https://twitter.com/mkt5126/b  https://twitter.com/mkt5126/c  http://twilog.org/mkt5126      TweetsWind                   TweetsWind                   TweetsWind


2013年10月30日

ネットの時代に合わせた「“情報流通の存在に特化した”好色一代」をし続けているだけ

https://twitter.com/kamiura_jp/status/394987449752891392
安倍政権が官邸に置く「国家安全保障局(日本版NSC)」は、
事務方トップのNSC局長に
安倍首相の外交ブレーンの谷内内閣参与(元外務次官)が濃厚。
(朝日新聞 10月29日 朝刊)
いよいよ外務省のクーデターも最終幕に。
昔、軍部で、今は外務省。
日本版NSCは米軍に自衛隊を差し出す構え。

https://twitter.com/kamiura_jp/status/393180922280812544
日本版NSC(国家安全保障会議)事務局の概要が明らかに。
全体を6班に分け、総勢約50人で構成する。
中でも、
アメリカなど同盟国担当の第2班と、
中国や北朝鮮を担当する第3班は
外務省出身者を班長に充てる人事案。
(読売新聞 10月24日 朝刊)
主軸を抑えることで外務省の主導権を確保。

おそらくに こっちが本命だろうね。
だって これ GHQそのものじゃん。


誠天調書 2011年04月09日 既にGHQは、其処に在る。だから 敗戦処理の日々  となる。
http://mkt5126.seesaa.net/article/194794755.html

誠天調書 2011年03月20日: 東日本大震災は軍事クーデターの第一手にすぎない
http://mkt5126.seesaa.net/article/191119706.html


誠天調書 敗戦の日 2011年04月01日
http://mkt5126.seesaa.net/article/193532204.html

誠天調書 民族浄化 2011年04月03日
http://mkt5126.seesaa.net/article/193731235.html

誠天調書 2011年03月30日
http://mkt5126.seesaa.net/article/193096325.html





https://twitter.com/hatoyamayukio/status/394079617109094400
特定秘密保護法案が国会に提出。
時あたかも同じくして、
メルケル独首相の携帯電話を初めとする同盟国中枢への米国情報機関による 盗聴疑惑。
10/26朝日・天声人語
「思えば、特定秘密保護法案も米との同盟を重視するものだ。
 (略)
 米国からもらった情報を守るために自国民を罪に問う法である。





ホテルの食材産地偽装をこれほど問題にするなら、放射能汚染の疑いのある食品の産地偽装もそれ以上の問題になるべきでは… 
http://www.asyura2.com/13/genpatu34/msg/441.html
其の辺りの情報流通は イオンかセブンの広告費で出来ているのかもね。
勿論に 電通や自衛隊やCIAとのコンボだろうけど。


2013.10.29 みのもんた攻撃の不自然さの背後に原子力人脈の臭いを感じる人は菅元首相だけではないだろう | 《櫻井ジャーナル》
http://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201310290001/
人民統制の情報流通の攻撃なのだから 其の攻撃の戦術と作戦の性癖を読み解けば
 陽動に陽動を重ねた向こうに本命が有るのだろうが 陽動そのものでも勝てれば尚に良し
というのは 今までに何度も繰り返してきた手 だしね。


2013/10/28 安倍政権は一体どこの国の政府なのか (日刊ゲンダイ) 
http://www.asyura2.com/13/senkyo155/msg/573.html

2013/10/28 米国CIA等は日本を傍受し、工作してきた  孫崎 享
http://www.asyura2.com/13/senkyo155/msg/556.html


http://www.asyura2.com/13/senkyo155/msg/582.html
2013年10月29日「恣意的に審査員を選べるシステム」(EJ第3661号) (Electronic Journal) 
http://electronic-journal.seesaa.net/article/378742012.html

http://www.asyura2.com/13/senkyo155/msg/620.html
2013年10月30日 「なぜこのようなソフトを作ったか」(EJ第3662号) (Electronic Journal)
http://electronic-journal.seesaa.net/article/378826256.html

http://www.asyura2.com/13/genpatu34/msg/448.html
2000円で原発を日本から無くします。全国地裁での訴訟提起にご協力ください! 〜 原発なくても電気はたりる/藤島利久
http://kochi53.blog.ocn.ne.jp/blog/2013/10/post_e91b.html

福島原発という「地獄」:日給6000円、汚染水の流出は「ずっと前から」/ルモンド紙(10月10日) 
http://www.asyura2.com/13/genpatu34/msg/419.html

http://www.asyura2.com/13/genpatu34/msg/445.html
2013/10/29 東電・廣瀬社長「要員を福島に回す」の度し難いホラ (日刊ゲンダイ)


富士山麓のキノコから、基準超のセシウム相次いで検出、 富士山のミネラルウォーターも大丈夫(?)(FGW)
http://www.asyura2.com/13/genpatu34/msg/398.html



統一狂会の『ボランティアサークル』が武蔵野市の登録団体になっていることが判明: velvetmorning blog
http://velvetmorning.asablo.jp/blog/2013/10/27/7025032

不正選挙裁判日程表 追加情報: velvetmorning blog
http://velvetmorning.asablo.jp/blog/2013/10/27/7024942

12.16不正選挙衆院選で選挙管理委員会委員長を務めた、伊藤忠治元衆議院議員が食道癌で亡くなっていた!!: velvetmorning blog
http://velvetmorning.asablo.jp/blog/2013/10/24/7022326

特定秘密保護法案 10.26福島沖M7.1地震震源の深さ10キロ メモ: velvetmorning blog
http://velvetmorning.asablo.jp/blog/2013/10/26/7024154

TPPも対象の可能性 秘密保護法案で森雅子担当相が発言: velvetmorning blog
http://velvetmorning.asablo.jp/blog/2013/10/30/7027530

不正選挙関連まとめ その2 2013.7.21参院選後にわかってきたこと: velvetmorning blog
http://velvetmorning.asablo.jp/blog/2013/07/31/6929671

2013.10.28東京高裁不正選挙裁判106号犬丸法廷の音声: velvetmorning blog
http://velvetmorning.asablo.jp/blog/2013/10/29/7026706


http://www.asyura2.com/13/senkyo155/msg/619.html
第23回参院選選挙 陳述書(憲法前文、31条立法趣旨違反、投票所繰上げ等憲法違反)


http://www.asyura2.com/13/senkyo155/msg/617.html
2013/10/29 日本とドイツはアメリカの敵  田中良紹 
http://blog.goo.ne.jp/ichimurasan2006/e/9d16a4b4fd0476ce7a1933577f1180e9

http://www.asyura2.com/13/senkyo155/msg/613.html
2013年10月29日 独仏首脳は盗聴に激怒、安倍首相だけが嘘つき米国と心中する (日刊ゲンダイ) 
http://gendai.net/articles/view/news/145550

http://www.asyura2.com/13/senkyo155/msg/558.html
2013年10月28日 日本のTPP参加は論理的にありえない選択 (植草一秀の『知られざる真実』) 
http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2013/10/post-562b.html


http://www.kyoshin.bosai.go.jp/kyoshin/quake/


弁財天: 4号機は製造炉(production reactor) update4
http://benzaiten.dyndns.org/roller/ugya/entry/unit4_the_production_reactor

そっかー、
すべての原発が止まってる今がPu239製造のチャンスってことか。
何を今更w
とはいえ其の線の先を書いて頂けるのは本当に助かります。



http://benzaiten.dyndns.org/img/pu239_lwr_production.jpg
10分の1の出力で数ヶ月ウラン燃料を燃やすとPu239が最大になるのか。
やるなー。|д゚)チラッ
only several months in order to recover the maximum amount of plutonium-239.

どうして4号機の使用済み燃料の危険性だけ騒ぐのか不思議だったんだよな。
あるはずのない燃料が炉心にあったことも。
槌田氏の節税対策で発電とか見え見えの苦しい言い訳。
4号機建屋が中性子線でスウェリング破壊されボロボロになった理由。

あーあ、やっぱ作ってたのか。

燃焼率3,000MWD/tという値はこのページから。
http://www.cnfc.or.jp/e/proposal/reports/
重水(D2O)は軽水(H2O)より中性子吸収が少ないので未濃縮ウランを燃やすことができる。
ふむ、重水は必須でもなさそうだ。

福島第1原子力発電所における温度測定結果について
http://www.mod.go.jp/j/approach/defense/saigai/tohokuoki/kanren/230323.pdf
防衛省 技術研究本部 H23.3.23


http://benzaiten.dyndns.org/img/unit4_temp.jpg


http://benzaiten.dyndns.org/img/unit4_cover_was_open.jpg

釜ブタが開いていて炉心に燃料があった。
もちろん発電できない状態。
それは10分の1の出力でゆっくりウラン燃料を燃やしてPu239を作っていたから。

4号機でPu239が最大になった使用済み燃料を六ヶ所に持って行って抽出か。
六ヶ所再処理工場はPurex法なのでもちろん抽出できる。
http://benzaiten.dyndns.org/roller/ugya/entry/toshiba_abwr
低出力で燃やしたPu239が最大になった使用済み燃料は中性子線やガンマ線は少ないので輸送可能。
結局六ヶ所は発電に使った使用済み核燃料の再処理には使えない、
http://benzaiten.dyndns.org/roller/ugya/entry/weapons_grade_vs_reactor_grade
できるのは爆弾製造だけ。

バカな国だ。

2009年度の原発設備利用率は65.7%だったそうだけど、
残りの34.3%でせっせとPu239作ってたのね。

原発の稼働率が低いってのは爆弾を作ってるってことなのか。

イプシロンと4号機と六ヶ所で核武装は完成してるだろ。
あと何が必要なんだ。点火技術か。

レーザーとか J-PARCとか
http://benzaiten.dyndns.org/roller/ugya/entry/jparc_radiation_leak_accident
ITERと核融研とか。
http://benzaiten.dyndns.org/roller/ugya/entry/iter_the_fixer
ブースティングも。
http://benzaiten.dyndns.org/roller/ugya/entry/tritium_boosting

核実験はできないけどシミュレーションはできる。
http://www.naka.jaea.go.jp/BA/gaiyou_mokuteki/iferc.html#keisanki
しかしムラのITレベルの低さは有名なので どこまで本当なのか。
すべてハッタリかも。

このABCDE兵器の時代のA兵器に そこまでする のかぁ。








https://twitter.com/takec1068/status/395142635574132736
革命機ヴァルヴレイヴを見始める。
なるほど、これは製作者側には、何らかの意図がありそうだ。
続きが楽しみだわ

https://twitter.com/takec1068/status/395142868995547136
ただ、直線的すぎるから、
製作者は「殺されるかも」までの危機感を持ってはいない程度
なのかもしれないね。
そういう読みで おそらくは間違って無いと思います。
ただし 検索した後で出てくる工作員の動き方は明らかに組織的なので おそらくは
・先に不思議なカネの流れが無い もしくは少ない
な状態で
・なので後から 不思議なカネの流れが起きている
と考えれば 工作員とは何か? を読み解く事が出来るかもしれないですよね。
サンライズ作品とはいえ
 製作の中心の二人が比較的に 不思議なカネの流れとの縁が感じられない
というのが有りますからね。



革命機ヴァルヴレイヴ - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%A9%E5%91%BD%E6%A9%9F%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%AB%E3%83%B4%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%83%B4
監督 松尾衡
シリーズ構成 大河内一楼

なるほどね と思った。

松尾衡 といえば アニメのローゼンメイデン である。
そしてヴァルヴレイヴも同じ「プレスコ手法」で行われている との事だ。

通常にアニメは“動画部分を製作して 其処へ声優が声を付ける”としている。
アフレコ アフターレコーディング である。
けれども“先に声を取って 其処へ動画を充てる”という手法も有る。


松尾衡 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E5%B0%BE%E8%A1%A1
会話劇の真髄・・・ 松尾衡「夏雪ランデブー」
http://green.ap.teacup.com/pekepon/830.html

■ プレスコの魔術 ■

一般に洋画の吹き替えや、がアニメーションの声当てでは
動画が先にでき出来上がっていて、
映像の口の動きに合わせて、声優が声を録音して行きます。
これが「アフレコ」(アフター・レコーディング)という手法。

「プレスコ」とはプレスコアリングの略で、
映像より先に音取りをして、
その音やセリフに、後から映像を乗せてゆく演出手法です。


稀にアニメの演出でプレスコの手法が取られる場合があります。
プレスコのメリットは、
 声優さん達が映像のリズムや時間制限から開放され、
 自分の独特のリズムや間で、役を演じる事が出来る

という事です。


一般的なアニメの声優さんの演技が、
アニメ的なオーバー気味の演技になりがちです。
これは、アニメならではの動きやリズムの映像に、
セリフを「合わせて」しまう為に起こる現象かも知れません。

ジブリや細田守は、あえて声優を起用せずに
普通の俳優を起用する事で、
セリフのオーバーアクションを防いでいます。

しかし、これはこれで一本調子になりがちで、
所謂、「セリフの妙味」に欠ける様にも感じられます。


プレスコは声優さん達の持てる能力を最大限に引き出す上で
編み出された手法とも言えます。

しかし
音声収録時に映像が無いので、
声優は最大のイメージ力と、テクニックを駆使する事を要求されます。

今期のアニメ「夏雪ランデブー」を演出する松尾衡は
このプレスコというテクニックを駆使する演出家です。
声優の演技力の真価が問われる という訳だ。
松尾衡の名を一躍有名たらしめたのは、「ローゼンメイデン」シリーズでしょう。

