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2009年09月17日

ベルリンの壁の崩壊から20年が過ぎたけど 日本型共産主義は未だ健在する

「我国の戦車を当てにするな」とゴルバチョフが言った日
ゴルバチョフの この決断が どれだけの流血を防いだか だよね。
1989年11月9日 1989年11月9日 - Google 検索
ベルリンの壁の崩壊の日 もう20年も前になるのかぁ。
劇的な日だったよね 劇的な事を起こし続けた無数の人々がいたんだよね
1989年の夏の今頃、ハンブルクに住んでいた私は毎日テレビのニュースに釘付けだった。ヨーロッパピクニック計画

何かが起こっている。何かが起こる。
そんな予感は誰も感じていた。いい知れぬ恐さが毎日あった。


東ドイツ建国40周年式典に招かれたゴルバチョフと、
当時の東ドイツの最高権力者ホーネッカーの光景が印象的だった。
お偉方の万雷の拍手の中で固く抱き合い、握手をしたはずだったのに、
ホーネッカーの
「これで我が国と、貴国の関係はさらに頑強なものとなりますね」の言葉に
ゴルバチョフは
「貴方はまだそのような事を言っているのですか」と言う返事、
ホーネッカーの笑顔がかたまってしまったように感じた。

ヨーロッパピクニック計画、
又シェプロンのピクニックとも呼ばれる大きな出来事があった。

西側のニュースでは、地下組織が呼びかけた国境脱出計画に
多くの東ドイツ人がピクニックに行くという名目で、
ハンガリーとオーストリアの国境シェプロンに集まった。

この時の立役者にはハプスブルグ家の末裔もいたのを覚えている。

国境が開いた途端に人々が走りオーストリーに走って入った。
つかまる恐怖から、森の中にさらに走ってゆく人もいた。
しかし、簡単な木と有刺鉄線で作られた門のそばで人々は抱き合って喜びを感じている。
ハンガリーの国境警備兵も黙認。むしろ転んだ子供を助けていた。
皆泣いていた。
私も泣いてそのニュースを見ていた。

当時のハンガリー政府首脳は 東欧側に属しながら
極めて強硬な統制恐怖政治から脱出してきた東ドイツ市民を守るべく同盟国である東ドイツを裏切り
西ドイツへ秘密理に打診 平和裏に西ドイツへ脱出させ続けることを容認黙認し続けた。
当然に東ドイツ政府は激怒し ハンガリー外相と怒りの会談に入る。
それでもハンガリー政府は引かない、
同民族を弾圧し続けるホーネッカーと東ドイツ政府 に対し
一方ハンガリー政府は他民族の為に戦争も辞さない覚悟だった。
その全てをゴルバチョフは知りながら 動かなかった。
一外国人の私にすら感激的な出来事だったシェプロンのピクニック。
あれから20年が経ってしまった。

歳を取ったのかな・・・今の若い人にもあの冷戦時代の事を忘れないでいてほしい
と言う思いがする。

ヨーロッパピクニック - Google 検索
http://mainichi.jp/select/world/news/20090820k0000e030051000c.html
ヨーロッパ・ピクニック:20周年…独首相「勇気に感謝」
 ◇ベルリンの壁崩壊の引き金…ハンガリーで記念式典
 式典にはハンガリーのショーヨム大統領やドイツのメルケル首相が出席。自ら東独出身のメルケル首相は、東独市民のオーストリアへの越境を容認したハンガリーに対し、「その勇気に感謝の言葉を送りたい」とたたえた。ショーヨム大統領は「温かい心と常識を持ったハンガリーの国境警備隊員のおかげで流血騒ぎにならなかった。人々がハンガリーと欧州の将来のため、はっきりと意思表示した象徴的な日だった」と述べた。

 「ヨーロッパ・ピクニック」は、国境の両側を行き来するイベントとしてハンガリーの民主化団体などが企画。西側に脱出するチャンスを求めハンガリーに滞在していた東独市民が多数参加し、約700人が国境を越えオーストリアから西独に渡った。これを契機に、同年9月のハンガリー・オーストリア国境の全面開放、同11月のベルリンの壁崩壊と続き、鉄のカーテン消滅のうねりが広がった。


