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2012年03月20日

多神教で文明人 と 多神教で蛮族野蛮人 の差異。
文明人的な生き方とは何か? を必死に模索し実践し続けようと奮闘していく、
それが「魔法の国ザンス」シリーズに通底する主題なのかもしれない。

https://twitter.com/Lulu__19/status/181234105822883841
放射能をこわがる人々を、非国民扱いする。
これをファシズムと言わずして、何と表現するのか?
悪徳民主党政権の顔ぶれこそ、非国民と言うより、非日本人ではないのか。
http://hyouhei03.blogzine.jp/tumuzikaze/2012/03/post_6601.html

まぁ 俺から言わせてもらえば 大体こんな感じで区分けようかな とか思ってるけどね

ニホンジン: 宗教右翼カルト 旧式左翼カルト 20世紀のイデオロギーの残滓
日本人: 小沢一派
大和民族系日本人: 俺の主張 分離独立をも目指す


と言った感じでね。
宗教右翼カルトへ迎合する「オリジナル(笑)民主」を 旧式左翼カルトがファビョる
というのも また どーなんだろうねー な感じなんだよね。

俺はね もう自分が日本人という言葉への帰依に執着する感覚すら 殆ど無い程に薄い。
国家≠社会共同体 という感覚で生きて行こうと思ってしまえば
そんな単語に執着する気分すら馬鹿馬鹿しくなる、
んな事よりも先に考えるべき事が山ほどに有る ってね。

俺が守りたいのは この社会共同体で営々として築き上げてきた営みの中に居る人々 であり、
其れを 搾取と略奪と暴虐の果てに 狩場としての利用しか考えない連中が このコッカの正体である以上
其の根幹部分から考え直したくなる俺がオカシイのだろうか?


放射能の汚染を危険とする なんてのは 当然の話で、
宗教右翼カルトの論法からすれば 被曝を恐れない連中を絆とか言い出す は
むしろ カルトな連中ならば当然な話だなw 位にしか思わない。
宗教右翼カルトが そんな事を言い出すのは 何を今更w でしかない。

その尖兵でしか無い国粋主義的民族主義な連中が そういうケダモノの叫び声を上げる
というのも 何を今更w でしかない。

それを一々に 非国民とかファシズムとか返す旧式左翼カルトもまた
其れでは何も解決しなかった20世紀から何も学んでない事を晒しているだけなのに
はたして気が付いているのだろうか?

だから 旧式左翼にも支持が広がりきれない という白い目で見られてきた過去を
今尚に都合良く忘れているだけではないのか?

結局に このままではニホンジンの右手と左手 という破滅への崖へ突進するだけの話となる、
って俺は言い続けては その対極の話を出してしまった方が早い って思ったんだよね。
そうしたら両方から敵視されるようになったw


あ 俺は旧式左翼の方向性そのものは嫌いじゃないですよ。
ただ 環境と状況の変化に対応した手法を考えていった方が良いんじゃね? って思うんだよね。

もっと言ってしまえば宗教右翼の志だって嫌いじゃない。
ただ もう少しマシな人間になる知恵を先に持とうよ って思うんだよね。


でも
馬鹿で豚にすぎない一般民衆 へ
そもそも人としての知性や品性や節度を求めること自体が間違いだしねw
そんなマヌケで狂った話を求める方がイカレていると思うw

人としての知性や品性と節度を求めるべき相手は 其れよりも上の者達だ。
人の上に立つ者達 だ。

で 俺は
下部構造から自力で浮かび上がってくる者達を「ネットの日本語圏の下士官層」と名付けて
そういう者達なればこそ可能な道も有ると考えた。



https://twitter.com/opasou/status/181167207248691200
つい最近、「マナー(manners)」についてふと気づいたんだけど、
読んで字のごとく、man+(n)ersなんだよね。
「人(として振舞うべき行動)をする人」とでも分解すべきか。
つまり当初はマナーってのは、
一神教文明人の開発した社会を潤滑にするためのツールだったんだろうと思う。