ローゼンメイデンはアフレコで製作されていますが。
原作は絵がきれいなだけの漫画ですが、
「人形達に魂が宿って戦う」という、
ともすると陳腐になりがちなストーリーを、
心をクスグルような極上のスイーツに仕上げて見せたのは、やはり、松尾衡の魔術。

人形達の交わす会話のリズムの妙とでも言いますか・・・。
大の大人が見るような作品ではありませんが・・・。

一般の大人がローゼンメイデンを理解する事は不可能でしょう。
童話か御伽話の類と割り切れば良いかも知れませんね。


「夏雪ランデブー」
アニメ「夏雪ランデブー」を演出する松尾衡は
このプレスコというテクニックを駆使する演出家です。

■ 出だしの1分で今期最高を確信 ■
銭湯に寄った帰り道、花屋で植木鉢を買うのが最近の日課になりつつある。

寅さんだってマドンナにもう少し分かり易くアプローチできる。

「毎度」「毎度」名前すら知らないのに、

確認するだけ、緑が生い茂る様に、

保留の気持が育ってゆく。

育ってしまう。

つり銭を受け取るだけの痛々しい安上がりな満足。

反芻しながら夜を待つ。

「何だよあの絆創膏、カワイ過ぎるんですけど・・・」

「ううか、突っ込んだら広がったのかな・・・話題・・・」

狭苦しい四畳半一面に散らかる鉢植えの中で、
目つきの悪い青年がビール片手に悶々と花やの店主を思う・・

このシーンだけで、ウワーーーァーー、
松尾衡だぁーーーって感動してしまう私は、単なる中年アニメバカ。

根暗なモノローグに日常の会話がさり気なく絡み、
絶妙なリズムを生み出すこの冒頭シーンだけで、
今期最高のアニメである事を確信させます。


■ 花屋の未亡人に恋した若者の試練とは・・ ■
ここからネタバレ注意

目つきの悪い冴えない青年・葉月(はづき)亮介は
花屋の女店長 島尾六花(ろっか)に一目惚れ。

毎日、風呂屋の帰りに鉢植えを一鉢買って、
つり銭を受け取るだけの関係が続いています。

そんな折、「アルバイト募集」の張り紙に応募して
店で働く様になりますが。

店長の六花は8歳年上。
彼女には人には浮いた話一つ無く、
恋愛は卒業と割り切っている様子。

根暗なバイト君が告白できるはずも無く、
彼の悶々指数は日々上昇するばかり。

そんな折、彼女の自宅に手伝いに呼ばれた彼は、
そこで上半身裸の若い男性と遭遇します。

あわてた飛び出した彼を追ってきた六花に
「とぼけ過ぎはウザイですよ。
 って言うか、やり方雑過ぎ」と吐き捨てます。
「もしかして具合悪いとか?」と悪びれる様子無い彼女・・。

開始後6分で、バイト君の恋は儚くも終わりを迎えます。

翌日、花屋の女性店員の送別会で彼女の家に行ったバイト君。
昨日の失恋の痛手で、彼女と同じ部屋にいるのすら苦痛な様子。
思わず、タバコを吸いにベランダに出ると、
そこに居たのです・・・。
昨日の彼氏が・・・。

彼は3年前からここに居るといいます。
自分は彼女のダンナだったと。
ダンナ・・・だった・・・と。
ン? 何で過去形?

そう、彼は六花の死に別れたダンナの幽霊だったのです。
死んでからこの方、六花の周囲を浮遊しているが、
彼が見えたのは、バイト君が始めてだと言います。

一度見えてしまうと、見たくなくても見えてしまう元ダンナ。
昼間も店を漂っていて、ウザイ事この上無い。
「寝取る勇気も無いくせに」とバイト君を挑発します。

そんなバイト君に店長が語る昔話は、
誕生日に結婚式を挙げた思い出話。
結婚記念日を誕生日にすれば、
忘れっぽい彼女も忘れないと言った元ダンナ。

「変な人でさぁ、
 執着が無いと言うか、
 自分が死んだら直ぐに離婚しろとか、
 遺品は全部捨てちまえとか
 言う事が乱暴で、
 次行け次ぎって、そればかりだった。
 人の気も知らないで」

こう語る彼女の横で
「そういう言い方は逆に反則だろう。
 執着が無い?! ウソつけ!!」
と内心毒づくバイト君。
その直後、バイト君の取った行動とは・・・・。

どうやらバイト君のライバルは
死に別れた奥さん(って、死んだのはダンナだけど)に
未練タラタラの死んだ男の幽霊の様です。

この恋の行方ははたしてどうなるのか?
今期の我が家の「女子枠」はどうやら確定の様です。


■ バイト君のモノローグとセリフの二重唱 ■ 
第一話を通じて、とにかく声優さん達のプロの仕事が光ます。
特に、バイト君の単調で投げやりなモノローグに、
彼自身の会話の、微妙な変化が絡みます。

心で思うことを口に出来ない内気な青年の焦燥を、
切ないくらいに見事に切り取ってゆきます。

普通のアフレコでは、絵に声を載せますが、
これは明らかに、声に声を載せています。
いわば、セリフの一人二重唱。

さらには、六花と女店員の会話がいつしか背景となり、
そこにバイト君のモノローグが被ったり、
まさにコーラスに様に、セリフが様々に変化して行きます。

これはもう、「プレスコの魔術」としか表現の仕様がありません。

内気で卑屈な年下のバイト君の恋は実るのか、
それよりも、次週はどんなセリフの魔術が聞けるのか、
ワクワクする作品です。

石黒けいの色彩の美しさに、思わず見とれてしまうアニメでもあります。

■ セリフ回が堪能できる「紅」 ■
大人でも楽しめる松尾衡作品が「紅(KURENAI)」。
原作はラノベですが、松尾が演出したアニメは良質な作品です。

紅は松尾衡の会話劇、ここに極まれりといった内容の作品です。

会話の掛け合いの妙が延々に連続し、
次から次へと笑いを呼ばずにはいられないシュールな展開に
もうハラワタが捻じ切れる事請け合いです。
1話からじっくり見た方は、窒息死するかもしれません。

紅の前半は、シナリオ、演出ともに
最近のアニメでこれ程計算されつくした作品は無いのではないか思われます。

真実が明らかになってゆく後半では
軽快な会話は姿を潜め、作品の魅力であった心温まる感じが後退してしまいます。

尤も、後半のシリアスな展開も含めて魅力的な作品であり
どうしてこのアニメが有名にならないのか
私には疑問でなりません。
今度に見てみたいアニメが出来た。

そして


大河内一楼 - Wikipedia:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%B2%B3%E5%86%85%E4%B8%80%E6%A5%BC
早稲田大学在学中に富士見書房ドラゴンマガジン編集部にてアルバイトを始めたのがきっかけでこの世界に入る(元々はアニメ業界を目指していた訳ではないとのこと)。

3年間の編集アルバイトを経てフリーライターとなり、ゲームの攻略本のライター等を経験後、『少女革命ウテナ』の小説を執筆し小説家としてデビュー。 その後、サンライズから『∀ガンダム』の脚本を執筆してみないかと誘われ、アニメの脚本、シリーズ構成等を手がけるようになった。 代表作は『∀ガンダム』『OVERMANキングゲイナー』『プラネテス』『コードギアス 反逆のルルーシュ』など。

『コードギアス 反逆のルルーシュ』で副シリーズ構成を努めた吉野弘幸は学生時代の友人。

ゲーム
少女革命ウテナ いつか革命される物語(脚本。1998年)

プラネテス(シリーズ構成、全話脚本。2003年)

2003年
東京国際アニメフェア2003脚本賞(個人賞)
第36回星雲賞『プラネテス』(全話脚本)

2005年
東京国際アニメフェア2006優秀作品賞『交響詩篇エウレカセブン』(脚本)
平成17年度文化庁メディア芸術祭審査委員会推薦作品『交響詩篇エウレカセブン』(脚本)

ブレイブ・ストーリー(脚本。2006年)

2006年
第30回日本アカデミー賞優秀アニメーション作品賞『ブレイブストーリー』(脚本)
平成18年度文化庁メディア芸術祭審査委員会推薦作品『ブレイブストーリー』(脚本)

コードギアス 反逆のルルーシュ(ストーリー原案、シリーズ構成、脚本。2006年)
コードギアス 反逆のルルーシュR2(ストーリー原案、シリーズ構成、脚本。2008年)

2007年
第12回アニメーション神戸作品賞『コードギアス 反逆のルルーシュ』(ストーリー原案/シリーズ構成)
東京国際アニメフェア2007優秀作品賞『コードギアス 反逆のルルーシュ』(ストーリー原案/シリーズ構成)
平成19年度文化庁メディア芸術祭審査委員会推薦作品『コードギアス 反逆のルルーシュ』(ストーリー原案/シリーズ構成)

2008年
第13回アニメーション神戸作品賞受賞『コードギアス 反逆のルルーシュR2』(ストーリー原案/シリーズ構成)
平成20年度文化庁メディア芸術祭審査委員会推薦作品『コードギアス 反逆のルルーシュR2』(ストーリー原案/シリーズ構成)
東京国際アニメフェア2008優秀作品賞『コードギアス 反逆のルルーシュR2』(ストーリー原案/シリーズ構成)
東京国際アニメフェア2008脚本賞(個人賞)

ギルティクラウン(副シリーズ構成、脚本。2011年)

映画『ベルセルク 黄金時代篇I 覇王の卵』(脚本。2012年)
映画『ベルセルク 黄金時代篇II ドルドレイ攻略』(脚本。2012年)
映画『ベルセルク 黄金時代篇III 降臨』(脚本。2013年)
革命機ヴァルヴレイヴ(シリーズ構成、脚本。2013年)

なるほどね と思う。
検索を掛けると 妙な工作臭が強い。
それは「ステマなどの広告」ではなく 誠天調書への不思議なアレと似た感じが有る。
程度の差は有れど ならば そういう事なのだろう



http://green.ap.teacup.com/pekepon/1177.html
アニメにとってのセリフの役割・・・松尾衡とプレスコ手法

旧ローゼンメイデン は 松尾衡の演出の凄さとしか言い様が無いのですが、
コメディーからシリアスの振幅が大きく、それを一瞬でやってしまう凄さ。

プレスコというセリフ先取りアニメは、声優さんのタイミングでセリフの収録を先に行い
後から映像をセリフに合わせて付けてゆきます。
結果的に出来上がった作品が、普通のアフレコと違っているかと言えば、
その違いは ほとんど意識されないのですが。

絵の無い所で音取りする声優さん達は相当大変な様ですが、
自分達の「間」でセリフを回せるメリットは少なくない様です。

欧米ではアニメはプレスコが主流ですが、
声優が出来上がった絵に合わせてセリフのタイミングをつけるアフレコの方が、
製作的にはローコストで日本ではアフレコが主流です。

何故こんな話をしているかと言えば、
松尾衡が監督している『革命機ヴァルヴレイヴ』は
登場人物も多いし、流石にアフレコだろうと思っていたら、
どうやらこれもプレスコらしい・・。
12話の引き篭もりが自分の城から飛び出すシーン辺りを見ると、確かに、セリフ回しが素晴しい。

私は声優さんがどうの・・という話には全く無頓着なのですが、
やはり松尾衡の作品を見ると(聴くと)、
アニメにとってのセリフの役割について色々と考えさせられます。
松尾作品の独特の空気感というのは、やはりプレスコによって生まれるのでしょうか?