汎ヨーロッパ・ピクニック - Wikipedia
ピクニックが成功したと言うニュースは瞬く間に東ドイツ中に広がり、
一層多くの東ドイツ市民が
ハンガリーやチェコスロバキアのオーストリア、西ドイツ国境地帯に詰め掛けた。
両国政府とも東ドイツ政府との関係悪化を心配して
ピクニックの時の「お目こぼし」はさほどできなくなっていた。

ブダペストやプラハの西ドイツ大使館、そしてこれらの運動に協力する施設では
東ドイツからの脱出民で溢れ、さながら難民キャンプの様相を呈して来た。

両国政府と西ドイツ政府は協議の結果、
東ドイツ市民に西ドイツのパスポートを与え、西ドイツに出国させる手筈を整えた。
更にハンガリーではその後東ドイツに配慮することを止めて、
堂々と東ドイツ市民に国境を開放するようになった。

東ドイツ政府は西ドイツ、ハンガリー政府に対して激しく抗議を行ったが後の祭りで、
東から西への人の移動を止める力は東ドイツに残っていなかった。
特にこれらの「難民」には教育水準が高い市民が多く含まれていたと言い、
このまま「頭脳の流出」が続けば国家の崩壊も絵空事でないとも言われた。

秋になると、東ドイツ国内でもライプツィヒやベルリンなどで、
旅行の自由化、民主化を求めるデモが頻発した。
ホーネッカーに事態を収拾出来る力は無く、同年10月にホーネッカーは退陣に追い込まれ、
ついには1989年11月9日のベルリンの壁崩壊に行き着く事になった。
ベルリンの壁崩壊 - Wikipedia
1989年8月19日に、ハンガリーで「汎ヨーロッパ・ピクニック」が成功すると、ベルリンの壁が持つ意義は相対的に低くなり、多くの東ドイツ市民が西ドイツへの亡命を求めて、ハンガリーやチェコスロバキアに殺到した。東ドイツ国内でも、10月9日にライプチヒで、民主化と長期政権に居座るホーネッカーの退陣を求めて大規模なデモが起こる(月曜デモ)。11月4日には首都の東ベルリンでも大規模なデモが起こり、東ドイツ政権は根底から揺さぶられる事になった。

ホーネッカーにとって最後の頼みの綱はソ連からの支持を得ることであったが、東ドイツ建国40周年式典に参加するため10月初頭に東ドイツを訪問したソ連共産党のミハイル・ゴルバチョフ書記長は、人民議会での演説で、先に発表した新ベオグラード宣言の内容を繰り返し、各国の自主路線を容認する発言をしたのみで、東ドイツ政府を支持する内容には言及しなかった。

また当の建国式典では、動員されたドイツ社会主義統一党員らが突如としてホーネッカーら東側指導者の閲覧席に向かって、「ゴルビー! ゴルビー!」とシュプレヒコールを挙げるハプニングがあった。ゴルバチョフによって見捨てられ、民衆に目の前で反目されたホーネッカーは、ドイツ社会主義統一党内での求心力も急速に失われ、党内のホーネッカー下ろしに弾みが付けられた形となった。

こうして東ドイツ国内外での混乱が拡大すると、10月18日、ホーネッカーは解任され、ドイツ社会主義統一党政治局員のエゴン・クレンツが後任となったものの、もはや混乱は収拾が付かない状態に陥っており、後継政府も十分に状況をコントロール出来なくなっていた。
 ↓
「旅行許可に関する出国規制緩和」の発表

1989年11月9日に、「旅行許可に関する出国規制緩和」の政令案が東ドイツ政府首脳部に提案された。このときクレンツをはじめとする政府首脳部は、国内のデモや国外に流出する東ドイツ市民への対応に追われ、また2日前の11月7日にヴィリー・シュトフ首相が解任されて、翌11月8日にハンス・モドロウを首相に任命することが決まったばかりという混乱の中であった。このため、激しく混乱した政情の中で大した審議もされず、政令の内容を確認したかも怪しい状態で、「11月10日から、ベルリンの壁をのぞく国境通過点から出国のビザが大幅に緩和される」政令が政府首脳部の審議を通過した。

