https://twitter.com/fvjmac/status/159843691597545472
「交流電源を失った場合のバックアップ電源は国の保有するバッテリーを使う予定としていたが、
当社の接続作業が終了していなかったため、
地震により外部電源を喪失した14時47分頃にデータ伝送が停止した」
https://twitter.com/jhatajinan/status/159845133502775296
福島第二原子力発電所も311で外部電源を喪失させているのだけれど、どういうことなのですかね?
当然フクイチも全機外部電源喪失、津波襲来まで非常用発電機が動いているはずなんだけれど
遮断が14時47分?
非常用線が交流されない場所に置かれていた?
なんか変だ。
https://twitter.com/fvjmac/status/159849581566373888
この装置に対する非常事態への体制がお粗末だったということなのではないかと…。
非常時にしか、存在意義のない装置であるにも関わらず、この認識・体制は、意味不明ですけど…。
https://twitter.com/jhatajinan/status/159850291624292353
同意。意味不明です。
http://sankei.jp.msn.com/smp/science/news/120119/scn12011911180003-s.htm
非常用電源が外れたままとなっていたのは「メディアコンバーター(MC)」と呼ばれる機器で、
原子炉の温度や周辺の放射線量などを監視する「ERSS」と呼ばれるシステムへ
データを送信する装置の一部。
MCが非常用電源の「無停電電源装置」に接続されておらず、
地震により外部電源を喪失した昨年3月11日午後2時47分ごろにデータの送信が停止した。
関係者によると、
平成22年2010年11月に行われた設備更新工事で、
MCからの電源ケーブルを作業員が誤って別の機器に接続。
東電は同月、ミスに気づき、ケーブルを非常用電源につなぎ直そうとしたが、
ケーブルの長さが足りず断念。未接続のまま放置したという。
ERSSを所管する経済産業省原子力安全・保安院は
「非常用電源が接続されていればデータが受け取れた」と認めており、
本震から余震で国の通信網がダウンする3月11日午後4時43分ごろまでの約2時間、
本震直後のデータを生かすことができた可能性が高い。
ERSSのデータを基に放射性物質の拡散を予測するシステム「SPEEDI」にも活用できなかった。
まぁ ここは このマヌケな言い訳をしたいが為に 言い出したのでしょうなぁww
だけれども 拡散予測を海外は普通に即時にやってのけた以上 SPEEDIが活用できたか否かの以前の問題。
アホだね、SPEEDIが適切に動かなかった→言い訳→予算獲得というコンボの涎がミエミエ。
https://twitter.com/kiraramaron/status/159870362258112512
「非常用バッテリーが変換装置に接続されていれば、
津波で被災するまでの約一時間、データを送れた可能性がある。」
いやSPEEDIが重要だったのは津波の後!情報隠しを東電のせいにするな!
東京新聞:福島第一原発 非常電源を未接続
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2012011902000178.html
まぁ 今更に余計な事を言い出してくれたおかげで あえて あんまり深く追求しなかった
stuxnet(亜種)の重要な攻撃能力
「システム改変 のみならず データの改竄も行う」
への足掛かりすら此処で届けてくれたんだから どんだけマヌケなんでしょうね。
「stuxnet データ改竄 STEP 7 の s7otbxdx.dll ファイルの改ざんし」の検索結果 - Yahoo!検索
http://search.yahoo.co.jp/search?p=stuxnet+%E3%83%87%E3%83%BC%E3%82%BF%E6%94%B9%E7%AB%84+STEP+7+%E3%81%AE+s7otbxdx.dll+%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB%E3%81%AE%E6%94%B9%E3%81%96%E3%82%93%E3%81%97
「stuxnet 正常な動作を示す偽装データを送るため、 異常が発覚せず、緊急停止などの 防護措置を取れない」の検索結果 - Yahoo!検索
http://search.yahoo.co.jp/search?p=stuxnet+%E6%AD%A3%E5%B8%B8%E3%81%AA%E5%8B%95%E4%BD%9C%E3%82%92%E7%A4%BA%E3%81%99%E5%81%BD%E8%A3%85%E3%83%87%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%82%92%E9%80%81%E3%82%8B%E3%81%9F%E3%82%81%E3%80%81+%E7%95%B0%E5%B8%B8%E3%81%8C%E7%99%BA%E8%A6%9A%E3%81%9B%E3%81%9A%E3%80%81%E7%B7%8A%E6%80%A5%E5%81%9C%E6%AD%A2%E3%81%AA%E3%81%A9%E3%81%AE+%E9%98%B2%E8%AD%B7%E6%8E%AA%E7%BD%AE%E3%82%92%E5%8F%96%E3%82%8C%E3%81%AA%E3%81%84
さてさて
ストレステストでシステム系を試さずとも再稼働が妥当
なんて どんだけ頭がイカれているのでしょうね。
脱原発や反原発を言い出す宗教右翼カルトや宗教左翼カルトの皆々様は
こういう簡単な話へ何故に突っ込まないのでしょうかね?
言い換えれば
異民族から与えられたニセモノの冠を被っては 歓んでから冠から囁かれる声に従い
炎の周りで踊り狂うも同然な右手と左手が激しく動く宗教儀式 だけで社会政治が突き進むニホン、
としか俺には見えませんが そら
炎の周りで踊り狂うも同然な右手と左手が激しく動く宗教儀式 を眺めては
それで核が落ちてきても 神の天恵
とか家畜や土塊は嬉々として思うのでしょうなぁ。
卑弥呼の雨乞いの儀式 で社会政治が進む、と何処が違うんだろう?
其の儀式を哀れんで眺めては、俺なりに ここで頑張るしかできない、その無力を本当に情けなく思う。
東電は、放置していた理由を
「電源ケーブルを手配しなければいけないという認識はあったが、
3月11日までにつなげなかった。完全に忘れていたわけではない」
と説明している。
一方、保安院は「なぜ長いケーブルに取り換えなかったのか」と、東電の対応を疑問視している。
政府の事故調査・検証委員会は昨年12月に公表した中間報告で、MCについて
「非常用電源やバッテリーが備え付けられていなかったため、装置が停止したと考えられる」
としているが、非常用電源の不備ではなく、未接続が原因と判明したことで、今後に問題視される可能性もある。
◇
■ERSS
チェルノブイリ原発事故などを受け、
原子力事故が起きた際の国の対応を迅速化する目的で導入されたシステム。
全原発55基の原子炉の圧力や周辺の放射線量などの状況を一元的に把握し、
事故状況を予測することなどができる。
これまでに国が155億円以上を投じ開発・運用してきた。
昨年12月末には、24時間以上にわたってデータが表示されなくなるトラブルがあった。
https://twitter.com/fvjmac/status/159858678655234048
(そういえば、これ、
東電の12/22報告書にある「緊急時対応情報システムSPDS」じゃなくて、
今日の会見では「メディアコンバーターMC」に、いつの間にか、見解が変わってるな…。
やっぱり、イスラエル製の監視カメラと関連するのか…?