色々と非難が多い『革命機ヴァルヴレイヴ』ですが、
松尾衡が、何を目指しているのか、
とても気になり、旧作の『RED GARDEN』あたりを見返しています。


NYのハイスクールの女の子4人が、夜な夜なゾンビと戦う話しですが、テーストとしてはアメリカのハイスクールドラマそのままの感じ。とにかく、プレスコによる会話が、まさにドラマの吹き替えより余程リアル。設定はちょっとアレですが、ディテールには紙が宿る作品です。

私も不勉強で、松尾衡がプレスコを採用したのは本作からで、ローゼンメイデンはアフレコで製作されていますね。

松尾衡のプレスコ作品で一番凄いなと思わせるのは『紅』。
第6話「貴方の頭上に光が輝くでしょう」は圧巻では無いかと。

『紅』に比べると『夏雪ランデブー』あたりはセリフがグイグイ押してゆく感じは後退しています。


『ヴァルヴレイヴ』でも いきなりミュージカルが始まってファンを激怒させました
が、『紅』の6話のシーンまでの積み上げがあるだけに、
ミュージカルのシーンこそが味わいが深い・・・・。

ぷぷぷ!!・・・済みません、つい思い出し笑いが・・・・。
(町内会の夏祭りの出し物の練習のシーンですが、悪乗りしてとんだ事に・・・)
しかし、あんなシーンに あのヌルヌル動く作画 って・・・気合を感じます。

この いきなりミュージカル演出は
『RED GARDEDN』の一話の最後に登場します。

松尾衡は反対した様なのですが、その後に何回かやっている所を見ると気に入っているのかも。
視聴者としては、物語の世界に没入している所で いきなり歌いだされると
 強引に作品世界から引き剥がされる
訳で非常に当惑するわけですが
これを演劇作品のブレヒト的客体化と分析している人も居る様です。

まあ、私としては上のシーンで抱腹絶倒できるだけで幸せな訳ですが。

松尾作品に共通して感じられる違和感があるならば、
視聴者が登場人物に完全に感情移入する事が阻害されている事では無いでしょうか。

どこか演劇的な距離感があって、登場人物達は舞台俳優を遠くから見ている雰囲気がある。

『革命機ヴァルヴレイヴ』に感じる違和感も、
学生達は実存的では無く、彼ら自身が学園生活を演じているかの様に見える点
では無いでしょうか。

この手法の最たる例は、『革命少女ウテナ』や『廻るピングドラム』の幾原邦彦の小劇場的な演出手法です。松尾衡の作品は、幾原作品程は物語の外側から語られる事はありません。
ただ、観察者としての松尾衡の醒めた視点が いつも働いているように感じます。

あるプロットの中にキャラクターを配置したら、
キャラクター達はどのように動く、どのように語るのかを観察している視点。

だから、プレスコという手法で、
先ず声優さん達に自由度の高い中で演技をさせ、
その化学反応の結果を、作画のフィードバックする事で、
製作者という本人の手の届かない所で、作品が自律的に完成して行く。
その様を楽しんでいる様です。

『革命機ヴァルヴレイヴ』に感じる違和感は、
普通なら監督が物語りの支配者たる所を、
物語自体の勢いで、作品が自律進化するままに任せている点にあるのでは無いのでしょうか?
確かに 其れでは
 予定調和の「ウツクシイ物語」へ胸を熱くして涙を流す ような不思議なカルト集団へは通じない
という 生き方や価値観や美意識が通底するだろうからねぇ。

 不条理で有ろうとも あえて受け入れては噛みしめて
 それでも尚に“其の先を真っ当に歩む”
という生き方や価値観や美意識を 何故か不思議に理解できないハイパーキチガイカルトな者達って
如何なる集団を構成するような人達なのかは あえて今更に俺から言うまでも無いのだけどさ。

宮崎駿なども、詳細なシナリオが完成する前に製作に入り、物語の自律性にある部分を委ねていますが、
それをTVシリーズというスケジュールの中で行なえる手段がプレスコなのかも知れません。

プレスコかアフレコかと言う問題は別として、
世間的には『ローゼンメイデン』の諸作が、松尾衡の最高傑作なのかなと思っています。

大人が見て、どうこうという作品ではありませんが、回を追う毎に人形達が生き生きとしてきます。
それは、まさに魂の無い存在が、人間に近づくかの様な錯覚を覚えます。
作品に血を通わせる力というものを強く感じてなりません。

それに比べて新シリーズは・・・・・・・。
これが作家性というものなのでしょう。



ヴァルヴレイヴ最高! 松尾衡(とヤマカン)のブレヒト的演出について
http://tamacko-blog.blogspot.com/2013/05/blog-post.html
賛否両論渦巻いてる『革命機ヴァルヴレイヴ』を全力で応援したい。

松尾衡や山本寛の演出が素晴らしく
今の映像作品の消費スタイルにマッチした表現を採っているという話。

ブレヒトの叙事的演劇は、物語に引き込んで共感させるのではなく、
物語の外から見せようとするもので、
これは映画やテレビ時代の新しいメディアでの演出法を予見するものだった。


舞台と観客が切り離されているメディアでは 観客に見方を強制できない。
集中して見てくれなかったり、見て欲しいところを見てくれない。

そもそも期待した人が見てくれるかどうかわからない。
そういうテレビや映画やアニメでは、
共感モデルの演出では多くの人に制作者の意図が正しく伝わらない。
わはwwwwwwwwww
 絆を連呼したり タベテオウエンをウツクシイとか
 そういう連中が如何なる情報工作をして人民統制を狙っているのか
との対比になる訳だ。


叙事的演劇は、
 システマティックに物語とメッセージを伝え、
 俳優や効果の「技術」(アニメなら作画や声優の演技)を提示することによって、
 観客に価値判断を投げかけるもの、
となる。
だよねぇ。
感じ方 や 心の動き方 まで管理統制をしたい人達の情報工作と演出からすれば 真逆 となる訳だ。


そこまでを最初にしているのならば
観客が役者と一緒になって ぼろぼろ涙を流す ような見方が期待できない。
そんな中で、技術を評価させる。

どんなにシリアスな展開のアニメでも
声優の棒読み とか
作画のアラ探し とか
おっぱいがどう とか
しか語られない今のアニメなんて
まさに そんな状況が生じているわけで、
だからこそ 新しい物語の見せ方を という意図が求められている。

そんな中で有るが故に、叙事的演劇を体現してるのが松尾衡である。
『ヴァルヴレイヴ』の急に歌う演出は、『紅』のミュージカルを思い出す、
これは視聴者を 【物語から引き剥がす】 ために使われる。
そこまで「読む」ことすら出来ない カルトの下僕へ墜ちた「ウツクシイに胸を熱くして涙を流す」ような連中は
何かの聖典を片手に 不思議な雄叫びを上げるのだろう。


『夏雪ランデブー』は島尾が浮遊してることで
画面の構図で物理的に三角関係を表現する。

『ヴヴヴ』5話のショーコがスーパーの棚をぐちゃぐちゃにしながら走るシーンは、
「そうそうこれ自分もやりたい!」なんて思わないけど、
彼等が大人から解放された開放感、はしゃいだ感じが存分に伝わってくる。
挿入されるロボット戦闘シーンは
絵がいい加減だったら彼等の世界のバックグラウンドが拡がりを失ってしまう。
プロットの統一性でつないでいくのではなく、周辺のコンテクストを巻き込むことで展開していく。

「作画や声はいいのに、脚本がクソ」という評価をよく見るけど、
技術がなくて見る人が共感できないんじゃなくて、
 予定調和のウツクシイ物語などで共感させずに
 作画や演技を見せることによって物語を伝える脚本と演出
になってる。
何の為のアニメなのか という事だよね。
神は細部に宿る を理解できない人達ほどに不思議と「日本人と日本」を叫び出すのだけれども。


だからこそ作画や演技のクオリティーが重要になってくる。
最大の特徴であるプレスコ制作は、
役者の演技をコマ数などで制約しないことで自由な演出、演技を可能にしている
(おそらくアニメーターの血反吐を見返りとしてw)。

『ヴヴヴ』見てたらヤマカンを思い出したので
『私の優しくない先輩』を衝動的に見たんだけど、
山本寛も同じ見方が出来る。

ヴァリエーション豊かな歌とダンス演出
(『ハレ晴レユカイ』『motto☆派手にね!』『MajiでKoiする 5 秒前』)は
自ら批評のまな板の上に飛び乗るかのよう。
『先輩』の金田が海荷を後ろから抱きしめるシーンとか、
そのあとの体育館で海荷が超絶技巧を披露するシーンとか
ブレヒト演劇そのもの。

『かんなぎ』のムダにヌルヌル動かす作画だったり、
『フラクタル』の「勘違い冒険少年バイバーイwww」だったり、
物語から表現を浮かす例を挙げればきりがない。

『先輩』の高田延彦のキャスティング
(彼の芝居は他のもの見ても明らかに「大根」だ)とかも意識してそう。


そういう見方をすると、けっこう いろんな作品が こういう作りを意識してる気がするけど
(最近だとシンフォギアとかビビパンとかいい感じだった)、
少数派なのは否めないので、目立つのは たしかにそうかも。

がっつりハートをわしづかみにしてきて大号泣できる作品もいいけど、
そういうの狙ってきても それこそ共感できないもの が ほとんど。

いい絵(作画スレの「たまんね」っていう感じ)
 や
いい芝居(「ブヒれる」とか「シコれる」とか)
に浸りながら、物語をじっくり噛み砕いていく作品もいいと思いませんか。

その両方をするのが宮崎駿の「風立ちぬ」では有るけれども、アレこそが特殊だw
あそこまでカネと時間を注ぎこめるはずもないのが大概のテレビアニメなのだ。

そして 大概の馬鹿で豚に過ぎない一般民衆は 其処までに物事の道理を理解する事は不可能で、
尚且つに その馬鹿で豚に過ぎない一般民衆を人民統制して
ウツクシイなカネモウケに利用する情報工作を生業とする連中が公然と跳梁跋扈をし続けている。

大量虐殺と民族浄化な「屠殺」は そうして起きている事を
家畜や奴隷でしか無い“社会の圧倒的大多数を構成する者達”が理解できる事は 永遠に無い。

だから俺は
それでも尚に 俺なりに と思って 此処に居る。
多神教で文明人の旗を掲げては情報流通の下士官を育成しよう とか口にする。



アニメーション学科 大河内一楼氏インタビューアミューズメントメディア総合学院 - 東京校
http://www.amgakuin.co.jp/contents/?p=1244
大河内一楼(おおこうち・いちろう)
1968年3月28日生まれ。宮城県仙台市出身。早稲田大学卒業。在学中より編集アルバイト、フリーライターを経て、『少女革命ウテナ』『機動戦艦ナデシコ』などの小説を執筆。現在はアニメーションのシリーズ構成・脚本をメインに活躍。『∀ガンダム』『機動天使エンジェリックレイヤー』『あずまんが大王』『ラーゼフォン』『オーバーマン キングゲイナー』『宇宙のステルヴィア』『プラネテス』『魔法先生ネギま!』『交響詩篇エウレカセブン』『ブレイブストーリー』『コードギアス 反逆のルルーシュ』『しごふみ』など。

僕は、ある時、一念発起して、小説家になりたいですと周りに言って回ったら、ホントになれてしまったので。やってみる価値はあると思います。

簡単なことですけど、意外と勇気のいることなんですよ。

あと、新しいことを恐れないってことでしょうか。
僕の場合、最初からアニメ業界を目指していたわけではなく、面白そうな新しいことに食いついていったら、いつのまにかココにいたという(笑)。たとえば、ファミレスで新メニュー頼んでマズかったら、失敗したーではなく、経験値がたまった! って思うと、楽しいんですよ。

若いうちから自分のフィールドを固めてしまうのは、もったいないと思いますし。自分のテリトリーを固めて生活していくのは楽なんだけど、固まるのは歳を取ってからでも出来ることですから。「迷ったら進め」って僕は言うんですけど、迷うような新しいことと出会った時には、進んでみると、早くレベルが上がるかもしれません。

大河内氏の話を聞いてみた。

「もともとアニメ業界を目指してはいなかったので、参考になるのかどうかわかりませんが・・・・・・」
という前置きをする大河内氏。
でも、アニメは嫌いじゃないんでしょ? と向けるとーー。

「好きですよ。小学校の時、『機動戦士ガンダム』を本放送で観てました。
 アニメ雑誌も中学・高校と買っていましたよ。
 よく買っていたのは『OUT』。
 さくまあきらさん(『桃太郎電鉄』シリーズで有名)や
 堀井雄二さん(『ドラゴンクエスト』といえば、このひと)のコーナーとか好きでしたね」
中学・高校では、アニメだけでなく、ボードゲームに夢中になっていたという。
「ずいぶんやっていましたね。シミュレーションゲーム。
 ボードゲームで、第二次世界大戦など題材にした戦記モノから始まって、
 その後、アニメのゲームで『ガンダム』や『ダンバイン』なんかもやりました。
 だから、中学・高校時代は、仲間内とゲーム部(笑)。
 部活とかをやっていたわけではないんですけどね。今だに全部持っていますよ」
そっちかよwwwwwwwwww
https://twitter.com/ichirou_o のアイコン画像

https://pbs.twimg.com/profile_images/1417591094/PzKw_II.2-A-2-5-10.GIF
画像一つでマジに抱腹絶倒してしまったwwwwwwww
俺は何故か パンテル と口にしてしまう事が多いです、はい。


「パンツァーブリッツ パンツァーリーダー ユニット」の検索
http://search.yahoo.co.jp/search?&ei=UTF-8&p=%E3%83%91%E3%83%B3%E3%83%84%E3%82%A1%E3%83%BC%E3%83%96%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%84%20%E3%83%91%E3%83%B3%E3%83%84%E3%82%A1%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%80%E3%83%BC%20%E3%83%A6%E3%83%8B%E3%83%83%E3%83%88
 ↓
今も進化するパンツァー・ブリッツ
http://blog.livedoor.jp/a1kmt/archives/50240140.html
 ↓
https://www.msu.edu/user/storto/pbcounts.htm
https://www.msu.edu/user/storto/pbsample.JPG
駄目だwwww むしろ感動すらしてしまうwwww

パンツァーブリッツは第二次世界大戦の東部戦線を舞台にした、戦車・砲・歩兵の戦闘についての戦術級ボード・ウォー・ゲームである。
http://d.hatena.ne.jp/maddercloud/20070906


話を戻そう

そして早稲田大学人間科学部入学。

「とにかく、たくさんのサークルに入ったり、すぐ行かなくなったりしてました(笑)。手品とかマーケティング研究とか。そして、芸能山城組に入ったんです」

芸能山城組! といえば『AKIRA』! らっせ、らっせ、らっせーや!

