http://latache1992.blog56.fc2.com/blog-entry-478.html
長期にわたって支配下に置かれ・・
そのもとで生きるのに慣れてしまった人民は・・
何かの偶然で転がり込んできた自由を手にしても・・
それを活用することができない・・。
グルメブログで多用する、
かのニッコロ・マキャベリの名言です。
現在の我が国にも
通じるところがありそうです。
長期にわたって官僚の実質支配下に置かれ・・
その・・アメと無知政策のもとで
生きるのに慣れてしまった国民は・・
偶然転がり込んできた
政権交代と言う絶好のチャンスを手にしても・・
それを活用することができない・・。
グルメブログでこんなこと叫んでも・・
何一つ意味はございません。
ナゼかと言うと・・
こうした言葉は、
グルメブログとは無縁の人たちへ向けられた言葉だからです。 (苦笑)
本日の・・陸山会裁判 判決。
午後1時40分以降・・
20本に及ぶ電話を頂戴しましたが・・
その半数に近い人たちが・・
「オマエは無罪って言ってたのに、結果は全員有罪。 やっぱり! オザワはまっ黒じゃないか!?」
と言うもの。
気弱な地上げ屋の周りでさえこの状態です。 (苦笑)
国全体では、いったいどれだけの人々が・・
この判決を見聞きして
"オザワはグレーでなく・・まっ黒" へ洗脳されちゃうのでしょう・・。(苦笑)
驚くような判決です。
本来、この裁判は・・
世田谷区深沢の土地購入を巡る
購入代金の政治資金収支報告書への記載日が
政治資金規正法に則って適切だったかどうかという裁判です。
もっと噛み砕いて言えば・・
会計事務作業が正しかったか?
いや、間違っていたのか?
こういう形式的な判断をするはずでした。
ところが判決では・・
東北地方の公共工事を巡る談合で、
小沢事務所が本命業者の選定に決定的影響力を持っていた・・
と指摘しています。
小沢事務所の意向はゼネコン各社にとって
「天の声」と受け止められていた・・
西松建設からのウラ献金の授受も実際あった・・
なんてコトまでも認定しちゃってます。
虚偽記載・・
平たく言えば "書き間違え" を裁く裁判で
なんでこんなことまで認定するのでしょうか。
3名とも当然控訴しますが・・
高裁での判決が出るのは、
また2年先です。
これでは、来年4月に無罪判決が出ても・・
小沢
「オマエは無罪でも・・監督者としての管理責任がある」
とこう言われ続けることでしょう。
"オレたちの財布・・利権を奪わんとするオザワは政治的に抹殺せよ!"
恐るべき・・
官僚組織の執念です。
ヤツらの武器は・・
国民の血税を原資とする・・
莫大なカネと利権。
そして圧倒的な情報ネットワークです。
こちらの武器は・・?
皆さんの1票しかございません。 (苦笑)
こうなれば・・
ヤルかやられるか・・です。
今ある土俵と武器で・・
ヤツらを打ち負かさねばなりません!
この判決を受けて
「一人で500万票集めるオトコ」 はどう動くべきか・・。
それは・・全国行脚です。
全国隈なく歩き回り・・
来年9月に投票権ある
民主党党員・サポーター1人1人に・・
日本の進むべき道を説いてまわります。
ヤツらが・・
法と権力を楯に戦いを挑んでくるのであれば
こちらは・・
その権力を奪いに行くまでです。
ニッコロ・マキャベリはこうも言ってます・・。
運命の女神・・。
彼女は、積極果敢な行動をとる人間に・・
味方する・・。
諦める気?
そんな気・・さらさらございません!
もし、そんな怪しいお金だったとしても、宗教右翼というカルトの下僕達は その程度の底の浅い世界で生きているのでしょうねw
そんなお金で目立つ土地を買って、3か月記載をズラしただけで、隠ぺい出来た
なんて感覚の人間は、世間にいませんよ。(笑)
2011/09/26 19:41 | scotti #4SSKmKVw URL [ 編集 ]
訴因外の認定までするとは弘中弁護士もびっくりしてるのではないでしょうか。
私は この程度の違法性なら可罰的でないから無罪にすべきと思ってました。
2011/09/27 00:38 | パイルD−3 #- URL [ 編集 ]
不合理
なかなかに、不合理なものを見せられましたね。
これだけ注目される裁判で
司法は自殺したいのでしょうかね。
思うんだだけで有罪なら、証拠なんかいらないですよね
徹底抗戦がんばってくださいね
2011/09/27 00:05 | ジャッカル #- URL [ 編集 ]
>イカサマ裁判
ある程度は予想してましたが、ここまであからさまに有罪に持っていくとはねぇ…。
まるでWWEの劣化版でも見てるかのような感じですな…。
こんなイカサマが成立するのだとすれば"一人で…"様も簡単に有罪にしてきそうですね。
しかも あちらの裁判長は今回の人以上に分かりやすい体制派の尖兵みたいですし…。
2011/09/26 18:56 | ガラム #qyT2749. URL [ 編集 ]
余計にやる気にナルッてもんだい!
