https://twitter.com/kibakoichi/status/169221466515189760
【セシウム江戸前そば】福島の23年産のソバは108トン販売済み
27トンがまだ倉庫で眠っている 福島の蕎麦は収穫量全国2位 もう全国に行き渡っている
https://twitter.com/opasou/status/167942905405771776
そりゃ縦穴開いているところへ横穴を開けたら そりゃ浸水するわな。
もしそれが貫通でなくとも気圧+水圧+海底砂重量によって崩落する厚さ(薄さ)になったら同じこと。
安全対策を責める とか そっち以前に”なんで起きたか”が重要な事故ではないか?
『6千円弱で購入出来る放射線測定器、「エアカウンターS(エステー)」がネットで売れ筋の様である。』スロウ忍ブログ
http://surouninja.seesaa.net/article/251881885.html
知人に買わせましたw 体温計みたいなヤツじゃなくって丸いヤツの方を。¥6900でした。
そして俺の SOEKS-01M 1.CL と比べてみました。
値段相応ですね。
http://mkt5126.seesaa.net/article/246172814.html
誠天調書 2012年01月15日 千葉市でも こういう場所が有ります。0.73〜0.76μsv/h
な0.5よりも上なレベル以上の線量の測定には向いてそうですが。
エアカウンターは 北関東や福島や宮城なレベルなら使えそうです。
もっとも、その場合は避難した方が良いでしょうけど。
南関東なレベルの放射線管理区域な場合での使用は やや安定感に欠ける感じ。
千葉ならば SOEKS-01M 1.CL の方が良さそう。
SOEKS-01M 1.CL を常備し続けていると分かるんだけど 数値のバラツキは意外に大きい。
常備しては 誤差の範囲を掴む事 が必要になってくる。
まさに 空気を読む 訳だw
エアカウンターは あくまで限定的な測定をのみに特化して価格を下げている印象が有る。
いや そうでも無い使い方もできない事は無いけど
SOEKS-01M 1.CL との差異をみていると そういう感じがする。
南関東のような 〜0.38 uSv/h以下の放射線管理区域 な程度の場合は、
その帯域でエアカウンターでの測定の安定感の無さが
却って初心者向きとは言い難いような気もする。
SOEKS-01M 1.CL などに使い慣れた後ならば、
エアカウンターでも それなりに使いこなせそうだけど。
という訳て、買った知人へ 其れなりに助言をして使わせ始めました。
アチコチ測ってます、そういう測定上のクセを踏まえた上で。
で やっぱヤバイですね 南関東も。移住権利区域が少なくなさそうです。
南関東などの放射線管理区域で いきなり初心者が生兵法で使う、というのはチョット勧めきれない。
誰か 別機械での測定の経験者の補佐を受けつつ使い慣れていく事 を勧めたい。
この価格域で このレベルの商品が出た、というのは「ならばよし」とは思う。
解説および説明書は45点かな、現状のカルトコッカのニホンの支配統制下 を考えれば「ならばよし」な感じ。
少なくとも今後に期待は持てる感じかな。
家電として考えれば やっぱり日本製としての良さな感じ も無くは無いしね。
http://gendai.net/articles/view/syakai/134954
とうとう人事院に申し立て 厚労省が隠す「陰湿イジメ」
問題になっているのは、厚労省東京空港検疫所の木村盛世医師に対する「イジメ」だ。これを同族だと思いたい?w
木村医師は、国民が大パニックになった09年の新型インフルエンザ騒動の際、
厚労省の防疫策を批判した女性技官だ。
当時、マスコミにも頻繁に登場していた。
「水際作戦で侵入は防げない」
「感染症対策に力を入れるべき」と当然の指摘をしたのだが、
