公明党・創価学会基礎知識2008 - [よくわかる政治]All About
http://209.85.175.104/search?q=cache:klWc7IF8kNIJ:allabout.co.jp/career/politicsabc/closeup/CU20080831A/+http://allabout.co.jp/career/politicsabc/closeup/CU20080831A/
日本第3の政党であり自公連立政権を8年以上続けてきた公明党。そしてそれを支える創価学会。決してタブーではないはずなのに、この両者の歴史を語った本やサイトは少数。しかし有権者ならしっておくべき、必要最小限の知識をまとめてみました。
創価学会の成立と迫害
創価学会は、昭和初期に教育者であった牧口常三郎が「創価教育学会」として創設したものが母体になっています。つまり、創価学会は当初、教育団体だったわけで、なんだか宗教ぽくない名前になっているのは、そのためです。
しかし牧口はその後、日蓮宗のなかの一宗派・日蓮正宗(しょうしゅう)と出会い感化され、その後次第に組織の宗教化をすすめていきます(後述しますが、現在は日蓮正宗と創価学会の関係はありません)。
そして牧口は「創価学会」の初代会長として、宗教団体としての創価学会の活動をはじめるわけですが、戦時中はこうした新興宗教などは徹底的に弾圧された時期で、創価学会もその例外ではありませんでした。
戦時中の宗教弾圧は単に天皇制に背くものだけが対象ではありませんでした。むしろ天皇制原理主義のような宗教も危険視されていました。宗教ではありませんが、やはり日蓮宗信者で、極端な天皇主義(天皇の他は万人平等)などを唱えた北一輝は、「2・26事件」の精神的指導者として処刑されてしまうわけです。
いずれにせよ、政治の実験を握り社会をすみずみまで統制しようとする軍部にとって「新興宗教」は邪魔な存在以外の何者でもなく、強力な弾圧対象となったのでした。
このような世情のなか1943年に牧口ら学会幹部は逮捕・起訴され、牧口は翌年に獄死します。この弾圧が、結果的に[天皇制ファシズム・軍国主義反対→平和主義]という創価学会の主張を作ったと言っていいでしょう。このことは、今の創価学会・公明党を知るうえでも重要なことです(新テロ対策特措法再可決に消極的なところなど)。
創価学会の発展
戦後、民主化にともない、創価学会は復活します。その会長となったのが、牧口とともに捕らえられていた、戦前学会のナンバー2、戸田城聖でした。そして、彼のもとで、学会は飛躍的に発展することになります。
戸田は敗戦後、学会組織の再建に努め1951年に2代会長に就任します。そのとき彼が呼び掛けたのが、「折伏(しゃくぶく)大行進」でした。
折伏というのはもともと日蓮宗の教義で、他宗派を攻撃し、人々を法華経に帰依させることをいいます。戸田は、まだまだ数百人しかいない学会を大きくするため、「75万世帯折伏」を実行するよう呼び掛けます。
とほうもないように見えた計画でしたが、戸田が1958年に死去したときにはすでに百万世帯が学会に入っていました。東京五輪の年には公称5百万世帯です。
強引で悪評もたった(その後、学会自身も公的に反省することになる)「折伏」の姿勢が、学会拡大の1つの要因ではあるでしょう。しかしもう1つの要因は、高度成長につれて起こった日本の人口構造の転換に求めることができます。
農村から若者たちが働くためにやってきて、都市が一気に過密化していったのが高度成長時代の、特に前半期の人口構造変化の特徴です。もっとも現代のように大学に入るために上京してくる若者たちと違って、就職のために上京してきた彼らには大学のような受け皿になるコミュニティがありません。
そんな彼らの孤独の中に入っていったのが創価学会と、もう1つは共産党でした。この両者が今でも都市を中心にした基盤を持っているのはこういった側面からも理解できます。いずれにせよ、こうして学会はそういった人々の「都市砂漠のなかのオアシス」となり、都会に流入していった人々をしっかり取り込んでいったのでした。
学会の国政進出はじまる
こうして創価学会に多数の会員が集まると、会長の戸田はまず1955年の統一地方選挙に候補を擁立、選挙活動を始めます。これで一定の成果をあげると、翌年の参院選にも参戦、学会推薦議員を3名当選させます。59年の参院選では当選は倍の6名へと急進しました。
これが後の公明党になるわけですが、なぜ戸田は政治に活動の場をもとめたのでしょうか。1つの背景として、日蓮宗の開祖日蓮もまた、政治に対する主張をしていった、そういう歴史的なものがあるでしょう。しかし、いくつもある日蓮宗諸団体のなかで、国会議員を自力で擁立したのは創価学会だけです。
http://209.85.175.104/search?q=cache:PdM_xkHiad0J:allabout.co.jp/career/politicsabc/closeup/CU20080831A/index2.htm+http://allabout.co.jp/career/politicsabc/closeup/CU20080831A/index2.htm
社会的地位向上を狙った国政進出?
