壁破ったパラグア=紙一重の勝負制し、初の8強〔W杯〕
同じく初の8強入りを目指した日本より、パラグアイの方が踏みつぶされてきた歴史が長い。
120分の戦いは攻めて0―0。PK戦は5人全員が決めた。紙一重の勝負を制し、
4度目の挑戦でついに壁を破った。
マルティノ監督は
「われわれはサッカーというより、ハートを示した。
こういう試合ではそれで十分」と言った。
パラグアイにとって格下の国と準々決勝進出を懸けて争うのは初めて。高すぎる“南米の壁”アジア勢15戦勝ちなし
負けるわけにはいかなかった。
1986年大会はイングランドに完敗。
98年大会は開催国優勝のフランスに延長後半まで得点を許さず、ゴールデンゴールで敗退。
2002年大会は準優勝のドイツを終了間際まで追い詰めながら惜しくも敗退した。
24年越しで積み重ねた悔しさと経験が、見えない力になって背中を押したかもしれない。
http://southafrica2010.yahoo.co.jp/news/ndetail/20100630-00000079-spn_wcup-socc
アジア勢のW杯での対南米初勝利は次大会以降に持ち越しとなった。
アジア勢の対南米成績は以下の通り。
66年 △北朝鮮1−1チリ
70年 ●イスラエル0−2ウルグアイ
78年 ●イラン1−4ペルー
86年 ●韓国1−3アルゼンチン
86年 ●イラク0−1パラグアイ
90年 ●UAE0−2コロンビア
90年 ●韓国0−1パラグアイ
94年 △韓国0−0ボリビア
98年 ●日本0−1アルゼンチン
02年 ●中国0−4ブラジル
06年 ●日本1−4ブラジル
10年 ●北朝鮮1−2ブラジル
10年 ●韓国1−4アルゼンチン
10年 ●韓国1−2ウルグアイ
10年 ●日本0−0(PK3−5)パラグアイ
今大会も4戦4敗に終わり、通算で2分け13敗となった。
http://southafrica2010.yahoo.co.jp/news/ndetail/20100630-00000087-mai-socc
前半36分、左サイドに流れた本田がダシルバに倒されると、レフェリーの笛が鳴った。足がかかっており明らかなファウルだが、パラグアイのマルティノ監督は、その判定に抗議した。日本のセットプレーを嫌がっていることを印象づける光景だった。パラグアイも相当に研究してきて かつ それを実効する力が有った訳だ。
30メートルほどの距離があったこのFKは、角度的にも直接ゴールを狙うのは難しく、遠藤がゴール前の味方に合わせようとしたが、クリアされた。
デンマーク戦で本田と遠藤がゴールを奪った日本のFKを、パラグアイは強く警戒していた。ゴールを直接狙える位置では不用意なファウルを避けるという意識がプレーからも見て取れた。
公式記録によると、日本が反則29回で4枚の警告を受けたのに対し、パラグアイは反則26回で警告1枚。ゴール近くなど、「危険な位置」でのファウルが少なかったことを表す数字でもある。
結局、日本がFKから直接ゴールを狙ったのは延長前半9分に本田がけった1本だけ。だが、これも本田が得意とする右からでなく、反対側の左から。「自分の狙いたいコースにイメージ通りに行けば、(相手GKの)ファインセーブじゃなければ決まる」と思い描いていた遠藤は、直接狙う機会すら得られなかった。
岡田監督が「南米のチーム独特の応用性を持ったチームだと思う」と警戒していたパラグアイの巧みな試合運び。それによって、日本のいい位置でのFKが封じられ、日本は得点源を失った。
個々にあっては実力差が有り チームプレイで強力な優位さを持てず
かつ 情報戦でも圧倒的優位に立っていない、
のであれば やはり地力では相当に苦しい試合だったことには間違いなかったんだよね。
http://southafrica2010.yahoo.co.jp/news/ndetail/20100630-00000085-spn_wcup-socc
岡田監督は、就任当初はきっちりとボールをつなぎ、スローダウンしても崩せるチームをつくろうとした。
だが、W杯では期待していた選手が不調だったり、伸びなかったこともあって、現実的なサッカーを選択した。当初はFWがプレスをかける位置はハーフウエーラインより10メートル前の地点からだった。だが、W杯ではFWがプレスをかける位置はハーフウエーライン付近になった。DFはペナルティーエリアの前で最終ラインを敷き、より守備的になった。
今の日本の個の力、
たとえば技術、スピード、戦術的なアイデアなどのレベルを考えれば、
このやり方しかない。
南米勢を見ても実力の突出しているブラジル、アルゼンチンなどをのぞけば、
パラグアイもウルグアイも堅い守備からカウンターのスタイル。
世界で戦うために日本が堅い守備をベースにするスタイルは理にかなっている。
ただ、パラグアイとの力関係もあるが、攻撃面では前半は相手のペナルティーエリアに入る場面がほとんどなかった。前半39分の本田のシュートは惜しかったが、ミドルシュートだった。パラグアイのDFはポジショニングが良い上えに、人にも強い。サイドを深くえぐってから折り返せないとゴール前でのチャンスは生まれない。
パラグアイに疲労の見えてきた後半途中から、ボールをさばける中村憲を入れたことで、ようやくサイド攻撃が見られるようになってきた。だが、今度はゴール前の人数が少なかった。本田と途中出場の岡崎はいたが、あと1人欲しかった。守備への意識が高い分、厚みが足りなかった。
延長戦を含めて120分間、南米の強豪を相手に互角の戦いを見せたことには価値がある。今回のW杯で日本は世界と戦う上でのベースを示した。ただ、継続的にW杯で好成績を収めるには得点力という意味で、プラスアルファが必要だろう。
http://southafrica2010.yahoo.co.jp/news/ndetail/20100630-00000012-spnavi-socc
「このチームでもっとやりたかった」阿部勇樹=サッカー日本代表
阿部勇樹(浦和)のコメント。
「ここで終わるわけではないですし、サッカー人生は続いていく、
みんなで顔を上げて頑張っていきたいなと思います。
欧州や南米、戦う相手によって また違ったなというのがありますけど、
次で ほかの相手とやれたらと思っていました。
これが結果だったので、下を向かずに頑張っていきたいです。
(やれたという実感は?)
特にないですけど、1点勝負だと思っていたし、
PK戦ですけど、全選手が持っている力を出して、やれることはやって負けてしまったんで。
残念ですけど、サッカーは続くので、そこはみんな忘れずにやっていかないといけない。
嫌でも続くんだということを、いい意味で思って、続けていきたいです。
試合を重ねるごとに、
相手は違いますけど、やり方を変えたりして、
そこはスムーズにゲームをやっていけたと思う。
こうやってやったらある程度できると思った。
(パラグアイは?)
アグレッシブにくる、特にボールサイドに人数をかけてくるというのは
どの試合もやっていた。
(途中からダブルボランチになった?)
20番(ネストル・オルティゴサ)がフリーでロングボールでサイドチェンジだったり、
そこに対してなかなか行けない距離だったので、
トップ下を置いて後ろ2枚でということでやった。
中で話し合ってもやりましたけど、ベンチからも指示はありました。
1試合でも多くやれたことは良かったですし、できればこのチームでもっとやりたかった。
もう少しやりたかったですね。
やってきたことは出せたと思います。
納得はしづらいけど、結果なので、次に向けてここからがスタート。
また頑張っていきたいです」
http://southafrica2010.yahoo.co.jp/news/ndetail/20100630-00000064-san-socc
岡田監督が守備的な戦術にシフトする中、この段階で 既に攻撃的に切り替えてるんだよね
バランスを保つ遠藤の役割は目まぐるしく変わった。
この日も守備的なポジションでスタートしながら、
前半途中には早々と前めに移動。
http://southafrica2010.yahoo.co.jp/news/cdetail/201006300001-spnavi
パラグアイ戦後 岡田武史監督会見
――後半の頭で遠藤のポジションを上げたが、更に攻撃的に切り替えてるんだよね
それは攻撃的にいくためなのか、それとも相手の20番(ネストル・オルティゴサ)に対してなのか。
それから最後のFKの場面で「上がれ」と指示していたが、
それも含めて攻撃的にいったという認識だったのか?
(後藤健生/フリーランス)
遠藤を前に上げたのは前半の20分くらいです。
相手が両サイドバックを上げてきて、ボランチが下がった状態で、
うちの選手全体が下がり過ぎて、どうしても本田が孤立するということで、
前半20分くらいで遠藤を上げました。
そのあとの交代は、点を取ることしか考えていませんでした。
リスクを冒して点を取ろうという、それしか考えていませんでした。
http://southafrica2010.yahoo.co.jp/news/ndetail/20100630-00000004-spnavi-socc
「攻撃的な姿勢を打ち出したかった」中村憲剛=サッカー日本代表
中村憲剛(川崎)のコメント。http://southafrica2010.yahoo.co.jp/news/ndetail/20100630-00000034-spn_wcup-socc
「良い仕事はしていないですね。良い仕事っていうのは得点を決めた時だから。
0で終わったらホントに悔しいし、
初めて出たからってオロオロする歳でもないし、自分の役割は頭の中で整理されて入ったんで、
得点に絡みたかったのが正直なところです。
(中央は堅かった?)