厚労省は一切無視し、あろうことか組織ぐるみの「イジメ」を展開したのである。
「例えば、国立がんセンターが木村氏の講師派遣を要請しても、
検疫所が『木村氏以外ならOK』と回答したり、
職場で『木村は無能で怠慢とメディアにリークしよう』といった発言が飛び交ったりしたようです。
全て厚労省が今回まとめた『パワハラ類型』に該当する卑劣極まりない行為です」(医療ジャーナリスト)
木村医師は、不眠や食欲低下などの症状が出て「抑うつ状態」と診断されて休職し、
公務災害認定を申請したほどだ。
その後、どうなったのか。
「厚労省は木村医師の公務災害を突っぱねただけでなく、
職場復帰を望む木村医師をネチネチ妨害し続けています。
困った木村医師は人事院に不服申し立てを行い、
今年3月に公開審理が開かれることになりました」(厚労省事情通)
木村医師はこう言う。
「人事院申し立てを公務災害申し立てにつなげ、最終的には裁判で判例に残したいと考えています」
一方の厚労省は「人事担当者が出張中で答えられない」(厚生科学課)としている。
マトモなことを言うほど閑職に追いやり、辞職を迫る。
国民を向かない職員ばかりになるわけだ。
とっとと ニホンジンは異民族として切り捨てる 位に考えちゃう方が
時間的にも労力的にも 精神的にも 何かと良いと思うんだけどねw
何を基準にするかで「善」も「悪」も意味が全く異なる。むしろ 簡潔明瞭を旨とする教条主義にすがる者達 からすれば、
地へ堕とされた「ルシファー」とは何なのかを考えると、
自立したオトナなのではないかと思えてくる今日この頃。
自立できりゃ一神教の存在意味がなくなるからね。
地を這ってでも懐の深さを持って生きていこうと思う
なんてのは 悪魔の仲間に見えてくる罠w
人の多面性を考えれば
神も悪魔も一側面でしかないままな事をも胸一つで収めて なお人として生きていく
なんてのは、この多神教で文明人の社会共同体で生きていたら 自然に分かっていくはずなのにね。
たとえば こんな風に感じてきた。
幼児期にミニカーで遊ぶ男の子の延長線上に
車と博打と女しか興味の無い男が育つ
幼児期に人形遊びをする女の子の延長線上に
美容と芸能と男にしか興味の無い女が育つ。
余計な事を考えない者達は 疲れを知らないので手強い。
そういう者達を 餌で釣って尖兵へと使い堕とせれば笑いが止まらない訳だ。
「さいた さいた さくらがさいた
あかい あかい ひのまるあかい
すすめ すすめ へいたいすすめ」
な教育の先に違和感を覚えるまでの少数の者達とて 実際は掌の上だしね。
で ミニカー遊びや人形遊びよりも 新聞を読んでは違和感を覚えて教えを請い
その先でSLGを学んだ上に TRPGで徹底した創造力と想像力とは何かを考えていく
ような 無駄な考え休むに似たり な生活しかしてこなかった場合は、
掌の上に居る人達 が奇異に映るんだよね。自身が奇異なだけかもしれないけど とは思いつつもね。
こういう事を書く時に いつも思い出すのが「辺境警備」というマンガだ
「辺境警備」という未完の物語と、境界に立つ妖精としての隊長さんと、「おおらかな大人」幻想のこと
http://d.hatena.ne.jp/suikyo/20080502/p2
記事が少し古いので コピペ改変をしています
古い漫画の話で申し訳ない。
私の小説的原風景の一つが「指輪物語」であるのと同様、
漫画的原風景の一つは明らかに「辺境警備」である。
見た目そのまんまだ(笑)
……でも中身は大幅に異なる。
180度違うと言って良いと思う。
指輪物語は、善悪二元論のバリエーションだが、
辺境警備は日本的融和のバリエーションである。
指輪物語の物語の中で主筋として賛美される方向性にあるのは、
フロドが汚れを負いつつも果たした善への献身
である。
そして
辺境警備で主筋として賛美される方向性にあるのは、