https://twitter.com/opasou/status/181167982158942208
人として分別ある行動をするためには、自立した意識と思いやりが必要だし、
それを皆が行えばその社会は住み良い社会になると思う。
これを社会と統制する側の国家が悪用すると
”空気”が発生し附則的マナーが増え本来のマナーからかけ離れていき、
がんじがらめの社会になっていくと思うけど。

https://twitter.com/opasou/status/181169448798011395
アジアの人間が基本的にマナーが悪いのは、
なにか ここら辺と関係あるんじゃないかなぁ・・・。
村単位での不文律(つまりは村の長の都合の良いように発達したルール)が
マナーとは別に発達した、とかね。

https://twitter.com/opasou/status/181170305446854656
なので村単位で”マナー”が異なるところを、
あっという間に近代化して国家となってしまったので
マナーとして国民全体のコンセンサスを得ないまま経済発展を迎えた、とかね。

もちろん宗教とも密接に関係あるだろうけど。
まぁ、結局何が言いたいかって言うと、マナーってman+(n)ersなんだね、ってだけの話(笑)。
今超ホットなマイブームですww
だから俺は カンミンゾクやチョウセンゾクを 多神教で蛮族野蛮人と呼んだ。

(少なくとも江戸時代以降の)海という防壁に守られてきた極東の一諸島の中の
文明人的な社会共同体で生きてきた者達にしてみれば
マナーを 節度を 品性を 守るという事が 自らが生きていく為に何かと得になる、
というのは 肌感覚にも近い説明不要な話となる。

ところが 大陸に生きている蛮族野蛮人は、
・マナーを 節度を 品性を 守るという事が 自らが生きていく為に何かと得にならない、
・マナーを 節度を 品性を 守るという事を見せかけては裏切る
 という方が 自らが生きていく為に何かと得になることも多い
・マナーを 節度を 品性を 守るという事は
 極めて狭い集団の中でのみ適用させていく方が 何かと得になることも多い
という世界で生きてきたが故に そういうモノが肌感覚にも近い説明不要な話となってしまっている。

これが 価値観の違い 美徳観念や美意識の微妙な違い である。

コレを
 多神教で文明人 と 多神教で蛮族野蛮人 の差異
と俺は勝手に考えたりしている。
大まかに 大雑把に 俺自身が納得する為だけに こんな風に考えているだけである。



https://twitter.com/opasou/status/181171992827928578
誠天さん読みながらのツイートなので断片的だけど。
「汚染されていない「一つしかない“おにぎり”」を
 二つに分けて食べ合う は普通にして当然のことでしかない」
のくだり。
ここなんだよな。ここで分かれるんだ。日本人かニッポンジンか が。

https://twitter.com/opasou/status/181173575271718913
そうだったか、”マナーが悪い日本人”が増えていると思っていたけど、
”ニッポンジンが増えていた”んだな、と改めて気づかされた。
例えば街中に行って観察してだ、
本当に こういう事ができる人が現実問題として何人いると想像できる?
どこもかしこも「自分さえよければ」の現代日本じゃないか?
いったい多神教文明人は本当は どれくらいいるのだろうか…。

まだまだ結構に居る と思いますよ。
ただ、
 変わってしまった当人達も気付かない
 まだ変わって無い当人達も気付いていない
というのも また むしろ至極に当たり前の話なんだよね。

だって 文明人的な生き方って何? という話をされても 考えた事も無い人達が殆どだと思うから。
言い換えれば
 考えた事が無くても文明人的な生き方が出来てしまう そんな社会共同体が成立している
という事が どれだけ空前絶後に凄い事なのか、と俺は思っているんだよね。


https://twitter.com/opasou/status/181174742726868993
「俺は 目の前に居る
 この地に住む圧倒的大多数もまた ごくごく自然に
 そういう文明人としての節度と矜持を持ち合わせている
 と肌で分かっている」
というのは、僕は残念ながら分からない。
僕が一神教文明人の世界へと脱出を企てるのはそこ。まさしく今回の記事は僕の核心部分です
だから あの時に 俺はアレを書いたんですよね。