堅かったですね。その分、サイドから攻められたと思うんですけど。
いろんなところで細かな差があったと思うんですけど。
監督からは守備のポジションをしっかり取りながら、
あとは攻撃のところで裏に出るなり、ボールを受けるなり、得点に絡むことを求められました。
(憲剛システム?)
あれに戻ってやりました。
(監督も原点に戻って点を狙いたかった?)
そうだと思います。
展開を見ていて、絶対出番が来るって思っていたから、頭の中を整理していた。
(シュートシーンは?)
とりあえず対角線に打って。相手のDFが触ってゴールキックになっちゃったんですけど、
オウンゴールを狙えるGKとDFの間に速いボールを入れたかったんですけど。
シュートを打たないと始まらないし、みんな分かっていると思うんで、
攻撃的な姿勢を打ち出したかった」
後半36分。“失点しない戦い”から一転、つまり互いに堅守のチーム作りをしてるのは分かりきっているので
攻撃のスイッチを入れた岡田監督の期待を背負って試合に加わった中村憲は
「起点になって、ゴールにつながるプレーをイメージしていた」と話す通りにトップ下で躍動。同42分に左サイドをかき回して好機をつくると、
延長前半1分には大久保のパスを受けて右足でミドルシュートを放った。
奮闘実らずチームはPK戦で敗退。それでも
「チームが一つになって戦えば、大きな力になる。
それをすごく感じた。結果は紙一重」
と、世界の舞台での躍進を前向きに捉えていた。
持久戦で消耗戦で神経戦となるは必至。
其処で 途中から攻撃的な選手を入れて勝負を掛けるは 両監督ともに同じだった。
パラグアイは分からないが
日本に至っては途中でシステムをすら切り替え続ける、
という賢さと上手さを兼ね備えた選手達が それを一致団結して後押しした形だ。
そして守備の要で在り続けた阿部を外し
走り続けた遠藤と長谷部をボランチに下げてペースを落とさせバランス役を担わせつつ長続きをさせ
憲剛を前にする、
それはWC前に負け続けたシステムだ。
そしてなお延長戦の直前には点を取りに行け と直接に全員に指示を送っている。
――円陣を組んだ時に、どんな言葉をかけたのか。けれども失点しなかった、負けなかった 勝てなかったけど負けなかった。
円陣の中で話したのは、
われわれのシナリオでは、延長であれ90分であれ、点を取って勝ち切るという目標
地力が違う相手に 負け続けたシステムへ戻して なお負けなかった。
理想を捨て夢想を廃し 現実主義に立ち返っては強くなり
そして今一度に理想を追った時には 充分に通用した。
攻撃的でない と批判するは、
すなわち日本の実力を過大評価しすぎる夢想に等しいままに
見たいと思う現実しか見ていないだけになってしまう。
攻撃的に行きたくても 地力が違うから行けない だけなのだ。
でも岡田監督は 最後の最後で その一つ上すら見せた。
理想を現実へ転化させてなお 日本の実力以上をすら示し続けた。
攻撃的になっても負けなかった。失点しなかった。
過去の代表で コレを成功させた事は皆無だ。
最後の最後に素晴らしい財産を残してくれた事を理解できる人は居るのだろうか?
どうすれば理想へ辿り着けるか?
負ける という地獄から少しずつ遠ざかる道を模索していく事が天国へ到達する最善の近道。
という事を知らしめたんだけど すっごい視聴率だったんだけど
そこまで洞察しようと思った人は どれ位に居るんだろうね。
そうしなければ 死闘を無駄にする事になるだけだよね。
http://southafrica2010.yahoo.co.jp/news/ndetail/20100630-00000020-ism-socc
本田圭佑「多くのひとが応援、批判してくれたことに感謝している」/日本代表
本田圭佑(CSKAモスクワ/ロシア)のコメント。http://southafrica2010.yahoo.co.jp/news/ndetail/20100630-00000005-ykf-spo
本田
「パラグアイもいいサッカーをしていたし、結果が全て。特に何を言っても敗者なので
。ただ、明日の記事には
『ファンのみなさん、ありがとうございました』
と書いておいてください。
現地だけじゃなく、大会前に多くのファンが応援してくれた。
多くのひとが批判してくれたことに僕は感謝している。
目標は達成できなかったけど、
批判する人がいなかったら、ここまで来れたかどうかも分からない。
W杯前は そういう出来だった。
がっかりした人もいるかもしれないが、
真剣に応援してくれた人には心からありがとうと言いたい。
(4年後に向けて何が必要なのか?)
サッカー人生はまだ続く。ここにいる全員がそう。
出た選手、出ていない選手も何が必要なのか、この大会で感じることができたと思う。
それをどう4年間で紡いでいくか。
生半可なことじゃないけど、もっと内容にこだわって勝ちにいくとか。
今回はこういう(守備的な)戦い方だったけど、ひとつ、日本の戦い方を示せた上で、
もっと欲を出して攻めていく姿勢を次は見せるときなんじゃないかなと。
個々というところで、まだまだ物足りない。
ギリギリまでこだわってやってきたけど、
それでも個々のところで全然物足りなかった。すべてはそこだと思う。
(大会に入って、イングランド戦からやり方を変えてここまできたが、それだけではダメだと?)
そういう風に思う。一人ひとりの全ての技を向上させる必要がある。
それから若い選手が海外に出るべきということも間違いなく言える。
ただ、出る出ないは個人の問題でもある」
岡田ジャパンのW杯が終わった瞬間、それでも泣ける本田 と 最後まで泣けなかった中田
チームメートをなぐさめることよりも、日本から応援に駆けつけたサポーターへあいさつした。
実はオランダ戦で敗れた後では、
あいさつもせずにロッカーへ戻り、
日本サッカー協会幹部から「何をしているんだ。戻れ」と説教を受けていた。
ピッチの4隅を周り、丁寧に一礼を終えると、
最後は逃げるようにロッカーへ戻って大泣きした。
落ち着きを取り戻しても、いつもの本田節はなく、「若い選手がもっともっと海外に出なきゃダメでしょう」と課題を口にした。日本という「殻」にはめられることを嫌い、世界で成り上がりたいという本田らしい。「負けたからには何も言えない」と多くを語ろうとはしなかった。
其処の差が明暗を分けてるのかもしれないね
「とにかく点を取れ」「FWの位置で起点になれ」と岡田監督の指示のもと、
ただ1人、最後までスタミナを切らさずに走り回った。
主役は明らかに本田だった。
思い切り蹴れば、どこへいくかわからないという公式球の特性を誰よりも理解していた。
PK戦で外してしまった駒野は
まさにこの“公式球の呪い”にかかってしまった格好だった
が、その後に蹴った本田は、
あえて力を込めずに落ち着いて決めた。
http://southafrica2010.yahoo.co.jp/news/ndetail/20100630-00000001-dal-socc
本田「駒さんを責められない」
敗戦の瞬間を見届けると、MF本田は1人でサポーター席にあいさつにむかい、
誰よりも先にピッチを後にした。取材ゾーンに現れると
「外した駒さん(駒野)を責められない。
内容はどうこういっても仕方ないですね。結果がすべてなんで」
と、悔しさをかみ殺すように話した。
http://southafrica2010.yahoo.co.jp/news/ndetail/20100630-00000643-san-socc
駆け寄った仲間が「誰のせいでもない」と抱きしめた。目標のベスト4には届かなかったが、魂のこもったプレーに日本中が勇気づけられた。駒野ら日本代表は30日、帰国の途についた。
この日、駒野は滞在先のホテルを出る際、口を堅く結んだまま、険しい表情で空港へと向かうバスに乗り込んだ。
運命のPK戦。バーをたたき、上方に大きく弾んだ自らのシュートに、駒野は天を仰ぎ、頭を抱えた。うつむいてセンターラインの仲間のところへ戻る駒野を抱きかかえるようにして迎え、列の中へ招き入れたのは中沢佑二(32)だった。
敗退が決まり、一番長く駒野の肩を抱いていたのは、松井大輔(29)だった。そして駒野以上に泣いていた。何も言わず、しゃくり上げ、ただただ肩を抱き続けていたようにみえた。そして逆の肩を、阿部勇樹(28)が抱いた。
サポーターへのあいさつに駒野の背を押していざなったのは、稲本潤一(30)だった。努めて笑顔だった。駒野は笑顔を返すことはできなかった。それでも稲本は笑みを送り続けた。
