http://onodekita.sblo.jp/article/49168729.html
福島原発第一 どころか 福島原発第二すら収束していない有様。
昨日
誠天調書 2011年08月13日: 既に311の時点で 千葉県市原市五井から先に 核攻撃が始まっていた。
と
「渡邉泰子」の検索結果 - Yahoo!検索などなど
からのアクセス津波が有った。
ニュースサイト津波 や 2ch津波 を経験している俺からすると
twitter津波もまた面白いなぁ とは思う、コレから色々と考えていきたい。
その辺りと 前回の続き
甲状腺被曝検診における血液検査の必要性を考える:六号通り診療所所長のブログ
一種の大規模な前向きコホート研究なのですから、
データは多い方が当然良いのです。
血液も採取した方が、
その時点では役に立たなくとも、
血清を凍結保存しておけば、
後から色々な検証が可能となるのです。
仮に10年後に甲状腺癌が見付かれば、
そのお子さんの以前の血液が保存されていることは、
大きな意味を持つのです。
その未来の時点では、
検証可能な遺伝子マーカーのようなものも、
発見されている可能性があるからです。
それをしないのは、
福島県のお子さんに、
将来的にどのような影響が、
生じる可能性があるのか、
そのトータルな影響を考え、
お子さんを守ろうという視点が、
国と福島県にはあまりない、
ということを示しているように、
僕には思えます。
チェルノブイリの知見以外のことは、
金輪際起こることはない、
という立場に立てば、
超音波検査のみを施行すれば、
必要にして十分と言えますが、
いやいや それ以外の異常が起こる可能性も皆無でない、
という立場に立てば、
血液や尿の検体を、
被曝地で早い時期に採取し保存しておくことは、
大いに意味のあることなのです。
自分のお子さんの被曝について、
ご心配をされている親御さんに僕の言いたいことは、
仮に県や国の指示以外に血液の採取を行なうとすれば、
重要なことはその検体を保存しておくことだ、
ということです。
その検査の主体がNPO法人であれ、
大学や研究機関であれ、
検査会社であれ、
それが最も重要なことで、かつまた、
最も実現の難しいことです。
しかし、たとえば癌センターが旗振りをするような、
大規模な臨床研究では、
当然そうしたことをしているのです。
検体は保存され、
何か新たな知見があれば、
その時に以前の検体が使用されるのです。
やりっぱなしではあまり意味はなく、
今分かることは知れているのです。
しかし、検体を保存しておけば、
将来的に役立つ可能性が高いのです。
ですから、皆さんは是非そうした主張をするべきです。
ただ、残念ながら
診療所では検体の保存は出来ず、
検査会社は決してそうしたことはしてくれないので、
非常に無念なことですが、
その点で僕が皆さんのお役に立てることはないのです。
今日は甲状腺の内部被ばく検診の、
検査項目について考えました。
保存血液の供給事業 - Google 検索
http://www.kochi.bc.jrc.or.jp/enkaku/enkaku.htm
我が国で保存血液の供給事業が始まったのは、昭和26年からである。http://www.pref.kagawa.jp/yakumukansen/kjijou20/1-1.pdf
当時から30年代にかけては売血の全盛時代で、
献血の呼びかけも売血のまえには全く無力でありました。
そのため、供血者の血清肝炎の高率発生など、大きな人道的問題をもたらす結果となりました。
このような事態に対処するため、
昭和39年8月21日 、政府は血液事業正常化のための閣議決定が行われ、
国や地方公共団体は、献血思想の普及と献血者の組織化を図り、
日本赤十字社は献血の受け入れ事業を担うこととなりました。
ついでに コレを置いておこう
http://twitter.com/kiraramaron/status/126672227193192448↓
BSフジプライムニュースで
山田議員が指摘した「献血もアメリカ製薬会社にとっては障壁」
のソースを検索していたが見つからなかった。
しかし、推認?できる意外なものを発見。
お遍路の菅が唯一の功績とした薬剤エイズ事件で
一方的に非難された元厚生省生物製剤課長郡司篤晃氏
http://twitter.com/kiraramaron/status/126673164167159809
「1962 年、アメリカの赤十字がカンサス市において、総合的な血液事業を計画した時、
民間の血液銀行から独占禁止法に違反すると提訴されて敗訴してしまった。
アメリカの独占禁止法は強力で、
それ以後 非営利団体といえども血液事業を独占することはできなくなった。」
だと。
http://twitter.com/kiraramaron/status/126675036860989441
HIV 問題から何を学ぶべきか 郡司篤晃
http://sleep.cocolog-nifty.com/blog/files/GUNJI.pdf
この文章をフクシマの棄民政策を考えながら読むと、
薬害エイズ事件と菅直人に疑いを持つ。
エイズ自体も生物兵器説があったし、
アメリカの製薬会社だけが いち早く加熱製剤にシフト。
http://twitter.com/kiraramaron/status/126677486422593537
マスコミが叩きに叩いた安部英医師も結局は無罪。
ミステリー小説の定番で「真犯人は一番利益を得ることができたもの」から考えれば
どういう筋書きだったか想像できる。
フクシマの放射性物質臨床調査では山下俊一福島県立医科大学副学長が安部英医師の役回りか?
site:mkt5126.seesaa.net 五摂家筆頭の近衛家の現当主、近衛忠W氏 日本赤十字社の現社長で - Google 検索
天皇家 五摂家筆頭 近衛家 近衛忠W 日本赤十字社 社長 - Google 検索
天皇家 五摂家 近衛家 日本赤十字社 - Google 検索
日赤 天皇家 ファミリー企業 - Google 検索
気にはなっていて モヤモヤした部分が有る話の所では有ったので
チョットその先を見てみようかと思った。
http://twitter.com/kiraramaron/status/127399732984287233
何か都合の悪い情報を得ていたのかな?
「テレ朝カイロ支局長、リビア取材中に交通事故死」
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20111021-OYT1T01154.htm外務省に入った連絡などによると、リビア国内で21日、テレビ朝日カイロ支局長ら4人が乗った車が事故に遭い、カイロ支局長ら3人が死亡した。
同日夜に記者会見した同社によると、死亡したのは、野村能久支局長(37)のほか、カイロ支局のエジプト人女性助手(31)とリビア人の男性運転手。このほか、同社の日本人男性カメラマン(23)が足に軽いけがを負った。
テレビ朝日によると、野村支局長らは「カダフィ拘束」の情報を受け、カイロから陸路リビア入り。カダフィ氏が拘束された場所とされる同国中部のシルテに向かっていたが、21日午後5時ごろ、カメラマンから事故の連絡があったという。
カメラマンは「気づいたら病院にいた」と話しているというが、同社は、カメラマンを病院に運んだ現地の人の話などから交通事故と判断したという。
http://twitter.com/kiraramaron/status/127401660749320193
東日本大震災で津波映像から悲惨なシーンを放送カットしたテレビ局がhttp://twitter.com/kiraramaron/status/127402848207114240
カダフィ断末魔の映像を垂れ流しているのを
この国の視聴者は疑問を感じないのだろうか?
「もののあはれ」を尊重してきた国の民と自覚している自分としては
「キチガイ国家たちに絡まれたくない」という思いだけ。
キチガイ国家になりたい筆頭が橋下。橋下ごときに比べられたら むしろギレンに失礼かとw
大阪市民の良識が示されるのか?
