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2006年12月20日

「ローマ人の物語」の終焉

「ローマ世界の終焉」にあわせて とりあえず拾ってみました。
新聞の記事も多いんですね








最終巻『ローマ世界の終焉』本日発売です!2006年12月15日
懇親会第4回@福岡
集中取材
大阪に場所を移して
全国ツアー始まる
懐かしい場所での対談
( 以上 情報リンク元は 塩野七生「ローマ人の物語」制作の舞台裏BLOG 様 より )

塩野さんの講演の様子2006.11.23

塩野七生さん 「ローマ人の物語」完結(読売)
 1992年以来、1年1冊ずつ15巻。塩野七生(しおのななみ)さん(69)の歴史巨編『ローマ人の物語』(新潮社)が、ついに完結した。単行本・文庫の累計部数は774万部。非キリスト教徒によるローマ帝国の歴史は、「9・11」以降の世界へ多くの示唆を含む。この時代に思い出すべき寛容の精神とは――。イタリアから一時帰国中の作者に聞いた。(尾崎真理子)

 「なぜ、ローマ人だけが」

 初めにこの問いがあったという。ギリシャ人の知力に学び、紀元前2世紀に地中海の覇者となり、長いパクス・ロマーナを実現し得たのは、ローマ人の何が秀でていたからなのか。

 「人間の生活にとって最も重要なことは安全保障(セクリタス)。戦乱の苦しみほど不幸なものはないという真実を、彼らはよく知っていました」

 その統治は、独自の寛容さによって貫かれていた。征服した国や地域の神々をすべて認め、奴隷化してもローマ市民権への道を開き、有力者は元老院に招いた。「ローマ化こそ、最強の安全保障であるという信念がありました。軍事力で制圧すると、いずれ反乱が起こり、税負担が増える。この悪循環を見通していたようにね。ただしローマ人は、勝って、譲った。勝者の寛容なんです」

 ギボンをはじめ、西欧人による記述とは異なる印象の「帝国」が浮かび上がる。「少なくともイギリスの帝国主義とはまるで違う。要するに私は、キリスト教世界が書かなかったローマ史を、初めて書いたのだろうと思います」。淡々と語るが、すでに韓国、台湾でも翻訳されベストセラーに。英訳も進行する。

 著者の「ローマ的なるもの」の追求は、人間ならユリウス・カエサル(紀元前100〜同44年)に極まっているだろう。「ローマの歴史がカエサルを生み、彼がその後のローマ世界を決めた。熱中して書いているうち、ある時ふっと、彼の腕の感触を間近に感じたほど」

 カエサルの残した「ガリア戦記」のラテン語の散文は「簡潔、明晰(めいせき)、この上なくエレガントで」、シェークスピアやブレヒトらに感銘を与えた。現在の暦に近いユリウス暦の採用、ローマ最初の国立図書館や造本の発案、さらに元老院の討議の速報を壁新聞にするなど、現代のメディアの源流もことごとく彼にある。

 しかも同時代にあの雄弁家キケロがいた。当時の書簡集からこまやかに読み取られている古代人の喜怒哀楽。幸福感、挫折感。彼らだけではない。カルタゴのハンニバルからクレオパトラ、初代皇帝アウグストゥス……皆、同時代人のように風貌(ふうぼう)まで彷彿(ほうふつ)としてくる。

 「塩野七生は歴史を面白くし過ぎると、研究者から非難されます。でも“私が”歴史を面白いと思って書いた。ただただ、物語って行っただけですよ」

 第15巻「ローマ世界の終焉(しゅうえん)」は、6世紀半ばに「地中海がローマの内海でなくなった」のを見届けて終わる。しかし私たちは、もう一度ローマ人が歴史の表舞台に立つのを、この著者の『ルネサンス著作集』(全7巻)ですでに知っている。

 イタリアで執筆生活を始めて40年余。塩野作品は、これで紀元前8世紀のローマ建国から近代に至るまで、イタリアと地中海の歴史に一本の流れを通したことになる。その作者が、「今、世界中が中世に向かいつつあるのでは」と小声で言う。

 「古代においてはローマ帝国が、どうやって諸民族と共生できるかを実現し、それが機能しなくなって中世が訪れた」

 ルネサンス以降、フランス革命、啓蒙(けいもう)主義、2度の世界大戦の教訓から生まれたEU……。500年をかけて西欧諸国は、ようやく政教分離の寛容さを共有するに至ったものの、「その理念が通用しなくなりつつある。私は民主主義は最後の宗教と思っていますが、軍事に訴えても影響力は低下しつつある」と憂慮する。

 紀元前1世紀、「都市生活が快適すぎて」、少子化が進んだというあたりも興味深い。諸問題解決の糸口を求めて、愛読する政財界人が多いことでも知られる。「でも、私の提言など、どこにも書いていません。何を受け取るかは、読む方(かた)次第」

 1年1巻のペースを守るため、この15年、夏休みを取っていない。古文書から現代の研究成果まで丹念に目を通し、シリア、北アフリカからスコットランド……旧領土の隅々まで旅した。約1万枚の手書き原稿を書き終えるために潰(つぶ)した万年筆は、5本。

 「すっかり視力を悪くしちゃって」

 余裕の微笑が、達成感を物語った。
ローマ人の物語 : 書評 : 本よみうり堂
帝国の興亡描く 大胆な「塩野ワールド」
 ついに完結した。毎年1巻ずつ刊行して15年。文字どおり長年月をかけた大作である。

 たっぷりと時間をとり、心ゆくまで調べて考えを発酵させ、書き急がなかったことが、この全15巻にどっしりとした風格を与えている。

 最終巻の本書が扱うのは滅びゆくローマ帝国のやるせない姿。帝国のローマらしさが消えてゆく過程でもある。著者は帝国衰亡の原因よりも、そのプロセスの描写に重点を置いたという。本書でも、蛮族との戦い、皇帝の統治(またはその不在)、税制や軍制、宗教と政治などの移り変わりが、善悪・賢愚を問わず具体的な人間の行為を通して、ときにはパノラマのように、ときには接写した写真のように描かれる。滅びの過程でも、大胆な推論をまじえた独特の「塩野ワールド」が繰り広げられる。