観客席にいたヨハネスブルク在住の島岡留美子さん(37)は「駒野選手を責める人なんて誰もいない。彼らの戦いぶりは日本人がやればできるということを世界に示してくれた」と号泣した。
ロッカールームに引き揚げた後、駒野は無言でうつむきながら、報道陣の前を通り過ぎた。ゲームキャプテンの長谷部誠(26)は「誰のせいでもない。それ(PK)までに決着をつけられなかった自分たちのせい」とかばった。
サンフレッチェ広島のユースチーム在籍時に監督だった木村孝洋さん(53)は「試合中はチームプレーに徹し、すべて出し切った。PKは運のようなもので、外したのがたまたま駒野だっただけ」とねぎらった。
南アフリカから遠く離れた東京・原宿の飲食店。サポーターたちはピッチ上の選手たちと同じように肩を組み、PK戦を見守った。両手を組んで祈る女性。最前列の男性は「歴史を塗り替えてくれ」と絶叫した。
駒野の失敗にサポーターたちは「あー」と悲鳴を上げ、頭を抱えながら床にへたり込んだ。だが、駒野へのヤジは飛ばなかった。すぐに、いたわるような拍手がわき上がった。
東京都渋谷区の美容師の男性(25)は「駒野選手は最後まで頑張っていた。胸を張って帰ってきてもらいたい」。そう言い、目を腫らした。
http://southafrica2010.yahoo.co.jp/news/ndetail/20100701-00000501-san-socc
人目もはばからず泣いた駒野選手の姿は多くの人の心に刻まれたに違いない。
駒野選手は和歌山県海南市出身。小学2年のときにサッカーを始めたが、中学3年の秋、父親を肝硬変で亡くした。関西選抜チームの一員として各地に遠征したが、滞在費や道具代などが家計を圧迫し、サッカーを止めることも考えた。
中学卒業後は親元を離れ、寮費の一部免除を約束してくれたサンフレッチェ広島ユースに進んだ。「早くプロになって母を楽にさせたい」。寮長の稲田実さん(64)に、こう話したこともあったという。
プロになってから、大学に進学した弟の学費や家計の足しにと、少ない給料の中から仕送りを続けた。「自慢の息子です」と語ったことがある母、友美子さん(54)は、あのシーンをどんな思いで見守ったのだろうか。
記者たちが待ち構える取材エリアを無言で通り過ぎた駒野選手。本人の胸の内を推し量ることはできないが、日本には感動した多くのサポーターが待っている。堂々と胸を張って帰ってほしい。
誰が駒野を慰めたか
http://southafrica2010.yahoo.co.jp/news/ndetail/20100630-00000513-san-socc
ドイツ公共放送「ARD」で解説を務めたかつての名選手ネッツァー氏は「駒野はこの場面を生涯忘れられないだろう」と話したという。PK戦。駒野のシュートはクロスバーを直撃して大きくはねた。頭を抱える駒野。そして大会からの敗退が決まると、泣きじゃくった。敗戦は、駒野ひとりの責任ではない。誰が、駒野を慰めたか。
バーをたたき、上方に大きく弾んだ自らのシュートに、駒野は天を仰ぎ、頭を抱えた。うつむいてセンターラインの仲間のところへ戻る駒野を抱きかかえるようにして迎え、列の中へ招き入れたのは、中沢だった。
5人目のキッカー、カルドソが決勝のゴールを決めると、歓喜の輪を抜けだし、1人のパラグアイ選手が駒野に駆け寄り、額をすりつけるようにして何かを語りかけた。自身4人目のキッカーとして落ち着いてゴール中央にPKを決めたアエドバルデスだった。おそらくスペイン語だったのだろう。駒野は何を言われているのか分からないはずだが、しきりにうなづいていた。気持ちは通じていたのだろう。
一番長く駒野の肩を抱いていたのは、松井だった。そして駒野以上に泣いていた。何も言わず、しゃくり上げ、ただただ肩を抱き続けていたようにみえた。そして逆の肩を、阿部が抱いた。
サポーターへのあいさつに駒野を背を押していざなったのは、稲本だった。努めて笑顔だった。駒野は笑顔を返すことはできなかった。それでも稲本は笑みを送り続けた。
ロッカ−ルームに引き上げ、ミックスゾーンに姿をみせた駒野は、無言でうつむき、報道陣の前を通り過ぎた。バッジオが、バレジも味わったPK戦の残酷。
http://southafrica2010.yahoo.co.jp/news/ndetail/20100630-00000014-spnavi-socc
「駒野を酒に誘って死ぬまで飲ませたい」松井大輔=サッカー日本代表
松井大輔(グルノーブル/フランス)のコメント。
「いつものことというか、6年、7年(代表で)やっているんで、
チームが変わるだけで あとはそんなにやることは変わらないんで。
(W杯で得たもの)
一番は やっぱり自信。
でっかい大会(のピッチ)に立つこと、いろんな選手とやること、
大きな大会で結果を残すことが財産になると思うし、経験になると思う。
今まで守るサッカーをしたことのないチームが
ここまで戦いを理解して、ここまでできたっていうのは すごいと思うし、
それが日本の強さになるんじゃないかと思います。
勝ちたいっていう気持ちが一番に強かったと思います。
海外でやっている選手はボールに対してファイトするのが当たり前だし、
そういうのが日本には足りないなと感じてたので。それが浸透したじゃないけど、
日本のサッカーに足りないところを補えたというのはあると思います。
(それは大会前の4連敗で実感した?)
僕はほとんど出ていないから分からないけど、
監督も、何回も球際のことに対して言っていたから、それで浸透したと思います。
ほかの選手が どう思っているか分からないけど、
背中で気持ちを伝えるのが僕のやり方だと思うし、それが示せたんじゃないかと思います。
今は本当に日本のサッカーをポジティブに考えたいなと思います。
(ずっとやっていたスタイルでやってみたかった?)
もしそのスタイルでやっていたらここまで来れなかったと思うし、
この戦い方で日本の強さを示せたというか。
どの戦い方が良いか誰も分からないし、
勝った者が一番強いんで、それを追求するのがサッカーだと思うし、
面白くないって言われても僕たちは勝っているっていうふうに言える。
それが海外の戦い方であって、それをどう思われるか分からないけど、
自分としては勝ったことが素晴らしい。それだけです。
(スペインかポルトガルとやりたかった?)
今日勝つイメージだったんでね。ちょっと残念でしたけど、
駒野(友一)を今日、酒に誘って死ぬまで飲ませたいと思います。
僕は同い年だし、
駒野をいつもいじっている感じなんで、いじり足りなかったのかなと思います。
僕がもうちょっと近くにいれば良かったかなと思います。
PKは、僕は蹴っていないでしょ。
でもこれは運というか、まだ早いよって言われたのかもしれない。
(評価を上げた?)
うーん、僕に足りないものは得点だと思うし、前の方に行きたかったけど、
仕事という意味では人それぞれぞれの仕事があると思う。
サッカーではそれぞれのポジションがあるんで、
できるだけ本田(圭佑)に得点させられればと思っていたんで。
それも僕としては達成できたと思うし、サッカー人生まだまだ長いんで、頑張りたいです。
今大会は守っているチームが勝っているイメージ。
ペナルティーエリアになかなか入れない。
良いサッカーをしたとしてもたぶん勝てなかったと思うし、
ペナルティーエリアのゾーンに行くだけの力を持った選手が力を見せられなかったと思う。
そういう意味では、今大会ではこの戦い方がすごく良かったのかなという印象はあります」
http://southafrica2010.yahoo.co.jp/news/ndetail/20100630-00000000-dal-socc
大久保が涙「最高のチームやった」
大久保は、PKでの敗戦に涙。http://southafrica2010.yahoo.co.jp/news/ndetail/20100630-00000013-spnavi-socc
「PKはほとんど運だから。悔しいけど、仕方ない。涙?なんかね…」
と、声を詰まらせた。
4年前は無念の落選。悲願の夢舞台で、思い切り躍動してみせた野生派ストライカーは
「キツかったけど、W杯がこんなに楽しいもんなんかなと思った。
最高のチームやったしね」
と、最後は笑顔で会場を後にした。
「最高のチームだって思えた」大久保嘉人=サッカー日本代表
大久保嘉人(神戸)のコメント。http://southafrica2010.yahoo.co.jp/news/ndetail/20100630-00000044-san-socc
「開き直ってこれで良いと思えたからやれた。団結できて素晴らしかった。
(苦しんだ分、1つになれた?)
