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2013年04月20日

311以降の 社会共同体 としての「文化振興」の戦略目標とは。

TPP
ttp://gamayauber1001.wordpress.com/2013/03/17/tpp/


世界中で最もTPPが話題になっているのは日本だと思う。

もっかTPPいいだしっぺの国に住んでいるわしがそう言うのだから間違いはないのではなかろーか。
そのニュージーランドでも、グローバリズム反対の運動家のひとびとがTPPに反対している、
という小さなニュースを二三度みたことがある。
しかし、ふつーのひとは、「TPPって、まだあれやってたのか」というくらいの反応で、
最近になって「日本でTPPに反対する運動が盛り上がっている」というニュースが英語圏で立て続けに流れて、
へえええー、日本の人ってTPPに反対なんだ、韓国と同じで農家が嫌がっているのだな、
と思う、その程度だと思います。

だから、よもや自分がブログ記事でTPPについて書くことになるとは思わなかったが、
ツイッタ上のお友達にジャンミンとさよりさんというTPPには虫酸が走るひとびとがいるのであって、
約束したので140文字の制約がない文章で説明をこころみることになった。
チョーめんどくさいと思うが、約束は約束である。
まず背景から説明しないとわかるわけがない。

ニュージーランドは産品を輸出しないとやっていけない国なので、
ワインだの乳製品だのを他の国に売らないと国がつぶれてしまう。
むかしは
 アルミニウムの精錬や日本や連合王国やアメリカの会社に来てもらって
 クルマを製造して稼ごうと考えたことがあったが、
 「国内産業を保護する」ということが
 いかに国民ひとりひとりのふところに打撃がおおきいかわかった
ので、やめることにした。
 別に保護しなくても他国と競争して勝てる産業を野放しにしておく方針のほうが
 国民ひとりひとりの懐がゆたかになる
のがわかったからです。
 アルミニウムの精錬は大金を投資したが、全部ぶちすてることに決めた。
 クルマの製造に関わるという特殊なことをするのはやめて、
 日本やドイツ、フランスから輸入すればいいやん、
ということになった。


農業では
主に有機農業産品が伸びて収益も高いが、
 牧場で育てるもの、
  かつてはニュージーランドのアイコンであった羊
 は激減することになった。

もともと羊農家の運命は
60年代の終わりに「ジーンズ」が流行りだしたことによって決まったようなものだった。
ウールは人気がなくなってコットンが原料のものが世界中で あっというまに広まっていった時点で
産業としてはダメなのがわかっていた。

もうひとつ
羊毛を刈ったりして羊は手間がかかる上に、
草を食べるときに文字通り根こそぎ食べてしまうので、
ひとつのパドックで飼う、というわけにはいかなくて、
あちこち群れを動かさねばならない なのでチョーめんどくさい。

1990年代においては
土地が500エーカー(61万3千坪)あれば赤字でなくて損益が均衡すると言われていたが、
いまは500エーカーなんかでは全然にダメで 倍はないと無理 と思う。

「羊毛」という需要が ほぼ消滅したような市場で
人件費がずっと安い中国ともろに競争しなければならないからで、
まだオタゴを中心に羊を飼っている農家は、
 たとえばわしの友達でいうと、
 3000エーカーほどの土地の半分はデイリーカウで、
 残りのまだ荒れ地に近いほうのパドックで羊を飼っている。
 羊毛は赤字でラム肉が黒字、両方あわせてちょっと黒字、
 利益のおおかたは牛さん、
という感じであるよーだ。


ボルジャーの時代にニュージーランドは、
簡単に言えば「めんどくさいことはやめる」
という方策をとることにした。

いろいろ理由をつけて郵政を民営化してしまったり
関税をどんどん撤廃したりして「自由貿易国家」を自称しつつあるが、
ほんとうの理由は障壁を残しておくと役人の力が増大して
役人の力が増大すると、バカなことばかりいいだして、
ものすごい金額の税金がどっかへ行ってしまうからである。

いま70代のニュージーランド人たちは、
クルマを、当時はニュージーランドの委任統治領だったフィジーで買う人が多かった。

具体的な税率は忘れてしまったが、300%だかなんだかの税率で、
 クルマがないと生きていけるわけがない当時のニュージーランドで、
 なんでそんなバカなことをやっていたか
というと、
 ネルソンやなんかで細々とやっていたホールデンやモリスを「保護育成」しようとしていた
からだった。
だからフィジーで学校の先生をしたりすると、フォードを買って帰ってきた。

そこから先はこのブログでは何度も書いたことなので繰り返さないが、
年金制度国民保険制度、失業保険というような社会保障にこだわるあまり、
国の倒産寸前まで行って、
ボルジャーの代になって、
「あれは無政府になるまでやるな」
と冗談が国民のあいだで行われるほど政府を小さくした。
役人の数と権限を減らして、なんでもかんでも民間でまかなうことにした。

外国資本に対する制限も大幅に撤廃したので、
途中では ものすごいことが たくさん起こって、
 森林で有名だったある地域の木が、
 ほぼ一瞬で借り倒されてなくなってしまう。

ニュージーランド人は もともとは私有地といえども公共性を考える、ということが常識で、
 たとえば、南島のオタゴの農場は
 トランピングで歩いてゆくひとたちのために
 農場のゲートに鍵をかけたりはしない
ことになっている。
その代わり、
 トランピングで歩いて移動するひとたちは、
 パドックの動物が逃げてしまわないように
 必ず閂をおろしてゆく。

Shania Twain
http://en.wikipedia.org/wiki/Shania_Twain
が巨大な農場を買ったときに、
そういうことが判らないで、ゲートに鍵をかけたことに
ニュージーランド人が憤激して大騒ぎになったのは、
カナダ人であるShania Twainがそういうニュージーランドの習慣を無視したからだった。

ところがゲートに鍵をかけるどころか
「自分の土地だから」という理由で景観の中心をなす木をえらい勢いで切り倒してしまったひとが出て、
あわててテレビ局が調べてみると、マレーシア国籍の中国人たちが一帯の森を買い占めていた。

あるいは、こちらはもっとずっとあとのことになるが、
やはり中国系企業群が いつのまにか主立った酪農農場を買い占めているのが発覚して大騒ぎになった。

それが商売なので新聞記者たちが調査してみると、
この「中国系企業群」が どうやら実はひとりの中国人の女の人が名義上は持ち主で、
しかもほんとうの持ち主は中国政府らしいことがわかって大騒ぎは 更に増す となる。

いったんは、デイリーボード(酪農組合っす)の主張がとおって農場の売買契約は無効になったが、
中国側が控訴して、結局は手続き上瑕疵がないのだから契約は有効だ
ということになって、ニュージーランド人たちの不満をよそに農場は実質的に中国のものになった。

スーパーマーケットに目をうつすと、
ここはオーストラリア資本とニュージーランド資本の争いで、
パックンセーブ http://www.paknsave.co.nz/

ニューワールド http://www.newworld.co.nz/
はニュージーランド資本、
カウントダウン http://www.countdown.co.nz/
はオーストラリア資本
で、容赦の無い戦い。

というか、
ワインひとつとっても
片方がTaylorのシラズを14.9ドルで売れば、
もう片方はすかさず13.9ドルで大量に販売する、
というふうで、
わしはニューワールドがむかしから好きだが、
ときどきカウントダウンにも行って、なんでも安いほうで買います。

電話局もそうで、
ニュージーランド最大の電話会社テレコムはお決まりの分割民営化で、
民間会社になって、競争も自由化されて、ブリティッシュテレコムが買い取って、
あとでオーストラリアのテルストラに転売したクリアー・テルストラ、
アメリカのベライゾンが所有しているテレコム、
多国籍資本のボダフォン、入り乱れておる。

銀行にいたっては、
経済に明るい義理叔父ですら、BNZ、Bank of New Zealandがオーストラリアの銀行である
ことを理解するのにガキわしに説明されても、事態が理解できるのに暫時を要したのをおぼえている。

ニュージーランドの銀行はすべて外国に買い取られてしまっていて、
ジム・アンダートンという経済がぜんぜん理解できない情けない政治家のおっさんが
「ニュージーランド資本の銀行がひとつはないと困る」
という何の根拠もないバカ説をとなえて「Kiwibank」を2001年にでっちあげたが、
銀行といえど ただのショーバイ なので、
こんなものがうまくいくわけはなくて、ショボイ事業を ほそぼそと続けているだけである。

書いていてもだんだん飽きてきたが、説明の前提なのだからやむをえない。

「ニュージーランド人のプライド」であることになっているエア・ニュージーランドも
シンガポール航空に泣きついて、
いったん、すきさえあれば競争者に圧力をかけて廃業させ
独占市場をつくって航空券代を上げることしか考えなかった頭の悪い当時の経営陣
から政府が買い取った株式をシンガポール航空で買ってもらって経営の方法を教わることにした。
いまは買い戻して、またいったんニュージーランド政府がもっているのだと思います。

義理叔父のように
「日本人が見ている世界のほうが特殊な映像なのだ」
と よく知っている人でも
ニュージーランドに来ると、うっそおおお、と思うことが よくあるもの の よーである。

こーゆーのも、国っていうのかなあー、と言って驚く。

なにしろ国民の2割近くが外国に就職して、
一方では連合王国を中心とする欧州やインドや中東あるいは南アフリカから
続々と移民の形でひとが入ってくる。

ニュージーランドに生まれて医学教育の水準が高いデニーデン大学やなんかで教育を受けた医者たちは、
どんどん給料が高いアメリカや連合王国や豪州へ行って、
故国に不満がある中東の女医さんたちや、ロシア人東欧人医師たち、インドの医師たちが
ニュージーランドで医師や歯科医になっている。

名前がよい住宅地ということになっているハーンベイやポンソンビー、
同じ高級住宅地でも保守的な人間が多く住んでいるせいで
全体にしろっぽいリミュエラでも、
たとえば海側にあるわし家から見ると
リミュエラでも丘の反対側にある南アフリカ人の友達の家に行くと、
活発な人が住む土地柄を反映して、
その友達の家の隣はドイツ人、香港人、香港人とイギリス人の夫婦、インド人、ジンバブエ人
というふうで、
ここでドイツ人と言うのは「ドイツ系人」という意味ではなくて、
実際にドイツのパスポートのまま住んでいる人達です。

クライストチャーチでぶち壊れた町の最もおおきな再建土木契約はイタリアの会社が勝ち取ったので、
イタリア人がいっぺんに越してきたり、
ニュージーランドは口の悪いひとに言わせると「ひとの多い交差点」のような社会であるとも言える。


TPPは、要するに
そういう「国なんてどうでもいいわ」というニュージーランド社会の思想から生まれてきたもので、
それを一生懸命に
 リバタリアン、リベラリストと言って本の紙魚から教わったような用語を使って考えようとするひとがいる
が、なんだか滑稽であると思う。

日本の人が すぐにそういう「用語」をふりまわしたがるのは
役所の会議室のテーブルで経済を「指導」できると考えるお国柄
と共通のなにかがあるからでしょう。

こーゆーと、憤激する人がたくさんいるのはわかっているが、
銀行を他国民に買われたらどうする、
保険がアメリカ巨大保険資本に支配されたらどうなる
と思ってるんだ、と日本の人がTPPを過大に見積もって話しているのを横から眺めていると、
うーむ、そんなことが問題になるのかあー、と思う。

ニュージーランド人も、
かつてのように医療がただで生活保護からなにからチョー手厚い福祉国家のまま
で いられれば そうしたかった。

しかし、理由は簡単、それを続けていれば国がつぶれるからやめちっただけです。

北欧のたとえばデンマークに行けば、
いまでも日本の人が夢見るような高福祉社会のまま国家が競争力を保っている。

その代わり生活コストはむちゃくちゃに増大して、
ぐわあああああな税金で、全然仕事しないやつも、仕事中毒のやつも、あんまり変わらない生活で、
「それでええんちゃうの?」
と言うので、たとえば10世帯がひとつのおおきな家をシェアしたりして生活している。

世代も、バックグラウンドも異なる他人同士が、
みんなで食卓にあつまって
14歳の女の子が初めて当番になってつくった夕食をみなで笑いさんざめきながら食べたりする生活
は楽しいものだという。

しかし、それは
北欧人の妥協のない高い生産性とヴァイキング以来の共同生活の知恵があるから出来ることで、
わがまま揃いのニュージーランド人に そんなことが出来るわけがない のは わかりきったことだった。

だからニュージーランド人は正反対の道、
 政府をおもいっきり小さくして、
 公共サービスは最小限に縮小して、
 役人も議員も数を減らしまくってクビにしまくる
という道を歩いてきた。

始めてから だいたい30年になる。

国民の意思が どのくらい徹底的か というと、
犯罪発生率が世界一になって、政府がどうしても警察を拡充したい と提議したときも
国民は「税金がかかることをやらんでもいい」と言って反対して政府の治安増強案をつぶしてしまった。
「おおきな政府」がいかに有害かということを身にしみて知っていたからです。

わしガキ初期の頃は白人ばっかしで、
あいつはウエールズ人だからケチだ、
というような会話が横行していて、
学校ではまだオランダ人の子供がいじめられていたりしたニュージーランドは、
20年でまったく別の社会になって、いつかも書いた

http://gamayauber1001.wordpress.com/2012/03/15/%E3%82%BF%E3%83%96%E3%83%B3%E3%82%AB/

のように、
いろいろな肌のいろの人、さまざまな母語の人、宗教が異なる人間たちが
みなで折り合いをつけて、国だかなんだかよくわからないが
「ニュージーランド」と名前のついた、
この自分たちの小さな家を守っていこう
と決心したひとびとが集まる場所になった。

ベールをかぶっているが、
ニュージーランドに来て初めてブルカを脱いだ中東食材店のねーちんに、
「なんでこの国にいるの?」と聞けば
「ここでしか幸福でないから」と答えるだろう。