1955年からの高度経済成長は、学会員たちにもとうぜん恩恵をもたらしました。豊かになった彼らとしては、次に社会的地位がほしいと思うわけです。学会員の社会的地位の向上、それを示す手っ取り早い方法が「学会議員」を作ることだったのではないかとガイドは考えています。
折しも創価学会は特に左翼・革新勢力から「折伏(しゃくぶく)大行進」に対する非難を浴びていた時期でもあります。左翼・革新勢力が大きな力を持っていた時代、学会や学会員の社会的地位を向上させることは、そういう意味でも大きな目標だったのかもしれません。
いろいろ言われているように、戸田が国立戒壇、要するに僧侶に日蓮正宗の戒律を授ける場所を国に設けようとか、あるいは日蓮正宗の国教化とか、ここまでのことをどこまで「本気で」思っていたかどうかはわかりません(国立戒壇設置はしばらく主張するのですが)。
公明党の誕生と池田会長の就任
しかし戸田は学会の政界進出がはじまった矢先に死去します。しかし、学会の政界進出はさらに続きます。1961年には公明政治連盟が設立され、さらに1964年には公明党が結成されました。そして1967年の衆院総選挙で25議席を獲得して第4政党としての勢力を誇るまでにいたるのです。
この間、会長は池田大作に変わりました(1960年)。池田は、57年の参院選で公職選挙法違反にあたる戸別訪問をするように学会員に指示したとされ、逮捕されていますが、下された司法判断は無罪判決でした。
この一連の出来事、特に投獄→信念を曲げず無罪獲得、というストーリーによって彼のカリスマ性が高まったことは否定できません。そのためなのか、彼はかなりの若さで頭角を現わすことになったのです。池田の会長就任は実に32歳の時です。
そして公明党と学会はさらに勢いを増し、69年の総選挙では衆院の議席を47議席にまで増やし、さらには雑誌『潮』『第三文明』を立ち上げたり、「民音(民主音楽協会)」をつくってここを拠点に多数の芸能人を送りだしました。学校法人も作り、大学まで設立します。
こうして創価学会と公明党は、その社会的地位の向上という目標を十二分に実現するのでした。
「言論弾圧事件」と自民への接近
しかし1969年、公明党は1つの岐路を迎えます。それは、明治大学教授(当時)・藤原弘達が書いた『創価学会を斬る』の刊行を、公明党が妨害しようとして、逆に藤原に暴露された、いわゆる「言論弾圧事件」です。
このとき活躍したのが、当時自民党の幹事長だった田中角栄です。このことは、その後のNHKの討論番組でも「よけいなおせっかいをしました」と事実上本当であることを認めています。
自民党は、1960年代を通じて絶対安定多数の議席を維持していましたが、実のところ得票率はゆるやかに低下していました(1960年:41.9%→1969年:32.3%)。なかでも所得の高くない都市労働者・市民たちの支持獲得はうまくいっていませんでした。彼らは、公明党か共産党の強力な支持層でした(社会党の支持者は移ろいやすい「無党派層」のさきがけ的な人たちが多かったのです)。
さて、田中角栄は地方への「利益誘導」政治を形作った人です。つまり、農村を基盤とした地方に、中央から予算などをつけることによって、地方を豊かにしていく。地方はその見返りに、田中派などの自民党議員に票を集める。今でも批判されているこの図式を確立したのが田中です。
もともと、学会員たちの多くは地方出身なわけで、彼らの生まれ故郷を豊かにしてくれる自民党=田中派と、自身の都会での生活を豊かにしてくれる公明党とは結びつく存在になる。……こうして、いつのまにか田中派と公明党、学会の関係が補完関係になり、親密さを増していた。それを明らかにすることになったのも田中が介入した「言論弾圧事件」だったといえるでしょう。
また1972年には、竹入義勝・公明党委員長が首相となった田中の依頼を受けて訪中、田中訪中→日中国交正常化の地ならしを行っています。
学会・公明党の「政教分離」