そうかもしれない。おれたちがとことんやれたと思うし、素晴らしかった。
最後はひとつのチームになっていたし、最高でしたね。
自分のチームじゃなくて代表でそう感じるのは初めて。
ここにきて本当に1つのチームになれたって思えた。
最高のチームだって思えましたね。
W杯はやっぱり違う。すごいガチンコで。
そういう中でみんな助け合ってやっていたし。
自分がやらなきゃいけないってのがすごい声にも出ていた。
誰かがミスしたら みんなで取り返そうと囲んでいく気持ちがありましたね。
このチームはすごかった。もっと強い相手とやりたかったね。
でも今日もPK戦だったしね。パラグアイもすごいチームだった。
おれたちはもっとやれたと思いますけど。
精神的にも、ここまで体力あったんだなと。そういうのは分からなかった。
ここまでディフェンスして前に顔出して、
Jリーグじゃ無理だっていうのがあったんで、
やれるんだと。おれにもできるんだと思った」
強引にドリブルを仕掛けたり、ファウルすれすれの激しいプレーでボールを奪いに行く。「今は自信がある」という、左サイドの大久保はまさに、W杯を満喫している。
今、大久保は「失敗から学ぶことの方が多い」と打ち明ける。“やんちゃ”に見えるプレーにも、過去に犯したミスからの反省が生かされている。かつてはがむしゃらにゴールを狙う“点取り屋”だったのが、状況を分析して時には一歩身を引いたプレーもできるようになった。
快進撃に主将・長谷部あり!落ち着きと献身性でチーム支える
http://southafrica2010.yahoo.co.jp/news/ndetail/20100630-00000008-ykf-spo
W杯直前に“代打主将”に任命されたMF長谷部誠(26)=ウォルフスブルク=の言動は、これまでのプレー同様に、落ち着きと献身性に満ちていた。
「このチームメートとコーチングスタッフ、みんなでW杯を戦えてよかった。勝てなかったが、日本で応援してくれた皆さんに気持ちは見せられたと思う。僕たちの強みはチームワーク。チームとして戦うことを見せられたんじゃないか」
チーム状態がどん底だった5月30日のイングランドとの強化試合、DF中沢に代わり初めてキャプテンマークを巻いた。
関係者は
「中沢は岡田監督が横浜M時代に主将に任命して優勝した間柄だ。
当時は信頼感も薄れ、中沢も精神的に目一杯だった。
主将を変えて流れを変えようにも、主力選手は個人主義者ばかり。
そこでどこの派閥にも属さず『人畜無害』だが、
誰もがドイツでの実績には一目を置く長谷部に白羽の矢が立った」
と明かす。
長谷部は最後まで微笑みを絶やさず、「僕は何もしてない。今でもゲームキャプテンは中沢さんだと思ってる」と謙遜したが、最後のメッセージにも人柄がにじむ。
「みなさんの応援が力になり、感謝してます。
次は、ほとんどの選手がJリーグでプレーしてるんで、
足を運んで盛り上げてもらいたい」
日本がW杯初出場を決めた1998年、「ジョホールバールの歓喜」の後で、立役者の中田英寿氏(当時は湘南所属)も「Jリーグも盛り上げてください」と訴えた。
12年後、中田氏がいない初めてのW杯でも、主将はしっかりとその魂を受け継いでいた。代表OBも「本人はドイツでばりばりのレギュラーなのに、なかなか言えることじゃない」と絶賛。低い下馬評を覆す快進撃は、長谷部主将抜きにはあり得なかった。
長谷部誠「このメンバー、スタッフともっともっと試合がしたかった」/日本代表
http://southafrica2010.yahoo.co.jp/news/ndetail/20100630-00000021-ism-socc
長谷部誠(ヴォルフスブルク/ドイツ)のコメント。
長谷部
「自分たちが全力でやった結果なので、それを受け入れないといけない。
全部出し切ったと思う。
(足りなかったものは?)
120分で決着を付けられなかったこと。PKは時の運。
誰が悪いとかじゃなく、そこまでに決着をつけられなかった自分たちの責任だと思う。
相手は非常に守備が堅く、自分たちもまた、守備がしっかりしていた。
お互い戦っていたが、最後の得点が足りなかった。
(拮抗した試合だったが?)
パラグアイとはあまり差を感じなかったし、やられている感じもしなかった。
だから余計に悔しい部分はある。
相手どうこうよりも、次のステージに行って戦いたかったという気持ちはある。
(大会前はふがいない戦いが続いていたが、そこからここまで来れた要因は?)
準備期間でうまくいかなかったというのは間違いなくあるし、
そこから監督が踏ん切りをつけて違う形でやる決断をしてくれて、
それでチームがいい方向に行った。
このチームの強みはチームワーク。
出ている選手だけじゃなくて、出ていない選手のサポートは本当にすばらしかったし、
こういう短期決戦におけるチームワークの重要性を今大会は感じさせられた。
(W杯を戦う上で足りない部分は?)
今日だけを見れば得点が課題だけど、
試合を重ねるごとに攻撃もよくなっていったし、手応えはあった。
ただ、まだ世界と戦う上では個人のレベルを上げないと厳しいかなと感じた。
(ゲームキャプテンとしての重圧は感じていたか?)
キャプテンとしては本当に何もしていない。
(川口)能活さん、(中澤)佑二さん、いろんな選手が引っ張ってくれた。
僕自身は何もやっていないので、プレッシャーもなかった。
僕は今でもまだ佑二さんがゲームキャプテンだと思っていて、
キャプテンマークを一時的に預かっただけだと思っている。
(W杯でつかんだものは?)
守備で規律をしっかり保てば、世界でも簡単にはやられないと感じた。
それからチームとして戦うこと。それが日本の強みだと思う。
(これでW杯が終わったが?)
さみしい気持ちはある。このメンバー、スタッフともっともっと試合がしたかった」
http://southafrica2010.yahoo.co.jp/news/ndetail/20100630-00000011-spnavi-socc
「大舞台でワクワクするチームだった」遠藤保仁=サッカー日本代表
遠藤保仁(G大阪)のコメント。http://southafrica2010.yahoo.co.jp/news/ndetail/20100630-00000033-dal-socc
「PKはしょうがないけど、
90分プラス30分で勝負を決めたかったなというのはあります。
充実していましたし、また次につなげていきたいと思います。
(グループリーグ)3試合をみんな全力で戦ったと思いますし、
出場できなかった選手も練習なり、そういうところで盛り上げてくれていたんで、
出し切ったんじゃないかと思います。
チャンスももちろんありましたし、ピンチもありましたけど、
点が入らないことには試合には勝てない。
みんなゴールにいきたい気持ちも非常に強かったと思いますし、
結果ゼロで抑えもしたし、抑えられもしたんで、どっかで点が取れれば良かったかなと思います。
日本もしっかりと守備をしましたし、
自分たちも何度かピンチがあったけど、よく防いだと思う。
先に点を取って、という展開にできれば良かったと思いますけど。
それはずっと変わらず、しっかり取って速い攻めをするという気持ちでやりましたし、
全試合狙いを変えなかったと思います。
1つ目2つ目のプレスをかわせれば十分やれるなと。
今日の試合に限ってはそういうところでしたね。
(PKは?)
一番手でしたけど、自分がしっかり決めればいいかなと思いましたし、
相手のGKもそんなに威圧感は感じなかった。
落ち着いて決められたと思います。
(試合後の涙は?)
このスタッフとメンバーと選手でプレーできなくなるのが寂しかった。
こういう大舞台でワクワクするようなチームだった」
この日もチームNo.1の運動量で攻守に奔走したMF遠藤
「このスタッフ、メンバーとプレーできなくなるのが寂しかった。
もう少し続けたかったですね」
チームの中心として輝きを放った“日本の心臓”はhttp://southafrica2010.yahoo.co.jp/news/ndetail/20100630-00000064-san-socc
「現役でいる限り、代表は目標。可能であれば何度でもチャレンジしたい」
と、4年後も見据えた。
遠藤全開 走った13.8キロ サッカーW杯
試合終了直後、目に涙を浮かべた遠藤だが、取材エリアに最後に現れたころにはすっきりした表情に変わっていた。「90分プラス30分で勝負を決めたかった。まあ出し切ったんじゃないか」。フィールドプレーヤーで唯一出番のなかった前回ドイツ大会から一転、今大会は1次リーグ・デンマーク戦の後半ロスタイムに退いただけ。ほぼ出ずっぱりだった中盤の要は充実感も漂わせていた。通常10q 多くて11q
岡田監督が守備的な戦術にシフトする中、バランスを保つ遠藤の役割は目まぐるしく変わった。この日も守備的なポジションでスタートしながら、前半途中には早々と前めに移動。延長前半2分には直接FKで岡崎の頭を狙うなど、最後まで攻撃を支え、1試合の走破距離は両チーム最長の13・8キロ。1番手を務めたPK戦でも確実に右に決めた。
その中で13qってのが どんだけ怖ろしい事か凄い事か。
http://southafrica2010.yahoo.co.jp/news/ndetail/20100630-00000645-san-socc
遠藤保仁の父、武義さん(62)
「あいつが泣く姿なんて、初めて見た。よっぽど悔しかったんでしょう。でもよく頑張った。負ける気はしなかったが、PKだけはしようがない」
長友佑都「トライできたW杯だったので悔いはない」/日本代表
http://southafrica2010.yahoo.co.jp/news/ndetail/20100630-00000019-ism-socc
長友佑都(FC東京)のコメント。http://southafrica2010.yahoo.co.jp/news/ndetail/20100630-00000010-spnavi-socc
長友
「自分はチャレンジできた、トライできたW杯だったので悔いはない。
楽しめたW杯だったと思う。
(引き分けで敗退となったが?)
