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2013年08月01日

今西進化論を人間社会へ応用する、多神教で文明人の社会共同体の内実を踏まえて。

http://news.mynavi.jp/articles/2013/07/18/yasuhiko/index.html

板野
安彦さんと富野さんは仕事が速くて、家庭もあるから電車のある時間に帰られるんですが、僕たちは遅いから帰れない。安彦さんたちは「すまないね〜先帰るね〜家庭があるから」って気を遣って先に帰られましたが、僕たちはいくら描いても全然終わらなかった。

安彦氏と富野氏は電車で帰る、とサラリと言っているが、これがどれだけすごいことなのか、アニメの製作現場を少しでも知っている人なら分かるはずだ。仕事量は他のスタッフの倍どころではないふたりがどんなスピードでどんなクオリティの仕事をしていたのか。やはり常人ではない。

当時で印象に残ってるのは、ミハルの回で富野さんが絵コンテを切り終わって、安彦さんに見せたんです。それでふたりで男泣きしながらいい回だね、この回がんばろうね、みたいな話をしていた。それでおふたりが帰られた後でそのコンテを見たら、やっぱ泣けてくるんです。これまでの子ども向けのものじゃなく、新しいもの、ちゃんとした戦争をとり上げて、その中で弱い民間人が戦わされて死んでいくというものをちゃんと描こうとされていた。

こういったエピソードは、まず富野監督からは出てこない貴重なエピソードだろう。

安彦氏は アニメーションディレクターという作画に関する全統括者としての仕事、それにキャラクターデザインと各話数のうちのいくつかの作画監督(もっとありそうだが)。が、アニメーションディレクターとしてほぼすべてにおいて、可能な限りよいものを仕上げようと、何でもやっていたということである。だから あまりの激務で体を壊し、入院(34話の作業中とされている)。最終話まで現場に戻ることはできなかった。劇場版では、終盤も多数の新作カットを追加している。

安彦
コンテを見るとやりたくて仕方ないんですよ。いろいろ手をつけたいんだけど、自分の能力(の限界)があるから。

板野
安彦さんは倒れるまで、肝心なところはすべて抑えていらっしゃって、すごいな! いつの間に? と。ランバ・ラルの戦死する回なんかも全部(手が)入ってますね。

安彦
この(トークを聞きに来ているお客さんの)中にもマニアの方がいらっしゃるだろうけど、何話の作監は誰で、原画は誰でなんて調べて、この回は安彦作監じゃねえよ! なんていう人もいるけど、そんな単純なものじゃないよ(笑)

安彦
こうだったらよかったなと思うのは、当時はメカ作監がいなかったんだよね。メカ作監っていつからできたのかね?

板野
『マクロス』からですね。私なんですけど。

安彦
あなたがメカ作監第一号なの?

板野
そうです(笑)(会場笑)

欲しがっていたメカ作監第一号が、まさか自分が教えた若手だったとは……安彦氏はその事実に驚くも、さらに『マクロス』でのメカ作監料は1本5万円で、キャラ作監の美樹本晴彦氏の1/4だったという。

安彦
美樹本晴彦はキャラ作監で20万もらってたの?(会場笑)

板野
そうなんです。メカ作監というのはなかったので、1本5万。え? 動検より安いの? って。そして(『マクロス』の)10話で倒れるんですよ(笑)。人は無理したら倒れるんです。

安彦
当時は作監のなり手がなくてね。原画の方がいいと。

板野
そうですね。僕も『マクロス』の時に1本まるまる(メカ作監として原画を)直したんですけど、メカ作監の5万円だけでした。もし原画をまるまる1本描いていれば100万円以上になったのに、ひどいもんですよ。

安彦
それは深刻な問題だよ。

板野
倒れたあとに、7万円になりましたけど。動検と同じになりました。(場内爆笑)

悲しいかな、今も昔も変わらぬアニメ業界の労働環境。しかしそれに追い打ちをかけるような悲劇が1スタを直撃する。

板野
安彦さんが倒れたあと、レイアウトを描いてくれる人がいなくなり、安彦さんの前の話の修正画を見て、作監修正紙を見て……そこからザクやガンダム描いていました。前島さんはキャラ描いて、担当を分け、死にものぐるいで……。その頃はもう打ち切りが決まり、ガンダム(のように働いていた)安彦さんがいなくなり、富野さんブライト(監督=艦長)はスポンサーから「打ち切りだ、本は売れねえ、オモチャは売れねえ、お前がマスターベーションこいてるからだ」と言われて大ダメージを受けちゃいまして。

『ガンダム』を作っていた人たちが安彦氏をガンダムに例える――それがどれほどのことか。1機のモビルスーツで戦局を変えられるものではない、とウッディ大尉は言ったが、1スタというホワイトベースは星一号作戦あたりからガンダム抜きで終戦まで戦ったと考えると、その恐ろしさも分かるというものだ。


安彦氏
なぜ(美樹本氏が)現場にいなくて、同人誌にいるんだっていうね。不条理だよ(笑)
それで『クラッシャー・ジョウ』を手伝ってもらおうと思ったら、もう『マクロス』が動いてたっていう。

板野
この82年頃は密度がすごくて『ザブングル』があり、『ガンダム』の)『めぐりあい宇宙』があり、『イデオン発動編』、『マクロス』、『クラッシャー・ジョウ』って、おかしいでしょ。

氷川
板野さんの出現率高いですよね。


日本のアニメ史を左右した(かもしれない)出来事

板野
『ザ・ウルトラマン』(1980年4月から放映されたアニメのウルトラマン。サンライズ製作)が始まって、肩身が狭くなっていきましたよね。

安彦
『ガンダム』の)番組担当の渋江プロデューサーが現場にいないんですよ。『ザ・ウルトラマン』が始まって。あっちはTBSでゴールデン、円谷プロの関係もあって……こっちは名古屋テレビ。どう考えてもあっちが本線だよな(笑)。たまに(1スタに)来てもウルトラのことしか考えてないの(会場笑)。

板野
自分も(『ガンダム』終盤、安彦氏が倒れて大変な時に)ウルトラの動画やらされましたからね! ウルトラのイベントがあるんで出てくれって言われましたけど、断りました。

安彦
それで神田君というアシスタントプロデューサーが(『ガンダム』を)全部やってくれてたんだよね。功労者ですよ。でも彼、『ガンダム』のテレビシリーズが終わったらこんな会社にいられねえって、出て行っちゃった。今何してるんだろう? 神田君をはじめ、制作進行はみんな出て行った。何も報われてない。かわいそうなことですよ。いたたまれない。

『ガンダム』放映終盤、安彦氏が倒れ、そこに『ザ・ウルトラマン』が追い打ちをかけ、スタッフが身も心もボロボロになり果てたところに、ある人物が現れる。

板野
安彦さんが倒れられたあと、安彦さんの席に『イデオン』のキャラ表が遅れてる(『イデオン』は1980年5月より放映)というので、湖川さん(湖川友謙氏:『宇宙戦艦ヤマト』『伝説巨神イデオン』『聖戦士ダンバイン』などの作画監督、キャラクターデザイナー)が来たんですよ。それで3日カンヅメになってその時にご縁ができたんです。

安彦
僕の席でやってたって、30年以上経ってから知ったよ。

板野
安彦さんが入院されてから、もうアニメはやめて漫画やイラストをやるんだと聞きました。次の師匠を探さないと……という時に湖川さんに声をかけていただいたんです。『イデオン』の2話を手伝ったあとに、オープニングが遅れていると聞き、助っ人としてオープニングのイデオンが地面からガーッっと出てくる原画を描いたら「板野君、こんなの誰も動画できないから動画やって」と言われました(会場爆笑)。それからビーボォーでお世話になることに。

氷川
それで"板野サーカス"が生まれた(板野氏が得意とする誘導ミサイルの変態的な軌道や機動メカの高速運動などを「板野サーカス」と呼ぶ。『イデオン』以後有名となる)んですね。

板野
感性と安彦さんの柔らかい芝居とか職人芸、天才肌のものとか、全然足下にも及ばないですけど、それと湖川さんの方程式的な、三点統一的な投射図法というか、自分が設計図面をやっていたから(学びやすかった?)……それとキャラクターの石膏デッサンくさいというかあおりの角度の、顔変になるけどリアルという、安彦さんとはちょっと方向が違いますが、相対するおふたりの良さを自分の中で消化しながら、できることはないかなと。

安彦
湖川君は僕の高校の2年後輩なんだけど、業界では先輩で、僕が業界に入る前からタツノコで三羽烏と呼ばれるくらいだった。

氷川
湖川さんは『ガンダム』もやっておられましたね。6話のガルマの回で。

安彦
え?(完全に初めて知った模様)

氷川
安彦さんの作画監督の回です。

安彦
……やってんの?(原画集を確認)

氷川
名前は出てないです。

安彦
そう……それはモグリなんだよ。平野君はダメなんだ(平野俊弘氏 現・平野俊貴氏:『マクロス』の作画監督、『破邪大星ダンガイオー』『冥王計画ゼオライマー』などの監督を務めた)。作打ち(作画打ち合わせ)に来ない人に仕事を回しちゃうから。今回みたいなうれしい行き違いなんかも起こるけど基本的にはダメなんだよ。いないから言うけど(笑)。何のために半日もかけて作打ちをやるんだってね。

