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2010年07月01日

苦しくも至福の時間だった150分 2時間半。
「プレトリアの死闘」という悲しくも甘美な思い出が刻まれた。 その1

サッカーコラム J3 Plus+  日本代表のスタッフと27人の選手をたたえよう。
パラグアイ代表チーム、おめでとう。やっぱり、南米のチーム。強かった。

ポルトガルリーグの得点王が途中から出てくるというのは反則ではないのか?

0対4で敗れた南米選手権から11年。あの時よりも日本代表は手ごわいチームになっていたかな?



1998年のフランスワールドカップのフランス戦。

パラグアイの人はあの試合のことを思い出したことだろう。

12年前と同じような展開で進んだ試合は、あの時とは逆に、勝利の女神はパラグアイにほほ笑んだ。



次は、スペインかポルトガル。

どちらも厳しい相手だと思う。でも、パラグアイならいい試合ができると思う。

日本は負けてしまった。だから、今度はパラグアイを応援したいと思う。

それにしても、この日も岡田監督の采配は冴えていた。
阿部→中村憲の交代には驚かされたが、ロマンを感じる交代だったと思う。
現実主義の岡田監督らしくはない交代だったけれども、
もしかしたら、これが本来の岡田監督なのかもしれない。



駒野のPK失敗は仕方がない。誰も彼を責めることは出来ない。
今回は、たまたま、彼が外したにすぎない。
ロベルト・バッジオのありきたりな言葉を送ると、
PKを外す事のできる選手はPKを蹴る勇気のある選手だけだ」。
頑張っていた選手がPKを外して悲劇のヒーローになるのは、よくあるパターンである。

ありがとう岡田ジャパン。
勝利のために、グループリーグを突破するために、ベスト4に進むために、闘う姿は美しかった。
「ポゼッションサッカー」だけが美しいサッカーではないことを多くの日本人に示した。
サッカーの多様さな魅力を世界中に示すことができたのではないだろうか?

もう、明日からは次の4年間がスタートだ。

ただ、今日だけは、
世界のベスト16に入った日本代表のスタッフと27人の選手をたたえよう。


スポーツ見るもの語る者〜フモフモコラム:見事なベスト16!勇敢に戦った日本代表が美しく大会を去るの巻
見ている側としては、今大会は非常に満足出来るものでした。ワールドカップというお祭りを、予選から本大会、そしてベスト16まで楽しむことが出来たのです。200あまりの国と地域が参加したお祭りで、日本は残り10チームにまで残りました。もしパラグアイに勝っていれば、日程の関係で「残り5チーム」に入ることが確定するところまできていました。敗れ去った多くのチームが楽しめなかったものを、味わうことが出来ました。4年間たっぷり楽しめたのですから、もうこれは大満足です。

ピッチを駆ける選手たち。最後の一歩、最後の一足を出す根性。苦しい時間をじっと凌ぐ忍耐。チャンスと見るや猛然と攻め上がる勇気。批判や逆風にも揺るがず、高い目標へと突き進んだチーム。走り続けたチーム。延長を終えたあとはピッチに多くの選手が倒れこみました。さっきまでの力走が嘘のように、動けなくなっていました。

ことあるごとに選手たちは肩を組み、心をひとつにしていました。外した選手を誰一人責めることはなく、痛みをわかち合っていました。誇らしく、美しいチームでした。胸を張って日本に帰ってきてほしいヒーローたちです。

それでも、届かなかった。

今大会、日本チームは万全の状態で迎えられました。コンディション調整の成功もあり、過去にないほどの絶好調で大会に入る選手が頻出。怪我やカードでメンバーを欠くこともなく、理不尽な判定に見舞われることもなく、スムーズに戦うことが出来ました。選手たちは一体となり、まさにチームの力を結集していました。なかなかこれ以上の状態はないでしょう。それほどいい戦いが出来た中でも、ベスト8には上がれなかったという現実。120分間守り抜きながら、1点を奪うことは出来なかったという現実。これこそが、現時点での日本の位置。


