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2013年06月16日

野球を仕事にして生活する人達


http://www.plus-blog.sportsnavi.com/tasogarebaystas/article/42 のキャッシュ
http://cache.yahoofs.jp/search/cache?c=j6IXs-vJ6mIJ&p=%E7%B5%B1%E4%B8%80%E7%90%83+%EF%BE%85%EF%BE%8D%EF%BE%9E%EF%BE%82%EF%BE%88&u=www.plus-blog.sportsnavi.com%2Ftasogarebaystas%2Farticle%2F42


2013年06月12日前回の記事。跳ぶ統一球にナベツネの影。は管理局により削除されました。

タイトルどうり前回の記事。跳ぶ統一球にナベツネの影。は管理局により削除されました。

このような場末のファンブログでも渡邊恒雄の名は軽々しく扱ってはいけないアンタッチャブルな存在らしく何の説明もうけてません。

コメントを頂いていた皆様。
そうゆう事情ですのでまとめて失礼いたします。

まず加藤コミッショナーや日本プロ野球機構の責任で渡邊氏は関係ないというご指摘ですが、今回球を替えていたことを隠ぺいしようとしたことに関してはそのとうりだと思います。私が指摘したのは替える事を推し進めたのには渡邊氏が深く関わったのではないかということです。替えるメリットについては去年あれだけ理想的なペナントレースだったにも関わらず観客動員数、売り上げ共に苦戦するという現実を打破するためかと。
コミッショナー側は今替えてしまっては説明がつかないから隠ぺいするはめになったのかなと。
記事としては圧倒的な存在感を示すヒール渡邊恒雄が元気なうちはいいが数年後必ずいなくなってしまう。その時をどうゆう形で迎えるのか。というニュアンスだったのですが、上手く伝わらなかったですかね。

最後に後継者についての話がありましたが、球界のヒールという部分で原さんに期待していたんですが、去年のWBC監督辞退でナベツネの寵愛が離れてしまった節がありますのでなんとも、原さんには堂々と一億円の価値のある人だったと宣言して監督を受けて、浪人中の菅野を召集する位の事をやって欲しかったです。でないとナベツネの後釜などとてもつとまりません。
コミッショナーの後任にプロ野球OBをというご意見ですが、東尾、清原、金本など灰汁の強いOBを見ても古田、宮本、松井、高橋などのベビーフェイスも、政治力や社会的大物感が足りないきがします。
選手会の意見を汲み上げる第三者機関を機構にOBたちで造るぐらいでいいと思います。

加藤コミッショナーの後釜は秋頃には暇してそうな桝添さんなんかいいんじゃないかな、なんて思ってます。

あまりブログを書き慣れていないのでわからないのですが、記事が抹消されるときになにも説明されないんですかね?
知ってる方教えてください。


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posted by tasogarebaystas |12:44 | プロ野球(NPB) | コメント(25) |


この記事に対するコメント一覧
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前回の記事。跳ぶ統一球にナベツネの影。は管理局により削除されました。
コメント投稿者ID : OOH00034140

確かに、ナベツネというか、読売グループが関わっている可能性は高い感じがします。
通常プロ野球記事に詳しい傾向にある読売新聞が、この統一球に関する記事があまりにもさらりとしている。こんな事実がありました、程度で済ませている。どうも解せないですね。巨人もだまされた立場のはずで、その影響はかなり大きいはず。それなのにこの記事は。書かなきゃ、疑われる、でも本当はもう知っていたから詳しく糾弾する記事を書くのは気が引ける。そんな感じがします。知らなかったのは、11球団というのが実は正しいという気がしています。読売の記事を見ると。

posted by 風 | 2013-06-12 14:37

前回の記事。跳ぶ統一球にナベツネの影。は管理局により削除されました。
コメント投稿者ID : OOH00044536

ナベツネがアンタッチャブル云々以前にこの手のものは憶測でしかない上に例え事実だとしても個人を誹謗中傷する立派な名誉毀損罪に当たりますよ。
ブログの管理会社とあなたが読売新聞社から訴えられる可能性もあるわけですし(実際に訴えられることはないでしょうが)、管理会社が記事を削除したのは当然でむしろあなたは管理会社に感謝した方が良いのでは?

ジャーナリスト気取りも良いですが、あなたは一度イエローカードをもらっているわけですから、ブログごと抹消されないようにこのエントリーも消した方が良いですよ。
よく考えましょう。

posted by それはまずいでしょ | 2013-06-12 14:48

前回の記事。跳ぶ統一球にナベツネの影。は管理局により削除されました。
コメント投稿者ID : OOH00047321

何となく黄昏れて・・・
何となく書いてることがわからなくて・・・

私は大の巨人ファン
あなたの巨人とナベツネが嫌いなのはわかった
その気持ちもよくわかる

でも書き方がね?
部屋でビール飲みながら仲間と話してるわけじゃないんだからさ

もうちょっと気を遣ってもいいかなあ と思いましたよ

生意気なこと言ってごめんなさいね

posted by 親分 | 2013-06-12 14:58

前回の記事。跳ぶ統一球にナベツネの影。は管理局により削除されました。
コメント投稿者ID : OOH00050881

先入観じゃないでしょうか。
きっとナベツネが関わってるんだろうという。

そもそもの問題はそこじゃなくて不良品の存在や隠蔽ですし。

というかナベツネの指示だろうが反発係数が修正されたこと自体はいいことですよね。
不良品での試合を私達は見てたわけですから。

どうにもナベツネと関連づけないと気がすまないという野球ファンの方が多いみたいですね。

posted by 通りすがり | 2013-06-12 15:02

前回の記事。跳ぶ統一球にナベツネの影。は管理局により削除されました。
コメント投稿者ID : OOH00054174

>替えるメリットについては去年あれだけ理想的なペナントレースだったにも関わらず観客動員数、売り上げ共に苦戦するという現実を打破するためかと。

昨年の巨人の観客動員数、前年比増の上、阪神抜いて12球団1位じゃなかったでしたっけ?
それに、飛ばない統一球対策がようやく整って日本一になったその翌シーズンに、巨人が飛ぶ統一球に変えるメリットって?
私がナベツネなら、絶対に変えさせないでしょう。
WBCで負けたんだからと理由をこじつけてね。

posted by おいおい | 2013-06-12 15:16

前回の記事。跳ぶ統一球にナベツネの影。は管理局により削除されました。
コメント投稿者ID : OOH00029844

今回は巨人も変更を隠蔽されて被害を受けているんですけどね……

>替えるメリットについては去年あれだけ理想的なペナントレースだったにも関わらず観客動員数、売り上げ共に苦戦するという現実を打破するためかと。

去年あれだけ圧倒しておいて、いくら不良品だったとはいえそれを替えさせる方がリスク高いと思うのですが。打者は飛ばない統一球なりの打ち方、投手は抑え方を身に着けたのですから。

他のブログでもそうですが、特に深い理由も無くただナベツネの名前を挙げるのはどうかと思いますね。

posted by toori | 2013-06-12 15:34

前回の記事。跳ぶ統一球にナベツネの影。は管理局により削除されました。
コメント投稿者ID : OOH00035206

たいへんですねえ? こんな小市民の書き込みまでチェックされているのですね。ご苦労様です。
だから・・・どのチャンネルをひねっても、ワタナベさんのワの字もも言わないはずだ。戦時中もこうだったんでしょうねえ。

ジャイアンツファンって可哀そうですね。以前から指摘されているように、マスコミがスポーツチームを持つとこのような弊害を生みます。
純情な幼少時にジャイアンツファンになったんでしょう。するとそのまま読売は正しい、なべつねさんは正義となります。
幼少時の刷り込みは、おかしな宗教の使う手ですね。
何を言っても信じきってますから軌道修正できません。

気にしないで頑張ってくださいね。

posted by waopapa | 2013-06-12 15:38

前回の記事。跳ぶ統一球にナベツネの影。は管理局により削除されました。
コメント投稿者ID : OOH00037355

全国のジャイアンツファン及びプロ野球ファンの方々に不快な思いをさせてしまい、ベイスターズファンとして謝ります。申し訳ありません。
こんな憶測だけの記事を書くあなたは情けないし恥ずかしい。もうベイスターズファンを名乗らないで!!!

posted by 九州のベイファン | 2013-06-12 16:05

前回の記事。跳ぶ統一球にナベツネの影。は管理局により削除されました。
コメント投稿者ID : OOH00051193

なぜナベツネが関わっていると思われるのか、そこをきちんと証拠などを提示して論理的に説明できなければ誹謗中傷と同じです。ナベツネは球界で物議を醸してきた存在ですが、それだけでは疑うには根拠が薄いとは思わないでしょうか。管理人様は社会人でいらっしゃると思いますが、感情や好き嫌いだけでものを語る幼稚なことから卒業しないといけないのではないでしょうか。

posted by sn | 2013-06-12 16:42

前回の記事。跳ぶ統一球にナベツネの影。は管理局により削除されました。
コメント投稿者ID : OOH00054598

削除されてしまいましたか・・・。
私も正直「渡辺氏」はすきではありません。
はっきり言えば「嫌いな方」です。

しかし、ほかのブログの方もそうですが今回の件で渡辺氏を関連付けるものはないし、もうそれは「言いがかり」に近いものを感じます。

消された記事にも書きましたが「証拠なくして個人名」を上げるのは、警察で言えば「冤罪」ですよ。

確かに渡辺氏は「横暴な言動」が目立つ人物ではあります。
しかし、今回の件で責められるべきはコミッショナーですよね?あなたを含めて「渡辺氏の名前」を根拠もなく上げるのは逆に「本質を隠す」事になりませんか?
NPBに協力をするということでしょうか?

場末と自虐的な事を書かれていますが、勘違いしないでいただきたい。
「外に向けて自分から発信している」ということを。

これはブログやツィツターなどやられてる方は絶対に忘れてはいけないことです。
「自分のこんなブログは見られてはいないだろう・・・」
「ブログなんだから何を書いても良いんだ」

それは、違います。
「どこで、誰に読まれるかわからない。だから、責任を感じて書く。表現をする。」
それを肝に銘じなければ、性別・国籍・年齢・地位・名誉・財産あらゆるもの関係なく「その資格はない」と思います。
言葉の独り歩きは、非常に危険です。
イメージだけで語るのは、もっと危険です。

どなたかも書かれてましたが、名誉棄損にもあたります。

「実名」を書かれる時は、細心のご注意を。

たかがブログ・・・ではありませんよ。

「自分から外に向けて発信」しているのですから・・・・・。

posted by hi | 2013-06-12 17:29

前回の記事。跳ぶ統一球にナベツネの影。は管理局により削除されました。
コメント投稿者ID : OOH00018566

仮にあなたが「ナベツネ」のところに別の個人名を入れていたとしても、やはり同じ結果になっていたと思いますよ。
あなたのような人はツイッター等でもしばしば見かけます。
そもそも自分の憶測に何の根拠もなく偏見と悪意に基づくものでしかないということを全く理解しておらず、自分の物言いが他人に不快感を与え名誉棄損になる恐れすらあるから削除されたり批判されたりするのだということを呑み込めずに、圧力が働いた弾圧されたやっぱりタブーがあるんだ云々と騒ぎ回る手合いです。
人を断罪するには証拠が必要だということをあなたは判っていらっしゃいますか?
過去にどんな所業のある人でも、新たな容疑をかけるについては「その件についての証拠」がいるんですよ。

posted by SN | 2013-06-12 17:30

Re:前回の記事。跳ぶ統一球にナベツネの影。は管理局により削除されました。
コメント投稿者ID : tasogarebaystas

>風さんコメントありがとうございます。
自分も個人的な意見としてコミッショナーは読売の所有物、今回の最大のメリットは情報の独占にあると思っています。
しかし今回の記事はあまりに未成熟で載せるような物ではなかったと反省します。

posted by tasogarebaystas | 2013-06-12 18:58

Re:前回の記事。跳ぶ統一球にナベツネの影。は管理局により削除されました。
コメント投稿者ID : tasogarebaystas

>それはまずいでしょさんご指摘染み入ります。
書き慣れてないとはいえブログの公共性を著しく欠いたものでした。反省します。

posted by tasogarebaystas | 2013-06-12 19:02

Re:前回の記事。跳ぶ統一球にナベツネの影。は管理局により削除されました。
コメント投稿者ID : tasogarebaystas

>親分さんご気分害されたこと素直に謝罪します。
ご指摘のとうり居酒屋で隣から聞こえてくるだけでも気分の悪いレベルでした。反省します。

posted by tasogarebaystas | 2013-06-12 19:08

Re:前回の記事。跳ぶ統一球にナベツネの影。は管理局により削除されました。
コメント投稿者ID : tasogarebaystas

通りすがりさんコメントありがとうございます。ご指摘の通り不良品が混じっていたことを放置していた、コミッショナーの責任に関する問題が最大のテーマでしたね。

posted by tasogarebaystas | 2013-06-12 19:14

Re:前回の記事。跳ぶ統一球にナベツネの影。は管理局により削除されました。
コメント投稿者ID : tasogarebaystas

おいおいさんコメントありがとうございます。巨人が売り上げ一位になったからといって、全体の前年比は下がり続け、地上波中継もなくなった今、野球人気自体を考慮出来るからこそのナベツネだと思っています。

posted by tasogarebaystas | 2013-06-12 19:23

Re:前回の記事。跳ぶ統一球にナベツネの影。は管理局により削除されました。
コメント投稿者ID : tasogarebaystas

tooriさん。
前の方にも書きましたが個人的には読売は知ってると思ってました。しかしあまりに未成熟。自分勝手な論理で書くに値しなかったと反省しております。

posted by tasogarebaystas | 2013-06-12 19:30

Re:前回の記事。跳ぶ統一球にナベツネの影。は管理局により削除されました。
コメント投稿者ID : tasogarebaystas

waopapaさんコメントありがとうございます。
中途半端に巨人軍をいじくった自分が悪いと反省しております。

posted by tasogarebaystas | 2013-06-12 19:34

Re:前回の記事。跳ぶ統一球にナベツネの影。は管理局により削除されました。
コメント投稿者ID : tasogarebaystas

九州のベイファンさん代わりに謝って頂いてありがとうございます。
あなたのような時間をもて余したファンの存在は心強いです。
これからも一緒に横浜を応援しましょう。

posted by tasogarebaystas | 2013-06-12 19:39

Re:前回の記事。跳ぶ統一球にナベツネの影。は管理局により削除されました。
コメント投稿者ID : tasogarebaystas

snさんは学生でらっしゃいますか?
顔の見えない相手に説教垂れて気持ち良くなっているのも相当幼稚ですよ。
早く大人になって遊び相手をみつけてください。

posted by tasogarebaystas | 2013-06-12 19:43

Re:前回の記事。跳ぶ統一球にナベツネの影。は管理局により削除されました。
コメント投稿者ID : tasogarebaystas

hiさん。貴方色々な方のコメント欄に長々と訳の解らない講釈を垂れてらっしゃるようですが、貴方のような方ほどご自分で発信する努力をなさった方が良いと思いますよ。
老婆心ながら人の揚げ足をとるほど簡単で下らないことはありません。ご自分の足下をよくご覧になっては。

posted by tasogarebaystas | 2013-06-12 19:49

前回の記事。跳ぶ統一球にナベツネの影。は管理局により削除されました。
コメント投稿者ID : OOH00054598

あなたが「最低な方」と、充分わかるに足りる返信です。


色んな方への「皮肉交じりの返信」があなたの人間性を表現なさっているのでしょう。

あなたが「証拠もないのに名前を出される立場」になってみたら良いのではないでしょうか?