板野
最初はやる気なんですよ。でも時間がなくなって、回しちゃう。

安彦
じゃあ作打ちやんなくてもいいじゃない。やる人は作打ちにこないと。……でも(湖川君のことは)初めて知った。今日初めて知ることがいっぱいあるな(笑)。


氷川
安彦さんが原画をひとりで描かれるようになったきっかけって何でしょう? 19話の「ランバ・ラル特攻!」からひとりで描くようになったんですよね。

安彦
作打ちをやる、原画さんに配る、上がってきたものを作画監督が修正する――そういうやり方の中で、そのシステムに違和感を感じた。作監というのは修正屋だから、原画より(ギャラが)安い。ところがそれは作監の良心に任せるわけだから、フリーパスでもいいわけ。「チェックしました」と言って何もしなくてもお金がもらえる。でもこだわりを持ってる人はとことん直したり、手を入れる。すると原画がほとんど使い物にならなくて、ほとんど作監が描き直しても作監料は変わらない。で、原画料はちゃんと払われる。NGだから原画料を払いませんというのはこの業界にはないんです。

作監も原画も手抜きをしようと思えばいくらでもできてしまう。逆にこだわりを持ってやる人はとことんやる。が、やる人ほど儲からない仕組みになっているわけ。そこでレイアウトやラフ原画、今でいう第一原画(通称:一原)を描いて、若手に渡す。そうすることで一から原画マンが描くより修正の手間が減るのではないか――というシステムを考え、やってみたのが『ガンダム』19話「ランバ・ラル特攻!」だった。

それでやってみたら、まず人の仕事を褒めない富野由悠季(当時は喜幸)がですね、ありがとうって言ってくれたんです。いい仕事をしてくれたと。びっくりしちゃってね。聞き間違いじゃないかって(場内爆笑)。

人を褒めない富野監督が褒めた! こだわりが生んだ新制作システム

このやり方はいけると思い、劇場版『ガンダム』と『クラッシャー・ジョウ』でも採用された。しかし若い人を使い、レベルアップを促すにはいいものの、キャリアのある人を使うには気を遣うので難しかったという。

劇場版の『ガンダム』で板野くんなんかとやる時には、アイコンタクトで意思疎通ができるけど。(板野氏の)原画一枚見て、甘いな〜って(笑)

板野
そうですね(笑)

安彦
それで構図一枚(描いて)やって、できればいいわけです。だけど(原画マンに)預ける余地が少ないんで、つまんないだろうと。やっていてつまらないのは、つらいから、やりがいを感じてほしい。それは(さじ加減が)難しい。

氷川
板野さんはどうでした?

板野
いやー、それは一枚でも多く安彦さんのレイアウトが入っていた方が、ありがとうございます、勉強になりますってなるんですけど、劇場版『ガンダム』のザンジバルの逃げるとこの透過光とか、遊べるとこは遊ばせてくれるんですね。基本的にはレイアウト通りちゃんとやるんですけども、途中で自分なりの遊びを入れて、認められようとがんばるんです。

氷川
板野さん、いろいろ安彦さんのレイアウトに描き足してますよね?

板野
ガンキャノンの投げる手榴弾にバーニアをつけたりとか、そういうやつ。あと、連邦軍にはジムとボールしかいないのに、鉄人を描いたり(ア・バオア・クーの戦闘で連邦軍の機動部隊にこっそり描き込まれている)。そしたら、色指定の人から「鉄人は何色ですか」と電話がきて「白黒なんで分かりません、青だと思うんですけど」と答えました(笑)

氷川
描き込みを増やすというのは(安彦氏的には)どうなんでしょうか?

安彦
ディテールをはぶくっていうのは、アニメの至上命題だったんです。ロボットもののデザインやキャラシートを作って見せると、線が多いね、色が多いねって動画マンや色指定の人に言われる。じゃあ影減らそうとか。

氷川
『ガンダム』を見ると、青い部分は影があるんですけど、赤の部分は影がなかったり。

安彦
あれは妥協です。そうやってなんとかやりくりしているのに、言ってもいないのに描き込みを増やしやがる奴がいるんです。誰とは言わないですが(場内爆笑)。

板野
すみません(笑)

安彦
こんなに描いて、終わらないよと。そういう奴が出てきて、そうしたところに大友みたいなの(大友克洋氏 『AKIRA』や『スチームボーイ』など)が面白がって介入してくるとまたとんでもないことになる。

それこそがまさにアニメが進歩、発展してきた歴史であることも事実なのだが、安彦氏はディテールの追求は、省略と誇張の技術であった従来のアニメとは逆の方向性であると語り、その是非に一石を投じる。

安彦
アニメーターはだんだんオールマイティというのが要求されなくなってきて、メカはメカ屋が、と専門化、分業化してきている。今は下着デザインとか、モンスターデザインとか?

氷川
今は弁当デザインもあります。弁当の作監がいるんですよ。弁当アニメの(笑)。

安彦
そのようにどんどんスペシャリスト化していく。それが果たして幸せなのか。オールマイティだったというかアバウトだった時代って、いい時代だったんじゃないかな?

板野
そうですねえ。

安彦
あなたがある意味戦犯なんだけど(笑)。

板野
いや、僕はずーっとミサイルや爆発やメカを描かされてきて、拷問みたいなもんですよ。もちろん好きなんですけど、好きだからって毎日カレー食わされたら、ああ……天丼食いてえなってなりますよ。それなのにもっと10倍辛いカレー、100倍辛いカレーって求められてきて、ええー! って。

安彦
なかなか(得意分野を)越境できなくなるでしょ?

板野
はい。しんどいですね。描き込みといえば、ビッグ・トレーって迷彩じゃないですか。あれは当時、富野さんが(迷彩だけど)引きだからいいよね? いいよね? って(笑)。

氷川
そういう(描き込みが敬遠される)時代だったんですね。

板野
仕上げの人は恐いですから。当時、スタジオディーンの長谷川さんという社長に、何かの宴会で後ろから殴られました。「板野ぉ! お前の動画は描き込みたくさん、色もたくさんで、仕上げが生活できねえって何人辞めていったと思ってんだ! ふざけんな!」ってケンカになったり。

安彦
でもディーンの長谷川君て、押井守のめんどくさいのやってんだよね(場内爆笑)。

板野
押井さんは偉いけど、こっちは下っ端だから後ろから殴ってくるっていう(笑) 動画殺しとか仕上げ殺しとか呼ばれましたけど(笑)。


板野
氷川さんや庵野君に感謝です。今もう二歳以下の子どもを除けばほぼ『ガンダム』というネームバリューは通じると思う。それはアニメを安彦さんと富野さんが支えた証拠、歴史じゃないですか。それは大事なものです。安彦さんの原画集も、後輩に全員買わせました。自分のところにサインを入れて(笑)。安彦さんの絵のところはダメだよ! と言って。

安彦
原画集のオファーが来た時、それはちょっとダメでしょって断ったの。そしたら庵野君が来て、えっ? あの庵野君が? と。実際に会ってみると、板野君が"板野さん"て呼ばれていて、庵野君が「板野さんは師匠なんです」と言うわけだ。僕は、君が"板野さん"て呼ばれる顔が思い浮かばなくて久しぶりに会ったら、あ、マゲになったんだ! と(笑)。若い人にとって30年ぶりというのは気が遠くなるような話だと思うんですよ。そういう人たちに言っておきたい。あっという間だよ30年なんて(場内爆笑)。

それとこの原画集はさっきも言ったアバウトだった時代の記録にもなると思うんですよ。アバウトって、日本のアニメにとって大事な要素だと思うんだよね。今アニメは非常にスペシャルな仕事の集積になって、業界的に"クオリティ"と呼ばれているらしいけど、日本のアニメーションは元々クオリティで勝負していないっていうのが持論なんです

それがいつの間にかクオリティが高いということを、事情も何も知らない世間の人がおだてるようになって、業界もおだてに乗ってクオリティを維持しなければ……そうして、どんどん仕事を細分化している。それはおそらく間違っていると思う。そうやって自分の首を締めてるだけじゃないか、そういう勝負をしたら世界に勝てないんじゃないか、という気がする。それを板野君なんかにも聞いておきたい……が、今日は時間がない(笑)。基本はアバウトなんですよ。そこの中にマインドを込めてやっていたわけ。ある時はゲリラ的に。それが原点だということを、こういう乏しい資料をもとに現役の人たちに知ってもらいたい。

板野
本当にネットでの評判を見ても、業界の方がものすごく(安彦氏の原画集を)買われている。この原画集はバイブルになっています。安彦さんのレイアウトとか(キャラの)目力とか、"アバウト"とおっしゃられましたが、感性の豊かさ、人間らしさ、キャラクター性、猫背だったり、力みだったり、全部入っている。それを今育てている「グラフィニカ」っていう会社の新人アニメーターに教えています。

安彦
今アニメの仕事はやっていませんが、自分なりにこだわりを感じる仕事をやっております。当てようとか、儲けようとか……そういう仕事はたぶんしていない。日本のクリエーターは、自分のこだわり、やりたいことを作品にしたい、形にしたい、見てもらいたい、ということでやっている。それが共通したスタンスだろうと考えている。その中で、たまたま当たって、長く愛されることがまれにあるわけ。そのまれにあることを果たしうるというのは非常に幸せなこと。その幸せが自分に巡ってくるとは、当時もまったく思っていなかった。今日、いろいろ秘話が出たと思うんですが、もうひとつ秘話を紹介します。

と言って安彦氏は、富野氏と一対一で話した過去を振り返った。

安彦
『ガンダム』が当たった時、富野さんと一対一で話をしたことがある。富野さんは「ねえ、安彦くん、俺はね『ガンダム』で10年食いたいんだよ」と非常に生臭い話ですけども、そう言った。僕はその時富野さんに「富野さん安心していいよ、たぶん10年は大丈夫だよ」と言った(笑)。食うというのは下世話なことだけど、我々にとってこれは大事なことです。そのことに関して富野さんはリアルにものを考える人だった。僕は冗談まじりに10年は大丈夫だって言ったら、まさか30年経ってまだこんな状態だとは夢にも思わなかった。でも当時、僕も富野さんもサンライズも(これほどの成功を)望んでなかった、思っていなかった。

この幸せについては十分に感謝しているつもりです。しかし、夢よ、もう一度、なんてことはまったく考えていない。おそらく富野由悠季もそうだと思います。そういうスタンスでクリエイターたちは仕事をしているということを、覚えておいていただきたい。もちろん個人差はあります。ですが、そのスタンスというのは、日本のクリエイターたちの、一種の"男気"で、それがおそらく生命線だと思われる。さっきディテールの話で過ぎた話をしましたけど、もうひとつ過ぎた話をしますと、日本のクリエイターたちは、女であってもね、"男気"で仕事をしている。それが原点、それが世界で通用している原点だと思います。ひとりの男として、板野君にも無理矢理賛同を求めたいが……ねえそうじゃないかい?