「(笑)いや、収録のメンバーではなかったんですが、民族楽器を習いにバリ島に1か月行っていたりしました。面白かったですよ。僕が入った頃に、『AKIRA』の音楽を芸能山城組がやることになったんですね。周りはみんな知らないんですよ『AKIRA』を。だから僕も知らないフリをして(笑)」
知らないフリって・・・・・・。
「やっぱり大学に入ったばかりで、女の子にモテたいじゃないですか(笑)。それまで男子校だったんで。女の子も、たくさんいて、『AKIRA』を知っているなんて言えなかったですね。ああ、そんな漫画があるんだって(笑)」
なんで言わないのか(笑)。


そんな大学生活を終え、就職活動。
「ところが、4年で卒業出来なかったんですよ。大学5年生になりまして、卒業のための単位も少なくてヒマなので、出版社のアルバイトに行ったんです。あくまでアルバイトなので、ちゃんと就職活動しようと思っていたんですけど、やってみたら楽しくて、そのままズルズルと(笑)」

3年間の編集をやり、その後、フリーライターに。ゲームの攻略本などのライターや、アニメのキャラクターブックから『エヴァンゲリオン』のLDライナーノートなどアニメのライター業をこなす。 『少女革命ウテナ』の幾原さんの監督日記という連載をやっていた折、その『少女革命ウテナ』の小説を書かないかと言われたのがきっかけで小説家デビュー。以後、『機動戦艦ナデシコ』『機動戦士ガンダム08MS小隊』と執筆。

「そんな時、丁度サンライズで富野監督が『∀ガンダム』を作っていたんですね。脚本家を探していて、『機動戦士ガンダム08MS小隊』で知り合ったサンライズの人から、書いてみない? って誘われたんです。それが脚本家デビューでした。それまで脚本なんて見たこともなかったし、富野監督は厳しいって聞いていたので、一回でクビになるだろうな。でも、富野さんに会ってみたいな――と記念受験みたいな気持ちでシナリオ打ち合わせにいきました。もちろん、富野監督もいらして。ああ、怒ると本当に机を叩くんだ、とか(笑)。
シナリオ?ひどいデキでした(苦笑)。放映されたモノは監督に手を入れていただいたので、見られるものになっていますが。で、当然クビになると思っていたのですが、もう一度チャンスを頂けて。とても嬉しかったんですが、どうしたらいいかよく分からなくて、星山博之さんの書いた『∀ガンダム』のシナリオをバカみたいに何度も読みました。視聴者の時から星山さんの書く話は好きだったので、このシナリオなら間違いないだろう、と。100回は読んだと思います」

『∀ガンダム』で、4本の脚本を担当。その後は『機動天使エンジェリックレイヤー』『あずまんが大王』『ラーゼフォン』と続いていく。

「最初に書いた時には、見よう見真似だったので、もう仕事が来ないかと思っていたんです。でもありがたいことに続けて依頼してもらって」

現在の大河内氏は、シリーズ構成と脚本がメイン。脚本は割と多くの人が分かると思うのだが、シリーズ構成というのを簡単に説明して欲しいのだけど。

「アニメのシリーズ構成は、1話ずつの脚本とは違い、シリーズ全体の大きな流れを整える役割ですね。ここで親子の別れがあるならば、その前に一度会っておきましょうとか、ここで裏切りがあるならば、その前に恋人同士にしましょうとか。そういう、シリーズ全体の構成をやるんですね。だから、シリーズ構成って名前なんだと思います。あとは別の脚本家さんが書いてくれたシナリオを見て、キャラクターのセリフのチェックや、人物の気持ちの繋がりなどを微調整します。たとえば、恋愛モノなら、この話数では、まだそこまで相手のことを好きじゃないので、このセリフは抑えめに――とか。オリジナルの場合、世界観を作り上げるということもあると思います」

それでは続いて、脚本家について大河内氏の説明をーー。

「脚本家は・・・・・・そうですね、監督が設定した目標に向かって、どういうルートを作るかという仕事だと思います。歩いて行く、バスで行く、飛行機で行くといったような、いろんなルートがあると思うんですよ。監督には、より明確なやりたいことがあった方が、僕は書きやすいですね」

最後に、新しい仕事、例えば現在のアニメの脚本などからかけ離れたような仕事の依頼が来た場合、どうするのか聞いてみた。

「内容にもよりますけど、時間があればやってみたいと思います。僕は、現在の脚本の仕事をやるまで、いろんな仕事をしてきて・・・・・・というか、職を転々としてきたとも言いますが、振り返ってみても、結構面白かったな、なんて思いますから」

編集、ライター、ゲームに小説、脚本と幅広くやってきた大河内氏。

しかし、実はどれも企画なり構成なり執筆なりの仕事を継続していることと、何より真摯に取り組む姿勢なのではないかと思う。


https://twitter.com/namarakowakatta/status/386565673641467904
「夢を叶えるコツはなんですか」
と聞かれたこともある。
真面目に生きろと言いたかった。
煮物のコツでも教えてやろうかと思った。


宮地昌幸監督と脚本・大河内一楼さんが明かした「伏」の秘密とは?
2012年11月6日 http://animeanime.jp/article/2012/11/06/11983.html
『伏 鉄砲娘の捕物帳』は、桜庭一樹さんによる小説『伏 贋作・里見八犬伝』がアニメ化されたものだ。
原作の厚みがあるだけに、映画もまた語る切り口の多い作品に仕上がった。
宮地監督は脚本に大河内さんを起用した理由については、
「少女マンガに詳しい人、自分とは違う何かを持った人」
と説明する。

大河内さんは、当初の依頼については、
「中身は知らなかったが、
 監督には『キングゲイナー』、『エウレカセブン』で好印象を持っていたので、
 基本やりますと考えていた」
という。

それでも監督は、3部構成の本作に苦労した様子だった。
当時は まだ連載中で、“難しい作品”、“分量、要素が多い”と考え、
最終的に浜路と伏に絞った現在の物語になったことを説明する。

そして、「少女を主人公にして大人にしたかった」と語る。
大河内さんも、「子どもから女になる映画」だという。
「浜路は変わって行く女の子、どんどん色がついていく」と話す。

それの象徴として、
最初は“オレ”と話していた浜路が“ワタシ”と言って着物を着て行くことを紹介した。


http://www.saiani.net/article/299494687.html
MC:まずは、大河内さん、完成したものをご覧になっていかがでしたか?

大河内:初めて出来上がったものを観た時の印象は、エネルギッシュなものになったなと思いました。僕の中で脚本はすごく少女漫画っぽいというかメロウな印象があったのですが、完成した作品は、ふくよかで、ビビッドで、華やかなになったと思います。監督のキャラクターに似た感じに出来上がっていると思いました。

宮地:何かこの距離感でこういう話を聞くのは恥ずかしいですね(笑) ありがとうございます!

MC:大河内さんが原作の文庫本で書かれている解説に、宮地監督が吉祥寺のハモニカ横町に大河内さんを呼んでこの企画やりませんか?と誘ったのが今回のきっかけだった、とありましたが。

宮地:はい。そうです。前回の作品では気のあった仲間が集まり、仕事をしていましたが、今回はあえてまったく違ったタイプの人達とやってみたらいいかと思い挑戦してみました。少女漫画の女の子を主人公にする事に精通している人がいいと思っていて、大河内さんが元々持っている雅さや少女漫画的な感覚を出してもらえたらと思いお願いしました。



http://ys99.cocolog-nifty.com/blog/2012/10/post-148d.html
松尾衡監督「夏雪ランデブー」
アニメといえば、女の子がどうでもいい話をして終わるヤツとか、バーチャルな世界でバトルするとか、特殊能力で悪と戦うとか、そんなんばっかりかよと思っていたところで夏雪ランデブー。

お目目が大きい画についていけないかも、と思ったのは最初だけ。お花屋さんの日常的なシーンに一安心。やっとリアルに近い日常が描かれる大人なアニメに出会えた…と思ったのも最初だけ。

死んだはずのオトコが幽霊(?)として浮遊していて話しかけてくる、フレームインしてくるという。この作品もファンタジーですか。そうですか。

花屋の店長(声優 大原さやか様)が愛されまくるというヒトコトであります。ずっと大原さやか嬢の声を楽しめます。いい役ゲットしましたね。最高です。秘蔵したい作品ですね。この作品は大原さやか嬢で出来ています。たぶんセリフ量的にも、マジでそうだと思う。

そんなお花屋さんの店長をめぐって、若いオトコと元ダンナ(幽霊)が取り合いするという内面を描きまくるドラマ作品です。後半になってバーチャル世界というか思念世界というか、そういうワールドが登場します。いわゆる、頭の中に小人さんが出てきて葛藤するという感じのことをやる世界が出てきます。こりゃアニメじゃないとキツイっすね。

元ダンナと若いオトコ(主人公)の競り合いがベースではありますが、お花屋さんの店長はダンナと死別しているわけであって関係が冷えて別れたわけではないので、2人の間で気持ちが揺れまくる。もっとも葛藤を抱える存在になっていくのであります。そんな3人の内面を、1クール使ってキッチリ見せる作品になっていて、こういう作品は新鮮ですね。

2時間で1本のアニメ作品にしようと考えてしまいそうな作品を、連続アニメとしてやるチャレンジングな姿勢と構成力がスバラシイ。原作も連載マンガだから、ある意味忠実にアニメ化できてるんじゃないでしょうか。原作読んでないんで判断つきませんけれども。

こんなにも狭い世界でも、内面を深く描くと、いくらでも世界は広がるんだなあ。そう思わせてくれるアニメでした。派手さが無いので好きな作品です。こっそりオススメ。


2007-08-16 今 敏 松尾衡監督との対談
http://konstone.s-kon.net/modules/info/index.php?page=print&storyid=7
松尾さんは
『ジョジョの奇妙な冒険』『パーフェクトブルー』『千年女優』において「演出」をお願いしていた人です。
対談したのは6月のこと。
マッドハウスでシャンパンとワインを飲みながら2時間以上対談したのではないかと思われます。
私も対談に備えてシャンパンを一本用意しておいたのですが、
先方さんもワインなどを持参するという、実にお気楽な対談でした。

松尾氏は『パプリカ』を見てから対談に臨むということになっていたようです。
対して私は松尾監督の『RED GARDEN』全22話をあらかじめ見ておくように、と。
何か、不公平じゃないか(笑)
ちゃんと見ましたけどね、『RED GARDEN』。
おかげで対談は非常に楽しい時間となりました。

さて、アニメーションの演出家が二人も揃えば、愚痴と暴言が噴出するのはいたしかたないこと。
対談掲載を知らせるメールには
「先日、原稿チェックしていただきました今敏監督と松尾衡監督の対談」
とあったのですが、確認した覚えがないので、今後がやや心配(笑)
テキストをまとめた編集者、あるいはライターの「常識」に期待します(笑)
何を喋ったんだろw


人の世とは 様々な人達が居て 様々な考え方が有って 様々な生き方が有る。
其々の生き方が有り 各々の美意識が有る。
其れは 其れで 良いんじゃない。
「ならばよし」
と俺は思う。

だけれども 自分達のウツクシイ御聖典 以外の生き方や価値観や美意識を認めない。
そういうハイパーキチガイカルトな集団が すぐ其処に居る。
連中は 如何なる大量虐殺と民族浄化をしてでも 己が美しく美味しいだけを希求し続ける。

さっき  パンツァーブリッツやパンツァーリーダーを検索していると
やたらと ガールズパンツァーばかりが出てきた、
まぁ そういう事なのは分かりきっている事なんだが。


http://www.green.dti.ne.jp/microkosmos/diary/diary1304.html
2013年4月11日(木) くたばれ『ガルパン』


誰も言わないみたいだから、せめて私だけはこっそり言っておく。
この作品は、醜悪だ。

かわいい女の子が、ゴツい兵器を操ってカッコいいアクションをしているところが観たい!という欲望は、私にだってある。
だが観客の欲望は、全面的に肯定されるべきではない。

私が本作を許しがたいと思う点、一線を越えてしまったと思う点の一つは、実在する戦車を使っていることである。女の子たちが操るのがフィクション上の兵器、妄想の産物ならまだいい。だが『ガルパン』におけるそれは、本物の人殺しの道具だ。かつて多くの人々がその中で泥と垢と血に塗れて生き、多くの人々を殺し、骨も残さず死んでいった。
血で綴られてきた人類の歴史を多少なりと知る者として、私は本作が許せない。

アメリカ映画には、明るく楽しい戦争アクション映画があるではないか―という反論が予想される。これが許せない点の第二だが、『ガルパン』がやっているのは戦争ではない。戦争ごっこだ。本作は、人殺しの道具をおもちゃにしているフィクションが当然受けてしかるべき批判を、「戦車道」などというたわけた設定を持ち込むことで最初から回避してしまった。私はこれが、卑怯なことこの上ないやり口に思える。兵器を手にするなら人を殺せ。それが、暴力装置の最低限の覚悟だ。