汚れを負い、節を曲げることで 過去とも融和を実現した“神官さん”ジェニアス・ローサイ
という形になる。
その主筋の物語の傍らで常に居たのが、狂言回しの役割にも等しい「隊長さん」サウル・カダフである。
辺境警備で描かれる隊長さんは、
・おちゃらけ昼行灯。誰にでも絡む、不精で不摂生で下ネタ大好きなおじさん。
都で女に失敗して左遷されてきた。
・昔は切れ者で鳴らした傭兵部隊の隊長であり、経験という暗黙知を言葉にすることができる男。
という、中村主水やカミソリ後藤のファンタジー版みたいなおっさんだ。
ちなみに、この隊長さんは最後の最後まで、本来の「実力」を見せることはない。
神官さんやカイルの前では、彼の刀は最後まで抜かれなかった(サバイバルは何度かあったけど)。
彼の人格は、あくまで過去に築いた人脈と、現在のコミュニケーション能力によってのみ描かれる。
それすら 積み重ねてきた経験こそが根底には有る のだが。
この隊長さんに関して、私の中でずっと心に残っているフレーズがある。
物語の主要な展開の全てのオチが付いた後、エピローグの中でのことだ。
神官さん
「ああ… まだわたしは
賢者さまや隊長さんのように
いろいろなことを胸ひとつにおさめられるほど
大人ではないのかもしれない――」
隊長さんは最後まで、
血なまぐさい戦闘や都の泥臭さのことなど、
のどかな辺境のドレングの村人達には全く感じさせない。
どこでもおちゃらけて自分流でいるが、
実は その世界のことを深く愛し、尊重してもいるのだ。
隊長さんは、典型的な、「境界線上の人間」だった。
境界線上にいて、村も、都も、魔物の世界も、神話の世界も、
彼なりの流儀で接し、尊重していた描写が物語を通じて一貫して見られる。
隊長さんサウル・カダフ という神懸かりな狂言回しがいる事で 物語的下地が整えられた からこそ、
辺境警備の主人公である神官さんの物語が主筋が 更に現実感を与えられている形になっている。
辺境警備の外伝「星が生まれた谷」のラストにおいて、
顔見知りの爺さんに『歳を取ったらどんな人間になりたいか』と問われた
若かりし日の隊長さんは こうも言う。
愛する女性と決別し、赴任した先でのことだ。
俺は不良中年になりたいな
いつまでも悟ったりせずにじたばた生きたい
どんな痛みも苦しみも、喜び同様に覚えていたい
果てしなく続く天使のいない夜も 軽々と生きていきたい
もしも本当に そんな人間になれるのならね
隊長さんを見ればじたばた生きているように 確かに見えるが、
神官さんから見ればそれは「オトナ〜」なのだ、という解釈となる。
ただ
それを そう と感じさせる構成には、あえて なっていない。
全く同じ思いをしてきて では ならば具体的には如何にすれば良いのか? を俺なりに考えてきた。
「全てを胸一つに収める大人」
というロールモデルは(少なくとも現時点において)完全に崩壊したな、と思う。
・世界がスピードを求めてフラット化をしようとしていたり という方向性も含めて
「中間」に立つ人物がいなくなってしまった。
・胸一つに収めても意味がなく、むしろ弊害にしかならない事ばかりである。
誰もが自分の言いたいことを言う「子供」ばかりになってしまった。
そうやって、誰もが自分の思っていたことを
言って・やってみた結果、
そもそも公私問わず「全てを胸一つに収める大人」など、
現実には ほとんどいなかったことが はっきりしてしまった。
あらゆる角度で眺めてみれば、人の一人の判断など殆ど意味を成していない。
ただ 辺境警備は遠い世界として描かれている。
田舎に飛ばされてきた傭兵部隊の隊長サウル・カダフの「隊長さん」が居る
ただ駆逐されていくしかない古い世界、
という「辺境警備」の側面の部分を現代から眺める時
今尚 これからも 一定の評価を獲得していくことも不可能ではないだろう と思い続けたい。
辺境警備 の物語は、遠い世界の話の中のだけの事なのだろうか?