国の管轄だから、預かり知らぬと暴露した…? )
陽光堂主人の読書日記 ERSSの問題とマグナBSPの関わりを追及すべきだ
http://yokodo999.blog104.fc2.com/blog-entry-508.html
それはまた 随分と直球勝負だなw
でも 其処だとストライクゾーンが違うような気もしないでもないんだが、さて どうなるかな。
あくまでデータ管理だから PLCとの関係性を軸にして
「stuxnet PLC Siemens SIMATIC WinCC and PCS 7 control systems」の検索結果 - Yahoo!検索
http://search.yahoo.co.jp/search?p=stuxnet+PLC+Siemens+SIMATIC+WinCC+and+PCS+7+control+systems
Siemens Simatic S7-417 S7 - 315 fukushima stuxnet - Bing
http://www.bing.com/search?q=Siemens+Simatic+S7-417++S7+-+315+fukushima+stuxnet
simatic s7-300
simatic s7-200
simatic s7-1200
simatic s7-400
simatic s7-300f
とまぁ 色々と種類が有るようなのですが
イランで標的になったのは上の数字S7-417 S7-315 辺りらしいんですけど
Siemens Simatic simatic s7-1200 fukushima stuxnet - Bing
http://www.bing.com/search?q=Siemens+Simatic+simatic+s7-1200+fukushima+stuxnet
Siemens Simatic simatic s7-1200 stuxnet - Bing
http://www.bing.com/search?q=Siemens+Simatic+simatic+s7-1200++stuxnet
2011年06月13日 Siemens、産業制御システム「Simatic S7-1200」の脆弱性に対処 - ITmedia エンタープライズ
http://www.itmedia.co.jp/enterprise/articles/1106/13/news018.html
と 其のタイミングで対処。
川内原発にSiemensのシステムが入ってるのはバレているのですが さて福島第一原発は?
誠天調書: 2011年06月01日
http://mkt5126.seesaa.net/article/205862161.html
震災が発生した3月11日の22時、原子力災害対策本部の事務局は、ERSS(緊急時対策支援システム)を稼働させて福島原発の事故進展予測を行ない、メルトダウンを明確に予測し、その情報は官邸にも報告されていた。えっと なんか妙ですなぁ?www
ERSSとは全国の原発の原子炉の圧力、温度などのプラント情報をリアルタイムで把握し、事故が起きればその後の進展を予測して、炉心溶融などに至る時間や放射性物質の放出量をはじき出すシステムだ。
保安院の資料によると、予測は原子炉の冷却水の水位などプラント情報が比較的失われなかった2号機を中心として行なわれた。
2号機は地震発生の11日14時47分に緊急停止し、20時30分に原子炉への注水機能が喪失。そして22時のERSS予測にはこう記されていた。
〈22:50 炉心露出
23:50 燃料被覆管破損
24:50 燃料溶融
27:20 原子炉格納容器設計最高圧到達。原子炉格納容器ベントにより放射性物質の放出〉
燃料溶融も、原子炉格納容器の弁を開けて放射性物質を含む蒸気を排出するベントをしなければ格納容器が設計最高圧を超えて危険な状態になることも官邸に伝えられていたのである。原子力災害対策本部事務局は、この2号機の予測をもとに、1号機と3号機の事故進展予測も行なっていた。
もうちょっと黙ってた方が良いかな?www
緊急停止した原子炉のうち、真っ先に非常用電源が止まって危機に陥ったのは1号機だった。そこで原子力災害対策本部は、ERSS予測通りに12日の「3時半」に1号機のベントを実施する計画を立てた。
それを物語る資料がある。同日未明の1時12分、同対策本部は気象情報をもとに放射性物質の拡散予測を行なう文科省のSPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)に、「3時半放出開始」という条件で、1号機のベントによる放射能拡散を予測させた。
この時の試算図では、風は海に向かい、内陸部に放射性物質は拡散しないという結果を弾き出した。すなわち、被害を最小限に抑えるタイミングであることを示していた。
もう何の事だか知りませんが 貼って置きますね11. あっしら 2011年5月31日 23:40:15: Mo7ApAlflbQ6s : onVdTZ00nIま その辺りで 色々と言いたい事も有るが 今日は良いやw
>震災が発生した3月11日の22時、原子力災害対策本部の事務局は、
>ERSS(緊急時対策支援システム)を稼働させて福島原発の事故進展予測を
>行ない、メルトダウンを明確に予測し、その情報は官邸にも報告されていた。
そうだっただろうと思うが、保安院は次のような説明をしている。
「緊急時支援システムも電源喪失=福島第1事故時、改善検討−保安院[時事通信]SPEEDI未公表の言い訳?」
http://www.asyura2.com/11/genpatu10/msg/505.html
Siemens Simatic s7-1200 stuxnet - Bing
http://www.bing.com/search?q=Siemens+Simatic+s7-1200++stuxnet
Siemens Simatic s7-1200 stuxnet fukushima - Bing
http://www.bing.com/search?q=Siemens+Simatic++s7-1200++stuxnet+fukushima
https://twitter.com/bincoffee/status/159650227794620416
民主主義というものをこれほど身近にかんがえたことはない。ま 最初は そんな感じ でも良いけどね。
権利だと思ってた。義務を怠っていた。
みんなで参加して育ててこなかった。
民主主義は ある面しんどい。
楽してたから今、政治家や官僚のいいようにされてる。
これから本当の民主主義に慣れていこう。
どんどん声あげていこう。
でもね 何故に日本で民主主義が定着しにくいのか?
欧州で定着した民主主義 と 其れ以外の世界各地では定着しにくい民主主義
には如何なる差異から生じるモノなのか?
そういう観点もなしに ただただ声をだせば民主主義が成熟できる とか思ったらカルトに嵌まるよねw
古代ローマという多神教で文明人の共同体 という母体の先で
一神教で蛮族野蛮人によって席巻された暗黒の中世という1000年の悪夢を越え
市民革命を踏まえながらも殺しも殺したりの500年を越えた先に
今の欧州の成熟した「一神教にして文明人の共同体」としての民主主義の定着が有る訳で。
そういう背景を踏まえずに 日本の歴史との重ね合わせもせずに
なのに安直に「民主主義」とか言い出したってカルトの餌食となるだけだし
それこそ時間と労力の方が無駄になるかとw
真面目に勤勉に働いたり 目の前の生活へ没頭したり する方が「まだマシ」とかになるよねw
社会政治を学ぶとは 本当に難しいよね。俺だって分からない事だらけだ。
でも俺はね
“今の欧州の成熟した「一神教にして文明人の共同体」としての民主主義”とは似て非なる
“日本もしくは新国家『大和』独自の「多神教にして文明人の共同体」としての民主主義”を構築するには?