板野
はい、その通りだと思います。葉隠れとか武士道とか、日本に伝わる、金とか名誉とか立場ではなく、自分の信念で動く――という。それは安彦さんや富野さんの背中を見て、本当にいい作品に携わり、育てていただいた感謝の気持ちがあります。それを後輩たちにも伝えていきたい。ありがとうございました。



最後に板野氏が「今日は久しぶりに先生にお会いできて、僕は裏でサインもいただいて、それだけでも幸せです。本当にありがとうございました!」と心からうれしそうにしていたのが印象深い。『ヱヴァンゲリヲン』の庵野秀明氏が師匠と仰ぐ板野一郎氏がサインをもらって喜ぶ先生、それが安彦良和という伝説のアニメーターなのである。

若い人はこの記事を読んでもどれだけ凄い人なのか、ピンとこないかもしれない。ならば5月31日に発売された『庵野秀明責任編集 安彦良和アニメーション原画集 「機動戦士ガンダム」』を手に取るか、7月31日までお台場・「ガンダムフロント東京」で開催中の『アニメーター安彦良和展』を見に来られるといい。筆者も絵の技術には疎いのだが、展示されている安彦氏の原画と、実際のアニメのカットが並べてあるものを見て驚いた。原画の方がきれいなのだから! ミライさんの目なんか、原画の方が全然美しいのだ。キャラ絵だけなら分からなくもないが、ガンダムまで原画の方がカッコイイのはどういうことなのか?

安彦氏が描いた原画のガンダムの、カメラアイやブレードアンテナ、バルカン発射口にあご、頬などの配置バランスやサイズの比率があまりに完璧すぎて、仕上がったセル画の方が乱れているのだ。作業にかけている時間を考えるととても信じられないのだが、これが先生と呼ばれる人物の仕事なのである。

板野氏は、武士道に例えたがまさにそれで、武術の達人の技に等しいといえるだろう。絵を描く人であれば筆者より遥に凄さが理解できるのではないだろうか。

なお、板野氏が現・A-1picturesの社長とトイレに隠れて原画泥棒を待ち伏せした話や某プロでの悲惨な話など、掲載しきれなかったエピソードも多い。「ガンダムフロント東京」でのトークイベントはぜひ生で見ることをおすすめしたい。7月26日には「ガンダムフロント東京」にて、今度は庵野秀明氏と氷川竜介氏のトークショーが行われる。『ガンダム』を当時ファンとして体験し、今や当代きってのアニメ監督となった庵野氏が語る安彦氏の仕事とは? こちらも必聴間違いなしである。


http://news.mynavi.jp/articles/2013/08/01/gft/index.html

庵野
アニメファンの庵野秀明です。

庵野氏が編集した「安彦良和アニメーション原画集 機動戦士ガンダム」について。元は居酒屋トークで氷川氏が安彦原画集を出したい、と話した時に庵野氏がその場で「ちゃんとやりましょう」と言い出したことが始まりだという。そして、サンライズの社長に話をもっていき、「安彦氏がいい」と言えば出せるということに。その時から4年が過ぎ、その内訳は準備が1年半で、角川さんの手にわたってから2年半。いろいろな苦労があったようだ。

氷川
難しいことだけど庵野さんとしては、アニメや特撮を残したいと?

庵野
残したい。こういうものは、僕の手元に残しても意味がない。世の中に残さないと。広く残すには出版という形がいいんです。それと保存にはバックアップが残せるデジタルが便利だけど、やっぱり紙がいいですね。紙にはかなわない。だから文化事業という形でちゃんとやるのは大事なことなんです。

氷川
アニメーションの原画に対する想いというのは、原画集のあとがきにあるこれですね。

以下、庵野氏が書いた言葉をそのまま紹介する。(「安彦良和アニメーション原画集 機動戦士ガンダム」より)

映像の持つ魅力の一つに『画』というものがある。
それは、作り手の純粋なイメージを具象化し、映像として定着できる
アニメーションにおいては、特に顕著ではないかと思う。
その『画』の設計図となるものが『画コンテ』と呼ばれるものであり。
アニメーションではそれを基に実際の画面の基となる
『レイアウト原画』と『原画』が描かれる。
これらに時間軸のガイドラインとなる『タイムシート』が揃うことにより、
初めてアニメは形になることが出来る。
現行のシステムでは、始めに『レイアウト・原画・タイムシート』ありきなのだ。
それらを一手に担うのが、アニメーターと呼ばれる人々である。
アニメーターは絵描きであり、役者であり、カメラマンでもある。
勿論。映像は『画』に『時間軸』と『音』が加わったものが最終形態、
つまり『作品』として成立するものだが、その彼らの純粋で原初で繊細な
手書き鉛筆による生の仕事も見て欲しいと思う。

この一文をふまえて、今回の庵野氏のトークを読み進めていただきたい。

庵野
今はCGとかもありますが、やっぱり手で描いたものの面白さというのは大きい。アニメーターの仕事が一番形になっているものは原画で、その先にセル、今はデジタルで色を塗るのでセルとはいいませんけど。色がついた状態のものになりますが、原画が一番、見ていて……いいんですよね。原画マンの線がそのままでている。原画を動画マンがトレースすると、デジタルの場合は1ドットでも線が抜けていると色がはみだすので、きれいにつながっていないといけない。

するとデジタルでは線を細くする必要がある。昔はトレスマシンといって、(原画を透明な)セルに転写するやり方でやっていたので、6B(原画を描く際のえんぴつの芯のことだと思われる)で描いてもよかったんです。それができなくなっちゃって、そこがまたつまらないですね。

氷川
デジタルだと影は裏から塗るようになって、なおのことつまらないですよね。

庵野
つまらないですね。
安彦さんではないんですけど、80年代に金田さん(金田伊功氏、伝説のアニメーター。金田パースと呼ばれる大胆なパース取りや、生き物のように動くメカやビームなど、非常に個性的な画を作る)という、ものすごく面白い画を描いて、ものすごく面白いアニメーションをやる人がいて……金田さんて分かる人います? (場内、2〜3割ぐらい挙手)

『ザンボット3』(『機動戦士ガンダム』の2つ前のサンライズ作品。富野監督、安彦氏はキャラクターデザインで参加)で、すごくいい金田さんのカットがあって、なんでこんなにいいんだろう? と思っていたんです。それは金田さんが(原画だけでなく)動画までやっていたからで、アニメーターの原画の線がそのまま動画に出るのがこんなにいいことなんだなと知りました。ザンボットバスター(庵野氏はカッターと言っていたがバスターのことだと思われる)を投げて、それがパカっと割れるところがすごくいいんです。

氷川
振りかぶって、次の瞬間にはもう飛んでるんですよね。

庵野
あとザンボットバスターを投げるとこで、中を繋いでる画がなくて(構えてから、投げる動作がほぼ省略されて、投げたバスターが飛んでいる画になる。同様にザンボットブローを投げる場面でも投擲動作が省略されている)、よくこんなタイミングで描けるなと思って本人に聞いたら、「描くのがめんどくさかった」って(笑)。中抜いちゃったっんだけど、それがすごくかっこいい。こういう繋がっていないようで繋がってる動きというのが面白いんです。

氷川
キレがありますよね。

庵野
そんな省略、省エネ作画の時代に、安彦さんの持っているスピードとパワーと、的確さというのがすごいんです。それが特に『ガンダム』の、劇場版のIIIあたりで開花している。

この辺りは 先日のトークイベントで安彦氏が語っていた「日本のアニメは省略と誇張が基本であり、アバウトさが持ち味」というものを、庵野氏は実例を挙げて語っている。時間やコストなどの事情により「武器を投げる」動作を省略しなければならないが、その省略を「カッコよくみせる」アイディアと工夫があるわけだ。そういった工夫のひとつひとつが優れた発明品なのだが、資料の形で残されていない。アニメーター個々人が知識、技法として受け継いでいるのみだと、デジタル化が進んでいくにつれて、使われない技術はどんどん消滅していってしまう。だからこそ形として残すこと、庵野氏が言う「文化事業」が必要なのである。

ちなみに金田氏を例に挙げて、安彦氏を「スピードとパワーと的確さがすごい」としか語っていないのは、安彦氏の原画に込められている省略と誇張の細かい技法はひとつひとつ解説するのが困難だからだと筆者は推察する。庵野氏の師匠である板野サーカスの板野一郎氏が「安彦先生はホワイトベースにおけるガンダム」と例え、富野由悠季監督が「自分の中には安彦君ほどの才能がなかった」というのだから、解析してどうにかなる次元のものではないのだろう。


庵野
安彦さんの描いたガンダムの顔がいいんですよね。

氷川
美形ですよね。

庵野
美形です。ハンサムがうまいんですよ安彦さんは。

彩色したら原画の線のよさが出なかったり、塗りミスがあったりということは起こり得る。そういう意味でも原画のガンダムが一番安彦氏のイメージ通りのガンダムなのだ。

庵野
ガンダムの目元の黒いカゲの部分は黒マジックで塗ってるんですよ。これがカッコいい。当時ロボットアニメではこのカゲをマッキーで塗るのが相当流行ってたと思いますよ。僕も『マクロス』やってた時にカゲは黒マジックで塗ってました。

