方の地アマン(神々の住む土地)と中つ国(人々の住む土地)
の間の島「ヌメノール」を造り与えた。

イルーヴァタールの祝福を受け、中つ国の西方ヌーメノールへと渡ることを許されたエダインたちは、
通常の人間より長い寿命を持ち、かの地で大いに力を増し、栄えた。

しかしヌメノール人達は結局に
「エルフの不死」への嫉妬 や 中つ国の人間への傲慢 を押さえ切れなかった。
そしてサウロンの奸計によって
 イルーヴァタールの怒り すなわち 西方の地アマンへの侵略をすら始めてしまう
に触れることとなり、
其の直後にヌメノールは海へと沈む。

しかし エレンディルに率いられて中つ国へ逃げ延びて、
ヌーメノールの滅亡を生き延びたヌメノールの人々も居た
彼らをドゥーネダイン(デュネダイン)と呼ぶ。
デュネダインは、
中つ国で北方王国アルノールと南方王国ゴンドールを築き、
ヌメノール滅亡から生き残った冥王サウロンと其の配下の者達 と長きに渡り戦ったが、
デュネダインの技と寿命は次第に衰えていった。


南方王国のゴンドールのドゥーネダイン

ゴンドールは建国以来1000年ほど おおいに繁栄した。
しかし第三紀1250年に北国人のもとへ大使として派遣されたヴァラカール王子が
現地の女性と結婚したことが大問題となった。
こうした結びつきはドゥーネダインの純血を薄れさせ、衰退につながると考えられたからである。
そのため王国南部では反乱が起こり、
ヴァラカールの息子エルダカールは継承した王位を一時追われるまでにいたった。

懸念とは裏腹に、非純血のエルダカール王は早急に老化するようなことはなかった。
しかし一連の同族の争いで多くのドゥーネダインの命が失われたため、
ゴンドール国民における人の中つ国との混血比率は一層に高くなった。
2050年に王統が絶えるとデュネダイン一族の衰退には拍車がかかり、
かつては長かった寿命もかなり常人に近づいた。

北方王国とデュネダイン

北方王国は1000年を待たずにアルセダインとカルドランとルダウアの3つに分裂した。
アルセダインでは王統が保たれたが、カルドランとルダウアではイシルドゥアの子孫は絶えてしまった。
特にルダウアはドゥーネダインの人数が非常に少なく、国の実権は山岳人の手にあったのだが、
1409年のアングマールの侵攻で その残る少数もまた殺されるか駆逐された。
カルドランのドゥーネダインは何とか持ちこたえたが、後の疫病がはびこった時代に全滅した。

1974年にアルセダインも滅亡し、ドゥーネダインは旧アルノール領から姿を消すこととなった。
しかし、デュネダインの血統までが失われたわけではなかった。

亡国のアルノール王族やその遺臣達は、
荒野を流浪する「野伏」となっても 冥王の配下と戦い続けた。
人々から敬意を払われる事すらなくなっても 地域の人々の生活を陰から守護した。
よって地域の人々はデュネダインと協力者の素性を怪しみ、
得体の知れない輩として蔑み続けた。

指輪戦争の時にドゥーネダインが南方での戦いの援護に出払うことで、
バーリマン・バタバーのような一般人は ようやくデュネダインらのありがたみを悟ることになった。

ゴンドールではドゥーネダインの衰退が続く時代にあっても、
エルフ達の協力関係を続けた北方の族長の寿命は依然として常人の2倍はあった。
人々の守護という危険に身を置く生活ながらも、族長の多くは天寿を全うすることができた。

アラゴルンとは 其の末裔の族長である。
よってガンダルフや裂け谷のエルロンドらとの協力関係にあった。


デュネダイン、ハルバラド Halbarad
サルマンの没落後にアラゴルンを探してローハンに現れたドゥーナダン。
アルウェンから預かった旗印を携え、一族30名に加え、
エルロンド息子エルラダンとエルロヒアをも連れてきた。
小説版ではアラゴルンに従って死者の道を越えて、ペレンノール野の合戦に参戦して討ち死にした。