というのを考えている。
ネットの日本語圏の下士官層 が 其の入口の部分になれば良いな、と思っている。
指輪物語 つまり映画「ロード・オブ・ザ・リング」は
“成熟した「一神教にして文明人の共同体」”という思想と理想で貫かれている。
小説版を深く深く読み解けば 極めて一貫している。
欧州世界の理想郷を描いている思想 を考えて読み直すと かなり別の視点で味わえるかと。
たとえば王の帰還で 神に等しきエルフの血を引く王族の直系の後継者アラゴルンは王になるが
その下に有る様々な領地は温存されている。
其の後の物語で ホビット庄は特別自治区となり 人の侵入が制限され 王すら其れを守る。
ホビットの庄長は選出は伝統的に7年ごとの選挙である。地方自治である。
つまり
文明人の矜持を知り 自ら奉仕する事を全く厭わぬ「尊き血筋」の下に 共同体は統治される、
そういう やや厳格な階級序列は有るものの
あくまで文明人同士の節度ある関係性を重視する者達同士で有る限りは友である、
となる。
たとえ蛮族野蛮人であろうとも
もし友好性を重視する者達となってくれるのならば 共存の道を探りたい、
となる。
それが文明人としての矜持だ とね。
俺は 俺の目の前に居る この地に住む圧倒的大多数もまた 言われるまでも無く ごくごく自然に
そういう文明人としての節度と矜持を持ち合わせている と肌で分かっている。
大震災が有っても 核攻撃が有っても 失われない
そういうマヌケな程の文明人としての節度を維持していこうとする平和を愛する気質は、
あまりにマヌケで あまりに素晴らしい。
ちょっと反省しつつ 大いに誇るべきだと思う。
そういう人の心の深さを大事にしていく共通意識は
これからもチョット反省しつつ とても大切にしたい。
そして 社会生活の中で見届けてきた
コミケや様々な局面で見られる「多神教的な かなり鷹揚な階級序列への感覚」
が有る事も 言われるまでも無く ごくごく自然に肌で分かっている。
土塊や塵芥にすぎない存在が チョットだけ上へ行き範を示し 道を示す。
また土塊や塵芥に戻るけど また別の存在が チョットだけ上へ行き範を示し 道を示す。
共同体の中で繰り返される階級序列の変容の繰り返しは
ネットに日本語圏ならば ごくごく自然な現象であり コミケでもまた ごくごく自然に繰り返されてきた。
其処から更に上へ進む事も 下へ進む事もまた ごくごく自然な現象で
本質的な意味で「蒼い血」が問われる事は無いのが多神教である。
互恵の関係の中にあるからこそ 絶対的な優越性の方が否定される 事こそが多神教だ。
でなければ
クリスマスの直後に 除夜の鐘を聞いて 神社へ初詣へ行く
なんて無茶苦茶が自然に成立できるはずもないからね。
欧州での理想と其の思想を そのままに輸入するだけで民主主義が成熟できるはずもない。
歴史が違う 気候が違う 風土が違う 培ってきた理念観念が違う。
でも文明人としての矜持への感覚は非常に似ている。
この似て非なる部分を弁えて
似てる部分は上手に使い 非なる部分は上手に改造し って考えれば良いんじゃないかな?
そうやって
俺達独自の民主主義を成熟させていくには どうしたら良いんだろう?
って考えれば良いんじゃないかな。
此処まで来て ようやくスタートラインに立てる訳だ。
古代ローマという多神教で文明人の共同体 という母体の先で
一神教で蛮族野蛮人によって席巻された暗黒の中世という1000年の悪夢を越え
市民革命を踏まえながらも殺しも殺したりの500年を越えた先に
今の欧州の成熟した「一神教にして文明人の共同体」としての民主主義の定着が有る訳で、
なんだけど
この地に営々と築かれてきた歴史だって 決して負けていると考えるつもりは無い。
この共同体に築かれてきた歴史だって決して負けていない。
でなければ 人的資源だけで世界に屈指の経済力を叩き出す なんてことは絶対にできない。
ニホンジンの言いだす一神教にして蛮族野蛮人のカルトの喧伝の為の歴史 では
この根幹の本質が絶対に説明しきれない。
そういう詐術を見抜く事 結局それが俺達独自の民主主義を成熟させていく第一歩にもなるんだろうね。
少しでも何か出来れば良いな と いつも思う。
俺は俺なりにね。
で 他の人は他の人なりに 其の人なりにだからこそ出来る事もあると思う。
其れで良いと思う。
それぞれに生きてきた背景が有るんだからさ。
だから野田なんか もはやオハナシにならない だよね。
https://twitter.com/jhatajinan/status/159606086276624385
高橋洋一「あまり飲まないようにしている」
そういや一回捕まってるもんね、銭湯でロレックス窃盗だっけ?意識がなかったんだろうな。
盛られたか。
どこかの誰かの言う通りにしないと
また盛られたり 不思議な写真か映像が出てくるかもしれないんでしょうか?w
屈しなかったミラーマン植草先生 との対比を考えれば、細かい所で馬脚は丸見えだけどねw
https://twitter.com/jhatajinan/status/159617710957932544なるほどw
こいつの代わりに外の人を入れろや
RT @secretarykyoko 120118 発電用原子炉施設のストレステストに係る意見聴取会で寝る人
http://twitpic.com/88qar2
https://twitter.com/jhatajinan/status/159619740141232128
笑ってしまったw
RT @secretarykyoko @jhatajinan 重要質問する予定が「眠らされて」いたのかも!!