「ヒトラー?中世紀の人物ですな」
「独裁者でな。世界を読みきれなかった男だ。貴公は そのヒトラーの尻尾だな」
俺、この動画とか見たら ジークジオン! って叫んじゃうもんw
ギレンの演説【実写版】ギレン・ザビ演説 〜ガルマ国葬〜 生アフレコ - YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=JIS5gLNPClk
http://www.nicovideo.jp/watch/1262789387
http://www.youtube.com/watch?v=I41VmlZ1om4
http://www.nicovideo.jp/watch/sm8200431
それはともかく
http://twitter.com/kiraramaron/status/127406835543179266
ニッポンは明治維新という暴力革命美化のため江戸文明を抹殺した。http://twitter.com/kiraramaron/status/127410340194557952
植民地を持つことなしに徳川300年の平和を続けた江戸文明に学ぶことは多いし
海外に発信すべきこと。
自給自足の緩やかな攘夷論が必要になるかもしれない。
自分の子供たちの一生は 今の枠組みでは持たないと思う。
ネトウヨさんが江戸文明を語らないのは
やっぱりネトウヨさんなんだからということかな。
福島から上京して赤尾敏さんの街頭演説を聞いた時はカルチャーショックだった。
平井和正のウルフガイシリーズも読んでるし、WASPというのが大嫌いだったのに
今この国は その感覚に近くなっている。
こんなのを拾った
天皇家 五摂家 近衛家 日本赤十字社 徳川泰子 - Google 検索
http://ameblo.jp/bishamonten337/archive1-201104.html
15代徳川慶喜の後を継いだのが徳川家達 (とくがわ いえさと)。わはwwwwwwwwwwwww
徳川宗家16代当主、徳川家達の経歴は輝かしい。
従一位 、大勲位 、公爵 。
第4代貴族院議長 、ワシントン軍縮会議 首席全権大使。
第6代日本赤十字社 社長などを歴任。
妻である徳川泰子は近衛家 出身であり、天璋院 から英才教育を受ける。
どこから どう見ても
完全に取り込まれて骨抜きにされまくったんだねwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
その徳川家達の妻となった徳川泰子は
日本赤十字社 篤志看護婦人会会長、撫子会会長、愛国婦人会理事を歴任。
ちなみに泰子の実家筋の近衛家現当主、近衛忠輝 は国際赤十字・赤新月社連盟 (IFRC)会長。
そして日本赤十字社社長。
特定非営利活動法人 、日本紛争予防センター 顧問。
「国際赤十字会議で原発議論へ 近衛会長「風評対策も」」の検索結果 - Yahoo!検索
【ジュネーブ 共同】2011年4月16日なんか爆笑しちゃうだけなんだけど コレが日本を支配統制する統治層な訳でw
国際赤十字・赤新月社連盟の近衛会長は15日、ジュネーブでインタビューに応じ、東日本大震災による福島第1原発事故を受け、11月に開かれる4年に1度の赤十字・赤新月国際会議で、原発事故での健康被害や風評被害を防ぐための対策を議題にする意向を表明した。
ジュネーブで開かれる同会議には、世界の赤十字社、赤新月社の代表や各国代表が集まる。原発事故対策について話し合うのは初めて。
また近衛会長は、日本政府や自治体が、世界中から集まった義援金や救援物資・要員の受け入れ態勢を迅速に整えられなかった経験を踏まえ、法整備を進める国際枠組みづくりに意欲を示した。
原発事故対策については「地球温暖化対策もあり、原発新設が推進される中、各国とも事故を想定せず、もしもの時の備えが共有できていない」と指摘。原発そのものの安全対策を取り扱う国際原子力機関(IAEA)と役割分担しながら「食品の放射性物質汚染など、風評被害防止にも議論を広げていきたい」と話した。
支援の受け入れ態勢に関しては、支援要員への早期のビザ発給、救援物資の通関手続き簡素化などを早期に法制化していく必要性を強調した。
近衛会長は1919年の同連盟設立以来、初めてのアジア出身会長で、2009年に就任。
別の国の異民族を見る感覚にしかならないのは 俺だけなのかな?
まぁ いいや、話を先に進めよう
タイが戦時中も独立を保持できたのは日本の皇室との関係が極めて緊密であったからである。えっと 先の記事で
つまり、タイと5摂家は深く繋がっているのである。
西側と共謀して得た利益は永世中立国スイスに保管。
権力者の資産は機密事項となる。
近衛忠輝 日本赤十字社 社長・国際赤十字・赤新月社連盟 会長 は
そういえばスイスのジュネーブで2011年4月16日の会見だったそうで
↓
誠天調書 2011年03月25日
東日本大震災:日銀資金供給、累計100兆円に 2011年3月24日さて 其れをチョット右から左へ流す間に どんだけ利ざやが生まれたりするかなぁ?w
東日本大震災による金融市場の動揺を抑えるため、
日銀は7営業日連続で大規模な資金供給を続けており、
発表された供給規模は累計100兆6000億円に達した。
そういうカネの流れを管理するのは とても大変だとは思います、した事ないんで想像できないけど。
で 先日の5兆円の韓国とのスワップでネトウヨが一斉に騒ぎ出す?
ふーん そーですか(棒)
同時にオリンパスの話が出てくる?w
ナメきられているよね。
公儀隠密は、今でも国内及び世界中に放たれている。
その役目を担っているのが、統一教会や創価学会ではないかと推察される。
むろん、一般信者は全く知る由もない。
信者は金さえ差し出せば良いのである。
天野之弥 - Wikipedia 国際原子力機関 (IAEA) 事務局長(第5代)。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E9%87%8E%E4%B9%8B%E5%BC%A5
2010年12月、内部告発サイト「ウィキリークス」から公開された情報として、↓
天野は米国のIAEA担当大使に対し、
「高官人事からイランの核兵器開発疑惑まで、あらゆる戦略的な重要決定について、
断固として米側に立つ」
と表明したとされる。
2011年3月24日、福島第一原子力発電所事故に関する各国の「脱原発」への路線変更に対し、
「原発が安定したクリーンなエネルギーだという事実は変わらない」と指摘。
天野万利 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E9%87%8E%E4%B8%87%E5%88%A9
日本の外交官。
2011年9月1日 ジュネーブ軍縮会議日本政府代表部 特命全権大使。男性。
天野之弥・IAEA事務局長は実兄。
2007年2月20日↓
朝鮮半島エネルギー開発機構(KEDO)次長 から OECDの理事会においてOECD事務次長に就任
経済協力開発機構(OECD)だった天野万利事務次長の後任には玉木林太郎財務官が転出天野万利 玉木林太郎 中川昭一 - Google 検索
中川昭一財務相を貶めて出世コースに乗った二人の財務官僚 IMFとOECD幹部へ 2011年6月26日
http://www.asyura2.com/11/senkyo115/msg/672.html
まさに親米ポチそのものw
話を少し戻す。
政略結婚は そもそも藤原家の十八番であり 公家や貴族の得意とする寝技なんだけど
五摂家 "政略結婚" - Google 検索だと 何故か徳川家の話ばかりが出てくる。
ただし其処には大概 禁中並公家諸法度 の話が絡まない。
五摂家 "政略結婚" "禁中並公家諸法度" - Google 検索
でググると 話の見え方が大きく変わってくる。
http://www.alphapolis.co.jp/mailmaga/maga_each.php?maga_id=1000060&maga_no=14007&back=1&back_time=1202444100