最後、点は取りたかった。
シュートの精度も、ラストパスの精度も、そこの部分が足りない。
これは日本サッカー全体の問題だと思う」
「自分たちで(世界に)チャレンジしたんで、
次につないでいかないといけない。手応えを得た、いいW杯だった。
涙を流して、悔しさを味わった僕や(本田)圭佑、オカ(岡崎慎司)たちが
(つかんだ手応えを)つないでいかないといけない。
(これからは)僕らが代表を引っ張る存在にならないと。
世界で戦うために何が必要かを強く感じた大会だった。
(監督には)ありがとうと言われた。
僕も『(監督の)何百倍の感謝の気持ちでいっぱいです』と言いました」
http://southafrica2010.yahoo.co.jp/news/ndetail/20100630-00000006-spnavi-socc
「チームとして最高でした」田中マルクス闘莉王=サッカー日本代表
田中マルクス闘莉王(名古屋)のコメント。http://southafrica2010.yahoo.co.jp/news/ndetail/20100630-00000545-san-socc
「これほど一瞬一瞬を思い切って味わえたことが良かったと思うし、
この最高の仲間と、こういう機会を与えてくれた神様に感謝しないといけないです。
チームとして最高でした。申し分ない、最高の人たちだったと思います」
前半20分にGK川島が好セーブして弾いたボールは、ええええええwwwwwwwwwwww
中沢が横へ流し、長友がクリア。
競り合う選手とカバーに回る選手との間で「あうんの呼吸」ができあがっていた。
だが、無失点のままPK戦負け。
「ベスト8の力はあったと思うが、16強の壁は想像以上に高かった」と中沢。
闘莉王は「みんな最後まで気持ちを切らさなかった」と強調した。
2人ともPKはけらなかった。
闘莉王は5人目で準備していたが、出番は回ってこなかった。
お前が5人目かよwwwwwwwwww
誠天調書 2006年11月17日
試合は2対1リードしていた 本当に終了直前の場面だったのでとはいえ
試合の結果には殆ど影響しないPKであったが
サウジアラビア戦の後半ロスタイムにPKを外した浦和の日本代表DF闘莉王が、
今後の代表戦やJリーグでもキッカーに名乗り出る姿勢を明かした。
「気にしていない。また蹴る。蹴らないと外せない」。
他選手を制して蹴ったものの“大ホームラン”。
オシム監督に
「次のキッカーが彼でないことが分かったのは収穫」と皮肉られ、
自身も移動のバス内では
「みんなオレに何かいってくれ!」
と自虐的発言をしていたが、へこたれる様子はなかった。
田中マルクス闘莉王 - Wikipedia
終了直前にFWの高松大樹が獲得したPKを自らキッカーを名乗り出たが外してしまい、試合後には「もうPKは蹴らない、こんな落ち込みはない。」と落胆していた。オシム監督も「今日の収穫は、だれにPKを蹴らせてはいけないかが分かったことだ」と冗談交じりにコメントしている。
実際 その後に代表で蹴る事は無かったのに、
(2007アジアカップのオーストラリア戦のPK時は そもそも怪我で参加していない)
岡田だって この事を知らないとは思えないのに
なのに あえて最後に指名する。
凄いと思う、
指名する側も受ける側も その胆力が ね。
http://southafrica2010.yahoo.co.jp/news/ndetail/20100630-00000035-jij_van-socc
中沢http://www.yomiuri.co.jp/wcup/2010/news/japan_t/news/20100630-OYT1T00394.htm?from=yoltop
PK戦はどっちに転ぶか分からない勝負。誰でも外すわけだから。
とにかく16強の壁を破りたかった。それは想像以上に高かった。
ここまで来たら、相手はうまいし、強いし、速い。
中沢(横浜M)
「しっかり耐えて1点取って(勝とう)と思っていた。
(ドイツW杯からの)4年間で、ああすれば良かった、こうすれば良かったというのはない。
やりきったなという気持ち」
http://southafrica2010.yahoo.co.jp/news/ndetail/20100630-00000032-dal-socc
前半からファインセーブを連発し、完封したGK川島だったが、PK戦ではすべて決められて終戦。「自信を持って臨んだので(勝利に)貢献できずに悔しい」と、唇を噛んだ。直前の親善試合イングランド戦からスーパーセーブで一気に定位置をつかんだ日本の新守護神は「年齢的に次もある。この悔しさを次の大会にいかしていきたい」と、14年ブラジル大会でのリベンジを誓った。http://southafrica2010.yahoo.co.jp/news/ndetail/20100630-00000032-jij_van-socc
川島http://southafrica2010.yahoo.co.jp/news/cdetail/201006300003-spnavi
どんな形でも負けたのは悔しい。
PKは1、2本目をいい形で反応できていたので、結果的に止められず残念。
この大会を通して自分たちができたことを自信を持って次へつなげたい。
川島永嗣(川崎フロンターレ)
「この経験を次のW杯に生かす」
かけがえのない経験だったと思うし、もちろん今回の大会で120%やることを考えていましたけど、この経験は次の大会にも生きてくると思うし、自分も生かさないといけないと思います。(今までサブが多かったが)自分がどんな状況に置かれても、自分自身の役割だったり、貢献できると思ってやってきたことは変わらないし、逆にそれは自分がそういう時期があったからこそ、今、感じられることも多い。今までの経験がすごく大きかったと思います。
この結果は残念だけど、でも自分たちは自信を持っていたし、日本が想像以上にどんどん良くなっていった。この経験を次のW杯に生かさないといけない。(PKは?)ゴール前に立った時は自信があったけど、とても失望している。残念だけど、止められなかった。
http://www.yomiuri.co.jp/wcup/2010/news/japan_t/news/20100630-OYT1T00394.htm?from=yoltop
川口(磐田)
「川島には(PK戦は)GKの見せ場だし、冷静に(自分の力を)見せてやれ、
としか言えなかった。
選手はよく戦ったと思うが、大事なのはこの後。
W杯のような大会の後は(気持ちの持ち方が)難しいが、新たな戦いが始まる」
http://southafrica2010.yahoo.co.jp/news/ndetail/20100630-00000017-ism-socc
中村俊輔(横浜FM)のコメント。
中村俊
「(試合に出る機会がほとんどなかったが?)もしかしたら中学の時に(ユースから)落とされたとき以上(の悔しさ)かもしれない。
(落選した2002年W杯よりも?)2002年はそんなに。
(今大会にかける思いは相当強かったと思うが?)だからこそ残念だった。
(W杯で悔しい思いをすることが多いが?)そういう風にできているんだろうね。まあ、山あり谷あり。その方が終わったときに面白い。次は山だね」
http://southafrica2010.yahoo.co.jp/news/ndetail/20100630-00000032-spn_wcup-socc
岩政&内田、出番なし「鹿島サポーターは悔しがってる」
J1鹿島から岡田ジャパンに選ばれた岩政と内田は
ともに1度もピッチに立たずに終戦を迎えた。
「僕と(内田)篤人が試合に出られなくて、鹿島のサポーターは悔しがっていると思う」と岩政。
中沢、闘莉王が安定したプレーを続けたため、出番なかったが、
不測の事態に備え、体を温め続けた。
練習中には大声を張り上げ、チームメートを鼓舞。ムードメーカーに徹し、侍ブルーを支え続けた。
内田は「自分はまだまだ実力不足。試合に出るためには足りないものがある」と唇をかんだ。
最後の試合をベンチから見守り
「1次リーグと決勝トーナメント1回戦ではレベルが全然違った」と実感。
W杯後は7月1日付でドイツ1部リーグのシャルケへ移籍。
「サッカー選手として、人間として大きくなりたい」。
22歳の若武者は、早くも4年後のブラジル大会を見据えている。
http://southafrica2010.yahoo.co.jp/news/ndetail/20100630-00000005-spnavi-socc
「胸を張って帰ろう」川口能活=サッカー日本代表
川口能活(磐田)のコメント。
「家族も待っているし、胸を張って帰ろうと言いました。
(今後の4年間は?)
それは選手の気持ち次第だと思うんで、確かに今持っている力をみんな出したと思うんですけど、
この結果に満足せず。大会を去ることは事実だし、この悔しさをバネにできればいいと思います。
(過去3大会と比べて?)