原画は鉛筆で描くので、普通はマジックペンは使わない。しかしながら、仕上げられたセル画より、鉛筆描きの原画で、目元が黒マジックで塗られたガンダムの方がカッコいいという感覚は、なかなか言葉で伝えるのが難しい。そしてさらに、ガンダムというデザインの難しさを物語るエピソードが次に語られる。

氷川
ガンダムはプラモデルなんかもたくさん出ていますけど、なかなかこの安彦さんのガンダムらしくならないんですよね。

庵野
ならないです。プラモじゃなくて「可動戦士ガンダム」の顔が一番安彦さんのイメージに近くてよかったですね。

ガンダムはキャラクターなんです。(アニメでは)人間の動きをするんです。腰の動きとか、プラモデルではとてもできない。ビームサーベルだって手で抜けないですからね。そんなの関係なしにアニメでは描いてしまってるところがいいんです。

氷川
ファーストガンダムのいいところですよね。いい加減さというか。

庵野
勢いです。それから、困った時は盾を使うんです。盾で線を減らす。これは発明でしたね。盾を持つと左手側のディテールを全部省略して、盾を描くだけでいいんですよ。で、盾のディテールがまたいい加減でいい。なんで十字のマークなんだとか(笑)。

氷川
連邦軍だから、とはいえ適当ですよねこれ。

庵野
でもごまかしだけじゃなくて、盾を使った戦闘シーンのカッコよさというのもある。

氷川
ランバ・ラルとのグフ戦で、グフが盾を斬ったらそこにいなかった、とか?

庵野
それもですけど、その前のガンダムが盾を構えて走ってるところ。盾の後ろにちょっと顔だけ見えてるっていうだけ、というカッコよさですね。しかも描くのは楽で。

氷川
その体勢で走っても盾と顔の上下運動だけですむと。

庵野
でもそれが盾を印象づける前フリになっていて、そのあとグフがガンダムの盾を斬ったらそこにガンダムがいないっていうシーンにつながってるんです。あそこは板野さんが描いたんだと思いますけど。

氷川
確かに板野さんは19話からだと言ってました。

庵野
盾がなくなってからガンダムのモニターに変な文字が出るんです。ああいう描き込みを板野さんは当時好んでやってたんですよね。劇場版のガルマ専用ドップのマーキングとか。

氷川
安彦さんの原画にはマーキングが入ってないので、板野さんが描き足したみたいです。

庵野
あれが、ガンダムが現用兵器に近づいた瞬間だったかもしれないですね。

氷川
今のアニメはモニタグラフィックスに凝るなんてのは当たり前になりましたが。

庵野
いろんな事を『ガンダム』が初めにやっている。エポックメイキングな作品ですね。

今では剣と盾を持って戦うというのはごく普通のことだと認知されているが、盾を持つというのは、実は日本の殺陣文化には皆無に等しく、ガンダムの盾を使った戦闘描写というのは極めて斬新なものだった。『ウィザードリィ』や『ドラゴンクエスト』などによるRPGブームよりも前のことである。

『ガンダム』と同じ1979年のアニメ作品『円卓の騎士物語 燃えろアーサー』では、騎士ものでありながら盾がほとんど使われない、というのが『ガンダム』の戦闘描写が革命的であったことの証明となるだろう(そのかわり『燃えろアーサー』は馬上戦闘という難しいアクションをよくアニメで表現している)。また、ビームサーベルという『スター・ウォーズ』のライトセーバーと似た武器を扱いながら、『スター・ウォーズ』とはまったく違った格闘戦を演じていることも評価しておかねばならないだろう。

其の辺りの影響を受けて直後に急成長したゲーム業界も似たような系譜を行く。

1984年7月 ドルアーガの塔
1985年1月 ドラゴンバスター
1986年5月27日 ドラゴンクエスト
1986年2月21日 ゼルダの伝説



ディズニーアニメや劇場版アニメなどは1秒間に24コマのフィルムが流れ、これを「フルアニメーション」と呼ぶ。これに対し日本のTVアニメは、原則として1秒間に8コマと、フルの1/3の枚数で作る「リミテッドアニメ」で、24コマの1/3であることから3コマ打ちと呼ばれている。だが、動きのなめらかさや重厚感を出したいカットなどには12コマ使う2コマ打ち、フル24コマを使う1コマ打ちを使うケースがある。コストも労力もかかるので、ここぞの場面で使われる。

素人には分かりにくいことだが、このように動作にタメやキレをつけることがアニメーションという芸術の極意のひとつなので、難解だが読み飛ばさずに理解を深めてほしい。

氷川
一番好きなエピソードは何話ですか?

庵野
一話ですね。これは「ロボットアニメ」が進化した瞬間です。ロボットプロレスなんていわれてたものが、一歩どころか飛躍的に前に進んだ。その前の『ダイターン3』の最終話と全然違いますよね(笑)。

氷川
『ガンダム』より前の安彦さんの関わったアニメはご覧になっていますか?

庵野
だいたいは。『ロボっ子ビートン』……なかなかソフト化されないですねえ(笑)

氷川
やっぱり『コンバトラーV』ですか。

庵野
『コンV』ですねえ。出渕さん(出渕裕氏・νガンダムやパトレイバーなどのメカデザインで知られる。『ラーゼフォン』で監督デビュー)は、『ライディーン』からなんですけど、僕は住んでた地域の関係で『ライディーン』を見たのは『コンV』よりあとでした。

氷川
じゃあ『ライディーン』のマリを見たのは南原ちづるのあとなんですね。

庵野
ちづるはいいです(断言)。安彦キャラのひとつの究極じゃないかと。

ここも多少補足が必要だろうか。『コンバトラーV』のヒロイン、南原ちづるは安彦氏が描いたヒロインキャラの中でも特に人気が高い。品がありつつも活発で、優しく、乙女で、それなのに色気がある。サービスシーンも多い。何というか、アニメの女の子に本気でのめり込んでしまう、というのが本格的に始まった、その草分けともいうべき存在であるかもしれない。

庵野
『コンバトラーV』の処理もいいですよね。おもちゃ的なデザインをちゃんとキャラクターとして立たせていて。安彦さんが関わってなかったらこの作品の成功はなかったですよ。

氷川
『ボルテスV』はほとんどいじらせてもらえなかったらしいですね。

庵野
あれはあれでいいんです。成立していて。『コンバトラーV』も『ガンダム』と同じで、『ゲッターロボ』から一気に進化したんですよ。ちゃんと合体変形してカッコいいという。

氷川
合体バンクも安彦さんなんですよね。

庵野
当時、なんで毎週見てたかというと、オープニングと合体バンクを見るためだったんです。ビデオは家になかったですから、毎週合体バンクを見たくて、がんばって見てたという。合体バンクが終わったあとは、その週の作画の状態によって見るかどうか決めてました(笑)。

氷川
合体バンクいいですよね。

庵野
これは宮武さん(宮武一貴氏・スタジオぬえのメカデザイナーで、『ダンバイン』や『マクロス』など多数のメカデザインで知られる)の最高傑作のひとつだと思います。1号機(バトルジェット)と2号機(バトルクラッシャー)が合体する時のギザギザがロックするところ! あれですよ! それまでそういうのはなかったんです。あ、磁石ではなく物理的にロックするんだ、というすばらしさ!

氷川
磁力で4号機(バトルタンク)が吸い上げられるのもいいですよね。ふわっと浮き上がるのが。

庵野
1号機が超電磁発生機となっていて、そこからどんどん連鎖していくのがすばらしい。

氷川
惜しいのは、胸のところに一枚描き忘れがあるんですよね。リテイクされないまま最終回まで変わらなかった。

庵野
お金かかりますからね。

氷川
当時、8ミリのビデオが出ていて、合体バンクはすり切れるほど見たんですけど、最後の構えるところの腕を回す動きが、1カットだけ1コマ打ちになってるんです。通常3コマなんですけど。

庵野
そうなんです。タメが入るんですよ。腕がこうきてこうきて、ここのところがこうなって、こうくるタイミングがすばらしい。あと2号機の腕がこうのびるところがすばらしい。

氷川
そういった「ロボットアニメ」のいろいろなものが積み重なって、『ガンダム』になるんです。長浜さん(長浜忠夫氏・『コンバトラーV』、『ボルテスV』などの監督)の作品がなかったら、『ガンダム』はなかったんじゃないですか。

庵野
だと思いますよ。長浜さん的成分も相当入ってます。シャアとか(ストーリーにからんでくる美形の敵は『ライディーン』のシャーキンが草分け的存在で、『コンバトラーV』のガルーダ、『ボルテスV』のハイネルなどを経てシャアに至る。ライディーンは富野監督と長浜監督両者が携わっている)。


氷川
当時の『アニメージュ』で、安彦さんの原画が載った号があって。見ました?

庵野
買ってました。原画って下書きじゃないんだってことを知ったのはこれが初めてで、原画がカッコいいって思ったのも初めてでした。田舎にいるとそういうものに一切触れることがなかったので。

氷川
このえんぴつ描きで絵を整えるところとか。

庵野
雑誌の表紙(安彦氏の描いたセイラさんが表紙になっていた)になって、初めてこういう風に描いてるんだと知って、衝撃でした。

氷川
どれくらいの速さで描いてるとか、どれくらい寝かせてるかとか、分かりますよね。

庵野
わかります。

当時、地方在住者にはアニメがどうやって作られているのかを知る手段はほとんどなかったと庵野氏は語る。玄光社の『アニメの作り方』やほぼ同人誌のようなものなどごく少数の書籍があるのみだったそうだ。

氷川
じゃあタイムシートなんかも?