江戸幕府を創設した徳川家康は天皇家の外戚になろうとした。この辺りまではウチでも追ってきた話だね。
家康は秀忠の五女・松姫を御所風の名前・和子(まさこ)と変えて
政仁(ことひと)親王(のちの後水尾天皇)の妃にするべく入内の支度をさせた。
ところが1609年(慶長14)に「猪熊(いのくま)事件」が発覚した。
後陽成天皇が寵愛した5人の女房たちが若い公家たちと姦通する事件が発覚したのである。
秀吉時代の自由な風潮が宮廷生活にも及び、規律がゆるんでいたのである。
山科家から分家して猪熊家をおこした猪熊教利(のりとし)は札付きのプレイボーイで、
後陽成天皇が寵愛した女房たちと姦通していたが、
他の若い公家たちをも牙医(歯科医) 兼安(かねやす)兄妹を使って取り持たせた。
7月に天皇に発覚し、激怒した天皇は関係者全員を死罪にしようとした。
側近はあわてて京都所司代・板倉勝重に相談した。
そこで大御所・家康は京都所司代板倉勝重に命じて所司代による処分を実行させた。
天皇家や公家の処分を家康が決する、その力関係が如実に分かるよね。
左近衛少将・猪熊教利と牙医・兼安備後は死罪。公卿5人、女官5人は流罪となった。
家康は
すでに戦国の世ではなく、規律と秩序が求められていることを公家たちに認識させるべく、
1613年(慶長18)6月16日には、
「公家衆法度(くげしゅうはっと)」
「勅許紫衣法度(ちょっきょしえはっと)」
「大徳寺妙心寺等諸寺入院法度」
を定めた。
公家と共に僧たちも風紀が乱れていたし、
高位の僧位を天皇が直に与えていたことへストップをかけた。
位を与えるのはその礼金が天皇家の副収入であったのだ。
それでも不行儀な公家たちは相変わらずである。
そこで、2年後の慶長20年7月17日、
二条城において家康(大御所)、将軍・秀忠、前関白・二条昭実の3名の連署をもって
「禁中並公家諸法度(きんちゅうならびにくげしょはっと)」が公布された。
この法律は江戸幕府滅亡の時まで一度も改定されなかった。
17条からなる漢文で書かれた「掟」であり、
公家たちの勝手な行動を禁じ、
僧の身分についても朝廷が任命する前に幕府の許可を得なければならないと決めている。
この第一条に、
『天子諸芸能ノ事、第一御学問也。(天皇はまず学問をしなさい)』
と書かれているが、
武家政権が公式に天皇に命令したのは これが初めてである。
なに 公家達の石高の少なさはww
江戸時代の天皇家の収入は、
慶長6年に徳川家康が進献した1万15石4斗9升5合の領地を本御料とし、
2代将軍・秀忠が献上した1万石の新御料、
のちに5代将軍・綱吉が献上した1万石1斗あまりの地を増御料と称した。
総計3万130石余である。
皇室の御領は幕府の役人が管理し、領民から米穀を徴収して皇室に献納した。
公家たちは
五摂家の近衛家が2860石、
九条家3052石(幕末は2044石)、
二条家1078石、
一条家2044石、
鷹司家1500石である。
大臣家で400石〜500石で、下級の公家は30石3人扶持である。
ただし、役職につくと手当てが支給された。
身から出た錆とはいえ、儀式に出席し、家人を養うだけで精一杯である。
以後は公家たちの素行に京都所司代がしっかりと監視の目を光らせていた。
公家たちは幕府の許可なくしては勝手に旅行もできなくなった。
家康は天皇家を御所人形のように京都の一画に隔離したのである。
激減したとは聞いていたけど 此処までとは知らなかったwww
徳川幕府との力関係を考えれば もはや完全に格下以下の扱いだよねwwwwwwwww
そういう点の 実権を完全に失わせた天皇家と公家 という背景を考えた上で
五摂家 "政略結婚" - Google 検索を読み返せば 話が完全に逆転する
徳川家が 如何に天皇家や公家を乗っ取ろうとしていたか という見方だって出来てしまう。
後陽成天皇は譲位し、秀吉に押されていた第1子の良仁(ながひと)親王を廃して仁和寺に入れ、1611年(慶長16)3月、政仁親王に譲位して仙洞御所へ退く。ひでぇwwwwww
家康と懇意であった近衛前久の娘・中和門院・藤原前子から生れた第3子の政仁親王を皇位につけた。これが後水尾(ごみずのお)天皇である。
大阪の陣が終って完全に徳川の時代になった1616年(元和2)4月17日午前10時、家康は駿府城において死去した。享年74歳
翌年の元和3年8月26日には後陽成上皇も47歳で崩御している。
和子の入内は延び延びになっていたのであるが、家康が死ぬと秀忠は和子の入内を断ってきた。
かかあ天下の妻のお江の意思とみるべきであろうが、御所の風紀の乱れを嫌がって娘を安心して嫁がせられない、というのが風聞として伝わってきた。
猪熊事件もさることながら、このとき、30歳の後水尾天皇にはすでにご愛妾の四辻与津子がおり、皇子と皇女をもうけていたのが将軍家の耳に入ったのである。
これでは先帝と家康の約束をほごにすることになると朝廷方は慌てた。
幕府と敵対する形になるのがなんともまずい。
そこで藤堂高虎と近衛信伊(このえのぶただ)とが相談した結果、後水尾の側近、万里小路充房と四辻与津子の2人の兄を流罪にし、3人の公家を出仕停止処分にした。
四辻与津子とその子2人は里に帰らせた。
こうして1610年(元和6)14歳になった和子は亡き家康の信頼厚い阿茶の局が付き添って、京に上って女御として入内した。
完全に力関係が逆転しているwwwwww
この結婚は「70万石の嫁入り支度」とよばれるほどの豪勢なもので、京都の住民たちはおおいに潤ったので大喝采を浴びた。なるほど。
天皇に夏・冬の装束50領と銀一万両、生母の中和門院にも衣装50領と銀五百枚が献上された。もちろん、公家衆や女房衆にも金品が贈られた。
和子のための女御御所を内裏の北に小堀遠州に命じて新築させ、華麗な花嫁道具や衣装は多くが京都に注文されて京の商人は大もうけをした。
和子の化粧料は年間20万石にものぼり、家康が貯えていた金を使い果たす一因になったのである。
堅苦しい御所の暮らしのうさばらしに贅沢三昧の生活に加えて着物道楽であった。
ところが天皇はひそかに四辻与津子の産んだ男子・加茂宮を御所に住まわせていたのだ。
和子が入内して2年後、加茂宮は御所の池に落ちて死んだ。5歳であった。
翌年、和子は女子を出産した。女一宮興子(おきこ)内親王である。
その後、女二の宮、そして待望の男子・高仁(すけひと)親王を出産した。
ところがこの高仁親王は数え年3歳の夏に天皇とかき氷に蜜をかけて食べて病死した。
和子はその時すでに4人目の子を懐妊しており、幕府はあえて死因を詮索しなかった。
秋に皇子を出産したが、8日目に夭折した。
1629年(寛永6)11月8日、天皇は突然、譲位を表明し、女一宮が皇位を継ぐと発表した。
幕府へは「背中に腫れ物ができて灸治療したい」と申し出た。
天皇位のままでは玉体に傷をつけることになるので譲位するのだと押し切った。
天皇の狙いは譲位して女帝を立てておいて、上皇となって幕府の監視がゆるんだら、世継ぎの皇子を女官に産ませようという魂胆である。
案の定上皇となってからは女官たちに次々と子供を産ませ、ついに皇子も誕生した。
和子は女子を産んだのちは上皇からの夜のお召しは途絶えた。
ここに女一宮は7歳で即位し、明正(めいしょう)天皇となり、叔父に当たる一条兼遐(かねとお)が摂政に付いた。
770年に称徳天皇(孝謙天皇の重祚)がその座を降りてより853年ぶりの女帝が誕生したのである。だが実際は後水尾上皇の院政である。
上皇は仙洞御所へ、和子は東福門院となって大宮御所に入った。
朝廷が皇統に徳川の血が入るのを嫌ったといわれているが、
もしも家康が天皇家を簒奪する決意であったら、
徳川一門の姫を必ず天皇の正室に入れよと遺言を残すはずである。
3代将軍家光にその気配がまったく感じられないのは家康の「密命」がなかったのであろう。
家康の時代は平和な世を だれもが望んでいた。