そんな場合も、ぶれないでくださいね。
言うことを変えないでくださいね。

ブログやツィツターで他人のプライバシーを発信する「考えられない方」と同等と理解しました。




posted by hi | 2013-06-12 22:20

前回の記事。跳ぶ統一球にナベツネの影。は管理局により削除されました。
コメント投稿者ID : OOH00044335

ナベツネっていうか、読売が絡んでるのかな、というのはどうしても出てきますよね。
まあ、管理人さん曰く、場末のファンブログにも皆さん群がってくるんですから驚きですねえ。
こんな日に番長が完封勝ちするのだから面白いな、と。

posted by ドラファン | 2013-06-12 22:32

Re:前回の記事。跳ぶ統一球にナベツネの影。は管理局により削除されました。
コメント投稿者ID : tasogarebaystas

ドラファンさんコメントありがとうございます。
いやー野球ってホントにすばらしい。
そもそも二日間も日程が明かなければこの蛇足記事もなかったなんて、言い訳にもならないですね。
しかしこれ程反応があるとは。読売ネタは慎重にきしたいと思います。

posted by tasogarebaystas | 2013-06-12 23:31

前回の記事。跳ぶ統一球にナベツネの影。は管理局により削除されました。
コメント投稿者ID : ELG00052815

コメント失礼します。

読売ネタだからというよりも、あなたが不良品と隠蔽という問題をナベツネにすり替えるかのような記事にしてるから反応が大きいのだと思いますよ。

他の方のご指摘にもある通り、別の人物でも反応は大きかったでしょう。

それと、今回の記事はあくまで個人の憶測であり、指摘を受けるのもごく自然なことです。
原因がご自分にあるのに、逆ギレのごとく皮肉まじりの返信をされるのは違うと感じます。

posted by Marco | 2013-06-13 00:10



http://www.plus-blog.sportsnavi.com/tasogarebaystas/article/41 のキャッシュ
http://cache.yahoofs.jp/search/cache?c=dxPm1Exog9kJ&p=%E7%B5%B1%E4%B8%80%E7%90%83+%EF%BE%85%EF%BE%8D%EF%BE%9E%EF%BE%82%EF%BE%88&u=www.plus-blog.sportsnavi.com%2Ftasogarebaystas%2Farticle%2F41

2013年06月12日跳ぶ統一球にナベツネの影。

やはり今年のボールは跳ぶようだ。
いまさらメーカーに発表させるやり口にあのおじいさんの影がチラつく。
自民党政権復活以降、俄然元気な渡邊 恒雄、読売ジャイアンツ球団会長だ。

元々観客動員数の伸び悩みを理由に反対を公言していたが自民党政権になり公の場での発言も増えた去年、WBC問題などで大分影響力が戻ってきたなと感じていたので、今年あたりなんかするかなと思っていたら、案の定。

皆ボールに異変を感じているのに変えてないと言い張るこの感じ、もうしょうがないじゃんというタイミングで第三者に発表させるこの感じ。
長嶋さんだけでなく松井もくっ付けて若い世代も巻き込んで全国規模のお祭りに仕立てようとするゴリゴリしたこの感じ。
懐かしい。
うん、昭和だ。
情報が溢れだし自由に検索、選択の出来る時代。
地上波でのナイター中継はなくなり、野球は国民的競技の役割を終え、カテゴリーのひとつに、オリンピック競技からはずれ国際大会の整備が急がれたが、MLBの条件を丸呑みするようないびつなWBCにすがり、前出オリンピックは選考でスカッシュに遅れをとるていたらく。
コミッショナーなどなにも機能してないに等しい。

ナベツネのやることに賛否両論あるのは当然だが、この年代のリーダーのやることは単純で力強く解りやすい。何より間違ってはいない。
忙しさにかられ、この手の力強い指導者に信用はしなくても心地好く流されていた昭和。
情報多化で何を選択して良いか解らず立ち止まってしまう、現代人を取り込むのに今またこの手のリーダーは必要なのだと思う。
ナベツネや石原慎太郎がいなくなったあと、彼等を批判するだけの人達に何ができるのか。

今はまだ渡邊 恒雄の力は必要なのだと思う。


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posted by tasogarebaystas |06:15 | プロ野球(NPB) | コメント(1) |


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跳ぶ統一球にナベツネの影。
コメント投稿者ID : OOH00054598

別に擁護する気は毛頭ないですが、証拠もないのに「ナベツネの影」とは些か勇みあしではないかと。

選手会からの「公式」の質問に下田コミッショナー事務局長が回答したまで。

私は逆に「ナベツネ」は不要だと思ってます。
コミッショナーが独立的な立場でない、現状はどう考えても「フェア」ではない。
オーナーの気に入った人物など、もっての外。

1リーグ・8球団制が彼の望む形らしいですが・・。それこそ「崩壊への序曲」です。

それに、野球の役割は全然終わったとは思いません。
オリンピックは日本の責任だけではありませんしね。他の国では「野球」さえ知られていない国も多数あるわけですから。

色んな情報が溢れてるからこそ、色んな事に目を向けられることは良い事。
それで、野球がソッポを向けられてるとは感じません。

今回の件では、コミッショナーの説明は不可避でしょう。
やらなくてはいけない事だと思います。
全く機能してないのは同意ですから、せめて「説明」は機能して欲しいと思います。


posted by hi | 2013-06-12 09:13















http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20130610-00000001-number-base
メジャーで躍動する永遠の野球小僧。天衣無縫な川崎宗則、本当の価値。
Number Web 6月10日(月)18時30分配信

「サンキュー ベリー マッチ。マイ ネーム イズ ムネノリ カワサキ。アイ アム フロム ジャパン。アイ アム ジャパニーーーーーズ!!!」

写真付きの記事はこちら

 5月26日のオリオールズ戦。チームをサヨナラ勝ちに導く決勝2点ツーベースを放ち、ヒーローインタビューに登場したブルージェイズの川崎宗則選手が発したこのフレーズは、日本はおろか全米中で話題となった。

 ESPNなどのスポーツ番組で取り上げられる一方で、MLBの公式サイトでもビデオとしてアップロードされ、さらにYouTubeなどでも公開され、瞬く間に人々の心を掴んでいった。

 これ以降、川崎の認知度は全国規模で急上昇し、今や遠征先でもファンから声援を受けるほどの人気ぶりだ。

 メディアの間でもすっかり評判となり、ブルージェイズ担当ではない知り合いの記者たちからも「歴史的なスピーチだった」「最高に愉快だった」等の感想を聞き続けた。誰もがみな、川崎のマイク・パフォーマンスを好意的に捉えている。

■“英語が堪能ではない陽気な日本人選手”の本当の実力。

 だが川崎の人気、認知度が高まる一方で、果たしてどれ程の人たちが彼の“真の価値”を理解しているのか甚だ疑問を感じている。

 4月13日のメジャー昇格以来、川崎がチームに及ぼした影響は、当たり前だが今回のマイク・パフォーマンスに代表される“英語が堪能ではない陽気な日本人選手”という一言で片付けられるものではない。それはジョン・ギボンズ監督の川崎評に如実に表れている。

「ホゼ・レイエスが負傷した時、我々は今後どうすべきか途方に暮れていた。その一方で、カワサキについては正直ほとんど知らなかった。にもかかわらず、ここまで打撃、守備ともに自分たちの期待以上の仕事をしてくれている。今では彼がいないことを想像もできないほどで、まさに彼以上の存在はいないと考えている」

 ブルージェイズが川崎とマイナー契約を結んだのはキャンプも佳境を迎えた3月2日のこと。メディアはおろかチーム首脳陣でさえ現在の川崎の姿を想像すらしていなかった。

 地元メディアの1人から聞いたところでは、レイエス選手の負傷によるメジャー昇格も、彼の活躍次第ではすぐにマイナーに戻す予定だった“試験”昇格だったらしい。それが監督の言葉通り、今ではチームを支える重要な存在になっているのだ。

■噛めば噛むほど味が出る、スルメイカのような存在。

 もちろんメジャーを代表するレイエスの代役を100%務めるのは不可能といっていい。

 実際打順は1番を担うレイエスとは違い、8番や9番に入っているし、相手先発投手が左腕の場合は先発から外れるという起用が続いている。しかも、6月5日現在の成績は、打率.214で本塁打はなく14打点。この状況を傍から見る人々がギボンズ監督の言葉を真に受けるのは難しいだろう。だがもう一度指揮官の言葉に耳を傾けて欲しい。

「カワサキを初めて見た時から、彼が自分の役目を確実に遂行できる基本を叩き込まれた選手だということがわかった。打撃面では走者を進めるためバントなど細かいことができるし、どの打席でも粘って投手に球数を投げさせ四球につなげるし、たとえ安打が出なくても無駄にすることがない。そして出塁すればスピードも備えている。守備でもポジショニングが正確で、確実に併殺を奪うし中継プレーでも確実に送球をしている」

 ギボンズ監督の言葉を裏付けるように、打率こそ低いが、四球を含めた出塁率では40試合以上出場する主力クラスではチーム4位の3割3分1厘で、盗塁数もチーム2位の7を記録するなど、下位打線から出塁し上位打線のバットで得点につなげるという攻撃パターンを生み出している。

 さらにバッティングの粘り強さや守備上のポジショニングの的確さなどは、成績上に現れることがない普段の彼のプレーぶりを見ていなければわからない部分だといえよう。

 だからこそ、昨年在籍したマリナーズの成績しか知らないブルージェイズ首脳陣は、成績では推し量れないそのプレーに満足している。

 川崎のプレーは見れば見るほどに、彼本来の価値を見出す──まさに噛めば噛むほど味わいが増してくるスルメイカのような選手なのだ。

■プレーだけでなく、野球を巡るあらゆる場面で川崎は愛されている。

 川崎の深みはプレーだけではない。日常にも隠されている。

 彼はメジャーに昇格以来、とにかくチーム内に前向きなムードをもたらしている。先発出場の有無にかかわらず毎日一番最初にグラウンドに姿を現し、体幹トレーニング、スローイング、バッティング等々の個人練習をひたむきにこなす。

 その合間に参加義務はないにもかかわらず中継ぎ投手のランニング練習に加わり投手たちと盛り上がる姿。英語が上手く喋れなくても日本語を交えながら積極的に声をかけ、選手たちを笑わせる姿。すべての行為がチームメイト達全員に好意的なものとして受け入れられている。

 だからこそ前述のヒーローインタビューの際に、他の選手達からシェービングクリームとスポーツドリンクを浴びせかけられる“儀式”が行なわれたのだ。

■すべてを前向きに捉える、超ポジティブな思考法。

 こうした川崎の根底にあるものこそ、すべてを前向きに捉えようとする超ポジティブな思考法なのだろう。それは普段の彼の言動から窺い知ることができる。

「僕は自分のプレーをするだけです。何も意識もしません。10連敗しようが20連敗しようが、僕は一緒。同じプレーをします」(5月11日レッドソックス戦)

「チームのムードは変わらないです。今まで小学校の頃からムードの悪いチームにいたことがない。雰囲気が悪いというのがどういうことか知らないです。100連敗していたとしても雰囲気はいいですよ。相手もプロだから」(5月14日ジャイアンツ戦)

「調子が悪い時は今まで1回もない。ケガした時は調子悪かったですね。グラウンドに立っている時は調子が悪かったことは1回もないです。絶好調で50打席ヒットがない時もありますよ。でもそれは僕にとっては調子とは関係ないこと。だから、これから調子について聞かないでください。バッティングや技術的な質問はしてもね。大リーガーは凄いピッチャーばかりですから。自分がどんなに調子が良くても打てない時もあるし、そんなことで調子なんて言ってられないです」(5月20日レイズ戦)

「(あまり対戦のない)左ピッチャーが来てラッキーだと思いました。左ピッチャーでも右ピッチャーでもチャンスではラッキーだと思っています」(5月24日オリオールズ戦)

「ランナーがいない時でもラッキーです。野球をやらせてもらっている時点でラッキーですし感謝です。そういう意味です」(5月25日オリオールズ戦)

「ファンと完全に一体になっていた。僕もその中の一員でした。ファンの皆さんと一緒。その気持ちで一つになりました。だから打席に入った時は感謝ですよ。相手のピッチャーや何もかも含めこの打席に立たせてくれてありがとうと。正々堂々と向こうのピッチャーも投げてきている。凄い抑えのピッチャーだというのはわかっているので、こっちも正々堂々と勝負した。今回はたまたま結果が良かったですけど、やられる時もある。正々堂々と勝負できたのがすごく良かったです」(5月26日オリオールズ戦)

■2年前の川崎は、イチローとのプレーだけを夢見ていた!?