あまりそういう話は。過去のチームは過去のチームで頑張ってきたんで。
みんなで力を合わせて戦ったんじゃないかと思います」
http://southafrica2010.yahoo.co.jp/news/ndetail/20100630-00000062-san-socc
「勝っていくチームはベンチの雰囲気がいい。それは自分がやらないといけない」。なかなか出番のない選手に声をかけ、ときにはバカをやって雰囲気を盛り上げた。若手はみな「(川口)能活さん中心にチームがまとまった」と話す。今大会の日本の最大の武器となった一体感は、川口なしではあり得なかった。
http://southafrica2010.yahoo.co.jp/news/ndetail/20100630-00000058-jij_van-socc
今年に入って不調が続いていた日本。覇気のない戦いぶりを繰り返していたチームが生まれ変わったのは、直前合宿地のスイス・ザースフェーで行った選手だけのミーティングからだった。
5月27日、ザースフェー入り後2日目の夜だった。チーム主将の川口能活(磐田)が選手を宿舎の一室に集めた。テーマは「みんなが感じていることを話す」(川口)。当初は10分か15分で終わるかと思われたミーティングは、1時間近くに及んだ。
この辺りの経緯は、この記事を読むと微妙に違ってくる
http://number.bunshun.jp/articles/-/348532月14日の東アジア選手権で韓国に1−3で敗れ、チームのほころびはどんどん大きくなっていく。それを肌で感じながら、岡田監督は選手に規律を求め、外部への不平不満をもらさないよう情報を統制しようとした。しかし、事態は悪化する。3月3日、アジア杯予選バーレーン戦では、引き分け以下で、日本協会は岡田監督を支える新任のスタッフの加入を視野に入れていた。5月24日の韓国戦で0−2で完敗すると、岡田監督は犬飼会長に対して口頭で進退伺を伝えた。チーム内に修復不可能な亀裂が入った。川口は それを見かねて といった所が 実態だったようだ。
その亀裂が、岡田ジャパンが結束を固める1つのシグナルになっていく。6月4日のコートジボワール戦で、亀裂は爆発する。0−1のハーフタイムで、岡田監督は闘莉王の攻撃参加を自粛するように伝える。しかし、攻めに執着する闘莉王は聞く耳を持たない。岡田監督は中沢に闘莉王の説得を託すが、反対に闘莉王は選手を集めて、自分たちの判断を尊重して戦おうと、団結を呼びかけた。完全に岡田ジャパンは死に体になっていた。
議論は熱を帯びた。泥臭いプレーをと叫ぶ声も上がれば、
守備的戦術の導入の必要性を問う意見もあったという。
このミーティングの最大の成果は、「弱さを自覚すること」だった。
中村憲剛(川崎)は「これまで、全員で話すことはなかった。
今現在の位置が低いと開き直って、変わった」と説明する。
それが、岡田武史監督がスイス合宿から導入した守備的布陣を受け入れる土壌となった。W杯直前のスイス合宿中に、チームキャプテンの川口が岡田監督に選手の思いを集約して伝えている。岡田ジャパンの原則である、前線からのプレスに対し、チーム内からは疑問の声が上がっていた。「無理に前線から追い回しても限界がある。もっとブロックをつくって守るやり方もある」。こうした選手の言葉を代弁した川口の進言に、岡田監督は理解を示した。
この日、岡田監督はチームの戦い方について、初めて具体的かつ明確な説明を行った。
岡田監督 守備というのはまじめにきっちりやれば、誰にでもできる。守備はいろんなやり方がある。だが、攻撃はセンスが必要になる。そこで(得点力、決定力のある)本田が必要になる。だけど本田は前線から追えない。だから(守備を)どうするんだ、ということになる。全体を考えてチームの戦い方を考えた。
http://southafrica2010.yahoo.co.jp/news/ndetail/20100701-00000056-spn_wcup-soccただ、問題があった。本田1トップの場合、両サイドには本田の守備力を補う選手が必要だ。候補は松井と大久保。パラグアイ戦翌日の会見で岡田監督は「本田は前線から(相手を)追い回すことができない。全体を考えてこう(いう布陣に)なった」と説明している。本来の右MF中村は相手を追い回すタイプではない。本田を1トップで使えば、中村を先発から外さざるを得ない。
選手の肉声に耳を傾け、自分の信念、理想のサッカーを曲げてまで、「勝つ」サッカーを追求した。
コレらの記事を合わせて読み返すと
選手側も日本人なので頭の良い人間が多いから システム面まで知性が回る者が多い事が分かるし、
岡田監督側も それでも
あくまで 最後の決定権は自分にある という線は譲らなかった、
そんな折衷案に見えるよね。
妥協の産物 とはいえ だからこそ強烈に現実的とも言えるんだろうね。
トルシエやオシムの如き上からの規律が先行するのでもなく
ジーコの如き下からの自主性をのみ先行させるのでもなく
そのバランスこそが 日本代表が昇華した力の源泉 になったのだろうね。
前でボールを奪い、早いパスで攻める理想のサッカーからの方向転換。それでも、
「みんな勝ちたいから、なりふり構っていられない。
不調は選手がつくった状況。
岡田さんが判断して、選手は遂行するだけ」(中村憲)だった。
こうして、大会に向けた歯車は少しずつかみ合った。そして初戦のカメルーン戦で勝利。1次リーグで出番のなかった中村憲も「カメルーン戦があったからみんなまとまれた。そこで勝ち点3を取り、盛り上がらないわけがない。みんな、ことあるごとにそう言っている」と振り返る。「ザースフェーの夜」から、躍進は始まった
http://southafrica2010.yahoo.co.jp/news/ndetail/20100630-00000632-san-socc
速いパスをつなぐ理想のサッカーを捨て、強化試合で結果が出なかった中村俊らこれまでの主力を外した。阿部を守備的MFに置き、徹底して守った上でカウンター攻撃を仕掛けるなどの守備的な戦術にシフトした。選手達が ピッチ上で頻繁に話し合う姿が見れるようになったのは
“点取り屋”としてよりも、中盤でチャンスメーカー的役割が多かった本田を1トップに置く布陣は、初戦のカメルーン戦(14日)の4日前に初めて実戦で試すなど、かなりの“大バクチ”だったが、これが見事に機能した。
どん底のころ、選手たちは何度も話し合いを持った。試合前、肩を組み合い、団結した。選手たちは自分たちで考え、行動するようになった。
そういえばオランダ戦からだった気がする。
ベンチスタートとなった中村俊だが、実は他の選手たちに、相手選手の特徴を伝えるなどの“アシスト”をしている。パラグアイ戦後、本田は「批判する人がいなかったら、ここまで来られたか分からない」と打ち明けた。前評判の低いことが選手の“反発力”となり、エネルギーになった。
岡田監督は19日のオランダ戦前、次のように語っている。「われわれは1人1人の力は小さいかもしれないが、1たす1を3にするようなチーム」だと。
パラグアイ戦後、海外メディアの反応の中には「凡庸な試合」との厳しい声も目立った。ただ、「技術では劣るが精神的に勝る」「規律ある守備」など、欧州や南米型のサッカーとは違う、日本のサッカーの良さを見いだす意見も少なくなかった。
「世界に日本のサッカーを見せられたと思う」。今となっては、松井大輔の言葉は大げさではない。南アW杯は、ほとんど相手にされてこなかった日本が見直されるきっかけになった。
http://southafrica2010.yahoo.co.jp/news/ndetail/20100630-00000066-jij_van-socc
苦戦必至と見られていた日本が決勝トーナメント進出を果たす大きな要因となったのが、岡田監督が大会直前に採用した守備的布陣だった。敗退から一夜明け、岡田監督が「戦術変更」の背景を語った。
国内最後の強化試合、5月24日の韓国戦までは守備的MFに長谷部と遠藤、左右とトップ下のMFに、1トップを置く布陣で臨んだ。しかし、スイス合宿から、中盤の中央に長谷部と遠藤、その背後に阿部、左右のMFと1トップを置き、中盤を厚くする布陣に切り替えた。
4月のセルビア戦と韓国戦で守備が崩壊状態に陥ったため、「戦術変更」は守備重視とみられていた。しかし、岡田監督は「本田を使う場合、本田は前線からボールを追うのは無理なので、守備が必要になる。W杯を勝ち抜くために考えた」と、本田の1トップ起用を念頭に置いた布陣だったことを明らかにした。
今大会、本来の持ち場ではない1トップで2得点を挙げた本田について、岡田監督は「いろいろな得点の可能性が出る。やってくれると思った」と期待通りの活躍だったと評価した。
戦後のコメントを拾っていくと「サッカー人生は続いていく」という言葉が目に付く。
おそらく最後に岡田監督が選手に そう伝えたんだろうね
http://southafrica2010.yahoo.co.jp/news/cdetail/201006300001-spnavi
――PK戦で負けたことで悔いはあるか。もっと攻撃的にすれば良かったとか(外国人記者)
試合内容については、悔いは残っていません。ただ選手たちは、本当に素晴らしく、日本人の誇りを持って、またアジアの誇りを持って、最後まで戦ってくれた。そのことには誇りに思っています。ただ、その選手たちに勝たせてやれなかったのは、やはりわたしの責任。執着心、執念が足りていなかった。そういうふうに感じています。
――「勝つサッカーをする」ということで、途中までシナリオ通りだったと思うが、点が取れなかったのはなぜだと思うか?
サッカーで点が取れなかった原因、それを1つで言うのは難しいことだと思います。もともと、それほど得点力がないので、その中で数少ないチャンスをものにしているチームだと思っています。その点が足りなかった。これを戦術的な分析をするよりも、やはりわたしに執着心、執念が足りなかったと思っています。
――執念が足りなかったということだが、具体的には?(田村修一/フリーランス)
執念が足りないということを具体的に振り返ってみて、自分がこの選手たちに何がしてやれたんだと思ったときに、やはり自分自身がもっともっと、勝つために執着心を持たなければいけなかったのではないかと。それほどしっかり、試合直後に思いつくことがなかったので、そう言いました。
――今大会で世界を驚かせることはできたか。また今後に向けた課題は何か?