さて、「事件」でバッシングされた公明党と創価学会は、大きなショックを受けます。池田会長は「お詫び」をし、学会と公明党のいわゆる「政経分離」を宣言・実行しますが、それでも公明党は72年総選挙で議席を半数近くまで落とします。
もちろん公明党と創価学会は「国立戒壇設置」なる政策を降ろさざるを得なくなり、池田の政界入りも閉ざされ、池田と創価学会はこれ以降ひたすら、外部に対してはとにかく低姿勢で臨むようになります。実際、今日の池田大作という人は雑誌などを見る限りでは極めて穏やかな宗教家です。
また、どういうわけか創価学会はライバルであった共産党との結びつきを強めます。いわゆる「創共10年協定」というもので、これは公明党幹部にとっても実に寝耳に水の話でした。
学会・共産党は支持基盤を奪い合うライバルであったわけですが、戦時中のファシズムの中でともに弾圧され構成員が獄中にあったという共通する過去も持っていたわけです。これに目をつけたのが作家の松本清張で、彼は池田と宮本顕治・共産党委員長を引き合わせ、この学会・共産党の「同盟」を実現させたのでした。
もっとも、自民接近を行っていた公明党はこれに反発。ここに「政教分離」をし自立しようとする公明党の姿があります。しかし、結局は学会の意向を無視することができませんでした。公明党は学会なしには存在し得なかったからかもしれません。
また70年代は「革新の時代」といわれるほど革新勢力の力が強かった時代。公明党ではむしろ自分たちの軸足を「保守中道」から「革新中道」に移した方が得策、との考えが広がり、結局はこの協定を許すことになるのです。
結局、これで公明党はイメージ向上に成功したのか、76年総選挙で失った議席をとりもどします。反面、共産党には余り効果がなかったらしく議席を落としています。
結局、この共闘は公明党には効果があったものの、共産党には特に利がなく、結局公明党の顧問弁護士が宮本委員長宅を盗聴した事件があり、もともと共産党が早くからこの協定を反故にしようとしたこともあったため、この協定は終わりを告げます。以後は現在に至るまで、公明党と共産党は、逆に犬猿の仲になってしまっています。
http://209.85.175.104/search?q=cache:87niGvGvKlIJ:allabout.co.jp/career/politicsabc/closeup/CU20080831A/index3.htm+http://allabout.co.jp/career/politicsabc/closeup/CU20080831A/index3.htm
公明党の与党化
1970年代末から1980年代初頭にかけて、社会党を中心とする、あるいは公明党を軸とする連合政権構想が浮上するようになりました。しかし、それが実現することはありませんでした。
1992年、公明党と民社党は社会党が議員総辞職願いまで出して反対したPKO協力法を支持、自民党への接近を図ります。平和主義をうたっていた公明党がこれに協力したのは、当時の自民党が田中派の系譜を継ぐ竹下派であったからでしょうか(もっとも公明党がPKF(平和維持軍)参加に消極的だったため、2001年まで自衛隊のPKF参加はできないようになっていました)。
また1980年代から地方議会でも公明党が都市部を中心に勢力を広げ、地方政治与党の一員として存在感を増すようにもなっていきます。こうして公明党は連立政権は作らなかったものの、与党的な存在になっていったのです。
公明党の与党化は、1988年に2人の公明党国会議員が受託収賄罪で逮捕・起訴されたことにも現れています。与党的な位置にいるからこそ、このように収賄で逮捕される国会議員も出てしまったといえます。
もっともこの不祥事には創価学会・学会員もそうとう反発をしたようで、それが響いたのか、公明党の国会勢力は1989年の参院選では前回比1議席減、1990年の衆院選では11議席減となっています。
公明党の連立参加と「新進党参加」
1993年、総選挙で自民党が過半数割れすると、公明党は非自民・非共産の連立政権である細川内閣に加わります。しかし、創価学会がこのあたりをどう考えていたか、詳しいことはわかりませんし、考える暇もなかったのかもしれません。それくらいこの連立政権は短期間で崩壊してしまいました。