 とりあえずここで紹介した発言だけでも川崎が野球をやれることに感謝しながら、日々前向きに取り組んでいるのがわかるだろう。だが2年前に川崎がメジャー挑戦を表明した際は、あくまで尊敬して止まないイチロー選手と同じチームでプレーしたいという特殊な気持ちからだった。

■「たくさんやり方があることを去年気づかされた」

 それが今シーズンはイチローが所属するヤンキースにこだわらず、メジャーでやりたい一心でキャンプイン後も所属先を探し続けた。この心境の変化は、野球選手としての本質が川崎を突き動かしたものだった。

「シアトルで1年終わった段階で、アメリカでやりたいと思いました。今まで見たことがないプレーがたくさんあった。僕だったらこうするのに、こっちの選手はこうするんだというのが、これまでのプロ11年間では無かった経験でした。こういうプレーを見せられた時に、もう少しこっちにいてもっと見てみたいし、自分もしてみたいというのが強かったと思います。

 もちろん日本にいる時からもっと上手くなりたいという気持ちは常に持っていました。特に内野手の場合は芝などの環境が変わり、僕らにとって正面がこちらではバックハンドで捕ることが正解だったり、片手で捕ることや下から投げることも基本だと考えられていたりして、改めて基本とは何なんだろうと思えてきた。そしてこちらはあくまでアウトを取ることが基本で、どのかたちが一番確率が高いのかを選んでいる、ということにも気づきました。

 自分は1つの基本しか知らなかったのが、たくさんやり方があることを去年気づかされた。僕は想像することが大好きなんですけど、今まで野球をしていて一番(想像が)膨らんだんです」

 川崎の野球に打ち込む姿勢、情熱は日本の時と何一つ変わったわけではない。ただ彼の中にある野球選手としての本能が、今一番やりたいことをメジャーの中で見出し、それを心底楽しんでいるようなのだ。

■レイエスが復帰した時点で、川崎はマイナー行き!?

 一方で戦線離脱中のレイエスは順調に回復しており、現時点で6月下旬の復帰を目指し調整を続けている。

 もちろん彼が復帰した場合、当然誰かが25人の登録枠から外れなければならないわけだが、現在の登録枠にいる内野手の中で特別な措置をとらずにマイナーに回すオプションを有している選手は川崎しかいない。

 つまり川崎を残すためには、チームは誰か他のベテラン選手に日本で言うところの戦力外通告をしなければならないという難しい決断が待ち受けている。

「現時点では何も分からない。現に数日前(5月29日)にローリー(三塁手)が故障者リスト入りしているし、レイエスが戻ってくる前に何が起こるかもわからない。いずれにせよカワサキにはオプションがあり、マイナーに回ってもらうことになるが我々が彼を手放すようなことはないだろう」

 アレックス・アンソポロスGMの説明でもわかるように、現時点では川崎の去就は何一つ決まっているわけではない。だが仮にマイナーに戻ることがあったとしても、彼の心境に変化があるはずもなく、場所はどこであろうとも、野球ができる環境に感謝し、日々楽しむことになるだろう。

■純粋な野球少年のように「もっと上手くなりたい」。

 かつて川崎のようにスルメのような味わいを放った日本人メジャー選手が存在した。

 田口壮選手だ。

 彼も2年間のマイナー生活を経てメジャーに定着すると、チームプレーに徹するひたむきな姿勢がファンの心を掴み、カージナルスで異彩を放つ存在となった。

 残念ながらメジャー最後の2シーズンで在籍したフィリーズとカブスでは出場機会に恵まれなかったが、両チームの一員としてブッシュ・スタジアムで初打席に立った時はファン総立ちの大拍手で迎え入れられた。カージナルス時代の田口を数字でしか知らないフィリーズやカブスのメディア達は、その光景に驚きを隠せなかったのを今でも鮮明を記憶している。

「こちら(MLB)で骨を埋めようなんて思っていない。来年になって自分が何を考えているかわからない。僕が野球するのに、強い意志なんか関係ありませんから。ただ今は自分がしたい、学びたい、もっと野球が上手くなりたいと思っているからこっちにいるだけなんです」

 今でも野球少年のように純粋に野球を楽しもうとする川崎。今後どこに所属しようとも、彼の気持ち、思いが表現されたプレーを間近に見た選手やファンを虜にしていくことは間違いないだろう。

(「MLB東奔西走」菊地慶剛=文)



http://roshianow.jp/blogs/2013/06/14/43537.html

名投手ヴィクトル・スタルヒンは、1917年のロシア革命後に日本へ亡命した数多くのロシア人の一人で、日本が彼のために為しえたのと同じくらい多くのことを日本のスポーツ界のために為しえた人物だ。


スタルヒンは、1916年3月16日、今は「ロシア製戦車の都」として知られるウラル地方の町ニジニ・タギルの木材商の家庭に生まれた。一家は、1919年、ボリシェヴィキの迫害を逃れて極東へ移る。それは、貴族と異なり、ヨーロッパではなくアジア諸国に救いを求めた、さほど富裕ではない多くのロシア人が辿るおなじみのコースであった。

スタルヒン一家は、満洲で商業を営もうとしたが、中国との複雑な関係のためにその地を後にし、1929年、北海道の旭川に移り住んだ。10歳のヴィクトルは、地元の学校へ通いはじめると、早くも5年後には野球のピッチャーになることを決意する。

学校をやめなくてはならなかったが、ヴィクトルは運がよかった。当時、日本の野球は黎明期を迎えており、1936年、日本職業野球連盟が設立され、1939年、スタルヒンは通算100勝を達成する。

戦前の食糧難により体力に衰えの見える日本人と比べ、スタルヒンのパワーとガッツはとくに際立っていた。日本のユニフォームを着たその青い目のロシア人は、身長が192センチメートル、体重がおよそ100キログラムであった。


スタルヒンが須田博に

あるアメリカの強豪チームにスカウトされそうになっても、スタルヒンは、自分の第二の故国を裏切りはしなかった。1940年には野球をオリンピック競技に加えることが予定され、スタルヒンには大きな期待がかけられていたにもかかわらず、日本におけるスタルヒンは複雑な境遇に立たされていた。戦争のためにその計画は見送られ、このロシアの野球選手は須田博の名でマウンドに登ることになり、野球の試合が完全に停止される1944年までそうした状態が続いた。敵性人種として収容所へ送られたことさえあり、そこで肺を患ってしまう。

後にアメリカ軍が日本へ進駐すると、スタルヒンは、今度はスタルフィンとアメリカ風に名を改めた。収容所で健康を損ねたにもかかわらず、1949年、早くも通算200勝をマークする。



日本史上初の300勝投手

1955年、スタルヒンは、日本史上初の300勝投手として現役を引退する。その人気は絶大で、それが免罪符になることもあった。

1942年から東京に住んでいたロシア人医師エウゲニー・アクショーノフ氏は、終戦直後、日本国籍を持たないこの医師に警戒心を抱いた警察官が氏の身分証明書をチェックしようとしたときのことをこう回想する。「あなたが思想穏健であることを保証する者は日本にいるのかと訊くので、肩をすくめて『そうですね、野球選手のスタルヒンくらいしかいません』と答えると、すぐ放免に…」。

ヴィクトル・スタルヒンは、二度にわたり日本野球連盟の最優秀選手に選ばれ、オールスターチームに選出され、日本野球殿堂入りを果たした。

引退後はラジオの司会や映画俳優の仕事を始めていたが、残念ながら、生前に殿堂入りの栄誉に与ることはなく、1957年、自分の運転する自動車が列車と衝突し、この日本野球史上最高の投手は、帰らぬ人となった。


日本とロシアで野球人気を引っぱる

スタルヒンは、日本プロ野球界初の外国人選手で、野球が日本で人気ナンバーワンのスポーツとなったのもこのスター選手のおかげといえるかもしれない。スタルヒンが登板する試合は白熱して見応えがあり、その活躍は日本の野球を国際レベルへと導いた。日本でスタルヒンの記念像が建てられ球場にその名が冠されているのもうなずける。

近年、野球はロシアにも伝えられた。スタルヒンの名とともに。野球のロシア選抜チームのニコライ・ゲルヴァソフ監督は、こう語る。「スタルヒンについて私たちはあまりよく知りませんが、日本のジャーナリストにはいつもこの人物について訊ねられます」。

同氏によれば、ロシアにはここ15年ほどのあいだにおよそ50の野球チームが現れ、もう何年もスタルヒンを記念する大会が催されており、国内最強チームの一つには「ロシア」と「スタルヒン」を意味する「ルススタル」という名がつけられている。青少年や児童のチームも作られており、子供たちの憧れの的は今のところもっぱらスタルヒンだという。

ロシアの野球界は、今日、このスポーツの人気が日本と同じくらい高まることを夢みつつ、この人物の名のもとに発展している。そんな夢が叶うとすれば、それもヴィクトル・スタルヒンのおかげといえよう。



http://ohad.2chblog.jp/archives/27669419.html
森繁和氏、谷繁を称賛 落合監督に“認めさせた

2000本安打を達成した中日・谷繁を、04〜11年に中日でコーチを務めた森繁和氏(58)が称賛。
「グラウンドではあいつに全て任せていた」と全幅の信頼を寄せていたことを明かした。

2000安打も大したものだが、捕手であれだけ試合に出続けているのが凄い。
若い頃から肩やスローイングは素晴らしいものがあったが、一番感心したのはブロッキング。見てきた中で谷繁が一番うまい。

打撃はいい方ではないが、配球を読むことが打撃に生きている。
ここ一番で勝負強いのは、相手バッテリーが苦しんでいる時の心境がよく分かるからだろう。
コーチ時代、谷繁に期待したのは、自分たちが言えないことを投手に言ってもらうこと。
グラウンドではあいつに全て任せていた。会話をしなくても、2人だけのあうんの呼吸のようなものがあった。
ただ、中日に来た当初は苦労した。山本昌や野口、川上――。谷繁と組むのは嫌だという投手がたくさんいた。
相手の裏をかこうとするリードが合わなかった。

俺は捕手をコロコロ代えるのは好きではない。
今だから言うが、それで落合監督と何度かもめた。
俺が呼び出されて「あいつ、代えろ」と言われたりね。

谷繁も気付いていてナゴヤドームの食堂で「監督は俺を嫌いなんですかね」と言うから
「俺や監督が好き嫌いで代えることは絶対にない」と叱った。

06年に投手チーフコーチからバッテリーチーフコーチになったのは、監督と谷繁の間に入るためだった。
投手陣のレベルが高い中日で、どうしたら自分が受けさせてもらえるかをよく考えたと思う。
捕手目線だけじゃなく投手目線、落合監督のようなホームラン打者の目線からも見られるようになった。

俺のいた8年間でも凄く成長したし、最後は監督も何も言わなかった。
目の前だけではなく常に次の打席、次の対戦のことを考えてリードできる捕手はそういないよ。

http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2013/05/07/kiji/K20130507005753490.html



だからプロ野球は面白い 中日・森繁和元ヘッドコーチが初めて明かす 『参謀』--落合博満は何が違うのか
http://blog.goo.ne.jp/kanayame_47/e/70f10745eb191a458d1a61b8afcbff69


森繁和『参謀』―阪神が涙目になる中日の投手王国の仕組み
http://whatever.doorblog.jp/archives/23376595.html


森繁和『勝ち続ける力』―落合氏と森氏に共通する7つの思考(1)
http://whatever.doorblog.jp/archives/23518837.html


森繁和『勝ち続ける力』―落合氏と森氏に共通する7つの思考(2)
http://whatever.doorblog.jp/archives/24167013.html




http://cache.yahoofs.jp/search/cache?c=3zgseD695icJ&p=%E6%A3%AE%E7%B9%81%E5%92%8C%E3%81%AE%E3%83%96%E3%83%AD%E3%82%B0%2F&u=www.plus-blog.sportsnavi.com%2Ftasogarebaystas%2Farticle%2F31
黄昏ベイスターズ 2013年05月26日
黒羽根が昇格した。左の代打要員を予想してたので以外だった。
これで 開幕から維持してきた捕手二人体制は ひとまず終了した。

この捕手二人体制や投手12人体制などの政策は一人の人物の影を感じていた。
(セ他球団は 中日13人 その他は11人)

それが森繁和さんだ。


落合中日政権の参謀役のイメージが強いが、古くは横浜の投手コーチもされていた。
昨オフに その中日から助っ人三人が根こそぎ中日→横浜へ持ってきたのは
この人が関わっていたとされている。