この政令の内容を発表する東ドイツ政府のスポークスマンであったギュンター・シャボウスキー(社会主義統一党政治局員)は、この会議には出席しておらず内容をよく把握しないまま、現地時間19時頃から記者会見を始めてしまい「東ドイツ国民はベルリンの壁を含めて、すべての国境通過点から出国が認められる」と発表した。

記者会見の最後の方で発表された為 帰ろうと支度をしていた記者達も多かったが 耳を疑い記者達は振り返った。そして この記者会見場で、ある記者が「(この政令は)いつから発効されるのか」と質問したところ、上記の通り翌日の11月10日の朝に発表することが決められていたにも関わらず、それを伝えられていなかった(文書に記載されていなかったとも、次の紙に書いてあったのを気が付かなかったとも言われている)シャボウスキーが「私の認識では直ちにです」と発表した[1]。記者会見場は一気に騒然となり 一斉に記者達は発表へ走り出した。この発言を受け、後に国境ゲート付近でゲートを越えようとする市民と、指令を受け取っていない警備隊との間で当該指令の実施をめぐるトラブルが起きる。マスコミによって「旅行が自由化される」の部分だけが強調されたことも混乱に拍車を掛ける。

「まさかw」と思いながら「いつからですか?」聴き返し問う記者に
意味に祖語が合った事を分かっていないスポークスマンは繰り返す、
「私の認識では直ちにです」
騒然とする記者達、オカシイと思いながらも繰り返すだけのスポークスマン。
この時の会見の様子の映像を見ると 今でも笑えるよねw
そして その報道が一斉に流れて壁に殺到する市民 もはや事態は制御不能の事態へ陥ってしまう。
ホント何が起きるか分からない とは まさに このことだよねw

NHKアーカイブス 保存番組検索: NHKスペシャル ヨーロッパ・ピクニック計画〜こうしてベルリンの壁は崩壊した〜
Amazon.co.jp: NHKスペシャル こうしてベルリンの壁は崩壊した ヨーロッパピクニック計画 [DVD]: ドキュメンタリー: DVD
極めて極めて優れた番組なので あらゆることを差し置いてでも必ず見て欲しいと思う

あの時 東欧で何が起きたのか? 人々は何を為そうとしたのか?
もし知らない人がいるならば 此処で必ず必ず知っておくべき。
当時の東欧が北朝鮮以上に厳しい環境に合った事を念頭に置きながら ね。

あの時から20年、
日本での無血革命は 残酷極まりないほどの流血の事態へは至らなかったが
無駄に最後まで抵抗をし続けた者達もいた。
そして今もいる。
日本官僚主義型の共産主義体制は平和的崩壊への分岐点を迎えている
それとも夢に終わり 大崩壊への道に向かうのみ なのだろうか?


ショプロン近郊で開かれた汎ヨーロッパ・ピクニックの20周年に寄せるバローゾ欧州委員会委員長の声明
( 以上 情報リンク元は PAGES D'ECRITURE 様より )

今夜発足、鳩山内閣の顔ぶれに思う
(  以上 情報リンク元は 永田町異聞 様より )

農水省の"改革偽装"を叩き潰せ! ---- 地方農政事務所廃止の裏事情
其処に赤松かぁ さて どうなるかなぁ
( 以上 情報リンク元は News Spiral 様より )

民主党これだけは知っておきたい 党内グループ
( 以上 情報リンク元は 反米嫌日戦線「狼」 様より )

亀井静香郵政・金融担当大臣という絶妙
( 以上 情報リンク元は Aobadai Life 様より )

さぁ、祭りが始まります コレから西川逮捕、ケヶφコイズミ逮捕まで、当分、楽しい日々が続きます。
( 以上 情報リンク元は ネットゲリラ 様より )