諦める気は
私も全くございません。
これほど腐っているとは思っていなかった。
しかも、これほどあからさまにやるとは...。
何ら取り繕うこともなく平然と、不実を白日の下でやってのける。
これは恥知らずな所行だ。
国民を「たかが この程度」とカルく見ているということでもあろう。
マスコミのもはや騙されない、という国民は日に日に増えている。
いったんそうなった人間は元へは戻らないだろう。
今回の判決とその後の報道で、すでに騙されている国民はさらに深く騙されるだろう。
しかし、既に覚醒している国民をもう一度騙す効果はない。
逆に怒りのエネルギーが強まるだけだ。
国民の大多数が拍手喝采で迎える準備を整えた時こそが、真打ち登場のタイミングだと思えば、まだ早い。
2011/09/26 19:47 | balioyazi #- URL [ 編集 ]
原発反対デモは6万人集めても記事にならないと怒りまくっている方へ こう言ったわけ。
「検察のデタラメに対する抗議デモ2000人くらい集まったときに、
まったく報道されなかったことの異常さがようやく解ったんじゃない?
こんな馬鹿なマスゴミを放置しているからこんなことになるんだよ」
とね。
6万人で足りなければ10万人でも20万でも繰り返しやればいい。
その半分以上の人々は小沢さんの応援団でもあるわけだし。
今度小沢さん支援デモやるときは気合入れていくからね!!!
それでいつやる???
2011/09/27 00:44 | kappa #2R2/QTlo URL [ 編集 ]
江川紹子さんがコメントしているのを見て、
ああ、とうとう、この国は司法がオウムになっちゃったんだな、
と感じました。
戦わなければ国民主権は手に入りません。戦いましょう!
その間に社会も経済も行くところまで行っちゃうだろうけど。しかたないです。
2011/09/27 00:46 | Go #0a4INZGM URL [ 編集 ]
司法・・裁判官の怖さは、最高裁までやった経験がないと分からない。つまり素人に求めても無理。
それとは別に司法改革は、今の日本で一番必要な事案。
2011/09/26 19:13 | ストレンジャー #- URL [ 編集 ]
ならば其の先手を打って 東電OL殺人事件で何が起きていたのか?を追及をしていったつもりだし
だからこそ その先で 竹崎博允 最高裁判所長官 という観点を考えていくべき
とも書いてきたんだけどね。
予想通りなので その判決自体に 俺は殆ど打撃を受けていない。
勝利を歓ぶカルトの住人 や 哀れな子羊達 は
其の勝利が虚構でしか無かった大本営発表を繰り返し続けた大東亜戦争
と同じ過ちを繰り返し続ける事へも言及できないだろうから、
更なる手遅れな末路へ突き進む事をも理解は出来ないだろうけどね。
俺は、己が立ち位置で その詐術と戦い続ける、出来る事を頑張り続けるだけだ。
そうは言っても
劣等生ギリシャ」国民の意外な本音
http://www.newsweekjapan.jp/stories/business/2011/09/post-2274.php
ようやく小沢西松陸山会事件の馬鹿馬鹿しい嘘デマ扇動をチョットは分かっても
相変わらず他の嘘デマ扇動が吹き荒れていても マトモに指摘できないままにリンクしている人達は
今日も幸せそうだなぁ とか思った。
スロウ忍ブログ 2011年06月30日: ギリシャ議会が緊縮財政法案を可決。ユーロの信任を守るために生贄となるギリシャ国民。
スロウ忍ブログ 2010年12月24日: ギリシャで緊縮予算案が可決。放蕩国家のツケを国民が支払う。
「労働者や年金生活者ばかりが付けを払っている」まぁ小沢西松陸山会事件の嘘デマ扇動に乗せられない程度の サル並の知性しかない者達では
「首相は新たな出発だと言うが、われわれにとっては終わりに等しい」
「財政が破綻するほうがマシだ」
上記引用でデモ隊も叫んでいる通り、
ぶっちゃけ通貨の価値を守るために国民生活が犠牲になるくらいなら、
財政破綻でもしてくれた方が国民にとっては余程マシなわけだが、
財政破綻すると国民から搾取出来なくなる事を知っている支配層は其れを拒むのである。
其の事はギリシャに限らず、
資本主義という名の帝国主義を導入している国々に言えることで、
当然に日本へも言えることである。
型にハメられた従順な羊「日本国民」の多くは、