ニュージーランドの社会は20余年の七転八倒の末に、
ようやっと、「自分達と異なる人間とどうやって折り合いをつければよいか」ということを学んだ。


TPP
http://www.tradeworks.org.nz/tpp-unwrapped/

はもともとは、
だから、いまの姿と異なってニュージーランド人式考えの輸出であるとも言える。

見れば判ることだが
念のために述べると上のリンクはTPP推進派のウエブページだが、
TPP自体の考えはこれでも十分わかると思う。


この小国が小国に提案するものとして生まれたTPPを、
もっとおおきな国際政治のなかで利用しようとするひとたちがいるのは事実である。

書いた途端にさっそく脅迫状みたいなものをもらって笑ってしまったが、
3年前に書いた「ヒラリー・クリントンの奇妙な提案」という短いブログ記事がある。

ヒラリー・クリントンの奇妙な提案
http://gamayauber1001.wordpress.com/2010/01/24/%E3%83%92%E3%83%A9%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%B3%E3%81%AE%E5%A5%87%E5%A6%99%E3%81%AA%E6%8F%90%E6%A1%88/

あのあと、ヒラリー・クリントンは「アメリカ絶対国防圏の再編成」という大仕事を
見事な手際ですすめて完成してしまったが、
経済外交の上でもTPPを拾い上げて、あっというまにアメリカの経済関係再編成の道具に変えてしまった。

軍事的な国防圏の縮小も経済も南太平洋におおきく軸足を移動させた行き方で、
これは中国が強大になったときのための準備であるのは誰の目にも明らかであると思う。

ケビン・ラッドとの緊張関係だけが頭痛のたねだったと思うが、
これもここに書く事柄ではない理由によってあっさり解決してみせた。

アメリカがTPPを理屈の絵柄を
そのまま鵜呑みにしたふりをして 自分の経済外交の道具 として使いだしたのは見事な着眼である
とは思う。

日本や韓国のような悪名高い保護貿易国家は
これによって窮地に陥ることになった(その後韓国はアメリカとのFTAという逃げ道にはいった)し、
アメリカが銃口を定めている相手である中国は
唇をかみしめてアメリカが角筋から指してきた手の重圧に耐えることになった。


ついでに余計なことを書くと、
ボルジャーは郵政を民営化するときに議論の場をつくらなかった。
ニュージーランドの首相になったときに、
 選挙の最大争点が郵政民営化だったので、
 自分が首相に選ばれた ということは 郵政民営化を国民が信任していることなのだから必要はない、
と述べていた。

ずっとあとになってインタビューに答えたボルジャーは
「関係各人の切迫した利害が複雑にからみあっている問題で公開討論なんてやったら、
 もうそこで郵政民営化を諦めたのと同じことで、
 郵政民営化を拒むひとびとが
 『公開討論にもちこめれば郵政民営化は100%なくなる』
 と考えていたのを知っていた」
と述べている。

わしはボルジャーは嫌いな政治家のほうにはいるが、
このひとことにはニュージーランドが民主主義国家であることの誇りが籠もっている。

会社の経営でもなんでもそうだが、
 おおぜいの参加者がみな納得するまで議論をつくそう
という考えでなんらかの改革が達成できた例はいままでにはない。

新しい考えをつぶしてしまうためには、
「みなで話し合うことが民主主義なのだから、これからじっくり議論しましょう」
という意見を笑顔でのべて参加者がうなづけば、それでもう新しい考えをつぶしたのと同じである
ことは、組織のなかで改革を起こそうとした経験があるひとにとっては常識以前の問題である。

民主主義は
 国民の意思で自分達の社会を変革する指導者
 に 改革と それに必要な権力を委託すること
  と、
 必要なときにそれを奪うこと
で実効性をもつ。

選挙と間断ないポールはそのためにある。
いつまでも いつまでも 自分の信じる意見を述べあって
「意見をだしつくす」民主主義
など、わしは日本に来るまで見たことがなかった。

それは原理的なことを考えるためには有効な場合もあるのかもしれないが
政治の制度ではありえないと思う。


ツイッタでも述べたが、
 では日本がTPPを受けいれ、
 移民や現在の世界のグローバリズムを受けいれて
 ニュージーランド式のマルチカルチュラル社会でやっていけるか
というと、わしは、無理だんび、と思っている。

日本のひとは、
 「日本」という極めて特殊な社会をつくって、
 そこから(半島人を含む)外国人を締め出すこと
によって安らぎを感じてきた。

日本人にとっては「外国のもの」である ということは、
ただもうそれだけで受けいれがたいのだ と思う。

カタカナ外来語というものが ちょうどそうだが、
根幹でないどうでもよいところには日本の人はカタカナ語を好んで使う。
「エネルギーのコストパフォーマンスを考えれば一層のイノベーションが望まれるがハードルは高い」
というような文章を冗談としてではなくて普通に書いてしまう。

だが英語ならば
rendez-vousというようなフランス語がそのまま動詞として使われたり、
Help me! に対してAssist me.があるというようなことは構造の上からも起こらなかった。

「どうでもいいところだけ飾りとして外国語を用いる」
ということが、日本語だけではなくて日本全体の社会の姿勢になって、
たとえば日本の米が不作だったときにタイ米を大量に輸入して、
「不味い米を我慢して食べた」
と述べることが どれほどタイ人たちに とっておおきな屈辱か理解できなかった
ほどに「日本のものが最高」が ほとんど批判の余地がないもの として当たり前になっている。

あるいは家のフランス人たちがビデオを観て腰を抜かしていたが、
 週末になれば「韓国人を皆殺しにしろ」と正気で叫んで歩く群衆が
 警察に守られて歩く「民主主義」の国
である。

日本ではゼノフォビアこそが国のアイデンティティである
のは、多分、中国の影響を排除して「日本」でいることが日本という国の歴史そのものだったからだろう。

強烈な文明の力をもった中国文明の隣にいて、
漢文の読み下しから生まれただろう「かな」のマイクロ文明は、
ちょうど漢文と漢文のあいだに書き込まれた余白のかなそのもののようにして、
薄い板一枚をみなで背伸びして両手をいっぱいにひろげて虚勢を張ることによって
中国文明に呑み込まれることを防いできた。

その中国をさえ一蹴する巨大な純粋暴力である西洋文明があらわれると
日本人は狼狽して、その暴力を模倣したが、
それは絵に描いたような見よう見まねで、まるで子供が与太っているようなものだった。

明治時代の西洋文明受容期ですら北海の文明への感受性をもたなかった日本人には、
たとえばイギリス人やアメリカ人の得体が知れない、すさまじい暴力性がどこから来たものか、
見当もつかないまま1945年の瓦礫の上に座り込んで死を待ったに違いない。

だから
 TPP、というよりも日本人の目にはTPPが象徴している と見えているもの
を日本人が受けいれていけるとは、わしは思わない。

仮に
 協定に手をあげて これから参加して、意外なことをいうと思うかもしれないが 可能性は半々だと思うが、
  じゃ、日本もTPPに参加していいや、ということになって、
  それで日本がTPPが象徴する世界を生きていけるか
というと、そんなことはありえない気がする。

では、
 いったい日本はどうすればいいのかというと、それをこれからみなで一緒に考えよう、
としているところなのです。

良い説明だけど、詐欺は一瞬の内に奪って逃げていく も基本なのでね。

そして“「日本人と日本」という観点すら詐欺と詐術でしか無い”なんて話は
おそらくに完全に思考の範囲外の人達の反応とは こういうモノで有ろう。

だから俺は 自分達は何者なのか? をから論理構築していく事から始めてきた。
其処に何年も費やしてきた。

ニュージーランド人が何者なのか? を再構築した先に 其れ が有るのならば
俺は
 “「日本人と日本」という観点すら詐欺と詐術でしか無い”の先を再構築しなければならない
と考えてきた。

つまり TPP やらなんやらの話の それ以前の問題すら 微塵にも解決していない、
のだから 其処に国家やら民主主義やらの話を持ち込んだ所で全くに意味が無い。

ニホンジンのコッカのニホン それ自体が詐欺を前提に成立している、
と言う事から話を始めなければならないのに
其れを完全に無視して政治の話をして 何の意味を構築できるの?


海外から見れば特殊に見える? 当り前だ。
多神教で文明人の社会共同体 を これほど広範に先行して巨大に構築してきている
という点では 現状のニュージーランドと酷似しているのだろうが、
 其れを収奪する目的の為だけに
 ニホンジンのコッカのニホンと一神教で野蛮人な宗教右翼カルトの集団が
 「日本人と日本」という造語を作っての詐欺を150年に繰り返してきていて
 65年前からは宗主国サマが一緒になって詐欺をしている
という観点については 世界中の誰も言ってこなかったんだからね。

現状のニュージーランドが民間の力で良くなっている?
其れを
 何百年もやってきた 今は一億人以上でやってきた のが 極東の一諸島の多神教で文明人の社会共同体 
である。
だから 猛烈な経済大国 なのだ。
人的資源しか無い なのに極東の一諸島の多神教で文明人の社会共同体 の経済は強力無比なのだ。
「日本人と日本」とは 其れを収奪している連中の詐欺と詐術の言葉でしかない。
俺達とは一切に無関係な詐欺師の連中の詭弁でしかない。
其の先の宗主国サマの詐欺が加わる話の先にTPPがある。

此の構図を無視しての TPP の話は、詐欺をする連中の詭弁の道具としかならない。
もっとも
 極東の一諸島の多神教で文明人の社会共同体 の中に居る者達ですら
 殆どに 此の詐欺の構図が理解できていない
のだから
 海外に居る人間 からは理解の範疇を越える
というのは 仕方が無い事なんだろうな とも思う。


俺は
 明治維新 以降の150年の頚木を
 戦後 以降の65年の頚木を
 20世紀のイデオロギーの残滓の頚木を
 ニホンジンの右手と左手の頚木を
 その全てを 温故にして知新として 解きほぐして
そうして 其の先を考えなければならない と考えてきた。

其の前に 311が起き
被曝と汚染の中で腐海に沈む の中で生きていかなければならなくなった。

被曝と汚染すら詐欺の道具に使う連中は
 縊り殺される俺達と羊に差は無い
と考えるのであろう。

千葉市の俺の目の前のガイガーカウンターのSOEKSはγ線とβ線で常時に0.18前後を示す。
コレが人の住む環境か?
この 人の生きる道 を完全に蔑ろにする、が人のする事か?

其れでも尚に
 死ぬまで収奪をされろ 
 家畜に人権は無い
を受け入れろ?
既にして千葉は そういう土地でしか無い。
これが 極東の一諸島の現実だ。
そこにTPPを? バカジャネーノ?


俺はね、だから 核の焦土作戦 を言うしか無かった。
 腐海の中の地獄の底で 血を吐きながら それでも俺なりにボチボチと生きていく
と言うしかない、と考えた。

こんなモノしか後世へ届けられない己が無力と無能を恥じる。





https://twitter.com/Meretseger2/status/325285243902885888
虹裏でアメリカ絶賛スレが立ち始めた
http://may.2chan.net/b/res/186815739.htm

https://twitter.com/Meretseger2/status/325307670984802304
今日は親米の印象操作に必死すぎないか。やっぱTPPが強引すぎたんだろか
ボストンマラソンの情報が入った直後はテロという言葉を全く使わなかったくせして
 大本営発表で一斉に「テロ」という言葉を 週末からマスコミ新聞テレビ大手メディアで使いだす
という下手な情報工作をしているからねぇw
色々と必死さが伝わるw と同時に さて何を画策しているのかな? としか言いようが無い。




前回の記事は 文字数が限界を越えたので 此方に加筆をする。

https://twitter.com/Meretseger2/status/323990395048566784
誠天様はgoogle等の大企業に支配されたネット情報に対抗できる
すばらしいノウハウを開拓したと思います
素晴らしいかどうかは別にして 俺は俺なりに挑もう とは思ってきただけなんですけどね。

検索に負けない、なんて事を IT関係の知識人(笑)などなどは 絶対に言わないだろうからね。
俺なんかは普通に日々に考える 猛烈に検索から弾かれまくる誠天調書 という更新の現場でだからこそ ね。
ただただ それだけの事だ。

厳格な階級序列の支配統制に ただただ甘んじて生きていく に疑問を持てない程度なウツクシイ人達には
俺の生き方の 大体こんな感じ は微塵にも理解できないんだろうけどさ。

さりとて
 厳格な階級序列を否定しては「何が何でも平等」な旧式左翼をカルトにしてしまう人達
もまた 「緩やかな階級序列」の大体こんな感じ を理解できないんだろうけどね。


https://twitter.com/hiroewelson/status/324402784101359616
アメリカ人に言われた。
日本人は選挙で候補者を選び、その人達に政治を任せる事が民主主義だと勘違いしていると。
人任せでは変わらない.
自分たちが世の中を変えるのだと言う意気込みがない国には、民主主義は成り立たないと。
図星。
惜しいなw 分かって無いな、言う側も言われた側も。
言いたい気持ちは分かるけど。
良い線は突いているが、図星では全くに無く、的も外している。

必要なのは 意気込み ではなく、多神教で文明人の社会共同体に則した民主主義の啓蒙 である。
一神教で蛮族野蛮人 もしくは 一神教で文明人 な アメリカという国の住人ならばこそ
其の苛烈な階級闘争が前提に有ればこそ 意気込み と精神論を言うが民主主義と一緒になったりもする。


多神教で文明人の社会共同体の民主主義に必要なのは 下士官層の構築 である。
それは「SPQR」に似ている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/SPQR
その意味は
「元老院とローマの人民(市民) Senatus Populusque Romanus 」、
すなわち古代ローマの国家全体(共和政ローマ・ローマ帝国)の主権者を指す。
また、現代の「紳士淑女諸君」のように、演説などの冒頭の挨拶にも使われた。

「SPQR」の文字は、古代の国家ローマとその市民の栄光と誇りを現すものであり、
当時ローマ帝国の領域であった現在のヨーロッパや北アフリカにいたるあらゆる地域で公共物に全て刻まれ、
軍団の軍旗などにも使われた。
塩野七生は SPQR を
多神教で文明人の社会共同体 を体現する言葉として
「今まで居た者達 そして 新しく来た者達」のようにも表現していた。
俺も そう思う。


http://www.ne.jp/asahi/beneambula/redambula/symbolab.htm
正解は,Senatus Populusque Romanus「元老院ならびにローマ市民」です.Qの所がやや難しいかもしれません(-queの用い方にご注意下さい).
queは接尾語のようだ
これは,ローマが共和制をとっていた頃の理念を示す大事な言葉です.
いくら月日が経過しても,古のローマの栄光は忘れがたいものがあるのかもしれません.senatusが,アメリカやフランスなどの「上院」Senateの語源となっているのはよく知られていますね.