その後、公明党は小沢一郎らが中心になって設立された新進党に「参加」します(1994年)。カギカッコ付きで述べたのは、公明党の地方議員と参議院議員の1995年選挙で改選されない議員たちが別に「公明」という政党を作り、新進党に参加しなかったからです。
結果、学会員ら旧公明党支持者は、旧公明党以外の新進党議員を熱心に支持しませんでした。そして旧公明党勢力も自民党と敵対することに躊躇(ちゅうちょ)をしていました。そのため結局「公明」の新進党への合流が不可能になり、新進党は解党しました。
その後、旧公明党の衆院議員は「新党平和」を、参院議員は「黎明クラブ」を経て「公明」に合流、やがて「新党平和」も合流し「新公明党」つまり現在の公明党が誕生することになります。
新公明党の誕生と自公連立
新進党当時の公明勢力はバラバラになったこともあり、一部では路線対立や学会との距離などもできていたようですが、新しい公明党の誕生により学会との距離も元通りになり、両者の間で自民との連携が確認されたようです。
こうして小渕内閣(小渕首相も田中派を源流)のとき、公明党は自民党と本格的に連携、地域振興券の実現を成功させます。さらに自民・自由の連立政権に正式参加、自由党が連立離脱すると、(自由党の分派・保守党が2003年まで連立政権に参加していましたが)事実上の自公連立政権がスタートすることになります。
そんななかで小泉政権が発足。公明党は小泉ブームに乗りながら一方で社会保障などに力を入れ、特に年金改革ではその中心となり国民に政権担当能力を見せつけています。そして今日まで連立与党として8年以上の実績を積み上げてきました。
しかし、公明党としてさらなる勢力拡大という路線をとる気配はありません。あくまでも現状維持。二大政党化していくなかで、公称800万世帯を誇る創価学会を母体にして、政界のキャスティングボードを握ることに徹していこうとしているのでしょうか。
また先のページで述べた「地方:自民、都心:公明」という連携の図式も、大都市の地方出身者割合が減少していくことによって、徐々に変化せざるを得ないでしょう。そのようななか、とりあえずは新テロ対策特措法延長をめぐって、その衆院再可決による通過を「平和主義」の観点から渋る公明党の動きが注目されます。果たしてそれでも自公なのか、それとも離反なのか……。
これからの創価学会と公明党報道におけるタブー - Wikipedia
この間、創価学会会長だった池田は1979年、日蓮正宗との紛争の責任をとって辞任し、名誉会長に就任しています(2008年8月現在の会長は原田稔/日蓮正宗とはその後1990年に決別)。しかし、実際には今でも池田名誉会長が創価学会の最高実力者であることは、さまざまな学会系の雑誌・新聞などをみても明らかです。
「政教分離」をした今、創価学会は公明党のあくまで主要な支持母体の1つ。非学会員が公明党や公明党候補に投票することももちろんあります。言われているように学会、特に池田名誉会長の指示1つで党が動くのかどうか、実際のところそれはわかりません。
ただ言えることは、公明党にとって創価学会は頼みの綱、必要な存在だけれども、創価学会にとっての公明党はどうなのかということです。学会の壮年部長は読売新聞の取材に対して「公明党を基軸にしながらそれ以外でもいい議員さんは応援するという人物本位」ということを述べている(2006年4月29日号)ことは注目に値します。学会は公明党以外の政党とも手を組む可能性を模索しているのかもしれません。
公明党はこれからも創価学会の支持をいかにとりつけるか、個々の国会議員は学会員の支持をどのように得るかが課題となっていくのではないかというのがガイドの考えです。創価学会は公明党なしでもやっていけるが、公明党は創価学会なしにはやっていけないわけですから。