此のギリシャにおける数千人規模の労働者によるデモ(というか暴動)を見て、
「低能な国民だなw」等と嘲笑することだろう。
だが実は
此のデモが、ギリシャ国民のマスゴミ耐性の高さを表していると気づいている人間は
どれくらい居るだろうか。
為政者はマスゴミを使って
「民営化は素晴らしい!」、
「国が破綻するぞー!」、
「増税が必要だー!」
等と嘘を吐き続け、マスゴミ耐性の低い情弱国民を洗脳し、
自分で自分の首を絞める愚かな奴隷に仕立て上げるのだが、
労働者によるデモが起きているという事は、
マスゴミによる洗脳が完全には効いていないということである。
つまり此のデモは、
ギリシャ国民の方が日本国民よりも全体的にマスゴミ耐性が高いという証左でもあるのだ。
日本の労働者の多くは、
資本家や為政者に言われるがままに己の肉体を掻っ捌き、
カネと言う名の数字や紙切れをおねだりする愚かな奴隷である。
労働者に限らず、大企業(笑)の雇われ社長や取締役なんかも同じ奴隷に過ぎない。
日本は豊かで教育水準も高い先進国だとか言うけれど、
紙切れのために自分の首を締める奴隷国民が圧倒的多数を占める此の国の
一体に何処が豊かで教育水準が高い国なのかな(プ
嘘デマ扇動の正体を自分で読み解けないから リンクもコピペもできないし
ましてや自分の言葉で語るなんて事は 全くにできない。
そういうレベルでのニュースサイト論(笑)とかを展開していたトコは
相も変わらず幼稚園のお遊戯をして喜んでいるようですが 羨ましい限りです。
ニュースサイト論を口にするのならば 情報流通の観点で物事を語る事からは逃れられないし
だからこそ小沢西松陸山会事件へ徹底的に突っ込み その情報の流れを読み解く事こそが
最も優れたニュースサイト論へと一直線に繋がる事は間違いないのに、
結局に 嘘デマ扇動を繰り返す側を欠片も糾弾すらできないのだから
大量虐殺の加担者でしかない自分自身をも貶めている事すら 口にできなくなる。
馬鹿に付ける薬は無い と俺は徹底的に冷笑するのみだ。
まぁ サル以下の者達は
http://twitter.com/#!/miyabinasekai/status/118345314666160130
未だにカスゴミなんぞを真に受けてる連中は、あまりに見事な家畜っぷりとしか言えんよね。コピペ改変すれば
何年もネットと触れ合いながら
未だにネットの工作なんぞを真に受けてる連中の、
あまりに見事な家畜っぷりは もはや羨ましいとしか言えんのよね
となるんだよね。
http://d.hatena.ne.jp/kuroihikari/20110926/p1
今日の失敗と、ニュースサイトについて気付いたこと(※長文) - kuroihikariの日記
http://d.hatena.ne.jp/kuroihikari/20110925/p1
ニュースサイトの情報の嵐と、動きの鈍い個人ブログ - kuroihikariの日記
面白くもない、賢くもない、更新が かなり不定期ですがw
そんな人が、掃き溜めの最下層から一歩でも二歩でも他者より抜きん出るために、
大事なことはなにか。
第一にハングリー精神が足りない。
第二に真剣に文章と向き合っていない。
第三にお客様に対するサービス精神が欠如している。
俺の言葉は一文字たりとて信じてはいけない と言い続けていますが?w
お客様へのサービス精神w それこそが誠天調書に最も欠けている部分かと思いますが?w
それでもウチのブログは
個人ニュースサイト群から徹底的に無視されるようになって リンクからのアクセスが激減した後なのに
未だに更新スタイルそのものは殆ど変化していないのに
今や あの頃を遥かに上回る数字を叩き出せていますが?w
(改題・追記あり)「オレ的ゲーム速報@刃」「はちま寄稿」のAmazonアソシエイトID・トラッキングIDについて
http://d.hatena.ne.jp/EXAPON/20110923/p2
工作員同士の馴れ合いを楽しむのも一興だけど
己が「哀れな子羊」でしか無い事を理解できていない者達の陶酔は 悲劇的でしかないよね。
ネットが先導する「コントローラブル」なリアル
http://japan.cnet.com/news/society/35007990/?ref=rss
こんな文章で教授とか名乗れるのかw 羨ましいw
ネットはプロフェッショナルを殺す - anti-monosの新メディア論