われわれは驚かせるためにやるのではなく、勝って驚かそうと言っていたと思います。その意味で、勝てなかった。目標に達せなかったということで満足しておりません。日本のサッカーにとって、今、試合が終わって、こういう形で冷静な分析ができる状態ではないので、追って技術委員会が(分析を)してくれるのではないかと思います。
――後半の頭で遠藤のポジションを上げたが、それは攻撃的にいくためなのか、それとも相手の20番(ネストル・オルティゴサ)に対してなのか。それから最後のFKの場面で「上がれ」と指示していたが、それも含めて攻撃的にいったという認識だったのか?(後藤健生/フリーランス)
遠藤を前に上げたのは前半の20分くらいです。相手が両サイドバックを上げてきて、ボランチが下がった状態で、うちの選手全体が下がり過ぎて、どうしても本田が孤立するということで、前半20分くらいで遠藤を上げました。そのあとの交代は、点を取ることしか考えていませんでした。リスクを冒して点を取ろうという、それしか考えていませんでした。
――最後のパラグアイのPKゴールが決まったとき、何を考えたか?(外国人記者)
まあ、正直、これでわれわれのW杯が終わったと。本当に寂しい気持ちでいっぱいでした。
――円陣を組んだ時に、どんな言葉をかけたのか。また、今回の成績を受けて、代表監督を続投する意志はあるか?
円陣の中で話したのは、われわれのシナリオでは、延長であれ90分であれ、点を取って勝ち切るという目標だったので、点が取れずに勝てなかったのは残念だったけどPKで勝とうよ、というような言葉をかけました。この後のことについては、今はとても考えられるような状態ではないですし、おそらくもうやることはない、というふうに思っています。
――前の試合で「サッカーはチームプレーであることを証明しよう」と言っていたが、それは十分に証明できたと思うか?(大住良之/フリーランス)
われわれのサッカーというのは、レクリエーションでなくて、勝ち負けのあるスポーツ。ということは、結果として勝たないと、やはりいけない。通用したかどうかというのは、やはり結果で答えないといけないと思っています。その意味で、やはりまだ足りなかったという感じが残っています。
http://southafrica2010.yahoo.co.jp/news/ndetail/20100630-00000048-mai-socc
12年にわたる挑戦が幕を閉じた。98年フランス大会で指揮した後、Jリーグ監督も務めて優勝を経験したが、「自分の指導者としての限界を感じていた」。経営学、脳科学、心理学、武術、気功、占星術……。「自分の殻を破る、何か秘密のカギがあるはずだ」と、さまざまな分野にヒントを求めた。http://southafrica2010.yahoo.co.jp/news/ndetail/20100630-00000065-jij_van-socc
そのさなかにオシム前監督の病気退任に伴って緊急登板し、W杯の切符を手にした。だが、今年になって不振が続いた。「岡チャン不合格」と書かれた横断幕が競技場に掲げられたこともあった。今春、岡田監督は親しい知人にこんな連絡を入れた。「負けたことですっきりした。もう大丈夫。逆にファイトがわいてきた」。どん底を経験し、迷いが消えた。パラグアイ戦前日には、こう話した。「私にも理想のサッカーがある。でも今は、日本代表監督として勝つことを考えている」
本大会の躍進で周囲の評価は激変したが、「これだけ変わるということは、また(悪い方にも)変わるということ。バッシングを受けても褒められても、自分は自分の道を進むだけ」と言い切る。
―一夜明けた心境は。
感傷に浸るというより、選手にあと1試合やらせてやりたかった。無念。
―29日の試合後、自らの執念が足りなかったと言った。
選手には百パーセントの力を出せば必ず勝てると言ったが、うそになってしまった。何かが足りなかった。
―「日本らしいサッカー」はできたか。
皆さんで判断してほしい。自分の頭の中では済んだこと。ベストと思うことを、その都度ベストのメンバーでやってきた。
―今後の日本に必要なものは。
これ以上日本のサッカーを背負えない。ベスト16には入ったが、一回の結果で判断できない。長い目で見ないといけない。そのときのW杯でうまくいかなかったおかげで、次にうまくいくこともたくさんある。
―試合後、続投はないだろうと言った。
ないでしょう。(意思は)変わらないですね。
http://southafrica2010.yahoo.co.jp/news/ndetail/20100630-00000646-san-socc
走力では相手を圧倒 日本代表スタミナの秘密
実力的にはワールドカップ(W杯)南ア大会出場32チーム中、下位にランクされる岡田ジャパンが歴史的快挙を成し遂げた要因の一つには、選手が本番のピッチで100%の力を発揮できるよう、綿密に練られたコンディショニングがある。
4年前のドイツ大会はその失敗から“自滅”した。初戦の豪州戦で坪井慶介が負傷。左太もものけがで田中誠が登録メンバーから外れ、大会直前のドイツとの親善試合で負傷した加地亮(あきら)も万全な状態には戻らなかった。結果論ではあるが、W杯開幕直前のドイツ戦にピークが合ってしまい、チームとしての調子はその後、下降線をたどった。
前回と比べるとコンディションは雲泥の差。「選手にけが人がいないのが驚異的。風邪をひくやつもいない。選手自身も(体の)ケアをすごくしてくれている」。決勝トーナメント1回戦が行われるプレトリアに入った6月27日、岡田武史監督はこう話した。
確かに、大会を通じて故障者は驚くほど少なかった。今野泰幸が右ひざを痛めるなど、細かいけがはあったが、毎日、ほとんどのメニューを全員で取り組むことができた。しかも、多くの選手が「コンディションの良さ」を口にした。事前合宿地のスイスでは体の重そうだった選手たちが、本番に入ると90分間、パラグアイ戦では120分間、フルに走り回った。
心配された高地対策も万全だった。1次リーグ初戦のブルームフォンテーンは標高1400メートル、2戦目のダーバンは違ったが、3戦目のルステンブルクは同1500メートル。決勝トーナメント1回戦のプレトリアも同1200メートルある。高地は酸素濃度が低く、疲労がたまりやすい。そのため、細心の注意が必要だったが、高地トレーニングの専門家である杉田正明・三重大准教授を帯同させ、毎日の尿検査や血液検査で各選手の疲労度を数値化、徹底管理した。
高地への順応についても疲労が抜けにくい高地に長くとどまるのではなく、時折低地に降りて疲労を回復させる方式をとった。低地では選手に一定時間低酸素マスクを着用させる念の入れよう。その結果、日本は高地での試合を戦い終えたときでさえ、選手は「ほとんど息苦しさを感じなかった」と口をそろえた。
国際サッカー連盟(FIFA)の公式データによると、チームの総走行距離(延長を含む)は4試合で米国に次いで2位の464.52キロに達した。オランダ戦は日本の108.606キロに対し、オランダは104.261キロ。勝利こそできなかったが、走力では相手を圧倒していた。
相手の分析も徹底していった。チームに常時帯同している分析担当者2人はもちろん、出場国に在住する日本人に随時現地メディアの記事などを送ってもらうよう依頼、情報を集めた。協会内のTSG(テクニカル・スタディーグループ)も大会中、日本が今後対戦しそうなチームの偵察に出かけた。
そして、その情報、データを戦術に生かし切った。例えば6月24日の1次リーグ最終戦のデンマーク戦では相手の左サイドバックのS・ポールセンの守備に難があると見るや、右サイドを徹底して攻めた。本田圭佑は右に流れてパスを受け、GK川島永嗣も右サイドを狙ったように、ボールを送り続けた。
監督とドライバー、メカニックが力を合わせて初めて速く走れる自動車のF1レースのように、岡田ジャパンも監督、選手、スタッフがそれぞれの仕事に責任を持ち、一体となって勝利を目指した。
おそらく、この中の一部が欠けても、ここまでの快進撃はならなかったはずだ。「スタッフ、選手たちの力を合わせて大きな力になった」と岡田監督。日本人の得意な「集団としての力」を前面に押し出し、今回の快挙に結びつけた。
http://number.bunshun.jp/articles/-/34853
岡田監督がパラグアイ戦でみせた戦いぶりに、なんら恥じるものはない。4−3−2−1の守備的な形から入り、後半にかけて岡田監督は勝負に出た。MF遠藤を前線に上げて、点を取りに行った。「リスクを冒してでも点を取りに行った。点を取って勝つ。私は勝って世界を驚かせると言った。だから、点を取って勝つんだと、ずっと選手には言ってきた」。
パラグアイ戦で得点のチャンスは何度かあった。その倍近く失点のピンチはあった。ことごとく中沢、闘莉王、川島を中心に、文字通りに壁になって、シュートを体に当てて防いだ。それでも、失点覚悟で攻めを決断したところに、最後の最後で勝負をかけた岡田監督の真骨頂があった。
岡田監督を支えてきたのは、絶賛と批判を繰り返す世の中への反骨心だった。W杯予選真っ最中だった08年、岡田監督の言葉は痛烈だった。
岡田監督 オレは今でも忘れない。フランス大会で非公開練習をした時、浴びせられた言葉を。「お前は代表の様子を世の中に伝える義務がある」と言われた。非公開練習はサッカー界では常識だった。それを一方的に断罪された。それも代表監督を「お前」と呼ぶ、その見下した光景を忘れられない。
選手と戦い、世の中の評判と戦い、そして結果を出そうともがいた。結果を待ってから批判も称賛も選べる世間の評判に対して、旺盛な敵対心を持ち続け、それをエネルギーに変えた。この日、何度も岡田ジャパンの評価について質問され、「それは皆さんが決めてくれれば」と精いっぱいの言葉を返した。