田母神氏が東京から北海道への1泊2日の出張にあたり、自衛隊のヘリや航空機を使って何百万円というガソリン代を使ったことなどが明らかに
( 以上 情報リンク元は THE INCIDENTS 様より )

新防衛大臣 北澤俊美氏 内定 参議院・長野選出
おおむね穏当のようです
( 以上 情報リンク元は 日本軍事情報センター 様より )

初当選を手伝った議員が初入閣! 北沢俊美防衛相

民主党代表の鳩山由紀夫さんを総理大臣に指名 衆院本会議
ちなみに、一般傍聴席で拍手をすることはできません。
へー そんな規則があるんだw知らなかった

政権交代チルドレン初登院写真集
( 以上 情報リンク元は 国会傍聴記 様より )


新聞が書かない民主党の「公約破り」
俺は明日は明日の風が吹く 様のブログが好きです
地に足が着いた言葉を綴る というのは 簡単にできるようで 実は相当な鍛錬修練を必要とする
思い描いた事を 言葉にする言語化するというのは 一直線に結びつかない。
なおかつ
地に足を付けた生活をし続けている人が
情報収集を羽を大きく広げ しかもノイズの除去する能力もを比較的に上手に兼ね備えている。
これは 簡単にできるようで 極めて希有な話でもある。
その 地に足の着いたバランス感覚 と それを言葉にする能力 の両方に秀でてなければできないからだ。

で そういう明日は明日の風が吹く 様が
上記の新聞が書かない民主党の「公約破り」 (山口一臣の「ダメだめ編集長日記」)を 速攻で見つけてリンクする
というのが 俺は むしろ喜びと感動を覚える。

俺のように“政治的な”を軸にした更新をしていない 明らかに“一般的な”感性での更新を軸に続ける人
そういう人ですら 速攻で“其処”を見つけてリンクが可能となる
このネットの日本語圏の情報流通の環境の凄まじさ
この極めて高度で強力な情報流通が構築されているネットの日本語圏の成長に
俺は猛烈な喜びと感動を覚える

民主党と記者クラブ(内閣記者会)の密約問題、一般人の自分に出来るのはマスコミの黙殺を子供に伝える事かな
首相の記者会見を身元が確認できていないブロガーにまで公開しろ
とは言わないですが、
民主党が掲げてきた、小沢氏風に言うとディスクロージャーという考え方…w、
ここに来て急転したと考えるか、

神保哲生さんと上杉隆さんのこちらの番組で指摘されているように、
記者クラブと官邸のなすりつけに終始して
主催が内閣記者会なので誰を入れるかを決めるのは内閣記者会ですって言い訳が、
これまで「すべてオープン」を標榜していた民主党においても通用するのか?
との突っ込みは免れないでしょう。

( 以上 情報リンク元は 明日は明日の風が吹く 様 より )

民主公約の記者クラブ開放、今日は間に合わなかったみたい。
俺も アチコチで色々と情報を見てきたけど
むしろhttp://latache1992.blog56.fc2.com/blog-entry-165.htmlにもあるように
記者クラブの件。
完全な「出入り自由」には警視庁の要請などもあり、難しいそうです。
無償部屋などの既得権はなくすと聞いております。
もう少し、お時間を。

2009/09/16 13:42 | 気弱な地上げ屋 #hy9433ho URL [ 編集 ]
こっちの問題の方が大きい気がします
前にも書いた気がするけど たとえば
「俺も首相官邸での記者会見にはいきたいけど 俺を入れてくれるの?」
というのを 気楽に認める訳にはいかないでしょうw
民主党の本部 と 首相官邸 では 差異が出るのは致し方ない事かとw
・・・というのを盾にした
広域暴力団桜田組ケイサツ現場とマスコミ新聞テレビ大手メディア記者クラブの
サボタージュにも似た徹底抗戦の一つと 俺は見ています。