駒澤大学出身で中畑監督の後輩でもあり、デニーコーチとも縁が深い。


その森繁和さんが中日をやめたあと二ノ宮清純さんとの対談でのコメントを紹介したい。

(森繁和×二宮清純<前編>「今だから話せるオレ竜の真実」
『参謀』『天才たちのプロ野球』出版記念スペシャル対談
2012年04月26日(木) スポーツコミュニケーションズ)より抜粋
「これまでのように1軍と2軍が分かれていると、こちらの考えが十分にファームに伝わらない。だから常に情報が共有できる信頼のできる人間を置いておきたかったんです。これは監督も同じ考えでした。ファームにも先発ピッチャーのローテーションがある。たとえば1軍で週末に先発した人間が調子が悪いとなった時、ファームでいいピッチャーが平日に集中して投げていたら、1軍に上げて先発させられない。だから2軍も平日にひとり、週末にひとり、できれば左右1枚ずつ1軍で投げられるピッチャーを使ってほしいと話をしていました。これはリリーフも同様です。そして、その状態は毎回、報告してほしいと。」「中継ぎ、セットアッパー、抑えとリリーフの枚数がそれなりに必要になる。加えて勝ちゲームのみならず、負けている試合に投げるピッチャーもいないと、長丁場は乗り切れません。先程、言ったように、経験を積ませる上でも若手を入れる枠を設けることも大切です。となるとピッチャーの1軍登録メンバーは12、3人に増やしてもらわなくてはいけませんでした。 二宮: まずは、その点を落合さんと話し合ったと?
森: はい。必然的に野手の枠が削られますから、どこでも守れるユーティリティープレーヤーが求められる。かつキャッチャーの3人体制を2人に減らしてもらいました。」

読んで頂くとなんとなく見えてくるのが 今の横浜とのシンクロ率の高さだ。

去年ブルペンを預かっていた木塚コーチを二軍に配し
その穴にOBの川村コーチを置きデニーが束ねる。
このトライアングルが 今年は良く機能している。

そして捕手を二人にして投手を増やしユーティリティ役の山崎に捕手の練習までさせた。
その山崎がショートのレギュラーを掴んでしまったので捕手を三人に戻したともとれる。

ただアドバイスを与えているだけの可能性もあるが、何らかのビジョンがあって動いている可能性もある。




http://blog.goo.ne.jp/kanayame_47/e/c868b906d254c012900dc30d90da8723
“セーブ王は逃げない”岩瀬仁紀 中日ドラゴンズ投手「クローザーの心得」/ それでも一度だけ、マウンド上で足が震えた  〜落合 オレ流采配


同じアウトでも初回の3つと最終回の3つとでは、まるで意味合いが異なる。
とりわけゲームの幕を引く27個目のアウトは緞帳のように重い。
岩瀬仁紀がこの稼業を本格的に始めて もう10年以上になる。
タイトロープを渡り切った先には監督のねぎらいの握手が待っているが、
渡り損ねれば、そこは地獄の谷底だ。
信頼を失うのは一瞬だが、それを築くには長い歳月がかかる。
まさにクローザーは一日にして成らず---。

心地良い解放感に浸れるのは1日のうち、わずか15秒か20秒。
一仕事終われば、もう次の仕事への準備。心の休まる日など、1日もない。
それがクローザーだ
と かつて野村克也と共に日本で初めてストッパーというクローザーを確立させた江夏は語った。

では中日の守護神は、滞積するストレスを、どのように克服しているのか。

「この仕事は結果が良かれ悪かれ、ストレスはたまるものです。だから2月から11月までは、とにかく我慢、我慢。解放されるのはオフになってからで十分。ストレスから逃げるのではなく、当たり前だと考えなくちゃ、この仕事はできません」
なるほど、できる男はストレスすらも飼い馴らし、明日への活力に変える術を持っているということか。
「いい思いも悪い思いも、たくさんしてきました。一喜一憂していたら、前には進めませんよ」
野球人生を振り返るのは、まだ早い。物静かな男は、そう考えているようだ。

沈着冷静で鳴る男が、一度だけ、マウンド上で足が震えたことがある。'07年の日本シリーズだ。

3勝1敗と中日が日本一に王手をかけて迎えた第5戦、中日の先発・山井大介は一世一代の快投を演じていた。北海道日本ハムを相手に、8回までひとりの走者も許していなかったのだ。
得点は1対0。完全試合まで、あとアウト3つ。
日本プロ野球史上、日本シリーズでの完全試合は、これまで一度もない。

山井は試合中盤にマメを潰していたが、逆にそれが集中力を生み、前年のチャンピオンチームに付け入るスキを与えなかった。

岩瀬は8回からブルペンで準備をしていた。
「ひとりでもランナーが出たら、その時点で行くからな」。
バッテリーチーフコーチの森繁和からは、そんな指示が出ていた。

だが山井はひとりの走者も許さない。8回が終わった段階で86球と球数も少ない。
「ここまできたら完全試合が見たいな・・・・・・」
そんな思いが頭をよぎった矢先だ。
監督の落合博満がピッチャー交代を告げた。
「岩瀬!」
山井コール一色のナゴヤドームが一瞬にしてどよめきに包まれた。
まばらな拍手は「エーッ!」という驚きの声にかき消された。

この経緯は 森と落合が 其々に著書で明かしている。

・山井の指のマメと爪の状態は非常に悪く ボールもユニホームも試合序盤から血塗れのままだった事。
・山井が 自分で行く と言えば、落合も森の二人とも 間違いなく行かせた という事。
・9回を前にして 山井の口から「お願いします」と申し出ていた事。
・落合監督が 自分の責任で変えた とし続けている事。
 だから 勝つ為には 優勝する為には 最善の方法を取っただけ と言い続けている事。
・森は 通常の公式戦だったら痛くても無理矢理に行かせた と言っている事。



「正直、あれはものすごくやり辛かった」
振り返って岩瀬は言う。

ピッチャーはプライドの高い生き物である。
ゲームのトリを飾るクローザーとなれば、なおさらだ。
長きにわたってチームの終盤を支えてきたのはオレだとの自負が頭をもたげる。

だが、想定外の修羅場で感傷に浸っているヒマはない。
いつものように岩瀬は表情を消し、冷静に自らに言い聞かせた。
「とにかく3人で終わらそう」

先頭の金子誠に対してはスライダーで空振り三振を奪った。続く代打の高橋信二(現オリックス)には、これまたスライダーでレフトフライ、そして27人目の小谷野栄一はストレートでセカンドゴロに打ち取った。
背番号の数字同様、わずか13球で3つのアウトを奪った。

山井と二人で完全試合を達成した。
タイトロープを渡り切った先に、中日の53年ぶりの日本一があった。

言葉少なに岩瀬は語る。
「日本一になった、やった!というよりもホッとしたというのが正直な気持ちでしたね」

後日、岩瀬の顔を見るなり、落合はボソッとつぶやいた。
「オレが批判されるのはいい。
 それよりも、オマエが3人で抑えることの難しさを、なんで分かってくれないんだろうな」
その一言で岩瀬は救われた思いがした。
背水の13球は幕引き屋の意地の結晶だった。


愛知県西尾市で生まれた岩瀬は高校(西尾東高)時代から西三河では評判のサウスポーだった。
しかし'76年創立の歴史の浅い県立校ゆえ、甲子園へのハードルは高かった。
高校時代の監督・渡会芳久には「とにかく真面目な子だった」との印象が強い。
「目立つタイプではなかったが、野球に取り組む姿勢が素晴らしかった。こちらが黙っていても、よく練習するし、黙々と走っていた。私のほうから注意したり、怒った記憶はありません」
その一方で、負けず嫌いな一面もあった。
「打っても投げても岩瀬が中心。しかし、彼ひとりの力ではなかなか勝てない。ある試合、三塁に進んだ岩瀬は何と強引に本盗を試みた。アウトにこそなりましたが、そこまでしても勝ちたかったのでしょう。
ピッチャーとしては3年夏の県大会2回戦でノーヒットノーランを達成しています。バッターがバスターで揺さぶるなど、いろいろと対策を練ってきても、全く相手にしませんでした」
卒業後は地元の愛知大へ。渡会によれば、東京の強豪校からの誘いもあったが、ひとり息子ということもあって地元の大学を選んだという。

■伝家の宝刀
 ピッチングも良かったが、バッティングはもっと目立っていた。入部するなり、外野のレギュラーになった。2年の夏には外野手として日米大学野球の日本代表メンバーに選出され、3年秋には中南米遠征のメンバーにも加わった。同世代の左バッターには稲葉篤紀(法大-ヤクルト-日本ハム)や高橋由伸(慶大-巨人)らがいた。

大学時代の監督・桜井智章には次のような印象が残っている。
「打撃は引っ張り専門で初球からどんどん振る。ボールを待つなんてとんでもないというスタイル。当時は相手から警戒され、ボール球を振らされることが多かった」
愛知では向かうところ敵なしの強打者が殊勝な面持ちで桜井にこう告げたのは、中南米遠征から帰国した直後のことだった。
「バッターでは勝てません。ピッチャーをやらせてください」
21歳の岩瀬に、いったいどんな心境の変化があったのか。桜井は次のように推察する。
「岩瀬本人もプロ志望でしたが、代表で集まってきた選手のバッティングを見て、こういう人間がプロに行くんだ≠ニ分かったんじゃないでしょうか。
 それからですよ、バッティングのスタイルが変わったのは。ボール球を振らず、逆らわないバッティングをするようになりました。外野を守っていても、単に強肩を見せつけるだけでなく、捕球しやすいボールを返すようになりました。一流選手と一緒に行動したことで野球観が大きく変わったんだろうと思います」
3年春には愛知学院大戦で1試合3本塁打を記録した。1本目がレフト、2本目がセンター、3本目がライト。この頃には広角に打ち分ける技術も習得していた。
4年時はエースで4番。通算124安打は愛知大学リーグ史上2位。リーグ記録に、あと1本届かなかった。
「記録を塗り替えていたら、そのままバッターで勝負していたかもしれません」
だが、記録を破れなかったことが、結果的には幸いした。岩瀬はバットを置き、以後はピッチャー一本で行く覚悟を固める。

社会人野球は、これまた地元のNTT東海へ。ここで岩瀬は運命的な出会いを果たす。
先輩に森昌彦というアトランタ五輪にも出場した社会人球界を代表する好投手がいた。森の武器はバッターをして「振りに行ったら急に曲がる」と言わしめた高速スライダー。この伝家の宝刀を森は後輩に伝授したのだ。
森の回想。
「当時の岩瀬はスラーブみたいな曲がりの大きな変化球を投げていました。しかし本当の持ち味はナチュラルにスライドするボール。バッターからすれば大きな変化より、手許で小さく変化するボールの方が打ちにくい。そこで投げ方をアドバイスしたんです。
 実は彼はテイクバックが独特なんです。腕が頭の後ろにきて、そこからサイド気味に出てくる。これはスライダーに適した投げ方なんです。
 それでちょっと縫い目をズラして投げてみろ≠ニ。何球か投げているうちにシュッ、シュッとボールが切れてきた。このボールをマスターするには、なるべく前でボールを放さなければならない。まずは軸足でしっかり立ち、次に体重移動。彼の場合、前の肩が早く開くクセがあった。
 そこでグラブを絞って肩が開かないようにしました。こうすることで自ずと腕も振れてきた。社会人2年目には、ほとんどあのスライダーは打たれていないはずです」

■無事是名馬
名を成したクローザーには、代名詞とでも呼ぶべきウイニングショットが必ずある。たとえば日米通算381セーブの佐々木主浩にはフォークボール、日米韓台通算347セーブの高津臣吾(BCリーグ・新潟)にはシンカー。岩瀬の場合は「打者の手許で加速する」と言われるスライダーだ。
'99年に逆指名で中日に入団した岩瀬はセットアッパーからスタートした。新人王こそ20勝(4敗)をあげた巨人・上原浩治(現レンジャーズ)に譲ったものの、65試合に登板し、10勝2敗1セーブ、防御率1・57という数字は見事の一語である。
この岩瀬を大の苦手にしていたのが、元ヤクルトの古田敦也だ。頭脳派捕手兼好打者の目に岩瀬のボールはどう映っていたのだろう。
「岩瀬のボールは両サイドに滑るんです。右バッターには真っスラ°C味のスライダー。これはインコースに食い込んでくる。そしてアウトコースには逃げていくシュート。落ちるボールはないのですが、僕は全く手が出なかった。
 岩瀬のスライダーの特徴は、途中まで真っすぐに見えること。打者の手許で食い込んでくるから、バットに当たってもヒットにならない。ほとんどが詰まった内野ゴロです。
 彼はこのスライダーをバックドアとして使うこともある。アウトサイドの遠いところからストライクゾーンぎりぎりに入れてくる。しかもコントロールがいいから、こちらはバットに当てるのが精一杯。もう、全く打てる気がしなかったですね。
 オールスターで岩瀬のボールを受けてみると、滑り加減が半端じゃない。やっぱり、こりゃ打てん!≠ニ諦めました(笑)」

'03年オフのことだ。あるテレビ番組で現役選手が監督になったつもりで12球団の支配下選手をドラフト指名し、最強チームを結成するという企画があった。
この番組に出演した古田は投手のイの一番で岩瀬を指名≠オた。その理由がふるっていた。
「敵からすると、彼が出てきた時点で試合が決まるんです。7回と8回、勝負どころをピシャッと抑えるんですから。しかも右バッターも左バッターも関係ない。
 監督の立場になれば、こういう選手がいればラクです。彼を中心にゲームが組み立てられますから。彼さえいれば、あとはそこそこのピッチャーがいれば勝てますよ」
13年間、セットアッパー、そしてクローザーとして激務に耐えながら、大きな故障は一度もなし。「無事是名馬」とは、まさに彼のためにあるような言葉だ。
語気を強めて岩瀬は言う。「丈夫な体に生んでくれた両親に感謝ですね」

■監督が代わって
8年間で4度のリーグ優勝を達成した名将・落合博満がチームを去り、今季から中日はOBの高木守道が指揮を執る。
投手部門を担当するコーチの権藤博は就任早々、浅尾拓也とのダブルクローザー構想を打ち出した。
「二人でクローザーをやったら共倒れになる。せっかく時間をかけて確立してきたものが崩れてしまう」
キャンプで会った際、岩瀬は権藤案に難色を示していた。クローザーとは本来、専門職である。持ち回りでやるような仕事ではない。岩瀬もセットアッパーとして経験を積み、ベンチの信頼を勝ち得てクローザーに昇格した。その自負が孤独なマウンドを支えている。