そのためには朝廷が以前の歴史のように武家に勝手に「勅命」を出さないように、
幕府が監視する必要があるし、そのためには徳川の血が入った天皇が しばらくは必要だと判断したのであろう。
断然天皇家を簒奪するつもりなら用心深い家康が何らかの策を講じていたはずなのだ。
またこの明正天皇についてもなにも独身を通さなくても良い。
かつての女帝たちには、推古、皇極、斉明、持統、元明、のように天皇や皇太子の妻であった人もいる。
たまたま、元正、称徳の2人が未婚で通しただけである。
それを朝廷が「女帝は結婚してはならぬ」というのは筋が違う。
幕府が強引に明正天皇を結婚させることもできたのである。
もちろん相手は皇族でなければならないが、後水尾の兄の八条宮智仁親王は桂の宮を創設したが、その子・智忠(としただ)が後を継いだ。
明正天皇より4歳年上で、お似合いの相手である。
1624年(寛永元)、4歳のときに後水尾天皇の猶子となり、寛永3年には親王宣下を受けている。
名目上は明正天皇の兄に当たるが、その後、寛永6年には父・智仁の死により桂宮を相続して天皇家から独立している。
だから幕府が強引に押せば明正天皇も智忠親王と結婚できたはずである。
しかし、時の3代将軍・家光は後水尾上皇の院政を許し、
朝廷方の「女帝は結婚できない」という言い分を認めた。
家光の時代は完全に徳川幕府の天下であり、天皇家の反乱を心配する必要がなかったし、
乳母お福が和子の様子を見に朝廷に参内した時に無位無官であるから無礼であるとの叱責を受け、
金に物を言わせて「春日局」の称号と従三位を買い、形式を整えた。
これは実は後水尾天皇が病気を理由に譲位をほのめかしたことに対して、お福の偵察であったのだ。
お福は公家の名門三条西家の縁戚であったから三条西実条の妹分として拝謁を願い出たので、それが無礼になるとは幕府は考えなかった。
また家光自身も1623年(元和9)7月に父・秀忠に次いで上洛し、7月27日に伏見城で将軍宣下を受け、正二位内大臣となり、後水尾天皇や入内した妹和子とも対面している。
なにかにつけてしきたりにこだわる朝廷をうとましく、縁を持ちたいとは思わなかったのであろう。
また、家光の将軍宣下ののち、幕府はお礼として天皇家一万石の加増をしているが、とにかく天皇家と付き合うと金がかかるのも痛いところである。
それでも家康を尊敬していた家光が
『天皇家に徳川の血を入れよ』と厳命されていれば必ず守ったはずであるが、
家光が紹仁(つぐひと)親王(のちの後光明天皇)への女御を立てる朝廷工作の形跡がない。
そして1644年(寛永21)秋、21歳の若さで後水尾上皇の命令で明正天皇は退位させられた。
新院御所が明正上皇のために建てられ、女一宮は少なくなった侍女を連れて移った。
天皇の位を退いてもなお父・後水尾は結婚を許さなかった。
新院には化粧料として幕府から5千石が与えられた。
皇位を継いだ後水尾上皇の子・11歳の紹仁(つぐひと)親王が践祚して後光明天皇となったのだが、徳川家の姫を入内させることはなかった。
松平忠直の長女・亀子は二代将軍・秀忠の養女として高松宮妃に、次女の鶴子は家光の養女として九条家の妃とした。
前田利常の娘・富姫を東福門院(和子)の養女にして八条宮智忠に娶わせた。
彼女たちは東福門院の姪に当たる。
つまり、天皇家の外堀を埋めようとしたのである。
一方将軍家光の正室には鷹司家の娘・孝子を娶わせた。
これ以後 将軍家の正室には代々五摂家の姫を迎えたが嫡子は生れなかった。
「徳川将軍に公卿の血は入れない」
女たちの陰湿な戦いが大奥や宮廷で繰り広げられた結果である。
戦国大名としての大政治家の家康 の、天皇家と公家への対策は8割で終わった、という印象を受ける。
ところが 女が政治の舞台へ口を出せる平和の時代への変遷 戦国大名としての政治の時代の終焉が
残りの2割を成就させきれなくさせた という訳だね。
万が一 家康が90歳まで生きていたら
天皇家や五摂家は徳川家に乗っ取られせていたかもしれないねw
ところが 徳川の泰平の世の時代が
公家の寝業をジワジワと効かせ続けていた結果が徳川の世の終焉への結びつくという逆転激に至った
という訳だ。
そういう観点での話を 情報流通を担う不思議な一群 は絶対にしないけどねw
戦争と政治を巧みに使い分ける事を知っていた家康が
危険な他家を弱体化させるのに刃物はいらない を どれだけしてきたかを思えば。
ところが家康が残した その僅かな隙が 最後の最後で大きな禍根となった訳だ。
もっとも 信長ほどに人を簡単に斬り落とすを良しとしない家康の温情ある政治の差配 でもあった訳だが。
以下はコピペ改変させて頂きます
http://ameblo.jp/bishamonten337/archive1-201104.html
江戸幕府は霞ヶ関へと変貌を遂げさせられてきたのである。
徳川家は
権力者の座を死守しようとする皇室を隠れ蓑にした藤原5摂家と融合させられたのである。
先進国の中で日本ほど国の最高権力者の姿が曖昧な国家は無い。
国民の意思を反映しない国会。
全く指導力のない内閣。
国民には理解できない天下り(天上がり)。
特殊法人や宗教法人は国家権力の象徴である。
そして
表舞台から消えた徳川家は だから批判されることが無くなった。
まして皇室批判は非国民である。
実に巧妙でなカラクリである。
例えば 関が原の戦いでの家康を貶める偽に
陸軍大学校の兵学教官のメッケル少佐の嘘デマ扇動の説が妙に流布しているのもまた
同様の話でしかないと俺は考えている
軍事顧問として来日したドイツのクレメンス・メッケル少佐は、
関ヶ原における両軍の布陣図を見て、即座に西軍の勝利を断言したという。
関ヶ原の布陣を見たメッケルの発言「西軍の勝利だ」は司馬の妄想なのに、
今や史実扱いwww
http://ogionblog.blog48.fc2.com/blog-entry-268.html
「クレメンス・メッケル」 日本陸軍近代化の父
「西軍が勝つ」。
関ヶ原の古戦場にて、布陣図を一目してこう言い放った人物。
と紹介すればいいのだろうか?
つき纏う「伝説」の虚飾を取り払ってみると、優秀だが癇癪持ち、
の非常に人間くさい人物であったと感じる。
戦術指導の専門家であった彼の育てた日本の軍関係の参謀階層「メッケル・チルドレン」たちによって、
日露戦争の勝利に貢献する。
が、
これは運動戦と速戦即決と開戦劈頭の奇襲攻撃に偏重した
ドイツ陸軍式のシステムが運良く奏功した結果かも知れない。
メッケルによって伝えられたドイツ陸軍の利点を多く吸収しながらも、
後の両世界大戦において兵站軽視で敗れ去ったドイツ軍と同じ病理を抱え込んだ瞬間だったのかも知れない。
明治政権官僚機構の下で生きてきた俺達が受けてきた教育とは
そういう虚実が激しく入り混じる中のモノでしかない。
洗脳とは そういうモノだからね。
だから俺の言う事だって信じてはいけないと思うし それぞれが学んでいくしかないのだ。
私達の本来の姿は、自然との共生社会である。
一部の権力者達が望んでいる破壊と殺戮の奴隷化社会では無い。
彼らの創り上げてきた この現代社会は虚像である。
彼らの造り上げてきた この現代ニホン社会は虚像である。
近代民主政の外観をしているが その内実は欠片も近代民主政では無い。
彼らの造り上げてきた この現代ニホン社会は虚像である。
いわゆる宗教右翼やネトウヨ等の皇道派が唱えるような王政は、
つまり善政で有れば王政でも構わない
という論法への盲目的賛美ではあるからこそ 近代民主制も安直に否定できるのだが、
裏を返せば 叫びだすキチガイどもが理解できているのかどうかは別にしているから
その実態に王政復古は欠片も無いんじゃね?w って俺は思っちゃうんだよね。
彼らの造り上げてきた この現代ニホン社会は
奈良時代・平安時代から脈々と受け継がれる貴族政による支配統治の美味しさを忘れられない連中による
律令政治を隠蔽する為の虚像を引き剥がす事が 最終的には必要だという事なんだろうね。
では 律令政治 って何?