https://twitter.com/zebra_masa/status/160354774607331328
なぜ朝日は一面トップで朝日の理由? 違うよw カネだけでしょw
「福島の食事、1日4ベクレル 被曝、国基準の40分の1」なんて「非科学的」記事を書いたか。
福島県民に信じさせなければならない理由があるからだよね。
NHK『あさイチ』と同じパターンじゃない。
そういう記事を書いたら沢山にカネが貰えた から書いただけんでしょ。
勿論に そういう思想理念が近い者達に支配されちゃったから というのは有るけどさ。
あんなのは、ただただ カネで動いた朝日 としか思わないよ、俺は。
つまり そこいらのtwitterに出没する工作員と一緒のレベルでしかない ということ。
カネに困った朝日が「書かされて」いる、と 「何かを盛られている」 との意味合いには
何処で違いが有るんだろうねw
それよりも俺はね 其処まで朝日に書かせる「カネの流れ」の方が激しく気になる。
要するにアレは「朝日の一面をカネで買った」訳だよね。
其処までのカネを出せる所は極めて限定される。
しかも あそこまでキチガイな記事を書かせるとなれば もう とんでもないカネが流れた と考えた方が良い訳で。
官房機密費 だけで追いつくレベルじゃないよね。
何かの 行政から迂回して流れたカネだけで追いつく話にも思えない。
何処か一か所だけと考えるなら東京電力にもなろうが にしては少し中身が違う気もする。
つまり
様々な行政(外郭団体←つまり特別会計)からの迂回 + 東電 + 他の巨額のカネの流れ
と俺は考える。
それだけの巨額のカネを用意できる しかも「このタイミング」で「あの内容」となれば
俺の妄想は この一点になる
イ オ ン
という話しか思い浮かばない。
どうしても どうしても 其処へ行きついちゃうんだけど
これもまた俺の狂った妄想ですね。
https://twitter.com/jhatajinan/status/160060776684593154ですね。onodekita様は流石に手強いよ、結構に。
ハッピー氏は今更に何を言ってるんだ?
むしろ言わせてあげてw 今更だからこそ「楽しみ」じゃん?ww
また蓮池とのコンボをしてくれないかな?wwwwww
https://twitter.com/natsu_yuki_blog/status/160375462563033088
やっぱりこの2人にひっかかりました?w
オノデキタ氏の発言もたまにかなり怪しいんですよね。
怪しい同士が仲良くしてるので「どこからどこまで演出?」みたいな事を勘ぐっちゃいました。
https://twitter.com/jhatajinan/status/160376363143020544
ハッピー氏は何気に危険厨なんだよね。
危険厨ながらもああいう事をいう意味を考えてしまう。無知ではない ということは確か。
知ってて、わざと聞いている。
小野医師が、あえてハッピーに聞いたりするのは わざとかな、思っているけど。
俺も小野医師(で良いんだっけ?w 調べてないやw)は信頼してますよ。
全ての情報が信用できるか否かは また別問題。
たまに特に政治経済方面で凄く間違えてる けど あえて黙ってますw
まだ かなりマシ、という人を見極めていかないとね。
なので そういう観点で言ったら 色々な意味で俺が一番に怪しいかと思う、いやマジに。
https://twitter.com/natsu_yuki_blog/status/160379412699807744
ハッピーさんの発言に隙がないのは、
あらかじめ原稿をじっくり推敲した後にコピペで貼ってるからなのか。
なるほど。作業でお疲れのところ、ボランティアというか別に仕事でもないツイッターに
ずいぶん手をかけているんだね。
https://twitter.com/jhatajinan/status/160379502483087361
前に福島便槽内変死事件について小野医師に尋ねたことがあるんだけれど、
事故のことだけしか知らなかった。
二人が変死しているのに。
これは、東電関係者でも詳しい情報共有はされていないと読めるんだけれど、
ハッピー氏は何者でしょうね。
https://twitter.com/natsu_yuki_blog/status/160380483392389120俺は 其処を医師としての慎重さの表れ と読むけどね。
私も今まで何度か他の方が小野医師に色々質問をしての応対を観察していた事があり、
本当に知らないのか、隠してるのか、
ものすごくどうでもいいような情報収集には熱心な方なのに、
確信に触れる部分は一切触らない姿勢でいるのが何度かひっかかりました。
https://twitter.com/jhatajinan/status/160380671553048578
うん、それは同意。
https://twitter.com/natsu_yuki_blog/status/160381110466002946
パッピー氏に関しては間違い無く「関係者」ってことだと思います。
東電の情報工作員チームが知らないはずは無いですし、
それで見逃されてるって事は
東電側にマズい発言をしないことは約束されてるような状態なんでしょう。
これからも裏情報は出さないと思います。
https://twitter.com/natsu_yuki_blog/status/160381632669429760
彼の情報収集癖の具合から言って、
変死事件なんてあれば掘り下げて情報を集めたブログ記事の1本でも書きそうなものです。
でもあっさり「それは知りませんね」で以降ノータッチなんでしょう。
そういう件を何度か見ていて、ちょっと不自然さを感じてしまっているんですよね。
https://twitter.com/jhatajinan/status/160382531735265280
そうね、当方なんて小野医師に脱原発派を偽装した原発推進派に見られてたしw
でも医者だし内部被曝に関してはプロフェッショナルでしょう。
多分、当方みたいに陰謀ありきで物事を考える人ではないのかなって思っていまする
迂闊じゃないんだよ あの人は、だから手強いと感じるんだよね。後手から行く人
其れに比べれば早川教授はチョット迂闊だよねw でも先手を打って行く人。すごく助かる。
武田教授は その中間くらいかな。
情報流通を眺めていく俺からしたら どれが良い悪いじゃ無く それぞれに居るから心強い、と思う。
ただ3人ともstuxnetには殆ど触れない。気付いてない とは思わないんだけどね。
ならばハッピーが自爆テロ気味に触れてくれないかな? とか思ったりもするw それは無理かw
まぁ 言わないなら其れは其れで意味もあるし まぁ良いかな と思っている。
だからこそ それだけ禁忌なstuxnetを 俺は淡々と言うだけ。
https://twitter.com/natsu_yuki_blog/status/160383340501929986
かの小出教授も、40年も反原発してたのにそれは
原発設立の理由(米国の圧力)ってところに触れないのか ご存知ない様子ですしね。
政治とは距離のある人たち だという事でしょうかね。
俺のブログを見たりしているネットの日本語圏の下士官層な人達 との差異かと。
この人は 自分が思う以上に“相当な事情通になっている自分”に気づいていないかもしれないw
社会を構成する圧倒的大多数な者達
と
俺のブログを見たりしているネットの日本語圏の下士官層な人達
では 受け入れ続けている情報の質と量が それこそ石器時代とネット時代ほどに違いすぎる、
という観点を考えれば
そういう差異が生じるは むしろ ごくごく自然な事だと思う。
こういう観点を如何に踏まえて考えて その先も考えていけるか否か が
ネットの日本語圏の下士官層に課せられた責務なんだよね。
https://twitter.com/jhatajinan/status/159835177193979905
かつて虚空に叫ぶように市橋達也の冤罪を検証し続けた。
殺人の証拠もなく、
整形写真を捏造され、
外国人好きのストーカーとバイアスをかけられ、
掲示板で逮捕予告され、
黙秘すれば二週間も食事を抜かれ、
弁護団と支援者の大学教授が犯罪を確定させよう
とやっきになっていたからだ。
https://twitter.com/jhatajinan/status/159836174809186304
市橋達也が千葉刑務所内拘置施設の病舎に居たとき、
確か2010年夏、未決囚が両目を箸で突き刺して『自殺』する事件が起こった。
この意味を今でも考えている。
本当は自殺ではなかったのではないか。
未決囚が居たのは千葉刑務所内拘置施設の病舎であった。
市橋と会話ができるぐらい近くにいたはずだ。
http://www.47news.jp/CN/200911/CN2009112401000536.html 2009/11/24
行徳署から千葉刑務所内の拘置施設に移送した。
↓
http://www.tokusetsu-news.com/entry.php/827 2010/08/09
自殺?両目にはし突き刺し死亡 千葉刑務所収容の40代男性 特設ニュースちゃんねる
https://twitter.com/jhatajinan/status/159841064201617409
もはや怪談レベルの話になってしまうが
会話ができるぐらいの、お互いの息使いすら分かる距離。
市橋が彼に何かを託していたと考えたら?