ヌメノールとドゥネダイン
http://members.jcom.home.ne.jp/1164129301/isil/numenor.html

誠天調書 2011年09月02日: 「テメーらが見落としたアホどもを、こっちはこっちで片付けてやってんだよ。 何にも知らねーのに、デカイ顔すんじゃねーよ」
http://mkt5126.seesaa.net/article/223742340.html

誠天調書 2012年02月14日
http://mkt5126.seesaa.net/article/252282831.html

われら荒野の野伏達は、孤独な人間だ。
我らは常に、我らの敵の召使いどもを追い求める野伏であり 狩猟者なのです。
敵の召使どもは ここかしこに見いだされるからです。

ボロミアよ、南方王国のゴンドールのミナスティリスが堅固な城塞であった と申されるのならば、
滅んだ北方王国の末裔である我らは我らで また別の役割を果たしてまいった。
あなた方の強固な城壁や輝く剣を持ってしてでも防ぎきれない悪しき者達が 沢山に居るのです。

あなた方は自分の国境の外の領域の事を殆どに御存じが無い。
平和と自由、と あなた方は言われるか?

もし我々が居なかったら
滅んだ北方王国の領域に今も住む者達も 恐怖で滅ぼされたでしょう。

家なき無人の山々から 昼なお暗き森林から
暗い者達が秘かに忍び出てきてくる連中は
我々を見て たちまちに逃げ失せます。

ところが
もし我ら野伏達すなわちデュネダインが惰眠を貪っていた としたら
あるいは一人残らずが北方王国の滅亡と同時に死に絶えていてしまった としたら
今の人々は どの街道を安心して通ったら良いのでしょうか?

北方王国が滅んで尚 この領域の素朴な人々の夜の平和と安全が 何故に保障されているのでしょうか?


けれども、そういう事であったとしても 我らが感謝される ということなどは、
あなた方よりも少ないだろう。

里人は我らを軽蔑の名で呼ぶ。
ある肥えた宿屋の主人からすれば わたしは『馳夫』なのだ、
その男からすれば敵が一日で歩いてくる所で住んでいる というのに。

もし我らによって守られていなければ、
敵は その男の心の臓までをも凍らしめて
その小さな町を廃墟としてしまう事も始めてしまうだろう。


しかし我らは もってよし としてきた。
素朴な者達は心配や恐怖を知らない知らなければこそ 素朴のままで居られるのだ。

その為に我らは隠れていなければならなかった。
我ら一族は これを任務としてきた。


話を戻そう。

ビジュアル的にはピーター・ジャクソンの映画版のそれを徹底的に踏襲しており、
アラゴルンの役者なんかもそっくり。
撮影はウェールズで行われたらしいが神秘的な森の雰囲気が良く出ているし、
アマチュア映画とはいえ十分に楽しめるクオリティの作品になっている。

ゴラムをCGで描写するのは金がかかるためか、
殆どのシーンで彼は袋の中にいたり影しか見えなかったりするんだけど、
逆にそれが臨場感を生んでいて良いんですよ。

最後に出てくるCGの顔が逆にショボく見えるくらいで。
CGに頼る前にまず演出で勝負しろという好例じゃないですかね。

今回は非営利での公開を条件としてトールキン財団からキャラクターの使用許可を得ているらしいけど、
こうした有志によるファンムービーでもきちんと利益を上がられるようなビジネスモデルが
近々に必要になってくるんでしょうね。
映画配給会社に頼るようなものではなくて。

http://videolicca.com/videos/9H09xnhlCQU/the-hunt-for-gollum---lotr-prequel

だからこそ俺は ニコマス→MMD という流れに注目をした。
其の真逆を進むのが「日本人と日本」というハイパーキチガイカルトの集団なのだが。


http://timeturner.exblog.jp/13709193/
2010年 02月 11日 「Born of Hope」
「The Hunt For Gollum」というファンが作った ロードオブザリングの前編 が評判になりました。

その次作の「Born of Hope」では
アラゴルンの両親であるアラソルンとギルライン(映画LOTRのSEEに石像が出てきました)を中心に
生き延びた僅かなデュネダイン達の苦闘を描いています。

「The Hunt For Gollum」は40分でしたが、こちらは1時間強と長いです。
殆どに分かっていないデュネダインの関係のオリジナルキャラクターを多くに使い、
ちゃんとしたストーリー仕立てになっています。

アラゴルンの父のアラソルン役の人は
映画版のアラゴルンより いい意味で軽く(シリアス過ぎない)ユーモラスな面があって
なかなか良いです。

原作を知らずに映画版を見ていた人達が
アラゴルンの生い立ちを知るには とても役に立つ内容です。
若き日のハルバラドやエルラダン/エルロヒア兄弟も出てきますよ!