この感覚は
 多神教で文明人の中で緩やかな階級序列を構築してきた社会共同体に生きてきた俺達
 には自然な感覚の先に生じるだけ
な話になるのだが
 一神教で蛮族野蛮人 もしくは 一神教で文明人 な アメリカという国の住人
 には 到底に理解が不可能
となるだろう。
其の程度の言い回しに勝てない程度な者は“多神教で文明人 としての自覚が無い”とも言える。

近代民主主義 と 多神教で文明人 という概念が
 欧米至上主義な感覚の頚木から逃れられない者達から出てこない
というのは さもありなん としか言いようが無いw

だから俺なんかは「元老院ならびにローマ市民」なSPQRを
すなわち 温故知新 にして 和して同ぜず とか言い直すのにね。
別に何か特別な事を言っているという感覚なんか まるで無しに ね。
ごくごく自然で 普通にね。

今までに居た者達 そして 新しくに来た者達 すなわち多神教な多様性な人々が
和して同ぜす な文明人としての適宜な差配と寛容さを以て 上手に棲み分けながらもしながら
社会共同体として生きていく。
コミケそのもの じゃんw

これは 俺達の自然な生き方そのもの でしかない。
だからこそ 特別な事をしている という感覚すら全くに無い。


明治維新とは その伝統の断絶を造った、
一神教で野蛮人の連中ならばこそ SPQRの概念は悪魔の教えにして憎悪すべき対象ともすら映ったのだろうが
詐欺師でも有る彼らは
一神教の中にSPQRを取り込んで 同化したように見せかけながら詐欺を働く土壌を先に造る。

一神教で野蛮人なカルト宗教が 侵略へカルト宗教を利用する時に 聖人 という言葉を使う。
そんなのは 名誉白人 と同程度な意味しかないのだが、
「多神教で文明人の社会共同体 における下士官層」の
意味を理解できない 理解する気も起きない 理解した気になるだけ な
そんな馬鹿で豚にすぎない一般民衆からすれば
 聖人 と 「多神教で文明人の社会共同体 における下士官層」の意味の差異
なんかを理解する事も無く ただただ 階級序列=悪 というレッテル貼りに負ける、ともなる。


メガテンをして育った者達などにしてみれば
 自分達が一神教では無い社会共同体に育った
という事を もう少し明確に把握して 言葉とする事も可能になるのかもしれない。

けれども
宗教右翼カルトの150年の嘘デマ扇動の嵐の中で こういう観点を忘れ去っていっただけの事を者達には
 自分達の社会共同体が 一神教で野蛮人なカルト宗教によって侵略と支配統制をされている現状
すら理解の範疇を越えてしまう そんなマヌケを晒すのみとなる。

社会共同体そのものは 多神教で文明人の観念を何とか残している。
ただ21世紀初頭においては
 其の最後に残った砦すら大量虐殺と民族浄化で根絶やしにするがウツクシイ聖戦 まるでアラモそのもの
が始まっているけどね。


此処まで言ってくれる 頭の良い人達や知識人達 が居ないので
下層民で大馬鹿野郎な俺が言うしかない。
頭の良い人達や知識人達 とは 大量虐殺と民族浄化に加担する者達を指すのだろう。

俺は自分が何者なのか?を「日本人と日本」と言う根幹の言葉から考え直す事で此処まで来た。
今の俺からしたら 「日本人と日本」=名誉白人=聖人 な言葉としか思えない。
そんなのをイケシャシャアと振りかざして国粋主義的民族主義なカルト宗教を盲信する人達を キチガイ と感じない
なんて人達の方が 如何なものか とすら思うんだよね。
アレを見たら オウムと何処が違うの? としか答えようがないよね。


小沢は民主主義を根付かせる と政治家として言い続けている。
俺は 社会共同体の最下層に生きる一人だからこそ民主主義を根付かせる具体的な言い方 をもする。

誰か書いてくれないかなぁ とか思いながら だけど誰も書いてくれないしなぁ なので
俺は俺なりに書いてきた。
だから 新しく来た者達へ道の歩き方を教える事も必要なんだろうなぁ とかも思いながら。


そういえば センゴク では、 信長が あっけなく死んだ。
本能寺における兵力差を考えれば あっけなく が至極に当然だろう。
信長は 下剋上 を説き、その言葉で絶えた。
それは 多神教の「厳格な階級序列の否定」の意味でも有ろう。
そうでなければ
 比叡山を焼き討ちしたり 朝廷の権威すら重視しているように思わない
という行動を取るはずもない。
もっとも 野蛮人な殺し合い を否定もしなかったからこそ 己が言葉で暗殺をされたのだが。

秀吉は
下剋上な多神教の「厳格な階級序列の否定」 を最後の最後で乗り越える機会を本能寺で失っている。
信長を失った秀吉は だから朝廷へ取り込まれる となるのだろう。

家康は その全てを見ていった。
下剋上な多神教の「厳格な階級序列の否定」 を 政治的に文明人として乗り越える
そういう政治建築の傑作が 徳川政権な江戸幕府でも有る。
あの時代の あの情勢に適合した そういうモノだった。

そういうモノは学び直して行きたいよね。



http://www.asyura2.com/13/senkyo146/msg/477.html
「だまされていた」といつて平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう。
馬鹿で豚にすぎない一般民衆 が自力で其れを乗り越えられるはずもない。
ならば
 馬鹿で豚にすぎない一般民衆 を啓蒙し 味方にし
 そして兵卒として育てていく という不断の努力が必要である
を理解する事も出来ず その努力を怠った 頭の良い人達の罪は如何なモノなのだろうね?

此の時代の状況に合わせて だから俺は「情報流通の下士官」を口にする。



http://www.asyura2.com/13/senkyo146/msg/494.html
米国の命令を実行すると御褒美が貰える ー砂川事件の田中耕太郎最高裁長官―   孫崎 享
俺という個人は御褒美すら求めない。だからアフィの全盛時代の頃も拒絶をした。
「武士は食わねど高楊枝」という誇りと矜持を自己満足にしての責務 の観念の根幹は何処から生じるのか?
を言葉にしてきた。
其の先で この多神教で文明人の社会共同体の観念をカルト宗教が詐欺に利用する構図を見出した。
もう其処まで書かなければならない、なのに頭の良い人達や知識人達は 絶対に其処まで書かない。
処世術なのでも有ろう。

ならば俺は書く。 たった其れだけの話だ。


2009年04月19日 ttp://blog.goo.ne.jp/kokkai-blog/e/75e092455cbf26901fbaf0fa83081968
西松事件の当日、
小沢さんが特捜部の動きに気付いたのは午後1時ちょっと前だと思います。

いつもと違う声で小沢先生が、自ら電話をとって、議員会館の議員室の代表電話にかけ、
「(その議員の)携帯電話番号を教えろ!」
と話して、秘書を驚かせたのが午後1時過ぎです。

小沢さんは携帯電話を使いませんから、
小沢さんの秘書が周りにいないと小沢さんは議員の携帯電話番号が分からないと思います。
このときから私は何か起こると思いましたが、
あの透明性そのものの陸山会の収支報告書が特捜の餌食になるとは思いもよりもせんでした。

今思うと、そこに甘さがあった。

その朝、午前8時50分には、読売新聞社会部の女性記者が議員会館に電話を入れてきました。
他の人によると、喚きながら議員会館を走り回っていたそうです。
午後3時に朝日新聞の「特捜が陸山会を強制捜査へ」とのネット記事が出て、夕刊1面にスクープが掲載。
午後5時のTVニュースはそれ一色になりました。
午後1時過ぎの夕刊シメキリまで4時間かけずり回った読売が何も記事を入れられなかったのです。

こういった出来事の中で、私としても、
本当に信頼できる議員、そうでない議員が誰なのか が よく分かりました。

秘書、総支部長、支持者。記者もしかり。政権交代のコアメンバーはしっかり固まったと思います。
鳩山幹事長は17日の記者会見で「民主党は党としてこの問題に取り組んでいる」とハッキリ言いました。
そして、「政権交代は天から与えられた使命」だと述べました。

俺の過去ログを見ながら 此の話を読んで、そうだなぁ と思った。
あの透明性そのものの陸山会の収支報告書が特捜の餌食になるとは思いもよりもせんでした
そういう意味では 自分達の聖戦の為にならば如何なる手段をも使うカルト集団 なのは明白だし
だからこそ強烈なカウンターが生じる意味を俺は思いながら 其れを如何に考えていくべきかをも考える。

俺はね 「情報流通の下士官 という階層の構築」へ 俺なりに利用して行こうと思ってきた。
カルト集団は目先の勝利に「勝った 勝った」と叫びまくろうが何だろうが
 戦略で勝つ
が出来たら良いな と思って更新をし続けてきた。

あの頃から もう4年以上が過ぎた。


ttp://blog.goo.ne.jp/kokkai-blog/e/4a984ed7e8fc74216a072813a299a756
ところで、なぜ、公明党が都議選を国政選と同様に重要視するのか。
宗教上人格の許認可が東京都庁だからだ、というのは たしかにそうでした。
が、これは自公連立政権入りで法律を変え、文化庁に移しています。
非公明系知事(青島幸男さん)が誕生してヒヤヒヤした経験が創価学会にはあるのでしょう。

公明党が都議選を重視する最大の理由は創価学会の関連施設への固定資産課税です。

わが国ではずっと昔から、固定資産税は市町村税です。
東京23区に限っては東京都庁がその事務を代行しています。

固定資産台帳をつくり、税金を集め、区ごとに計算した“地方交付税”を
22区(お金持ち1区はもらえません)に配分します。
日本中で東京23区だけの特別措置です。

なので、宗教法人の礼拝施設ということで
ほとんどタダ同然の「○○平和会館」「○○創価会館」などの固定資産評価を
いまのまま維持するのが公明党に課せられた最大の役割です。

23区は1区ごとに選挙区をつくっています。

それでも大田区、世田谷区は8人区もありますから、東京は人口が多いですね。
だから、23区民にとっては、区長、区議と同じ選挙区だし、大選挙区制なので、
あまり都議にお願い事はないので、
多少に遊び心を持った投票行動が可能になります。

多摩地域でも八王子市などの大きい市も単独で選挙区をつくっています。
都議会議長から区長に転出した人も複数います。

このことは政治部記者も、国会議員も、創価学会員もほとんど知らないと思います。
一つお願いしたいことは「都議選は衆院選の前哨戦」という言い方はやめてほしい。
私たち東京都のチェック機関を選ぶ選挙です。
それを考えれば 公明党が都議選中の衆院選を絶対に避けたい のは当然だと思います。









RT @kiraramaron
福島市、除染作業員の履歴管理システム/予算確保困難で導入断念/総務省が補助打ち切り
http://www.kensetsunews.com/?p=10979
システムでは除染業務に携わる作業員の就労状況や外部被ばく線量などを管理する目的だった…国交省も保険未加入の作業員を指導する…←有耶無耶にしたいのでは?
posted at 16:12:26


RT @kiraramaron
窃盗未遂のペルー人に無罪 「逃げる様子ない」と地裁 www.tokyo-np.co.jp/s/article/2013… 。昨年3月21日、愛知県豊田市の民家からエアコンの室外機を盗もうと配管を切断したとして現行犯逮捕され、起訴された。←罪を犯す意なき行為は之を罰せず。か…陸山会秘書裁判判決と違いすぎ!
posted at 16:12:56



RT @izki_toyama
なんかの雑誌で落合博光氏がプロ野球3リーグ制を打ち出されている。読んでみたい。 以前、古田氏が1リーグ3地区制を提唱されていたが、同じなのだろうか?
posted at 04:02:19


RT @izki_toyama
古田氏の1リーグ3地区制は12球団を4チームにわけ、3地区の覇者と2位チームの1番勝率の高いチームでポストシーズンを戦うものだったと思います。 今より面白くなるのではないかと感じます。
posted at 04:02:22


RT @izki_toyama
個人的には二軍をやめて、独立リーグも巻き込みマイナーリーグも充実させ、プロ野球のない地域に地域密着球団のリーグも整備して欲しい。 プロ野球ファンの皆さんは、3リーグ制や1リーグ3地区制をどう思いますか?
posted at 04:02:28


311以前ならば 野球で そういう言い回しをする も悪くは無かった。 だけど もう そういう言い回しが出来る段階ですら無くなってきてしまっている。 「圧倒的な少子高齢化」と「311 つーか核戦争」が同時に起きてしまった以上 もはや 其の言い回しだけでは全くに足りない。
posted at 04:07:54


“野球 というか「スポーツと政治」の全般が、情報工作と人民統制という政治利用をされ続けてきた事に対しては一切の異論を許さない”という洗脳から逃れられない者達は、“「政治とは生活である」の先としての「スポーツ」”という思考方法までもが 極めて幼稚なままとなる。
posted at 04:11:51


スポーツ的な思考としての知性が高い や 政治的な思考としての知性が高い な人は多い。しかし 両方を同時に昇華させつつ に 適宜にバランスを保ちながら考えていく、を 思考として訓練し続けてきた者は 皆無に等しい。 だから 宗教右翼カルトの精神論の如きが 未だに単純に幅を利かせる。
posted at 04:15:14


そんな段階の話なので 政治そのものの現場より以上の 「極東の一諸島におけるスポーツという文化の 圧倒的な衰退」を 俺は強く想定している。 おそらく もう間に合わないだろう。 そして 文化としてのスポーツ と 人民統制としてのスポーツ は衰退と成長が比例するものでは無い。
posted at 04:19:17