http://note.masm.jp/%CE%A7%CE%E1%C0%AF%BC%A3/
7世紀の初頭になると、推古天皇の下で蘇我馬子と聖徳太子が中心となって、集権化をめざして冠位十二階、憲法十七条の制定、遣隋使の派遣などの諸政策を試みたが、中央集権化は十分には達成されなかった。
聖徳太子の死後、蘇我氏が強大化した為、645年に反蘇我勢力によって大化の改新が断行された。
改新の詔で、公地公民、班田収授法が制定されるが、その実現は白村江の戦いの敗北後即位した天智天皇の下でつくられた最初の全国的戸籍の庚午年籍の作成を待たねばならなかった。
律令制の整備は、天智天皇の死後おきた皇位継承争いの壬申の乱に勝利した天武天皇によって推進され、次の天皇の持統天皇の時に日本初の都城の藤原京が造営された。
710年、元明天皇の時に平城京に遷都して以後は奈良時代と呼ばれる。
この時代は、光明子の立后に代表される藤原氏の台頭に対して橘氏との抗争が激化するなど、天部朝以来の皇親政治(皇族中心の政治)から貴族政治への転換がおこなわれた政争の時代。政争の渦中、律令体制は、衰退。律令体制の再建は、人心の一新をはかって、794年に平安京に遷都した桓武天皇、嵯峨天皇によっておこなわれたが、藤原北家の他氏排斥による摂関政治の確立期を経て、律令政治は平安時代半ばの10世紀初頭の延喜の治・天暦の治で最後を迎えた。
http://www.weblio.jp/content/%E5%BE%8B%E4%BB%A4%E6%94%BF%E6%B2%BB
律令制(りつりょうせい)は、
主に古代東アジアで見られた中央集権的な統治制度であるといわれることもあるが、
唐制に倣った体系的法典を編纂・施行したことが実証されるのは日本だけである。
日本では律令制または律令体制や律令国家と呼ばれるが、中国にはこのような呼称は存在しない。
http://www.weblio.jp/wkpja/content/%E5%BE%8B%E4%BB%A4%E5%88%B6_%E5%BE%8B%E4%BB%A4%E5%88%B6%E3%81%AE%E6%A6%82%E8%A6%81
律令制とは、いわゆる 王の徳を持って支配統治をする政治体制 という意味だよね。
古代中国から理想とされてきた王土王民(王土王臣とも)、
すなわち「土地と人民は王の支配に服属する」という理念を具現化しようとする体制であった。
また、王土王民の理念は、
「王だけが君臨し、王の前では誰もが平等である」とする一君万民思想と表裏一体の関係をなしていた。
ところが んな事は夢物語でしか無い事は馬鹿でもチョンでも分かる訳でw
なので その理想論が口実に利用されているだけにすぎなくなるのは
馬と鹿の区別が付かないような者達以外には 馬鹿馬鹿しい位に分かる話になる訳でw
律令制では、王土王民および一君万民の理念のもと、で
人民(百姓)に対し一律平等に耕作地を支給し、
その代償として、租税・労役・兵役が同じく一律平等に課せられていた。
さらに、こうした統一的な支配を遺漏なく実施するために、
高度に体系的な法令、
すなわち律令と格式が編纂され、
律令格式に基づいた非常に精緻な官僚機構が構築されていた。
この官僚機構は、王土王民理念による人民統治を実現するための必要な権力装置であった。
現実には 徳治な王政は存在できるはずもなく
人民統治を実現するための必要な権力装置を握る貴族政が支配統治の実権を握るだけの話となる。
こんなことは、こうしてイチイチに説明しなくても誰もが分かる話なんだけど
あえて逐一に説明する事もまた大事かと思ってね。
基本制度
概して次の4つの制度が統治の根幹となっていた。
・一律的に耕作地を班給する土地制度爆笑wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
中国では均田制、日本では班田収授制(班田制)として施行された。
中国では、土地の班給よりも租税の確保が重視されていたが、
日本では土地の班給が重視されていた。
そういや そうだwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
考えてみれば無茶苦茶だよねwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
コレを読んで即座に 郵政疑獄における“かんぽの宿” を思い出したのは俺の妄想ですね?w
王土王民思想を最も反映していたのが この土地制度である。何その説明wwwwwwwwwww
王が自らの支配する土地を、
自らが支配する人民(百姓)へ直接(中間支配者である豪族を介さずに)班給する というものであり、
儒教的な理想を多分に含んでいた。
日本の班田収授制(班田制)って
班給 日本の班田収授制 班田制 荘園 - Google 検索
奈良時代のポルポトの如き理想論が当然に崩壊したのに
班給の実務を(当然に徴税の実務も)貴族政官僚主義が握り続けたままなもんだから
結局に三世一身の法 墾田永世私財法 - Google 検索の荘園制度へと至った訳で
王土王民思想なんか欠片も無いじゃんwwwwwwwwwwwww
どの口が そんな説明で読む人を納得させようとしているんだろうなwwwwwwwwwwww
つーか なに この既視感はwwwwwwwwwwww
竹中のコイズミカイカク の その詭弁詐術のまんまを読むようだwwwwwwwwwwwwwwwwwww
コイズミの郵政民営化 と 三世一身の法と墾田永世私財法 って何処に違いが有るのだろう?wwwwww
こんな口実が罷り通っていたんだねwwwww
そら平安後期に武士階級が 止むにやまれずに蜂起して台頭せざるを得なくなる
となる訳だわなwwwwww
当り前だwwwwwwwwwwwwww
・個人を課税対象とする体系的な租税制度おいおいおいおいwwwwwwwwwww
中国や日本では租庸調制として施行された。人民は耕作地班給の代償として納税義務を負った。
土地の班給が人民一人一人に対して行われたので、課税も個人に対してなされた。
これは、律令国家による人民支配が非常に徹底していたことを物語っている。
また、課税は恣意性の介入を排除して、誰に対しても同じように一律に行われた。
上記のような日本の班田収授制(班田制)の中身を考えれば
既に恣意性が猛然と介在している以上
とてもじゃないが その下で働く個人への課税の厳格化 なんてのは正気の沙汰ではないわなwww
日本の班田収授制(班田制)を守る私兵を祖とする武士階級が
こんな現場を見て武装蜂起するのは あまりに当り前の話になるわなwwwwwwwwwww
・一律的に兵役が課せられる軍事制度何故か定期的に繰り返される 「徴兵制と軍役」へのマスコミ新聞テレビ大手メディアからの叫び声、
中国では府兵制、日本では軍団制として施行された。
耕作地班給の代償として兵役の義務を負ったのである。
ただし、唐代の江南地方では兵役がほぼ免除されていたり、
日本では東国(関東)ばかりが防人の兵役義務を負っていたなど、
必ずしも一律的に兵役が課されていないという実態があった。
って 一体なんなのだろうね?wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
・人民を把握するための地方行政制度その発想の先に有るのが人民統制だよねwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
中国では郷里制、日本では国郡里制を採用した。
支配を貫徹するために、末端の近くまで官僚が体系的に配置されていた。
この制度の下で、班給・課税・徴兵の台帳となる戸籍・計帳の作成が可能となった。
逆に言えば、戸籍・計帳の作成によって、上記の三制度の実施が可能となったのである。
以上の4制度を漏れなく実施するために、いやいやいやいや 面白いなぁwwwwwwwwwwwwwww
律令国家は、非常に精緻な律令法典と、それに基づいた高度に体系化された官僚制を必要とした。
何時の時代の話を読み込んでいるのか 全く分からなくなっていたよwwwwwwwwwwwwwww
官僚主義とは 貴族政による律令政治の一側面である。
司法が法治を捨てる とは 貴族政による律令政治の一側面である。
他に挙げればキリが無いだろう。
頭の中では分かっているつもりな話でも
こうして言葉にして羅列していくと
今の時代に起きている事が 更に明瞭に輪郭がハッキリと見えてくるんだね
誠天調書 2011年10月15日: 世田谷区弦巻5丁目事件 と 鳥取と岡山の県堺の人形峠ウラン残土事件。 放射能汚染という森の中で 木を隠す、というのは諜報工作の基本行動だと思うのですが?
http://mkt5126.seesaa.net/article/230468005.html
誠天調書 2011年10月20日: ケムトレイルは放射性物質をバラ撒く可能性も?
http://mkt5126.seesaa.net/article/231252040.html
世界の真実の姿を求めて ヨウ素131が全国で同時期に検出された原因は2つ。
http://oujyujyu.blog114.fc2.com/blog-entry-1795.html
世界の真実の姿を求めて! 柏市の高濃度汚染(セシウム)は、普通に考えれば、放射性廃棄物の不法投棄しかない。
http://oujyujyu.blog114.fc2.com/blog-entry-1800.html
まぁ 俺は普通に「汚染された極めて高濃度の焼却灰の不法投棄」だと思うけどね。
なんかの別の残土と混ぜて 雨の日にバラ撒けば もう分からないよね。
核テロリストが其処までを平然としてくる連中だという事は
散々に分かってきている事なんだしさ
http://finalenotepad2010.blog103.fc2.com/blog-entry-52.html
千葉県柏市で
27万6000ベクレルの放射性物質のセシウムが検出された理由は
「雨水が凝縮され土壌に蓄積された」と公表されたが、
これは単なる汚泥、草木のセシウム濃縮焼却灰にすぎない。
文部科学省と担当者というのは頭はよろしくないのか短絡的な思考なのか誤った情報を公表している。
まあ、また政府の隠蔽であるとしてもいいほどお粗末である。
南部クリーンセンターの柏市第二清掃工場の焼却灰から
1kg当たりで78000ベクレルの放射性物質が検出された事から
いかにセシウム濃縮焼却灰との関連に整合性が高いかわかる事だろう。
たった34kgで27万6000ベクレルの放射性物質のセシウムになるわけである。
現在では1kgのセシウム濃縮度合いは
もっと高くなっている場合もあるので、34kg必要ないともいえるが。
福島県の焼却灰からは14万ベクレル検出されている。
福島県 焼却灰 14万4200ベクレル - Google 検索
柏市はもともと放射線量の高いホットスポット地域であるためという理由も聞かれるが、どうかな?