低予算でここまで作ったのもすごい。
こういうエネルギーを多くの人たちから引き出せるのも
原作とPJ映画の素晴らしさなのでしょう。

http://www.bornofhope.com/
http://www.bornofhope.com/index2.html


原題:Born of Hope(2009)
上映時間:68 分
製作国:イギリス
監督:Kate Madison
出演:Christopher Dane、Kate Madison、Danny George、Matt Kennard、Sam Kennard、Luke Johnston、Robert Harvey、Jonah McLafferty、ほか。


http://mkt5126.seesaa.net/article/252282831.html
私の小説的原風景の一つが「指輪物語」であるのと同様、
漫画的原風景の一つは明らかに「辺境警備」である。
見た目そのまんまだ(笑) 

小説「指輪物語」は、善悪二元論のバリエーションだが、
マンガ「辺境警備」は、極東の一諸島的な融和のバリエーションである。

指輪物語の物語の中で主筋として賛美される方向性にあるのは、
 フロドが汚れを負いつつも果たした善への献身
である。

そして
辺境警備で主筋として賛美される方向性にあるのは、
 汚れを負い、節を曲げることで 過去とも融和を実現した“神官さん”ジェニアス・ローサイ
という形になる。

その主筋の物語の傍らで常に居たのが、狂言回しの役割にも等しい「隊長さん」サウル・カダフである。

辺境警備で描かれる隊長さんは、

・おちゃらけ昼行灯。誰にでも絡む、不精で不摂生で下ネタ大好きなおじさん。
 都で女に失敗して左遷されてきた。
・昔は切れ者で鳴らした傭兵部隊の隊長であり、経験という暗黙知を言葉にすることができる男。

という、中村主水やカミソリ後藤のファンタジー版みたいなおっさんだ。

ちなみに、この隊長さんは最後の最後まで、本来の「実力」を見せることはない。
神官さんやカイルの前では、彼の刀は最後まで抜かれなかった(サバイバルは何度かあったけど)。
彼の人格は、あくまで過去に築いた人脈と、現在のコミュニケーション能力によってのみ描かれる。
それすら 積み重ねてきた経験こそが根底には有る のだが。

この隊長さんに関して、私の中でずっと心に残っているフレーズがある。
物語の主要な展開の全てのオチが付いた後、エピローグの中でのことだ。

神官さん
「ああ… まだわたしは
 賢者さまや隊長さんのように
 いろいろなことを胸ひとつにおさめられるほど
 大人ではないのかもしれない――」

隊長さんは最後まで、
血なまぐさい戦闘や都の泥臭さのことなど、
のどかな辺境のドレングの村人達には全く感じさせない。

どこでもおちゃらけて自分流でいるが、
実は その世界のことを深く愛し、尊重してもいるのだ。

隊長さんは、典型的な、「境界線上の人間」だった。
境界線上にいて、村も、都も、魔物の世界も、神話の世界も、
彼なりの流儀で接し、尊重していた描写が物語を通じて一貫して見られる。

隊長さんサウル・カダフ という神懸かりな狂言回しがいる事で 物語的下地が整えられた からこそ、
辺境警備の主人公である神官さんの物語が主筋が 更に現実感を与えられている形になっている。

辺境警備の外伝「星が生まれた谷」のラストにおいて、
顔見知りの爺さんに『歳を取ったらどんな人間になりたいか』と問われた
若かりし日の隊長さんは こうも言う。


愛する女性と決別し、赴任した先でのことだ。

 俺は不良中年になりたいな

 いつまでも悟ったりせずにじたばた生きたい

 どんな痛みも苦しみも、喜び同様に覚えていたい

 果てしなく続く天使のいない夜も 軽々と生きていきたい

 もしも本当に そんな人間になれるのならね

隊長さんを見ればじたばた生きているように 確かに見えるが、
神官さんから見ればそれは「オトナ〜」なのだ、という解釈となる。
ただ
それを そう と感じさせる構成には、あえて なっていない。