「文化としてのスポーツ」が衰退期が進む程に 「人民統制としてのスポーツ」は激しさを増すであろう。 blog.livedoor.jp/willreplica/ar… ・willreplicaのブログ:一神教野蛮人に見つかってしまった文化コミュニティの一生【13-04-07】
posted at 04:22:39


blog.livedoor.jp/willreplica/ar… 【一神教野蛮人に見つかってしまった文化コミュニティの一生.1】 多神教文明人が面白いことをする ↓ 一神教野蛮人が集まってくる ↓ 一神教野蛮人が上下階級を作り始める ↓
posted at 04:25:04


blog.livedoor.jp/willreplica/ar… 【一神教野蛮人に見つかってしまった文化コミュニティの一生.2】 ↓ 詭弁・詐欺を織り交ぜて難癖つけながら自身の威光と権威と権利を主張し始める ↓ 多神教文明人が見切りをつけて居なくなる ↓
posted at 04:27:07


blog.livedoor.jp/willreplica/ar… 【一神教野蛮人に見つかってしまった文化コミュニティの一生.3】 ↓ 残った一神教野蛮人が面白くないことをする ↓ 面白くないので皆が居なくなる
posted at 04:28:56


極東の一諸島における「文化としてのスポーツ」の全てを宗教右翼カルトは破壊する。
いわゆる格闘技系の衰退没落の惨状は 其の最初の話でしかない。
多神教で文明人が育んで来た英知の結晶は、
一神教で蛮族野蛮人な宗教右翼カルトが掠奪凌辱をして崩壊する。
日本人と日本 と言う詐欺の言葉によって。
posted at 04:32:48


崩壊する社会共同体 の中にあっての「文化としての”スポーツ振興”」を言いだそうとする
のならば、
其れは もはや
 1. 戦術的な技術論 や その上の2. 作戦的な各論と総論の適宜な昇華
と言う段階をすら超えて行かなければならない。

スポーツを口にする者達は せいぜいに1.が限界である。
「野村野球」や其の先の「橋上と情報と」は1.の段階の話でしかない。

3軍の話 独立球団との話 落合の言いだした交流戦の改変 なども2.の話の入り口の段階でしかない。
だから 其の先に在る
・統一球(笑)とは“ミズノだけがが造っている”という意味合いの「不正の温床」そのものを指す
とか
・統一球(笑)とは数種類が有り 2013年は球場ごとに主催者側が選択をしている。
 球団によっては
  其の数種類の統一球(笑)を 自球団に有利になるような作為的な使い方をしている
 という可能性が極めて高い。
そして
 “「そういう話が何故に自由に出来ないのか?」
  までに話を発展させていく入口にすら全くに辿り付けていない意味”
を問う事すら 誰一人として出来ていない。
そら 文化としてのスポーツが滅んでいくは必然の出来事でしか無い としか表現しようがなくなる。

俺は
 1. 戦術的な技術論 や その上の2. 作戦的な各論と総論の適宜な昇華
の先として
 3. 戦略としての 社会共同体 の中にあっての「文化としての”スポーツ振興”」
をも口にしたい。


誠天調書 2011年03月26日: 東日本は腐海に沈む、腐海のほとり で生きるとは。
幼き者達ほど短命に しかも残酷に終わる人生しか残されていない、を教えなければならない。
http://mkt5126.seesaa.net/article/192525861.html

「そなたたちは今より更に 辛苦の中で 生きるであろう
 既に帰るべき国を失い 多くの肉親を殺され
 強権の恣意の下に 流浪を続けねばならん
 だが ひるむな 困苦に耐えよ
 屈辱の下でも 子を産み 育てよ」

被曝の下で生を受ける者達へ この腐海の下で生きる現実を正面から教えて行く
をすらしないままに
 文化やスポーツを語り出そうとする
をした所で 何の意味が有るの?
馬鹿なの?

戦略的な意味合いとしては 少子化対策 この一点に尽きる。


「そなたたちは今より更に 辛苦の中で 生きるであろう
 既に帰るべき国を失い 多くの肉親を殺され
 強権の恣意の下に 流浪を続けねばならん
 だが ひるむな 困苦に耐えよ
 屈辱の下でも 子を産み 育てよ」

を政治と文化を考える者として 何に憚る事も無くハッキリと言っておこうと思う。
これこそが
 311以降の
 3. 戦略としての 社会共同体 の中にあっての「文化としての”スポーツ振興”」

で有る、と俺は考えている。

もっと言えば
 311以降の
 戦略としての 社会共同体 の中にあっての「文化振興」は


 「そなたたちは今より更に 辛苦の中で 生きるであろう。
  既に帰るべき国を失い 多くの肉親を殺され
  強権の恣意の下に 流浪を続けねばならん。
  だが ひるむな、困苦に耐えよ、
  屈辱の下でも 子を産み 育てよ。」

である。

宗教右翼カルトの頚木から全くに抜け出せない連中にとっては
完全に 思考の範疇から外れたとの話 となるんだろうけどさ。
そんなんだから 絆 とか言い出すマヌケを晒すんだよねw



俺は 体を動かすのが苦手で ぶっちゃけ運動系ではなく文化系ですw
だけど 文化と社会と政治 を考えて行こうとする一人の人間でもある。

最近は、おそらく永遠に うp する事の無いMMD動画制作ばかりをしています。
すんごく楽しいですw
今にしている事は 映画の技術 テレビの技術 撮影の技術 編集の技術 だなぁ、と思いながらしています。

俺は俺なりに 色々と考えていければ良いなぁ と これからも思うまでだ。




誠天調書 2013年04月15日
一人の男が成功をおさめて億万長者になった などという話よりも 地方の商店街が活気を取り戻す という話を聞きたい。
http://mkt5126.seesaa.net/article/355453148.html
posted at 04:55:12




今更ながらにアニメを観た
ようやく 涼宮ハルヒの消失 と エヴァの「破」 を観た。
共に 中々に良かった。

まずは 涼宮ハルヒの消失


「涼宮ハルヒの消失 サムデイ イン ザ レイン」の検索結果
http://search.yahoo.co.jp/search?p=%E6%B6%BC%E5%AE%AE%E3%83%8F%E3%83%AB%E3%83%92%E3%81%AE%E6%B6%88%E5%A4%B1+%E3%82%B5%E3%83%A0%E3%83%87%E3%82%A4%E3%80%80%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%80%80%E3%82%B6%E3%80%80%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%80%80

http://blog.goo.ne.jp/sakino-k/e/91735b65d488087acad2174aa506e41a
1期の時はクライマックス前の息抜き回的な感じで放送されましたが、
実はこの話が時系列順で行くと最終回にあたる話だったんですよねー。
当時はまだ先の話があった+放送時期が春だったのであまりそういう気はしませんでしたが、
改めて「1期+2期の まとめて再放送」を観ると、確かに最終回っぽい空気を感じました。
冬の寂しさと賑やかさが混在しているようで不思議な感じがしました。
今見てみると確かに最終回な話でした。

前半はSOS団の冬の平和な1日が淡々と描かれていきます。
ハルヒがいつもと変わらず騒いでいたので上手くバランスがとれているように感じました。

ここからが今回の本番。
 長ーい長門の読書タイムが始まります…。

 ただ長門が黙々と読書している様子が
 延々と数分も――。

放送当時は地味に衝撃を受けました。ここのシーンを見ている時、たまたまいた家族も驚いていた気がします。早送りしてみるとこのシーンの異様さがよく分かると思います…。ここまで変化がないとはさすが長門ですね…。とにかく放送当時は唖然としました…。
あとすっかり忘れていましたが、ここで流れてくるラジオ?からの声が結構笑えますね。声優さん達の無駄使い〜と思わずツッコミたくなりました。杉田さんの存在感が〜。この声があったせいか思ったより長く感じませんでした。最後長門がこっちを向いた瞬間がちょっと嬉しく感じました。終わりがあってよかった…。


そして部室に戻ってきたキョン。でもそこには長門だけ。キョンは肩透かし的な気分になりながらもストーブを設置してぬくぬく。暖かそうですね〜。長門の様子は特に変わりなし。で、キョンはここまでの移動で疲れたのか、机に伏せて眠りの中へ…。
「疲れた…」

下校時刻が来たことで、長門も下校することに。
規則正しすぎです…。
でも長門は帰る前に意外なことをします――。

寝ていたキョンですが、ハルヒの気配を察知して目を覚まします。
ハルヒもキョンにカーディガンをかけようとしたんですね…。
ハルヒもハルヒでキョンのことを気遣っていたのかも。
ここのハルヒのテレ・戸惑いっぷりに放送当時はやられました〜。
キョンがそれに気づかないのがじれったいですが、
ハルヒとキョンの関係らしくて良いと思います。

だけど カーディガンが もう一枚…。
どうやらハルヒの前にカーディガンをかけた人物がいる様子…。
キョンはみくるだと思い込み、着替えが見れたかもしれないのに〜と悔しがります。
まあ男子高校生っぽいというか…。

けれども やっぱりこれは長門なんでしょうか。
長門が何を思っていたのか気になるところです。
この微妙さが良い感じでした。

照れを隠すように、キョンを急かすハルヒ。
どうやら一緒に帰りたいようです。

そして最後にはキョンとハルヒの相合傘シーンが!!

思わずニヤニヤしてしまいました。傘を差し出すシーンがまたたまりません〜。
http://f.hatena.ne.jp/tatsu2/20100213190618
ハルヒはもうキョンのことを…とつい思ってしまいます。素晴らしいニヤニヤタイムでした。
でもハルヒはいつもの調子。

キョンは労わりの言葉もないのかと思いつつも、
「待てよ!」
と、追いかけますが、どこか楽しそうでした。

最後のハルヒのあかんべーもかわいく、放送当時も今も最後の最後で癒されました。
二人とも楽しそうなのが良かったです。


http://riddr2.blog89.fc2.com/blog-entry-666.html
・・・ですが、
先に書いたとおり、これを「消失」の直前だと考えると、
見方が変わるんですよね。

ここまでは単体としての感想。
この先は京アニ版「消失」が世に出たからこそ書ける感想。

サムデイ イン ザ レイン って『消失』の直前の話なんじゃね?
そう考えれば、「消失」で驚天動地の出来事が起こる直前に
この平和な話を持ってきたというのには意味が生まれてきます。
原作者による脚本の意味も納得する。

シリーズの中では唯一の冬の風景。
ゆったりとした雰囲気にBGMがマッチし、最後はハルヒの素顔に触れて愛おしさを感じられる。
何度も見ていくうちに、そういった感想が生まれてくるものだと思います。

忙しく振り回されて過ごしている日々の中にいれば、
「たまにはゆっくりさせてくれ」と思いもしますが、
静けさの中が心地よいと思えるのは、再び忙しい日々がめぐってくるからなのです。

そして、その忙しさの元凶である、ハルヒが登場する。
しかもキョンの穏やかなモノローグをキャンセルする勢いで。
キョンは露骨に嫌な顔をしていますが、
不満を漏らしながらも その言いつけに従ってしまうあたり、
それが彼の「日常」になっているということなのでしょう。

問題の、長門のシーン。
これは先に挙げた原作者の脚本ですと、
 「読書中の長門。ふっと顔を上げて窓の方を見る。」
これだけです。

となると、意地悪に考えるならば、脚本をもらった時点で尺の長さが足らないことに気づき、
苦肉の策で時間調整のためのシーンを挿入したとも考えられます。

でも、今ではこれは立派に演出の一環として成立していますよね。
ハルヒに出会うまでの3年間、長門はこうやって過ごしてきた。SOS団にいない間も 多分そうで、
もっといえば、終わらない8月の600年間、ほぼ変わらずに過ごしてきたのだと言えるんです。

「情報」としてほぼ完璧な形で存在している彼女だからこそ、
ただ自分の指向する情報をのみ取り入れて暮らしている。
それは全くの無音の世界とも比喩的には表現できる中で。

とはいえ、これまでに彼女が様々な  其れ以外 を見せていたことは我々も知っています。

「ミステリックサイン」で見せた、「事件」を持ち込む役。「孤島症候群(後編)」で見せた、彼女なりのジョーク。「エンドレスエイト」各話では、必ず違うお面を選びならがも、お面を買うことは欠かさなかった。「射手座の日」では、人間レベルの技能しか発揮しないという縛りを入れながらも、不可能に見える勝利を勝ち取ってみせた。

本当に長門が ただの機械 であったなら、これらは必要ではないはずです。

問題のシーンは唐突に訪れます。

ストーブを持ち帰ったキョンが、部室のドアを開ける。
そこには長門だけしかいませんが、キョンにとっては珍しくもない風景なわけですよね。
キョンは尋ねます。
「ハルヒ達は?」
わずかに首を傾げる長門。
このシーンにつけられたDVDのチャプタータイトルは、「長門の嘘」。


自分の視界の外にいても、存在が有るか無いか を把握できなはずが無い彼女ではありません。
そもそも、ハルヒはみくるちゃんを連れて撮影にいったわけですし、
直前に鶴屋さんが訪ねてきた時には正確に場所を教えてもいます。

「我々は情報の不足を、何よりも瑕疵(かし)とする習慣がある」

それは映画内でのセリフだったでしょうか、
しかし(劇中の)脚本になかったセリフだったようにも思います。
これを長門の珍しい自己言及だとするならば、
なぜ 此処では長門はキョンへ
ハルヒ達の、いや、ハルヒの居場所を教えなかったのか?

その後のキョンの行動を見れば明らかですよね。
キョンはハルヒを探すことはせず、部室で疲れた体を休める行動にでました。
キョンの視点からすれば、長門がいる横でて寝入ってしまったことになります。

では、長門の視点からすれば?