庵野
存在を知らなかったですね。学生の時に板野さんの手伝いで『マクロス』やった時に現場で初めてタイムシートを見つけまして、よくわかんなかったですね。

氷川氏:それまで(庵野氏は自主製作アニメをやっていた)はどうしていたんですか?

庵野
全部描き送りで。当時は8ミリカメラで1コマずつ撮ってたんですけど、その時にこの画は1コマかな2コマかな3コマかな? ってやってて。

氷川
自分でシャッター押す時に(コマ数を決めていた)? リテイクの時どうするんですか? 再現できないじゃないですか。

庵野
再現できないです。リテイクも基本なしで。

氷川
じゃあ中割りとかは?

庵野
ないです。全部描き送りだったんで。

※描き送りとは、1コマ1コマ順番に描いていくこと。アニメでは原画と原画の間を繋ぐ中割りを後から動画マンが描いていくため、順番に描いていくという作成手順には普通ならない。

庵野
板野さんの手伝いをやった時に、原画っていうのは始まりと終わりを抑えておけばいいんだということを知りました。

氷川
原画はどことどこを描くのか、というのは感覚的に?

庵野
そうですね。感覚です。それからA1(の原画)からA2(の原画)まで、中割りを前に詰めるのか、後ろに詰めるのか、均等に割るのかというのも感覚です。

氷川
詰めるというのは?

庵野
板野さんの原画に、ここは前に詰める、ここは後ろに詰めるとか指示の目盛りが書いてあって、そんなの初めて見ました。板野さんの原画はそれがすごく多いんですけど。

これは先ほどの『コンバトラーV』の動作と同じで、動きにメリハリを出すためのものだ。

中割りの枚数密度を増やすことで動きにタメが、
中割りの枚数密度を減らすことでスピード感が生まれる。
それをやらないと動作速度が一定で、メリハリがつかなくなる。

原画は絵がきれいなだけではダメで、
動かした場合の動きの速度や力感もイメージできていなければならない。

庵野氏が安彦氏の原画を「スピードとパワーと的確さがすごい」と評した意味は其処に有る。

安彦原画は絵が綺麗なだけではなく、
動きのスピード感、パワーの表現があり、
かつ それが動画となった時をも想定も的確だ と庵野氏は言っているのである。


庵野
板野さんの『劇場版ガンダム III』のジムがドムを斬るところなんて、さすがにそれはやりすぎだろうと。でもそういうのをやらないと、動画の人はうまくならない。難しいからヘタな人が板野さんの原画(の動画)をやるのは無理かな? と思うんですけど、大丈夫なんです。

氷川
板野さんはそれだけ(原画と中割り指示で)タイミングで抑えちゃってると?

庵野
そうなんです。どんなひどい動画の人でも、板野さんの原画は大丈夫ですね。『マクロス』でもそうでした。あっ、タイミングでアニメって保つんだなって知りました。

氷川
タイミングのうまい原画さんて、印象に残るんですか?

庵野
それはありますね。板野さんは空間把握能力が高いので、画に奥行きを出す時のタイミング指示がうまいです。奥に向かう時に、どれだけの距離感を出すかとなると、物体は奥に向かって進むと小さくなっていくわけですが、その小さくなり方がうまいんです。他にも爆発の、爆発球の広がり方がすごくいい。中1か中3か中5か中7しかないんですけど、その使い分けと、爆発が火球になるタイミングがすばらしい。

この中1〜中7というのは、
原画と原画の間に動画マンが中割りを描く枚数の指示。
4パターンだけだが、使い分けによってスピード感が大きく変化する。
また、始点となる原画と終点となる原画の間隔によっても速度感は変えられるので、
板野氏は動画マンへシンプルな4パターンの指示を出し、微調整は原画の間隔でやっていたと思われる。
だからこそ原画の感性、センス、そして経験に左右され、
アニメの原画の上手さ とは 単純な絵を描く上手さだけでは決まらない のだ。


庵野
僕は学生時代に板野さんの仕事の手伝いをして、その時に板野さんが安彦さんの『ガンダム』の原画と修正原画を見せてくれたんです。それと、アニメ原画のタイミング指示の存在を知って、こういうものを自分もやってみたいと思った。当時大学生でしたけど、これは今すぐやらねばならない、学びたいと。その気持ちを『ガンダム』の原画がすごく後押ししてくれました。板野さんとの出会いがなかったら、今の僕はなかったです。で、最初に板野さんに出会って、次が宮さん(宮崎駿氏・説明不要)。この組み合わせは世界中で僕しかいないですね(笑)。

氷川
そういうすごい人たちに導かれてきた庵野さんが「アニメの魅力は原画にある」と言ってくれることはすごく心強いです。

庵野
アニメの面白さってやっぱり画にあると思います。画以外にもいろいろありますけど、画による部分というのは大きい。『ガンダム』の1話が安彦さんの原画でなかったら、『ガンダム』のここまでの成功はなかったでしょう。

氷川
今見ても完璧、というと言い過ぎかもしれませんが、やりたいことが一通りアニメとしての画になってるというか。

庵野
富野さんの絵コンテを安彦さんが原画、修正まで含めてやっているというのが、『ガンダム』の1話のすごくラッキーなことです。他の人がやっていたらあれだけのものにはならなかったでしょうね。富野さんのコンテはよかったけど、残念だったね、で終わっていた可能性が高いです。それくらい安彦さんの功績は大きいです。

庵野氏がそこまで言うのは、こんな前例があるからだ。

氷川
『ザンボット3』は作監がいませんでしたからね。

庵野
『ザンボット』はひどかったですねー!(場内爆笑)

庵野
『ザンボット』はあまりに作画がひどくて途中で見るのやめましたからね〜。金田さんの回が待ちきれなくて(4回に1回ぐらいだった)。人間爆弾の話になって、話が面白くなって見るようになりましたけど。キング・ビアルの合体なんて残念すぎます! あれ作画がもっとよかったらって……当時高校生でしたけど僕が直したいって思ってましたもん。

氷川
修正いれたいと(笑)。

庵野
それだけ厳しかったです。オープニングとエンディングは安彦さんの修正が入ってるんでいいんですけど。

氷川
『ザンボット3』の合体バンクは富野さんが描いたらしいですね。

庵野
あまりに原画がひどかったんで自分で直したらしいです。『イデオン』もひどい時はひどいですけど。

氷川
それを言ったらテレビ版の『ガンダム』だって。

庵野
『ガンダム』はギリギリセーフです。『イデオン』はひどすぎてやっぱり途中で見るのやめました。アバデデ様が死ぬところでもう一度引き戻されましたけど。

氷川
湖川さんも自分の担当回以外でもあちこち直してたみたいですね。

庵野
ええ、ところどころいいカットがある。……そういうどうしても何とかしたいっていう場合は、やってしまうんです。僕も『ナディア』の時にやりました。缶コーヒー持っていって「これ1枚直して」って。お金は出せないんで、あとは気持ちで。作監がいるので、作監が直した以上の直しはタブーだったんです。当然ギャラは発生しないので、僕のポケットマネーで。それはアニメの製作上、仕方がない。

氷川
安彦さんはコンテを見て、急所になりそうなところは全部チェックして手を入れてたそうです。ミハルの回とか。

庵野
あの回はかなり手が入ってますね。アニメはやはり画の力が大きい。絵コンテを見て監督さんのイメージを画にしなければいけないわけですから。宮さんなんか自分のイメージに合わない場合は全部自分で描き直していた。若い頃なんてほとんど自分で描いてました。僕が『ナウシカ』をやらせてもらった時は、ほとんど描き直されました。宮さんはほぼ一日中描いてた。他の人の描いた原画を下に置いて、上から自分で描いてたんです。ほとんど全部(笑)。

氷川
手が早いですよね。安彦さんも速いですけど。

庵野
宮さんも速いですよ。今のアニメの現場でも、本当にスピードとクオリティを持ってる人が何人かいますけど。『ヱヴァ:Q』で総作監やってもらった本田くん(本田雄氏、『ガンダム』的には0080と0083に原画で参加)や、作監補で入ってもらった井上さん(井上俊之氏・原画にこだわるアニメーターのひとり。『魔女の宅急便』『AKIRA』『スチームボーイ』『イノセンス』『おおかみこどもの雨と雪』など名だたる劇場アニメに多数参加)、このふたりはものすごいスピードでクオリティ高いものをあげてくる。ただ、『ガンダム』の頃とは画の線の量が違いますから、ガンダムを描くのとνガンダムを描くのでは、同じ速さというわけにはいかない。

単純な月産枚数で過去と現在を比較することはできない。しかしアニメーターは作業のスピードを求められるのも事実で、それは今も昔も変わってはいない。月に7〜900枚やればうまくなる、と言われてもろくに絵を描けない筆者にしてみれば気の遠くなるような数字だ。それくらい絵を描くことがしんどいと思わない者だけがアニメーターとして育っていく、というのはいやはや、とんでもない世界である。

氷川
だからといってCGで、というわけでもないんですね。

庵野
CGはCGのいいところがあります。手描きは手描きのいいところがあって、そこは使い分けで。『ヱヴァ:Q』に出てきた空中戦艦なんかは手描きで動かすのは無理ですよ。CGでないとできないことはCGでやった方がいい。僕はメカはおいおい全部CGでいいと思ってるんです。メカ以外は手描きで……でもうまいアニメーターというのは今、相対的に減っている。70年代の勢いと80年代のすごい進化、そのあとの90年代以降はやはり停滞している感じがあります。20年近く。アニメーションの表現自体はレベルアップしましたけど。