http://d.hatena.ne.jp/anti-monos/20110923/p1
この話には オカシナ前提条件が有る、「プロ」は素晴らしい「アマ」素晴らしくない という比較だ。
こう俺が書けば おそらく否定しだすだろうが
けれども過剰な「プロ」への賛美が前提に無ければ この文章の構成は成立できない。
コミケを、広大無辺な底辺層をして その上の下士官層を中核に据えて 日本の共同体社会を考える俺は
だから「プロ」への過剰な賛美をしない文章を構成してきた。
実業とは生きる為の生業であり、
過剰な利益の先のみ生まれる「プロ」の概念を適用させるか否かを問う事への言及を
“実業とは生きる為の生業”へと転化するは、
奴隷の如き搾取を強要させる為の詭弁 の初歩の技術で有るw
それとも何か?
社会を構成する圧倒的大多数の馬鹿で豚にすぎない一般民衆に
過剰な利益の先のみ生まれる「プロ」の概念を適用させるか否かを問う事への言及をするつもりかい?w
随分と 世の中に甘い希望を抱いているんですなぁww
俺は 社会を構成する圧倒的大多数の馬鹿で豚にすぎない一般民衆に 其処まで求める気は毛頭に無い。
あくまで 勤勉さ と 無垢な善性 が有れば、其れで充分だと思っている。
其処から先は ネットの日本語圏の下士官層の仕事だ。
つまり こういう差異を理解できないままに多くの衆目を集めるような影響力を持つ者達が
リンクをして コピペを張り 言葉を綴る は、
一歩でも間違えれば大量虐殺の加担者と化す という事をも意味するんだよね。
俺が 言っている事は そんなに間違っている事なのだろうか?
俺は自身を、「プロ」か「アマ」か への区分けで考える暇があったら、
如何に詐術を語る者達から「哀れな子羊達」を助けるべく己が更新が出来るか?
を日々に考え続けるだけだ。
http://www.golgo31.net/#110926
マンガのおかげでした 「HUNTERXHUNTER」生まれてきた意味を知る
http://zelkova777.blog115.fc2.com/blog-entry-202.html
今週のハンター×ハンターは心が震えた、漫画で号泣したのは初めて:【2ch】ニュー速VIPブログ(`・ω・´)
http://blog.livedoor.jp/insidears/archives/52494711.html
10日ほど前に こんな事を書いたけど うpはしなかった、ついでに上げておこう。
結局に恋は盲目 なのだけれども
盲目になれない恋は 甘くも無ければ苦くも無い。
愛は 盲目の酸いも甘いも超えて内包できてしまうが
それでは つまらないモノなのかもしれない。
つまり
盲目に等しいように見えるほど 常識も定石も超えた先へ恋心を委ねるは
其処までに甘く苦く だから狂おしい。
まだ 感想を上手に文章へと綴れない 俺の文才の無さが悔しい。
が 書いておこう。
HunterxHunter の314話、生物の頂点を越えて尚
残された最後の時間を異生物との女性と過ごしたい
とだけへ進むキメラアントの王メルエム、
アカギは最後まで
常識も定石も超えて非合理へ身を委ねた。
キメラアントの王メルエムも最後は
常識も定石も超えて非合理へ身を委ねた。
HunterxHunterのキメラアント編は
同じ時間軸の中で複数の場面を描きつつ 見事に噛み合わせ続ける
という 非凡な論理的構成力 で展開されていった。
そして登場人物達も 必死に合理的に成功率が高い道を模索しながら
ほぼ常に最後の局面では 非合理的な感情に負ける
という点で 一貫して構成されていった、
其れが愛で有り憎悪であり感動であり憤怒であり 様々な感情では有ったが。
愛が種の保存を作る感情で
恋は種の多様性を作る感情だとするのならば、
盲目に等しいように見えるほど 常識も定石も超えた先へ恋心を委ねるを
其処までに甘く苦く だから狂おしく感じるのは
遺伝子の差配なのかもしれないw、
と書いてしまうのは
草薙素子と人形使いの融合は恋愛関係なのか否か
とかをも考えてしまったからなんだろうね。
HunterxHunter の317話、
コレを愛の物語とだけ読み込むは 富樫から冷笑を浴びるだけになるだろうね、
HunterxHunterのキメラアント編の何を読んでいたんだろうかい? とね。
合理と非合理の狭間で生きる は