https://twitter.com/opasou/status/181175916515434498
指輪物語、今度しっかり読もう。
まさしく“成熟した「一神教にして文明人の共同体」”を僕は実際心地良いと感じるし
理想としてる。
きっとこれを支えるのが「manners」なんだね。
小さい頃から日本独特?の”自立した個人主義”を許さない風潮がどうも苦手だったから、僕は。
日本独特?の”自立した個人主義”を許さない風潮
そんなのは カルトの上意下達から離れる者達を許さない という話の先に有る事で
どちらかと言えば 一神教的な厳格な階層への意識 が底辺に有るようにも思うんですよね。

指輪物語は
結局に神のに等しきエルフやガンダルフ その血を引くアラゴルン
 と
中つ国 で生きていくしかない人々
を分け隔てる一線が 最後の最後まで消えきれない。


https://twitter.com/opasou/status/181179108997332992
あ、そっか。周りの大多数の人間は、ニホンジンというよりは、
それにも成りきれない「無自覚なカルトの下僕」か(でいいのかな?自信なし)。
これノートに整理しないと誠天理論をしっかり理解できないな。
時間取れたら一度しっかり勉強しよう。
勉強はどんなものでも人生の糧になるから楽しい。
俺と同じ罠に嵌まってるw

この俺も かつて宗教右翼や旧式左翼だけでは
どうにも判然としないし納得もできない何か が頭の中で漠然としたモノとして有り
ならば 自らの言葉で構築をしていくしかない と自慰行為を何年も繰り返し続けてきた。

一語で説明できるはずも無い また正しいと思う気も無い。
でも こうして考えていく事は チョット位は個人的に意味が有れば ならばよし かな
位に思って 俺は更新をしてきた。

 無駄な考え休むに似たり
  でも
 血を吐きながら 繰り返し繰り返し その朝を超えて飛ぼうとする
そんな感じなだけの話。

311以降に 宗教右翼や旧式左翼へ取り込もうとしていた 結局にカルトでしか無い連中は
その限界が簡単に露呈させられているから 信者が増やせない→必死にファビョる の繰り返しをしている。
ニコニコでのカルトな連中の狂気なファビョり方なんかは大爆笑そのもの。

俺は
 まぁ そっちは そっちで 御勝手に
 俺も俺で 此処で 勝手に繰り返すだけだよ
なだけの話ですね。

何かしよう とか 何か芽生えた とか、そんな急に変われるモノでも無いよねw
311以前からしてきた事を 俺は状況と環境の変化に合わせて 微妙に修正しながら
似たような事を繰り返しているだけだ。

俺が正しいなんて言う気も無いし、
むしろ俺の言う事なんか やっぱり信用しちゃ駄目だ。

こんな事は現実の俺だって普段は口にしない、
口にするような奴を むしろ俺だって煙たがるわw

口にするのではなく行動で滲ませていく のが精一杯だ。
でも その ホンのチョットだけでも と思って していく、
それ位からでも していかないとね。

こんな事を「民草」はしない するはずもない。
それは古今東西の人間社会に共通する 圧倒的大多数の「民草」な者達の必然でしか無い。

そういう者達が「己が何者か」なんて最終的に理解できるはずも無い。
「“理解している”そんな気になる事が出来る」だけの話だ。

周りの大多数の人間は、ニホンジンというよりは、
それにも成りきれない「無自覚なカルトの下僕」か

そんな感じです。
 圧倒的大多数の者達へ怒りを向けてどうする?w
 サルが旅に出れば人間になれるのか?w
ならば と思い俺は こう考えたんです。

仮に
 江戸時代の太平の世が この社会共同体の多神教で文明人の根幹の礎を築いた
とした場合に
では
 何故に 20世紀〜21世紀初頭の極東の一諸島では
 社会共同体の多神教で文明人の根幹が崩れ去ろうとしているのか
というのを考えた時、
俺は 武士階級の存在の差異 を考えたんです。