 プロセス重視とは言いながら、むろん著者はあちこちで衰亡の諸原因にも触れている。なかでも、ローマ人の公共心が磨滅し、「公」と「私」の絶妙な組み合わせで成り立っていた統治システムが壊れてしまった、という指摘が注目される。紀元476年、西ローマ帝国が滅んだとき、その最期はまことにあっけなく、ほとんど誰にも気づかれなかったという。偉大な滅びの瞬間がなかったことが、むしろローマにはふさわしい、とはいかにも著者らしい感慨だろう。

 実は、著者の本来の関心は、帝国衰亡の過程や原因にあったのではない。ローマ人があれほど広大な帝国を築き上げ、何度も重大な危機に見舞われたのに、なぜこれほど長きにわたって帝国を維持できたのか、という疑問こそ塩野氏の出発点であった。そして15巻を書き終えた今、彼女はそれが分かったと言い切っている。

 ローマ帝国を興隆させ、それを千年以上も持続させたのは、独特の統治システムであった。例えば、「公」と「私」の絶妙な組み合わせが、このシステムの一部である。本国と属州との間に営まれた共生関係もそうである。これがローマ世界の多様性を維持させた。帝国が覇権者としてすべての安全保障コストを引き受けたことも統治システムの一つと考えられよう。対外防衛と帝国全土にわたる治安維持を通じてパクス・ロマーナが実現された。

 ただしシステムはあくまでシステムでしかない。それをつくり、強化し、維持したのは人間である。そこに眼を向けたからこそ、この作品は「ローマ人」の物語なのである。著者はしばしばローマの道路に言及し、道路を含むローマのインフラの重要性を指摘する。そうしたインフラは、その機能維持のためにときどき補修・修復しなければならなかった。このことは統治システムにも当てはまる。統治システムも、つねに補修し修復していたからこそ、ローマは千年の生命を保った。補修・修復を担ったのは、皇帝を含むエリートたちである。それゆえ、その統治を担当するエリートの養成が重要な意味を持つことになる。著者は帝国の「安定成長期」を重視したが、これもこの時期にシステムの補修・修復がしっかりとなされたからにほかならない。

 誤解のないように付け加えておこう。この作品は歴史「研究書」ではない。著者も歴史「学者」ではない。しかし、この作品がわれわれのローマ史に関するイメージを格段に豊かにし、歴史の面白さと意外性を十二分に堪能させてくれることは間違いない。
評・戸部良一(防衛大学校教授)


「ようやくローマが分かってきた」…『ローマ人の物語』書き終えた塩野七生氏(中央日報 朝鮮)
「自分の羽根を一本一本抜きながら美しい織物を織り上げていった『夕鶴』のつうのよう。丸裸になった気分がします。しばらく休んで羽根を生やさなければオーブンに入れられそう」−−。

「シリーズ物」ローマ人の物語で有名な日本の作家、塩野七生氏(69)が15年の幕を閉じるにあたり、14日に語った言葉だ。

自分のエネルギーを全てこの本に降り注いだ。彼女は子供を生むように15年間、ローマ帝国の興亡史を毎年1冊ずつ書いた。1992年1巻目「ローマは1日にして成らず」で始まり、15日に日本で出版される第15巻『ローマ世界の終焉』でピリオドを打つ。

このシリーズは14巻まで日本で540万部が売れた。塩野は15冊を書く間、イタリアにとどまり、1年の半分は資料収集および精読、残り半分は執筆に明け暮れた。

◆「ローマ人を知りたくて書いた」=塩野氏は第15巻のあとがきで「ローマ人の物語シリーズは自らローマ人を知りたいと思って書いた」とし「執筆を終えた今ようやくわかったといえる」と明らかにした。またどうしてローマの歴史を、それも15冊も書いたのかに対しても打ち明けた。「素朴な疑問から始まった。これまでローマ史とといえば一般な常識はローマ帝国の「衰退」にかかわるものだった。しかし衰退したらその前には栄えたということなのに、どうしてその繁栄期には関心を持たなかったのかということ。だれも私の疑問に答えてくれなかったので自分で答えを探そうとした」。

ローマ史のバイブルとして通じるイギリス人の歴史家エドワード・ギボン(1737〜94)の『ローマ帝国衰亡史』(6巻)がローマ全盛期(96〜180)から東ローマ帝国滅亡に至る時期のみを扱ったのと比べ『ローマ人の物語』はローマ建国から滅亡までをあまねく扱っている。

塩野氏は「一国の歴史は一人の生涯と同じだ。徹底的に知りたいと思えばその人の生誕から始まって死ぬまでを通さなければならないように(歴史も)同じだ」とし「15年の歳月と15巻のボリュームが必要だった」と強調した。

ローマ帝国が続いた理由について彼女は「ローマ人は人間という複雑な存在をしっかと見据えたうえで制度を作り出し、メンテナンスと見直しを怠りませんでした」と分析した。

ローマ史を論ずるのに「日本人塩野」は限界があるという一部の指摘に対して彼女は14日付産経新聞とのインタビューで「ヨーロッパの歴史家がローマ史を書けばどうしても共和制を高く、帝政を低く評価してしまう。まったく別の文明圏に生まれ育った私は、クールに描くことができたと思う」と自信をのぞかせた。

最終巻である第15巻で彼女はローマ帝国の滅亡とその後に現れた現象を列挙した。特にローマ帝国の滅亡を扱った既存の歴史研究書と差別化させるため「なぜ」よりは「どうして滅亡したか」に重点を置いた。

塩野氏は「中世ルネサンス時代のべネチア共和国、古代ローマ帝国など『盛者必衰』が歴史の理なら、後世の我々も襟を正して純粋に送ることが歴史に対する礼儀だと思う」とした。

◆塩野七生=1937年東京で生まれ、63年、学習院大学を卒業した。高校時代イタリアに興味をもち始め、東京大学入学試験に落ちた後、学習院大学を選択したのもその所にギリシア、ローマ時代を教える教授がいたからだった。西洋哲学を専攻し、学生運動にも加わったが、マキャベリを知るようになって懐疑を感じ、やめて卒業後、イタリアに渡った。イタリアで30年以上、ローマ史を研究した後、マキャベリの『軍主論』のモデルとして知られるチェーザレ・ボルジアの一代記を描いた『チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷』で70年、毎日出版文学賞を受賞した。