読書をしながら、キョンの存在が近くにいることを感じる。
部室には誰も訪れることはなく、閉鎖された空間で、長門はキョンと共にいることを選んでいるのです


長門は本を読み終えて立ち上がります、しかし 部屋を出て行った とは描かれていません。


目覚めたキョンが見たのはハルヒの姿でしたが、
その背中にかけられたカーディガンの2着目が、
 ハルヒのものよりも先にかけられたものが誰のものであったかは、
もう言うまでもありませんよね。

そして机の上には さっきまで長門が読んでいた『蹴りたい背中』 が残されている。
当話の中でも描かれていますが、
 これまでの行動パターンで、
 長門が読み終えた本を本棚に戻さずに放っておくことは一度として無い
のでした。

読み終えた本を片付けることよりも優先すべきことがあったから、長門は本を戻すのを忘れているのです。

本の内容にしても そうです。
『蹴りたい背中』を、此処で長門が読んでいた。
もっと言うならば、スタッフがなぜ「それを読ませたのか」。

これまで、長門が読んでいる本は物語の内容に即したものとなっていました。
当話では、長門が様々な受賞作品の一般小説を読んでいることが窺えます、
原作者の脚本では『赤頭巾ちゃん気をつけて』となっています。

けれども脚本をすら変えて演出では『蹴りたい背中』となった。
『蹴りたい背中』は、少女が書いた小説、wikiでその内容を見ると、
人付き合いを厭う主人公が恋愛感情とも言えない、微妙な感情を抱くようになる過程を、
高校での日々の生活を通して描く。
「蹴りたい背中」は
一般に「愛着と苛立ちが入り交じって蹴りたくなる彼(にな川)の背中」を指すものと推測されている。

と、あります。

恋愛感情とも言えない、それ以前の微妙な感情。高校生活の描写に多く共感を呼んだということは、
同年代の少女が抱くような、ごく一般的な感情を表しているのかもしれない。
長門は、その行動の是非がどうかは置いておいて、
 自分の位置する同じような立場の少女が、どのように考え、行動するのかを、
その本から学び取っているのかもしれないのです。

というか そもそもですね。
「同時代の少年少女が登場する亜恋愛小説を読む」。
長門にしては、これって「普通すぎる」とは思えませんか?


サムデイ イン ザ レイン の 物語の最後は、
ハルヒの「あっかんべえ」の かわいいアップで締められます。

「消失」を知っている身としては、
 ああ、この直後にハルヒの存在が消えるんだ、
なーんて妄想してですね、余計にきゅってさせられるわけなんですな。
何故にハルヒは 此の直後の「消失」というか「長門によって消された」のか?

ハルヒ「お疲れ様、キョン」

それは「サムデイ イン ザ レイン」の前の回の8話の
次回予告の時のハルヒの最後の言葉でした。

初回放映の当時、ネットの感想が書かれた掲示板は
「なんだこれ??」
と賑わってました。

このセリフは、劇中には登場しません。
テレビ版の8話予告の中で語られます。

この話 が時系列順では14話の「サムデイ イン ザ レイン」の事を指すことから、
最終回を迎えたキョンに対しての言葉かとミスリードしてあります。

「サムデイ イン ザ レイン」の ど瞬間にハルヒが言った言葉なのか?
物語の最後でハルヒは 実際には何をしたか?


そして、
なのにDVD版では予告を長門が担当しています。
DVD版12話「射手座の日」につけられた長門の、予告の中でのセリフは、一言。
風邪、ひくから


そして 俺は此の動画が忘れられない。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm8463845
サムデイ イン ザ レイン −長門有希の憂鬱−

此れほどに味の有る動画は そうそうに無い。
元々は この2chネタなのだが。

(SS)「もし「サムデイ イン ザ レイン」が世界改変の前日だったとしたら」の漫画化 :Syu's quiz blog
http://www.syu-ta.com/blog/2008/05/09/021703.shtml

567 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2008/05/06(火) 22:30:20 ID:7of5bAwm
 古泉「おや・・・ ・・・さんの肩にカーディガンが」
 ハルヒ「・・・誰が掛けたんでしょうね」
 みくる「さぁ・・・ 私じゃありませんよ〜」
 古泉「・・・」
 ハルヒ「じゃあ、鶴屋さんが掛けていったんでしょう、きっと」
 みくる「でも鶴屋さんもカーディガンを着てましたよ?コートの隙間から見えました〜」
 ハルヒ「そうなると・・・ 一体誰が掛けていったんでしょうね」
 古泉「さぁ」
 みくる「誰でしょう・・・」
 ハルヒ「そういや有希は帰ったのかしら」
 みくる&古泉(・・・!)
 みくる「あ、私用事思い出したんで帰りますね」
 古泉「僕も急ぎの用事があるので、では」
 バタン
 ハルヒ「? どうしちゃったのかしら二人とも・・・」

 ・・・

 ハルヒ「カーディガンねぇ・・・ 私もかけてあげようかしら、団員は労わってやんないとね」
 キョン「ん?」
 ハルヒ「おわっ」

 以下サムデイの同場面 へと続く


592 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2008/05/06(火) 23:45:43 ID:RaoBbzln
 >>567
 このシーンでさ
 >>567が書いている通り
 ・長門がキョンにカーディガンをかけて一人だけ先に帰った
 と俺も思ってるんだが
 だけど「まだ長門は帰っていない」みたいな話を以前に見た事があるんだけど
 詳しく知ってる人いる?

594 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2008/05/06(火) 23:49:04 ID:Jfbd+MQa
 >>592
 「蹴りたい背中」がテーブルの上に置きっぱなしだったことからの推測。
 長門の性格から言って、本を置きっぱなしにして帰ることは無い ってのが根拠だったような。

 それをネタにしたSSとかもあったよ。
 サムデイが消失の直前の話と仮定して、
 長門が本を置きっぱなしにしたのは
 ・実はキョンに暖かいもの食わせるためにコンビニへ買い出しに行ったから
 で、その帰りにハルヒとの相合傘を目撃。
 ならば 雨に濡れながら長門は何を思う? みたいな。


596 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2008/05/06(火) 23:52:06 ID:y8EgmT18
 >>594
 それ俺も昔に見た。苦しくなった。長門不憫だよ…

606 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2008/05/07(水) 00:33:40 ID:2sRLYhne
 俺が見たのはたぶんこれ
 ttp://www.syu-ta.com/blog/2006/12/02/174133.shtml
414 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/01(金) 22:31:04 ID:HcKTZBQ5
 「サムデイインザレイン」は世界改変の前日だったりして。
 だとしたらそれもありうるね。

 キョンが起きたとき部室に本が置き去りになってるんだよね。
 長門はまだ学校に残っていたのか、後で取りに来るのか。

 それが 長門による世界改変 と関係があるのかもしれない


454 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/01(金) 23:53:55 ID:tjLSaW8W
 彼のレム睡眠導入を確認。用意していた労いの言葉をかけれず。エラー発生。無視できるレベル。
 ストーブによる部室での局所的な温度上昇を確認。それに起因した彼の体温上昇も確認。
 どれも適正値を遥かに下回る。この状況で彼が流行性感冒に感染する確率19.52±0.21%。
 早急に彼を暖める必要性ありと判断。
 本を置き、彼に近づく。
 彼の寝顔を観察。髪の毛が少し濡れていたのでハンカチで拭く。エラー発生。無視できるレベル。
 彼にカーディガンをかける。微々たるものだが体温の低下を抑制できるはず。まだ何かできるだろうか。
 何か暖かい物。そうだ、温かい飲み物。
 購買部は17時まで。雨は酷くない。財布の入ったカバンを持ち、部室を静かに出る。
 目的地を坂の下のコンビニに設定。
 生徒玄関へ向かう途中、涼宮ハルヒ、古泉一樹、朝比奈みくるを確認。こちらには気付かず。無視。

 コンビニに到着。彼は何の飲み物が好きなのだろう…わからない。
 甘いものは好きか嫌いか…わからない。エラー発生。無視できるレベル。
 無糖珈琲とミルクティー、カレーまんを二つ購入。コンビニを出る。

 雨量の著しい増加を確認。
 濡れるとおそらく彼に心配される…でも防護フィールドの展開は不自然なので断念。
 文芸部室を目的地に設定。小走りに坂を上る。

 前方200m…彼と涼宮ハルヒを発見。著しいエラーの増大を確認。無視。
 一つの傘で下校中と判断。咄嗟に脇道へ入る。著しいエラーの増大を確認。無視。
 目的地変更。自宅へ帰還。エラー発生。無視。
 無糖珈琲、ミルクティー、カレーまん二つの処理に思案。エラー発生。無視。
 雨量の増加を確認。

 雨は冷たかった。



458 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/02(土) 00:00:28 ID:HcKTZBQ5
 >>454
 そして、長門は早朝までエラーの処理ができず・・・
 ああ、だめだ。涙がっ・・・!

607 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2008/05/07(水) 00:35:05 ID:Yf/IwxLe
 >>606
 あーこれかあ
 切な

637 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2008/05/07(水) 05:01:47 ID:7+z8aLjj
 いやあもう明け方か。
 >>606を絵に描いてみた。
 本当はちゃんとパースとってペン入れもしたかった
 レタッチもしてない…けど、もう眠いんだ…とっても…
 もう、ゴールしても…いいよね…?

 ttp://www.imgup.org/iup605629.jpg (cache)
https://mkt5126.up.seesaa.net/image/20080509nagato01.jpg
 ttp://www.imgup.org/iup605631.jpg (cache)
https://mkt5126.up.seesaa.net/image/20080509nagato02.jpg
 ttp://www.imgup.org/iup605632.jpg (cache)
https://mkt5126.up.seesaa.net/image/20080509nagato03.jpg
 ttp://www.imgup.org/iup605634.jpg (cache)
https://mkt5126.up.seesaa.net/image/20080509nagato04.jpg
コレを観て そして思った。
そら「長門が世界改変をするわ」とね。
女なら必ず分かる感情が どうしても男には分からない。


サムデイ イン ザ レイン の 物語の最後は、
ハルヒの「あっかんべえ」の かわいいアップで締められます。

「消失」を知っている身としては、
 ああ、この直後にハルヒの存在が消えるんだ、
なーんて妄想してですね、余計にきゅってさせられるわけなんですな。


長門の、予告の中でのセリフは、一言。
風邪、ひくから


もし
 ハルヒの「あっかんべえ」を 長門が自分へ向けられてもの と判断したら?
というか
 直接に人の並び順からしても そういう状況だった可能性もある
ならば女なら そらキレるわな となる。


http://d.hatena.ne.jp/choiota/20060602
みくるのマフラー巻き に対する ハルヒの反応で「嫉妬」を見た 後です。

鶴屋さんへはハルヒ達の居場所を教えた のに キョンへは教えない
という行動からは 長門の「女」の感情が読み取れます。

観察者の立場として、観察対象や周辺環境に対しての過度の干渉が制限されている、
けれども 「女」の感情 すなわち 「嫉妬」 が明らかに芽生えている長門にとって
取るに足らない理由で いとも簡単に世界を改変してしまうハルヒの行動 は、
どのように写るのでしょうか?

http://blog.goo.ne.jp/circularmotion/e/a1436ad34421b103ee37b995820320a8
眠るキョンの肩へカーディガンを掛けた長門は 何処へ行ったのでしょうか?

その上から 更にカーディガンを掛けようとしていたハルヒは
けれども目を覚ましたキョンと 相合傘で帰ろう と目論みます。

長門が何処へ何をしに行ったのか? を本当にハルヒは気づいてなかったのでしょうか?

むしろ 長門へ買い物を命じて 部室から追い出した のは ハルヒ という可能性も残されている。
映画「消失」の 長門とキョンが二人きりで下校をする の先では コンビニのシーン が描かれている。


http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/bd/5bcaf462e2664a69e70a787c674ef7be.jpg


夜の坂道を1本の傘で下っていく2人。
職員用の傘である事に気付いたキョンは、ハルヒを咎めるが
「濡れて帰りたいってんなら、入れてあげないわよ」とキョンから
傘を取り上げてはしゃぐハルヒ。
「まったく…」と苦笑するキョンと、アッカンベーをするハルヒ。

http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/f5/0367711c150ab7875841c0f4509b9a12.jpg


陰でキョンを支え続ける「女」の長門は 「風邪、引くから」 と 何故か その場に居ない。

その合間に 長門からの嫉妬の対象となっていた女 のハルヒ が
愛の巣に等しい部室から男を奪い去ってしまっていた。

しかも その道中で
 もしハルヒが長門へ向けて 
 分かっていて 計画通りに 勝ち誇ったように はしゃぎながら わざと あえて
http://pds.exblog.jp/pds/1/200910/09/22/c0137122_5165463.jpg

をしたのならば?


そら「長門が世界改変をするわ」となるよね。

だけど 女なら一瞬で分かる感情 なのだが どうしても男には分からない。
その嫉妬が憎悪となる女の感情の瞬間が どうしても男には分からない。
其れが 女の感じ方 と 男の考え方 という 生き方の違い なのである。


この隠された物語を 先に予備情報で見ている俺が ようやく「涼宮ハルヒの消失」を観た。
 結局に「映画」ですら 長門が女としてキレた という動機の入り口の部分しか語らない
だったね。


「涼宮ハルヒの消失」感想 エンドレスエイトからサムデイ イン ザ レイン、その先へ - subculic
http://d.hatena.ne.jp/tatsu2/20100213/p1

『涼宮ハルヒの消失』を観てきました。極めて綿密に作られた“映画”になってますね。驚いた。

極論になってしまうのだけど
「エンドレスエイトの最終的な評価は、消失の出来次第で変わる」
とさえ当時に思っていた節があった。

いやはや助かった。本当に付き合っていて良かった。
確かに当時の殆どの人達は
 エンドレスエイトを1〜2話で終わらせ、
 残りの話数を消失に当ててもいいんじゃないか
という真っ当な説が多かったです。

だけど 今になって劇場版を観れば、
・あの エンドレスエイト の 実際は600年の事象、
・そして長門有希の慕情
は得られなかっただろうと確信が出来る。

掌の中の小鳥が巣立つような、素晴らしい劇場作品に仕上がっていると思います。

終盤の重要な言葉の1つに、

――そんな非日常な学園生活を、お前は楽しいと思わなかったのか?