4年前はただただ無念さが残り、次の一歩をどう踏み出せばいいのかもわかりませんでした。しかし、今回は違います。日本人の選手と日本人の監督による「日本サッカー」でも、十分に世界と戦えるという自信を得ました。 「みんなで」「賢く」「献身的に」「走る」という日本の長所・特徴を知ることが出来ました。そして、世界との距離を肌で感じることが出来ました。目の前が明るく開けたような気がします。すぐにでも次の一歩を踏み出したくなるような、大きな手応えが残っています。選手たちもそう感じているのではないでしょうか。

ワールドカップだけがサッカーではありません。日々は続いていきます。すぐにJリーグも始まります。お祭りを終えて、「本当の仕事」に選手たちは帰っていきます。ならば、それを熱く温かく見守ることがファンの「本当の楽しみ」。4年に一度のお祭りを待つだけじゃ退屈でしょう。1000円札を何枚かポケットにねじ込めば、遠藤の芸術的FKや、闘莉王の暑苦しさ、大久保がうっかり点を取る姿、川島のドヤ顔が目の前で見られるのです。もし彼らが海外で新たな冒険を始めるとしても、次代のサムライを見守る喜びがあります。最高の暇つぶしじゃありませんか。この4年がそうだったように、次の4年もきっとまたあっという間です。

お疲れ様日本代表。面白かった。ワクワクした。泣いた。

新しい歴史をありがとう!



果てしなく続く我慢比べ。


そしてパラグアイが3本目を決めたあと、この日のハイライトとなる駒野のキックが訪れます。

駒野は2007年のアジアカップ・オーストラリア戦でも3人目でPKを任されたように、
隠れたPK職人。
このチームの中でも名手のひとりです。
しかし、PKを外すのは いつも名手。
ゴール上へと叩き込む勇敢な駒野のPKは、クロスバーに阻まれます。
GKが絶対取れないコースを狙ったPK。
名手ゆえ、勇敢な男ゆえの外し方でした。

今日も雨が降っている・・・・・・。: AFCアジアカップ 2007 日本 vs オーストラリア 2007年07月22日
PK戦

   オーストラリア:日本
×   キューウェル:俊輔    ○
×      ニール:遠藤    ○
○     カーヒル:駒野    ○
○      カール:高原    ×
○     カーニー:中澤    ○

http://blog.livedoor.jp/vitaminw/archives/52512690.html
今大会、日本は何度もクロスバーに救われました。
この日は敵に回ったクロスバーさんですが、そういう日もあります。

選手たちは、このチームでの戦いが終わることを想い、涙を流していました。ベンチで静かに涙をこぼす闘莉王。ひとりたたずむ大久保。声を上げ、号泣する駒野。その肩を抱き、駒野よりも激しく泣きじゃくる松井。そこに寄り添うアテネの仲間・阿部。そっと頭を撫でた稲本。PKを外した駒野の痛みを分け合うように次々に仲間が集まっていきました。試合中に長友・遠藤という今大会の主軸がイエローカードをもらい、累積警告で次戦は出場出来なくなりました。もしここで勝ったとしても、その先はもうなかったかもしれません。それでも勝ちたかった。勝たせてやりたかった。そんな、いいチームでした。


駒野はこの試合のことを忘れられないでしょう。同じように、僕らもこの試合のこと、駒野のことを忘れないでしょう。多くのヒーローが生まれ、喝采を浴びた日本代表の中で、駒野は目立たず静かに自分の仕事をこなしてきました。中継したTBSの番組告知でも、各メンバーの名前を挙げる中で、駒野の名前はしっかりと漏れていました。そんな男が、クライマックスのスポットライトを一身に浴びたのです。僕は、これをサッカーの神様からの贈り物だと思います。