https://twitter.com/jhatajinan/status/159842216146247680
もう一つ、
市橋は、その病舎にいたころから著作「逮捕されるまで」を執筆したというんだけれど、
筆記用具は取り上げられていたはずなんだよね。
だって箸で絶食で自殺を図るくらいならボールペンは持たせられないよね。
市橋は その件で不満を公判前整理手続で訴えている。
https://twitter.com/jhatajinan/status/159837613631619072
市橋達也が逮捕された後、小田急線鶴川駅の駅前で一人の老婆が手作りのビラを配っていたという。
『市橋青年は犯人ではありません。だれか私の代わりに警察署に訴えてください。』
市橋達也は犯人ではないという老婆は御霊が殺しベランダに運んだといった。
鶴川駅は天理教支部で囲まれた土地柄だった。
https://twitter.com/jhatajinan/status/159838817287798786
そして、かつて市橋は香川県小豆島で匿われていたのではないかと考えた。
市橋が大阪南港フェリーの待合室にいた当日午後五時に、ちょうど小豆島から南港にフェリーが着いていた。
天理教の支部が多数ある島だ。市橋達也の著書の中で四国の霊場巡りの話がある。
小豆島もまた、八十八箇所の霊場がある。
https://twitter.com/jhatajinan/status/159631824405020672
今なお思い出すのはオウム真理教に強制捜査が入った時の
石川公一の教団内放送でのアナウンスである。
『これは権力による弾圧です。断固戦わなければならない』
半ば絶叫気味だった。
前に拾った動画があったはずだ。探してみよう。
https://twitter.com/jhatajinan/status/159632674737238017
刈谷さん逮捕監禁致死事件について一言。
死体がなければ殺人は成立しない。致死すら微妙である。
現に、平田に対する監禁致死容疑は、逮捕監禁容疑に格下げされたし、
逮捕監禁容疑は被害者がいて成立すると思うんだけれど、
警察はオウム幹部の法廷証言で立証しようとするはずだ。
この辺りに注目している
地下鉄サリン事件、よど号事件と国立がんセンター、厚生労働省を繋ぐもの
http://ccplus.exblog.jp/13196174/
地下鉄サリン事件の時、大半の患者が運ばれた病院というのは、聖路加国際病院ですが、
この病院は、元米軍極東中央病院です。
地下鉄サリン事件の3年前の1992年、
偶然、戦時に使える野戦病院としての機能を備えるためのタワーの施行が行われました。
ちなみに同居したのは、大手広告代理店の『電通』と『フジテレビ』でした。(まめ知識)
この増改築を指示したのは、著名な日野原重明理事長です。
日野原氏は、偶然にも『よど号事件』の時、日本医師会のメンバーとして、人質になっています。
1989年は宮崎勤事件が世間を騒がせていた年でもありましたが、
よど号事件で人質の身代わりになって北朝鮮と交渉した運輸政務次官の山村 新治郎氏は、
1989年6月3日に発足したが約2ヶ月の短命内閣だった宇野内閣で
同年1989年8月10日=宮崎勤の自宅が捜索された日まで運輸大臣を務めました。
その3年後すげぇww
山村氏は、1992年、
自民党訪朝団団長として北朝鮮への訪問を翌日に控えた4月12日、
精神疾患を患った24歳の次女に自宅にて出刃包丁でメッタ刺しにされ急逝した。
当時に健在であった母の目の前での惨劇であった。
北朝鮮に訪問の際には22年ぶりに よど号グループ首謀者の田宮高麿と会う予定であった。
後援会関係者からは「次女を後継者に」と言う声も挙がる一方で、
次女の精神疾患に気付く者はいなかったという。
次女は心神喪失により責任能力なしと判断され不起訴となるが、4年後に自殺している。
で、聖路加に野戦病院タワーが出来たのは、まさにその1992年なのですが、偶然ですねえ。。
さて、前から言っているように、
北朝鮮作った金日成とCIA作ったアレン・ダレスは、
同じキリスト教プロテスタント長老派教会の牧師の子息です(まめ知識)
もっと言うと、
当時の運輸大臣は橋本登美三郎(60年安保の時に暗黒街に頼んで暴動を鎮圧させた人)だが、
その地盤は額賀 福志郎に受け継がれたわけだけれども、
額賀 福志郎が防衛大臣に就任すると、なぜか北朝鮮からテポドンが飛んで来ます。(まめ知識)
ついでに言うと、
額賀さんの信仰している新興宗教団体から、日本における壺売りカルト
(アベちゃん達が合同結婚式に祝辞を送ったりアントニオ猪木がイベントやったりする
韓国のキリスト教原理主義カルト)が派生してますね。
統一教会
そして、
其の額賀さんが信仰している新興宗教が加入している新日本宗教団体連合会に支援されている、
それが現民主党の官房長官の仙石由人氏 ってこと宜しいでしょうか。
で、日本における壺売りカルトと暴力団の手打ち式を上九一色村で行ったのは、
『人類皆兄弟』で有名なモーターボートおじさんですが、
もちろん、モーターボート競争の管理しているのは、運輸省=国土交通省です。
さて、聖路加国際病院の話に戻ります。
聖路加には築地の分院というのがあって、
それが米軍に接収された後に、国立がんセンターになっているわけです。
1933年、皇室・米国聖公会・米赤十字などの寄付により病院が再建され、
聖路加国際病院及び聖路加国際医道院(St. Luke's International Medical Center)とする。
1943年、戦時体制下で大東亜中央病院と改称する。
1945年、聖路加国際病院がある事により、
築地・明石町一帯は東京大空襲による爆撃を免れるが
(一説には米軍が病院屋上より爆撃地点を確認したとの説がある。モー・バーグ参照)、
敗戦後1955年までの占領時代は米軍に接収されて米軍極東中央病院として使用されたため、
その時期は現在の国立がんセンター中央病院がある場所に
「聖路加築地分院」を開設して診療した。
「本院」が米軍から返還された後に「分院」の方は、
その敷地と施設において国立がんセンターが発足して、
その目的で使用されるようになり今日に至っている。
興味深いですねえ。。
あれ?ちょっと待てよ。
仙石由人
2002年1月15日に胃癌の手術のため国立がんセンターに入院し、週刊朝日で告白記事を執筆した。
これも偶然かな??