20万ベクレル超のセシウムという通常の基準値からすると大きく乖離しているので、
焼却灰と断定してもよさそうである。
空き地に捨ててしまうほど処理施設が困っているのであれば、東京電力本社に送ればいいだろう。
事故を起こしたご本人にお返しするのが筋である。
こんな隠蔽しなくてもいいような情報さえも隠すようになった文部科学省もどうしようもない。
ここでひとつポイントがあってなぜ柏市職員ではなく文部科学省の公表なのか
というところで少し大きめの何かが起こっていることを想像できるだろう。
政府はいつも真実を遅らせるということが周知となっているが
真実の想像がたやすい情報でさえ隠蔽するようになったのは非常によろしくない。
この件は東京都のラジウム瓶とはかなり趣が違う、
このネタ自体、政府等の仕込みという噂もあるぐらいである。
ゴミ利権とは宗教右翼の巣窟であり
世田谷の件も調べれば露骨に宗教右翼の色が猛烈に出てくる。
そして宗教右翼と自衛隊の諜報系は表裏一体の関係に有るテロ仲間だ。
如何なる連中が 日本の政治を動かしているのか?
を ずっと追い続けてきたウチのブログからすれば
政府の仕込み という表現だけでは かなり適切では無く不明瞭だと思う。
諜報を動かす連中 は 何処で どのように 何を目的にして動くのか?
そういう観点こそが これから先は とても必要になるだろう。
柏の高放射線 原因はセシウム(原発由来) セシウム比率を確認することで、おおよそ どこ由来かを想定できる: 院長の独り言
http://onodekita.sblo.jp/article/49216825.html
4号機爆発は、想定外の核爆発だった!
http://yoshi-tex.com/Fuku1/Fuku1No4.htm
http://visualizing.jimdo.com/
防衛省の測定した 3月11日からの福島第一原発における放射線量のグラフ は初めて見たなぁ。
かなり面白そうな話なんだけど、其のグラフとデータは何処から出てきたんだろう?
いわた きよし - Google 検索は 今まで何度かリンクやコピペをしたけど、どうにも な面が有る。
上記の話も 中々に良く出来ているんだけど
http://asthenosphere.blog.so-net.ne.jp/2011-09-29
爆発男・岩田清(@ Kiyoshi_IWATA)さんが福島原発事故以前はどんなこと呟いているかと思ったら想像以上にアレだった - 愛・蔵太のもう少し調べて書きたい日記
ttp://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20110927/iwata
の感覚に やや近いかなw
ただし同時に いやいやコノ人も随分と化けの皮が剥がれてきたなぁw というのが随所にあって
電波寸前 と 中二寸前
を眺める感覚なので
両者ともどもに生温かく見守るのが吉なのかなぁ なんて思いました。
何と言っても
Kiyoshi_IWATA stuxnet - Google 検索
lovelovedog stuxnet - Google 検索
両者ともどもに stuxnetには触れていないようなので
人工地震には殆ど触れないか もしくは貶める方向性でしか更新をしていないようなので
コンボとしての人工地震+stuxnet を検証していこうとする俺からすると
入り口の段階で別の学説を排除していこうとする“知的なはずの人達”の存在っていうのは
それはそれで また大変に面白いなぁ と思いました。
俺ね 今まで散々に書きながらstuxnet説を其処まで信じてないんだw
たださぁ『どう考えても怪しくて検証の余地が絶対に有る話、なのに触れない』という人達が
比較的に有る法則性からして近いグループに属する者達に居る ように思えてるんだよねw
だから 大丈夫?w って言ってるんだよね。
これからも 非常に良いリトマス試験紙になってくれそうなので、
だから あえて こう書いてきたんだよね。
これからも こう書くんだ。
俺ね 今まで散々に書きながら stuxnet説や人工地震説 を其処まで信じてないんだw
はてなブックマーク - 産経の阿比留記者だけがアホかと思ったら、ネット民も同様だったというオチ - 誰かの妄想・はてな版
http://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/scopedog/20111023/1319390638
政治通貨スワップ協定が、
日本が韓国に現金渡すわけじゃないことくらい、ちょっとでも調べればわかるはずなのだが・・・。
アホなネット民に片山さつきが含まれている件 2011/10/24未だに 小沢西松陸山会事件へ真っ当に切り込めない程度な連中は
救いがたいレベルでの情報弱者か
重度の精神疾患を激しく疑わざるを得ないようなレベルでの精神状態 だろうから
カルトの下僕 の一言で言い切ったほうが早く、双方にとって時間と労力の節約となる。
【赤木智弘の眼光紙背】「それどこ情報? まとめサイト? 話題古くね?」
http://news.livedoor.com/article/detail/5955928/
まずコメ袋の件から。
ウチは常に「俺の言葉を信じてはいけない」を前提に言葉を発するという方向性での更新をしている。
まず真っ先に警告を発する事も可能な立ち位置を先に構築してきた俺は
現在の状況的に 如何なる凶悪な偽装が起きても全く不思議ではない と考えている以上、
“コメ袋の偽装”が“言われなき中傷”として妥当か否かを検証する前に
其処まで徹底的に疑うべき という話を出す方をこそ優先した更新をしたつもりだ。
JA熊本が、ネット上で「福島の農家がJAあまくさ(熊本県天草市)の米袋を使い、産地偽装をしている」かのような情報が流れていることに対して、「言われなき中傷」であると反論の姿勢を見せている。へぇw
この問題は、フジテレビの情報番組「とくダネ!」が、福島の農家が米を廃棄する様子を報じた映像の一部で、廃棄する米を入れるためにJAあまくさの空袋を使ったところ、この部分だけを抜き出して2ちゃんねるに「産地偽装をしている」としてスレッドが立った、
ここでのやり取りを、2ちゃんねるの話題をまとめてBlog上に掲載する、いわゆる「まとめサイト」が掲載したことで、様々なBlogなどで取り上げられて、大きな話題となったものである。
私がこのヘッドラインを見たときには「この話題は何週間か前に見たわー。何週間前に」などと、どこぞのミサワみたいな感想を持った。
実際、8月から9月にかけてツイッター上などで、「福島のホームセンターで、産地偽装のための他県の米袋が飛ぶように売れている」という話題があった。
それに対する、多くの人のツイートを見聞きするに、福島に限らず多くのホームセンターなどで、使用済みの米袋は昔から普通に売られていて、野菜などの保存に使われているそうだ。なにせ、30キロの米を入れて運ぶ袋なので、非常に丈夫で、しかも安くて、使い勝手がいいという。もし、これに米を入れたとしても通常のルートではクズ米としてしか取引されない。
ビニール袋ではなく そういう「大きなコメ袋で玄米の小売をする所」を
俺は農協系や米問屋系で比較的に良く見るけど あれもクズ米だったのかw
そもそも問題の本質は、
混ぜられたら分からない 散々に流通で米偽装をしてきた という部分であり
信用が地へ堕ちている所へ今回の事態なればこそ
もはや 食の安全は完全に崩壊した以上は何が起きても不思議ではない という観点で
日々に生き残る為の考察を勧める方向性での更新のほうが
情報流通の担い手としては まだマシ と俺は自分のブログでなら判断する。
食品偽装の可能性がまったくないとは言えないが、その大半はリユースという本来の目的で使われているのであり、産地偽装目的とした報じられ方はあまりに一方的すぎるのではないか。そんな結論が出ていた。すげぇwwwwww
こうしてネット上ですでに決着がついている話題が、再びネットから上がってきて、しかもそれが以前の議論を全く参照せずに盛り上がっていることに、私は軽くめまいを覚えたのである。
俺のように「自分の言葉を信じてはいけない」と宣言しているのならともかく