この先何十年も、僕らはこの場面を思い出すのです。同じような場面が訪れるたびに、駒野の涙がよみがえるのです。ドーハの悲劇のように、何度も何度も振り返るのです。あのドーハのピッチに崩れ落ちた中山や、最後のクロスに足を伸ばしたカズ、頭を抱えて座り込んだラモスの姿は、日本サッカー界の歴史であり、大切な記憶です。唯一ラモスが美しく見えた瞬間です。駒野はそんな素晴らしい瞬間に、自分を刻み込むことが出来たのです。多くのファンの胸に、自分を刻み込むことが出来たのです。ちょっとした駒野記念日です。

「みんなで」「賢く」「献身的に」「走る」 を もっとも地味に続けたのが駒野だった。
それは
大和民族系日本人の美徳“無垢な善性”という「みんなで」「賢く」があり
「献身的に」誰が見なくても「走る」を続ける“勤勉さ”を端的に体現している姿でもあった。
なおかつ、
そうであったとしても 諸行無常という敗者の美学が待ち受けてしまう という
大和民族系日本人の美意識の琴線に触れまくる これ以上ない好例でもあった。
だからこそ 大和民族系日本人ならば
その姿に感動し涙をして万雷の拍手を送れるのだ。

スポーツと政治を絡ませて安易な国粋主義というカルトの布教を
事あるごとに結びつけ続けるマスコミ新聞テレビ大手メディアなどなどの連中が存在し続ける限り
その対極に位置する思想を 俺は書き続けようと思う。


優勝でもしないかぎり、いつかどこかで負けるもの。

どこで負けるかよりも、どう負けるかが大事。

この日見せた、日本の美しい負けは、決して悲劇ではありません。

栄光という、眩しい光の中に消えていっただけのこと。

「サッカー」は終わらず、これからも続いていきます。

次にまた素晴らしい場面に出会えるよう、これからも見守っていきたいものですね。




幻想の終わり、夢の続き。: 見物人の論理
 残念。

 ほかに言葉がない。日本代表の冒険は、ここで終わってしまうのか。


 負けたことよりも、ベスト16止まりという結果よりも、このチームをもっと見続けていたかった。
 大会が始まってから1試合ごとに目覚ましい成長を見せたこのチームが、どこまで行けるのかを。
 それが断ち切られてしまったことが、何よりも悔しい。


 南アフリカ大会は、ある意味で、日本のサッカー界が囚われてきた幻想に終止符を打った、という意味を持つことになるんじゃないだろうか。
 「日本選手は技術が高い」とか、「中盤のパス回しなら一流」とか、そういうところをストロングポイントと考えて岡田監督はチームを作ろうとしてきた。前任者の「日本代表の日本化」という宣言が鮮烈に印象に残っていたこともあり、そういう基本姿勢を疑う人、否定する人は、ほとんどいなかった(岡田監督の技量でそれが実現できるのか、という懸念や批判はあったにしても)。

弱者の戦法ではあっても、2試合目、3試合目と大会が進むにつれて、チームは、攻撃的な闘い方を少しづつ模索しはじめた。本田だけでなく、松井や大久保、遠藤、長谷部、岡崎らがコンビネーションの片鱗を見せはじめた。3試合目が終わった後に岡田監督が会見で話していた通り、自分たちのどこまでが通用し、どれが通用しないのかという見極めを、選手たちが肌で理解しはじめた、ということなのだろう。

 ベスト8を争うパラグアイとの試合も、入り方はこれまでと大差なかった。
 パラグアイといえば思い出すのは1998年フランス大会。GKチラベルトを中心とした、しぶとく守り抜くチームで、延長の末、ブランのゴールデンゴールに散ったフランス戦は、あの大会の白眉のひとつだった。
 だが、そんな私のイメージよりもパラグアイは攻撃的だったし、選手たちは日本よりも早く疲れ始めていた。パラグアイは幾多のチャンスを作ったがミスも多かったし、試合が進むにつれて守備にも隙を見せ始めていた(とはいえゴール前の堅さは最後まで変わらなかったが)。