生命の頂点であろうとも 下層で踏みにじられて生きる哀れな子羊達であろうとも 其処は全くに変わらない。
ならば どう生きるか でしかない。
HunterxHunterの317話を愛の物語としてしか読み込めない者達には、
合理を理解できず 非合理に振り回されるだけの 全く以って無駄に生きるしか知り得ないだろうから
どう生きるか? などという命題への答えを自らの内側で構築する事の意味を問い直す
なんて事とは一生に縁が無いだろうけどねw
まぁ HunterxHunterの317話を愛の物語 とだけ読んでは感動をする人達は
哀れなままに幸せに死んでいける人達だろうから、
其処へ俺が とやかくに言っても 一文字たりとて届かないだろう。
それでも 俺とキメラアントとの差は 其処に在る、と俺は確信している。
HunterxHunterの317話を愛の物語 を否定するのではなく
其処に耽溺できないのは己が感情は何故か を己が内側に問い続けるんだよね。
HunterxHunterの317話の その愛の物語は
自爆した会長の 人間の底しれぬ悪意の上に成り立っているし、
そして俺は今も「古今東西に変わらない馬鹿で豚にすぎない民衆」を見捨てる気は無い。
こういう前提を俺は決して忘れられないからなんだよね。
あくまで俺は 地を這っては泥に塗れて生きていく。
ナウシカは「我々は血を吐きながら、繰り返し繰り返し、その朝を超えて飛ぶ鳥だ」と言った。
俺は この泥の中であっても飛び越えて行こうと頑張り続ける それだけだ。
無論に そういう感動の感情が理解できない訳ではないけれど
だから俺は 愛の物語としてだけ感動できる人達が むしろ羨ましく思える。
「うさぎドロップ」は幸せなアニメだった - subculic
http://d.hatena.ne.jp/tatsu2/20110926/p1
『うさぎドロップ』の第1話を観たときの衝撃はすごかった。いや まぁ 商売上でも そうならざるを得ない、という観点も有ろうけどw
なにせ、次の日には原作を買いに走っていた。
精緻な心情描写、柔らかな色使い、子供と大人の対比的なカットワーク、
ダイキチの三十路過ぎという設定からも社会人の感情移入が加わり、
これは原作を買わねばと焦らされたものだった。
そして原作を読み、再度アニメを鑑賞し、亀井幹太監督以下スタッフの読み込みの深さに舌を巻く。
なんて余念のない尺の使い方なんだと。
丁寧に原作を膨らませ、11話しかないノイタミナの枠で
ほぼ原作のペースと相違ない第1話にしてしまっている。
原作の4巻分にあたる“前半部”に絞ってアニメ化すると調べてわかったが、
それでも24話(1巻につき6話)あるのに、
目移りせず、腰を据えてダイキチとりんの出会いを描いている。
“はじまり”にはこれだけ時間を使ってもいい、
言い換えれば、物語上大切な挿話は手塩にかけて育てていきますよ
という作り手側の宣言なのだろうなと感じた。
そこで気になってくるのが、シリーズ構成の岸本卓なる人物である。
そういう野暮な突っ込みは まさに俺の愚かな突っ込みではある。
「サイゾー」編集部を経て、スタジオジブリのプロデューサーとある。
脚本業が初めてなのかというとそんなことはなく、
ノイタミナラジオで『借りぐらしのアリエッティ』を書いたと語っている。
ただし、宮崎駿に大目玉を食らい、降板させられたという。
その後脚本の学校に通い、Production I.Gの中武氏に誘われ『うさぎドロップ』に辿り着く。
ジブリ時代にクレジットはあった様子だけれど、ほとんど無名といっていい、
何とも波乱に満ちた経歴の持ち主である。
実質的には本作が表に出た脚本家デビューの作品にあたるのだが、
第1話は10稿までいったと『うさぎドロップ9.5』収録の座談会で話しているように、
並々ならぬ苦労の末、完成したのが第1話の脚本なのだろう。
氏は同座談会で興味深いことも喋っている。第1話の1稿が本当にけちょんけちょんにダメ出しされたとき、“師とあおぐ人”が高畑勲や宮崎駿といったジブリ関係者か、脚本の学校時代の人なのか、
さすがにこれはマズイと思ったんです。
それで師とあおぐ人に相談したら、
「君がしなくてはいけないことは、オリジナリティを出そうとすることではなく、
誰よりも原作を読み込むことだ」
と言われてまして、目からウロコが落ちました。
それは分かりませんが、至言でしょう。