決着がついた と 話を打ち切らせようとするんだw
その挙句に 軽くめまいすら覚える と、
随分と自尊心が高そうな印象を他者へ与える人なんだなぁ。
そういう印象を不特定多数へ与える意味を計算しているのならば
相当に孤高な生き方を目指している 凄い人なんだろうな。
ま それは ともかく、
以下の観点への前フリと考えれば ならばよし かな。 煽り前フリと考えれば「やるなw」だし。
ようやく こういうことを ここまで書いてくれる人が出てくれた。
こうした、2ちゃんねる系のまとめサイトは、
一見「2ちゃんねるでこうした話題が盛り上がっている。その発言をまとめて読みやすくしている」
という体を装っているが、その編集権はまとめサイトの側にある。
たとえ掲示板上で賛否両論の意見であっても、
まとめサイトが片方の意見ばかりを拾い、フォントを大きくしたり、色を変えたりして強調すれば、
さも それらの意見が圧倒的であったという印象を与えることもできる。
こうしたまとめサイトが、
極少数の意見を取り上げることによって、議論の多様性が確保されるのではないか
という見方もできなくはないが、
特に大手のまとめサイトでは、
アフィリエイト収入を目的とした「商売」として運営されている場合が多く、
趨勢的にネットに合いそうな話題、
いわゆる嫌韓や反マスコミ的な話題にばかり積極的に肩入れすることが大半である。
まとめサイトは、
集客のために、話題を意図的に選別し、ネット上の議論を誘導するという性質を持ちながら
「あくまでも、個人によるまとめにすぎない」という体裁によって、
2ちゃんねるに書き込んだ責任は書き込んだ当人にあり、
読んだ結果、どのような印象を持つかは読み手の責任だとして、
本来に負うべき社会的責任の回避に成功してしまっている。
ならばユーザーが「まとめサイトは怪しい」と疑えばいいのだが、
ユーザーには、まとめサイトの誘導に乗っかってしまったほうが、
他人から叩かれる危険を弱めながら、一方的に正義面をして騒いで楽しめるという利益がある。
そのために事実がねじ曲げられようと、
まとめサイトの管理人はアフィリエイトで儲かればいいし、
ユーザーは騒げればいいだけのことである。
もちろん、そうしたまとめサイトを鵜呑みにするユーザーはネットのごく一部だけではあるが、
最近ではそうした風潮に煽られた人たちが、デモ行為などを行なったりする事例もあるので、
決して軽視はできない。
コレは 本当に本当に ありがたいと思う。
また、ゲーム業界では、影響力のあるまとめサイトに、広告の出稿などをすることによって、ああいう連中のアフィのアカウントが不思議な状態だったりとか 上げればキリが無いもんね。
自分たちの作品への批判をかわそうとする、コメツキバッタのような会社も存在するそうだ。
そういう事を含めて 情報流通の遡上に載せるか否か を考えていかないままでは
マスコミ新聞テレビ大手メディアと同じになっちゃうからね、
って だから俺は 2009年3月3日以降 小沢西松陸山会事件で言い続けてきたんだよね。
そうしたら俺が排除されたけどねw
この指摘は 正解だと思う。
しかし、私の印象で言えば、まとめサイトは
もはや、情報に明るくない遅れた人が、「自分は真実に接している」と信じるためのツール、
いわばネットで言うところの「情弱」専用ツールに過ぎないのではないかと思う。
でも そういう情報流通の上位下達から逃れる事ができない者達とは
結局にカルトの下僕と同じ精神構造の中に居る ということをすら自覚できないので、
俺としては 右の柱のリンクの位置は上位に残しつつ という方向性にすることで
している事は カルトからの脱会の支援 に近いことができれば良いなぁ、みたいに思ってきた。
今回の空袋のことだって、Twitter上ではもう2ヶ月前に解決している問題を蒸し返し、しかもまともな結論にすら至ってないのだ。ならば どうするか。
たとえ古い情報を扱っていても、「2ちゃんねるでこんな話題があったけど、Twitterでこういう議論があって、否定されてたよ」ということを提示できるサイトであれば、情報収集に有用なサイトであろう。しかし、それすら提示できず「俺らがすっぱ抜いた産地偽造だ!ネットスゲェ!」という空疎な煽りに乗ることができるのは、遅れていることを恥じる感覚がないか、ネット上での検索ができないかのどちらかである。
とはいえ、そうした「遅れた普通の人々」こそ、マジョリティーの中心であり、彼らの考え方が社会を大きく動かす可能性は決して低くはない。そうしたマジョリティーという重くて大きな流れに対抗するためにも、本当に先端を走る人たちは、正しくしっかりした情報を地道に蓄え、成長していくしかないだろう。
だから俺は 此処で頑張るしかない と、特にココ最近は繰り返し書いているのだ。
情報流通の前線に居続けると
その向こうに諜報工作を仕掛けてくる連中 という観点を考えざるを得なくなる、
其れが こうして更新を続けた俺の経験上の知識だ。
連中が情報流通における 情報工作と諜報戦のプロ だという事を、
イヤというほどに味あわされ続けてきた。
凡俗に過ぎない俺は
その観点を踏まえて更新をしていこう と その為にはどうしたら良いんだろう
という方向性での更新を 頑張れたら良いな って思っている。
生兵法は怪我の元 だけどねw
でも仕方ないさ、やるしかないもん。
馬鹿で豚に過ぎない一般民衆が核攻撃を受けているんだからさ、
ネットの日本語圏の下士官層がやらなければ 他に誰がするんだよ。
平安時代後期に台頭した武士階級の者達もまた こんな感慨の中で生きていたのかな。
今の俺の目の前には こうして知識を収集する機能が在る、
けど 平安時代後期に台頭した武士階級の者達 には其れが無いんだよね。
だけれども できることをしていくしかない という意味では きっと同じなんだろうな、とは思う。
OWSデモ抗議運動の“統治体”「謎の20人」とソロス | カレイドスコープ
http://kaleido11.blog111.fc2.com/blog-entry-945.html
https://twitter.com/moriyukogiin/status/127769215917768704
まんがで説明・陸山会事件「お天道さまがみてる」改訂版
http://bogonatsuko.blog45.fc2.com/blog-entry-1023.html
http://sekaitabi.com/gaddafi.html
「ガダフィの独裁の結果」に世界は洗脳される | すべては気づき
余談ですが日本では「カダフィ」と綴っている人が多いようですが、
英語だとGaddafiなので、私はそのまま英語式に「ガダフィ」と綴っています
・ガダフィがした独裁政治の内容の一部http://hiropon1616.tumblr.com/post/3574510839/71-2011-02-25-07-59-34-42
新婚夫婦が家を買う為に政府が約400万円支給
電気代、医療費、大学まで教育費無料
ローンの金利0%
農業をする場合、土地、家、器具、家畜、種子が無料支給
車を買うときは半額を政府が支払う など
73 名前:名無しさん@十一周年[] 投稿日:2011/02/25(金) 07:59:43.73 ID:YMv4/7QL0 [2/2]
だいたい、リビアは今日明日中に死ぬか生きるかって位に国民が貧窮しているような国ではない。
欧米との関係改善が進んだ近年のリビアは、むしろものすごく豊かになっていた。
石油で潤ってるから税金はなくて高度医療や住居・教育までが無料だし、
一人当たりのGDPは周辺国の数倍(エジプトの8倍)もある。
しかも国民には月8万5千円の生活費(物価が安いので、現地では数倍の価値に相当)が支給されており
十年以上ずっと失業率30%程度だが全く問題なしという大卒ニート天国だったりする。
それに、戦闘機からの機銃掃射(air strike)をいつから「空爆」と呼ぶようになったのか?
日本人が思う「空爆」って単語のイメージは、東京大空襲のようなナパーム弾の無差別投下だ。
NHK以下、『魔王カダフィに虐げられてきた無辜の民衆』といった
極めて偏ったイメージを流布するマスコミは
こんな印象操作をして、いったい何を企んでいるんだ?