剣道も弓道も元は人殺しの手段だと言うか?さよう、おそらく武道も、最初は「人殺しの手段を遊びにしてしまって」という批判を受けたことだろう。それでも、武道の創始者たちは倦まず弛まず努力を続け、ついにスポーツとして成立させた。戦車道もぜひ実現に向けて努力して頂きたい。

観客の欲望を無制限に垂れ流す『ガルパン』に一番近いもの。それは、スナッフ・フィルムである。
恥を知れ。

一神教で野蛮人なハイパーキチガイカルトな連中に
多神教で文明人としての恥を知る事など出来るはずもない。

どう考えても
 一神教で野蛮人な連中が即時入院措置が必要な水準の精神異常者の集団
だとしか思えないんだけど、
極東の一諸島では 全く真逆に
 多神教で文明人の生き方や価値観や美意識を真っ当に進めて行こうとする者達が犯罪者となる
という方向性だけが 社会としても国家としても政治としても行政としても司法としても 成立している。

だから 支配者層と被支配者層 は民族が違う、とまで俺は書き続ける。
「日本人と日本」なんてのは俺達からすれば異民族でしか無い。
其れを完全に証明して見せたのが311以降である。

そういう意味合いを俺は此処で言葉にし続ける。



https://twitter.com/ryo_cain/status/395131105491156992
世の中不条理だらけだけど、それだけでもない

https://twitter.com/ryo_cain/status/395131971937923072
ドラゴンズを生暖かい目で見ていく

https://twitter.com/takec1068/status/395156433265647616
落合GM,谷繁監督、達川バッテリーコーチ、 これが来季の広島対策じゃなくてなんだっていうんだ。
久本は「落合が広島は強くなる」といっていたから戦力外後広島に来た。
落合が何を考えてるかを考えれば明らかじゃねーか。
来季への期待を削ぐようなことしやがって・・・畜生

其の落合が 2013日本シリーズの巨人対楽天の3戦目の試合から 日刊スポーツで こんな感じ書いている。
 2006年の中日は投打ともに非常に充実した戦力だった。
 8年間で最も強かったと思う。
 しかし日本シリーズでは誰一人として調子の良い状態の者が居なかった、
 こんな筈は無いと思いながら しかし立て直せずに シリーズを負けて終えてしまった。

 長い野球の1年の間には調子の良い時と悪い時が必ずに有る。
 長いシーズンでならば立て直せても 短期決戦では立て直しきれない場合も多い。
 アレだけ強かった巨人も そういう好不調の波が有るのは当然で
 其の 好不調の波 の影響をマトモに受けるのが短期決戦なのだ。

 このままでは仙台へも進めないかもしれない。

物事には様々な見方が有り 全ては多面的な見方の道筋が有るものの
其の先で見えて行く物事や事象の中身にならば 同じ地点が有るのは当然のことでもある。

俺は落合を天才だと思う、
天才であるが故に地へ這う生き方しか出来ない人間との差異の上を行くのだが。
俺は原を凡才だと思っている、
けれども其の己が凡才であるが故の 先を見出して進んでいる 事をこそ此処で高く評価し続けてきた。

どちらかがだけが正しい訳ではない 正しいか否かの話ですら無い。
ただただ生き方が違う 其れだけの話だ。

そういう違いを互いに否定するのは簡単だ。
だけど「違う」を「違う」のままに なお 其の先を見出して歩いて行く
其の不条理と共に生きて行く事が 俺達の生き方であり価値観で有り美意識で有る。
其れが多神教で文明人だ。



誠天調書 2009年02月02日 090202‐ニコニコ動画  謎の技術 観る者を魅せる魔法の正体
http://mkt5126.seesaa.net/article/113554230.html

誠天調書 2010年01月25日 デジタルの中の「能」世界  「春香 愛されない恋人」
http://mkt5126.seesaa.net/article/139227669.html

誠天調書 2011年09月29日 その虚無の世界の地獄に魅入られて なお目を背けては それでも現実を冷徹に見て行きたい。
http://mkt5126.seesaa.net/article/227982756.html

誠天調書 2012年02月10日 宇垣が山本五十六の前でやったSLG だが、実際は 山本五十六がGMをしたTRPG でしかない。
http://mkt5126.seesaa.net/article/251450600.html

あえて こんな話を置いてみよう。
曽根崎心中 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9B%BD%E6%A0%B9%E5%B4%8E%E5%BF%83%E4%B8%AD
『曽根崎心中』は、元禄16年4月7日(1703年5月22日)早朝に
大坂堂島新地天満屋の女郎「はつ(本名妙、21歳)」

内本町醤油商平野屋の手代である「徳兵衛(25歳)」
が西成郡曾根崎村の露天神の森で情死した事件を題材にしている。

人々の話題に上った事件であったことが窺われる。
人形浄瑠璃『曽根崎心中』の初演は同年5月7日(6月20日)の道頓堀にある竹本座での公演であったが、
そのときの口上によるとそれより早く歌舞伎の演目として公演されている
宝永元年(1704年)に刊行された『心中大鑑』巻三「大坂の部」にも「曾根崎の曙」として同じ事件のことが小説の形で記されている。
この演目を皮切りとして、「心中もの」ブームが起こった。
近松の代表作の1つである『心中天網島』も享保5年(1720年)に発表されている。
まぁ 間違いなくスキャンダルなワイドショーが飛び付くネタだもんなぁ。
当時も今も そういう感性は全くに変わらない。

こうした心中ものの流行の結果、来世で二人の愛が結ばれることを誓った心中事件が多発したため、
江戸幕府は享保8年(1723年)より上演や脚本の執筆や発行を禁止すると共に、
心中者の一方が生存した場合は極刑を申し渡し、
双方生存の場合は晒し者にしたのち市民権を奪い、
心中死した遺体は親族に下げ渡さず一切の葬儀を禁ずるなど、
心中事件に対して苛烈な処置を行った
わはwww
今も昔も 其の程度の情報に負ける という人間が
社会の圧倒的大多数を構成する 馬鹿で豚に過ぎない一般民衆 でしかないからねぇ。

ネット時代か 江戸時代か の差異は有れど 人間を如何に見つめるか? だからね。
だからこそ その美意識や価値観や生き方をこそ 俺は見て行く。

西国三十三所巡礼を終えたお初は(この観音めぐりのシーンは現在は割愛される場合が多い)、醤油屋の手代・徳兵衛と最後の観音巡礼の地「生玉の社」で偶然の再会をする。二人は巡礼以前から恋し合う仲であった。巡礼中に便りのなかったことを責めるお初に、会えない間に自分は大変な目にあったのだと徳兵衛は語る。

徳兵衛は、実の叔父の家で丁稚奉公をしてきたが、誠実に働くことから信頼を得て娘(徳兵衛には従妹)と結婚させて店を持たせようとの話が出てきた。徳兵衛はお初がいるからと断ったが、徳兵衛が知らないうちに叔父が勝手に話を進め、徳兵衛の継母相手に結納金を入れるところまで済ませてしまう。なおも結婚を固辞する徳兵衛にとうとう叔父は怒りだし、勘当を言い渡した。その中身は商売などさせない、大阪から出て行け、付け払いで買った服の代金を7日以内に返せというものであった。徳兵衛はやっとのことで継母から結納金を取り返すが、それを叔父に返済する段になって、どうしても金が要るという友人・九平次から3日限りの約束でその金を貸してしまった。

と、徳兵衛が語り終えたところに九平次が登場。同時に、お初は喧嘩に巻き込まれるのを恐れた客によって表に連れ出される。

徳兵衛は、九平次に返済を迫る。が、九平次は証文まであるものを「借金などは知らぬ」と逆に徳兵衛を公衆の面前で詐欺師呼ばわりしたうえ散々に殴りつけ、面目を失わせる。兄弟と呼べるほどに信じていた男の手酷い裏切りであったが、結納金の横領がないことを、死んで身の潔白を証明する以外の手段を徳兵衛は最早思いつかなかった。そこで、徳兵衛は覚悟を決め、日も暮れてのち密かにお初のもとを訪れる。

お初は、他の人に見つかっては大変と徳兵衛を縁の下に隠す。そこへ九平次が客としてお初のもとを訪れるが、お初に素気無くされ徳兵衛の悪口をいいつつ帰る。徳兵衛は縁の下で九平次がお初にしたり顔で語る騙し取った金の話に怒りに身を震わせつつ、縁の下から出てきた時にお初に死ぬ覚悟を伝える。やがて真夜中。お初と徳兵衛は手を取り合い、曽根崎の露天神の森、冥途への旅の始まりとなるところへ、あたりに気取られないよう道を行く(道行文)。互いを連理の松の木に縛り覚悟を確かめ合うが、最期に及んで徳兵衛は愛するお初の命をわが手で奪うことに躊躇する。それをお初は「はやく、はやく」と励まして、遂に短刀でお初の命を奪い、終に返す刃で自らも命を絶った。

かくして現世で悲恋に満ちた最期をとげた二人の死を、「未来成仏うたがひなき恋の手本となりにけり」と来世でのかたい契りとして結末と成る。

人形浄瑠璃の演目はそれまでヤマトタケル伝説や義経物語など伝説や伝承を描くものであったが、
近松は ここに同時代の心中事件という俗世の物語を持ち込み
これまでの歴史物にたいして世話物といわれる新しいジャンルを創り上げたといわれている。

俗世の事件を脚色するというやり方は当時にも既に先例があった。
が、この作品を「最初の世話物」と位置づける本は『今昔操年代記』(1727年)、『外題年鑑』(1757年)などいくつかある、それだけこの作品が広く浄瑠璃界で有名になったことが伝わっている。
なお初演年(1703年の竹本座)では、時代浄瑠璃の「日本王代記」の上演後、当日2部目の演目とされている。

短い物語ではあるが、俗世間の事件を浄瑠璃で描くという試みや
作品としての面白さが受け『曽根崎心中』は当時の人々に絶賛された。

お初天神と久成寺

曽根崎心中の題材となった事件の現場は
大阪市北区曽根崎2丁目の露天神社(つゆのてんじんじゃ) である。

事件の概要は元禄16年(1703年)4月7日に
「天神の森(現在の社の裏手)」で、
内本町平野屋の手代「徳兵衛」が
堂島新地天満屋の遊女「お初」を その同意のもとに殺害し、
同人もその場で自殺した相対死事件である。

なお「お初」は天満屋での呼び名であり、
墓所(慰霊碑)に記された久成寺(大阪市中央区中寺)での戒名は妙力信女であることから
「お妙」などが推測される。

「お初」の墓石は天満屋が事件後に久成寺に建てたが、
明治の廃仏毀釈などのため所在が不明となった。


その後2002年(平成14年)「お初」の300回忌を機縁に、
当寺の住職と檀家らの手により再建されている。


http://homepage2.nifty.com/hay/sonezaki.html
この心中事件は、すぐさま歌舞伎の世話狂言に仕立てられて、京都で舞台にかけられました。
心中や殺人事件を、現代のニュースのように歌舞伎が取り上げるのは、当時の一つの流行でした。

人形浄瑠璃には、このような慣習がありません。
しかし、歌舞伎が心中を上演し、多くの客足を集めるものですから、
経営不振で悩んでいた大阪の人形浄瑠璃の竹本座が
「この心中事件を人形芝居にしても、当たるのではー」
と考えついたのは当然でしょう。

近松にとって心中物は経験のないことでしたが、才能があったのですね、
わずか20日〜25日で台本を書き上げ、
心中からちょうど1ヶ月後の5月7日、竹本座で初めての心中物「曽根崎心中」を上演しました。

お初・徳兵衛の
純粋で、ひたむきな心情や抜き差しならぬ葛藤が評判を呼び、
興行が始まると、たちまち物すごい人気を呼んで大当たり。

「今昔操年代記」という本は
 「そねざき心中と外題を出しければ、町中よろこび、
  入るほどにけるほどに、木戸も芝居もえいとうとう、こしらへに物は入らず〜」
という状況を描いて、興行の大当たりを伝えています。

経営不振に陥り借財に困っていた竹本座は、これで一挙に借財を返して立ち直ったほどでした。
この「曽根崎心中」を、世間は「世話浄瑠璃の始まり」といいました。
「世話」とは、世間の話ーつまり庶民の生活を扱ったものです。

それまでの浄瑠璃は、お家騒動とか曽我兄弟物とか武士を主題にした時代浄瑠璃ばかりで、
世間の庶民的な出来事は扱っていなかったのです。
このあと、庶民を主人公にした心中物・不義物・処刑物などを「世話浄瑠璃」と呼ぶようになります。

「曽根崎心中」が大当たりした理由は、いくつかあります。
その一つが、明快単純なストーリーでしょう。

若いお初と徳兵衛の思い込んだら死ぬまでよという純粋な恋心を、
近松は脇道せずに ただひたすら書き込んだ のが、観客の心に新鮮な感じを与え、強く訴えたのでしょう。

それまでの浄瑠璃は、あれもこれもと趣向をこらし、横道も多かったのです。
それに、近松の文章力が加わります。
近松の巧みな文句が浄瑠璃太夫の語りに乗って、鮮やかなイメージを浮かび上がらせ、
語りが生む現実世界がありありと眼前に広がったのです。