このチームは、遠藤ー長谷部というラインの後ろに阿部を置く形と、前に中村憲剛を置く形、2つのオプションを手に入れた。相手との力関係や状況に応じて、この2つを使い分けながら戦うというやり方が見えてきた。

 だから、中村投入後に1点を取って勝ち上がることができたなら、日本代表はさらにバージョンアップを重ねることができただろう。一度は見切りをつけた戦い方を再構築して、このレベルの相手にも通用するところまで磨き上げることができたかも知れない。
 そのチャンスを失ったことが、何よりも残念だ。


我慢比べの120分 
ハーフタイムなどの時間 約20分
PKの時間 約10分
苦しくも至福の時間だった150分 2時間半。
それが もう味わえないのかと思う 本当に残念だ。
けれども また期待もできる とも思えるからこそ
甘美な思い出として 心に刻める それが「プレトリアの死闘」だったよね。




ゲーム戦術を駆使して勝ち抜いた日本代表 - サポティスタ
相手との力関係を考え相手の良さを消し戦術的に戦った日本代表。評論家の後藤健生氏は今大会の日本代表チームをこう評する。

「先日までナイーブな大人しいサッカーしかできなかった日本代表とは思えないような戦い方だ。日本も、本当に大人のフットボールができるようになったものだ」

その一方で、こうしたサッカーを「つまらない」と切り捨てる人が、いわゆる「専門家」の中にもいる現状に対して疑問を呈している。

「試合のために戦略を立て、うまくそれを実践すれば、多少実力的に劣るチームであっても勝利を収めることができる。あるいは、コンディションが良ければ実力差はひっくり返せる。それが、サッカーというスポーツの面白さであり、ワールドカップのようなトーナメントの醍醐味である」

「だから、『日本代表のサッカーはつまらない』などという人は、サッカーの本質を履き違えているとしか思えない」


J SPORTS|コラム 【後藤健生コラム】日本代表のサッカーはアンチフットボールなのか?
http://www.jsports.co.jp/press/column/article/N2010063012505402.html

ワールドカップ初の8強を目指した日本は、パラグアイ相手に真っ向勝負を挑んでPK負けという形で2010年の挑戦を終えた。

パラグアイは、伝統的に守備の強い国だ。一方の日本も、今大会では堅い守備からのカウンターやセットプレーからの得点で勝ち上がってきた。実際、試合が始まってみると、両チームの慎重さが目立った。相手のミスを拾って大久保がいきなシュートを放ったが、これがこの試合のテーマだった。自らのビルドアップで崩すことはできず、互いに相手のミスを狙って得たチャンスが多かったのだ。

日本代表が前から激しいプレスをかけても、南米の選手には特有のキープ力があり、パラグアイがボールを失う場面はほとんどなかった(これが、日本が中南米のチームを苦手にしている理由だ)。だが、パラグアイの方にも余裕はなく、日本がプレスをかけると簡単に後ろに戻して逃げてしまう。パラグアイが引き気味なのは、日本を前におびき出そうとしたのかもしれない。

だが、今大会の日本代表は本当に大人だ。

簡単には相手の誘いに乗らないから、パラグアイも自らが仕掛けなければならなくなる。
そして、ゲームは膠着状態が続く。20分を過ぎてパラグアイのキープの時間が長くなるが、その後再び日本が上回る時間もめぐってくる。一進一退の展開が続く。パラグアイはMFのカセレスが出場停止で、代役として入ったオルティゴサがボランチとして左右に大きくボールを展開する。日本の3人のMFは深い位置にいるオルティゴサのチェックに行けず、オルティゴサからのボールが脅威だったが、ロングボールが流れてゴールラインを割るシーンが多く、日本としては助かった。

その後、日本は遠藤を高い位置に上げて、このスペースに人を配置して、オルティゴサをチェックするとともに、攻撃の厚みも増そうとした。こうした膠着状態の間にも、ゴール前、中盤で激しいボールの奪い合いが展開される。結局、双方ともチャンスはありながら、最後までゴールを決めきれないまま、延長も終了してPK戦に突入してしまった。