「全てを胸一つに収める大人」

辺境警備は遠い世界として描かれている。

田舎に飛ばされてきた傭兵部隊の隊長サウル・カダフの「隊長さん」が居る
ただ駆逐されていくしかない古い世界、
という「辺境警備」の側面の部分を現代から眺める時
今尚 これからも 一定の評価を獲得していくことも不可能ではないだろう と思い続けたい。

多神教で文明人な社会共同体でもあった国家古代ローマが崩壊し
支配者層が一神教で蛮族野蛮人な者達に蹂躙されつくされた。
けれども被支配者層の文明人の社会共同体は脈々と生き続けた。

そしてルネサンス以降にて
支配者層としての観念で 文明人的な節理が導入していく歴史が始まり
大衆階層の成長と共に民主主義の概念が政治の技術として成熟の歴史を歩むようになる。

指輪物語に貫かれているのは 文明人としての摂理を上部の支配構造側へ問う姿勢である。
つまり、あくまで一神教的な階級差は厳然として残っている中で 文明人的な節理を問うているのである。

神の血を引く蒼き血の後継者アラゴルン と 北方王国の末裔のデュネダイン達 は
その血統ゆえに 過酷な責務を自らに課している。
しかも 下部構造側へ一神教的な厳格さを求める事すらしない。

こういうのが
 EU的な一神教にして文明人的な美意識つーか美徳観念つーか価値観なのかな
とか感じているんだよね。



俺はね、多神教にして文明人の社会共同体に生きてきたからこそ 別の生き方 別の見方をする。

それが
 極東の一諸島における社会共同体 其の伝統的な武士階級とは何だったのか?
  と
 ネットの日本語圏の下士官層
の概念つーか美意識つーか価値観なんだよね。

西欧で発展してきた民主主義という政治の技術を
極東の一諸島へ ただただ輸入しただけで上手く進むはずもない。

自分達が何者で 何を為して そして如何にしていけば良いのか
そういう事を考えていければ良いな と思う。

文明人的な感性というか価値観というか美意識というか そういうモノを
この150年間に学ぼうともしないままに 民主主義という政治の技術を輸入しただけで
上手に使いこなせるはずがないよねw

辺境警備のサウル・カダフ
指輪物語のアラゴルン
アガサクリスティの小説でもそうだが


 社会を構成する圧倒的大多数の一般民衆は馬鹿で豚に過ぎない
 素朴な者達は本当の危機や恐怖や心配を知らないままだから素朴で居られる
 その少しだけ上に居る者達は だからこそ責務を負う

という観点で描き出される部分が有る。

本当の危機や恐怖や心配を知る事が出来る者達が
その責務を自覚し その責務の意味を理解し その責務を負っていく事
という意味を読み解く事こそが民主主義という政治の技術を成熟させていく第一歩となる。

欧州で民主主義という政治の技術が成熟していく過程を読み解こうと考えていけば
その基盤たるモノは 極東の一諸島の社会共同体の歴史の中にも確固として有った事は
歴史をも一緒に読み解いていこうと思えば それほど難しく無く分かる。

欧州の人々には 青い血や血統や家柄を重んじる歴史が長かったせいもあるだろう、
その土地の歴史や風土などに合った手法が有るだろう。

この極東の一諸島ならばこその 歴史と風土に合った手法が有る。

http://dic.yahoo.co.jp/dsearch/0/0na/16057000/
武士(ぶし)は食わねど高楊枝(たかようじ) の意味とは - Yahoo!辞書
この言葉は アラゴルンが言ってる事と何の違いがあるのか?
けれども此の言葉には 青い血や血統や家柄を重んじる歴史を必要としない。
もっともっと一般民衆との距離が近い が故に 階級差を責務の背景としない方式へと通じる。