その優れた名文の最たるものが、「お初・徳兵衛」道行の文章です。
「この世の名残、夜も名残、死にに行く身をたとふれば、
 あだしが原の道の霜、一足づつに消えて行く、夢の夢こそあはれなれ。
 あれ数ふれば暁の、七つの時が六つ鳴りて、
 残る一つが今生の、鐘の響きの聞き納め、寂滅為楽と響くなりー」
2人が手に手をとって死出の旅に向かう冒頭の部分。
七五調の名調子が続きます。

ぞっとするような、すごい劇的表現です。
情緒的な感覚がみなぎっています。
あ これ凄いわw

ただね これ 
堂島新地天満屋の遊女「お初」21歳 内本町平野屋の手代「徳兵衛」25歳
の心中事件で 事件そのもの は当初に
其処まで世間的に大きな話とはなっていない。
あくまで ネタとして は美味しいでしかない。

そらそうだ。 人間社会の事象の一面 でしかないからね。


http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1434269154
心中自体はその当時珍しくもなかったとか。

http://www.hachikenya.org/kiji/text/10038_100407.shtml
宝永元年(一七〇四)に「心中大鑑」という浮世草紙が刊行されています。
著者は書方軒。京や大坂などでの二十一にも及ぶ心中事件が取り上げられています
(内、大坂の心中が八件)。
もちろん、お初・徳兵衛の心中も紹介されています。
ゴシップ誌そのものだなw

「お初は堂島新地天満屋の売れっ子女郎だった。
 相手の徳兵衛は、内本町の大坂一の醤油屋、平野屋忠右衛門の店の手代(主人の甥)で、堂島新地の担当。
 丁稚に醤油桶をかつがせて、一軒一軒ご用を聞いて量り売りをしていた。
 醤油屋には惜しいような いい男 だったという。

 最初に出会ったその夜からお初は徳兵衛に夢中になる。
 それからあとは徳兵衛がもう毎日のようにお初の元に通い始める。
 夜は金も掛かるので朝から夕方までの間に通い続けた。
 お初は二十一才、徳兵衛は二十五才。

 その頃、平野屋の江戸店で、古参の手代が売掛金百八十五両を持ち逃げする事件が起こった。
 そこで平野屋の忠右衛門は、十八才になる養子娘を徳兵衛へ縁組させて江戸店を任せようとした。
 本来なら願ってもない話だ。
 が、徳兵衛にはお初がいる。いてもたってもいられず徳兵衛は天満屋に向かった。

 一方、天満屋では大坂で一年余りも遊興三昧していた豊後(大分)の客が
 二、三日後に郷里に帰るという。
 その際、なじみになっていたお初を身請けして連れて帰るという話が亭主との間でまとまっていた。
 お初はその夜のうちに腰の物で死んでしまおうと覚悟を決めた。
 階下へ下りてゆくとそこで徳兵衛とばったり。
 二人が別れ別れに切り裂かれることは目に見えている。
 二人は闇に紛れて曾根崎の天神の森へ向かいそこで心中した」

これが実際にあった心中事件のあらましです
(浮世草紙ですからそれなりに潤色を加えてあるでしょうが、
 ほぼもとの事件を忠実に記していると思われます)。
何処のドラマだよw
市中はこの心中話の噂で持ち切り。瓦版が飛ぶように売れましたw
橋のたもとや町の角々で瓦版(読売)が売られ、人々は奪い合うように買い求めます。
今も昔も変わらないねぇw

面白いのは 此の曽根崎心中の大ヒットの前に死んだ
 1682年に『好色一代男』を出版して大好評となった井原西鶴

井原西鶴は その著「諸艶大鑑」で
「男と女が心中するのは義理でも、情でもない。
 要は金に行き詰って、生きているのがつらくなり、進退が窮まって心中するのだ。
 それの証拠に情死をするのは端女郎ばかりだ。
 男も女も名のある者は、恋が遂げられぬからといって心中などしない」
と にべもありません。
うはwwwwwwww 面白すぎるwwwwww
井原西鶴像(大阪市天王寺区生玉町・生国魂神社内)

井原西鶴は寛永19年(1642)に生まれ元禄6年(1693)大坂錫屋町(現谷町3丁目)で没した。
「好色一代男」「好色五人女」「本朝二十不孝」「武家義理物語」「世間胸算用」
など多くの名作を残し延宝8年に一昼夜4千句の独吟矢数俳諧の新記録を
この地 生国魂神社南坊で樹立した(碑文より)。
近松門左衛門の「生玉心中」は同社の境内が舞台である。「曽根崎心中」にも同社が登場する。
まぁ当時に売れっ子の小説家件脚本家だけど 書いてるのはアレだからねぇw
ちなみに曽根崎心中の徳兵衛は叔父に返却すべき持参金銀二貫目(約三十三両)を悪友に騙し取られました。
これは確かに高額ですが、
心中天網島の紙屋治兵衛は わずか十三両で万事休して心中しています(一両は約十二万円)。


井原西鶴 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%95%E5%8E%9F%E8%A5%BF%E9%B6%B4
談林派を代表する俳諧師であり、浮世草子作者としても人気を博したが、
『好色一代男』をはじめとする浮世草子作品ばかり注目され、その俳諧が顧みられることは少ない。

1682年(天和2年)10月、浮世草子の第一作『好色一代男』を出板。
板下は西吟、挿絵は西鶴。好評だったのか板を重ね、
また翌々年には挿絵を菱川師宣に変えた江戸板も出板、
1686年(貞享3年)には師宣の絵本仕立にした『大和絵のこんげん』と『好色世話絵づくし』も刊行された。
さらに『一代男』の一場面が描かれた役者絵が残っていることから、
歌舞伎に仕組まれたこともあるようである。

以後、後に『一代男』とともに好色物と括られる『諸艶大鑑』(1684年(貞享元年))、
『好色五人女』(1686年(貞享3年))、
『好色一代女』(同年)が立て続けに書かれるが、
それから方向転換して、いわゆる雑話物や武家物と呼ばれるジャンルの物に手を染めるようになる。

当時には殆ど慣行が無い 稿料を貰っていた とされる可能性が有り
通俗作家に限っても原稿料がある程度一般化するのは100年後なので
西鶴は かなりの人気作家であったということになる。
同人誌 に近いんだよねw
だから

同時代では、有名人であり、人気のある作者であったが、江戸末期には西鶴は忘れられていた。
何故ならば というのは 以下の話の方が分かりやすい。

井原西鶴 - Yahoo!百科事典
http://100.yahoo.co.jp/detail/%E4%BA%95%E5%8E%9F%E8%A5%BF%E9%B6%B4/

江戸前期の俳諧(はいかい)師、浮世草子作者。
大坂の富裕な商家に生まれ、本名は平山藤五(ひらやまとうご)と伝える。
道楽の一つだった訳だ。まさに同人誌そのものw
当時の俳諧なんかは 今の動画制作みたいなものだろw

俳諧での速吟と風俗詩を武器とする西鶴の激しい自己主張は、
新しい俳諧愛好者集団の統率者としての立場を生む。

1680年6月20日付けの下里勘州(しもざとかんしゅう)あての書簡に
「今度西山宗因先師より、日本第一前代之俳諧の性と世上に申わたし、
 さてさてめいぼく此度(このたび)也」
と書き、自らの立場を宣伝している。

この集団は、歌舞伎(かぶき)、浄瑠璃(じょうるり)の演劇の世界、
また遊里社会とも密接な関係をもち、しだいに巨大な勢力に成長する。
これが浮世草子作家西鶴の誕生を促すのである。

1682年(天和2)10月、大坂・思案橋荒砥屋(しあんばしあらとや)孫兵衛可心という
まったく無名の人物を版元として世に出た『好色一代男』8冊は、
その斬新(ざんしん)な構想と表現とによって、
文学史上浮世草子時代の開幕を告げる記念碑的作品となった。

ときに西鶴41歳。
この作品は、上方(かみがた)版3種、菱川師宣(ひしかわもろのぶ)の挿絵入りの江戸版3種の刊行、
また師宣の絵本としても流布し、上下都鄙(とひ)にわたって多くの読者を獲得した。

『一代男』の盛況は西鶴に自信と勇気を与え、
第二作『諸艶大鑑(しょえんおおかがみ)(好色二代男)』8冊を、
1684年(貞享1)大坂の商業書肆(しょし)池田屋から刊行し、
自ら出版ジャーナリズムの渦中に入り、職業的な商業作家としての道を歩むことになる。

1686年(貞享3)に入ると、
2月には大坂・森田庄太郎より『好色五人女』、6月には池田屋から『好色一代女』を刊行し、
西鶴浮世草子は本格的な展開の時期を迎える。

前者では、巷間で著名な悲恋物語を演劇的な緊張した場面のなかでみごとに形象化することに成功し、
後者では、仮名草子以来の「懺悔物(さんげもの)」の構想を利用して
1人の女性の流転の生涯を描き上げ、人生の深淵をのぞかせる人生観照の深さを示している。

これ以後、多彩な作品群が続々と出現する。『本朝二十不孝』(1686.11)、『男色大鑑(なんしょくおおかがみ)』(1687.1)、『懐硯(ふところすずり)』(1687.3)、『武道伝来記』(1687.4)、『日本永代蔵(にっぽんえいたいぐら)』(1688.1)、『武家義理物語』(1688.2)、『嵐無常物語(あらしはむじょうのものがたり)』(1688.3)、『色里三所世帯(いろざとみところしょたい)』(1688.6)、『新可笑記』(1688.11)、『好色盛衰記』(1688年中)、『一目玉鉾(ひとめたまぼこ)』(1689.1)、『本朝桜陰比事(おういんひじ)』(1689.1)の諸作である。

こうした題材の拡散による多作現象は、西鶴が流行作家として商業出版界の焦点となり、
書肆の求めに応じて趣向を凝らして執筆した結果である。

作家西鶴の周囲には、全国各地の情報提供者の存在、
さらには創作活動に立ち入った助力者の介在も推定できる。
おそらくに この辺りの作品には共著も少なくない と言われる所以である

西鶴工房において、編集者西鶴の新しい才能が発揮されているのである。
多彩な作品群において、
転変きわまりない人間の運命と、善悪二途に揺れ動く世の人心に向けられた小説的主題は
いっそうの深化を示してくる。
個人で作ってた動画だか同人誌が良く売れて 壁サークルとなったので 
色んな人達と創るようになった と書けば、別に今と殆ど変わらないと思うw。


1688年(元禄1)正月、町人物の第一作『日本永代蔵』6巻が、大坂・森田庄太郎、京都・金屋長兵衛、江戸・西村梅風軒と三都書林連名で出版される。元禄(げんろく)町人が直面した経済社会の光と影、そこに生きる町人大衆の転変たる運命を描いたこの作品は、ベストセラーとして全国的に広範な読者層を獲得することになる。

続いて『甚忍記(じんにんき)』全8冊を刊行する予定であったが、これは未定稿として残され、遺稿集『西鶴織留(おりどめ)』(1694)にその大部分が吸収されたものと推定される。門人北条団水(だんすい)によって整理された遺稿集『西鶴俗つれづれ』(1695)、『万(よろず)の文反古(ふみほうぐ)』(1696)、『西鶴名残(なごり)の友』(1699)の諸編もまたこの前後に執筆されたものと思われる。

このころ、眼病その他健康上の障害に悩んだようだが、92年正月、生前刊行された最後の町人物『世間胸算用(せけんむねさんよう)』5巻が、大坂・伊丹屋太郎右衛門(いたみやたろうえもん)、京都・上村(うえむら)平左衛門、江戸・万屋(よろずや)清兵衛から刊行される。

大晦日(おおみそか)の24時間に焦点をあわせて、
町人生活の悲喜こもごもの姿を描いた20編を収めているが、
そこには立身出世を説く教訓や談理の傾向は影を潜め、
赤裸々な町人生活の現実が巧みな話芸的方法にのって語り出されている。

近代のリアリズム小説を思わせる作品を含み、
絶望的な現実生活を「哀れにも又おかし」(巻5「平太郎殿(へいたろうどの)」)
と見つめる強靭(きょうじん)な作家精神を指摘することができる。

そこに作家西鶴が到達した人間観照の深さがあり、他の追随を許さない独自の世界が出現している。


1693年(元禄6)8月10日、辞世の句
「人間五十年の究(きはま)り、それさへ我にはあまりたるにましてや 浮世の月見過しにけり末二年」
を残して、
大阪市中央区谷町3丁目にほど近い錫屋(すずや)町の草庵(そうあん)で、52歳の生涯を終える。

絶筆となった草稿を北条団水が編集し、
『西鶴置土産(おきみやげ)』と題してこの年の冬追善出版される。

遊女遊びの果てに零落した男たちを描いた15章は、
『好色一代男』で出発した西鶴の最期を飾るにふさわしいものとなった。

「人には棒振虫同前に思はれ」(巻2)の主人公のように、
どん底に落ち込んだ人間たちが、ぎりぎりのところで示すせつないまでの心情の美を描いた作品がみられ、
人間的な感動を表現している。