辺境警備では まだ“マシな”評価を受ける形にはなっている隊長さんだが
指輪物語では もっと過酷な現実が描かれたりしている。
旅の仲間 下巻 二章 エルロンドの御前会議、の一部分だ
誠天調書 2011年09月02日: 「テメーらが見落としたアホどもを、こっちはこっちで片付けてやってんだよ。 何にも知らねーのに、デカイ顔すんじゃねーよ」
http://mkt5126.seesaa.net/article/223742340.html
でも書いた
http://www.kyoto.zaq.ne.jp/anyan/rings/fellowship/fellowship-h05.htm
北方の地に、わずかに生き残る北方王国の末裔のドゥネダイン達、その野伏達の首領アラゴルン。
しかし、アラゴルン君、えらい自信満々だよなぁ……。
さすが、エルフ仕込みの英才教育?
けれど、態度のでかさでは、ボロミア君も負けていない。
「拙者は、頼みに来たのではござらぬ。
ただ、謎解きを願いにきただけのこと。
されど、切迫しておる我らとっては、エレンディルの剣は、絶大なる助けとなるでござろう。
……それが、真ならば」
どう考えたって、ケンカ売っているようにしか思えんぞ、ボロミア君。
父ちゃんが反対したのは、“道中が危険”だからじゃなく、その性格を憂慮していたんじゃ……?
ちなみに、そのケンカを最初に買ったのは、アラゴルン君ではなく、ビルボ氏だったりする。
恐いもの知らずのホビット爺さんである。
アラゴルン君は、穏やかな口調で、ケンカの売り返し。
うん、確かにボロミア君の疑念は、もっともだと思う。
アラゴルンの容姿は、デネソールの宮殿に描かれている、
エレンディルやイシルドゥアの姿と似ても似つかないからね。
けれど、アラゴルン君はイシルドゥアの後継者であって、本人ではないし、似ていなくても当然だ
と口調やあたりが優しい分だけ、イヤミに思えるのは私だけ?
更に こう続く
「僕は、君がここまでやって来た以上の時間・距離を旅して歩いている。
それがこの北方の地に生きる、ヴァランディルの世継の宿命なのだから。
例え、人数は少なくなったとはいえ。僕達、野伏は孤独な狩猟者だ。
我々の敵、モルドールの召使い達を狩る狩猟者だ。
君がゴンドールが強固な砦である、と主張するように、
僕達、野伏にもまた、知らざれる役目がある。
どんなに強固な防壁があろうとも、悪しき者どもは、こっそりとこちら側に入り込んでくる。
僕達の一族は、
彼らをこの北方の地より追い払うため、人知れず、働いてきたのだよ」
つまり、アラゴルン君は、穏やかな物言いで、このように仰っておられるのである。
「テメーらが見落としたアホどもを、こっちはこっちで片付けてやってんだよ。
何にも知らねーのに、デカイ顔すんじゃねーよ」
……とたん、ガラが悪くなるな。こーゆー書き方だと。
本文を読み解くと もう少し別の側面すら浮かび上がる。ちょっと 文章を変えながら 書き残してみる
われら荒野の野伏達は、孤独な人間だ。
我らは常に、我らの敵の召使いどもを追い求める野伏であり 狩猟者なのです。
敵の召使どもは ここかしこに見いだされるからです。
ボロミアよ、南方王国のゴンドールのミナスティリスが堅固な城塞であった と申されるのならば、
滅んだ北方王国の末裔である我らは我らで また別の役割を果たしてまいった。
あなた方の強固な城壁や輝く剣を持ってしてでも防ぎきれない悪しき者達が 沢山に居るのです。
あなた方は自分の国境の外の領域の事を殆どに御存じが無い。
平和と自由、と あなた方は言われるか?
もし我々が居なかったら
滅んだ北方王国の領域に今も住む者達も 恐怖で滅ぼされたでしょう。
家なき無人の山々から 昼なお暗き森林から
暗い者達が秘かに忍び出てきてくる連中は
我々を見て たちまちに逃げ失せます。
ところが
もし我ら野伏達すなわちデュネダインが惰眠を貪っていた としたら
あるいは一人残らずが北方王国の滅亡と同時に死に絶えていてしまった としたら
今の人々は どの街道を安心して通ったら良いのでしょうか?