なるほどね。。
国立がんセンターなら、癌治るかもしれないと思って頼みに行くと、
重症だと治療してくれないのか。
逆に軽症だと、色々な治療をしてくれるわけね、いろいろな治療法で、ね。。
『国立がんセンター』は、
重症患者は人体実験には向かないので、軽症患者しか受け入れない
とか、そういうやりたい放題な事をしてきたのだ。
アメリカのプルトニウム人体実験のようなものが日本で行われていない訳が無い
と思ってたのだが、そもそも、こういう事だったのか。。
日本陸軍+海軍×米軍=厚生省だったので
どうりで、日本の税収が35兆円しか無いのに、厚生労働省の予算が29兆円もあるわけだ。
しかも、厚生労働省の予算は、保守派も軍産複合体も左翼も全部の利権なので、誰も口出ししない。
contemporary navigation : 国連の闇と厚生次官連続殺傷事件まとめ
http://ccplus.exblog.jp/9855751
MRIC: 臨時 vol 198 「国立病院に生き続ける陸海軍の亡霊」
http://mric.tanaka.md/2008/12/22/_vol_198.html
東京都内の大病院の配置が山手線の内側に偏っていること、
および
都内の大病院の半数を占める大学病院は明治から大正にかけて創立されていること、
都立病院の多くが東京市の貧困・衛生対策を目的に明治期に創立されたこと
を紹介しました。
このような病院の創設の経緯は、マスメディアであまり報道されることはありませんが、
現在の医療問題を考える上では極めて重要です。
なぜなら、各病院は歴史を背負っており、その制約を受けているからです。
東京は軍都だった
現在、東京23区内には独立行政法人化された国立病院機構を除き、
国立がんセンター、
国立国際医療センター、
国立成育医療センター
の3つの国立の医療機関があります。
いずれの病院もわが国の治療・研究の最高峰とされています。
この3つの病院を受診やお見舞いで訪れた方はお感じになったかもしれませんが、
どの病院も敷地が広く、便利なところ、あるいは高級住宅街の真ん中に立地しています。
これは、明治期の東京都市圏の端に位置する都立病院とは対照的です。
いずれも 築地、戸山、大蔵という「軍隊」に密接に関係した地域なのです。
築地には海軍施設、
戸山には、戸山ヶ原と呼ばれ
陸軍の射撃場や陸軍の軍人養成機関である陸軍戸山学校など軍施設が並んでいました。
戦前の世田谷地区は軍施設のメッカであり、
そもそも世田谷の郊外化、都市化は、旧軍施設の進出が大きな役割を果たしたと考えられているのです。
明治政府は、明治初期に四谷・赤坂・青山などに兵営を築きましたが、
1890年頃にはスペースの限界から郊外に進出せざるを得なくなりました。
この結果、農地や雑木林が広く展開し、
交通の便がよく、土地も廉価な世田谷が候補地として注目されたのです。
建設省関東地方建設局京浜工事事務所が編纂している『多摩川誌』によれば、
当時、世田谷の地元では軍施設の進出に対し,
土地の有償譲渡その他のメリットのため招致運動まで起こったようです。
陸海軍が地域の開発を促進し、現在の国立病院の礎を築いた という事実は、
21世紀を生きる私たちは全く認識することがありません。
ところが、現在の国立病院、つまり厚生労働省が提供する医療の根源には、
陸軍・海軍の伝統が深く息づいています。
海軍は築地で誕生した
ここでは、国立がんセンターをモデルに軍隊と医療の関係と考えてみましょう。
先ほども述べましたが、戦前の築地は海軍の町でした。
敗戦後、『陸海軍病院』の名前が『国立病院』に変わったこの辺の第二復員省が 結局そのまま現行政機構へ丸々に残された例となれば
築地の海軍軍医学校は、軍医養成機関として戦争遂行に大きく貢献します。
ところが、敗戦が、この機関の行く末を大きく変えます。
まず、海軍省は1945年11月30日に勅令第680号を以て廃止され、
海軍軍人の復員を主導する第二復員省となります。
この第二復員省は、1946年6月に第一復員省(旧陸軍省)と統合して、復員庁となり、
その後、1947年10月には復員庁は廃止され、厚生省に移管されます
(一部の部局は総理府直属となった後、廃止されます)。
中国残留孤児対策、引揚援護、戦傷病者、戦没者遺族、未帰還者留守家族等の援護を、
防衛省でなく、厚労省が行っているのは、このような歴史的経緯があるからです。
では、戦後、軍医療機関はどうなってしまったのでしょうか。
実は、軍医療機関は戦後の日本医療の救世主だったのです。
敗戦直後、日本の病院の大半は、戦災によって破壊され、機能不全に陥っていました。
日本を占領したGHQは、まず占領軍が使用する優良医療施設を確保し、
次いで、日本国民の医療提供体制を考える必要がありました。
その際、GHQがまず手をつけたのは、陸海軍が保有する医療機関の厚労省移管でした。
この際、全国146の軍施設が国立病院、国立療養所となったわけですが、
注目すべきは建物も職員も従来のままで診療が継続されたことです。
つまり、病院自体の組織は「陸海軍」のままで、
名称が軍病院から国立病院に変更されただけなのです
(新村拓、『日本医療史』、吉川弘文館)。
昨日まで軍隊の職員だった人が、
ある日を境に国立病院のスタッフになるのですから、
国立病院の制度が軍隊の制度と類似するのは当たり前です。
そもそも海自そのものが該当するんだけどね。
大東亜戦争末期、日本の周辺域にバラ撒かれまくった米軍機雷
→ 実は原爆なんか落とさなくっても
あと数カ月で日本は一般物資の輸入すら困難になる位なレベル
日本が干上がるのは時間の問題だった
→ けれども原爆→速攻の占領で大陸を猛然と南下中のソ連を出し抜いた
→ ただし占領政策の遂行へは逆に バラ撒きまくった機雷が邪魔となる
→ そうだ そういう危険な作業は第二復員省へやらせよう
そして
→ 朝鮮戦争→マッカーサーの仁川上陸作戦 の邪魔になる機雷除去もやらせよう
→つまり実は この時で既に海外派兵しているw
→その後も日本周辺域での機雷除去をした者達も母体の一部にした海自へと技術は脈々と息づく
→ペルシャ湾でも使おう
という流れが有った訳で。
まぁ そういう訳で
皇軍の思想や理念が 現行の日本軍と行政機構へ脈々と切れる事なく繋がっていても
何一つに不思議ではない訳です。
終戦後、海軍医学校は米軍に接収されます。何故に 福島第一原発テロ事件以降に こういう医療集団の動きが滅茶苦茶だったのか?