特筆すべきは、
パラグアイというハードな相手と戦った日本代表が、
激しいぶつかり合いにも一歩も引かず、逃げることなく対等に闘い続けたことだ。

グループステージのカメルーン戦では、
うまく90分をマネージメントして無駄な動きをしない戦い方で勝点3をゲット。

オランダ戦でも、
先制ゴールを決められた後、攻めに行きながらも守りもきちんとケアして、
失点を1にとどめるクレバーな戦いを繰り広げた。

そして、世界のサッカー界の中でもハードなプレーで知られるパラグアイとも
互角の「どつき合い」を演じたのだ。




日本では、こういうサッカーを「つまらない」と切り捨てる人が(「専門家」の中にも)いるようだ。

たしかに、華々しい個人技が見られるわけではない。スペクタキュラーなゴールがあるわけではない。だが、延々とボールの奪い合い演じ続けるのも立派なサッカーなのだ。いや、そもそも150年前にサッカーが生まれた頃、フットボールというのは、ボールの奪い合いが主体のゲームだったのだ。カメルーン戦やオランダ戦でのような、ゲームの流れを読みながら、自在に戦い方を変えたり、この日のパラグアイ戦のように激しいボールの奪い合いを繰り広げたり、つい先日までナイーブな大人しいサッカーしかできなかった日本代表とは思えないような戦い方だ。日本も、本当に大人のフットボールができるようになったものだ。

今回のワールドカップでの日本代表は、相手との力関係を考えて、相手の良さを消しながらしっかり守って、カウンターやセットプレーで点を取るという戦い方をした。いわば、ゲーム戦術を駆使して勝ち抜いた大会だった。試合のために戦略を立て、うまくそれを実践すれば、多少実力的に劣るチームであっても勝利を収めることができる。あるいは、コンディションが良ければ実力差はひっくり返せる。それが、サッカーというスポーツの面白さであり、ワールドカップのようなトーナメントの醍醐味である。もちろん「守りを固めてカウンター」といっても、それはそれなりの技術、戦術がなければ実行できるものではない。

だから、「日本代表のサッカーはつまらない」などという人は、サッカーの本質を履き違えているとしか思えない。

もちろん、将来的には、テクニック的にもフィジカル的にも相手を上回って、やりたいサッカーを貫いて、相手を圧倒して勝つようになってほしいものだ。だが、その課題は代表チームのスタッフの仕事ではない。各クラブや学校で育成に携わっている人たちの、そして、それを統括していく日本サッカー協会の仕事である。

8年後か、24年後か……。いつかは、ワールドカップで日本がそういう地位を占め、相手側がゲーム戦術を駆使して日本に挑んでくるような時代が来てほしいものである。


後藤 健生 06月30日12:50




http://blog.hokkaido-np.co.jp/sports-ryuji/archives/2010/06/post_129.html
 魂のゲームを見られたことに感謝します。勝利は常に望むものですが、敗戦こそが勝利に倍するヒントを与えるものです。悲しさ、悔しさの涙こそ、次へのステップです。
 長谷部キャプテンのキャプテンシーは、見事でした。ゲーム後、「Jリーグを応援してください」とキャプテンが語るところが、このチームの強さでした。
 岡田監督の一喜一憂しない強さは、日本サッカーを明日に繋げてくれました。
 応援も、批判も否定はしません。それも楽しみだと思います。ただ、スポーツの世界には、非難一辺倒は似合いません。前に進めるための応援が大事だと思うのです。