武士階級という言葉を直に使うと 今はまだ宗教右翼カルトの罠に嵌まる可能性が高いし
何よりも言葉で簡潔に言いきってしまう事で思考停止をさせてしまう事の方が怖い。
なので「ネットの日本語圏の下士官層」という回りくどい言葉を暫定的に使い続けている。

侍 という言葉を使うのも観念的には悪くないけど 其れでは宗教右翼カルトの罠に嵌まる。
俺が求めているのは言葉では無く観念論だ。
「侍」という言葉だと21世紀以降という状況と環境の変化には適応しきれない。
つまり 其の適応しきれない言葉を宗教右翼カルトが使う 其の齟齬の部分にこそ罠が在る。


こんな感じで
何処まで行っても思考の迷路の袋小路かもしれないけど
こうして続けてきた事で 光明も少しずつ見えてきた。
俺なんか ならばよし って思ってきた。
これからも そんな感じで ボチボチと考えていくだけだ。



あ 指輪物語を読みかえそうだなんて そんな無茶はしないようにw
アレを読むくらいなら
「魔法の国ザンス」
 ・カメレオンの呪文
 ・魔王の聖域
 ・ルーグナ城の秘密
の初期三部作を読む労力へ費やす事の方を 絶対的に勧めます。

アメリカの一般民衆の観念の中にだって 我々と近いモノを持っている者達だって居る。
大衆化の拡大 とは 文明人化の拡大 という意味でも有るのだろう。
魔法の国ザンスの初期三部作を今は そんな風に考えたりします。

というか
「魔法の国ザンス」
 ・カメレオンの呪文
 ・魔王の聖域
 ・ルーグナ城の秘密
の初期三部作は
こういう言い方は好みではないが「エンターティメント性」では指輪物語の遥か上を行く。
そういう意味での面白さでは「ロード オブ ザ リング」なんかでは勝負にならないモノを持っている。

ハリウッドで映画化も企画まではされていた事も有ったが
知名度の問題も有り中々に進まず アメリカ事態が先に没落してしまったw

サブカル系のゲームやマンガやアニメが好きな者達ならば
その中でも「Hunter×Hunter」が好きな者達へならば 絶対にお勧めする。
こういう言い方は殆どしない俺だけど だからこそ コレだけは本当にお勧めする。

長編で読むのは大変かもしれないが
「カメレオンの呪文」だけでも 必ず頑張って読み通す事を心の底から薦めたい。
そして「魔王の聖域「ルーグナ城の秘密」までも読みきって欲しい。

其処から得られるモノは 必ず人生へ少なからぬモノを与えてくれるだろう。
俺は この三部作を10代の頃に出会えた幸運を 今も心から感謝している。






思い返せば
魔法の国ザンスの主題の一つを考えれば 文明人と馬場族野蛮人の物語 でもあるように考えてしまう。

魔法の国として高度に洗練されたが故に活力を失って人口減に苦しむザンス、
蛮族野蛮人の流入を如何に防ごうか とする事の先に生じる意味、
多民族国家の一般民衆の現場で生きている そんなフロリダに住む作者の視点が
作中に反映されている事を 今は思い返してしまう。

多民族国家であるが故に
猛烈な多神教的要素を当人達が考慮するしない以前に一気に流されていくのだろうけど
では 文明人的な生き方とは何か? を必死に模索し実践し続けようと奮闘している物語、
考えてみると「魔法の国ザンス」シリーズには そういう部分が常に通底して流れている事を
今 改めて 思い返してしまう。

指輪物語を頑張って読み返すのも悪くないけど
俺なら断然に
「魔法の国ザンス」
 ・カメレオンの呪文
 ・魔王の聖域
 ・ルーグナ城の秘密
の初期三部作をこそ 頑張って読みきる事を 是非に薦めたい。




posted by 誠 at 06:16| Comment(0) | TrackBack(0) | (゚∀゚) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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