東京=金玄基(キム・ヒョンギ)特派員


<インタビュー>韓国記者団と会見した塩野七生さん
【東京17日聯合】1992年から年1冊のペースで古代ローマを描く「ローマ人の物語」を出版し、先ごろ「ローマ世界の終焉」で15年間のローマ帝国への旅の幕を下ろした作家の塩野七生さんが16日、東京商工会議所で韓国人記者団との会見を行った。韓国内の翻訳版出版社が主催した。塩野さんは韓国記者団の質問に終始真剣に回答し、「若そうな記者も見えるが、15年前は何歳だったか」などと冗談を飛ばし笑いを誘う一幕もあった。
 毎年1冊出版するという約束を守るため、この本を中心に生活してきたという塩野さんは「今は頭がからっぽの状態。確実なのは来年からは本を年に1冊出さなくてもいいということと、夏休みが取れるということ。どこに行くには未定だがこっそりといくつもりで、韓国に行くかもしれない」と話した。

 塩野さんは作品執筆の契機について、1つの宗教だけを信じる一神教、キリスト教とイスラム教の世界になった中世以降、両者の緊張関係が高まり相手の存在を認めないようになったと指摘し、宗教がなかったころの人たちはどう生きていたのか考えたためだと紹介した。すべの人間には存在する理由があり、人は互いに尊重する義務があると力説する。韓日関係も同様で、「隣国とは戦争さえなければうまくいく」と話し、独島問題を例に挙げた。日本では「竹島」韓国では「独島」と呼ぶことからして両国の歴史認識が異ならないわけがないと説明した。歴史認識を共有することは不可能だが、それぞれの視点で問題を分析した本を出版しそれぞれが読めば、相手の立場を理解することができると強調し、宗教的な熱狂とナショナリズムを排除し冷静に妥協点を探せば、どのような問題でも解決できると主張した。そうした視点から、これまでキリスト教信者の欧州人の立場からみたローマ史だけが存在していたが、キリスト教を信じない非欧州人である自身の著作も、読者が選択できるようにする必要があると話した。英語出版本の出版に対する意欲も示した。

 また韓日関係に関連しては、「政治家は政治を行い、歴史家は自身が知らないことについて話してはならない」とし、韓国の大統領、日本の首相が歴史を語る必要はないと述べた。


塩野七生「ローマ人の物語」15年かけ、ついに完結(産経)
 イタリア在住の作家、塩野七生さん(69)の「ローマ人の物語」(新潮社)がついに完結、あす15日に最終巻(第15巻)「ローマ世界の終焉」が発売される。

 平成4年、第1巻「ローマは一日にして成らず」の刊行にあたって、《1年に1冊のペースで刊行し、15年で完結する》と“公約”した塩野さんは、この15年間、「ローマ人の物語」に専念、1年の半分を史料の精読、半分を執筆にあて、約束通りゴールにたどり着いた。

 「自分の羽根を一本一本抜きながら美しい織物を織り上げていった『夕鶴』のつうのよう。丸裸になった気分がします。しばらく休んで羽根を生やさなければオーブンに入れられそう」と塩野さん。

 ローマの歴史といえば、英国人史家ギボン(1737〜94年)の「ローマ帝国衰亡史」全6巻が著名だが、同書が扱うのはローマ全盛期の5賢帝の時代(96〜180年)から、1453年の東ローマ帝国滅亡までで、ローマの興隆期は描かれていない。

 これに対して塩野さんは《なぜローマのみが民族、文化、宗教の違いを超えた普遍帝国を実現しえたのか》という問題意識を持って、前753年のローマ建国から476年の西ローマ帝国滅亡までを描き切った。

 《人間とは善悪を併せ持つ存在である》との冷徹な認識に貫かれた塩野さんの叙述は、多くの読者の心をつかみ、単行本14巻の累計発行部数は約220万部、文庫28冊(単行本の10巻まで)は約540万部と、この種の本としては異例の数字を記録している。

塩野七生に聞く―「クールな視点で描けた」

 ローマ建国から西ローマ滅亡までを描き切った作家、塩野七生さんの出発点は、素朴な疑問だった。

 人類の歴史のなかで、なぜローマのみが、民族、文化、宗教の違いを超えた《普遍帝国》を作り上げることができたのか−。

 「だれも私の疑問に答えてくれなかった。だから自分で答えを探そうとしたのです」

 納得のゆく答えを出すのに15年の歳月と15巻のボリュームが必要だった。

 「手っ取り早く分かりやすいということが、それほど大切なことだとは思いません。歴史とは人間がつくるもの、人間そのもの。複雑な人間の営為を簡単に書くことなど私にはできません。私は叙述は好きですが、解説は大嫌いなんです」

 塩野さんの視線は、イタリア・ルネサンス期の思想家で「君主論」の著者、マキャベリ(1469〜1527年)に通じる。

 「ルネサンスとは、1000年もの間キリスト教に導かれてきたが、欧州人の人間性はちっとも向上しないではないか、という問題意識から起こったものです。そこでルネサンス期の人々が注目したのがキリスト教以前の古代ギリシャと古代ローマだったのです。マキャベリは、宗教や哲学によって人間性は向上するものではない、と考えるローマ人のリアリズムに触れて《人間とは何か》を学び、善も悪も併せ持つという人間性の現実を直視したうえで、統治のあり方を考えるようになりました。私がマキャベリにひかれるのは、彼が人間に対してリアリズムに徹したまなざしを持っているからです」

 ローマは、伝統的に異民族に対して寛容政策をとり、常に制度の見直しを怠らなかった。それは、古代ローマが多神教世界であったことと結びついている。

 「キリスト教は、まず天国ありきで、この世は仮の世という認識です。それじゃあ本気でこの世をよくしようとは思わないでしょう。多神教のローマでは、死者の国はありますが、それは天国ではありません。それゆえ、いま生きている世界をよりよくしようという強い意志が生まれたのだと思います。ローマ人は人間という複雑な存在をしっかと見据えたうえで制度を作り出し、メンテナンスと見直しを怠りませんでした」