長谷部 Jリーグにも足を運んでください - Google 検索


ラストゲーム…長かった4年間
http://southafrica2010.yahoo.co.jp/news/ndetail/20100630-00000048-dal-socc
 4年前のW杯ラストゲームは大きな失望感と共に終った。正直に言えば、その数週間前の大会初戦の逆転負けで、ジーコジャパンの終結を思った。もちろん初戦に敗れても可能性は残っていた。けれど、練習時間のすべてをシュート練習に費やすチームの雰囲気は日々悪化しているように感じたし、気持ちのどこかで、南アフリカ大会のことを考えてもいた。
 しかし、ドイツ大会終了後に始動したオシムジャパンには、ドイツを戦って選手のほとんどが外れていた。海外でプレーする選手だけでなく、20代後半の働き盛りの選手たちもいない。ドイツでの空しさを晴らす場所もなく、彼らは“古井戸”と言われて退けられた。
 3連覇が懸かっていた2007年のアジアカップは3位決定戦で韓国に敗れ、若い代表選手たちの成長を感じることもなく終った。しかし、その年秋のオーストリア遠征で、スイスを相手に逆転勝ち。後半相手がメンバーを落としてきたのも事実だが、欧州組も融合され、「日本人らしい組織的かつ攻撃的なサッカー」で、世界に近づけそうな予感は十分にあった。
 そして11月、オシムが病に倒れて、岡田監督が就任する。2008年アジア3次予選を突破し、2009年W杯出場権を獲得する。その年の秋、オランダと対戦。前から守備をしかけ、相手を封じ込めるというサッカーで善戦。しかし、終盤に失速し、大敗を喫した。それでも岡田監督は「W杯ベスト4」という目標を変えなかった。
 それでも監督は「日本のサッカーの可能性を感じた」と大きな手ごたえを得ていたようだった。
 2010年2月の東アジア選手権でホームながら3位という結果に敗れた。3月の試合には勝ったが、4月、5月と親善試合に負けた。
 特に5月の韓国戦では、圧倒的なレベルの差を突きつけられた。彼らは欧州のチームにも引けを取らないフットボールで日本を砕いた。
 この試合後、岡田監督は進退伺いをにおわせる発言をした。W杯直前、チームはどうなってしまうのだろうかと、無責任な監督の行動に怒りを覚えた。しかも、翌日には「冗談だった」という始末。公式会見で冗談を言える立場ではなかっただろうに。
 その後、高地対策としてスイスで合宿。4-2-3-1という過去の布陣を捨てて、DFラインの前に阿部を置く3ボランチを実施。守備ブロックの位置を自陣に下げたことにより、ゴールを狙うやり方にも変化が必要になった。スイス合宿序盤、選手たちだけでミーティングを開いた。「自分たちは強いわけじゃない」と闘莉王が熱弁を振るう。「戦う気持ちが足りない。球際で相手に勝つには気持ちが大事だ」と松井をはじめ、欧州でプレーした経験を持つ選手が渇を入れる。
 続く、イングランド戦、コートジボワール戦にも敗れ、親善試合4連敗。危機感が高まる。
「みんなの中でもベスト4というのがずっとあったけど、コートジボワールとイングランドに負けて、このままじゃいけないというのが出たんじゃないですかね。それを言葉に発しただけでもみんながそういうことを思っていたんだという一体感が出たと思う」と話す岡崎は、長い間勤めてきた1トップでの先発の座を奪われ、アウトサイドのサブに回った。
 負傷で出遅れた中村俊輔、内田篤人にも先発の椅子は残されておらず、不動のGKだった楢崎も控えとなった。
「4-4-2のままで僕たちがボールを持つというサッカーをしていたら、どうなっていたかはわからない。ただああいう時期に、守りを固めるために阿部ちゃんを1枚入れて、守りから速攻という形に変えたことで、逆に大会前に刺激があって、みんなが引き締まったこともあると思う。いろんな面でいい方向に転がったと」と俊輔。
 W杯メンバーは攻撃陣の数が多いにも関わらず、守備的布陣へ変更したことで、攻撃的な選手の出場チャンスは自然と少なくなる。しかも、出場できた選手とて、自分のプレーよりも守備に追われ、ストレスも小さくはなかったはずだ。