俺は 此の歴史と風土こそが
極東の一諸島へ民主主義という政治の技術を適切に導入させる第一歩が有ると考える。

この手法 この観念論 を一つ一つ積み上げていく事こそが、
民主主義という政治の技術を成熟させる第一歩である。
俺は そう考えるんだよね。

統治能力が無いクセに支配はしたがる。
何千年も改善されないんだから今更に無理でしょう。
3歳児が ただ欲しがる、のと同じ思考回路でしかない。
DQのレベルのゲーム観の 其の一つ上に在るモノとは何か?
という思考が出来ない者達は
 オタクと言っては馬鹿にしてきた連中と自分達が実は同レベルでしか無い
という見たくも無い現実を見る事は出来ないだろうけどねw

コミケ という素晴らしい社会共同体を学ぶ素材が有ったのにね。
でも それこそが 古今東西に変わらない馬鹿で豚にすぎない一般民衆 だ。

支配 と 統治 は違う。
この程度の事すら自らの言葉で語ることが出来ない者達が 政治とか外交とか民主主義とか言い出したのでは
そら混乱しか生まない となる。

家畜が自力で自覚できるはずも無いし 奴隷が自力で蜂起できるはずも無いけど
馬鹿で豚にすぎない一般民衆 が変われるはず、なんてのは宗教でしかない。

そして 宗教左翼カルトから脱却できない人達は
 20世紀のイデオロギーなカルトの残滓から 逃れられない自分自身をも認めたくない、
 変われない自分自身を認められない、
で それでも何かが変われるはず?w
そうですか 頑張ってください。

俺は 馬鹿で豚にすぎない一般民衆 に期待をしない。
多神教で文明人な社会共同体 の一員として 無垢な善性と勤勉さを持って日々の営みを続けてくれる
のならば、それ以上の過度の期待などをする気も無い。

自立した人間を自称するのならばこそ
 過去の言葉を温めては新しき道も自分で考える
が必要となるよね?
言われたまんまの言葉を繰り返すだけなら 其れこそ家畜や奴隷じゃね? なんかの信者じゃね?
コピペを繰り返すだけ とは そういうものでしかない。

宗教右翼や宗教左翼のカルトに溺れる20世紀の残滓は 其れを基礎にしつつも
目の前の環境や状況の変化に応じて 自力で適切に昇華させていく事が肝要だと思う。
21世紀になって なお20世紀なカルトに溺れ続けていくような連中が居たとしても
俺は哀しく眺め続けて それでも俺は俺なりに頑張る それだけだ。

俺なら こう言うね。
家畜を啓蒙し 奴隷を解放する、その役割を果たせる下士官を育成し続けたい。
俺も負けずに頑張り続けたい。
其の下士官の数を一定数以上に揃える のは150年に懸かるかもしれないけどねw

当然に、俺は 過激派になるつもりも無ければ カルト信者になるつもりも無い。
宗教右翼や宗教左翼へ帰依する訳でも無く 英雄待望論を叫ぶだけの熱狂的信奉者になるつもりも無い。

塩野七生のロードス島攻防記だったかな、
ロードス島へ移り住んだ聖ヨハネ騎士団を支配者層とする ロードス島で暮らす住人という被支配者層、
という構図だった。
支配者層の聖ヨハネ騎士団は宗教騎士団で有り 其の潤沢な資金力はキリスト教圏から集まる寄付金だった。
よってロードス島の住人という被支配者層から税を徴収する必要性を殆どに持たなかった。
塩野七生は其処で「現代の者達からは驚くほどの支配する側の兵力の数の少なさだった」と書いている。
それは被支配者層の側が「文明人」だからであり
支配者層の側が 資金が潤沢という極めて特殊な立ち位置の野蛮人だった から
という特殊な事情で有る。

けれども塩野七生は本文で 被支配者層の側が「文明人」だった という部分を極めて軽視している。

被支配者層の側が「文明人」という事は
・社会共同体の平和的な維持の費用が少なくて済む
・社会共同体の平和的な維持に無駄な軍事力を必要としない
という事が 極東の一諸島に生き続ける者達ならば 肌感覚で分かっている。