そして 何と言っても政権が交代した初日。
テレビで平野官房長官の最初の会見を見ましたが
明らかに少しテンぱってましたし 少し気負い過ぎかな って感じもしました。
俗に言う イレ込んでる ってトコでしょうか?w
でも いきなり「与えられたペーパーを読む事はしない」とか言っちゃったり と
やる気は しっかり受け止めました こっちに届きました。
まぁ 最初だし いきなり百点満点を求めるのも酷というもの。

現場の記者さん 特に
ビデオジャーナリスト神保哲生のブログ様や週刊・上杉隆 | ダイヤモンド・オンライン様などは
期待が大きかっただけに 落胆も大きいようだが、
非記者クラブメディアを排除した鳩山首相初会見への落胆 | 週刊・上杉隆 2009年09月17日

気持は分かるけど 俺は むしろ逆。
かえって良かったのかもしれない気もする。
民主党と記者クラブ(内閣記者会)の密約問題、一般人の自分に出来るのはマスコミの黙殺を子供に伝える事かな

更に、この件について一切報じないマスコミってほんと凄いよな
…と一般市民としては驚くしかないですが、
自分に出来ることはこうやってブログに書いて、
一人でも多くの人にこういう事があるんだよって、
知ってもらう機会になるかもしれないエントリーをアップすることと、
息子2人に、こういうのが「黙殺」って言葉の典型的な例なんだって教える事かな
…と考え、取り急ぎ自宅に戻って急ぎエントリアップしてみました。

一部の議員さんの中には雑誌記者と外国記者を入れたことが完全オープン化された
と勘違いしている方もいるらしく
この問題の根は非常に深いものを感じます。



俺は もっと話を戻して考えます。

権力者が情報を独占し もしくは隠蔽し その私利私欲を可能とする というのは
古今東西で起こり続けた問題である。
だからこそ 55年体制 いや明治政権以降の 情報の権力の恣意による不当な制御が
一般民衆へ極端な不利益を被らせ続けた事実、
に対する為が そもそも記者クラブなどの解散解放 という目的であり、
つまり 権力を握る者達による情報の扇動と改竄を防ぐことこそが主目的だ。
今も そして今現在も
マスコミ新聞テレビ大手メディアは官憲と官僚の手足となり
その扇動と改竄の担い手で在り続けている。

ところが この事態を もう少し別の視点で眺めると
情報の扇動と改竄に対する話が
ネットの日本語圏では あっという間に流通する現実が こうして目の前にある。
事の真相までは辿り着けなくても 相当に奥深い所まで
こうして あっという間に情報が流れだす現実が こうして目の前にある。

そして更に驚くべきが
俺のように政治ばっかりを見届け続ける者では無く
明日は明日の風が吹く 様という極めて一般人に近い人までもが
この情報を あっという間に入手する ネットの日本語圏の情報流通の現状がある。

要するに、既にして 記者クラブを使う情報の制御 という手法は その力は相当に有名無実であり
その力を過信する マスコミ新聞テレビ大手メディアや 官僚や官憲は
見たいと思う現実しか見ていない という事が またしても曝け出されている事になる。
記者クラブによる情報が制御できる 扇動と改竄が可能である とか夢を見ている人達は
むしろ その夢想が 己の無能を曝け出させるが故に失点へ結び付く
という現実に 今後とも足元をすくわれ続けるだろうねw

なので 俺的には
こんな馬鹿げた事を続ける人達は どうぞ続けて下さいw とね。
民主党鳩山政権の中で
もし こんなことで権力が維持が可能だと思う馬鹿な事を考える人達は
まだまだ甘いなぁ、まぁ まだ最初だし いずれはですよ? って感じかな。

ネットの日本語圏の情報流通の猛烈な拡大は
既にして権力の中枢を否応なく巻き込もうとしている。
過去の情報の制御の手法を利用して 美味しい生活を維持し続けた人達は
まだ分の悪い情報戦を続けるのかなぁw まぁ勝手だけどさ。
旧態の 古い古い情報の制御の手法が通じるとか思ってる は もはやサル知恵であろうねw