「それまでの結果が4連敗だし、やっぱり、なりふりかまっていられないというのは、選手自分たちが作った結果だった。そこで、方向転換するのは、必然というか、まあ、岡田監督の判断だし、選手はそれを遂行するしかない。カメルーン戦が、そこにあってくれたから、そこへ向かってみんなでまとまれた。その試合で勝ち点3が獲れたし、みんなが盛り上がらない理由はない。本当にシンプルに意志統一ができている」と憲剛。
「戦い方が変わってもやることは決まっていますから、動揺はなかった。うまい選手もたくさんいますけど、守備だけやっていても、文句をいう選手がいない。それだけみんなチームが勝つために、自分の持ち味を押さえてでも、まず、点を取られないようにということで、入ってくれたので助かる」と中澤が彼らを称えた。
 世界と日本とのレベルの差。それを考えれば、守備重視は当然のことだと、大会前から中村(俊)や中澤、松井らが語っている。それに監督が気づいたのが1か月前ということなのだろう。監督は「主力の選手がコンディションやメンタル面での調子が良くなくて使えなかったから、現在の戦い方を選んだ」という意味の発言をしているが、彼の決断の理由はわからない。とは言え、急造チームは多くの選手たちの献身的な思いのもとで、進化し、結果を残した。これはピッチに出ている選手だけの手柄ではない。
「(4年前に比べたら)よりチームのためにやれるようになったかなとは思うし、個人のことよりもチームのために目を向けることが優先的にあったと思う。いろんな経験をして、自分が出ている、出ていないとは別に勝ちたいという気持ちが前よりは強くなった。だから、そのために何ができるかと考えていた」
 そんな風に話す稲本は、「やれることはやった」とすっきりとした表情で語った。
「人生にとってもっとも大きな挫折かもしれない。辛いのと悔しいのとしかなかった」と話す俊輔とて、ピッチ外での仕事には悔いは残っていないだろう。
 初戦に勝ち、オランダには最小失点で敗れ、デンマーク戦も3-1と勝利した。大きく掴んだ守備への自信を胸に挑んだ決勝トーナメント初戦のパラグアイ戦だったが、120分戦い、スコアレスドローでPK戦の末に敗れた。
 もう少し早く、3ボランチの戦い方を始めていれば、もっと攻撃の精度もあがっただろう。やはり1ヶ月ではそこまでの時間はなかった。この守備に、攻撃力が身についたら、確実にもっと上へ行けたかもしれないと、考えられずにはいられない。
 しかし、もうこのチームは解散した。新しい監督がどんなサッカーを志向するかで、メンバーも大きく変わってくるだろう。世界的に見ても日本には強力な武器を持ったエースはいない。選手個々の能力では、ジーコジャパンの選手たちのほうが上だった。でもだからこそ、全員が組織的にまとまり、小さな歯車が重なり合うことで、大きな力を生み出す。それがこの日本代表。憲剛は力強く言った。
「サッカーをやっているのは11人だけじゃないので、23人、サポートメンバーを入れた27人がこのチームです。他のチームよりまとまっていて、優れていたと思う。ヨシカツさんをはじめ、経験豊富な選手がベンチでもしっかりやっていた。そういうのを見て心を打たれない選手はいないと思うし、これはこのチームの誇るべきところだと思う。次の代表でもこの経験は絶対に忘れないと思う。チームの和があって、ここまで来たと言うことは忘れないと思う」
 人生初めてのベンチを経験した内田篤人は「今まで見ていなかった世界、思ってもみなかった世界を見た」という。そして、数日後にはドイツのシャルケで新しい選手生活をスタートさせる。
「この経験が活きるかどうかは、これからの自分の頑張り次第だから」
 世界を驚かせる結果は残せた。しかし、日本代表が世界に認められるかどうかもこれからに懸かっている。
 一夜が明けたプレトリアには燦燦と太陽がふりそそぎ、冬だとは思えない晴天。そして、日本代表のW杯が終ってしまったことすら、忘れてしまいそうなほどに明るい。そして、ブラジル大会のことは考えられない。また次の試合があるようなそんな気分さえしてしまう。
 4年間は長かった。いろいろなことがあった。いいことも悪いことも。選手たちはそれがどんなものであっても日々を明日の糧にするために戦う。(