 ところで、キリスト教徒ではない日本人というポジションは叙述にどんな影響を与えたのだろう。

 「ものを書くとき、自分が日本人だと意識したことはありません。しかし、欧州の史家がローマ史を書こうとすれば、どうしても共和制を高く、帝政を低く評価してしまうでしょう。まったく別の文明圏に生まれ育った私は、クールに描くことができたと思います。私は政治とは結果だと考えます。その視点から見れば、帝政が悪いものだとはいえないし、キリスト教に対しても敵ながらあっぱれと思うことは多いですよ。こういう視点は、欧州の史家にはないかもしれませんね」

 西欧的価値観が壁に突き当たっているいま、「ローマ人の物語」は輝きをいっそう増す。なぜなら「共生」の手がかりがここにあるからだ。(桑原聡)

( 以上 情報リンク元は MEDITERRANEO 塩野七生の世界 Blog 様 より )



塩野七生さん:『ローマ人の物語』全15巻、完結 権力の有り様を凝視して(毎日)
 全15巻に及ぶ塩野七生さんの『ローマ人の物語』(新潮社)が完結した。紀元前8世紀の建国から、5世紀の西ローマ帝国の滅亡、そして「帝国以後」の時代まで、古代ローマ史を通して描く大作だ。権力の推移を見据え、文明のあり方を問いかけた明快な記述は知恵と楽しみに満ちている。一時帰国した塩野さんに語ってもらった。【重里徹也】

 15巻を通して、すっきりとわかりやすい筆致が一貫している。一つの現象に対して、個条書きで理由や背景を解説する。写真や想像図、地図や系図を駆使しながら、絶えず全体の状況を読者に示し、レンガを積み上げるようにローマの歴史がたどられる。

 皇帝や政治家、軍人や知識人は大胆に特徴が述べられ、歴史的に果たした役割が手に触れるように具体的に説明される。センテンスは短く、装飾は抑えられ、時にユーモアを交えた、親しみやすい文章だ。

 「私自身が頭悪いから、明快に書かないとわからないのです。カエサルの『ガリア戦記』のちょっとまねだなあ。カエサルは元老院議員や兵士に向かって、自分の主張を納得させないといけない。当然、センテンスは短くなるし、論理は明快になる」

 「私は日本とは違う文明圏の、しかも大昔の話をしている。日本の高校の世界史の教科書を読んで、これだけの知識しか持っていない人たちにローマ史を語るのだと覚悟を決めました。ところが、その世界史さえ履修していない人が多いらしくて困っちゃった(笑い)。それは敵を説得するのに似ているでしょう」

 ローマ帝国はカエサルが企画し、アウグストゥスが構築し、ティベリウスが盤石のものにしたというのが塩野さんの位置づけだ。

 「ブルクハルト(スイスの歴史家)が言っています。ある時期に、それまでの歴史がすべて一人の人物に集約される。その後また、その人物から歴史が広がっていく。カエサルはそういう人物です。なぜそんなことが起きたのかは世界史の謎です。でも、そういうことってあるんですよ。身近な例だと、エルビス・プレスリー。それまでのポピュラー音楽の歴史が彼に集約された。彼の後、また、彼から音楽が広がっていった。カエサルを書くには、ローマ史全部を書かないといけない」

 塩野さんはイタリアの高校の教科書を引用して、指導者に求められる資質を五つ列挙する。(1)知性(2)説得力(3)肉体上の耐久力(4)自己防御の能力(5)持続する意志。カエサルだけがこのすべてを持っていたという。

 それでは、アウグストゥスはどうか。“防衛大臣”的なアグリッパと、“外務大臣”続いて“文化・広報担当”として活躍したマエケナス(メセナの語源になった人物)。2人の腹心に補佐された彼は、広大な版図に長く続くパクス・ロマーナ(ローマによる平和)をもたらした。塩野さんは、やはり傑出した指導者だったことを解説し、さらにカエサルが持っていなかったものを兼ね備えていたと指摘する。それは偽善だという。

 鮮やかに浮き彫りにされる皇帝たちの生々しい姿は、このシリーズのたまらない魅力だろう。隠遁(いんとん)後も職責を全うしたティベリウス、若くして殺されるカリグラ、歴史家皇帝クラウディウス、失政を重ねたネロ。帝国の再建に力を注いだヴェスパシアヌスたち。属州出身のトライアヌスら賢帝たちの努力。

 街道、水道、道路などインフラ(社会的基盤)の整備に心を注ぎ、法律体系を維持し、蛮族の侵入に苦しみ、属領の経営に工夫を重ねる姿が多角的に描かれる。税や民活など、経済への言及も併せて、権力の有り様への凝視が全巻を貫いている。

 「人類はありとあらゆる政治システムを考え出したけれど、支配者がいないシステムなんてないんですね。私は権力を悪いものだとは思っていません。権力の行使の仕方が良かったか、悪かったか。あるのはその二つだけ。船にたとえたら、いくら一生懸命に船乗りが漕(こ)いでも、船がどこへ行くかはカジを握っている人間次第です。我々、船を漕ぐ側は、権力者を使い捨てにすればいい。権力者をおとしめて自己満足しても意味がありません」

 栄華を極めたローマ帝国もさまざまな理由から衰退していく。支配の道具として導入したキリスト教によって、多神教的なローマ世界が崩れていく。国境が絶えず侵され、ゲルマン人たちとの戦いに疲弊する。第14巻で登場するユリアヌスは多神教的世界の擁護をめざして印象的だ。

 「すべてのものは諸刃(もろは)の剣ですからねえ。私は信教を尊重するのにやぶさかではありません。でも、一神教的に、自分だけが正しくて他人は間違っているという考え方は好きではありません」

 キケロやセネカら知識人たちが、広い視野の中に置かれる。読者は箴言(しんげん)の一つ一つをありがたがる必要がない。彼らの言辞がどんな政治構造において成立したのか暴かれる。キケロなど、弱さやみっともなさ、虚栄心があらわにされた。

 「彼はジャーナリスト。哲学者じゃない。現状認識能力はある。でも、先見性がない。国境の内側だけを祖国と思っている。ローマ文明の傘の下に多人種、多宗教、多文化が共に栄える国を構想したカエサルとは対照的でしょう」

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 ◇塩野さんと司馬遼太郎−−対照的な二人の関心

 塩野さんはよく司馬遼太郎と比較される。確かに明快な記述、観念論を排した地上的な視点、広い視野、権力の正体を追求する姿勢、権力者の内面を描いて歴史観を吐露する手法など、共通点が多い。