キョンの葛藤を描く中で、ひたすら問われ続ける質問。
このシークエンスの演出には既視感があった。

ハルヒシリーズにおいて心の葛藤、内面を映像化した最たる物は
やはり、「エンドレスエイト」の喫茶店でキョンが必死にハルヒを呼び止めるシーンの演出だ。

あれ程しつこく見せられているのだから、忘れようにも忘れられない。

消失では 自分自身への詰問という体を前面に出して派手に教室内で暴れ回ったりもしていたが、
 解決策を見出すための自身への問いかけとすれば、
 その映像化において「エンドレスエイト」と「消失」は共通して通底している
とも言える。


ラストシーンの長門有希とキョンが2人で話す場面。

原作はこの会話が行われた場所はキョンの病室になっているんですが、
劇場版は病院の屋上なんですよね。映像化するにあたって、
より美しく印象的にする為に、場所の変更を行ったことは容易に想像がつきます、
事実、屋上でなければあの映像は生まれてなかったと思うのだけど。

ただ「長門有希 屋上」でキーワード抽出すると、出てくるのは 結局にエンドレスエイト。

「エンドレスエイト」で天体観測をする長門は、ずっと星を見たまま微動だにしない。
「消失」での石原監督が 「エンドレスエイト」ではコンテ・演出を担当した“5回目のエンドレスエイト”では
その部分が非常に顕著な演出となっていますね。

同じスタッフでテレビアニメ/劇場を作っているのだから、
こういった共通点や“好み”が生まれてくるのは寧ろ当たり前で、
全く似通った色が見えない方が違和感と言われれば それまで。

しかし、DVDまで買って観た身としては
 既にして「エンドレスエイト」は「消失」の予行演習的な位置付け
と思いたくなってしまう。

同じ話を違う演出で見せる と どうなるか
という、実験場の面。その面をレイヤーに乗せて作られたのが消失じゃないのかなぁと。

「サムデイ イン ザ レイン」の時点での恋愛感情、其の関係性。
長門有希の観点から見れば、
 サムデイの時に長門有希は どうやって過ごしているのか?
「何も変わらず読書に耽る姿」という見方を より重要視して眺める となる。

原作を読んでいれば予め分かっているのに、
映像を見るとさらに追慕したくなってしまうのが切ない。

先を見据えて作られた話が、
実際にその「先」を見た後になると先だけでなく
それ自体にも機能し、相互に新たな解釈を生む現象。

期待された作品が期待通りになり、
バックグラウンドにあるテレビアニメシリーズが輝きを増す
というのは、シリーズのファンにはこれ以上ない御褒美でしょう。

このように、
 エンドレスエイトの演出レイヤー、
 サムデイの相互機能と働き、
その上に『涼宮ハルヒの消失』が存在しているんだろうと思ってます。
2時間40分の間、飽きる瞬間すらなく楽しめた証拠の1つ、くらいのものですけど。

にも関わらず その「何故に消失が起きたのか?」の「動機」へ至る「感情」の説明は一切に無い。
あくまで観る者へ委ねられている。

人の心の深さを探る とは 綺麗なモノを観る ではないからね。
「情報」としての形でだけで存在している彼女だからこそ、
ただ自分の指向する情報をのみ取り入れて暮らしている。
それは全くの無音の世界とも比喩的には表現できる中で。

そういう長門有希の 心の底の汚いモノ を作品としては徹底的に隠蔽しようとしている、
ハッキリと明確に 演出として脚本として構成として 一貫している。

女の感情の奥底にこそ核心が有るのに その観点を徹底的に悟らせないようにしている。

見事 としか言いようが無い。
作品を創る としての其の総合的な観点としての芸術的な技術の結晶に嫉妬すら覚える。


で 「消失」の作品中の感動の場面として描かれている 病院の屋上での長門とキョンの時に
俺は爆笑してしまった。

女としての長門からすれば
「お前は何を言ってるんだ」
でしかないからね。
ただ 其れも
普通の男子高校生だと思えば それまでだし
其れを聞かされた長門の方の反応の「ありがとう」もまた女でしかない とも言えるが。



涼宮ハルヒの憂鬱 は そういう「ドロドロした恋愛物語」として眺めると非常に面白い。
しかし原作からして そういう観点を徹底して隠蔽する を一つの軸としている。
其れはアニメになっても一貫して貫かれて通底している。
その観点を まるで理解しない者達を嘲笑し冷笑するかの如きに。

そして それこそが面白い と俺は感じる。



そういう話とは別に 「消失」を観た後で思ったのは
 押井守の「ビューティフル ドリーマー」の影響ってのは計り知れないんだなぁ
と つくづくに感じた事だ。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%86%E3%82%8B%E6%98%9F%E3%82%84%E3%81%A4%E3%82%892_%E3%83%93%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%95%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%BC
「夢だから何度でもやり直しが利く」
「自分の作り出す現実と何の違いもない楽しい夢の世界で思い通りに暮らす方が良い」
と あたる へ言う。
しかし あたる は現実の世界へ戻る事を望んだ。


素晴らしき日常生活 から 並行世界 平行世界 へ行き
素晴らしき日常生活 の世界へ戻る物語。

エヴァンゲリオンもまた その観点の色合いを濃く滲ませる物語でも有る。



2009年03月08日 女郎蜘蛛研究室: RE-TAKE感想
http://jorougumoblog.sblo.jp/article/27454504.html
少なくとも今は、新劇場版が邪魔に思えます(笑)
庵野が 更にRE-TAKEを超えられるか? という観点は
やはり最後まで観なければ分からないかもしれないけど
 「破」を観た段階では苦しいな
というのが率直な感想かな。
少なくとも今は、新劇場版が邪魔に思えます(笑)
という感覚の方が 確かに俺も近いかな。
そして「Q」から漏れ出てくる情報からしても やはり なのかな とか邪推してしまう。

それほどまでに エヴァの同人誌の「RE-TAKE」は凄まじかった。


勿論ネタバレ全開ですので、ご注意ください。

『新世紀エヴァンゲリオン』の場合、テレビ放送終了後に多かったのは、
ラストの自己補完だったようです。
なにしろラスト2話が衝撃的でした。
それまでのストーリー上の決着や謎の解決を放棄したものでしたから。
今思えば「拍手のおめでとう」は劇場版より美しいかもとは思いますが、
あれをリアルタイムで見せられた時は本当に呆然としましたよ。
「えっ? これで本当に終わり?」
まだシリーズが続くんじゃないかと、本気で信じたかったです。

その後物語を完結させる劇場版が作られると知ったときは、本当に嬉しかったですね。
その劇場版も、2回に分けて公開と、実にやきもきさせられたものですがw

しかし劇場版でも、また呆然とさせられました。
シンジの補完シーンで突然実写が出てきますが、また「何これ?」と呆然。
あれは、今でも庵野監督の自分に否定的なファンに対する悪意の現れではないかと思っています。

そしてアスカの「気持ち悪い」で終了。

また使徒などの謎についても、完全に説明がされたわけではありませんでした。
絶大な人気を持ち社会現象にもなったのに、この消化不良。

テレビ放送終了後からその傾向は続いていましたが、ファンは
二次創作という形で、其々に自分で補完を始めました。

とにかくバリーエーションも作品数も豊富です。
勿論18禁ものも たくさんありました。

でも その中でも、最高クラスの完成度。
そして感動と衝撃を与えてくれました。

それが「RE-TAKE」でした。


・ラストに思う。

「気持ち悪い」

劇場版ラストの このセリフの本当の真意は謎です。
アスカがシンジの事をどう思って言ったのかは推測するしかない。
あれは監督がファンに向けて投げかけたセリフ。
本当に様々な噂があります。

でもね、あれは
 アスカからシンジに対する
 そして我々ファンに対する「呪い」
だと思うのですよ。

みんな あの衝撃のラストに囚われてしまった。
二次創作の中で、あのラストシーンの後の二人を描いた作品は幾つもあります。
名作とよばれ、感動した名作とよばれる作品も勿論あります。


でもね。
今回に読んだ この『RE-TAKE』が凄いのは、
私に掛けられた「呪い」を解く効果があったのです。

勿論どんなに素晴らしい作品でも二次創作に過ぎません。

原作ストーリ、原作の二人とイコールではありません。
また現在新劇場版が制作されています。
新劇場版で今までの補完をすることは十二分に考えられます。

でも少なくとも私にとっては、限りなくイコールに近い。≒でした。
二人はようやく解放された。
そして私にとってのエヴァもようやく完結したのかもしれません。

まだ劇場版やコミック。またメディアミックスも続きます。
私も可能な限りそれを追うでしょう(笑)

でもこの作品は、大きな節目なのは間違いありません。
読了して、何かが心からストンと落ちていきました。
俺の感想は この人が全てに答えてくれている。

俺にとって
 「RE-TAKE」があればこそ
というほどに エヴァンゲリオンという作品には不可欠な存在となっている。
「破」を観た後でも 其の感想に変わりは無かった。


http://www.gmken.com/review/retake.html
「RE TAKE」とは?
劇場版エヴァの最終シーンである
 サードインパクト後の赤い海のほとりで、アスカの首に手をかけたシンジにアスカが何かをつぶやいた
 「気持ち悪い」
その瞬間…シンジは病院のベットの上で目を覚ました。
物語は 其処から始まる。
ちなみに、この作品にはシリーズ完結後に全年齢版も発行されていますが、
私は敢えて成年指定向けのオリジナルの方でレビューを書かせていただきました。
18禁指定作品を滅多に取り扱わないGM研では異例とも言える この選択は、
狂おしいほどに相手を求める行為がこの物語では必然であり、
テーマを語る上で不可欠な要素であると判断したからです。
※だからこそ、エロなしでも構成できた全年齢版も素晴らしいと言えます。
 もし可能であれば両方お読みいただければ幸いです。

レビューを書くにあたって、アスカ視点の総集編である「0」から、
後日談の「After」まで一気に読み返しましたが、涙が止まりませんでした。
でも、最後までこの胸を締め付ける痛みと苦しみから目を背けることはできませんでした。

自ら為すべき事に気付いたから。闘う事自体に意味がある事を知ったから。
命を賭ける価値があるものを見付けたから…絶望と苦闘の果てに、
二人がやっとたどり着いた場所…最高のフィナーレは、言葉で言い表せるものではありませんでした。

全年齢版の総集編3のカバー裏に日本語訳が収録されている、
アスカがドイツ語で自らの意志で語った誓いと、陽にかざした左手…
ただ言葉もなくその笑顔を見守りたくなる、もうひとつの結末。

この傑作を見逃すことなかれ!

もはや この作品の事を綴り残されている場所は多くない。
2006年の作品だからね。


はてなブックマーク - RE-TAKE考
http://b.hatena.ne.jp/entry/www.kimigabuchi.com/retakekou/index.html
ここで紹介はされているものの リンク先そのものは消失している
"あの二人に 小指一本分とはいえ お互いに心を許容させる
 には、これだけの物語が綴られる必要があったのだ、と。"
2008/03/30

ネタバレ全開ですが 拾ったので貼っておきます。
「RE-TAKE」を読んだ人だけが 読むべきだろう。

ttp://web.archive.org/web/20090222112302/http://kimigabuchi.com/retakekou/index.html
RE−TAKE1にしてこの物語は、劇場版「THE END OF EVANGELION」(略称EOE)の
後半の展開を完全に踏襲して始まる。

復活し、弐号機で量産機相手に奮闘するアスカ。
彼女の悲鳴を受けても、初号機のケージで膝を抱えたまま、助けに赴かないシンジ。
サードインパクトの未遂の果て、赤い海のほとりに投げ出された少年少女。
そこで少年、碇シンジは、少女、惣流・アスカ・ラングレーに馬乗りになり、彼女の首を絞めた。
少女の洩らした台詞。
「気持ち悪い」
絶叫とともに、シンジの意識は途切れる。

−−−次に彼が目を覚ましたのは、ベッドの上であった。
見知らぬ天井ではない。ネルフ直下の病院の一室。
この世界で目を覚ましたシンジは、
綾波レイによって第拾弐使徒レリエル戦の直後であることを知らされる。
この時はまだ、シンジは過去の世界に戻った
というより、自分が今まで体験したことを夢だと思いこんでいる。

その後、夢と同じ展開を経て、
ようやく自分が過去に戻ってきたことの自覚を深めつつあったシンジであった、


http://web.archive.org/web/20071024030527/http://mitada3.hp.infoseek.co.jp/

そして もう一つ。
昔に拾って 今はアーカイブにも無い記事を 此処に上げておこう。
どなたが書いたのか? もう分からないのだが。
これも「RE-TAKE」を読んだ人だけが 読むべきだろう。

ttp://mkt5126.up.seesaa.net/image/EFBCB2EFBCA5EFBC8DEFBCB4EFBCA1EFBCABEFBCA5EFBD81EFBD86EFBD94EFBD85EFBD92E69BB8E8A995.mht
RE−TAKE 〜after〜 書評
1、RE−TAKE afterへと至る世界構造について


2006年夏に完結したエヴァンゲリオン同人誌RE−TAKE。
この物語はアニメのパロディ本という範疇に留まらず、
『新世紀エヴァンゲリオン』という作品の本編そのものに相対した作品だった。

劇場版『THE END OF EVANGELION』の最後のシーンを動かす為に創られた物語。

REーTAKE完結編のラストは、
本編の最後の絞首シーンという救いのない場面を乗り越え、
二人が ほんの少し心を重ね合った状態で終わった。

その終わらせ方を、本編の続きであると受け取った読者の方も多いだろう。
しかしながら厳密に記せば、RE−TAKEの作品内容をエヴァ本編の続編とだけ断言するのは難しい。

タイトルにもある通り、
あの凄惨な本編内容から救いをREーTAKEする(取り戻す)ことが命題の一つとなっている。

同時にそれをもって本編のラストシーンを動かす。
この二つの命題は不可分であり、
双方が揃ってこその作品内容であり、物語が成立する仕組みになっている。

主人公がある日に目覚めると、時間が遡り過去の世界へと戻っていた
―――この話のスタイル自体は、映画、漫画、ドラマなどでそう珍しいものではない。

一般的にも古典SFでケン・グリムウッド作『リプレイ』などが有名だ。
このジャンルの面白さは、逆行した主人公がある程度の経験と知識を所持しているので、
二度目の人生で繰り返される問題に、何らかの対処が可能となっていることである。

既に結末を知っているからこそ、時には鮮やかに、時には見苦しいまでに足掻いて克服する。
読者が そこに知的興奮を覚えるのは、
人間は誰しも「あの時こうしていれば」という やりなおし願望と悔い が あるからに他ならない。