http://fukug.blog.so-net.ne.jp/2010-06-29
ひとつのアイディアなんだけど、ヨーロッパの国々に追いつくために、アジアと中南米、もしくは中米カリブだけでもいいから合同の大会ができないものか。オセアニアも含めた環太平洋選手権とか。4年に一度しか世界の国々と本気で戦えないのはつらい。サッカー界のお偉い方々に一考してほしい。

P.S. 駒野にパラグアイのバルデスが熱心に声をかける写真を見た。一番、泣けた。

http://fukug.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_ed6/FUKUG/wca1006301031033-p4.jpg

http://fukug.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_ed6/FUKUG/wca1006301031033-p5.jpg


http://twitter.com/nissu_t9silver/status/17396773353
重要な事なのでもう一度言っときます。
「PK戦は誰かが失敗するまで続くゲームです。
 失敗者を必ず生み出す残酷なくじ引きです。
 何も恥じることはありません。」
by オシム


・オシムとPK: 肩の力を抜いて 2007年7月22日 (日)
オシムは1990年のイタリアワールドカップのユーゴスラビアの代表監督である。

オシムとPKの物語はこの大会で生まれている。

当時のユーゴは、

7つの隣国

6つの共和国

5つの民族

4つの言語

3つの宗教

2つの文字  により構成される

1つの国   と言われ



1980年にカリスマ大統領のチトーが死去してから分裂の危機にみまわれ、1990年のワールドカップ以降、戦火を交えながら解体の道を歩んでいく。

6つの共和国@スロベニアAクロアチアBボスニア・ヘルツェゴビナCセルビアDモンテネグロEマケドニアは現在の独立国家。


1990年のイタリア大会。オシム率いるユーゴは、準々決勝でアルゼンチンと対戦する。

退場者を出したユーゴは、アルゼンチンと互角に戦い、試合は延長でも決着がつかず、PKにもつれ込んだ。



以下、「」内は 木村元彦「オシムの言葉」の引用

「監督、どうか、自分に蹴らせないで欲しい。」

「PK戦になった瞬間に二人を除いて皆、スパイクを脱いでいた。」

「誰が蹴って、誰が外したかが問題にされるからだ。そしてそれが争いの要因とされる。」

「祖国崩壊が始まる直前のW杯でのPK戦。選手は民族代表としての責務を背負いスポットにボールをセットしなければならない。」



オシムは、

「「お前らとにかく誰かが蹴らないと負けるぞ」と笑いかけ、自ら指名した」

「オシムは5人を決定すると、クルリと踵を返してベンチから消えていった。」

「「あんなものはクジ引きみたいなもの。私は自分の仕事をすべてやり終えた」」





PKを制したアルゼンチンはこの大会準優勝する。

結果はくじ引きと言って選手の重圧へ配慮を示した監督が、PKを見つめるわけにはいかなかったのであろう。

オシムのやさしさである。



2005年のナビスコカップの決勝もPKとなった。この時もジェフの監督だったオシムはベンチから下がっている。しかしPKは制している。



今回のアジアカップのPK。ロッカールームで心配そうに待機しているオシムが画面に映った。



オシムの祖国の政情が安定して、

南アフリカワールドカップでは、

日本がアジア予選を勝ち抜いて、

本戦のグループリーグを突破して、

決勝トーナメントでPKになって

トラウマから脱したオシムがピッチにたって

川口のナイスセーブを見つめる

ということになればいいと願う。




posted by 誠 at 05:51| Comment(0) | TrackBack(0) | (゚∀゚) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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