 しかし、決定的に違う点もある。司馬は戦国大名でも、幕末の志士でも、もっぱら、権力を得ようとする者たちを描いた。権力奪取後の領国経営や国家の運営については、あまり関心を抱いていない。源頼朝や徳川家光、伊藤博文、山県有朋らの生涯を描くのに熱心でなかったことにもそれは表れている。権力者がいかに統治したかを詳述する塩野さんと対照的だ。

 このことを塩野さんにぶつけると、興味深い答えが返ってきた。司馬のモンゴル好きは有名だが、元は中国を制覇した後、100年もたなかった。権力に固執せず、草原へ帰っていくモンゴル民族を司馬は肯定的に描く。塩野さんはこれに対して「あれは統治できなくなったんだと思う」と指摘したのだ。

 モンゴルの司馬とローマの塩野さん。権力観の相違も出ていて面白い。司馬の方がロマンチックで、塩野さんの方がリアリストに見える。


寛容と法の文明の興亡 「ローマ人の物語」全15巻完結(朝日)
 古代ローマの、1200年をこえる興亡の歴史をたどった、『ローマ人の物語』(全15巻、新潮社)が完結した。イタリアから一時帰国している著者の塩野七生さん(69)に、古代ローマの魅力について聞いた。
    *     *
 「古代ローマの及んだ地域には、道路、水道、闘技場などの遺跡が残り、日本人も目にしている。これらを、美術や文化として説明する本は多い。でも私は、ひとつの文明として、何のためにつくられ、人々がどう考えていたかを伝えたかった」

 古代ローマは、紀元前8世紀に都市国家として誕生した。元老院主導の共和政で、地中海をかかえこむほど拡大すると、矛盾も大きくなった。政治変革をめざし、殺されたカエサル(シーザー)の遺志を生かし、後継者アウグストゥスは、帝国としての政治システムを整えた。反動ととられることの多い帝政を、塩野さんは肯定的にとらえた。

 「『パクス・ロマーナ(ローマによる平和)』の時期は、広大な、ヨーロッパ、中近東、北アフリカの地域に、200年もの間、戦争が起こらなかった。ローマに負けても、多くは自治が認められた。中央集権と地方自治の微妙な組み合わせです。大英帝国など植民地を搾取した近代の帝国とはまったく異なる。皇帝の出身地も、ローマ本国だけでなく、属州のガリアやアラブ人まで広がった」

 隆盛の鍵は敗者への「寛容」にあった、という。多神教社会であったことが大きい。「彼らは自分たちは正しいにしても、他の人たちが間違っているわけではないと考えていた。戦いに勝っても、勝者の権利をふりかざさなかったんですから。でも日本の多神教とは違いますけれど」

 共和政、帝政の違いをこえて、宗教のかわりに、法が意味をもった。「さまざまな宗教、肌の色などが違う人々が一緒に暮らす共同体にはルールが必要で、それが法だった」

 法律や税制、安全保障(軍備)、公共施設、公共観念。代々の皇帝たちは、どのような点に苦心したか。歴史書や公文書、彫像、コイン、碑文などから、作家の想像力で、大胆すぎるほど断定的に往時を分析した。

 「すべての道はローマに通ず」という言葉があるように、帝国の隅々にまで道路が整備された。「万里の長城は防衛とともに、交通を遮断する。ローマ道路は、開かれた交通を大事にしている」

 3世紀前後から、多民族の侵入、内部対立などで混乱が続き、一神教のキリスト教が政治に浸透するにつれ、ローマらしさは薄れていった。

 「キリスト教公認までの約300年間、ローマ人はキリスト教を必要とはしていなかった。しかし、人間は、不安になると強いことをいう者にひかれる。キリスト教には、その強さがあった」

 「最後のローマ人」として他民族出身の軍総司令官を描き、イスラム教の出現を望むあたりで、最終巻は結ばれている。

 「西ローマ帝国滅亡のあと、キリスト教が支配する中世が千年近く続いたあとにルネサンスがおきた。いまヨーロッパは、自信をなくして不安になっているところが、ローマ帝国の最後あたりと似ている。新たな中世が始まる予感もします」

 ひとつの文明の運命をどう読むか。読者の自由にまかせたい、という。


『ローマ人の物語』15年間の旅を終える(東亜日報)
日本人女流作家の塩野七生(69)氏の力作『ローマ人の物語』(新潮社)の完結版『ローマ世界の終焉』が15日、日本で出版された。

塩野氏は1992年、第1巻『ローマは一日にして成らず』を刊行した際、「1年に1冊ずつ出版して15年で完結する」と公約していた。彼女の言葉どおり、15年間『ローマ人の物語』にだけ専念し、1年の半分は史料の精読、半分は執筆に捧げこの約束を守り抜いた。15冊を貫く問題意識は、「なぜローマだけが民族、文化、宗教の違いを克服した『普遍帝国』を実現できたのか」ということだ。

彼女によると、「人間とは、善悪をともに持つ存在」というマキャベリの思想とローマが1200年間続いた秘訣は一脈相通じている」という。また、「ローマ時代は、天国を掲げて来世を強調するキリスト教とは異なり、現世をさらに好むようになっていったため、そのための制度を作って修正しようとしてきた」と説明している。

『ローマ人の物語』は日本でだけで、単行本14冊の累計発行部数が約220万部、単行本10冊までを28冊にした文庫版は、約540万部売れた。

完結版の出版に合わせて日本を訪れた塩野氏は、「今は体力も気力もなく、疲れている。しばらく充電期間を持つつもり」と話した。


塩野七生氏「日本と韓国の仲が悪くて喜ぶのは中国だけ」塩野七生インタビュー(上)(朝鮮日報)
 「ローマにはフランスのベルサイユ宮殿のような個人的な遺跡はない。リーダーが業績を残したい時は、大衆に必要な公共建築物を寄贈した。それが会堂と神殿だ。エジプトのピラミッドもすばらしいが、1人の人間のためのものだ。ローマ人たちはすべての人々が住み、生きている間に利用できるものを作った。私はこのような民族が好きだ。リーダーは大衆のために働くべきで、私腹を肥やしてはならない」

 韓日両国にローマ史ブームを巻き起こした塩野七生氏(69)は先週、『ローマ人の物語』の最終巻となる第15巻を出版、16日に韓国人記者とインタビューを行った。1992年から毎年1冊ずつ出されたこの最終巻のタイトルは『ローマ世界の終焉』だ。同シリーズは日本で200万部(文庫本は550万部)、韓国では200万部以上売れた。

―『ローマ人の物語』を書いた最大の理由は? 