転変きわまりない人世の諸相に限りない愛着を示し続けた西鶴は、
人生の真実をはっきりと見据えたのであり、ここに後世の批評に堪えうる真価がある。
「仙皓(せんこう)西鶴」の4字を刻んだ墓は、
大阪市中央区上本町4丁目の菩提寺(ぼだいじ)誓願寺に、
遺弟北条団水と下山鶴平の両名によって建立されている。

西鶴と近代文学

西鶴の文学は近代の作家たちにもさまざまな影響を与え続ける。尾崎紅葉の『伽羅枕(きゃらまくら)』(1870)や幸田露伴(ろはん)の『井原西鶴』(1870)など、西鶴の文体や趣向の妙を評価し、その影響が著しい。樋口一葉(ひぐちいちよう)も『大つごもり』(1894)、『たけくらべ』(1895)に西鶴調を生かした。自然主義文学時代には、西欧写実主義理論に導かれた西鶴理解が展開する。田山花袋(かたい)の『インキ壺(つぼ)』(1909)、正宗白鳥(まさむねはくちょう)の『古典について』(1927)などがあるが、なかでも真山青果(まやませいか)の西鶴傾倒は著しく、ついに『西鶴語彙(ごい)考証』(1948)のような本格的な研究を生む。また、武田麟太郎(りんたろう)の『井原西鶴』(1937)、織田作之助(おださくのすけ)の『西鶴新論』(1942)、太宰治(だざいおさむ)の『新釈諸国咄(ばなし)』(1945)などがあり、最近では、吉行淳之介(よしゆきじゅんのすけ)の意欲的な現代語訳が話題となっている。
江戸後期には 誰も知らない な作品群となってしまったのだが、
「文学(笑)」として明治以降に再評価をされた。

俺からしたら 同人誌に大袈裟で大仰な評価も価値も不要 だけどね。
そんな権威づけをするから 訳が分からなくなる。
 俺達は楽しいからしているんだ 其れが良いんじゃねと感じるからしているんだ
 放っておいてくれ
という感性が どうしても分からない者達 は如何なる連中なんだろうね。



『好色一代男』井原西鶴|松岡正剛の千夜千冊
http://1000ya.isis.ne.jp/0618.html

処女作である。その第1作が『好色一代男』なのである。
しかし、それは世間が知っている仮名草子ではなかった。

それまでの仮名草子とは全く違った形式と趣向と そして当時の流行に決して遅れない感性を持っていた。
俳諧文脈があって、そこに和歌文脈が交じり、
更に漢詩・謡曲のフレーズや「かかり」が組み込んである。

それだけなら雅俗の「雅」だけであるが、
 そこへもってきてニュース記事風、書簡っぽさ、談話ふう、インタビュー収録調
などの「俗」が たっぷり入っている。
この文体感覚の発明が抜群だった。

加えて見立てを駆使した物語の面白さ。
これこそが、やがて「浮世草子」と呼ばれることになったニューウェイブ・ノベルの第1弾だったのだ。

西鶴自身あるいは友人の西吟は、『好色一代男』を「転合書」と呼んでいた。
転合とは「ふざける」「おかしい」「変な」「ざれごと」といった意味であるが、
文字通り「転じて合わせる」ということでもあって、
西鶴はこの世之介の物語を一大長編に仕上げる構想のもと、
源氏五四帖に見立てて、世之介の生涯の記述を7歳から60歳までの五四年の年立てにしてみせたのだ。

そもそも表題そのものが、実は挑戦的なのである。
まず「好色」だが、この言葉は西鶴が広めるまでは一般的ではなかった。

「色好み」という言葉は誰もが知っていたが、
好色は鈴木春信がいくらか画題にもってきたくらいで、だからきわめて斬新だった。

「いろこのみ」ではなく「コーショク」。

この漢語的な語感をもって王朝文化ゆかりのイメージを呼び捨てたところが、
西鶴が矢数な俳諧で 技術と感性を磨きに磨いて掴んだ とっておきの言葉の編集術なのである。
つまり「シャ乱Q」なのだ。

その好色な男が「一代」限り。
子供を生む気もなく、家を継がせる気もない。
これは幕府が根っから禁じていたことで、儒教にも背いていたし、イデオロギー的な本質にも逆らっていた。
しかし西鶴は まさに「そういうことがしたかった」のである。

その後に あらすじが書いて有るけど おいおい凄ぇなwwww である。

コレは
 権力で否定する
 権威で評価する
の両方が無意味だな。
そーじゃねーだろ。

 
『好色一代男』を読みはじめると、まだ10歳になったばかりの世之介が念者を口説く場面が出てくる。念者というのは衆道の兄貴分のこと、つまりホモセクシャルな相手のことである。この衆道がまた幕府が徹底して取り締まりたかった風俗だった。それを西鶴は最初からぬけぬけと公認させる。

 世之介は両刀づかいなのである。だから、たしかに男女の別なく挑んでいく。口説きもし、口説かれもし、捨てもし、捨てられもする。技を磨くが、性根も磨く。
 しかし西鶴は単に当時の性風俗をあからさまに描いたというのではなかった。そんなつまらない作品ではない。いったいいつ、どこで、誰を、どのように相手にしたり、懸想したのかということの、その順番、その認知の仕方、その人情、その技法、その興奮、その失望、それらのいちいちの組み立てのつど、それを描写するための言葉を作ったのだ。その組み立て自体が「性」がもたらす西鶴の反社会構想だったのである。これは「性」の奥にひそむ「縁」の発見だったとさえいえる。
 どうも女性の読者からは敬遠されがちな本書を広めるためにも、 ごくごく簡単な粗筋を書いておく。ちょっと浮世草子めいて。

 夏の夜の寝覚め。世之介は「けしたところが恋はじめ」の7歳のとき、手水の濡縁で腰元に戯れかかって柔らかさをおぼえ、身近な者にはつねに思いをかけるようになる。
 10歳、「袖の時雨はかかるがさいわい」か、さきほども書いたように美男に惹かれ、11歳では「たずねて聞きたい」伏見撞木町の遊女を身請けする。ここで軟禁でもするのなら婦女子誘拐のただの「ひきこもり」だが、世之介はこれをもって畿内彷徨を決意、兵庫風呂屋やら八坂茶屋やら京川原町から奈良木辻町あたりを懸想を求めて歩きまわり、18歳では完全な放蕩者となっていた。19歳、「茜さす日のうつり」を見ているうちに、これはもう出家をするしかないと覚悟する。
 けれどもこんな覚悟が続くわけもなく、最上の山伏に先達されれば「あはれとおもへ山桜」、やがてむくむく山伏にも出合女にも身を染めたい。結局、吉野大嶺に詣でたあとは「恋のすてがね」、大坂で“謡いうたい”となって京都に入り、瀬戸内を下って九州中津にまで旅をする。そこで若い女方(おやま)に「浮世小路はすは女」、ついつい追われてまた大坂へ。乳母の妹の出合宿に寄るうちに、大原の「一夜の枕ものぐるひ」、またまた旅逸がおとずれて、佐渡から酒田へ、酒田から鹿島。ここでよせばよいのに「口舌の事ふれ」、27歳にして神職になってしまっていた。

 神職だからとって神子に女がいないはずはなく、水戸へ出て「末の松山、身は沖の石」、ああ向かうは陸奥一人旅、仙台へおもむくかたわら、塩釜の舞姫にぞっこんで手籠にしようとおもうも、ここでは旦那に片小鬢を剃られてベッカム・ヘア。
 たまらず「形見の水ぐし」、信州追分に入ったものの盗賊と怪しまれて入牢となる。けれども牢払いののちは抜け目なく牢中で思いを交わした女と駆け落ちが「夢の太刀風」、けれども女は捕まり殺される。そこで最上のほとりに昔の念者を尋ね、「替ったものは男傾城」、江戸に入っては町奴の唐犬権兵衛に身を寄せた。たちまち富豪の夢山なる者に気にいられ、京へ誘われ島原に初めて遊んだのが32歳。ところが、あてがわれた太鼓女郎にさえ振られ、これはなんとしてでも太夫遊びを成就するぞと、ついに藤山寛美を志したのである。
 しばらくは熊野の高徳を慕ったり、紀州加陀で漁師の女房を船に乗せ沖に出て難破をしたり、仕方なく泉州堺の知るべに転がりこんだりの日々ではあったが、そこへ父の死が告げられ34歳にして遺産2万5000貫が転がりこんで、「金銀ちりばめ、自由を仕掛け」の一夜の大大大尽とて、出来坊(できのぼう)となる。

 これで話は後半、世之介はあらんかぎりの「遊女尽し」に挑んでいく。吉野太夫を筆頭の、それはそれはあたかも三都くまなき名技列伝なのだ。
 禿の伊勢参り、末社の厄神参り、堺は袋町、筑前は柳町、安芸は宮島など、地方地域の遊女がことごとく登場し、最後の最後で長崎は丸山に遊んで、ここで打ち止め、遺産7000両を東山に埋めたかとおもったら、仲間7人と船を仕立て、ついには女護が島に出掛け、その島の女にまるごと溺れようという最期の魂胆なのである。
 この女護が島へ渡る船の名が「よしいろ丸」、つまり「好色丸」。強精品、バイアグラ、木形子、ナマコや錫や水牛の張形、キョーレオピン、源氏に伊勢に枕絵200枚。そのほか責め道具一式を積んでの法外きわまりない出港だったが、西鶴はちゃんと王朝「いろこのみ」→漢風「コーショク」→俳諧「よしいろ」とまとめてみせた。これなら世之介とて、「されば浮世の遊君、白拍子、戯女、見のこせし事もなし」。
 こうして「日和見すまし天和二年、神無月の末」、伊豆の国より船出をすることになった。けれども世之介、そのまま「行方しれずに成にけり」。
 この最期の女護が島の船出については、松田修さんがはやくから「補陀落渡海」の見立てであることを喝破した。

もう無茶苦茶だwwww

だが
 源氏を仕立て直したわりには、長編小説としての体裁が不備である
という、まことにくだらない批評が何故か罷り通ってきた。

どうやら西鶴を現代人が読まないような風潮として造ってしまったのは、
国文学者や文学者たちなのである。

かつて淡島寒月が 露伴や紅葉や一葉や子規へに西鶴を勧めた という あの真骨頂 が、
あまりに継承されていないのだ。



西鶴は、この一作において何をしてみせたのか。

国文学が今日に伝えるべきは、
西鶴にして初めて編成できた日本語の情報編集術であり、情報編集構造なのである。

新たな文体の誕生であり、メディアとしての文学の創成についてのことなのだ。

『好色一代男』以前には、浮世草子は誰もが思い付けなかったという、そのことなのである。

つまらない文学論を読む前に、
中嶋隆の『西鶴と元禄メディア』(NHKブックス)などを覗いてみることを薦めたい。

『好色一代男』は西鶴自身が挿絵を描いた。
岩波文庫の本書にも そのいくつもが挿入されている。
まさに西鶴はマルチメディアを先取りした世之介でもあったのである。


タオイストではなかったかという説が、最近になって福永光司さんから提出されている。「好色」「一代」ともに道教に縁深いというところから、若いときの筆名の「松寿軒鶴水」や墓に刻まれた「仙皓西鶴」の考証まで、なかなかおもしろい。しかも福永さんは極め付けの決定打も放っていた。
そもそも「浮世」という言葉にして、荘子や阮籍の発想にあるもので、実は元禄の大阪はタオイズムで覆われていたのではなかったか、そういう仮説であった。
たしかに西鶴の言語編集術、なかなか接して漏らさない−。
俺から言えば カタカナ文字を使っている 段階でアレでしかないのだが。
そして 老荘思想が入り込む という評価の方向性からして
そもそもに其の権威付けをしたがる者達もまたアレでしかない。

其の程度の知識の先にしか物事や事象を見る事が出来ない者達をこそ
西鶴も荘子も冷笑し嘲笑している事にすら おそらくに気づいていないのだろうが。


http://1000ya.isis.ne.jp/0425.html
分かった気になっている者達は きっと幸せになれるのだろう。

誠天調書 2013年08月07日 「風立ちぬ」は「on your mark」と対を成す事で初めて「生きねば」という言葉の中身が今へ届く。 そして王欣太「達人伝」と荘子「内編」
http://mkt5126.seesaa.net/article/372122939.html

人間の個人の知性の限界を容易に超えるネット時代の向こう側は
そういう 分かった気になっている“幸せな”者達 を徹底的に冷笑し嘲笑する。

小沢事件や311以降 とは そういう意味合いの時代の転換点を象徴する事象なのかもしれない。

そういう意味合いが 感性としても理性としても両方に分かり得る者達は
古今東西を問わずに世の中では少数派でしか無い。

結局に 人間社会を構成する圧倒的大多数は馬鹿で豚に過ぎない一般民衆でしかないのだが
其れは其れとしても その中の一匹に過ぎない俺は尚に 此処で己が言葉を綴る。
だから 他の人達が他の人達なりに生きて行く 事を否定しない。