時には取捨選択を迫られ、原作ファンの審美眼に晒される原作付きのアニメにおいて、
「誰よりも原作を読み込むこと」なる訓示を与えうる人物の大きさもさることながら、
岸本卓氏の熱意と愛情も相当なものです。
何度リテイクを貰っても折れず、諦めなかったからこそ、あの第1話が完成しているのだから。
そして うさぎドロップそのものの構成 と 脚本と構成を捌く監督の話へと移る
子育てに奮闘するダイキチを見ているうちに、
まるでりんちゃんを我が子のように感じ共感し、
男親の眼差しというフィルターが徐々に掛かり始める。
優しくりんを見つめるダイキチの距離感、しかし心配で心配でたまらない裏の心、見事なまでに表現している。
テレビシリーズ初監督とは思えない亀井幹太監督の巧みな誘導なのだが、
実は劇場監督を務めた『テイルズ オブ ヴェスペリア 〜The First Strike〜』も
父性を扱った作品である。
『テイルズ オブ ヴェスペリア 〜The First Strike〜』は
ゲーム本編の前日譚を描いたもので、
2人の主人公の父、
所属する騎士団の隊長たる“擬似的な父”、
犬のラピードの父
と、様々な父性の形をもった男親が登場する。
ファンタジーではあるが、現代的な解釈をすれば
「仕事をとるか、家族をとるか」というテーゼに行き当たる。
上官の命令に背いた挙句、死んでしまった父親、
騎士としての誇りを抱いて命を投げ出すことが本当に正しいのか、残された家族はどうするのか。
そして父親と同じ状況に追い込まれたとき、どんな選択をするのか。
ゲーム版を遊んでいなくても楽しめる傑作なのだけど、
『うさぎドロップ』と繋ぎ合せて考えてみるとおもしろい。
子育てを放棄し、仕事を取ったのがりんの母親・正子。
彼女は認識が甘く、自分にしかできない仕事だと思い込み、子育ては誰かがしてくれるだろう
と浅はかな考えでりんから手を離してしまった。
後に懺悔することになるのだが、
形だけみると完全に親失格であり、物語の中では唯一といっていい悪役に回ってしまいそうなポジションである。
それを象徴するようにダイキチは正子に嫌悪感を抱き、許せないと正直に言い、
相容れない関係として描かれているが、
なのに正子がヒールに徹しきれて描かれていないところに『ヴェスペリア』との繋がりがある
そのように思えるのです。
『ヴェスペリア』でも主人公達が父親を非難するとき、
隊長のナイレンは それだけではないだろう と彼らを諭す。
誰しもが責めるのではなく、わかってやれる人間がいることで幾分にヒールが薄れている。
ダイキチの祖父 と 付き合っている彼氏が 正子を擁護していること、
正子は生来あんな性格で若く どうしようもないところがある人間なんだ
と、変な言い方をすれば“保証”している。
そして最も大きいのが当のダイキチとりん本人の気持ち。
ダイキチは本当にりんを大切にし、幸せにしてやろうと考え、
りんも母親が居ないことを疑問に思いつつも それが不幸だなどと決して口にしない。
いまの生活が幸せそうなのだ。
ダイキチはダイキチで、
りんが施設に預けられていたりすれば正子を もっと責めるよう見ていたかもしれないが、
そうはならず、ダイキチが引きとったにもかかわらず
ダイキチ自身が犠牲になっている など微塵も思っていない。
つまり、「犠牲」という言葉が裏側にまわり、先にある「幸せ」へと変化している。
幸せかどうかで計れば、正子の置かれている状況の方が厳しく思えるくらいなのだ。
ダイキチがりんを幸せにしてやろうとすればするほど、親失格の烙印を押された正子が痛々しくなる。
徐々に子から手を離した痛みが圧し掛かり、それは葛藤となり、重圧となって襲う。
ヒールのはずが蓋を開けてみれば痛ましい部分を全て負うことになる という皮肉めいた自業自得なのだが、
『ヴェスペリア』で描かれている父性も同じく、「犠牲」の葛藤とその先である。
こうした繋がりを亀井監督が意識していたのか定かではないし、語る必要もないだろうと思う。
そして HunterxHunterの317話の その愛の物語へ戻り そして更に今回の記事の冒頭へ話を戻せば、
己が行動は 単純に「哀れな子羊達」へ感情で感動を与えない性質である事を百も承知をしてでも
なお非合理に身を委ねず 合理に合理を積み重ねていくしかない政治の道を進ませて行こうとする、
と最も険しい茨の道を進んでいるのは誰なのか?