さて2008年で池田名誉会長は80歳を迎えました。彼に後継者はいないといわれています。長男の池田博正・創価学会副理事長がいますが、池田名誉会長や幹部は世襲に反対しているとも言われています。その一方で待望論もあるようですが……。
いずれにせよ現在の創価学会の組織力は一見「宗教官僚」ともいわれるほど強固なものとなっていますが、「その後」の創価学会は、そのままなのか、それとも急激に変化していくのでしょうか。その予想は非常に難解だといわざるをえません。
※人名について一部敬称略とさせていただきました。
鶴タブー
菊タブー - Wikipedia
ロハス・メディカル」ブログ: 医療再生 第二章
勤務医の日本医師会への帰属意識は希薄になった。ピンハネを主目的にする組織に逆行するには如何にすべきか つーことかと。
現時点で日本医師会の活動を主導している会長、副会長、常任理事に
勤務医から就任した者は一人もいない。
これでは勤務医が日本医師会に対し、無視するか、敵視するか以外の態度をとるのは難しい。
このため、病院医療の崩壊に対応するプレーヤーたりえていない。
それどころか、日本医師会が公益法人としての権威を有しているがゆえに、
その存在が、崩壊に対応するために必要な組織の設立を阻害している一
面さえある。
結果として、病院医療の崩壊とそれに伴う勤務医の開業への流れを止められず、
開業医の競争激化を招いている。
開業医の利益を過剰に主張するがゆえに、その利益を損ねている。
現在の危機を乗り越えるためには、
日本の医師を真に代表する公益法人が必要である。
医療の事なんか欠片も分からない俺だけど
人の真っ当に生きる を食い物にするを許さない、とするには
やはり 公金を受け取るは利益が少ない とするしかない。
善意に頼るのではなく 悪意を引き離すしかない
解説委員室ブログ:NHKブログ | 時論公論 「福田首相 電撃退陣」
日本:別の人にしてくれる? - 今日の覚書、集めてみました
福田、不公平な闘い放棄 - 今日の覚書、集めてみました
自らの無能と無力によって共同体に与えた益よりも害が大きい
という判断をする知性が無く、
自死によることでこそ害を打ち消し 僅かな益のみを残せる
というハラキリをする意味を理解する知性も無く実行に移す持続する意志も無い。
上にいる者が その無能に対し本当に切腹して詫びなければ
下にいる者は その無能さの罪を自らに問い直す理由と必要性を失わせてしまう。
すなわち官僚組織の大多数へ その自己制御を大きく緩ませる
という極めて危険な状況を生み出す。
ただ辞める というのは 罪が問われなくなる ということを意味しないんだけどねw
本当に腹を切って詫びないことが 日本の公的組織を更に劣化させる大罪となる。
ここで腹を切れば 公的組織に少なからぬ覚悟をさせる。
そんな
利によらず 法に頼りすぎず 悪意を排し もって善意を形と為さしめる
という共同体にとって少なからぬの公益をもたらせるが
今すぐの福田の公開切腹 であろう。
共同体の上部に存在するだけで害悪だったよ 福田も安倍も、
当人達が理解しているかどうかは全く別の話だけど。
もっとも
自らが害虫であることを理解する という知性をムシケラに期待する という方が馬鹿なので、
一切の期待はしてないけどねwwwwwwwwwwwwwwwwwww
全くもって 小泉は自民党をぶっ壊してくれるよねwwwwwww
解説委員室ブログ:NHKブログ | スタジオパークからこんにちは「暮らしの中のニュース解説」 | スタジオパーク 「社会保障カード導入の課題」
豊島産廃問題は終わっていなかった
納得いきます?「自転車防犯登録制度」の功と罪
自転車防犯登録制度
自転車には乗らないんで 気にはなってたけど知らなかったので 詳しく書いてあるのは助かる。
これもまた 広域暴力団桜田組が日本を内側から滅亡させるべく執拗に仕掛ける攻撃の一つかと。
利によって善政を築く などというキチガイ沙汰に 法的正当性を与えるという鬼畜の所業なので
悪意を許し もって善意を打ち壊すしかなくなる 全くもって馬鹿げた話にすぎない。
コレ 最初の登録料を¥10にしてごらん?