北方王国が滅んで尚 この領域の素朴な人々の夜の平和と安全が 何故に保障されているのでしょうか?
けれども、そういう事であったとしても 我らが感謝される ということなどは、
あなた方よりも少ないだろう。
里人は我らを軽蔑の名で呼ぶ。
ある肥えた宿屋の主人からすれば わたしは『馳夫』なのだ、
その男からすれば敵が一日で歩いてくる所で住んでいる というのに。
もし我らによって守られていなければ、
敵は その男の心の臓までをも凍らしめて
その小さな町を廃墟としてしまう事も始めてしまうだろう。
しかし我らは もってよし としてきた。
素朴な者達は心配や恐怖を知らない知らなければこそ 素朴のままで居られるのだ。
その為に我らは隠れていなければならなかった。
我ら一族は これを任務としてきた。
多神教で文明人な社会共同体でもあった国家古代ローマが崩壊し
支配者層が一神教で蛮族野蛮人な者達に蹂躙されつくされた。
けれども被支配者層の文明人の社会共同体は脈々と生き続けた。
そしてルネサンス以降にて
支配者層としての観念で 文明人的な節理が導入していく歴史が始まり
大衆階層の成長と共に民主主義の概念が政治の技術として成熟の歴史を歩むようになる。
指輪物語に貫かれているのは 文明人としての摂理を上部の支配構造側へ問う姿勢である。
つまり、あくまで一神教的な階級差は厳然として残っている中で 文明人的な節理を問うているのである。
神の血を引く蒼き血の後継者アラゴルン と 北方王国の末裔のデュネダイン達 は
その血統ゆえに 過酷な責務を自らに課している。
しかも 下部構造側へ一神教的な厳格さを求める事すらしない。
こういうのが
EU的な一神教にして文明人的な美意識つーか美徳観念つーか価値観なのかな
とか感じているんだよね。
俺はね、多神教にして文明人の社会共同体に生きてきたからこそ 別の生き方 別の見方をする。
それが
大和民族系日本人の共同体 と ネットの日本語圏の下士官層
の概念つーか美意識つーか価値観なんだよね。
西欧で発展してきた民主主義という政治の技術を
極東の一諸島へ ただただ輸入しただけで上手く進むはずもない。
自分達が何者で 何を為して そして如何にしていけば良いのか
そういう事を考えていければ良いな と思う。
https://twitter.com/opasou/status/167644263151185920見抜いていた というより すでに100年前で有ろうとも
今日のポアロは かのオリエント急行殺人事件。
今回に見て感じた。
アガサの言いたかったことは
「米は英とは違う文化。ある意味野蛮な」
ではなかったか?
最初のシーン。
トルコで罪を犯した女性が皆から投石の私刑を受ける。
ポアロは後に是を 異文化のやり方があり我々は深入りしてはならないのだ と言う。
https://twitter.com/opasou/status/167645573510467585
そして事件は進み犯人が判明。
有名な話なので書くが、犯人たちは
「これは正義の下におこした行動なのだ。奴は殺されて当然だった」
と。
ポアロは「ノン!」と否定する。
我々”文明人”は法を守り如何なる理由があろうとも これを犯してはならない!と。
苦悩の表情を浮かべて一人夜明けを待つポアロ。
https://twitter.com/opasou/status/167646432306794496
やがて世が明け、地元警察がやってくる。
ポアロは警部に近寄りこう言う。
「これが犯人の残していった現場に落ちていたボタンとボタンがひとつ無い偽の制服です。」
犯人たちは一様に驚いた表情そして安堵の表情を。
そして、ポアロは苦悩の表情と涙を浮かべ、現場から去っていく・・・・。
https://twitter.com/opasou/status/167647467259695105
犯人たちは米に深い縁がある人間たち。