もっともダブルクローザー構想の背景には権藤なりの親心があったようだ。
「まず浅尾ですが、昨年も一昨年も70試合以上投げている。ヨソが落ちてきたから優勝できたけど、あの使い方はいかんでしょう。僕はアイツを70試合以上使うつもりはない。イニングまたぎ≠烽竄轤ケない。無理させるとすれば残り30ゲームを切ってからですよ。
 抑えの岩瀬も大切に使いたい。一番後ろで投げるヤツというのは、ものすごいプレッシャーがかかるんです。失敗すればチームの勝利も勝ち投手の権利も一瞬にして潰してしまうわけですから。岩瀬にも原則としてイニングまたぎ≠ヘさせない。これだけは守らなきゃいかんと考えています」

権藤がピッチャーの酷使に批判的なのは、短命に終わった自らの投手人生とも関係がある。社会人のブリヂストンタイヤを経て中日に入団した1年目、69試合に登板し35勝(19敗)を記録した。翌年も61試合に登板して30勝(17敗)をあげて2年連続最多勝に輝いた。
「権藤、権藤、雨、権藤・・・・・・」
当時は、馬車馬のように酷使される権藤を評し、こんな流行語まで生まれた。だが、投げ過ぎがたたって権藤は肩を痛め、投手寿命は4年で潰える。まさに太く短く≠地で行くようなプロ野球人生だった。

その権藤、岩瀬を評してこう語った。
「去年の後半、アイツ、良くなかったでしょう。サイドから投げているのか?≠ニいうほどヒジの位置が下がっていた。
でも今年、実際にブルペンで見るとね。オーバースローか!?≠ニ思うくらいヒジが上がっていた。しかもボールがよく動く。本来、真っすぐとスライダーしかないはずなのに、それが4種類にも5種類にも見える。だから三振がとれなくても、彼は勝てるんですよ。やはり抑えは岩瀬しかいない。それが僕の本音ですよ」

ここまで小石を重ねるように丹念に積み上げたセーブ数は313。「抑えには似たような状況はあっても、ひとつとして同じ状況はない。決まっていない条件の中で投げるのがおもしろいんです」と岩瀬は語る。
自らが持つ通算セーブの日本記録はどこまで伸びるのか。幕引きのマエストロが立ち続けるマウンドは賽の河原ではない。

「週刊現代」2012年3月24日号より


鈴木忠平●文text by Suzuki Tadahira/photo by Nikkan sports 
 [2011年11月11日(金)]
http://sportiva.shueisha.co.jp/clm/baseball/2011/11/11/8/
【プロ野球】落合監督と選手たちとの8年(1)『絆〜衝撃退任から始まった奇跡』

監督の落合博満は選手たちをじっと見守っていた。CSファイナルステージ、明日なき覚悟でぶつかってくるヤクルトとの死闘は5戦目までもつれ込んだ。それでも、ベンチの指揮官は確信したように戦いを見つめていた。そして、勝った。2年連続日本シリーズ進出。今季限りで退任する指揮官へ向けて、選手たちがつくってくれた花道は、日本最高の舞台まで続くことになった。
「オレは何もしていないよ。見ていただけだ。強かったな。選手たちはすばらしい」
勝利の後、落合は言った。就任以来、指揮官がこれほど選手を信頼し、褒めたことはなかった。今、落合竜は特別なテンションで走り続けている。

落合と選手たちの花道。始まったのは、ペナントレース終盤の9月22日だった。4.5ゲーム差で迎えた首位ヤクルトとの直接対決4連戦。その大一番の開始3時間前、球団が落合の今季限りでの退任と、次期監督に高木守道氏が就任することを発表したのだ。
「なぜ、今なんだ!」
異例とも言える発表のタイミングと、球団首脳の対応に、現場からは怒りの声が上がった。ただ、普通のチームならば失速してもおかしくない状況で、選手たちは怒りを意地に変え、激情をエネルギーに変えて、目の前の勝負に没頭した。

そして、2日後の9月24日、ヤクルト戦、チームは谷繁元信のサヨナラ打で劇的勝利を飾った。退任発表からの3連勝で球団史上初の連覇を完全に射程圏にとらえた。

監督退任という衝撃をも乗り越え、自分の仕事を全うした選手たちを見て、落合の胸にはこみ上げるものがあった。
試合後、そんな選手たちへの思いを異例の行動で表現した。
ベンチに戻ってきた谷繁の頭をなでまわした。その目は涙でぬれていた。
「オレはここにきた時、あいつらに言ったんだよ。
 『お前ら、球団のために野球やるな。
  自分のために野球やれ。
  オレは勝つことだけを考える。勝つことに徹する。
  だから好き嫌いはしない。いい者を使う。
  勝敗の責任はオレが取る。
  だから、自分の成績の責任は自分で取れ』
 ってな。あの日、ヤクルト戦を見て、
 『ああ、あいつら、やっとオレの言ったことがわかったのかな』
 って」
落合が8年間、選手たちに求めたもの。それはただひとつ「プロフェッショナル」だった。

そのために、選手との間に一切の「情」を排除した。個人的に選手と食事に出かけたことはない。頑張れと言ったことも、期待していると言ったこともない。その代わり、技術を認めれば、グラウンドに送り出した。

理想の野球とはどんなものか。落合に聞いたことがある。
「オレの理想の野球って何か。みんなわかっていないよ。1点を守るとか、足を使うとかではない。
 競争を勝ち抜いた奴らで戦うことだ。
 お前ら(チーム内で)白黒つけたんだから、
 今度は相手と白黒つけてこいって。
 そうすれば、監督は何もしなくていいんだ」

守りの野球はあくまで勝つための方法論だった。
激しい競争を勝ち抜き、指揮官の助けすら必要としないプロフェッショナルを9人、送り出すこと。
それこそが、落合の理想の野球だった。

だから“9・22”の退任発表以後、「監督のために」などと期待する気持ちは更々に無かった選手たちが、
それより異常な状況の中でも、自分のために戦う姿が落合にはうれしかった。

谷繁に見せた 落合にしては異例の行動 は、指揮官が初めて選手たちを認めた証だった。
成熟したプロ集団の象徴として、40歳にして頭をなでられた谷繁も誇らしげだった。
「監督が泣いているのは知っていたよ。
 オレはあの時、ああ、落合博満という人に認められたんだなと思った。
 だって今までそういうことをしなかったし、そういうことをする人じゃないから」

それ以降、落合はただ、選手を見守っていた。何も言う必要がなかったからだ。
10月18日の横浜戦、監督として5度目の優勝を決めた。
連覇も、10ゲーム差の逆転優勝も球団初の快挙だった。
そして、11月6日、CSファイナルステージで最後まで食らいついてきたヤクルトを振り切り、
2年連続日本シリーズ進出を決めた。
落合が確信した通り、もう選手たちに指揮官の言葉は必要なかった。

ふたつの戦いを制した夜、ともに落合は6度、宙に舞った。
印象的だったのは
手を差し伸べる選手たちの目にも、
歓喜の空を見上げる落合の目にも熱いものが光っていたことだ。

8年間、両者の間に「情」など存在しなかったはずだった。
あったのは、チーム内の競争に勝つための、そして相手球団に勝つための戦いのみ。
だが、そんな両者の間にいつしか熱いものが生まれていた。
これも「絆」ではないだろうか。
好き、嫌いの感情を超えた男同士の絆。
飽くなき戦いによってのみ生まれるプロ同士の絆だったのはないだろうか。

「こういう選手たちに恵まれて、オレは幸せだよ」
8年間がすべて報われるような花道の道中。落合は幸せそうに笑っている。(つづく)



 [2011年11月12日(土)]
【プロ野球】落合監督と選手たちとの8年(2)『改革〜オレ流の常識は球界の非常識』
http://sportiva.shueisha.co.jp/clm/baseball/2011/11/12/8_1/
        
*落合監督就任1年目の2004年、開幕投手を任されたのは3年間一軍登板のなかった川崎憲次郎だった
「本日の先発ピッチャーは、ドラゴンズ、川崎」
2004年、中日対広島の開幕戦、試合前のアナウンスにスタンドがどよめいた。その衝撃は瞬(またた)く間に全国へと広がっていった。新監督・落合博満が3年間も登板のない川崎憲次郎を開幕投手に抜てきした。「オレ流」。現役時代からの型破りなイメージを指揮官としても決定づけた。当の落合はそんな周囲の反応をどこか、楽しむかのように、また、真意を胸に秘めるかのようにベンチで含み笑いを浮かべていた。

開幕・川崎の衝撃から遡(さかのぼ)ること数カ月、まだ、吐く息が白い季節に落合は中日ドラゴンズの白井文吾オーナーと契約を交わした。5年間、優勝から遠ざかっていた球団を根本的に建て直すため、グループ総帥は指導者経験のない一匹狼に白羽の矢を立てたのだ。
「このチームを変えたい。勝てるチームにしてほしい」
「わかりました」
「改革」と「勝利」。契約書にも記されたこのふたつの使命を請け負った。すでに落合の頭には幾つかの「策」が渦巻いていた。それらを、水面下で静かに実行に移していった。
 1月2日、正月を和歌山県内にある落合記念館の別荘で迎えた落合は、リビングから1本の電話をかけた。
「開幕はお前で行こうと思っている。そのつもりで準備してくれ。もし、だめなら、1週間前までに言ってこい」

電話の先にいたのは川崎だった。2000年オフにヤクルトから4年総額10億円でFA移籍した右腕は右肩痛で、3年間、一軍のマウンドに上がれていなかった。限界説もささやかれていた。大金をはたいた末の補強失敗と批判もあった。落合はそんな、チームの最も暗く、沈んだ部分に目をつけたのだ。
 一方、2月の沖縄キャンプが近づくにつれ、名古屋でオフを過ごす中日の選手たちからはこんな声が聞こえてきた。
「本当にやるの?」
「無茶でしょう」
「オレたち、壊れちゃうよ」
どうやら、新監督はキャンプ初日から紅白戦をやるつもりらしい……。第1クールは8勤、その後は6勤が続くらしい……。そんな情報が漏れ伝わっていた。
そして、迎えた2月1日、他の11球団がジョギングからキャンプをスタートする中、落合竜の北谷(ちゃたん)球場には季節外れの「プレイボール」が響いた。前年、右肩痛でほとんど投げられなかったエース川上憲伸が148キロの剛速球を投げ、立浪和義、福留孝介ら主力打者がフルスイングした。「オレの予想を超えていたよ」。その姿を見た落合は満足そうに言った。そして、予告通り、翌日から8勤、6勤、6勤、6勤のハードキャンプを敢行した。あまりの過酷さに故障者は20人に上った。それでも平然と選手たちの動きを見つめていた。

落合は今、当時の真意をこう語る。
「最初にこのチームを見て『ああ、練習してないな』って思った。
 だから、8勤、6勤、6勤でいった。みんな大変だったと思う。でも、シーズンに入ったら週に6日間試合やるのに、なんでキャンプだけ4日やって休みなんだ。そう考えれば、当たり前なんだ」
 当時、キャンプと言えば3勤か、4勤1休だった。第1クールは体づくりから入り、徐々に実戦練習をしていくのが普通だった。落合はこの常識を真っ向から否定した。だが、ロッテ、中日、巨人、日本ハムと現役時代の落合博満に、およそ猛練習のイメージはない。なかなかバットを握らず、バットを持ったかと思えばエアーテントにこもっての秘密練習というオレ流調整ばかりが思い浮かぶ。だが、じつは、落合には現役時代から抱いていたキャンプに対する疑問があった。
「オレが現役の頃は、バッティングをしないと練習していないと見なされた。でも、オレは2時間も3時間もノックを受けていた。下半身ができないうちにバットは振らないという持論があったから。でも、あの当時の人たちは、そこは見てくれなかった。『打撃=練習』だった。打撃しないと、ああ、あいつは練習してないなって思われたんだ」

試合をやるためには、投げなければならない。打たなければならない。そのためにはどんな準備をしなければならないか。2・1紅白戦も、6勤1休も、プロ野球選手として、当たり前の「土台づくり」を意識させるための手段だった。2月1日に試合をやることより、1月の自主トレから下半身をつくらせることが狙いだった。6勤という猛練習をすることより、シーズンの基本となる6連戦に体を慣れさせることが狙いだった。球界では「非常識」と言われたオレ流キャンプは、じつは落合の中では「常識」だった。それを選手に理解させるためには、言葉で説明するより実践あるのみ。数々のサプライズは、選手、スタッフの意識を改革するためだった。そして、その仕上げが「開幕投手・川崎」だった。

2004年4月2日、川崎は2回途中5失点でKOされた。だが、チームはその後、広島のエース・黒田博樹から逆転勝ち。開幕3連勝を飾ると、リーグ優勝へと突っ走った。落合は大方の予想を覆して、就任1年目で優勝を果たした。「非常識」と批判された落合流の手法は一転して、称賛の的となった。

8年間、最も印象に残っている勝利を問うと、落合はこう言う。
「最初がなければ、次もない。そういう意味で言えば2004年の最初の試合だろうな。まわりは奇襲とか言うけど、オレにはまったくそんなつもりはなかった。あのチームは補強なし、全員横一線で始まった。川崎が投げることで『オレたちもやれる』って思わせる必要があった。それに1、2戦で連敗しても3つめは(川上)憲伸で勝って1勝2敗にはできるかなって。最悪の3連敗を避けることも考えた。そしたら5点差をひっくり返して勝つんだもんな(笑)。もし、あの年に負けたら、選手はどうせ練習しても勝てないと思っただろう。やったことに成果が出たから、オレの練習が普通になっていったんだ」

8年間、すべてAクラス、リーグ優勝5度。自らの使命である常勝軍団をつくり上げた。ただ、それらは2004年に断行した意識改革と、それに伴った結果がなければ成し得なかったという。確かに、もし、負けていれば、2・1紅白戦も、6勤1休も受け入れられなかっただろう。落合の「常識」は球界の「非常識」として葬り去られただろう。だからこそ、落合は監督として最初の勝利を忘れない。落合改革の象徴となった、あの1勝を忘れないのだ。(つづく)