俺は あくまでネットの日本語圏の下士官層として
単純に非合理へ流れる者達を どうしても哀しく眺め続けながら
なお それでも その合理と非合理の狭間を埋めるべく これからも此処で言葉を積み重ねていきたい。
■逃げない日常芝居/贅沢な画作り全く同じ事を あずまきよひこ も言っていたよね。
物語と並行して賛辞を贈りたいのが画面構成と芝居。
子供を描く以上、子供の動きを作画しなければいけないのですが、アニメで再現しようとすると途方もない労力が掛かるのはご存知の通り。基本的に小さく動き回り、微妙なニュアンスが必要とされる芝居が多い。アニメはそうしたニュアンスを拾うのが難しい媒体。なにしろ一から全て描いていかねばならず、ちょっとした表現のミスで真実味が薄れてしまう。ただ歩かせるにしても、大人とは歩幅がちがい、ゆっくりとした芝居が要求される。特に『うさぎドロップ』はコメディテイストな作風ではなく、デフォルメは原作の漫画に拠っていても芝居はリアルにした方が良い作品。しかし全面的に高度な芝居を要求していてはとてもじゃないがリソースが足りず、テレビシリーズは回せない。だから通常は作画の負担を考え絵コンテの段階でなるべく調整する……はずなのだけど、誤魔化さず正面からりんちゃんの動きに取り組んでいるのが特徴でしょう。
歯磨きをするにしても1カットにまとめ、左へ動くスペースを与えて、りんちゃんがそこへ動きますよという画面にしていたりする。当然、演出指示としてりんちゃんの動きが指定されていると思うのですが、どれくらいのスピードで歩き、スリッパはどんな風に脱ぐのか、脱いだ後の姿勢は、まで考えねばならず、非常に難しい。また、りんちゃん一人が踊るだけでも大変なのにコウキや保育園の子を画面に収めて、“同期を外した”3人分の芝居をいっぺんにしてみるなど、恐ろしく面倒な作業を自然に行っている。劇場版でしか名前を見掛けないようなアニメーターもちらほら顔を出し、優秀な作画スタッフあっての芝居なのですが、そういったスタッフに頼めること自体がとても恵まれていると思います。それこそジブリ作品に関わった人もおり、岸田卓氏の影響なのか亀井監督の人徳か、制作が頑張ったのか、聞いてみたいところではありますが。
↓
あずまきよひこ.com 2008年12月05日 よつばとアニメ
一番大きいのは「よつばと!」をアニメにするのは、とても難しいってことです。
とりあえずアニメにする、ならできます。
例えば、よつばが綾瀬家に遊びに行くってシーン。
よつばがドアを開けて走っていって「こんにちはー」と言う。
カットをポンポンといくつか使って、数秒で終わりそうなシーンです。
それでいいなら出来そう。
でも、「よつばと!」なら、よつばがよいしょよいしょっと階段をおりてきて、てけてけと廊下を歩き、
でんっと玄関に座ってヘタクソに靴を履き、よっこらしょっと重い玄関のドアを開けて、元気よく家を出て行く。
そういう、普通アニメでカットされそうな描写もやらないと、アニメにする意味が無いと思うんです。
で、こういう日常の演技描写はアニメの最も苦手とする分野です。
「よつばと!」は漫画をそのままやっても「よつばと!」になりません。
だから「よつばと!」をアニメにするのは難しいのです。
俺はね、結局に
セックスのために、ろくでもない生き方を選ぶ、そんな未来も悪くない… - kuroihikariの日記
http://d.hatena.ne.jp/kuroihikari/20110922/p1
結婚して良かったと思う点 - kuroihikariの日記
http://d.hatena.ne.jp/kuroihikari/20110923/p2
こういう話の方が よっぽどの人間的だとは思うけどね。
一神教な連中の教条主義を前面に押し出しては 蛮族野蛮人の暴虐を前面に押し出して大量虐殺を始める、
よりは よっぽど地に足のついた人間の
「諸行無常」と「侘びと寂び」に美意識を見いだす この社会共同体に通底してきた観念を見るけどね。
こんな感じで 自分達が如何に洗脳されてきたか を心の中から見つめ直す事が出来ないような連中が、
どんなに高尚な言葉と言い回しをして リンクや言葉を積み重ねても
この社会共同体で生きてきた美意識の琴線の神髄へは届かない。
価値観の文化が根底から違うんだからね。