氷川
そんな中で庵野さんの編集で安彦さんの原画集が出たわけですが。

庵野
30年近くさかのぼって、原点を見るというのはいいですね。原点に近いものを。これは現役の人、これからアニメーターになりたい人に見てほしい、持っててほしいという想いがあります。

氷川
安彦さんはイラストや漫画も描かれていますけど、安彦さんの描いた本当のガンダムというのは、原画にしかないんじゃないかと思うんです。

庵野
安彦さんの原画は本当にカッコいい。こんなにカッコいいのかと。『劇場版ガンダムIII』でのガンダムの動きは重量感と重力がすばらしくて、これは他の『ガンダム』ではなかなかないんです。歩きのタイミングとか、ゲルググと戦うところのスローから通常に戻るタイミングとか、気持ちいいんですよ。斬り払うところとか、突きの……本当はギャンなんですけど(笑)。

氷川
(劇場版では)ゲルググに描き直されて(笑)。

庵野
突きをよけてよけて、耳のところにかする時のハイライトの入り方とか、本当にすばらしい。安彦さんは人間としての動きをちゃんとモビルスーツにトレースしている。モビルスーツが人間の動きをするのがいいんです。

氷川
乗ってる人の性格が、甲冑のように表れているんですよね。

モビルスーツが人の動きをする、というと「メカなのにそれはおかしい」と感じる人もいるだろう。現在のプラモのようにより機械的なデザイン、メカらしい動きが好きだという人も少なくはないはずだ。だが、だがあえて言いたい。「ロボットアニメ」がこうもアニメ業界のメインストリームから外れてしまった原因のひとつは、キャラクター性の喪失にあるのではないかと。いわゆるラストシューティングの場面で、アムロはガンダムに乗っていなかった。それでもあのシーンに我々が特別な感情を持つのは、兵器として描かれたロボットであるガンダムが、同時にかけがえのないキャラクターだった証拠なのではないだろうか。

氷川
キャラクターの目線の話をしたいんですけども、シャアとアムロが最終話でチャンバラしてる時のシャアの目線とか、どうですか?

庵野
やっぱり目が命ですから、キャラクターは。人物だけじゃなく安彦さんの描くガンダムの目がいいですよね。ザクも目がいい。一つ目の目線が。目線がすごく意識して描かれている。安彦さんの描くキャラは、どこを見ているか分かるんです。シャアも仮面をしてるけどどこを見ているか分かる。ガンダムも目は動きませんが、このひさしがあることで目線ができる。

氷川
(ガンダムの原画を見ながら)これ、目がちょっとずれてますよね。

庵野
ええ、ずらして描いてますね。それで目線ができるんです。CGだとこういうずれ方、目線はなかなか難しい。

氷川
これって、何なんですかね?

庵野
やっぱり微妙にずれてるからです。手のくせで。CGだと微妙にずれてくれないので、無理矢理微妙にずらすということもやってますけど。

氷川
CGでこの構図にして安彦さんの原画と重ねると、ずれますか?

庵野
そのずれがいいんです。CGではなかなかできないです。

氷川
CGだと正確なものになってしまうんですね。

庵野
某宇宙戦艦とか。手描きの方がよかったなあ……(場内笑)。

CGという新しい技術の台頭によって、手描きの需要も減っているのは事実としてある。しかし手描きなくしてアニメが続くとも思えない。「技術を残す」ということをやっていかないと、いつか行き詰まってしまうのではないか? そんな危惧も庵野氏のトークからうかがい知ることができる。我々のような見ている側は気楽なものだが、現場は切実なのではないだろうか。


庵野
動撮が見せられればなあ……動撮というのは、アニメと違って色が乗ってない動画があるんですよ。特に板野さんのはそうなんですけど、これがすばらしいんです。色をつけると迫力が半減するんですよ。動きとタイミングだけ、という必要な情報しかそこにないのが気持ちいいんですね。線だけで構成されているものが気持ちいいとは、普通は分かりませんよね。


『ガンダム』製作当事者の、今回は当時熱烈な『ガンダム』ファンで、現在第一線で活躍しているアニメーターの「ガンダム評」となっているので、対比してみると大変に興味深い。

個人的には前回の記事のまとめで描いた、安彦先生原画の「ガンダムの顔」と「目」について庵野氏もトークで触れてくれたところで、心の中でガッツポーズでした。もっとも、原画を見れば誰でも気付くことではあるのですが。あともし質問コーナーがあったとしたら、『ザンボット3』と『ガンダム』の殺陣の違いとそれぞれの魅力、なんていうものも語ってほしかった、などなど。


http://tetuo255.tumblr.com/post/56881692888
ちなみに近年のアニメ背景について宮崎駿のありがたいお言葉

一方ではパソコンで背景を描くのが普通になっていて。
でもそうすると、影の中の色をどういうふうにするのかというと、絞るだけなんですよ、暗く。
コントラストを強くすればね、なんとなく絵らしく見える。明るいところはとばせばいい。

それで、絵の具を使って影の中にどうやって色をつけるかとか、一見黒く見えるけれど、
その中にいろんな複雑な色があるってことを見抜いていくとか、
そういう観察を積み上げてきた絵の技法とかについて、全部無知になってきちゃって。

ただ絞るだけ、暗くするだけなんですよね。
もうデジタルになってからほんとにパーになってるんですよ。

『おまえらちゃんと絵描け!』って。ロケハンに行くとすぐ写真撮ってくる。
写真横に置いて描く。写真にも色があるからそのとおり描く。
だから『バカっ! 写真機持ってくんな!』って(笑)。
そういうふうになってるんですよね、どんどん。
(略)
ほんとにねえ、下手くそになってるんですよ、みんな。しかも手間かかる。
だって昔のよりも倍もいるんだもん、美術のスタッフが。
『トトロ』やってる時なんて10人もいなかったですからね、美術なんて。
ガランとしたところでやってました。

今はみんな遅いんです。
職場を回ってると、何やってんだこいつらと思う。(笑)
どうしたらいいんですかね、この荒涼たる人材不足を。

いや、ほんとに。デジタルに侵されてるんですよね。
自分の見たものではなくて、とにかくビデオカメラか、携帯か、なんかで撮った画像で世界を見てる。

だから初めからパース線が決まってて。不動産屋の広告みたいに、みんな広角になってる。
そこに平面の下手くそな絵を乗っけるから、妙な画面ができる。
流石だと言わざるを得ない。正しいよ、この話し。

http://tetuo255.tumblr.com/post/56328399321
アニメーターを志す人へ  1989年 スタジオジブリ「新人アニメーター募集のお知らせ」宮崎駿・画
本気の本音に涙が出てくる。ああ、命かけているんだ、と解る。



http://tetuo255.tumblr.com/post/57248883332
https://twitter.com/ArbUrtla/status/359382948199415808
https://twitter.com/ArbUrtla/status/359382981166637056
因みにエヴァが大ブームになった時、劇場版エヴァのキャッチコピーが
「みんな死ねばいいのに」でした。
それに激怒した宮崎監督の『もののけ姫』のキャッチコピーは
「生きろ!」でした。
さらにそこへ参戦した富野監督のアニメ『ブレンパワード』のキャッチコピーは
「頼まれなくたって生きてやる!」でした。
何お前等ポスターで喧嘩しあってるんだよと突っ込むしかありませんでした(笑)
オトナゲナイ大人達の逸話です(笑)

特に 宮崎と冨野の仲が良いはずは無い じゃんねぇw



http://tetuo255.tumblr.com/post/57250863888
今の状態じゃ 戦争なんか出来ないし 戦争しても勝てないし と言ってるのも同じなんだけど
なのに堂々と戦争準備推進発言をして良いのかねえw

今の状態で「戦争で負けた」ら当然に 侵略と占領に正当性を持たせてしまう。
TPPが有るから 尚更だよね。あれは無条件降伏の文書そのものだし


http://tetuo255.tumblr.com/post/57250980515
米国の勝ち組は、負け組に対して
「お前は努力不足だからダメなんだ。ダメ人間なんだから当然だ」
と下品なことは、残酷なことは絶対に言わない。
「あなたにもチャンスがある。私がそうであったように」という。

「日本人の勝ち組はとても下品だ。心がない。まるで階級だと思ってる。」
「日本の格差(階級)とアメリカの格差(チャンス)はまったく違う」って
外国の友人が言ってたお。
日本はいずれ滅ぶってさ、社会が荒廃して。

アメ公に言われたくねぇが、そうなるだろうな。

http://tetuo255.tumblr.com/post/56881453368
台湾の この制度では
「国家政策と法律を反してるもの、倫理道徳を破壊するもの、少年児童の心身健康を妨げるもの、習俗を妨げるもの、迷信を宣伝するもの、国家社会に他の影響を与えるもの。これらは漫画のイラストと文字に存在してはいけない」
「犬は喋らない。ロボットの能力は制限されるべき、自由意識と言葉を持つべきではない。武器は現存のそれを超えてはならない、核やレーザー、ガスなど強力すぎる武器を使っていけない。etc…」
などと、漫画家の想像力を縛りつけたため、台湾漫画は消滅。
それでも1980年代には日本の漫画がさほど審査を受けずに海賊版として流通して大ブームになっていたと言います。

1987年になって、ようやく制度は廃止されましたが、もはや台湾漫画界は立ち直るには至らず「漫画アニメといえば日本産、という現状になりました」。さらにこのユーザーは、「台湾で漫画表現が規制されたことは実際の犯罪率などの変化を踏まえて本当に意味があったのか、ということも考えなければいけないと思う」と述べています。

結局、支配者にとって不都合、という事に過ぎない
 ↓
http://mkt5126.seesaa.net/article/366906678.html
誠天調書: 2013年06月05日
https://twitter.com/mkt5126/status/341960336003452928
『有害コミック撲滅! アメリカを変えた50年代「悪書」狩り』 2012/06/12 夏目房之介
http://blogs.itmedia.co.jp/natsume/2012/06/50-0132.html