http://southafrica2010.yahoo.co.jp/news/ndetail/20100630-00000025-maip-spo
TBS系で29日深夜に生中継されたW杯決勝トーナメント1回戦、日本対パラグアイ戦のPKの時の視聴率は どれ位に行くんだろうねw
平均視聴率は関東地区57.3%
だったことが30日、ビデオリサーチの調べで分かった。
今回のW杯中継では最高。
視聴率は集計の都合上、
放送開始の29日午後10時40分から30日午前1時10分(延長前半13分)までの数値。
瞬間最高視聴率は
関東が前半ロスタイム中の午後11時46分の64.9%、
名古屋は午後11時39分の61.0%だった。
後から分かれば良いんだけど
http://southafrica2010.yahoo.co.jp/news/ndetail/20100630-00000028-mai-spo
TBS系で29日深夜に生中継されたサッカーのワールドカップ(W杯)南アフリカ大会決勝トーナメント1回戦、日本対パラグアイ戦の平均視聴率は関東地区57.3%(関西地区54.1%)だったことが30日、ビデオリサーチの調べで分かった。今回のW杯中継では最高。視聴率は集計の都合上、放送開始の29日午後10時40分から30日午前1時10分(延長前半13分)までの数値。瞬間最高視聴率は関東が前半ロスタイム中の午後11時46分の64.9%、関西は午後11時41分の62.3%だった。
http://southafrica2010.yahoo.co.jp/news/ndetail/20100630-00000009-ykf-spo
オシム節さく裂、成長太鼓判も「侍のように勇ましく戦うべき」
8強を逃した日本代表について、「W杯で日本は自信を手にした」と評価。一方で、「もっと侍のように勇ましく戦うべきだった」と苦言を呈し、メディアやファンにも成長を求めた。
オシム氏は、日本がPK戦の末に敗れたパラグアイ戦後に解説として登場。120分間の死闘を演じた日本代表について、「サッカーファンではない人の目を開かせる戦いだった。選手たちはこの戦いで自信を手にしたはずだ」と賞賛した。
格上のカメルーンやデンマークを下し、強豪オランダと互角の戦いを演じた日本の戦いぶりを「どんな強豪ともかなり対等な試合をすることができるということが証明された」と評価した。
一方、「自分の力だけでゴールを上げることができるという誤解に基づくプレーがあった」とワンマンプレーには苦言。「日本人は歴史を通じて勇敢さを保ってきた民族。侍の時代にしろ、戦争中の神風攻撃にしろ、勇気がなければできない。サッカーでは自分の命をピッチの上で失う危険はない。もっと侍のように勇ましく戦うべきだった」と代表の消極プレーに注文も出した。
また、PK決着に批判的なオシム氏は、「W杯の試合でこういう形で決着するのがふさわしいのかどうか」とFIFAにもチクリ。「『こぼれたミルクは戻らない』ということわざがある。今日の日本はミルクをこぼしてしまった」と、悔やんだ。
「今後はW杯でどこまで勝ち進むかということを意識したトレーニングができる。そういう日本代表になることができる」と代表の成長に太鼓判を押したオシム氏。
最後は「ゴールをあげた選手だけが注目される」とメディアを批判。「代表ばかりでなくJリーグの試合も見るべき」とファンへの注文も忘れなかった。
http://southafrica2010.yahoo.co.jp/news/cdetail/201006300006-spnavi
元清水エスパルス監督で日本サッカーにも精通するズドラヴコ・ゼムノビッチ氏に、パラグアイ戦の印象、そしてW杯における日本代表の戦いについて、語ってもらった。
■ベスト8に進めなくても後悔する必要はない
最後はPK戦で負けてしまいましたが、日本サッカーのいいところを世界に見せられたのではないでしょうか。これまで世界の強豪と戦うと差を感じてきましたが、今大会はその差はありませんでした。日本は世界の強いチームと並んでいると思います。
パラグアイ戦の試合の入り方は、グループリーグの3試合と同じで、W杯本大会に入ってやってきたディフェンスがしっかり機能していました。わたしが思うに、日本は今大会で最も組織的なディフェンスをしていました。日本はラインコンパクトに保ち、ボールに対してアグレッシブにいく。相手に時間とスペースを与えない。こうした戦いが常にできていました。
攻撃に関してはカウンターを狙っていました。ポゼッションはパラグアイが58%、日本が42%と少し下回った。でも、これも作戦だと思います。相手にボールを持たせておいて、カウンターに出ると。本田が前にいることでボールが収まるし、大久保、松井、遠藤などが前線に出て仕掛けていました。その中でファウルをもらってFKからチャンスをうかがうという狙いがはっきりしていました。シュート数も負けていません。日本が16本、パラグアイは18本。枠内シュートはお互い6本ずつ、と数字の上ではどちらがベスト8に進んでもおかしくない試合でした。内容的にも、日本はフィジカル面でも、走ることでも、精神的にも負けていませんでした。
こう着状態がずっと続き、最後の最後に、岡田武監督は中村憲を投入して勝負に出ました。これは勝ちにいくというさい配でしたね。アンカーの阿部に問題はなかったけど、もっと前に出られる、攻撃的な選手を入れた。この変更は機能していたと思いますが、ゴールを奪えなかったのが残念です。でも、80分くらいまでは日本のペースでした。
最終的に、日本は点を取れなかったわけですが、それは相手も同じ。パラグアイも日本の守備を崩せず、得点できなかったのです。パラグアイには日本よりもヨーロッパで活躍する選手が多い。サンタクルス(マンチェスター・シティ)、バルデス、バリオス(共にドルトムント)などが偉大なクラブでプレーしています。そんな彼らでもゴールを決められなかった。こういうゲーム展開になると、お互い相手のミスを狙いながら、できるだけ失点しないようにディフェンシブになります。そんな状況でも、岡田監督は最後の10分でリスクを背負って攻めに出た。結果は出なかったけど、その姿勢は評価できると思います。
ベスト8には進めませんでしたが、後悔する必要はありません。日本は悔しさの残らない試合をしたのです。過去の大会では、自分たちの力を出し切れず、心残りのまま終わってしまいましたが、今大会ではすべてを出し尽くして戦いました。世界のメディアが日本の戦いを素晴らしいとたたえたのです。ここまでのディフェンスができたのは日本しかいません。
W杯で戦った4試合を振り返っても、守備は安定していました。日本は4試合で2失点しかしていない。ほかのチーム、例えばイングランドは1−4でドイツに敗れましたが、日本はそんなことがまったくなかった。見ていてもすごい安心できるディフェンスでした。選手の動き、ラインコントロールなど、一人一人が役割をきっちりこなしていたのは日本だけ。今まで、最も守備が強いチームはイタリアでしたが、今大会、そのイタリアは最終ラインが機能しなかった。逆に日本は素晴らしいディフェンスができていたと思います。
日本は本大会直前にやり方、システムを変えて臨むことになりましたが、岡田監督はよく決断したと思います。強い守備がチームを勝利に導く。これはW杯だけでなく、あらゆる場面で言えることですね。攻撃的なサッカーはボールはつながるけど、上に行くにはそれ以上に守備でのハードワークが求められます。
日本代表が南アフリカで示した戦い方は、今後、日本サッカーが目指すべき方向性になると思います。これからはこうした戦い方で世界に立ち向かうのだと。今回の戦い方は日本に合っていたと感じました。日本では、どこのチームもゾーンディフェンスをやっていて、小さいころからみんなそれを習っています。守備に関しては、この方向性を追求していけばいいのではないでしょうか。
あとはFW、前線でいい仕事のできる選手を育てることが大事です。例えば、本田みたいな選手、前でボールをキープできる選手、突破できる選手などですね。もちろん、ゲームメーカーも育てないといけません。日本にもこういう選手はすでにたくさんいますが、世界で戦える選手ですね。
その意味では、今後さらに日本が上に行くためにすべきことは、育成の見直しでしょう。Jリーグではなくて、それよりももっと若い選手たちの育て方を少しずつ変えないと。W杯を戦った選手たちは精いっぱいやった。日本代表はすでに出来上がったチームなので、これ以上変わることは難しい。そこを変え、世界で勝てるようにするには、選手の育成が何よりも大事になります。小学生、中学生、高校生、彼らのベースアップを図り、スキル(技術)を上げ、動き方の特徴を生かすことが重要です。
今大会の結果を、日本は前向きにとらえていいと思います。すごいですよ、日本のサッカーは。世界からの評判もいい。ここを出発点に、ベースとしながら、さらに新しいことを上乗せして上に行けるように。日本にとってはすごいチャンスなのですから。最後に、わたしから日本の皆さんに一言、「おめでとう」という言葉を贈りたいと思います。
このチームで もっとやりたかった、
選手と代表チームも そして観客も 両方が そう思える敗戦。
それは あのドイツの時の
もう二度と見たくない という敗戦とは 完全に真逆だよね。
日本人の敗戦の美学に 見事に合うような
負けて なお得られるモノが有る そういう瞬間を眼前に迎えられる時は
せめて それを しっかり受け止めて置きたいよね。