 「すべての人種が共に平和に暮らせる時代があったことを書きたかったからだ。宗教も、趣向も、食べ物も違う人々がローマ世界の中では一緒に暮らしていた時代があった。現在、私たちは21世紀に生きているが、考え方が違うという理由で互いに脅威を与え、認めない」

―『ローマ人の物語』を書き上げた感想は? 

 「頭がからっぽになった気がする。これまでは本が出てもインタビューをほとんど受けなかった。今回は15年分のインタビューをすることになる。今やっと夏休みや冬休みが取れるようになった。『ローマ人の物語』を7世紀で終わらせた理由は、国家の終末ではなく、文明の終末を書きたかったからだ。私はある一国の歴史ではなく、文明の歴史を書いた」

―ローマが覇権国家になれた理由は? 

 「自分たちローマ人がすべてをやろうとしは考えなかったからだ。他国人のほうが優れていれば、その人たちに任せた」

―韓中日3カ国は独島(日本名:竹島)問題、北朝鮮の核問題、歴史論争などで対立している。ローマの歴史から解決策を得るとしたら?
 
 「もともと、隣国とはうまくいかないものだ。うまくいくほうがおかしい。戦争さえ起こらなければ、うまくいっていると言える。歴史的事実は考え方が違っても共有できるが、歴史に対する認識は共有できない。独島問題を例に挙げれば、日本では“竹島の歴史はこうだ”と書き、韓国は“独島の歴史はああだ”と書くだろう。2種類の見方、2冊の本を作ればいい。宗教的熱狂とナショナリズムを排除し、冷静に妥協点を探せば、独島問題はもっと簡単に解決できるだろう。日本と韓国の仲が悪くて喜ぶのは中国だけだ。中国が喜ぶだけなのに両国がこのようにいがみ合っていていいのだろうか」

東京=イ・ハンス記者
塩野七生氏「政治家は自分の知らない歴史を語るな」 塩野七生インタビュー(下)
―「マルクス・アウレリウスは賢帝だったにもかかわらず衰退の兆しを見せた」と書いているが、有能なリーダーと国家の興亡は比例関係にある? 

 「マキャヴェリはこう言った。“リーダーに必要な条件は3つある。第1にヴィルトゥ、すなわち能力。第2にフォルトゥーナ、つまり運。そして最後はそのリーダーが時代に合うかどうかだ”。自分を必要とする時代に生まれなければ能力を発揮することはできない」

―ローマ時代と比べると、最近のアメリカの対外政策はどうだろうか? 

 「パックス・アメリカーナ(超大国であるアメリカがもたらす平和)は存在しない。アメリカは覚悟も意志もない。“ヘゲモニー(支配者が一般民を内面的に服従させる力)”と“パックス(平和)”は別個だ」

―力強いリーダーシップは力強い権力から出ると書いている。シーザーのようなリーダー像は現代の民主国家にも可能? 

 「不可能だ。なぜなら、政治制度が昔とは違うからだ。日本や韓国のように議会民主主義国家では不可能だ」

―政治家たちは歴史を口にすることがある。歴史と政治の関係をどう思う? 
 「政治家は政治をすればよい。自分たちが知らないことは口にすべきでない。政治家が言うことは信じないほうがいい」

 塩野氏は「今も原稿は手書き」と話す。『ローマ人の物語』第15巻は400字詰め原稿用紙で1万500枚分にもなる。ローマ在住の彼女は、本の出版のため日本に滞在中だ。これまで「もしかしたら病気が見つかるのでは(そのために執筆が中断するのでは)と心配で医者に行くこともできなかった」と打ち明けた。塩野氏は「独島発言のせいで韓国で不売運動が起きたらどうしよう」と冗談で笑わせた。韓国語版は来月末に出版予定。

東京=イ・ハンス記者
【萬物相】「ローマ人の物語」(朝鮮日報)
 英国オックスフォード大を中退した20代の青年エドワード・ギボンがヨーロッパ旅行に出かけローマに到着したのは1764年のことだった。古代遺跡「フォロ・ロマーノ」に感銘を受けたギボンはローマ滅亡の歴史を書くことを決心した。

 12年後に最初の本が完成し、それから12年かけて6冊の続編を著した。このトラヤヌス皇帝からビザンチン帝国の滅亡までの1300年にわたる歴史をつづった『ローマ帝国衰亡史」は不朽の名作としてその名をとどろかせている。

 ギボンは生前、「わたしは遠からず姿を消すが、わたしの本は永遠に残るだろう」と語っていた。

 日本の学習院大学を卒業した20代の女性、塩野七生がイタリアに渡ったのは1963年のことだった。高校生の時にホーマーの「イリアス」に心酔した彼女は、ヨーロッパや北アフリカ・小アジアを旅行し、西洋文明の魅力にとりつかれた。

 1970年から再度イタリアに渡った塩野は、日本でルネサンス時代を扱った作品を相次いで発表し、作家活動に入った。それから1980年代後半に古代ローマの始まりから滅亡までの2000年におよぶ歴史を記録する壮大な作業を開始した。

 塩野は1992年に『ローマ人の物語』の第1巻、『ローマは一日にして成らず』を発表し、「今後15年間に毎年一冊のペースで出版する」と宣言した。

 昨日、日本で第15巻の『ローマ世界の終焉』が発売され、塩野はこの約束を守った。ギボンに続き、ローマをめぐるライフワークに終止符を打ったのだ。

 『ローマ人の物語』は日本で540万部を売った。また韓国でも1995年に第1巻が翻訳されてから、200万部以上を売った。

 韓国と日本で『ローマ人の物語』が絶大な人気を得ているのは、まずは内容がおもしろいからだ。塩野の作品は歴史書と小説の結合体という意味で、「歴史評説」と呼ばれている。知的好奇心を満足させる豊富な情報量に加え、教訓に富んだ娯楽小説の一面を併せ持っている。