”人種のるつぼ”と登場人物に表現させている米を、アガサは”異国”と思っていたに違いない。
そう、この事件はトルコで起きた私刑と どこも違わなかった。
あえて この形にしたのは、米は異文化である、とアガサは思ったからではないか。
https://twitter.com/opasou/status/167648717195845632
これが書かれたのは1934年(!)。
奇しくも今100年近く経過して、イスラム圏と米が ここまで対立している。
米のほうが暴君でありならず者であるのは誰の目にも明らかだが、
観察眼の鋭いアガサは米の根底に流れてる”異文化”感を100年近く前にすでに見抜いていたような気がする。
欧州の知識層にしてみれば そういう事のある程度は共通理解になっていたんだろうな とは思うよ。
トールキンの指輪物語 と アガサクリスティの推理小説 は、
今からすれば比較的に同時期の欧州の小説と見なしても良いような気もする。
文明人的な感性というか価値観というか美意識というか そういうモノを
この150年間に学ぼうともしないままに 民主主義という政治の技術を輸入しただけで
上手に使いこなせるはずがないよねw
辺境警備のサウル・カダフ
指輪物語のアラゴルン
アガサクリスティの小説でもそうだが
社会を構成する圧倒的大多数の一般民衆は馬鹿で豚に過ぎない
素朴な者達は本当の危機や恐怖や心配を知らないままだから素朴で居られる
その少しだけ上に居る者達は だからこそ責務を負う
という観点で描き出される部分が有る。
本当の危機や恐怖や心配を知る事が出来る者達が
その責務を自覚し その責務の意味を理解し その責務を負っていく事
という意味を読み解く事こそが民主主義という政治の技術を成熟させていく第一歩となる。
欧州で民主主義という政治の技術が成熟していく過程を読み解こうと考えていけば
その基盤たるモノは 極東の一諸島の社会共同体の歴史の中にも確固として有った事は
歴史をも一緒に読み解いていこうと思えば それほど難しく無く分かる。
欧州の人々には 青い血や血統や家柄を重んじる歴史が長かったせいもあるだろう、
その土地の歴史や風土などに合った手法が有るだろう。
この極東の一諸島ならばこその 歴史と風土に合った手法が有る。
武士(ぶし)は食わねど高楊枝(たかようじ) の意味とは - Yahoo!辞書
この言葉は アラゴルンが言ってる事と何の違いがあるのか?
けれども此の言葉には 青い血や血統や家柄を重んじる歴史を必要としない。
もっともっと一般民衆との距離が近い が故に 階級差を責務の背景としない方式へと通じる。
俺は 此の歴史と風土こそが
極東の一諸島へ民主主義という政治の技術を適切に導入させる第一歩が有ると考える。
この手法 この観念論 を一つ一つ積み上げていく事こそが、
民主主義という政治の技術を成熟させる第一歩である。
俺は そう考えるんだよね。
ロケットニュース24 こんな社長の下で働きたい! とあるバス会社社長の粋な計らいが世界中で話題にっていうか ロケットニュースとやらのケツ持ちがバレバレな記事かとw
http://rocketnews24.com/2012/02/06/178450/
1925年から三世代に渡って続いた家族経営のグレンダ社は、
昨年、同業他社に4億豪ドル(約326億円)で買われ、
その歴史に幕を閉じた。そして、社長のケン・グレンダ氏は、
「ここまでビジネスを続けてこられたのも社員のおかげだ」
という気持ちから、感謝の意を込めて、
全社員1800人の銀行口座に総額1500万豪ドル(約12億円)を振り込んだのだ。
約326億円 - 約12億円 = 約314億円
えっと其れは 何処へ消えたの?wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
コイズミカイカクの直系の後継者でしかない橋下がしようとしているのは これそのものですね。
文明人的な観念ならば せめて折半だよね?