誠天調書 2010年05月06日 コピペを貼る行為とは 女の側のSEXに似ている。
http://mkt5126.seesaa.net/article/148873446.html

誠天調書 2011年09月28日: 合理と非合理の狭間で
http://mkt5126.seesaa.net/article/227865886.html

誠天調書 2013年02月10日 死ぬ時に大量の経験情報を消し去って 遺伝子と模倣子だけを残す、のも破局に対する防御機能だ。
http://mkt5126.seesaa.net/article/319802913.html

誠天調書 2013年05月13日 ネット時代の先 つまりスマホの時代の更に先に有るモノを。 より“多神教で文明人”的な文化の構造を如何に上手に構築するか。
http://mkt5126.seesaa.net/article/360966943.html
それなりに優秀な上部構造 と それなりに優秀な下部構造 が自然に形成される、
それが多神教で文明人の社会共同体の普通の姿そのものだ。
この状況など 俺達には日常的な事でしかない。

一次著作権物を二次著作権物が圧倒をして 先へ行く。
そこは圧倒的に膨大な下部構造が有る 分厚く優秀な中間層が形成される。
上下関係は曖昧で だけど多神教で文明人としての寛容さと鷹揚さで高い秩序維持が形成される。
此れが「人的資源しかない極東の一諸島における“地球上で抜きんでる経済力”」の根幹である。


けれども
「一神教で野蛮人」や「多神教で野蛮人」や「一神教で文明人」は “自然に形成する”事が絶対に出来ない。

だから
 ニホンジンのコッカのニホンな自衛隊や官憲 や モサドやCIA は
 そういう類の情報工作や人民統制が出来ない  
なんだけどね。
まぁ これからは 頑張って“偶然に出来る”は有るかもね。
だけど まぁ あのキチガイ連中を子飼にして叫ばせる を止められないようではオハナシニナラナイなんだけどね。


ネット時代の以降の文化とは
・より多神教で文明人的な文化の構造を如何に上手に構築するか
が成否のカギを握るであろう。
俺達は自然に出来る、日常的に普通に構築しちゃう だけなんだけどね。
マヌケに勤勉になってでも しちゃうよね。

「一神教で野蛮人」や「多神教で野蛮人」や「一神教で文明人」は
下部構造を食い物にしよう とか 下部構造を家畜にして飼い慣らそう とか そういう事を先に考える。
まず 自分達の利益が常に先 となる。
そういう事を先に考えるから 下部構造を育てる事が出来ない。
下衆な連中の魂胆と性根と性癖の その詐欺と詐術と詭弁は すぐにバレる。

多神教で文明人は そもそも自分達の利益よりも
 皆で幸せになれたら其れが良いに決まってるじゃん
な程度を 本気で自然に普通に考える。

この差異なんかは 俺達にしてみれば言うまでも無い話なのにね。
俺は そういう事の意味合いの肌感覚を理解する模倣子達へ 言葉としても伝えていく という
そんな育成ゲームをしているのかもしれない。

なれば ネットの先に存在する数多の存在達との情報の融合を図る という女の側のSEXをし続けていく。
そういう意味合いでは「好色一代」そのものだ。
だから俺は現役女子高生らしいのだろう。
誠天調書とは「好色一代記」なのだろう。

其処にカネは介在させない。カネを介在させるSEXは つまんない から。
有るのは 縁とか 愛とか 情とか そういうモノに似たものなのかもしれないが、
どういう表現をすれば良いのか、まだ分かりかねてはいる。
人間的な感情の延長線上に有るモノなのなのであろうが。

攻殻機動隊で士郎正宗はナメクジのSEXが官能的と書いている。
だけど 其れでは少し人間的な感覚から離れすぎている気がする。
まだ俺は そこまで地を歩く人間との距離が離れていない からね。

地の上を歩く人間として“どれだけ地から飛ぶ事が出来るか?”の距離感を
先駆的な意味合い と 説得力 との適宜な整合性からして 如何に量るか が問われるのだろう。


井原西鶴は 己が先駆性を如何に捉えていたのだろう。
おそらくに冷笑と嘲笑を浮かべながら黄泉路へと向かって行っただろう。

数百年と経っても尚に 其の先駆性の向こう側を見ることが出来る者は殆どに居ない、
特に「日本人と日本」というハイパーキチガイカルトに囚われて逃げられない集団では
永遠に超える事が出来ないままであろう事は この数百年の右手と左手の地獄絵図からして証明をしている。
己が存在こそが地獄を作り出す根源 という事を自覚出来ない者達は幸せに死んでいくのだろう、
大量虐殺と民族浄化をし続けながらね。

けれども 其の肌感覚としての後継者達ならば コミケの向こう側で無数の模倣子として存在している。
好色一代男ならば「ならばよし」と言うのだろうか?
俺もまた
 ネットの時代に合わせた「“情報流通の存在に特化した”好色一代」をし続けているだけ
なのかもしれない。


其の意味合いを模倣子達の中の誰かが
いずれ また 昇華をさせてくれるかもしれない。
俺を含めて大概の人間は“其の程度”でしかない。
頑張って背伸びをしても 頑張って飛んでも 大概に 良い結果を作ることが出来ない。
だけれども それなりに頑張り続けていく、
一線を越える卑怯な言動をしてまで飛び上がる事をせずに
だけれども其のギリギリの線へまで 頑張る。出来る事を懸命にしていく。

成長と縮退を繰り返していく人の営みの螺旋の中で 少しでも階段を上がる をするのは
そういう自分達の模倣子達であれば「ならばよし」と思い祈りながら
今日も この不条理だけが支配する世界で尚に 真っ当に生きる をしようと思う。

俺にとっては そういう生き方が自然なだけだ。
だから 其の延長線上の このネット上でも そういう営みを繰り返しているだけだ。

其れを俺は 多神教で文明人と称して 此処で旗を掲げる。
そうしてしまえば
「日本人と日本」なんかは ぶっちゃけドーデモイイ と何の気負いも無く思えてしまうだけだ。

そんな事よりも とね。








http://www.green.dti.ne.jp/microkosmos/diary/diary1304.html
2013年4月4日(木)学園という国境線

実に興味深い事例があった。『ラブライブ!』である(注)。この作品は、学校を廃校から救うためスクールアイドルを結成して新入生にアピールしようというところから始まる。私がまず理解できなかったのは、「たかが学校がなくなる程度のことが、なぜそんなに重大問題なのか?」であった。それも、明日いきなり無くなるとかいうんじゃなくて、新入生を採らず段階的に縮小するという無理のない計画なのに(余談だが、『TARI TARI』はこの辺、無茶苦茶だったそうですね。やっぱり観なくて正解だった)。

「学園」が現実の学校ではなく、世界のすべて、自分の帰属集団、民族や国家に類するものと考えれば理解できる。つまり「学園が消滅する」ことへのあの拒否反応は、ナショナリズムなのだ。愛校精神=愛国心はいかなる理屈よりも優先される。入学しようとしない妹は裏切り者。母も祖母も同校の出身という設定が、感情を補強する。おお、父祖の世から代々受け継がれたる我が祖国!完全に母系社会なのが実に現代的だが。

さて、「学園もの」は構造上固有の弱点を持つ。スケールが小さい、ということである。登場人物が何をしようが、事件は所詮学園の中でしか起こらず、ラスボスは生徒会長か、いいとこ理事長。生命の危機に見舞われるわけでもなし、切実なものにもなり得ない。

ここで参考になるのが、和田慎二『スケバン刑事』である。あの作品は基本的に学校内を舞台にしていながら、最終的に「日本を揺るがすクーデター計画」に行き着いた。なぜそれができたかと言えば、「学生刑事」という設定のおかげで構造上、最初から「学園の外」へ通じる回路を持っていたからである。
アニメもアニメファンも、そろそろ学園を卒業してはいかがか。

注:念のため補足しておくと、作品自体は大変面白く観ていた。これを書いている時点では最終話は未見。

2013年4月8日(月) 『ラブライブ!』

24年度4/四半期最大のサプライズがこの作品だったかもしれない。
正直、こんなに面白くなるとは想像だにしていなかった。『アイマス』のように、キャラの属性やら関係やら(平たく言えばカップリング)が確定しないうちにアニメ化できたのが幸運だったのだろう。9人という大所帯を、3人ずつワンセットにして印象づけていく手際の良さなど見事なものだった。

ただ作品の出来とは関係なく、最終話にがっくりきた。

μ'sは、元々は廃校を阻止するための手段だった。そしていつしか、それ自体が目的に変わっていく。だから必然的にああいう結末を迎えた。廃校があっさり撤回されてしまうのは、そこに主眼がないからである。本作は実に正しく展開し、正しく完結した。そしてそれゆえの限界もまた、露呈した。

本作を部活動ものの文脈で考えると、実に不思議な構造を持っている。まず部活動(アイドル活動)は、目的ではなく手段である。そのうち活動自体が楽しく思えてくるが、すると別の目標が必要になってくる。すなわちラブライブである。これはコンペティションだから、ライバルの存在も不可欠になる。つまりA-RISEだ。
ところが最終的にそれらはストーリーに何ら寄与しない。クライマックスは自校の講堂でのコンサート。

試しにアイドル活動を高校野球に置き換えてみると、その異常さが際だつ。
野球部を創設するのは入学者勧誘のため。
一応目標は甲子園出場で、同じ学区内に強豪校もいる。
しかし結局、対外試合は一度も行われず、最終回は紅白戦。

前回の記事に関連して言うと、本作が巧妙な、あるいは狡猾なのは、学園の外の世界の存在を一応に匂わせてはいることだ。しかしそれが物語に影響を与えることはなく、学園の中で自閉してしまう。ことりが断念するのが「海外」留学だというのが、実に何とも内向きというか、象徴的ではないか。

1クール13話かけたμ's誕生秘話だと割り切れば、それでいいのかもしれない。アニメがなぜかプロフェッショナリズムを描くことを苦手にしており、『アイマス』がそれで失敗に終わったことを考えれば、「話を学園内に限定すること」が最適解だったかもしれない。しかしそれでも、私が観たいものはこれではないのだ。少なくとも私は、決断を他人任せにする態度を賞賛する気にはなれない。

余談だが、真面目に部活動をしている『ちはやふる』が「部活もの」とは呼ばれない不思議。
お前は何を言ってるんだw と言ったら負けだと思うwww
なのに言いたい事が凄く分かるw

全く似たような事を俺は ずっと口にしてきたし 今はドラクエUでしているし。
つーか社会政治な話で有ろうとも そういう話し方そのものは全くに変わりが無いし。

ネットの情報流通 そして其の集合知を含めても あまりに簡単に人の個人の能力を超えて行く。
だから其の使い方の先を求めた俺は、
その前に立ち塞がる宗教右翼カルトな連中の情報工作な人民統制を冷笑し嘲笑し続ける。
バカジャネーノとね。

世の中の殆どは不条理で出来ていて しかも其の不条理を利用してカルトが跳梁跋扈をする。
けれども尚に俺達は カルトへ墜ちるよりも別の生き方をし続けてきた。
その価値観や美意識の営みを持ち続けてきた、其れは別に御大層なモノですら無い。
ただただ俺達は そうやって生きてきたんだ。それが自然で普通なモノとしか言いようが無いんだよね


2013年4月15日(月)『とらドラ!』3周目

ようやく時間ができたので、BD-BOXを観た。
全26話を観直すのはそれなりに覚悟がいるが、あまりの面白さに観始めればあっという間。
頭から観返すのは3回目だと思うが、優れた作品は観るたびに発見があるものだ。いくつか紹介。

第14話「しあわせの手乗りタイガー」。
竜児に特売の豚肉をもらう亜美。逆光のせいもあって以前は分からなかったが、
亜美ちゃん赤面してるよ。これがBDの威力。
http://www.green.dti.ne.jp/microkosmos/IMG_36041.jpg

第21話「どうしたって」。
スキー旅行で女子の部屋に殴り込むシーン。
1人だけ向こう向きにそろえてあるスリッパが竜児のもの。
絵コンテの高田耕一は、JC作品でよく目にする名前。
http://www.green.dti.ne.jp/microkosmos/IMG_36051.jpg

亜美ちゃん初登場の第5話「かわしまあみ」。
竜児と大河に紹介された亜美は、
自身が写った雑誌のモデル写真を見て「今は服もメイクもちゃんとしていないから恥ずかしい」と
はにかんでみせる。
そのセリフが被さるのが このカットである。
http://www.green.dti.ne.jp/microkosmos/IMG_36011.jpg

次いで下のカットにつながるのだが、大河の視線に注目。
http://www.green.dti.ne.jp/microkosmos/IMG_36021.jpg
大河は、亜美のきれいに整ったペディキュアを見ているのである。
大河はこの時点で、亜美のセリフが口先だけであることを見抜いている。
だから、男どもが席を外すと態度が豹変する亜美にも、全く驚かなかったというわけ。

絵コンテ:恵 瑛太/演出:浅野勝也。



http://www.green.dti.ne.jp/microkosmos/diary/diary1109.html





posted by 誠 at 17:00| Comment(0) | TrackBack(0) | (゚∀゚) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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