実際にあり得ないフィクションと知りつつ、主人公に自分を重ねるのだ。


もっともRE−TAKEという作品の内容は
単なる逆行現象では全くに留まらない。


2006年夏に発表されたRE−TAKE四巻は完結編と銘打たれ、確かにその物語も完結した。
印象深いラストシーンはエヴァンゲリオン本編に対する挑戦とその結果だった。

ゆえに「after」はRE−TAKEという物語から派生した世界の後日談。
RE−TAKE四部作がエヴァ本編への挑戦であるとすれば、
「after」はRE−TAKEファンに贈るプレゼント。
そう受け取り、そう読み取った方も多いと思う。

しかしながら一筋縄ではいかない内容が盛り込まれていたのは前述した通りである。
話の展開の類似点や影響、「after」98ページにおけるアスカが手をかざすシーン。
特に このシーンを見る限り、
RE−TAKE二巻目の時点で、
きみまる氏の中に「after」まで含めた話の構想があったに違いない。

その壮大な構成力には、もはや脱帽するしかない。

つまるところ、この「after」という物語は、RE−TAKEとは不可分なのだ。
この「after」も含めて、紛れもなくRE−TAKEという作品は、ここに完結したのである。

庵野もまた エヴァンゲリオンを撮り直した。特にアクションシーンの凄さは群を抜いている。
そして総体としての作品には 様々に多面的な側面が有るから 一方向からだけで評価するのはマヌケだ。

ただ素直に俺は「RE-TAKE」は面白かった とだけは今もハッキリ言おうと思う。
エヴァンゲリオンを観た人達ならば やはり「RE-TAKE」には触れておくべきだろう、と今も強く思う。



そして
「涼宮ハルヒの消失」と「エヴァンゲリオン」が
俺には「ビューティフル・ドリーマー」と重なって見える。



『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』ネタバレ解説
http://d.hatena.ne.jp/type-r/20121123

http://d.hatena.ne.jp/type-r/20121205
押井守が『エヴァンゲリオン』について語ったらしい
ワタシでも ここまではヤらなかった。

「庵野はけっしてバカではない」どころか、その表現に関する自己批評のありようから察するに、アニメという表現形式への自意識の持ちようは、これは見事なものだと感心した記憶があります。その一方で、物語に関してはまるで無頓着。まさにステロタイプのオンパレードで、いつかどこかで見たもののコピーの連発。キャラクターが口にする台詞のあれもこれも、決め処は全て私生活におけるあれこれの垂れ流し。

かくも奇怪な作品がなぜ成立するかといえば――要するに表現すべき内実、庵野という人間に固有のモチーフが存在しないからであって、それ以上でもそれ以下でありません。

「テーマがないことがバレちゃった」という宮さん(編集者注:宮崎駿監督)の物言いは、その限りおいて全面的に正しいことになります。テーマも固有のモチーフも何もないけど、映画も映像表現も大好きで、制作意欲は人並み外れて強烈だとすれば、演出すべきはディテールのみであり、その拠って立つところはステロタイプだろうが定番だろうがなんでもオッケイ。人物描写に関しても同様で、まるでアムロの如きシンジ君の自閉症ぶりや、父親たるゲンドウとの確執など、感情移入するほどのものでもなし、そもそも監督自身がカケラも信じちゃおりません。

演出能力は抜群だからその気になるでしょうが、騙されたいと思って見るぶんには十二分に機能しても、表現を成立させるための方便に過ぎないから結末を引き伸ばすだけで、落とし所が想定されていないことは明らかですから、これはドラマと呼ぶべきものではありません。SF的な意味での設定は複雑に凝らしてあるものの、世界観は曖昧であり――テーマがないのだから曖昧でしかあり得ない――世界観なしに映画は成立しないから、その内実の無さを文字通り「補完」すべく、作品の作品内における再構築を繰り返すことで、映画としての無内容に代替させる。

『エヴァ』という作品がいくらでも継続できる――永遠に終結させられない、それがほとんど唯一の理由でもあります。

まあ、こう言ってしまえばそれで終わりであり、だからこそ継続して見る意欲を失ったわけなんですけど。なにしろ、その映画の構造が判明した段階で鑑賞するという行為が完結してしまう性分なので。いまさらドラマにもさしたる興味はないとすれば――その通りなのですが――いつも言っているように、あとは巧いか下手かの差があるだけで、そのことに(観客としては)特に価値観も持たないので。
馬鹿で豚にすぎない一般民衆 をコケにしきってるなw
ただ 作品として其れを表現するか否か の差でしかないよね、押井と庵野と宮崎の差はね。
そして「涼宮ハルヒの消失」も だ。

俺はね 逆を行く。
あえて 馬鹿で豚にすぎない一般民衆 とハッキリ言いきる事が出発点だからね。


http://teitodiary.blog63.fc2.com/blog-entry-225.html
結局、「消失」も「ビューティフル・ドリーマー」も現実に戻る。
「ビューティフル・ドリーマー」の現実に帰還する。

エヴァ なんかは物語と呼ぶべきものすら無い。
『エヴァ』という作品で幾らでもカネモウケが継続できる ―― 永遠に終結させられない、それだけ唯一の理由。
其れこそが 中心軸 だよね。

「消失」は長門の夢の世界なわけですよね。

でも、キョンはそこで暮らすことも一瞬考えるんですよ。
 単なるわがまま女子高生のハルヒは他校へ排除して、
 文学少女の長門に、現実として問題にならない未来人じゃないみくるちゃん
 が平和に暮らす
…長門の夢ですよね。

「ビューティフル・ドリーマー」におけるラムちゃんの夢とフェードしてくる。

谷川流が どれぐらいこの作品を意識して「消失」を作ったのか知りませんが、
フィクションに関わる人間(製作者、視聴者、読者)というのは、
多分「このまま夢の世界にいていいのだろうか?」って悩むと思うんですよね。
それが「ビューティフル・ドリーマー」に繋がるし、「エヴァ」になるし、「消失」になる。

「ビューティフル・ドリーマー」は幸せな現実の日常へ帰る という一択を選択する。
「エヴァ」は現実を拒否して夢の中に耽る者達を嘲笑し冷笑する。
「消失」は幸せな現実の一択へ帰る、ただ其の“幸せな現実の一択”の陰を徹底的に隠蔽させられる。

そして
 RE-TAKEは
  幸せな非現実 よりも 過酷な現実の先を巡り巡ってであろうとも小指一本分だけでも進む を選ぶ
も描く。

311以降とは
 幸せな日常という現実の継続は無く 不幸せな日常が現実として継続する
を突きつけている。

最も より現実を描き出している作品 は?
 馬鹿で豚にすぎない一般民衆 を ただただ嘲笑し冷笑し コケにして
 自分の自尊心を満たしたいが為の作品を作って悦に耽ったりする
よりは マシになる 事を俺は少しでもしたい。

涼宮ハルヒの憂鬱〜消失 は
 幸せな日常の継続である現実 と 不幸せな日常の継続である現実 と 平行世界における現実
 を対比させ
 あえて其れを隠蔽する事で「突きつける」為の 構成・脚本・演出 を 一貫して通底して行っている、
其れを如何に料理するかは観る者に委ねられている。

RE-TAKE もまた
 幸せな日常の継続である現実 と 不幸せな日常の継続である現実 と 平行世界における現実
 を対比させるが
 其れでも尚に 現実を突きつける の先をも描き出した。

俺は 現実を突きつけて 尚に 其の先をも描き出したい と思ってきた。
表現者としての俺なりに負けたくない と思ってきた。


テレビアニメのサザエさんが既に 時代劇の如きファンタジー であるのならば
・幸せな日常の現実が継続する
・幸せな非日常の現実に耽る
以外こそが「311以降の現実」だ。
見たいと思う現実は既にして「ファンタジー」でしかない。
見たいと思う現実だけを見せる表現者は 所詮に「其の程度」だろう。
すなわち 庵野 だ。


見たくも無い現実を 如何にして眺めるか?
見たくも無い現実を 如何にして突きつけるか?
そこに表現者としての能力が問われるのであろう。
 見たくも無い現実 を 自分勝手に表現するのみ
は“幸せな非日常の現実に耽る”事をしか意味しない。
すなわち 押井 が陥る罠だ。


俺のしている事は 自慰行為でしかない。
だけど 其処から少しでも先に進もうとしてきた、俺なりには頑張ってきたつもりだ。
まだまだに 全くダメダメなのは百も承知している。
これからも俺は 俺なりに頑張って生きていきたい。
其の前に、間違いなく ネット選挙が俺を合法的に暗殺する だろうけどね。



最初に見かけてから何年になるんだろね?5年くらいか?
だいぶ変わってきたよね お互いに(苦笑)
俺は現役女子高生になる位だしなぁw

野村克也は 変わる事 を選手へ言い続けた。
小沢は実際に 先頭へ立つ者 と変わった。
ならば俺は どのように変わっていけば良いんだろう、なんて考える。

とりあえずMMDが楽しいので 動画は2本目が作り終わった。
うPする事が永遠に出来ないのに、いや 楽しいんで次は何を作ろうかと考えている。
動画の技術 撮影の技術 編集の技術 演出の技術 映画やテレビの技術 を学んでいるのかな とか思う。
マンガの技術は 其れなりには学んできたので 其れなりに応用はしている、上手には出来ないけど。

1本目はpurfumeの「ねぇ」で 2本目はpurfumeの「Dream Fighter」のカメラを変えまくった。
グラボもマトモに積んでいないXPでも 何とかなるもんだなぁw

5~7Gの元動画を 30fpsでエンコードして90M程にして
其れなら十分に走るので 自分専用の視聴動画としている。

自分の好みの動画は自分で作れば良い。
ニコニコを観なくなったんで だったら自分で作る をすれば良いんだなw と心底に分かった。

さて次は何を作ろうかな?
テレビはイラネ の次は ニコニコはイラネ とマジになったなぁw



https://twitter.com/seisyounagon_/status/325508733553762304
私達オタクが「クールジャパン」に対して感じている違和感を一言で表します。
「そばかすだらけでおさげで眼鏡の地味な図書委員が
 ずっと自分の外見をコンプレックスに思ってたのに
 最近それが逆に魅力だと気づいて男子に色目を使い始めた」
この例えが分からないならオタク文化に手を出すな。
全くに異論の挟みようが無い。
ただ 俺なんかは 其れすらをも逆手に取る が自分の好みなんでねw


http://greensnake.blog70.fc2.com/blog-entry-1087.html
アニメ蒼天航路 第22話「呂布伝説」
最後の突進を単騎で試みる呂布。
曹操軍は 其れを無数の鎖で縛りあげて 止めようとする。
http://blog-imgs-34.fc2.com/g/r/e/greensnake/20090902220116510.jpg
板野サーカスの如き軌道を描いて飛ぶ鎖。
鎖の動きすげぇw

なのに、それを明らかに空を飛んで回避する呂布!
呂布だから、舞空術を会得しても おかしくありませんね!
もちろん天然で。

http://blog-imgs-34.fc2.com/g/r/e/greensnake/20090902214333171.jpg
例えぐるぐる巻きにされても、鎖を引き千切ってすぐに脱出。
一人だけドラゴンボールの住人です。

http://blog-imgs-34.fc2.com/g/r/e/greensnake/20090902214332228.jpg
鎖の上を走る呂布!!

http://blog-imgs-34.fc2.com/g/r/e/greensnake/20090902213857662.jpg
踏みつけた兵士の身体が爆裂するw
もう 完全に別の次元のアニメ ですw


http://blog-imgs-34.fc2.com/g/r/e/greensnake/2009090221433106e.jpg
呂布、最後の抵抗……
曹操まで後もう少し……

http://blog-imgs-34.fc2.com/g/r/e/greensnake/20090902214330e24.jpg
http://blog-imgs-34.fc2.com/g/r/e/greensnake/20090902214328cd8.jpg
しかし屈強な兵士達が一斉に鎖で縛り付ける。
http://blog-imgs-34.fc2.com/g/r/e/greensnake/20090902214414008.jpg
身動きが出来なくなった呂布を前にして、

曹操
「呂布、ただ己の強さのみを頼りに暴走する純粋戦士。
 お前は美しい。だがお前に政は似合わない。
 お前はすでに伝説だ。
 この曹操が付け加えるものは何一つ無い」
「己を知らぬまま、いずこからいずこへと彷徨った男だ。
 お前は、この曹操に殺されてこそ意味がある。」

ついに呂布に引導を渡す曹操。

曹操は、呂布に使えた陳宮へ 自分に仕えるよう勧誘する。
陳宮は問い返す
「(主君を殺されて)涙を止めぬ者へ尚に仕えよと言うか・・・
 いいか、この陳宮が仕える主君には3つの条件がある。
 たちどころに答えて この涙止めてみせよ!」
曹操
「人を治めつつ 人心を顧みぬ者
 乱世を戦いつつ 治世を始める者
 天を知りつつ 天意に叛く事を畏れぬ者」
一瞬にして涙を止める陳宮、だが更に曹操へ答える。
「完璧だ。しかし、この陳宮は「完璧なものを直角に曲げて答えを出す。
 3つの条件を全てすべて兼ね備えたものには仕えぬぞ。
 曹操、お前は世の才あるものを躍起になった集めておるが
 その実お前は何者も必要としていない」

曹操
「ならば陳宮、劉備であれば仕えるか?」
陳宮
(劉備か・・・いや、今更に何を迷う必要がある・・・)
「劉備とは
 天を知りて 天に甘え
 乱世に戦わずして 乱世に乗り
 人を顧みて 人心を抱え込む
 まことに鬱陶しい男だ!」

そして全てを拒絶して殺される陳宮。
曹操
「チンキュウの忠心を称えその遺族を厚遇する」
陳宮
「好きにしろ」

http://sumi4460.blog63.fc2.com/blog-entry-1197.html
呂布の場合
史書では捕まえられて打ち首・・・
演技では曹操に命乞いをした挙句に劉備のせいで打ち首・・・