この頃の状況については、塩谷信幸先生のブログ
(http://blog.excite.co.jp/shioya-antiaging/6511888/)から引用させていただきます。
これは、2000年9月に雑誌「諸君」の特集「進駐軍がやってきた!80人の証言」に掲載されたものです。
塩谷先生は1931年生まれで、
東京大学医学部を卒業後、日本の形成外科医の草分けとしてご活躍された方です。
「その日の昼も我々四人は、築地明石町の一膳飯屋の二階で豚鍋をつっついていた。川向こうには、黄色い煉瓦の聖路加病院が聳えている。戦後まもなく聖路加病院は進駐軍に接収されて、海軍病院(今の国立がんセンター)と同愛病院を合わせ、東京陸軍病院として米軍の極東での医療センターとなっていた。我々がそこでインターンをしていたのは昭和三十年のことである。進駐軍と名前はごまかしても、英語ではJapan Occupation Forcesであり、立派な占領軍である。病院内はオフリミッツ(日本人立入禁止)で、中ではすべて軍票しか通用しない。我々インターンは、医療チームの一員のドクターであっても、日本人つまり被占領国の国民なので、軍票はもてない、従って軍票が必要な院内食堂も使えない。そこで昼にはこうして、近所のチャブ屋で昼飯をかっこむ仕儀となる。我々というのは、新潟大学の橋本、大阪大学の三木、日本大学の柳沢そして僕の四人である。この四人の他に、インターンは北は北海道、南は九州と日本全国から集まった十二人で構成されていた。」
海軍医学校が米軍に接収されていた間、
旧海軍スタッフは病院の職員として働いていたのでしょう。
当時の米軍施設の待遇は庶民とは比べるべくもなく、
ある意味で軍官僚がイイ目を見た ということも出来ます。
1956年、サンフランシスコ講和条約が締結され、日本が独立します。
同時に占領軍が撤退し、海軍医学校が厚生省に返還されます。
つまり、厚生省は、スタッフと建物を返還されたわけです。
その後の詳細な経緯は公表されていませんが、
1960年、当時の日本医学会会長 田宮猛雄氏ら9名の学識経験者からなる
国立がんセンター設立準備委員会が発足し、
「国立がんセンター」のあり方、将来構想など重要事項について検討され、
厚生大臣宛に意見具申書が提出されます。
その後1962年2月1日、「国立がんセンター」が正式に発足するわけですが、
これは がん対策の推進という目標を謳ったものの、
政府の本音は旧海軍病院の事務スタッフの雇用確保という側面が強かったのではないか
と考えています。
なぜなら、1960年の段階で、国立のがんの研究拠点を作るなら、
わざわざ、がん研究のノウハウの蓄積がない旧海軍医療機関に作る必要などなかったからです。
研究の専門機関である東京大学や京都大学に研究センターを作るという選択肢もあり、
研究スタッフを集めるという点では、
このような既存の大学の重点化の方が遙かに容易だからです。
どのような経過は分かりませんが、
わが国のがん医療の中心施設が、軍官僚制度を引き継いだことは、
その後の我が国のがん医療に大きな陰を落としていきます。
其の発端の一つは 此処にも有る訳で。
国立国際医療センターと国立成育医療センター
ここまで、国立がんセンターについて詳細しました。ここで話が脱線しますが、都内の他の二つのナショナルセンターについても簡単にご説明しましょう。
まず、戸山の国立国際医療センターは、1993年、戸山の旧国立病院医療センターと旧国立療養所中野病院を統合して発足したものです。母体の中心となった旧国立病院医療センターの前身は、1929年に創設された陸軍東京衛戍(えいじゅ)病院です。衛戍病院とは陸軍の部隊が駐屯する場所に設置された恒常的な病院で,駐屯部隊の将兵の健康管理や治療に専従するものでした。終戦後、陸軍省から厚生省に移管し、国立東京第一病院となります。
一方、世田谷の国立成育医療センター(小児医療センター)は、2002年に 国立大蔵病院と国立小児病院(世田谷区太子堂)を統合し、旧・国立大蔵病院の所在地に設立されたものですが、その前身は陸軍病院です。国立小児病院の前身は、1899年に創設された東京衛戍病院が1938年に東京第二陸軍病院に改称されたものです。また、国立大蔵病院の前身は東京第四陸軍病院です。
国立病院に生き続ける陸海軍の亡霊
ここまで、国立病院の歴史をくどいくらいに紹介してきましたのは、病院というのは建物や機械だけでなく、病院スタッフが働いており、現代人が考えたことがない病院の歴史が彼らの行動に深く影響していることを認識して欲しかったからです。では、国立病院は、陸海軍から、どのようなものを引き継いだのでしょうか。
私は、国立病院が陸海軍から引き継いだ最大の弊害は、その人事システムと基本思想だと思います。
まず、人事制度から議論しましょう。今回は、私が勤務した経験のある国立がんセンターを例にあげます。国立がんセンターの幹部職員は、総長の下に病院長、研究所長、運営局長が同格で並んでいます。
運営局というのは事務部門のことで、運営局長は厚労省の官僚が派遣されてきます。この人物は医療や病院経営の経験は全くないのですが、厚生労働省の意向を受けているため、国立がんセンターの運営に関して絶大な権限を持ち、総長、院長、研究所長以下、その顔色を伺っているというのが実情です。運営局長はキャリア官僚ですから、1−2年の任期で他の部署に異動していきます。このように説明すると、多くの読者はお気づきになったでしょうが、運営局長の役割は旧陸軍の参謀そのものです。太平洋戦争では、現場経験のない参謀が度々、暴走したことが知られていますし、私の知る限り、このような運用をしている医療機関は知りません。
次に、運営局について、もう少し詳しく紹介しましょう。その人事制度は精緻ですが、極めて複雑です。まず、彼らは採用形式ごとに幾つかの職種に分かれ、その人事は、各グループが自律的に行っています。具体的には、運営局の長である局長は本省から出向するキャリア官僚、次長は本省から出向するノンキャリア官僚に決まっていて、事務官は地方厚生局採用と病院採用に分かれています。面白いのは、運営局長が部下の人事権を持たず、出向元のそれぞれのセクションごとに「ドン」が存在して、彼らが関連する施設の中でのローテーションを決めていることです。このため、事務官たちは、病院長や運営局長以上に自分たちの人事権をもつ「ドン」の意向に忠実であろうとしています。