 [2011年11月13日(日)]
【プロ野球】落合監督と選手たちとの8年(3)『勝利〜三冠王がたどり着いた守りの野球』
http://sportiva.shueisha.co.jp/clm/baseball/2011/11/13/post_86/


「改革」と「勝利」。ふたつの使命を負った落合はまず、意識改革に着手した。2・1紅白戦、6勤1休キャンプ、そして開幕投手・川崎憲次郎……。懐疑の目で見られながらも、徐々に選手たちの心に変革を起こしていった。球界の常識を覆(くつがえ)していった。ただ、その改革を本当に成功させるためには結果が必要だった。では、いかにして勝つか。この点で、落合は就任当初からまったく迷いがなかった。
「オレは今でもホームランさえ狙わなければ4割打てたと思うよ。ボールに負けないようにと思うから、余分な力が入ってずれるんだ。でもな、打者ってのはどれだけ打っても4割までなんだ。でも、守りなら10割が可能なんだ」
投手を中心とした守りの野球――これは落合が野球人生を通じて到達した「勝利の鉄則」だった。打撃を極めた三冠王が監督になった。豪快に打ち勝つ野球を見たいと思うのがファン心理だろう。だが、落合は打撃を極めたがゆえに、その限界を知っていた。そして、何よりも確率(数字)を重視した。

落合は”数学者”でもある。とにかく数字に強い。現役時代、首位打者を争っている最中は日々、自分の打率、ライバルの打率を計算しながら何カ月も先を見越して、タイトル獲得の戦略を立てていたという。
「月にこれだけ打てば、こうなるだろう。だったら、きょう何本も打ったから、明日は打てなくても大丈夫だなって。そう考えれば余裕ができるんだ。今の選手は数字に弱いな。オレなんか究極のことを考えていたよ。たとえば開幕の最初の1打席、ヒット打って、あとは全部四球を選べば、打率10割だろ? 首位打者だろ? そう考えなければ、数字なんて残せやしないよ」

打者は日々、上下動する打率を意識しない傾向が強いが、落合は真っ向から数字と向き合う。グラウンド外でもそうだ。オフに税理士が自宅に集まって報告をした際、落合は明細書をひと目見て指摘した。「これ、二重で振り込まれているぞ」。税理士が慌てて調べたら、その通りだったという。4割より、10割。数学者・落合が勝つための手段として「守り」を選択したのは当然だった。

守りの野球の中心は絶対的に投手だった。落合は沖縄でのキャンプ。そのほとんどの時間をブルペンで過ごした。グラウンドに出なくても、ブルペンにいかないことはない。それほど投手を重視した。
「野球は投手がボールを投げないと始まらない。誤解されているけど、野球で攻めることができるのは投手だけなんだ。打者はいつも受け身なんだよ」

キャンプ地のブルペンを倍の広さに改造した。他球団からトレードの申し込みが舞い込んでも、投手に対するものは、ほとんどすべて断った。毎年、チームには必ず計算できる先発投手が12人はいた。通常、ローテーション投手は6人だが、落合とヘッドコーチの森繁和はその倍の人数を揃えていた。落合竜が、近年、ずっと投手王国と呼ばれていたのは必然だった。

そして、落合は投手をバックアップする守備陣にも一切、妥協しなかった。守ることへの執念。その最たるものは、2009年、当時、6年連続ゴールデングラブ賞受賞中だった荒木雅博と井端弘和の二遊間コンビの入れ替えを明言したことだろう(実際に断行されたのは2010年から)。おそらく、このコンバートを正解だと思っていたのは球界で落合だけではないだろうか。それほど周囲からは批判を受けた。特に、肩に不安のある荒木を遊撃で起用することにチーム内からも異論が出た。コーチ陣が撤回を求めて直談判したこともあった。ただ、落合は頑として耳を貸さなかった。
「オレの評価と周りの評価は違うんだ。他のだれでもない。オレができるって言っているんだから、できるんだ!」

一般的に守備力はボールを捕った後、いかに処理するかで判断される傾向がある。捕球から送球までを華麗にさばけば「名手」と言われることも少なくない。だが、落合はむしろ、その前の段階を重視する。キャンプでもシーズン中でも、落合は同じ場所から選手の動きをじっと見ている。この「定点観測」によって選手の綻(ほころ)びを見つけるのだ。同じ場所に飛んだ打球にどの選手が追いつけて、どの選手が追いつけないか。また、昔は追いつけた打球に、今は追いつけているのか。落合の目には、一目瞭然だった。

アラ・イバのコンバートに次いで衝撃度があったのは2006年の「立浪外し」だ。その年のシーズン中盤、主力打者で、精神的支柱でもあったミスター・ドラゴンズ立浪和義をスタメンから外した。立浪が2失策した試合、途中でベンチに下げた。そして、翌日にはスタメン表に名前を書かなかった。理由は明確だった。
「三遊間を打球が抜けていくんだよ。その範囲が年々、広がってきた。オレが座っているところからは、それがよく見えるんだ」
試合中、一塁側ベンチの左端に座っている落合の正面には三遊間が見える。そこへ打球が飛ぶ。立浪の横を抜けていく。その範囲が年々、拡大していくのを見て、落合は断を下したのだ。立浪を外すことは、チーム内に影響を与えるだけでなく、地元メディアや、評論家などに批判される恐れもあった。だが、落合野球には“聖域”など存在しなかった。いくら打てても、守れなければ試合には使わなかった。1本のヒットを打つことより、1本のヒットを防ぐことを重んじた。レギュラーには「打者」である前に「野手」であることを要求した。それこそ「10割」を追求する落合野球だった。

8年間で、優勝4度、Aクラスから外れたことは1度もなかった。通算勝率5割6分2厘。確率論から、守りの野球を選択した落合の判断は正しかった。改革と勝利。落合は今、自分に課せられたこのふたつの使命を果たしたと自負している。(つづく)


 [2011年11月14日(月)]
【プロ野球】落合監督と選手たちとの8年(4)『非情〜情の采配を捨てた理由』
http://sportiva.shueisha.co.jp/clm/baseball/2011/11/14/post_87/

「非情」と「冷徹」。どちらも監督・落合を表現する言葉だろう。表情や言葉が少ないだけにもともと情が薄いと受け取られやすい。ただ、このイメージが決定的になったのは、中日を半世紀ぶりの日本一へと導いた2007年の日本シリーズだった。
11月1日、日本ハムを本拠地に迎えた第5戦、中日が日本一へ王手をかけたこの試合で先発を務めた山井大介は驚くべき快投を見せた。ストレート、スライダーとも抜群に切れていた。まったく相手を寄せつけず、8回までひとりの走者も許さなかった。日本シリーズで初めて完全試合が達成されるのか。イニングが進んでいくにつれ、すべての視線が山井に注がれていった。
 そして、敵も、味方も、球場全体がプロ野球史上初の快挙を待ち望んでいた9回表、落合は日本中を驚かせる決断を下した。ゆっくりとベンチを出ると、無表情で審判に告げたのだった。

  
「ピッチャー、岩瀬」
 その瞬間、スタンドからは悲鳴が聞こえた。ざわめき、どよめきが、怒号に変わった。やがて、球場全体が山井コールに包まれた。
「ヤ・マ・イ! ヤ・マ・イ! ヤ・マ・イ! ヤ・マ・イ!」
指揮官の采配に向けられたアンチテーゼ。鳴り止まない山井コールを、落合は表情ひとつ変えず、聞いていた。結果的に岩瀬仁紀が3人で抑え、完全リレーによる日本一は成った。だが、世間は落合中日の快挙を称えるよりも、山井交代への賛否であふれた。野球界を飛び越え、日本中の議論となった。
「野球への冒涜(ぼうとく)だ」
「もう、野球なんて見ない」
評論家や、ファンからの痛烈な批判があったかと思えば、石原慎太郎・東京都知事は『三国志』から出た故事成語を引用して、こうコメントした。
「これは情実の問題でね。トップのね、つまり、球団の経営というか実績というものを知っている球団のCEOとしてはね、私はやっぱり落合というのは見事だと思う。本当に。泣いて馬謖(ばしょく)を切ったんですよ。私はやっぱり落合のやったことは絶対に正しかったと思う。本当のリーダーってなもんですな」

賛否は真っ二つに割れた。ただ、山井交代の賛否を今さら論じても意味がない。いずれにしても、この試合こそ「非情」が落合の代名詞になった瞬間だったのだ。

ただ、そんな落合が、じつは自らを「情」の指揮官だと認識していたことは意外と知られていない。象徴的なのが過去2度の日本シリーズだ。2004年、落合は就任1年目でリーグ優勝を果たし、西武との日本シリーズに臨んだ。分岐点となったのは1勝1敗で迎えた敵地での第3戦だった。6―4とリードした7回一死二塁、落合はマウンドの岡本真也に交代を告げに向かった。この時、立浪和義、谷繁元信ら主力選手が言った。
「岡本でここまで来たんですから、岡本でいかせてください」
リーグ優勝に貢献したセットアッパーに対し、落合にも同様の感情があった。交代を撤回してベンチへ。だが、その後、岡本は逆転弾を浴びて敗れた。結局、4勝3敗と1勝差で日本一を逃しただけに、悔やんでも、悔やみきれない1敗となった。

雪辱の機会は2年後、2006年にめぐってきた。相手は日本ハムだった。リーグを圧倒的に制したこの年、落合には自信があった。荒木雅博、井端弘和の1、2番コンビが出塁し、3番福留孝介、4番ウッズ、5番アレックスの主軸が待ち構える。投手陣ではエース川上憲伸、守護神・岩瀬がいた。攻守ともに完成度の高い、このチームを落合は8年間で「最強」と評する。そして、そう自負するがゆえ、ペナントレースとまったく同じオーダーで望んだ。だが、シリーズになった途端、別のチームになった。あれほど頼りになった福留、ウッズをはじめ主力が揃って不振に陥った。1勝4敗。惨敗だった。同じ過ちを2度繰り返すことを嫌う。そんな落合が短期決戦で2連敗した。心中はいかほどだったろうか。この屈辱が「情」の落合を「非情」に変えたのは間違いない。

山井を交代させたあの日、落合は最初、右手のマメがつぶれていたことを理由に挙げたが、本当の理由は違うと思う。日本一の歓喜と、非情采配への賛否が渦巻くドームを去る間際に、落合はこう漏らしていたからだ。
「今年はオレが情を捨てたんだ。こっちはどうしてもシーズンで頑張った選手をシリーズでも使いたくなる。でも、それじゃだめなんだ。監督というのは選手、スタッフ、その家族、みんなを幸せにしないといけない。ひとりの選手にこだわっていてはいけない」
特定の選手に期待し、こだわった結果、チーム全員が目的地までたどり着けなかった。日本シリーズで過去2度、犯した過ちが落合の胸には残っていた。「山井交代」の裏には指揮官としての激しい自戒の念があった。
 非情――初めて日本シリーズを制したあの日以来、落合はこう表現されることを恐れない。なぜなら、それは勝利への必須条件だからだ。人間として自然に湧き出てくる情を封じ込め、指揮官としての非情を貫くことができた。あの瞬間から、落合は本当の意味で常勝監督になったのかもしれない。(つづく)



 [2011年11月15日(火)]
【プロ野球】落合監督と選手たちとの8年(5)『逆風〜物言わぬ指揮官、沈黙のわけ』

「言葉が足りない」――今年9月、落合の今季限りでの退任が発表された。7年間で4度も優勝した監督がなぜ、事実上の解雇となったのか。その原因としてよく指摘されたのがこの部分だった。采配や、故障情報など内部情報をメディアや球団に説明することはほとんどない。それが内外からの批判につながったというのだ。

         
だが、落合はじつは雄弁家だ。今でも価値観を共有する野球人との話は夜を徹して続くことがある。言葉が足りないのではない。意図的に黙しているのだ。今シーズン、試合後の3秒会見が話題になった。「動けているから、いいんじゃないか」。日々、ひと言だけ残して去っていく。その理由をこう話していた。
「オレがなんか言ったら言葉尻だけとらえられて、書かれる。だったら、何も言わない方がいいじゃないか。オレの言葉を理解するやつは何人かいるかもしれない。でも、理解しないやつの方が多いんだ。昔から散々、そういう目に遭ってきたから、わかるんだ」

自分の言葉は誤解を生む。現役時代、筆談でしか取材を受け付けなかったこともある落合は、おそらく昔から、それを知っていた。落合は秋田の和菓子職人の家に生まれた。祖父の職人としての仕事を見ていた。職人は余計なことは言わない。愛想も振りまかない。ただ、その仕事でのみ、己を語る。そんな気質はそのまま今、監督・落合にも当てはまる。
「オレは嫌われたっていいよ。だれか、オレを嫌いだという奴がいても、オレはそいつを知らない。だから、建前は言わない。建前を言うのは政治家に任せておけばいい」

落合は政治家が嫌いだ。建前が嫌いだ。だから、その口から出るのはオブラートなしの、むき出しの言葉となる。建前は時として自分の身を守ってくれるが、本音は他人も、自分も傷つける。落合はそれを百も承知だからこそ、誤解や批判は恐れない。

2008年、落合に「WBCボイコット騒動」が降りかかった。第2回WBCの日本代表候補に選ばれていた中日の4選手が全員辞退した。日本代表・原辰徳監督は不快感を示した。
「1球団だけ協力的でないところがあった。非常に残念です」
これを発端に中日と、落合は猛烈な批判にさらされた。「落合中日、WBCボイコット」、「非国民球団」。これを受けた落合は、翌日、冷静に反論した。
「選手は一個人事業主だし、生活権もある。ケガしたら誰が保証するの? 行きたくない奴(やつ)を無理に行かせてケガしたら責任を取れない。出たい奴は出ればいい。ウチは4人の意思を確認し、それを尊重しただけだ」