 塩野本人が「東洋人の書いた西洋史」であると強調しているように、道路・首都・医療といったローマの基盤施設(インフラストラクチャー)や支配層の道徳的責任(ノブレス・オブリージュ)に目を向ける発想も、韓国や日本の読者の時代的ニーズによく応えている。

 もちろん批判もないわけではない。ローマに対する過度な愛情を持つが故に、その初期のライバルであったギリシャに大して否定的な視点が目につくとか、マキャヴェリの崇拝者として権力主義・現実主義に偏っているといった指摘が上がっている。

 しかし一年の半分を資料収集と現地調査に費やし、残りの半分を著作活動に没頭するという徹底したプロ精神は、誰もが認めざるを得ない。東アジアに「塩野旋風」を巻き起こした彼女の姿勢から、韓国の作家たちも多くを学ぶべきだろう。




俺がこうして引用を大量に載せているのは
新聞系は とにかく記事を消してしまう から、ただそれだけ。




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「ローマ人の物語」の読みどころ【まとめ】
( 以上 情報リンク元は わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる 様 より )





2ch検索: [塩野七生]

【韓国】 「ローマ人の物語」完結した塩野七生インタビュー「竹島(独島)は小さな問題」[12/16]  @東アジアニュース速報+ 2ch
121 :ロンメル銭湯兵 ◆ahODwUhasI :2006/12/16(土) 22:48:51 ID:6YYyV2+7
 北朝鮮人の物語

 「北朝鮮は独力では成らず」
 「マッカーサー戦記」
 「敗者の暴走」
 「金正日:誕生以前」
 「金正日:誕生以降」
 「パクス・ノースコリアーナ」
 「悪名高い将軍達」
 「危機と克服失敗」
 「愚民の世紀」
 「そろそろ終わりの終わり」
 「迷走する楽園」
 「しない努力」
 「ノムヒョンの勝利」
 「北朝鮮世界の終焉」
252 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん :2006/12/16(土) 23:43:52 ID:vhwt2YZz
 塩野七生の物の見方は、賛否両論あるだろうが、
 とにかくリアリスティックでプラグマティックということだ。
(その辺で、戦後何だかんだ言われようと繁栄を享受している日本と、
 過去のローマ帝国の類似点とか比較しているわけ)
 まあ、ナショナリストではないし、
 民族だ領土だなんだかんだでも、
 経済的に繁栄していればどうでもいいじゃん、と言うのがこの人の見方。
 ま、この板では賛よりも否が多いんだろうけど

 その点で言えば、リアリズムも実践主義も欠片もない朝鮮人とは、対極と言える
287 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん :2006/12/17(日) 00:15:10 ID:NS631SRQ
 도쿄=이한수기자 hslee@chosun.com
 입력 : 2006.12.16 19:18 / 수정 : 2006.12.16 20:49

 インタビューはきょうの午後に東京で行われて、
 夜の7時には朝鮮日報のウェブにうpされている。
 記事の原文はおそろしく長い。日本語の回答を朝鮮語に翻訳したにしては
あまりに早すぎる。
 元の記事にはインタビュー時の動画が2本各1分ずつ
 リンクされているが、もちろんインタビューのごくわずかしか録画していない。
 >>1の記事は読んでて疑わしい気がますますしてくる。
390 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん :2006/12/17(日) 03:43:57 ID:LzKb+3KA
 別に
 「韓国と日本は間違いなく理性で問題を解決出来ます。
  私が保証します。」
 と言ってる訳じゃないだろう。

 「思います」「信じます」と、
 理性的になることを一貫して呼び掛けてるだけだ。
 問題の相対化もしながらね。

 関係がうまくいかない好戦的な隣国に対しては、
 戦争に至らないための最も適切な言動だろう。

 しかも、その呼び掛けに、
 「日韓がお互いに歩み寄って云々」などの
 日本側の譲歩を含む表現を一切用いていない。

 一貫しているのは、
 日本は日本、韓国は韓国。

 お見事だと思うけどな。
397 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん :2006/12/17(日) 04:13:53 ID:R8AWnCpB
 自分の本の内容に関してのインタビューと思ったら、
 竹島の踏み絵を強要するいつもの韓国人の場違いなインタビューに、
 見識ある人なら心の中で呆れるけどね。
401 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん :2006/12/17(日) 04:21:11 ID:R8AWnCpB
 例えば、クリントイーストウッドに硫黄島からの手紙のインタビューを
お願いして、
 何でアメリカは捕鯨に反対するの?と突然聞くようなもんだろ。
409 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん :2006/12/17(日) 05:25:10 ID:qJMztD/r
 ちょうど暇で暇でハンニバル戦記を本棚から出して読んでたところに
 塩婆さんの記事が・・・

 とはいえ、私は朝鮮は壊滅さるべきと考える。

410 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん :2006/12/17(日) 05:25:52 ID:gHOfmqd3
 カトーあらわる


500 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん :2006/12/17(日) 11:04:43 ID:TlaNNVeU
 このおばさん、ローマ賛美じゃなくてただのカエサル萌えだろwww
 あのハゲがいなかったらここまでローマにのめりこんでねえよ

503 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん :2006/12/17(日) 11:12:44 ID:HwPDF9Wx
 >>500
 ああ、確かにカエサル萌えだ。読んでて恥ずかしくなってくるくらいの。

 ただ、ユリアヌス帝とか、「俺は哲学者だぁ〜」とか言って、
 爪も髪ものばし放題でキチガイ儀式をする無様な有様とか、
 コンスタンティヌス帝の寄生虫、
 キリスト教の坊主どもが、コンスタンティヌス帝が戦争に勝っても負けても、
 オノレラの都合のいい様に、神様のお告げを言うあたりとか、
 全然書いてない。塩野女史の本には。

 まあ、女だからね。ダメ男の記述はしたくないのかもな。五賢帝以降、
 ローマは基本的にこういう奴ばっかりなんだけど。


509 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん :2006/12/17(日) 11:57:59 ID:57uD+U5F
 >>503
 カエサル萌えは、しかたがないんじゃないかなぁ。

 「人はみたいと欲する現実しか見ようとしない」
 「どんなに悪い事例とされていることでも、
  それが始められたそもそものきっかけは立派なものであった」

 こんなことを2000年前に言った上に、
 政治的・軍事的にも天才だったんだから、俺だって萌えそうになる。
 まぁ、個人的には、カエサルほどの天才性はなかったものの、
 持てる政治的能力をフルに発揮して、
 長い年月をかけて地道に皇帝制を作りあげた
 オクタビアヌスの方が気に入っているんだけど。
513 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん :2006/12/17(日) 12:09:38 ID:ueKGCjDa
 >>503
 腐女子でもここまで昇華できれば立派だw
 カエサルだけでなく、チェザーレやメフメト2世萌でもあるだろうしw
 チェザーレの時は、恋して嵌り込んで書いたとか言っているしね。

 あと、塩野さんが書きたいと言っていたが、
 日本に馴染みがさなすぎて、書けないでいるって言うのは、
 ノルマン・シチリア王国のロゲリウス2世の事なのかな?