こういうのを蛮族野蛮人の価値観と美意識と俺は言いきるんだよね
まさか これが「優良企業」や「エリート」だ とか言い出すんだろうねwwwwwwwww
「搾取するのが当然だから」しかできないのは、多神教で蛮族野蛮人と言っても良いかな。
周囲からすれば、そいつが いずれ自分が淘汰される事は当然の前提になるからね。
でも一神教で蛮族野蛮人は
「搾取するのが当然だから」が永遠に続く事すら当然
と言いだす為に 支配の道具に一神教を持ちだす。
多神教のままでは「搾取するのが当然で しかも其れが偉い は永遠に続く」とまでは言えないからねw
全てが詐欺と詐術の為に使われている とまで疑わなければ絶対に勝てない。
https://twitter.com/tony_shikaku/status/168872407044599808
橋下維新旋風をみて思うこと。でも それは 家畜や塵芥を馬鹿で豚と言いきらない人達の甘い考えかな って俺は思う。
この風を吹かせているのは前回の選挙で 何も考えずに民主党を選んだ有権者。
彼らは民主党から離れた。
何も考えない有権者という風がないと勝てない民主党に次はない。
但し維新には民主・自民のような固定客もいない。だから意外と脆いかも。
次の政界を民主・自民・維新の三つ巴とするならば、最初に崩れるのは維新。
家畜や塵芥が どんだけ どうしようもなく救い難い存在か?
という見たくも無い現実を見ていかないとね。
個人ニュースサイト群やニュー速系2chコピペサイトをしてきた俺からすれば
だからこそ更に 家畜や塵芥でしか無い連中が如何なる連中なのか という事を
リスクを負わない人間こそが言いきるしか無い とも思っているんだけどね。
統治能力が無いクセに支配はしたがる。何千年も改善されないんだから今更に無理でしょう。
3歳児が ただ欲しがる、のと同じ思考回路でしかない。
DQのレベルのゲーム観の 其の一つ上に在るモノとは何か? という思考が出来ない者達は
オタクと言っては馬鹿にしてきた連中と自分達が実は同レベルでしか無い
という見たくも無い現実を見る事は出来ないだろうけどねw
コミケ という素晴らしい社会共同体を学ぶ素材が有ったのにね。
でも それha
古今東西に変わらない 馬鹿で豚にすぎない一般民衆だ。
https://twitter.com/ompfarm/status/169285400823738368
まだ自覚半ば・・・。まぁ 多神教で文明人な社会共同体の内側で
RT @nomSABOyuji: 嗚呼 (ToT)
QT @egg_rice: 家畜→自覚→覚醒→奴隷→奴隷蜂起→奴隷解放→民主主義 道のり長すぎ…。
家畜が自力で自覚できるはずも無いし 奴隷が自力で蜂起できるはずも無いけどw
馬鹿で豚にすぎない一般民衆 が変われるはず、なんてのは宗教でしかない。
そして 宗教左翼カルトから脱却できない人達は そういう20世紀のイデオロギーなカルトの残滓から
逃れられない自分自身をも認めたくない、変われない自分自身を認められない。
で 変われるはず?w そうですか 頑張ってください。
俺は 馬鹿で豚にすぎない一般民衆 に期待をしない。
多神教で文明人な社会共同体 の一員として 無垢な善政と勤勉さを持って日々の営みを続けてくれる
のならば、それ以上の過度の期待などをする気も無い。
誠天調書:2012年02月10日 ミッドウェー海戦とTRPGとSLGとBローズ をして ネットの日本語圏の下士官層を考える
誠天調書 2011年07月18日 見なよ。あれがアメリカのやり方だ。人間性のかけらもない。
http://mkt5126.seesaa.net/article/215345597.html
後退戦を しっかり戦おうとする人、の存在してくれることの方が
生きる現場で地に足を付けて行こうと思っている者 としては よっぽどに助かる話だ。
大量虐殺と民族浄化を嬉々として平然と仕掛けてくる連中による内戦が起きている以上、
まず
「貴方の家族と子供は
カルト国家から大量虐殺と民族浄化を受けている事を前提に考えなければならない」
とハッキリ告げなければならない。
「この地に生きる全員が まず若い者達から殺されていく事を前提に考えなければならない」