岩瀬仁紀は背中と首筋、森野将彦は左ふくらはぎ、若い高橋聡文と浅尾拓也は肩の故障でシーズン中に二軍落ちしていた。選ばれた4人の意思を確認した結果、揃って辞退することになったという。さらに落合は上原浩治(巨人)、宮本慎也(ヤクルト)の”代表引退”が認められていたことも指摘した。
「なぜ一部の選手は配慮されて、ウチだけ悪ものにされるのか。非協力的ってのは筋違い。NPBの人間でも、代表監督でも言いたいことがあったら来ればいい。説明してやるよ」

この反論の後、日本代表側からは何の反応もなかった。どちらが正しいのか、決着はつかないまま、論争は終わった。ただ、世間のイメージだけは完全に決まった。落合には”悪役”という看板だけが残った。
「あんたは普段から言葉が足りないよ。なんで、もっと、説明しないの?」
信子夫人に言われたことがある。落合は笑みを浮かべてこう言った。
「オレのやってきたことはオレが死んだ後、世間に認められるんだろうな。そういうもんだ。だから、今は何を言われても胸を張っていればいいんだ」

ただ、外からは批判を招きやすい、落合の言葉も、こと野球に関しては強力な武器となる。落合は選手を褒める時も、叱る時も、やはり純度100%の言葉を浴びせる。遠慮も、情もない、混じりっけなしの言葉は、そのまま監督・落合からの評価だ。それが選手にとって己の力量を計る指標となる。
「お前、このままだと今年で引退だな」
今季から加入したベテラン佐伯貴弘は、落合からこう言われ続けてきたという。実績のある選手ならば、腹を立てそうなものだが、佐伯はグラウンドでも、ベンチでも、落合の言葉を求めて、耳をそばだてる。
「落合監督の言葉っていうのはそのまま受け取ればいいと思う。いいものはいい、だめなものはだめ、と言ってくれる人だから。おかげで、サビを落とせたよ」
中日から戦力外通告を受けた佐伯は、今、現役続行を心に決めている。地球の裏側に行ってでも、やろうと決めている。落合の言葉がベテランの心に、火をつけたのだ。

また、この8年間、落合から最も叱咤(しった)されたであろう荒木雅博はこう言う。
「監督から『頑張れ』なんて言われたことはない。どこがいいか、どこが悪いか。そこを指摘される。あの人がいいと言ったらそれは本当にいいんだと思うし、だめと言ったら本当にだめなんだなと思える」
本音むき出しの言葉だからこそ、選手からは信頼される。技術を追求するプロ同士の間には建前など邪魔なだけなのだ。

外に向ければ「毒」となる落合の言葉は、内に向けては「薬」となる。
職人の言葉は、職人にしか理解できないということなのだろうか。

曲解されるくらいなら沈黙を選ぶ。自分を曲げるくらいなら孤独を選ぶ。そのスタイルが正しいとは思わない。ただ、確実に言えるのは、落合は今後もスタイルを変えないということだ。これからも、誤解や、批判や、論争とともに歩んでいくだろう。建前なんて似合わない。それでこそ、落合博満なのだ。
(完)


http://blog.goo.ne.jp/kanayame_47/e/d9d982ee5d88d44523d52d3ea28d6f13
三冠王は講演王だった金言§A発に聴衆はヤンヤの大喝采 落合博満(前中日監督)の面白すぎる講演会



三冠王は講演王だった!金言§A発に聴衆はヤンヤの大喝采 落合博満(前中日監督)の面白すぎる講演会に本誌、潜入ッ!
現代ビジネス2012年07月29日(日)フライデー 
予定を1時間オーバーして3時間も直立のまま話し続けた落合氏。資料の類は何一つ持ち込まずに、毎回違う内容を語るのがオレ流だ
「最近の週刊誌でビックリしたのは、
 オレが『ナベツネさん(渡邉恒雄巨人軍球団会長)とメシ食った』って記事。
 そんなのオレ、知らないよ。あることないこと記事になるんだから」
その第一声に、会場を埋め尽くした2500人の聴衆がドッと沸く。

さすがは泣く子も黙る三冠王。ツカミは上々だ。結論から言うと、落合博満(58)の講演会は確かに面白かった---。

中日で指揮を執った8年間で優勝4回、日本一1回という抜群の実績を誇る落合氏だが、在任中はとにかく無表情とダンマリを貫いていたのは周知の事実。ところがユニフォームを脱いだ今や、あの野村克也氏に代わる新たな講演王≠フ座を掴みつつあるというのだ。
「落合さんは今年、講演会だけで1億円近く稼ぐはずですよ。人気と知名度が高いのは言うに及ばず、一本あたりのギャラが300万円と言われるノムさんよりは安く済むとなれば、主催者が重宝するのも当然でしょう」(スポーツ紙担当記者)
というわけで本誌は7月16日に横浜市内のホールで行われた講演会に潜入取材を試みた。以下、落合氏の軽妙なトークを再生≠オてみよう。

■中日の次期監督はあの最年長左腕かも
「今日の会場は神奈川県ということで、神奈川出身といえばマサ(山本昌)ですね。あいつは疲れてくると、マウンドの周りをぐるぐる回って間をとる。これ、『代えてくれ』って信号なんです。なのに試合後には、新聞記者に『もっと投げたかった』とか言ってる(笑)」
「そこへいくと(川上)憲伸は、負けてる試合だと意地でもマウンドを降りようとしない。そのかわり8回終わって1点でも勝ってたら『岩瀬(仁紀)お願い』って必ず言う。あの二人、メチャクチャ仲がいいんです。ず〜っと一緒にいる」

かつての愛弟子へは舌鋒も鋭くなるというもの。続いては野手陣への口撃だ。
「ベンちゃん(和田一浩)はボール気味の球をストライク判定されると、すぐ不服そうなジェスチャーする。しかもベンチに戻ってきて『今のボールだよな?』って周りに聞くんです。西武にいた時からずっとそう。井端(弘和)も微妙な判定の時はベンチを見て助けを求める。家を探してるネコじゃねえんだから(笑)」

高木守道監督と権藤博投手コーチの不仲≠ェ囁かれる現首脳陣には・・・・・・。
「高木さんと権藤さんが殴り合わないか心配だね。あのカップリングは(相性的に)どだいムリ。次期監督?知ってる人は知ってる話だけど、あの球団の中は立浪(和義)擁立派と山?(武司)擁立派で戦ってるんです。これ以上こいつらを争わせないためにはマサ(山本昌)が次期監督ってのも、あるんじゃないの」
監督として好結果を残し続けたものの、フロントとの確執が原因でユニフォームを脱いだことから、こんな毒ガスも。
「名古屋での講演会は簡単ですよ。『ここの(中日の)OBは使えない』って言っときゃいいんだから」

■野球教室やる奴は無責任の極みだよ
落合氏の講演会が盛況な理由の一つには「毎回違う話をする」というオレ流ルールがあるという。なぜ、そんな縛り≠入れているのかというと・・・・・・。
「オレの追っかけ≠チているんです。その人たちに『(講演会で)同じ話はしないからね』って約束したの。聞き飽きたなんて言われたら癪に障るんで」
負けず嫌いが高じて、自分に厳しいハードルを課している落合氏。ここからは氏の人間味が窺える発言を紹介しよう。

「野球教室やりませんかって依頼がよくあるけど、オレは絶対やらない。たった1時間かそこらで子供の将来を左右しちゃダメでしょ。子供たちが『プロがこう言ったから』なんて言い出したら、普段から教わってる監督やコーチの言うことなんて、もう聞きませんよ。だからね、野球教室ってのは無責任なんです」

'87年には史上初の1億円プレーヤーとなり、長らく球界の稼ぎ頭として君臨した落合氏。気になる資産状況は・・・・・・。
「オレ、おカネは持ってないけど箱モノは持ってます。ロッテにいた時に世田谷に家を建てたら2年後にトレードで中日に行って、それから7年間ずっと空き家だった。普通だったら売るんだろうけど、オレ、一回懐に入れたものは絶対に手放したくないんです。(バブル期は)一坪1200万円した土地ですからね。畳2枚でその値段ですよ。景気いい時に売っときゃよかったって思いますけどね」
また、監督として好成績を収めたウラには、こんな悩みもあったそうで。
「オレは外国に行かない。英語しゃべれないから。外国人選手には『ここは日本なんだから日本語で話せ。オレが逆の立場なら、そうしてる』って言ってたんですよ。だから行けない(笑)。優勝したり日本一になると優勝旅行があるんだけど、ホントに行きたくなかった」

■日ハムのアイツ、三冠王あるかもよ
現役時代は卓越したバットコントロールで鳴らした落合氏にとって、訪れた土地によってトーク内容に変化をつけるなど造作もないこと。この日はセ・リーグ最下位を独走する横浜DeNAを強化するべく、極めてシンプルな提案を。
「強くするには練習するしかない。練習には監督の色が出るんです。現役引退してから各球団のキャンプを見て回ったけど、身の入った練習してるのはダイエー(現ソフトバンク)だけだった。当時の監督が、パンツ一丁で畳が擦り切れるまで素振りしてた人(王貞治氏)だもん。キヨシ(中畑清)も頑張れよな」

練習以前の問題、という選手も目につくようで・・・・・・。
「ブログやってる野球選手ってたくさんいますよね。そんなヒマあったらバット振れよ。考えろって。だいたい野球選手に頭のいい奴なんていませんけどね。頭よけりゃ、こんな仕事しませんよ。新幹線は『ひかり』と『こだま』で違うレールを走ってると思ってる生き物だから」

最後に会場からの「三冠王に一番近い現役選手は?」という質問に、こう回答。
「いません!まずホームランを打てる選手でないと権利がない。だから、しいて言えば日本ハムのあのデカイ奴・・・・・・誰だっけ? あー、中田翔。ただ、物事には予備動作ってものがあるって、誰か教えてやれよ。あんなキカイダーみたいな打ち方(ノーステップ打法)じゃ駄目」

よもや打率.202(7月17日現在)の中田翔とは、予想外の名前に会場から「オ〜ッ」と声が上がる。悩める大器もオレ流指導を受ければ覚醒間違いナシ、かも。
こうして大々盛況のうちに幕を閉じた三冠王の講演会。値段(全席3000円)以上の充実感アリ、と実感できました。


俺は原巨人のファンの一人として 落合中日の強さと凄さを常に味わい続けてきた。
だからこそ正面から高く評価する。

とにかく手強くて仕方が無かった好敵手で 普通なら顔を見るのも嫌になるほどだろう。
ただ 俺は「良いモノは良い」として「ならばよし」と言う人間なんでね。




落合博満氏「人の金ふんだくる代理人の気が知れない」
http://blog.goo.ne.jp/kanayame_47/e/67cb6cf841d5a77e73b0b7de3d283b3b


落合の最大の弱点は 世の中の圧倒的大多数は「馬鹿で豚に過ぎない一般民衆」なんだけど
その「馬鹿で豚に過ぎない一般民衆」を「兵」として使う事が出来ない事。




http://blog.goo.ne.jp/kanayame_47/e/7c1f869c0bd5d8228ae4c3cd21edb14a

元中日ドラゴンズ監督の落合博満さんは、「オレ流」をひたひたと貫き、独自の哲学をつかんだ。コトバはやわらかく、明快である。
このところ、企業の経営者相手の講演会も多い。
「新人をどうやって使えばいいのですか」と聞かれることがある。

まず、こう言う。
「野球界と会社を一緒にしないでくださいよ。
 (プロ野球は)ダメなやつのユニフォームを脱がすことができる。
 (企業は)一回会社に入ってしまえば、辞めさせるのは難しい。
 (プロ野球は)能力があれば生き残れる、なければ淘汰されていくのが契約社会だよ」と。
昭和の時代のの企業の中の経験しかない落合は こう言う。
21世紀の極東の一諸島が置かれている現実は 其処に無い。


その上で、落合さんは、人が人を教えることは難しいと言う。
「おれが簡単だと思っている事が、彼らにとってはものすごく難しい。
 果たして彼らにコトバが届いているかどうかという壁にぶちあたる」

ここで人間だもの、感情的になる。立場の強い人は、ついできなかった人が悪いんだと考えてしまう。
「コトバというのは、
 教わった側がちゃんと聞いて、理解して、納得して、実行して、結果を残して、
 初めてカタチとなるのだろう」

オレの言ったことが分かったかどうかを確認する。
「おまえ聞いたよな、オレのコトバ。いま、オレが何を言ったか、自分で言ってみな」
と聞く。
「話を聞いていないととんでもないことになるから、人の話を一所懸命、聞かざるをえなくなる」
話し手と聞き手の話にギャップがあれば、議論になる。
議論になって初めて、納得してもらえる。
そうじゃないと、彼らは動きようがない。


俺は其れを 言葉を咀嚼する という表現にしている。
古今東西を問わずに人間社会の圧倒的大多数を構成する「馬鹿で豚に過ぎない一般民衆」に
 俺の言葉が真っ当に咀嚼できる
とは全く思っていない。
なので落合と俺は 立場が違う とはいえ意見が違う。

俺は議論をするまでも無く
馬鹿で豚に過ぎない一般民衆へ届く範囲の言葉を使う だけで「ならばよし」とするしかない。

そして “其の程度”の事が出来る者達 とならば議論をする、
本来に検索で来る事が不可能な誠天調書へまで辿り着いた人達ならば
俺の言葉を 自分の言葉にする事が出来るだろう。
俺の言葉を咀嚼する事が出来るだろう。



■「怒られながら、褒められながら、助けてもらいながら」
「こういう作業は面倒くさい。
 でも遠回りのようだけど、これが一番の早道なのかなって。
 何を言っても(聞き手が)ダメなんだとなったら、人間関係は崩れていく」



秋田県出身。落合さんはプロ入り前、東洋大学を中退し、東芝府中に就職した。
「みんな、怒られながら、怒鳴られながら、褒められながら、分からない時は人に助けてもらいながら、
 その経験を積み重ねて今があるんでしょ。
 学校卒業したばかりの若者に、
  おれんところの会社の仕事をソツなくやれ
 というのが無理だろう」

話題は仕事から、部活動の体罰問題にとぶ。指導者が感情に走ると体罰につながる。
「 将来、こういう指導者になりたい。
 そこを土台にして、指導者がもっと上に行こうとする
 と、必ず無理が出てくる」

落合さんは東芝で配電盤をつくっていた際、ハンダ付けや溶接がうまく覚えられなかった。
「そうすると、職場の上司が、こうこうやってみたら、と教えてくれた。
 こうしろとは言わない。
 いろんなことを、オレらみたいな素人に教えてくれたんだ。
 技術を持っている人 って沢山に居るので、
 その人たちに動いてもらうのが一番いいんだろう」

どの世代かといえば、学校なら、生徒が自分の孫くらいの年齢の指導者が一番いいのではないか。
「自分たちの仕事をして、定年退職した人たち。もう青筋立てて怒るようなトシじゃないでしょ」
というのだった。


現在の極東の一諸島においては数近くを占める下層の労働の現場は
・奴隷に等しき待遇

・プロとしての仕事
・昭和の時代の企業人の意識
を要求する。

お前らは馬鹿か? 