 多文化国家シチリア王国、ロゲリウスは
 長身、無遠慮、無慈悲、野心家、完璧主義者・・・。
 塩野好みだと思うけど。


555 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん :2006/12/18(月) 09:35:00 ID:Wa429Izh
 >>1 【あらすじ】

 <丶`∀´> 「アジアと日本の今の関係をどう思うニカ?」

 ( ´・ω・) 「隣国同士の関係なんて、戦争が起きてない状態で十分上手くいってる方やがなー」

 <丶`∀´> 「竹島領土問題について、どう思うニカ?」

 ( ´・ω・) 「専門家じゃねー俺に聞いても、仕方ねーがなー」

 <丶`∀´> 「潘基文が国連事務総長になったニダが、羨ましいニカ?」

 ( ´・ω・) 「この大変な時期に微妙な立場に就いちゃって、素直に同情しちゃうがなー」

 <丶`∀´> 「最後に一言どうぞニダ」

 ( ´・ω・) 「この記事のせいで、不買運動が起きたら困るがなー」 つか、本の取材をしろって。



【ローマ人の物語】塩野七生作品を語ろう!!4 @世界史 2ch
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『ローマ世界の終焉』 - A Diary

『キリストの勝利 ローマ人の物語XIV』 - A Diary

ローマ人の物語 - 千駄ヶ谷日記
読んだこと無い人には申し訳ない書き方をしますが、
最初の方はそれほどでもなかったローマという共同体の擬人化が
作者のこの言葉通り、後半につれてどんどん増すことになります。
「ローマ人の物語」を読む限りでは、ローマ人の中で確固とした個性を持った人物の
登場頻度が少なくなるのと歩調を合わせるように。
ローマが衰退するにつれて登場人物達の後ろに見える「ローマ人」という言葉の存在感が
どんどん大きくなってきます。
そして第XV巻で迎えたローマとローマ人の死。

今までの流れを思い出しながら読むと、
若かりし頃から壮年に至るまで、外面、内面ともに成長を遂げた人が、
老年になるに従って自らの重さに耐えかねるようにゆっくりと崩れ落ちたのが
ローマの歴史であり、ローマ人の物語ではないのか、とすら思えるのです。
国家にこういう言葉は使ってはいけないのでしょうが、
「ローマは天寿を全うした」という表現がしっくり思えるほどに。


祝:塩野七生「ローマ人の物語」全15巻完結 - ふくろうの城

『ローマ人の物語15』 - 〜一日千秋 〜

ローマ人の物語XV ローマ世界の終焉 [塩野七生] - 廃人日記

読レビュー(19) 塩野七生『ローマ人の物語』 - むるる日記。

ローマ人と肩こり - 均是一民

「建築はしぶとい」

ローマ人の物語XV ローマ世界の終焉 - 趣味の迷宮

ローマ人の物語 - なんとなくblog2




神々
 私は神々をそれなりに信じている。神々の百人や二百人、百万人や八百万人、いた方が面白いと思う。
 一神教の概念となると、私は「萌え」と同じくらい理解できないが、それはこの国にいるのが八百万の神々だからだろう。キリスト教に関しては、天照大神とユピテルも神として認めてもらえれば改宗してもいいと思っているくらいだ。もちろん、これは一神教をバカにしている考えだけど、仕方ない。仕方ないでは済まないけど、仕方ない。
 しかし、あれかね。神々がいた方が面白いからなんて理由じゃ、不信心かな?でも、これが許されるのも、多神教のいいとこだと思うけど。
そんなこと言ったら メガテンなんかは焚書モノだわなw
女神転生U(FC)の物語をバチカンが知ったら国交断絶モノだろうしなぁwww


「日本」や「日本人」は日本民族だけのものじゃない

「群衆の叡知」ではなく「叡智の群衆化」

ローマ人の物語完結記念に塩野七生【コンスタンティノープルの陥落】2006-12-19
『西欧の人々にとって、ローマ帝国最後の皇帝は、紅の大マントを風になびかせながら、白馬を駆って、天空の彼方に永遠に去ってしまったのである。』

読み終えてから、後悔した。
『ローマ人の物語』を読破する前に、ローマ帝国の終焉を読んでしまった。
今頃気づいても遅い。


私は塩野七生氏が嫌いだ〜「ローマ人の物語」やっと完結〜

善意について

カンナバーロとファビウス家といとうやまねさん
うはwwww



ネットを使う層は 比較的に若くなるせいもあるだろうが
予想よりも 相当に若い層から 読まれていることが
ブログを拾っていての印象だった。
高校生の頃から読み始めた とかも 多く目に付いた。
日本という共同体の教育水準は高かった(過去形)ということかなぁ。
ローマ人の物語の内容的には
本来は比較的に高い年齢層が読者になると予想されていただろうが、
読みやすい塩野七生の文体ゆえに
高校の頃に チョットだけかじった古代ローマとはなんぞや
という若者も取り込みやすかった部分もあろうと思う。

ところが世界史が履修されなく
ゆとり教育の子供達の教育水準の劣化が止められなくなっている今
その入り口が閉ざされつつある。

人は 歴史から学ぶことができても
人間は 歴史から学ぶことしかできないのかもしれない。
人類は 歴史を繰り返すしかできないのだろう。
日本という共同体の歴史が 今後とも存続できるという考えは
現状を考えれば考えるほどに 安易すぎる気がしてならないが、
これも俺の妄想の所産にすぎないのだろうなぁ。



posted by 誠 at 19:20| Comment(0) | TrackBack(0) | (゚∀゚) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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