※砂漠で生まれ育ち、幼い頃から遊牧民の伝統とイスラームの教理に従って生活し、
成長するにつれ旧王制の腐敗と外国勢力による搾取を糾弾し、
ついには若くして革命を実行したカダフィ青年は、
当時のリビアの人々が強い共感を得る要素を ふんだんに兼ね備えていたといえます(ttp://togetter.com/li/104873 より)
http://twitter.com/amnkLibya/status/40010194452889600
カダフィ個人に対する国民の評価はどうでしょうか。http://twitter.com/amnkLibya/status/40013242684284928
オイルマネーのバラ撒きのおかげもあり、
ベン・アリやムバーラクのように、国民の貧困を改善しないままカダフィと家族だけが富を私物化している
という批判は、国内ではそれほど聞かれません。
チュニジア同様リビアも
国民の5割近くが25歳以下であり、
つまり リビア国民のほとんどは、
国連や欧米による経済制裁によって物資が困窮していた時代を経験していません。
http://twitter.com/amnkLibya/status/40017089645395968
政府は民衆の側からの自発的な組織と発言を厳しく禁じる代りに、
オイルマネーによって家、自動車、病院、工場など国民が必要とするものを整備し、
民衆の生活は確実に向上しました。
教育制度も整備され、授業料は無料となったために識字率は大きく上昇したといわれます。
http://twitter.com/amnkLibya/status/400226698103398402009年の政権交代と小沢西松陸山会事件 という関係性を考えれば
カダフィが1969年に革命を起こす前のリビアという国がどのようなものであったのか、概説します。
http://twitter.com/amnkLibya/status/40023251795197952
WW2後の1951年、
リビア西部のトリポリタニア、東部のキレナイカ、南部のフェザーンの3つの自治州から構成される
リビア連邦王国が独立します。
当時はまだ石油も発見されておらず、
独立したものの先進国の援助なしには国家財政を運営していくこともできないような
北アフリカの最貧国でした。
http://twitter.com/amnkLibya/status/40024316863184896
当時の首都はベンガジ、
つまり現在反政府運動が最も激しい都市におかれ、
リビア東部を拠点とする有力部族が政府高官となったわけですが、
政治の実権を握った王族と一部の有力者は、
彼らの支配力と権益の維持のため、政党や議会を禁じました。
つまり現政権と全く同じことをしていたわけです。
http://twitter.com/amnkLibya/status/40025001210032128
1960年に世界銀行は、
リビアの経済発展の障害は、公職への任命に関する一般的傾向として、
しばしば個人の実績よりも個人的親交や部族のつながりが重視されることであると報告しています。
これも現政権と ほぼ同じですね。
http://twitter.com/amnkLibya/status/40025392995766272
このように、リビア東部における一部の特権階級が政治権益を操ることで、
その利益を享受することのできない大多数の国民は、
体制からの疎外感を強め、それが1969年の革命の支持に結びつくことになったのです。
現政権におけるベンガジ・リビア東部の疎外には、このような背景があるわけです。
http://twitter.com/amnkLibya/status/40026250026291200
王制時代、リビア社会は教育に見放され、独立後の数年が経っても住民の90%以上は文盲であり、
ほんの一握りのリビア人が大学か職業訓練施設で勉学の機会を与えられたに過ぎませんでした。
教育制度が真に発展するのは1960年代の石油発見後です。
http://twitter.com/amnkLibya/status/40026737194696704
油田が発見されると、旧王制は国際石油資本と結びつくことで、
王政存続の経済的基盤を獲得しましたが、
その利益は王族と一部の有力者に独占され、国民は石油利益の恩恵を受けることができませんでした。
http://twitter.com/amnkLibya/status/40027065659035648
1962年、在リビア米国大使館からケネディ大統領宛に秘密メモが届けられています。
「石油による巨額な収入が見込まれているにもかかわらず、
王族たちは、行き当たりばったりの大浪費と公金横領に目がくらんで、
たちまち現金不足に陥り、結局、我々のところに泣きついてくることになる」
http://twitter.com/amnkLibya/status/40027654275080192
これ、現在のカダフィ政権の話じゃありませんよ。
カダフィと同志達が打倒した王国政府のことです。
そして繰り返しますが、当時ベンガジは王族や有力者の基盤として繁栄の極みにあったわけです。
http://twitter.com/amnkLibya/status/40029958390816768
そしてリビア東部の人々は、
革命直後から現在に至るまで、現政権に対して決して無抵抗であったわけではなく、
様々な形で抵抗を試みてきたわけです。
http://twitter.com/amnkLibya/status/40030747511230466
主要な例としては、
1993年、有力部族のワルファッラ(Warfalla)家によって引き起こされたカダフィ暗殺計画があります。
反乱の理由は、ワルファッラ家メンバーの政府と軍部への部族出身者の登用において、
彼らが到底満足し得ない冷遇を受けたというものでした 。
http://twitter.com/amnkLibya/status/40031965776330752
このワルファッラ(Warfalla, Werfella)家は、
リビアでの反体制運動の先陣を切り、反カダフィ姿勢を鮮明にしている。
http://twitter.com/amnkLibya/status/40050176525729792
ここで一つ考えておくべきことは、
リビアの反政府側に立つ人々は、「なぜ」カダフィ政権を打倒しようとしているのか、
アラブ諸国の人々は、反体制運動を通じて「民主化」を達成したとして、その先に何を求めているのか、
という点です。
http://twitter.com/amnkLibya/status/40050724817739777
国家が資源から得た利益の適切かつクリーンな分配、
行政サービスや法律の有効な機能、
イスラームにもとづいた社会モラルの浸透、
経済的格差の解消
などは、単純に「民主化」「カダフィ退陣」の延長線上にあるものではなく、
民主化を達成すれば自動的に達成され得るものでもありません。
http://twitter.com/amnkLibya/status/40051583005892608
「独裁政権vs無辜の民衆」「民主化」「狂人カダフィ」という言葉に踊らされていると、
表層的な捉え方しかできないということは確かです。
http://twitter.com/amnkLibya/status/40062393316945920
乱暴な表現になりますが、
「魔王カダフィがリビア政府全てを牛耳っていた」というようなドラクエ的発想からは、
何も見えてこないどころか、極めて歪んだリビア像しか引き出しません。
http://twitter.com/amnkLibya/status/40065092393517056
くれぐれも、
「狂った独裁者カダフィvs正義と平等と平和を求める民衆」
という一面的な構図に陥らないで頂きたく思います。
そんなに単純なものであるはずがない。
実情は、もっとずっとドロドロしている。
http://twitter.com/amnkLibya/status/40066149681086464
そしてリビアという国を
「魔王の支配する地獄のような国」
「無力な人々が抵抗もせず苦しみ続けてきた国」
などと捉えること自体、その社会や現地で生活している人々を間接的に貶めている、
ということも忘れないで頂きたく思います。
http://twitter.com/amnkLibya/status/40493971646054400
では、地中海沿岸の小都市シルテの出身であるカダフィが、
どのようにしてフェザーン地域(の部族勢力)に接近することになったのか。
それは少年時代のカダフィの家族が、
シルテから南部の都市セブハに移住したことをきっかけとしています。
http://twitter.com/amnkLibya/status/40494480821993472
そもそもカダフィ親子がシルテから800kmほども離れたセブハへ移住した経緯には、
両都市の間に築かれていた交易の歴史が関係しています。
サハラ砂漠北部のオアシスであるセブハからはナツメヤシやアフリカの産品を、
遊牧民の拠点となっていたシルテからは家畜を それぞれ売買していたわけです。
http://twitter.com/amnkLibya/status/40494801740759040
シルテの遊牧民であったカダフィの父親も仕事でセブハを訪れる機会は多かったこと考えられます。
当時のカッザーファ族は貧しく、社会的地位も低かったのですが、
教育の価値というものを心得ており、
カダフィの両親は自身の食を切り詰めて息子をセブハの学校へ通わせたといわれています。
http://twitter.com/amnkLibya/status/40495473651355648
セブハに保存されているカダフィの生家
http://yfrog.com/h68leej
http://twitter.com/amnkLibya/status/40495815063633920
ちなみに、カダフィ親子が生活していた家「ダール・ムアンマル」は、今もセブハの街中に保存されています
土造りの非常に質素なもので、体育用具置き場?程度の大きさです。
http://twitter.com/amnkLibya/status/40498180139384832
カダフィは砂漠に囲まれたセブハで少年期を過ごしながら自身の思想を深めていきました。
中学生の頃から、彼はエジプトのナセルの革命思想とアラブ民族主義に出会い、
政治活動に参加するようになります。
学校で友人達を誘いデモ活動を行うこともあり、頭脳明晰で成績は常に優秀であったようです。
http://twitter.com/amnkLibya/status/40499462250049536
そのため現在に至るまで、セブハとフェザーン地域はカダフィにとって特別な場所のようです。
ジャマーヒーリーヤ革命を宣言(1977年)したのも、
カダフィと同志達の考える新しい社会体制について述べられた『緑の書』
(昨日の演説でも読んでいました)を執筆(1978年)したのもセブハです。
http://twitter.com/amnkLibya/status/40499863237959680
「セブハから革命が始まった」と書かれた看板。セブハにて撮影。
http://yfrog.com/h2j7c9j
自分の国で起きている事とリビアで起きている事 の関連性を考える事も全くに難しくないんだけど、
ネトウヨやマスコミ新聞テレビ大手メディアの嘘デマ扇動に煽られて
宗教右翼な国粋主義を叫ぶ事が国を考える事だとか 馬と鹿の区別も付けられないドアホウには
そんな事も分からないのだろうがね。
http://www.youtube.com/watch?v=1b9PPywFXPo
カダフィ演説2011年9月8日 日本語訳つき