馬鹿で豚に過ぎない一般民衆へ しかも将来が先に喰い潰されているのが丸見えなのに
それでも尚に「昭和という神話の時代」の延長線上が描けるとか思ってるの?

信じている のだとしたら 救いようのない狂信的なカルト信者そのものだし
信じていないのに だったら 外道そのものな詐欺師だし
どちらでもないな現実が全く理解できていない のならば 単なる大馬鹿野郎 だ。

落合の言葉を聞いて「分かった気になっている」な程度の幸せな者達は
 どれだけ自分が言葉を咀嚼できているか
には 到底に理解が及んでいない と かなりの高い確率で断言できるけどね。




http://blog.goo.ne.jp/kanayame_47/e/59f9faa6dee3197a815c9ecc980dfc46
落合博満氏講演 手首切り自殺未遂告白/大谷翔平の二刀流=やらせてみて、結果責任は自分で取ればいい


会場がひときわ静まり返り異様な空気に包まれたのは、午後1時開始の講演が終盤にさしかかる頃だった。予想外のひと言が、落合氏の口から飛び出したのだ。
「死ぬのは簡単と言うけど、死ぬのは勇気がいります。死んだ人って勇気がないってよく言いますよね。これは、オレは違う(と思う)。オレだってこうやって、したことありますよ」
 そう話すと同時に、右手で左手首をスッと切るジェスチャーをしたのである。聴衆がアッケにとられると間髪入れずに畳みかける。
「あるけども、オレにはザクッとやるだけのふんぎり、勇気がなかったから、今ここにいるんだ。あれってすごい勇気だったんだ。その勇気をちょっと別のところに向けていけば、何も死に急ぐなよ、おもしろい楽しいことがいっぱいあるよ、ということを皆さんが伝えてくれれば、自殺を防いでいけるんじゃないか」
 あまりにアッサリとしたもの言いに思わず耳を疑ったが、どう聞いても「手首カットの自殺未遂」である。
 ここに至るきっかけは、昨今、頻繁にニュースになるイジメ、体罰、暴力問題に触れたことだった。
「このイジメ、体罰というのは昔からずっとあった。だってオレの高校時代、毎日ブン殴られてたもん。野球やるよりブン殴られてるほうが多いのかと、不登校になった」
 さらに、東洋大学に進学したものの中退することになった原因にも触れ、
「集団生活の免疫がオレにはなかった。まして秋田の田舎から出て行ってるでしょ。当時は方言、これがものすごいネックになった。お前、何しゃべってるかわからん、と。とてもじゃないけど団体生活は耐えられないと思って、田舎に帰ったんです。そこから東芝府中に入るのに2年かかったんですけどね」
「時期」には触れなかったが、はたして自殺未遂は学生時代の失望から決断したものだったのか。落合氏を知る球界関係者は言う。
「確かに『東洋大(野球部)はひどいんだぞ』とボヤいていた。大学後輩の達川光男は『広島商時代、グラウンドに固定された日本刀の上を裸足で歩かされた。神経を集中してそーっと歩けば足裏は切れないから、と』と振り返るけど、その達川が『当時の東洋大は高校野球よりひどかった』と言うんだから、よほどだったんだろう。落合さんがいた当時は、体罰やイジメに近い理不尽なシゴキがあったのでは」


「オレ流野球論」からスタートしていた。いわく、
「『大谷の二刀流、どう思います? え、落合さん、いちばん最初に否定すると思ったんです。それを容認するとは考えつかなかった』とよく言われるんです。何で? と思う」

今シーズン最大の話題選手、日本ハムの二刀流ルーキー・大谷翔平(18)のことである。そしてさらに、
「大谷が、せっかく自分がこういうことをやりたいと言っているのに、その芽を摘む必要がどこにあるのか。やらせてみて、結果責任は自分で取ればいい。それをなぜ周りの人が『そんなことできるはずがない』と言うの。そう言ってる人には責任ないんだもの。今年のセ・パで何が興味あるって、大谷だけなんだ。どこが優勝しようが関係ないんです。だって(現場に)携わってないんだもの、今」

球界初の試みに賛成する理由は「個性」だった。
「野球界、個性がないと言われてるでしょう。みんな同じようになっておもしろくない、と。昔はいろんな呼び名があったでしょう。川上さんは打撃の神様、稲尾さんは神様・仏様・稲尾様、王さんはフラミンゴ打法、長嶋さんはミスター、張本さんは広角打法と言われた。その最後がイチローの振り子打法なのかな。こうやって特徴があった。大谷は2つやるんですよ。これは話題性があって個性(があるってこと)じゃないの。この個性をみんな潰しちゃうの? なんてケツの穴の小さい。見守ってやりゃいいのに。だから一番の楽しみがここしかない」

落合氏も現役時代は神主打法と言われる個性派だった。スポーツ紙デスクが補足する。
「落合氏は東海ローカルのテレビ番組などでも『(投と打の)両方の才能があるんだから、やらせたらいい』と発言しています。大谷は8番・右翼で野手として開幕戦デビューしましたが、球団としては野手で毎日出場するほうが興行的にはいい。今は“営業”状態です。栗山英樹監督(51)は『メドはゴールデンウイーク』と言っている。その頃あたりから、投手として先発登板させると思います。中継ぎではなく予告先発でないと客を呼べませんから。それまでは、例えば“親子ゲーム”をやらせればいい」
親子ゲームとは、デーゲームで二軍戦に投手として出場し、ナイターで野手として一軍の試合に出る、いわばダブルヘッダー。

栗山プランに沿って、GWあたりから二刀流を本格始動させる場合、どんな起用法になるのか。北海道のスポーツメディア関係者は言う。
「先発登板したら翌日は休ませる。中5日なら翌々日から野手として3試合に出て、次の先発前日は休む。中6日なら4試合を野手で出場します。ただ、今はまだ体の線が細く、そこまでやれる体力がない。オープン戦でも中継ぎの1イニングだけだったでしょう」

落合氏も大いなる期待を口にするのだ。
「成功してもらいたい。
 この二刀流が投手で(規定投球回の)144イニング、野手で446だったっけな、
 この規定を達成したら野球界はとんでもないことになるぞ」

投手の分業化が進む すなわち専門化が進む と 実は 駒不足 が起きる。
投手を多く用意する必要性が出てくる、
其れは野手も細かく変更していく事を意味するから 更に駒不足は深刻となる。

其の兵力不足を補う為に 今度は専門化ではなく「汎用化な選手」が求められてくる。

第三のキャッチャーを 他のポジションと兼用させる が良い例で
内外野の両方を担う控え選手 が必要となる。
野村克也は そういう選手を「超二流」として重宝した。
現在のプロ野球も 「超二流」を育てて行った球団が しぶといチームを作れるようになっている。


大谷の二刀流は 其の先の話を作りだす。
ならば投手と野手の兼用は?

特に「左のワンポイント」をする投手が野手と兼用できた場合に
その重宝さは 野球を変える可能性すらある。

机上の論で書く者達ならば 此処まで書くのが当たり前 だと思うんだけどね。





2012年1月7日 http://www.asagei.com/3244
巨人の元ヘッドコーチで、昨年まで球団編成本部シニアアドバイザーだった伊原春樹氏(61)は
清武氏の一連の言動には批判されるべき面も無くはない とも指摘する。

清武さんも5〜6年は野球について勉強してきたんだろうけど、知識だけの耳年増になって頭で考えて入っていく。それが怖いところでしたね。やっぱり「モチはモチ屋」。知識だけで戦えるものじゃない。


以前、清武さんと飲んだ時、私が、
「われわれコーチや首脳陣なんて、勝てば官軍、負ければ即解雇ですから、不安定なものだよ」
って話をした。
清武さんはその時、ニコニコと話を聞いていました。

清武さんと原辰徳監督とは、球団代表として接していた頃は関係も良好で、
監督室にもよく出入りして話し込んでました。
ところが、2010年6月に正式にGMの肩書をもらったあたりから、ちょっとおかしくなってきた。
GMと監督の考えが少しずつぶつかるようになった。


此の話は
・「育成」でのみ進もうとする清武
・「育成」と「補強」の2本立てで進もうとする原
という路線の微妙な違いでしかなかったが
業務や仕事上の微妙な技術論の差異というのは 中々に難しいモノだよね。
思想の方向性が一致している場合ほど こういう時は難しい。

此の時は 伸び悩む太田や亀井をサードで使うか それとも村田を取るか も焦点の一つだったと思う。


http://ameblo.jp/furu-hon/entry-11294822692.html
「巨魁/清武 英利」の書評

目を通すまでは全編に渡って、ナベツネさんとの確執やナベツネさんの悪行が暴露されているのかと思ったのですがそうではありませんでした。

この本の中心はどちらかと言えば、清武さんが球団代表として取り組んできた
“いかに巨人を強くするか”
ということをどのように考え、そして実践してきたのかを綴った部分です。


監督の立場からのチームを強くする考え方や采配について記した本は何冊か読んだことはありますが、球団代表という立場の人が書いたのものは初めて見たので新鮮です。

監督という立場の人は、チームのトップに見えても実際には与えられた戦力の中でやりくりしていますし、基本的には短期的な視点でチームを見ています。

しかし、球団代表(GM)という立場の人は長期的にチームをどう作って行くのか、どのような選手を取るのか(又は切るのか)などを判断することになるんですね。

清武さんが球団代表になる前の巨人というのは、とにかくお金をつぎこみ大砲(HRを打てる人)をかき集めるという行き当たりばったりなチームという印象でした。

清武さんはそれではイケないと考えて、生え抜きの選手を育成すること、選手をスカウトするのにスカウト担当者の抽象的な印象ではなく、客観的な数字による判断を取り入れるなどしてきたということで、その経緯や導入後の成果まで細かく書かれています。

暴露本ということで、色眼鏡で見られがちかもしれませんが、球団代表という立場でチームを強くする過程は読んでいて興味深いものでした。

私が巨人ファンであったり、野球ファンであれば面白さは倍増したと思います。


ただし現場との齟齬を上手に消化しきれなかった という技術的な面は僅かには有った。
しかし プロの頂点の勝負は その僅かな点の凌ぎ合い が命取りとなるからね、仕方が無い。




http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130615-00000019-ykf-spo

巨人・沢村拓一投手(25)は、13日のオリックス戦(京セラ)で5安打完封。4月25日の横浜DeNA戦以来、7試合ぶりに白星を挙げた。

「自分のことより、チームが勝ててよかった」と沢村。いつも気をもむ川口和久投手総合コーチ(53)は「継続してほしいね」と話した。

実は同コーチ、沢村をめぐり米大リーグ・レンジャーズのダルビッシュ有投手(26)との間でちょっとした“論議”になった。

発端は5月末、沢村について「ウエートトレーニングの影響で、ひねる動作がやりにくくなっている。だからリリースが安定しない」と指摘したこと。ネット上でも「不振の沢村にウエートトレ禁止令」といった見出しで報じられると、すぐにダルビッシュが反応。自身の公式ブログで「某球団のコーチが某選手にウエイト禁止令を出したらしい。ウエイト=リリース安定しない。ならメジャーの選手みんなあかんやん!(笑)」などと反論したのだ。

ダルビッシュはウエートトレなどでメジャー仕様の体を作り上げたことで知られるが、沢村も大学時代からレベルアップのために取り組んできた。オフにはダルビッシュに“弟子入り”したこともある。

改めて川口コーチに聞くと、「野球の能力を高めるウエートなら大賛成だよ。だが、沢村の場合は筋肉を付けている部位が問題で、肩の可動域が狭くなり投球フォームが悪くなっている」と説明してくれた。もっとも「シーズン中にやり方を大きく変えるわけにもいかない」と、今オフに本人と話し合う意向だ。

頑固一徹な性格だが、いったん結果が出なくなると球数が増えるなど、首脳陣にとってはツッコミどころ満載となる沢村。目が離せない投手であることは間違いない。

沢村は 誰にも負けない馬力が有る という長所がある。
けれども 少しノーコン という短所がある。

其処へ「更に天下無双の馬力を付けよう」としたら もっとノーコンになったw
そら川口が おまえチョット待て となる訳でw

こういう細かい技術論の話は 仕事や業務という生活の場では よくある話だよね。






.


posted by 誠 at 06:25| Comment(0) | TrackBack(0) | (゚∀゚) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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