むしろ 情報の独占が崩れ
情報流通は 限りなく供給過剰の状態に 既に陥っている今
如何に 選別し見極め より良い政治とは何かを模索するに、
過敏に情報に反応し過ぎるは
結果としては 扇動されている状態と同義 とも言えなくもないだろう。
ネットの日本語圏は既に 次の段階に入っている。


俺は 55年体制を信用してなかったし 当然に明治官僚政府を信用してない。
が 今の民主連立政権を信用して政治を託した。
間接民主制とは そういう事だ。
託した以上 俺は腰を据えて信じるまで。
何処まで腰を据えられるか それもまた人の力量の表れだろう、
ここで もう駄目ですか とか言うのは 自分の行動を浅薄さを晒す事にもなるからね。

権力の批判は簡単だ でも政権交代直後だ まだまだ残党がウヨウヨいる。
政治の中身の監査は大事だ、
でも 情報の洪水に飲まれた挙句の扇動と改竄に乗せられる愚を犯したくない。


今回の政権交代は 日本の国内的には、ベルリンの壁の崩壊に匹敵する歴史的な事象である。
ベルリンの壁の崩壊から20年が過ぎたけど 日本型共産主義は未だ健在する。
そしてドイツは 未だ産みの苦しみの中にある。
ならば日本とて 生みの苦しみを味わうのは まだまだこれからであろうね。

ともあれ もはや日本型官僚主義的な共産主義体制の崩壊やむなし を信じなく
まだまだ 旧態の制度慣習には力がある とか思いこんでる人達で溢れかえっている。
日本の地の上は
日本国内の環境の変化 日本の海の向こうも含めた環境の変化
という見たくもない現実を見ない人達で埋め尽くされている。
そのド阿呆達の馬鹿な言動の隙間を 犯罪者達が否応なく入り込む。
真っ当に見届けては真っ当に生きる道を模索するには 二重の困難が眼前に立ち塞がる。

ま 今しばらく待ってみましょうか 見届け続けながらね。

( 以上 情報リンク元は トニー四角の穴を掘って叫ブログ 様より )




posted by 誠 at 05:39| Comment(1) | TrackBack(1) | (゚∀゚) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
記者クラブの件、神保氏は原理主義に近い純粋なリベラリスト、上杉氏は4割引くらいで捉えればいいでしょうが、神保氏の言う「こうやって段々官僚に取り込まれていく」という危惧は確かに無視しちゃならんでしょうね。
THE JOURNALの生中継で上杉氏が(おそらく生中継されていることに気付かずwww)「平野が(鳩山とメディア側の)両方に嘘を言っている」と神保氏に話していましたが、そこまで決めつけられる決定的な証拠がない限り、
>広域暴力団桜田組ケイサツ現場とマスコミ新聞テレビ大手メディア記者クラブのサボタージュにも似た徹底抗戦の一つ
のほうが現実的かなと。
平野氏があまりに黒子すぎてどういう人か把握しきれないけど、彼に負荷を集中させることで機能を低下させるというのは官僚の戦術としてはありかなと思います。
まあそれぞれの立ち位置を見極めるのが先かと。
まあ、とても外部の人間とも気弱とも思えない地上げ屋さんがああ言っているので何とかなりそうなのかなとは思います。
少なくとも官邸がこの件についてはっきりとしたメッセージを出せば「政権移行期だから」という一言で多少の時間は稼げるでしょう。

ちなみにあの中継は同時視聴者数が500人くらいしかと表示されてたから上杉氏のああいうもの言いは問題にならないのかなw
それに政界的電波少年みたいで面白かったw
Posted by Jay-Jay at 2009年09月17日 19:31
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北沢俊美 Wikipedia
Excerpt: 防衛庁は暇な部署ですか??? 防衛庁は暇な部署ですか???接待ゴルフは「300回・1500万」…米津参考人前防衛次官問題 参院外交防衛委員会の参考人招致で手を挙げて質問に答える米津佳彦・山田洋行社長..
Weblog: 今日起きたニュースはこれだ!
Tracked: 2009-09-17 14:11
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