実は、このような人事制度は、陸海軍とそっくり同じです。例えば、海軍では各艦の艦長や艦隊の司令長官を務めるのは、海軍兵学校を卒業したエリートたちですが、その任期は1−2年で、各ポジションをローテーションします。このため、彼らが実務に精通することはありません。一方、艦隊を運行するには、高度の専門知識が必要であり、現場経験の蓄積が不可欠です。このため、実際の戦闘では、叩き上げの下士官が実務の権限を握らざるを得ず、結果として下士官の人事に上級士官が口を挟むことができず、両者の連携が不十分になりました。
余談ですが、国立がんセンターの総長の人事は、医系技官のトップである医政局長が運営局長からの報告を参考に決めています。もちろん、任命権者は厚生労働大臣なのですが、官職上は総長よりも格下の局長が決めてしまっているのです。このような人事形態は、国民にとって誰が責任をもって判断するか分からないという点で前近代的であり、また、現場では無責任体制を招きます。早急に改善する必要があります。
国策遂行:陸海軍と国立病院が追い求めるもの
国立病院が陸海軍から引き継いだ第二の問題は、「国策を遂行しなければならないという使命感」だと思います。旧陸海軍病院の目的は、言うまでもなく「戦争の遂行」です。このため、軍医は負傷した軍人を速やかに回復させ、戦闘に復帰させることが求められますが、逆に、回復が中途半端で戦闘に復帰できない「障害者」が増えれば、戦闘遂行に大きな負担になり、患者が死亡する以上に大きな問題になります。このような状況におかれた軍医は、個人としてどのような信条をもっていようとも、ヒューマニズムよりも戦闘の効率的遂行を優先せざるを得ません。医師という職業は、そもそも古典的なプロフェッショナリズムを兼ね備えているはずで、神様に自らの行動規範を誓うものです。このため、組織の命令に拘束される頻度は少ないのですが、その例外的存在が軍医ということも出来ます。
では、このような体質は、現在の国立病院にどのような形で受け継がれているのでしょうか。これも、国立がんセンターを例にとって説明しましょう。厚労省は、国立病院の使命は政策医療を遂行することだと考えています。国立がんセンターの場合、新規治療開発のための臨床研究の推進があてはまります。実は、医療機関が臨床試験を効率よく遂行するためには、全身状態の悪い患者は出来るだけ断り、症状の軽い患者さんを沢山集める方が有利なのです。なぜなら、全身状態が悪かったり、内蔵機能が低下していると、臨床研究には参加できないからです。このため、国立がんセンターを含め、臨床研究を重視している有名病院ほど、軽症の患者が集まるという皮肉な状況になっています。これは、国民の皆さんが、「先端医療施設では地元の病院では手の施しようがない難しい患者を治療している」というイメージと反対です。実は、このような患者と医療者の間の認識のずれは、世界中の医療者が悩んできたことであり、なかなか解決が困難な問題です。
ここで、国立がんセンターが特殊なのは、臨床研究の推進を目的として、進行した癌患者の切り捨てを組織的に行ってきたことです。近年、マスメディアが、国立がんセンターが癌難民を大量に生んでいることを問題視したため、対応が変わりつつありますが、最近まで国立がんセンターでは「あなたは治験に参加できないので、この病院では診療できない。」という主旨を、患者に対して直接説明する医師が多数いました。実は、私も国立がんセンター在職中にこのような発言をしたことがありますが、驚くべきことに、このような発言が国立がんセンター内部で問題視されることはありませんでした。これは、患者の治療を最優先に考えるべき医師・医療機関としては異常なことであり、同じ研究機関である大学病院の医師が、患者さんに対して後ろめたい気持ちを持ちながら、このような内容を婉曲に伝えてきたこととは対照的です。私は、この事例は、国立がんセンターが「政策医療遂行」という国策を、組織の最優先課題を考えていることを反映しており、所属する医師がプロフェッショナリズムより、組織の都合を優先している事例だと考えています。この姿は、陸海軍が日本の国情を無視して戦争に邁進した姿と相通じます。
一昨年の2006年、院長に就任した土屋了介氏は、2008年の記事、そして2012年の今 状況は如何に変わったか?
従来の先端医療推進だけでなく、
患者・社会への情報開示や患者サイドに立った医療を前面に掲げた改革を推進しています。
具体的には、
「患者相談窓口の重点化」
「緩和ケア・通院ケアの整備」
「国立がんセンターのスタッフ採用には、地方勤務が必須」
などを前面に打ち出しています。
彼は、しばしばマスメディアにも登場し、国民の理解を求めており、
様々なメディアを通じてご覧になった方も多いでしょう。
ところが、この土屋改革に対し、厚労省は凄まじい抵抗を示していることが漏れ伝わって来ます。
土屋院長も本人とは無関係な話が週刊誌で取り上げられていました。
誰がリークしたのかは知りませんが、
自分の名前を出して改革を進める一人の院長を、大勢が匿名で足を引っ張る姿は醜く見えます。
官僚からすると、
地方方面軍の司令官が「参謀」の言うことも聞かず、勝手な作戦を遂行しているように見えるのでしょう。
私は
昭和の陸海軍の官僚たちも、このような内部抗争に明け暮れていたのだろうと考えています。
その後輩たちが、同じような振る舞いをしているのですから、歴史は繰り返すものです。
現在と戦前の違いは、
メディア、情報手段の発達により、国民のリテラシーが向上したことです。
医療は、医師だけでなく、医師と患者が一緒になって築き上げるものです。
国立がんセンターでの土屋改革がどうなるか、市民である私たちの見識も問われていると考えています。
そ う い う 事 を 引 き 起 こ し て い る 連 中
は今は何処で何をしているんだろうね?
今に起きている眼前の事象と2008年の話を結びつける時
この情報流通の最前線ならば 何を どうやって見ていけば良いんだろうね?
そして 何をすれば良いんだろうね?
時間が全くに追いつかないので 適用に巡回しての適当な更新、だから何一つに信用しないように。