登録しない人間が悪い という論を成り立たせる事が可能になるのに
何故か¥500も取ってるんだけど
そのお金は事実上の公金に当たる以上
どれだけ食い物にされているかは徹底的に精査されなければならないので
そのお金の流れの先の個人の指名年齢住所年収の情報も含めて一切の例外なく公開されるは
極めて公益性あることなんで
即時ネットで全面公開をしても何ら問題ないはずなんだけどねぇwwww
結局
ケイサツは 日本の秩序と伝統を破壊し 日本人大和民族の滅亡を 何よりも望んでいる、
このことは疑いようも無い事実であり 一切の反論の余地が無い状態である。
注文住宅購入者 過半数が「不満」有する
運悪く土下座せざるを得なくなったときには
下の立場の人間にとって頭を下げる行為とは 現実問題としては形式上の域を出ない。
だからこそ 上の立場の人間にとって頭を下げる行為に 形式以上の意味を持たせるが現実的に可能となる。
ところが現状の日本は 形式上は階級社会では無いので、
逆に 上の立場の人間の思惑を超えて下の立場の人間が意図的に土下座をするということが
形式的な意味以上に 土下座をする者の人間性を大きく貶めさせるので
土下座をさせる側の品性を強烈に問うことを意味させる。
すなわち 相手が意図する前に土下座をしてみる という行為が
状況次第では 相手の品性を強く問い直させることも可能となるw
特に 周囲に人が多ければ多い程に その効果は大きい。
使いどころは限られるけど 処世術の一つとしては 結構に面白いかと。
どこまで落ちる大学生の学力
あんそく やる夫が徳川家康になるようです 行軍編 【第24話】
あんそく やる夫が徳川家康になるようです 関が原編 【第25話】
スーパーAA大戦開幕
選挙にでたことある俺が、政治について書いてみたらどうなるか。|六本木で働いていた元社長のアメブロ
結局、人がお金で動く範囲以上の部分も以下の部分も盲目的に切り捨てて
経済が人の全て と信じて疑わない人にすぎなかっただけなのねw
ムシケラに 自らがムシケラであることを理解する ということを期待する方が愚かなので
はぁ そうですか としか言いようが無い
Google Japan Blog: ブラウザでの新たな試み
↓86人も妻がいる男、世の男性たちにアドバイスを一言
82人と離婚しろと判決が出る
( 以上 情報リンク元は nni's blog 様より )
「誰かわたしにお金を貸して」〜個人同士のお金の貸し借りを仲介するビジネス「ソーシャル・レンディング」日本上陸
7 :名無しさん@九周年 :2008/09/01(月) 01:05:41 ID:7czQs2Aq0
出資法は?
取り立ては?
仲介業者の責任は?