此れを如何に適宜に政治で持続させていくか が“統治”であり
此れを軍事力と政治によって略奪と搾取をする が“支配”である。

指輪物語 は 小説であろうとも 映画版であろうとも ホビットが文明人として描かれている。
その様相は確かにマヌケで経済効率も悪そうに見える


http://mkt5126.seesaa.net/article/363630379.html
映画 ロード・オブ・ザ・リング のスペシャルエディション とかいうモノを観た。
劇場版は 「編集されて切り落とされた場面」が非常に多い。
そういうモノを加えた大長編となっているのがスペシャルエディションだった。

その「旅の仲間」の冒頭部 は かなり違う。
 ホビット庄 とは何か?
 ホビットとは如何なる生き方をしているのか?
が説明されている。

アレを見た「一神教で野蛮人」ならば『何と堕落した集団だ』と神の御名を叫ぶだろうねw
「一神教で文明人」は「戒律」が足りない とか 「多神教で野蛮人」なら「掟」が不足 とか
そんな話を持ち出す連中も居るんだろうね。 

だけど
 多神教で文明人 という生き方や価値観や美意識を理解する者達が
 其の緩やかな階級格差の上部構造で 秩序の上部を担う
という話もまた 古今東西に理解がされる それほど難しくない話だと思うんだよね。

誠天調書 2011年06月22日
http://mkt5126.seesaa.net/article/211066765.html
風の谷の者達 ヴェネツィアの者達 に共通するのは
困難な時に至ろうとも 飢えに直面しようとも
人としての品性と節度を保って生きていこうとする姿である。

自分達だけが美味しく生きていこうとする姿勢を先に出す という事では決して無い
其れは恥ずべきで軽蔑すべき 蛮族野蛮人の下品な姿勢そのものなのだ。

ヴェネツィア的な 一神教にして文明人
 と
風の谷の者達 多神教にして文明人
という微妙な差異はあっても、
ごくごく普通の極東の一諸島の一般民衆ならば
此のような類の「文明人的節度」というのは
普通に自然に当然として弁えているモノでしかないよね。

俺が 何かクドクドと言わなくても 当たり前な感覚つーか感性の話でしかないよね。

だから
むしろ此の感性を捨てたのは ニホンジンというカルトへと移った売国奴連中である、
と俺は言いきれちゃうんだよね。カルトにすぎないニホンジンは 既にして問答無用で攻撃を仕掛けてきている。
これは殺し合いなのだ、と覚悟をしなければ 殺されるのみとなる。

同じ日本人だから 同じ言葉を話し 同じ食事を取ったりしていても
その根底に流れる民族的感性は 異民族の如くに全く違う、
と覚悟しておかなければ こっちが先に殺されるのみとなる。

だから民族浄化は 既にして始まっているのだ、と俺は言い続けてきた。

誠天調書 2012年01月21日: 欧州での理想と其の思想を そのままに輸入するだけで民主主義が成熟できるはずもない。 歴史が違う 気候が違う 風土が違う 培ってきた理念観念が違う。
http://mkt5126.seesaa.net/article/247534856.html
俺はね 
“今の欧州の成熟した「一神教にして文明人の共同体」としての民主主義”とは似て非なる
“日本もしくは新国家独自の「多神教にして文明人の共同体」としての民主主義”を構築するには?
というのを考えている。

ネットの日本語圏の下士官層 が 其の入口の部分になれば良いな、と思っている。

指輪物語 つまり映画「ロード・オブ・ザ・リング」は
“成熟した「一神教にして文明人の共同体」”という思想と理想で貫かれている。
小説版を深く深く読み解けば 極めて一貫している。
欧州世界の理想郷を描いている思想 を考えて読み直すと かなり別の視点で味わえるかと。

たとえば王の帰還で 神に等しきエルフの血を引く王族の直系の後継者アラゴルンは王になるが
その下に有る様々な領地は温存されている。
其の後の物語で ホビット庄は特別自治区となり 人の侵入が制限され 王すら其れを守る。
ホビットの庄長は選出は伝統的に7年ごとの選挙である。地方自治である。

つまり
文明人の矜持を知り 自ら奉仕する事を全く厭わぬ「尊き血筋」の下に 共同体は統治される、
そういう【やや厳格な階級序列】は有るものの
あくまで文明人同士の節度ある関係性を重視する者達同士で有る限りは友である、
となる。
 