と明確に言わない方が残酷である。
馬鹿で豚に過ぎない一般民衆という兵卒が バタバタと死んでいく事を
下士官層の者は覚悟しなければならない。
この事を座して甘受する のでは無く 其れを胸一つで収めて尚 先へ進む という
各々の個人個人の中の精神的な懐の深さが求められる。
これは
1. 空を舞うような視点での政治などの話をすることをも踏まえて
なおかつ
3. 現場で動く者達による地に足の付いた視点での話をすることも踏まえる
という 上部構造と下部構造の間に居る下士官層としての視点と考え方が求められる。
中間管理層 ではなく 下士官層 だ。
現在の 団塊の世代の前後 つまり 其れよりも少し若い世代の人達でも
頭が良いので
空を舞うような視点での政治などの話をする事
や
現場で動く者達による地に足の付いた視点での話をする事
を個別に論じる事ができる人は 沢山に居る。
とても頭が良く 素晴らしい性格の人々が多い。
けれども 其処を繋ぐ階層を 中間管理層としてしまい上意下達にしか考えてこれなかった事が
極めて問題を大きくした。
必要とされるのは 呂布の如きDQの勇者 よりも 下士官 なのだ。
「政治 と 一般民衆の生活」の乖離、日本における 上部構造と下部構造の乖離、
それは自律した下士官層の育成を 意図的に排除し
上意下達というカルト構造的な中間管理層をのみ育成させようとした 部分へ対し
真っ向から否定できなかった事が大きい
現在の 団塊の世代の前後 つまり 其れよりも少し若い世代の人達
という上部構造と下部構造の間に立つ年齢の者達が この事を明確に理解できていない事を
俺は ありとあらゆる局面で眺める。
そうなると その下の世代 団塊Jr以下の者達 では
もはや 其れが当然とすら考えてしまい始めている。
だから俺は 自分で言葉を構築していくしかない、と判断した。
上部構造を眺め 下部構造をも眺め その両方を理解しつつ その中間で
下部構造に近い現場の ホンのちょっと上に居るがゆえの言動を 自力で見つけ出そうとする場合は
1. 空を舞うような視点での政治などの話をすることをも踏まえて
3. 現場で動く者達による地に足の付いた視点での話をすることも踏まえて
2. 現場のホンの一寸だけ上に居る者であるが故の 1.でもない3.でもない独自の判断を構築すべき
と考えているんだよね。
誠天調書 2010年11月11日: 過激派となるは簡単だが 人の上に立つは簡単ではない
http://mkt5126.seesaa.net/article/168999332.html
過激派となるは簡単だが 人の上に立つは簡単ではない.
「馬鹿で豚にすぎない“幸せな家畜”」な者達の上へと立ち
かつ洗脳された者達を「馬鹿で豚にすぎない“幸せな家畜”」を救い出しつつ
なおかつ「馬鹿で豚にすぎない“幸せな家畜”」を人として同じ位置に立たせ続ける。
そんなカルトからの奪還を試みるかの如き難事を始めようとしているのだ、
甘い考えは絶対に通じない。
小沢は 自立した人間にならなければならない とは称したけど
俺は、もう一つ上の ネットの日本語圏の下士官層 を称して頑張ろうと思う。
当然に、俺は 過激派になるつもりも無ければ カルト信者になるつもりも無い。
宗教右翼や宗教左翼へ帰依する訳でも無く 英雄待望論を叫ぶだけの熱狂的信奉者になるつもりも無い。
自立した人間を自称するのならばこそ
過去の言葉を温めては新しき道も自分で考える
が必要となるよね?
言われたまんまの言葉を繰り返すだけなら 其れこそ家畜や奴隷じゃね? なんかの信者じゃね?
宗教右翼や宗教左翼のカルトに溺れる20世紀の残滓は 其れを基礎にしつつも
目の前の環境や状況の変化に応じて 自力で適切に昇華させていく事が肝要だと思う。
21世紀になって なお20世紀なカルトに溺れ続けていくような連中が居たとしても
俺は哀しく眺め続けて それでも俺は俺なりに頑張る それだけだ。
俺なら こう言うね。
家畜を啓蒙し 奴隷を解放する、その役割を果たせる下士官を育成し続けたい。
俺も負けずに頑張り続けたい。
其の下士官の数を一定数以上に揃える のは150年に懸かるかもしれないけどねw