今まで漠然としていた
「1950年代にアメコミを壊滅させて経緯」が具体的に見えてくる。
米国のコミックスの歴史の格好の参考書が翻訳された。
地道な取材、インタビュー、当時の記事などを積み重ね、
具体的に何が起き、誰が何を思い、話したかが、きちんと書かれている、
今まで漠然としていた 
 50年代にアメコミをほぼ壊滅させてしまったバッシングの経緯
がイメージできる。

この本を読んで、非常に強く印象付けられたのは、
米国のこの時期にTVが浸透していって、大きな力を発揮したこと。
そして
 「宗教国家」(キリスト教)としてのアメリカの側面がバッシングに反映している
という印象だ。
生贄とされたコミック・ブックは、宗教的な色彩の強い「清廉なアメリカ」像から批判されている。

日本でも、同じ50年代にマンガ・バッシングがあり、
戦前から活躍してきた漫画集団系の作家たちも参加して、悪書追放運動を盛り上げていた。
しかし、比較していえば、まず日本ではTVが浸透しきっておらず、
浸透していった60年代には、
むしろマンガとアニメはタッグを組み「悪書追放運動」へ対抗をしていった。

この50年代と60年代の時代のアメリカと日本の差が、
アメコミと日本マンガの その後の違い規定している可能性は高い。

もし、この時期にアメコミが壊滅的な打撃を受けず、その多様性を保持していたら、
恋愛物、青春物などにまたがる日本同様の多様で厚みのあるコミック文化や市場を展開していただろう
ことは容易に想像できる。
女性作家と女性読者も、もっと拡大していたかもしれない。

もうひとついえるのは、
 日本でのマンガ・バッシングの最初期においても
 既にマンガの中心を形成していたのは、戦前からの大手出版社やその子会社だった
ことも影響するかもしれない。
一方に米国のコミックブック文化は、
あらゆる意味で周縁的な、生まれたてのメディアでもあり、
それゆえに社会をあげてのバッシングに対抗するが脆弱だったのかもしれない。

様々な条件が次々思い浮かぶが、そのこと自体、この本が与えてくれるものの大きさを示している。
そして、小野耕世さんの「あとがき −アメリカのコミックブックとともに育って」も、素晴らしい。
本を出してくれたことに感謝したい。

ただ、ひとつだけいえば、このタイトルは何とかならなかったのかなあ。
ちなみに原題は The Great Comic-Book Scare and It Changed America


http://tetuo255.tumblr.com/post/56881321951
もうだれも信じられない…

NSA(米国家安全保障局)によってアメリカ全国民ネット監視プログラム「PRISM」が展開されていたことが暴露され、大いに衝撃を与えていますけど、このほどスクープ報道で明らかにされたのは、いかにマイクロソフトがデータ提供に関わってきたのかというポイントですね。

まぁ、一言で表わすならば、マイクロソフトによって提供されているオンラインサービスは、ほぼすべて例外なく米政府機関に筒抜けだったと考えてよいのでしょう。OutlookにHotmailのメール、Skypeの通話、SkyDrive上へ保存していたデータなどなどは、もう皆まとめて暗号化されることなくNSAやらFBIやらCIAやらにチェックされていた可能性は否定できないんだとか。

元CIAのエドワード・スノーデン職員が暴露しちゃった衝撃の検閲体制ですけど、そんなマイクロソフトもWindowsも大嫌い! 別のサービスに移っちゃうからねというのは早合点かもしれませんよ。結局は他社も表向きには否定してますけど、どこも同じようなことをしていたみたいではありますからね。もはやネットを使う以上はプライバシーなんて無きもの〜と覚悟しておいて間違いないのでしょうか?

Microsoftの場合色々とやばいのがOSになると思う。流石にローカルの情報がNSAに随時送られているというのは考えすぎだけど、暗号周り、例えばBitlockerの解読手法は渡しているのではないかと。(もともとエンタープライズにキーエスクローの仕組みはあるし)もう信用できるのはLinuxぐらいかな。(ディストリビューション自体に何か組み込むことはできないことはないが、Linuxの場合、疑わしければソースからコンパイルできる。)
プーチンはロシア全土にお触れを出したよね。OS戦略。
だから俺は DSスマホOS って言い続けてきたんだけどね

http://tetuo255.tumblr.com/post/56881184603
その日学校に現れた母はなぜか着物姿で、ものっすごい笑顔で、わたしはなんとなくイヤな予感がしていた。この女絶対何かする。職員室の隅の応接コーナーでわたしと母、そして生活指導担当の教師の3人で話すことになったのだが、なぜ彼はこういう他の教師たちもそろっている「衆人環視」の状況で話をしようとしたのだろうかと今も不思議である。彼はわたしが素直に医者の診断書をもらってこようとしない、本当は髪を染めているのではないのか、女性でも専門職として仕事をしているのはわかるがまず母親としてちゃんと生活を見ているのかという話を始め、母はやはりものすごい笑顔でその話を聞いていた。そして「でも髪のことならやっぱり医者より美容師さんの方がよくわかってるんじゃないですか?」と言う。親子そろって同じことを言う!どういう教育を!と激高する教師に向かって

「医者と理美容師じゃ信用度が違うっていうんですか?どっちも厚生大臣の出す資格ですよ。医者は大学出なくちゃだめだけど理美容師は中卒でも取れるから?その中卒が社会で負けないでやっていけるだけの知識をつけて送り出すのが中学教師の務めですよね?世間の他の人たちが中卒はダメだと言うならともかく、中学校の先生自身がそんなことを言ってどうするんですか?先生はご自分の仕事の価値まで貶めるんですか?」と、平然として言った、相変わらずごっつい笑顔のままで。ああ始まったなあ、と思った。うちの母はこういう「プロフェッショナルたれ」ということに関しては絶対に譲らない人だった、わたしが物心ついた頃からずっと。

プライドじゃない。"誇り"の問題だ。
プライド とかカタカナ言葉を安直に使ってしまっている意味が理解できていない段階で
“既に人間としての誇りを失っている事にすら気づけない家畜か奴隷でしかない”だもんね。


http://tetuo255.tumblr.com/post/56881056221
日本人の美意識

『日本の職人は本能的に美意識を強く持っているので、金銭的に儲かろうが関係なく、彼らの手から作り出されるものはみな美しいのです。……庶民が使う安物の陶器を扱っているお店に行くと、色、形、装飾には美の輝きがあります』『ここ日本では、貧しい人の食卓でさえも最高級の優美さと繊細さがある(ベーコン)』

『ヨーロッパ人にとっては、芸術は金に余裕のある裕福な人々の特権にすぎない。ところが日本では、芸術は万人の所有物なのだ(ヒューブナー)』

『田 舎の旅には楽しみが多いが、その一つは道路に添う美しい生垣、戸口の前の奇麗に掃かれた歩道、室内にある物がすべて小ざっぱりとしていい趣味をあらわして いること、可愛らしい茶呑茶碗や土瓶急須、炭火を入れる青銅の器、木目の美しい鏡板、奇妙な木の瘤、花を生けるためにくりぬいた木質のきのこ。これ等の美しい品物はすべて、あたり前の百姓家にあるのである(モース)』

『この国の魅力は下層階級の市井の生活にある。……日常生活の隅々までありふれた品物を美しく飾る技術(チェンバレン)』

「国」「国家」の概念が
・一神教で野蛮人
・一神教で文明人
・多神教で野蛮人
としか分類されていない と 来訪する側も来訪される側も考えているから
「多神教で文明人の国家」 の意味が相互に全くに解釈の範疇から外されている。
なので俺からしたら 笑い話 にすら見えてしまう。


http://tetuo255.tumblr.com/post/56880855330
ただの悪口とはいえ、ヘイトスピーチは意見の違う人間を弾圧することで連帯意識を高める慣習のある日本においては、重要なコミュニケーションツールなのよ。
馬鹿すぎる。
完全にカルトの罠へ墜ちている。
無自覚なカルトの下僕ほど滑稽な存在は無いよね。

差別意識が無い人間は居ない。
同じ人間は居ないのだから 必ず差異が生まれる。
・一神教で野蛮人
・一神教で文明人
・多神教で野蛮人
は その差異を 差別や詐欺で埋める。
・多神教で文明人
は その差異を 棲み分け で埋める。
あくまでも“最後の最後までも平和的に”なればこそ
“「最後の最後までも平和的に」最後の最後まで感性の僅かな違いまでをも言葉に出来る”となる。

一神教で野蛮人や一神教で文明人や多神教で野蛮人ならば
そうなる前に 殺し合いや差別や詐欺 となる。

違いが有る からこそ 揉める、
だけど上手に適宜に棲み分けていく から あくまでも互いに人間 とも尊重して言いきれる。
其の生活の知恵の奥深さを言葉にせず ヘイトスピーチとかカタカナ言葉を安直に使う段階で
 どんだけカルトへ墜ちているか
という話となる。

そういう人と人との関係性の機微を言葉にせず 単純に優越だけを決める とは
 安直で 怠惰で 無能で な其の人間の愚かさそのものを晒している
になると思うんだけど、
俺が こういう事を言うと
・一神教で野蛮人や一神教で文明人や多神教で野蛮人ならば 反撃をする が当然とだけ考える
 自分達の正当性や優越性の維持が最優先だからだ。
・多神教で文明人ならば 反撃をする と同時に 自分達の生活の知恵へと組みこんでいく とかする。
 自分達の正当性や優越性の維持などが最優先とはならない からね。

こういう 多神教で文明人 な生き方や価値観や美意識を言葉にして行く作業を
この150年間に「頭のが良いとされる者達」ほど踏み躙っていった。
その末路の惨状が今に有る。
さて どうしてくれるんだろうねぇ?