たとえ蛮族野蛮人であろうとも
もし友好性を重視する者達となってくれるのならば 共存の道を探りたい、
となる。
それが文明人としての矜持だ とね。


俺は 俺の目の前に居る この地に住む圧倒的大多数もまた 言われるまでも無く ごくごく自然に
そういう文明人としての節度と矜持を持ち合わせている と肌で分かっている。

大震災が有っても 核攻撃が有っても 失われない
そういうマヌケな程の文明人としての節度を維持していこうとする平和を愛する気質は、
あまりにマヌケで あまりに素晴らしい。
ちょっと反省しつつ 大いに誇るべきだと思う。

そういう人の心の深さを大事にしていく共通意識は
これからもチョット反省しつつ とても大切にしたい。


この程度の事すら肌感覚で理解できず しかも己が言葉で紡ぎ出す事が出来ない者達は
何を根拠にして己が知性に自尊心を与える事が出来るのだろうかね?
俺ならば恥ずかしくて仕方が無くなるだろうけどね。


誠天調書 2013年10月10日 大切な事はゲームから学んだ。 DQUを群像劇として 政治と外交から眺め直す。
http://mkt5126.seesaa.net/article/376902914.html
にて 経済力も無ければ農業国でも無いローレシアには 軍事力が無い、けれども 軍事的な動きは有る。
というのが読み解けていた。


ドラクエU考察〜ロト戦記6・神速の英雄
http://togege.at.webry.info/201302/article_1.html

それは インテリジェンス なモノでもあり、
それは アラゴルンと北方デュネダインの一族 のようなものでもあろう。
そして それは今のイギリスのようなモノでも有ろう。

悪い意味ではイスラエルのモサドのようなものかもしれないが
其の最悪の例が「日本人と日本」なのだろうが、
其の中身を描いているのが攻殻機動隊であり stand alone complex なのであろう。


誠天調書 2013年10月02日 戦略的な意味合いでの 後退戦 撤退戦 退却戦 の成功例と失敗例を眺めた後で
http://mkt5126.seesaa.net/article/376262576.html

誠天調書 2013年09月18日 特務機関「 ヤマ 」 登戸研究所 陸軍中野学校 その1。
http://mkt5126.seesaa.net/article/375106816.html

誠天調書 2013年09月10日 国際的なスポーツの団体がスイスに本部を置けば、租税回避もマネロンも横領も簡単に出来てしまう。
http://mkt5126.seesaa.net/article/374401806.html

誠天調書 2013年09月09日 東京オリンピック招致 という諜報活動、その情報戦。2013東京オリンピック招致では どんだけ実弾な贈収賄が飛び交ったのか?w そして「ロンドンオリンピックの招致活動」における政治の技術
http://mkt5126.seesaa.net/article/374301647.html


21世紀の最先端の技術 は 20世紀までの感性だけで生きている者達の遥かに上を行く。

此処で言う“技術”とは
いわゆる ハード的な機械や技術 ソフト的なプログラムや技術 だけを指すのではなく
其の両方を含めて 更に人を如何に見据えて【そして如何に使うか?】という意味合いの【技術】である。

そういう見方をしていかなければ ABCDE兵器を複合的に利用する という観点までもが理解できなくなる。

20世紀までの情報や知識や感性だけでの生き方をしている者達にしてみれば
まさに空を舞う話であろう。皆目に理解できないだろう。完全に理解の範疇を超えるであろう。

だけど 其処までをも思考しなければならない。
それkそが 21世紀のネット時代に生きる という意味である。

其処まで考えなければ 無知蒙昧 でしかないのだ。
億劫となって思考を停止して 安直な答えへ飛びつき それを「信念」とか言って誤魔化す。
其れが カルトの罠 である。
カルトへ堕ちる とは 本当に簡単な事でしかないのだ。
馬鹿で豚に過ぎない一般民衆とは あまりに簡単にカルトへ堕ちるのみとなる。

空から降り注がれる日差しにまで疑問を問いかけ続ける、
其処までしなければ 何も分かっていない馬鹿となるだけであり、
それは まだ“光合成をする植物の方がマシ”にも劣る存在と化すのみとなる。

俺は人間として生きるぞ。






posted by 誠 at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | (゚∀゚) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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