8 :名無しさん@九周年 :2008/09/01(月) 01:06:07 ID:gfgXriZu0
地下銀行
民主姫井「改革クラブが『まぬけ4人衆』扱いされていた。かわいそう」「小沢代表の『(民主が)救われた』に涙」と発言
27 :名無しさん@九周年 :2008/09/01(月) 10:27:03 ID:hY2vv/nn0姫井は単なるエサ扱いだなwwwwwwwwwwwwwww
サンドバッグ役としては、
非常に役立つ人材。
54 :名無しさん@九周年 :2008/09/01(月) 10:31:01 ID:3L+wYkg60
鉄砲玉のような気がしてきた。
163 :名無しさん@九周年 :2008/09/01(月) 10:51:00 ID:eHzHNFbU0次に立候補や公認をさせるはずがねーよwwwwwwwwwwwww
こんな大人、政治家じゃなくても信用されない。次はないぞ
( 以上 情報リンク元は 痛ニュー速報 様より )
【審議中】のガイドライン9時間目
( 以上 情報リンク元は ニュー速クオリティ 様より )
大相撲=露鵬と白露山から薬物陽性反応
サッカー日本代表、練習試合で大学生に敗れる\(^o^)/
( 以上 情報リンク元は ただニュース速報 様より )
「これは事件だ」 "妻が水死事故"の中部電力社員、実はスタンガン当て川に突き落とし殺していた…遺族ら最初から不信感
【経済】預金をするとお金が増える…? 「利息」というものを忘れたゼロ金利時代の日本人
( 以上 情報リンク元は ニュース速報アワーズ 様より )
金魚に尊厳死、ブタにシャワー ―― スイスで厳格な動物保護法が発効
【大阪】橋下知事「税金泥棒の議員14人訴えるわ」
( 以上 情報リンク元は ニュース超速報 様より )
セルフロビイストは、「麻生政権誕生」に動く
ポスト福田最新、オッズ(9月2日版)
( 以上 情報リンク元は オフイス・マツナガ 様より )
総裁選オッズ
二階堂.comもオフィスマツナガも頑張ってらっしゃるようで、両方とも本業なわけだ。ブロガーなんていうのは「商売」ではない。商売としては
政治ジャーナリストといいます。どっちも政治ジャーナリストです。普段はおいらなんぞと遊んでいるのでアレなんだが、こういう時は目の色が変わります
( 以上 情報リンク元は ネットゲリラ 様より )
読売の政治部長がほざいてますが
加藤紘一がテレビで変なことを言っている
( 以上 情報リンク元は nikaidou.com 様より )
第二次加藤の乱!!
( 以上 情報リンク元は 大日本セキュリティ総合研究所 様より )
韓国が今月で終了
( 以上 情報リンク元は ネットゲリラ 様より )
晋世紀アヴェンゲリオン〜三人目の適格者〜
( 以上 情報リンク元は きっこのブログ 様より )
東村山問題 初心者用まとめ(建設中)
瀬戸弘幸問題を楽しみにしている方々へ
瀬戸弘幸氏の8月31日付けの記事への反論
瀬戸弘幸とその一派が一般市民が経営する洋品店を襲撃※追記ありあり
新風とその一派は公式見解を出せ
( 以上 情報リンク元は C.I.L(Charismatic Itabashi Lover) 様より )
散々に利用してきた 自民寄り権力寄りの右寄り皇族寄りの人達の
逃げ足の 速いこと早いことwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
まぁ 確かに同情の余地は欠片も無いけどさwwwwwwwww
だけれども 利用する人間達が
伝統なるものをもって繋がっているように見えて
伝統なるものが利となるから繋がっているのであって
伝統となるものの真髄 や その情 や その義 を
繋がり合う主目的として考える気は全くに無い ということを
コレほどまでに端的に示す好例は無いwwwwwwwwwwwwwwwwww
それが 如何に皇族を蔑ろにしている不敬な行為に当たるかは
こういう時は何故か問われない不思議wwwwwwwwwwwwww
皇族を敬う という行為が 美味しい利益と結びつくからに過ぎない人間の行為は
その利が失われるや否や容赦なく切り捨てられる瞬間を
大東亜戦争末期以降 散々に見せ付けられた歴史を 都合よく忘れている人達は、
もし次に自分が其の身になった時 どうするかなぁwwwww
俺も 皇族を敬うよ でも それなりだけどね
なので 現状の皇族権威とは 権力の道具に過ぎないので
その権威性を妙な形で利用しようとする人間を 俺は激しく軽蔑する。
あ 今回の人は 単なる狂信者なので それ以前の話だねwww
非情に頭の悪い馬鹿だけど その心情は馬鹿ゆえに単純で
見方を変えれば極めて純粋だ、だからといって一片たりとて免罪はされないがww
よって その狂信者を表面上は否定をせずに 散々に都合よく利用していた
色々な姿の方が 激しく激しく軽蔑に値するかと。