つまり HunterxHunterの317話 を愛の物語と単純に感動だけする者達は
俺とは民族が違うのだろう。
だから そういう観点で
ウチへのリンク や ウチからのコピペが出来ない者達もまた 民族が違うのだろう。
俺は誠天調書 2008年06月07日: 侘 と 寂の辺りの頃から
情報流通の先を 自分の言葉で探っていくしかない として
誠天調書 2011年01月03日: 支配する側の詭弁、を信じる人達は 以下の話を拡散させないw
などなども経由して
情報は得るだけではなく自分の中で再構築できるようになって 始めて理解への一歩が進んだ
と言えるようになる為に 此処で自慰行為を繰り返してきた。
下層民の中の豚の中の一匹にすぎない俺は此処で できる事を頑張るしかない。
プロ野球 2011年シーズン ワンナウツ契約 投手成績 : デジタルニューススレッド
http://digital-thread.com/archives/3948469.html
やべぇw 野球ファンには垂涎のスレだなww
前にもリンクしたけど
http://www.rri.kyoto-u.ac.jp/NSRG/seminar/No107/tomura090807.pdf
P17〜 で分かるけど この線量で チェルノブイリ周辺域は今も厳重な警戒をしています。
日本で何が起きているのか理解できないままの人達は
合理的に何が起きていないのか を理解できないので、
己が非合理も理解できないままに 愛の物語に感動をし始めるんだろうね。
今日見つけたtwitterの会社の変な挙動を、ご報告します!小ネタで申し訳ないのですが、誠天調書さんが以前より訴えていたtwitterの不透明性を表していると思います。
反原発のほっしゃん。のツイッターのメインページです。
http://twitter.com/#!/hosshyan
メインページに並んでいるツイートの一つをクリックすると、そのツイートに返信された、他の人のツイートも右側に表示されますよね。
(誠天調書さんはご存じだと思いますが、知らない方もコメントを見られるかもしれないので)
今日のツイートの一つ
http://twitter.com/#!/hosshyan/status/118764875433512960
9月28日昼過ぎ、14時くらいだと思いますが、上記のツイートをクリックすると、「それは野田さんのことですね」という感じの返信ツイートが表示されていました。
けれど同日17時すぎの現在、表示されません。
twitterの仕様が、返信ツイート不表示に変更されたのかと思いましたが、他のツイートには、変わらず返信ツイートが表示されてるようです。
「ほっしゃん。に返信した人が、ツイートを削除した可能性もあるよな〜」と思い、検索して探したら今も見つかりました。削除はしてない模様です。
「『どじょう』のお方ですか? 」
http://twitter.com/#!/1234567CAMERON/status/118775203517054976
件の美学についてのほっしゃん。のツイートからは、リツイートした人たちも削除されています。
どういうことかというと、試しに一つツイートを選んでクリックしていただくと、メインページ右側の下部に「○人がリツイート」と普通は表示されますよね。(誠天調書さんを見られてる方に、こういう説明は不要な気もしてきました)
今日昼すぎに見た時は全部表示されていましたが、9月28日夕方現在、どうして綺麗に消去されているのでしょうか?
ネットを頻繁に見てるため、こういう不可思議なtwitterの挙動をよく見つけます。
ある時は、「山本太郎」とtwitter検索しても、山本太郎本人が検索結果に表示されない時期が、事故後から今年夏ごろまで続きました。
それで全然違う名前の人が、検索に引っかかるんです。
誠天調書さんの仰る通り、twitterには大変不穏な動きがありますね。
それから、この操作が人為的な場合、よっぽど操作しないといけないほど、どじょう首相は人気がないのでしょうか?
今更ながら、浜岡原発停止、瓦礫の福島一時保管を言った菅首相のほうが余程野田首相より良かったと思っています。
メディアが菅前首相を叩く時、立ち止まって考えればよかった。生まれてこの方、メディアに嘘しか吐かれてこなかった事実を。