それを考えると
 呂布と陳宮 
 誰にも受け入れられなった呂布 それでも最後まで忠義を受け止めきった陳宮
 その主君と軍師として唯一の信じ合う同士の為に最後まで戦う
という最後もまた 血の通う人間を描く として良いとは思う。

いい話でした。

血が通う人間とは 不合理で非論理的で それ故に多様な生き方となる。

http://cmsb.web.fc2.com/02_gs/05_etc/02_innocence.html
トグサ
「なんか技術屋らしくないな、あのオバさん。」

バトー
「備考欄に感想を書くタイプさ。俺もよく書いた。」

トグサ
「それで出世が遅れたんだ。」

バトー
「とりあえず、あのガイノイドの電脳は9課のラボで確保だな。」

トグサ
「あのオバさんとの縁も終わりか。」

バトー
「お付き合いしたいタイプか?」

トグサ
「実は年上が好みなんだ。次は?」

バトー
「ルーチン通りにやるさ。」

・その価値観や美意識のギリギリの範囲を肌感覚で嗅ぎ分ける
  と 
・カネモウケや聖戦の為にならば 平然と一線を越える
の差異を理解できない連中は「クールジャパン(笑)」とか言い出す詐欺に負ける。

其処へ俺なんかは X軸やY軸でも無いZ軸へ直角に曲げて答えを出したくなる。
いや そういうのがMMDだしねw


バトー
「元は、軍の長距離スカウトだった。
 人の上に立つを得ず。人の下につくを得ず。路辺に倒るるに適す
 って奴で、特殊部隊やら、電子戦部隊やらを転々とする間に、武器密売その他で経歴はドロドロ。
 結局は、お定まりのハッカーに落ち着いた。」

トグサ
「凄い素性って奴だな。」

バトー
「ロバが旅に出たとこで、馬になって帰ってくる訳じゃねえ。
 器なりに身を持ち崩した、馬鹿な男さ。」


ただ俺だって 所詮には其の程度だ。

下層に生きる俺の周囲もまた其の程度だ。
だが それでも まだマシ だと思う。
マヌケなまでに勤勉で 愚かなまでに善性を持っている。
だから 其れで充分じゃない かと思う。

後は 其れを啓蒙していく者達の責務 が必要となる。
それが マスコミ新聞テレビ大手メディアの嘘デマ扇動に負けない 情報流通の下士官の責務 となる。

そんな事を 一つ一つに積み上げていくしかない。
だけど そんな先に全く別のモノが有ったりもする場合も有るしね。



http://blog.livedoor.jp/willreplica/archives/1816472.html
http://gamayauber1001.wordpress.com/2013/03/23/%e3%80%8c%e3%81%a8%e3%81%a6%e3%82%82%e5%8d%98%e7%b4%94%e3%81%a0%e3%81%8c%e8%a8%80%e8%91%89%e3%81%ab%e3%82%88%e3%81%a3%e3%81%a6%e3%81%af%e8%aa%ac%e6%98%8e%e3%81%a7%e3%81%8d%e3%81%aa%e3%81%84%e7%90%86/
「とても単純だが言葉によっては説明できない理由」について

「共感」は出来る が 納得は出来ない。
生き方が俺は違うな。
凄く「共感」したいし 「感動」もしたいが、全力で納得しない。
無論に、そういう生き方を否定もしないし むしろ心の底より称賛をしたいが。

俺は「言葉によって説明は出来ない」で逃げない。
その場から逃げ出した感覚や感情には すごく共感できるけどね。

言葉で思考を積み上げるという行為を自らの存在意義に対する美意識としては上位に置く な俺 
 と
海に生きる者
という生き方の棲み分けの差が有る。
他の生き方 他の価値観 他の美意識 他の美的観念 を認めて そして生きて行く、
とは 棲み分け を意味するからね。
多神教で文明人の叡智は そういうトコで発生する。

ならばこそ
其の生き方を全力で賞賛すると同時に「全力で納得しない」を俺はする、
これが俺の生き方だ。

けれども一神教で野蛮人は
 他の生き方 他の価値観 他の美意識 他の美的観念 を認めない
そして 其処に厳格な階級序列を必ずに組み込む をするべく息を吐くように嘘デマ扇動を吐き続ける。



伝説的ヨット乗り、フランス人のBernard Moitessierは
世界で初めての単独無寄港世界一周ヨットレースであったSunday Times Golden Globe Raceに参加する。

なにしろGPSどころか近代的なバタンすらない頃で、
ヨットで無寄港で世界一周をするなどは無謀な冒険とみなされた時代である。

1968年の このレースで、他の参加者がすべて脱落したあと
Robin Knox-JohnstonとBernard Moitessierの二艇のketchだけは終盤まで生き残って、
全て難所を乗り越えて、いまや目前の最終目的地の連合王国を目指す。

Bernard Moitessierのヨット「Joshua」が
喜望峰を周って大西洋に姿を表した時のフランス人達の熱狂は凄まじいもので、
イギリス艇とデッドヒートを繰り広げながら大西洋を北上して、
もうじき欧州の海に現れる「フランスの英雄」の為に、
フランス海軍は歓迎と伴走のための大艦隊を組織して出航する準備にかかり、
政府はレジオンドヌール勲章を約束する大騒ぎになった。
少なくとも10万人の大観衆が到着港には見込まれていた。

妻のフランソワーズは
ずっと後になって
「でもわたしには何かが起きるとわかっていました。
 わたしはBernardという人を誰よりも良く知っていましたから」と述べている。

この、自分の妻によって「詩人、哲学者」と描写された偉大な航海者のBernard Moitessierは、
ゴールを目前にして突然ヨットを反転させる。
彼自身の言葉によれば
「とても単純だが言葉によっては説明できない理由」
によって、彼は、なんと二周目の世界周航に向かってしまう。

破天荒どころではなくて、今で言えば
 火星から帰還して地球軌道にもどってきた単独宇宙旅行の飛行士が
 勝手に もう一度に火星を目指して飛び去ってしまう
ようなもので、自殺的とも狂気の行動ともみえる行動だった。

Bernard Moitessierの「狂気の反転」のニュースが伝えられると
フランス国民は怒り、悲しみ、失望に沈んで、途方もなく混乱した気持ちに陥っていった。

Moitessierの娘は三日間泣き続けて、
「おかあさん、わたしたちはこれからどうやって生きていけばいいの?」
と訊いたが、母親は
「あれがお父さんなんだから、このまま生きていくしかないじゃないの」
と答えたそうである(^^)

Bernard Moitessierは再び難所だらけの「Roaring Forties」
http://en.wikipedia.org/wiki/Roaring_forties
を通過し、まるで選んだように帆船にとって困難な海ばかりを通ってタヒチに着く。

ようやく、そこで航海を終える。

10ヶ月、70000キロメートルに及ぶ単独航海は、
もちろん、新記録と呼ぶのも馬鹿馬鹿しいほどの大記録だったが、
Bernard Moitessierは
 自分が夢中になって読んでいた本を読み終わってしまいたくなかった一心で、
 自分が いったいどれほど遠くまで来たかを、知らなかったのではないか
と思われる。

Bernard Moitessierはレース前のインタビューで
「このレースにカネや名声めあてに参加する人間はひどく後悔することになるだろう」
と述べた。

ひとびとは、なるほど、と彼の簡明すぎる言葉を理解したつもりで頷いたが、
ほんとうは何もわかっていなかった。

子供の頃、Bernard Moitessierの物語を読んで、どれほど興奮したか、うまく説明できない。

わしは人間は目標をたてて精励して努力するときが最も尊いのだ
というのは嘘だと思う。

Bernard Moitessierは 海に居たい それだけだった。

先週、船をだしてハウラキガルフの外へ遊びにいく途中、
 もう夕陽が落ちる頃のオレンジ色の海面を横切って、
 陸地から遠く離れた沖合で、小さなローイングボートで波を切りながら進んで行く人
を見て、なんて危ないことをするのだろう、と考えた。

が、考えてみれば人間の一生は、要するに
 いつ転覆させる波がくるか分からない海面を
 小さなボートを漕いでゆくようなもの
であり、
家へ帰ってから、あれは人間の一生の姿そのものに過ぎないのだ、と考えたりした。



Sunday Times Golden Globe Raceには、
このレースによって歴史に名前を残すことになった もうひとりの人物 が
実は参加している。
この人の名前は聞いたことがある人もいると思うが、Donald Crowhurstという。
航海用ビーコンの発明者である。

ビーコンを作って売るビジネスが上手くいかなかくなっていたCrowhurstは
その自分のビジネスを苦境から救う宣伝効果の為にに当時としては画期的なデザインであった
 trimaran
 http://en.wikipedia.org/wiki/Trimaran
でレースに参加する。

今では殆どのヨットレースでtrimaran が見られるとおり、
冒険的だが非常に合理的な考えでDonald Crowhurstは
実際にレースに勝って名声と大金を手にするチャンスを得ようとしていた。

trimaranの欠点である横転時の復元性を改良するために
 Crowhurstが考えた
 マストの先のバルーンとアウトリガーのバラストの組み合わせで出来た復元装置
の一つを取りあげても、Crowhurstの独創性そのものが非常に素晴らしい事は判る。

しかしCrowhurstは、
レースの途中で身を隠して、
途中の大西洋復路からレースに再び参加した。
世界一周をし続けている と装おうとして航海日誌を偽るまでをもした。

実際にインチキは成功していたのだが、
レースの参加者が少なくなるにつれて 高まる自分への歓呼の声に絶えられなくなっていた。
そしてサルガッソー海で悲劇的な自殺を遂げる。

Donald Crowhurstの過ちは
 航海とは自分の一生に資す道具でしかない
と思い込んでしまったことだろう。

世界一周という航海を自分の名声と経済的成功への道具だと意識した瞬間から、
彼にとっては航海は実行するのが不可能なほどの苦痛に満ちた重い労役に変わっていった。


しかし このレースの後にKnox-Johnston卿
http://search.yahoo.co.jp/search?p=%E3%83%AD%E3%83%93%E3%83%B3+%E3%83%8E%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%80%80%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%B3
ロビン ノックス ジョンストン
はレースの賞金をDonald Crowhurstの未亡人と遺児達へ送っている。

 人間の悲惨の罠に嵌まって藻掻けば藻掻くほどに身動きが取れなくなっていった
 哀れに苦闘する1人の人間、
への
 航海をする為の道具として人間の一生を眺める
 というまるで正反対の角度から一生を見つめて終始した冒険者(其の大会の優勝者)
からの 挨拶だった と考える。

随分と抒情的というか情緒的というか そういう表現だなw
俺なんかからすれば イギリス人的な強烈な嫌味を込めたジョーク としか映らないし
だからこそ なに憚る事も無く そのまんまに書くけどねw
俺は そういう余計な装飾表現は 俺の好みでも無いんでねw



 Donald Crowhurstが電報を打って発表する航海記録を
 海の上でニュースとして聞いていたKnox-Johnston卿やBernard Moitessierは
 信じた事は一度も無かったのではないか
とわしは思う。

「とても単純だが言葉によっては説明できない理由」が、
トリマランのビジネスマンには、欠片も見あたらなかった。
http://search.yahoo.co.jp/search?p=%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%9E%E3%83%A9%E3%83%B3
トリマラン


そうして、
 そういう ことども
というものは 怖ろしいことに、
 いつでも「手のひらにさすようにして」
 言葉によって説明できないものを共有する人々
には判ってしまうものであるからです。


野蛮人と文明人 の生き方や美意識や美的観念の差異は
分かる人には分かる、肌感覚でね。
平時の場合
 言葉によって説明できないものを共有する人々には判ってしまうモノ 
でも構わないだろう。

ただ 俺は、
 極東の一諸島で起きている大量虐殺と民族浄化へ対抗するべく 論理構築と理論武装をする 為には
 もう
  野蛮人と文明人 一神教と多神教 そして宗教右翼カルト を
 言葉にして明確に説明しなければならない
と考える。

311以前より 下層民として大量虐殺と民族浄化の現場を見届けていかざるを得なかった俺からすれば
 何を今更な話を
なんだが。

実際に殺されそうになって痛くなる をしなければ、平時に生きる大概の人は気が付かない。
それでも尚に啓蒙をして行こうとする、其れが俺達の民主主義だと思う。



http://karasmoker.exblog.jp/14966851/
流麗な関西弁で、夢邪鬼は問いかける。
「望ましい夢の世界にいればええやないけ」
此処に『ハルヒの消失』との類似を見ます。


『消失』では ハルヒが存在しない世界 がキョンの目線から描かれる。
そこは実に平穏な世界です。
ハルヒのむちゃくちゃに振り回されることのない世界です。

しかしキョンは戸惑います。
その戸惑いは分かりやすく序盤で言明されます。
「突如ユートピアに連れて行かれたとしたら、人は喜べるのか?」

もちろん、世界には明日を生きるのも覚束ない境遇の人は数多くいるし、
そうした人々ならばイエスと応えるかもしれません。

しかし、ぼくを含めた大半の現代の日本人ならばどうか。
 楽しいことばかりで嫌なことのひとつもないユートピアがあるからおいでよ、
 その代わり今の世界にはさよならだよ。
さて、向こうの世界に旅立てるのか?
 旅立てない? 
 なぜなのか。今の世界は完璧で、自分の生も満たされていると言えるのか。
 言えない? 
 じゃあなぜ今の世界を捨てない? 向こうの世界は楽園なのに。
この問いへの答えを用意している
それが『消失』であり、『ビューティフル・ドリーマー』であり、そして『オトナ帝国の逆襲』なのです。

ただ 311以降に居る今の俺からすれば
 そこは「戦国大合戦」の方じゃね?w
とは思っちゃったりもする。

そして 俺に其の先までをも教えてくれるのはRE-TAKEだった。

 ↓
http://mkt5126.seesaa.net/article/319279021.html
シュタゲ/まどマギ以前の作品は、 世界を改変する力を持った人々を描く ものが流行ったが、「どのように改変するか」は シュタゲ/まどマギの“以前と以降”では全く違う。

311以降を描いて教えてくれる作品 に これからも俺は出会えるであろうか?
そう祈りたい。






posted by 誠 at 23:30| Comment(0) | TrackBack(0) | (゚∀゚) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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