http://tetuo255.tumblr.com/post/55982538911
仕事でフランスに行った時の話し。
地元の名士みたいなおっさんが既得権益持ってて、このおっさんと話しをつけないと行けなかった。
このおっさんが何かにつけては、フランス自慢したくてしょうがない人で、
東洋の猿に香り高いおフランスの文化を嗅がせてもらえるだけでも有難いと思え臭がプンプン。
仕事上、しょうがないから相槌打ってたけど、地元の教会自慢された時に、あまりにウザイので
「え?あの教会?いつできたの?18世紀?新しいね」って言ってもうた。
「新しい?」って食いついてくるので「オレが結婚式した地元の神社は11世紀からある。
日本じゃ、そんなのゴロゴロある」って言ったら、おっさんシュンとなって、オレの前では自慢しなくなった。
それに仕事の交渉もしやすくなった。

別のフランス人とのやりとり。
俺は英語しか喋れないし相手も英語喋れるので英語で話していた。
ある日不具合発生。期限を過ぎているのにアナウンスされるべき事項がなしの礫だから文句を言いに行った。
そしたら、そいつは「全部書類に書いてある」と言い張る。
俺は書類を引っ張りだして
「ここを見ろ。書類にはディレクターが1時までに決定すると書いてあるぞ。
ディレクターはお前だろ。もう1時過ぎてるぞ。今すぐ決めろ」
って言うと、突然、そいつは、フランス語で何かをわめいて自分の部屋に引っ込んだ。
余りにも腹がたったのでドアをガンガンノックしながら
「舐めとったらシバきまわすぞ。アホンダラァ!!」
俺は大阪弁でまくしたてた。
そうしたら、そいつの上司登場。
俺が何を言ってるかは分からなかったけど、俺が本気で怒ってることは分かったらしい。
その上司に事情を説明したら、「それはおかしい。アイツに即決めさせる」と言って処理してくれた。

どうやら奴らの行動原理は、自分のほうが格上って言うことを示してお前は格下だから言うことを聞けって言うことみたいだな。
だから、自分が格上の根拠を否定されると急に弱気になる。
なんか、めっちゃヤンキー文化。
あれ以来、フランス人と交渉するときは、こっちも上から目線でちょうど良いと思ってる。
一神教で野蛮人 や 一神教で文明人な 一神教の厳格な階級序列の下で生きている者達は
自分達の正当性や優越性を最優先にする。
そうでなければ 敗者=家畜奴隷 という生き方や価値観や美意識が歴史や伝統として背景に有るからね。

また 多神教で野蛮人 は
自分達の正当性や優越性を最優先にはしなくても
敗者=家畜奴隷 は自然で当然な事 という生き方や価値観や美意識が歴史や伝統として背景に有るよね。

多神教で文明人な俺達には 其れが肌感覚としては どうしても分からない よね。


http://twitter.com/#!/kazu634/status/105104859426070528
人間とはしばしば、
見たくないと思っている現実を突きつけてくる人を、
突きつけたというだけで憎むようになる。

http://tetuo255.tumblr.com/post/55982338080
近所のお寺さん。今週の格言。 on Twitpic
http://twitpic.com/d32de6
憎しみというものは
悲しみに
面と向かって
腰を据えられない者が
逃げ込む
場所だ

三浦建太郎「ベルセルク」より



http://tetuo255.tumblr.com/post/55268934790
最も問題なのは、「悪意ある存在を消して、良い社会を作った」という事象と、
「あなたにとって都合の悪い存在を消し去ることで、あなたにとって都合の良い世界が出来上がった」
という事象の区別を、 区別をしようとした本人が、区別する術を持たないことが問題なのです。
それは結局、社会から自分の気に障る対象が無くなるまで、
延々と撃ち殺すことと大差ない結果を生むことになるでしょう。

デジモノに埋もれる日々: レビューに貴賎なし - 客観的な「善悪」を付けたら止められない
ポルポトは人格者だった

そんな事は とっくの昔に「頭の良い人達」ならば分かっているはずで
ならば“どうして其の先を言いだしてこなかったんだろうなぁ”という部分の方が
俺は激しく気になるるんだよね。

そのように頭が良いはずの人達ならば
 今西錦司の進化論
を当然に知識と情報として持っているはずなんだからさ。
何故かネットでは非常に出てきにくい話なんだけどねw

そう言えば俺も 此処では一回も言及した事が無かったなw
このブログを始める相当に前から 強く影響を受けてきていたのにね。


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%8A%E8%A5%BF%E9%8C%A6%E5%8F%B8
今西錦司 - Wikipedia
今西 錦司(いまにし きんじ、1902年1月6日 - 1992年6月15日)は、日本の生態学者、文化人類学者、登山家。京都大学名誉教授、岐阜大学名誉教授。日本の霊長類研究の創始者として知られる。

棲み分け理論

可児藤吉と共同でおこなったカゲロウの生態学的研究と植物相に関する生物地理学的な研究を通じ
「棲み分け理論」を提唱した。
「棲み分け」は種同士の社会的関係を表す概念である。
たとえばカゲロウ類の幼虫は渓流に棲むが、種によって棲む環境が異なると同時に、異なる形態をしている。

流れが遅く砂が溜まったところに生息する種は、砂に潜れるような尖った頭をしている。
流れのあるところに生息する種は、泳ぐことに適した流線型の体をしている。
流れの速いところに生息する種は、水流に耐えられるように平たい体をしている。

このようにそれぞれが棲み分けた環境に適応し、新たな亜種が形成されると考えた。

なお、生物種がニッチを選択している現象を指摘する事自体は今西の独創ではなく、
チャールズ・ダーウィンの時代から知られていた。

今西の独自性は、
 個体ではなく、今西固有の用語である種が選択の単位になっていること
である。
これは“分類学上の「種」”とは異なり、
 実際の生物個体の認知機構と実際のコミュニケーションによって構成されたもの
であり、同種個体は それによって種社会を形成する。
 この種社会が種の実体である。
 そして種が異なるという認識によって棲み分けが行われ、
 同位社会が組織・形成され棲み分けがなされる
という、今西の動物社会学・進化論の基礎になった。

したがって、
 ただ異なる種の個体が生息地を分けて分布していることをさす「生息地分割としての棲み分け」、
と 今西が主張する
 個体ではなく種社会を主体とした共時構造としての「棲み分け」
を区別する必要がある。

前者の棲み分けの考えは生態学の中で使われてきた考えであり、
今西の独自の考えである後者の棲み分けは、現代の生態学では受け入れられていない。


今西の学説とその影響

今西錦司は、
生態研究を出発点とした独自の動物社会学や進化論を掲げ、
後の生態学や動物行動学に対して様々な影響を与えたと考えられている。


「今西説」によると、
 生理・生態がよく似た個体同士は、生活史において競争と協調の動的平衡が生じる。
 この動的平衡状態の中で組織されたものが実体としての種であり、今西が提唱する種社会である。

 種社会は様々な契機によって分裂し、別の種社会を形成するようになる。
 分裂した種社会は それぞれ「棲み分け」ることによって、
 可能ならば競争を避けつつ、適切な環境に移動する事が出来た時に、
 生物個体と種社会はそれぞれ自己完結的・自立的な働きを示す。

 その結果生じる生理・生態・形態の変化が進化である
とした。

したがって このような場合の「進化」とは棲み分けの密度化という方向性があるという。
その過程において、
突然変異は種社会の中で通常以上に高頻度に起きることが必要であり、
またその変異は
 速やかに種社会に広がること、
 変異はランダムではなく発生の制約上方向性をもち、
 どちらかというと前適応的におきた変異に対して
 生物が主体的に振舞うので適応的に見える
というのが『主体性の進化論』(1981)における今西進化論である。

このことから分かるように、今西の定義した種や進化は、
諸個体の認知と相互作用に基づいた構成的な概念であり、
ナチズムと批判されるコンラート・ローレンツの考えていた種や群淘汰とは全く意味が異なる。
全体生物社会を含めた“守らなければならない全体”が意図されたものではない。

したがって今西自身が自身の議論を全体主義としたり、
サルの行動を群本位の行動といった言明もあるが、
通常の意味で全体主義と言えるものでは全くにない。

後年に今西は
中立的な進化現象が広く存在することから、
 生物個体の意志によって進化が左右されるかのようなラマルクの用不用説に基づく適応概念
 ダーウィンの適応概念
はトートロジー この場合は同語反復命題かな であると否定した。

当時のダーウィニズムで一般的だった漸進主義のゆっくりとした進化
進化における生物の能動性を排除する機械主義的な世界観を認めない
ために
当時のダーウィニズムと真正面から対立するものとなった。

今西は獲得形質の遺伝を主張しているとされるが、
カンメラーの実験に対しても否定的で、ラマルクの用不用説に基づいた獲得形質の遺伝とは違い、
セントラルドグマを逆流するような機構が進化に必要であるという意味ではない。

少し難しいけど つまり
 “ショウジョウバエに放射線を当てて「無理矢理に進化を促そう」と何万代に繰り返しても「進化」しない”
 という事象へ対して ダーウィニズムは如何に答えるのか?
という話なんだよね。

・DNAの変化が進化への鍵になるのは確かなんだけど 其処だけで「進化」の説明を付ける事は難しい
・「個」の獲得形質では無く 集団社会性などの影響をも含めて行く
という話を始めた人なんだよね。


今西の生態学への理論的貢献は、水棲昆虫の棲み分けの共同研究者である可児藤吉が強く強調しているように、1940年代の極めて単純な遷移モデルが流布しているなかで、様々な種間関係を先だって議論したことである。例えば、タンガニーカ湖におけるシクリッドの進化において、川那部浩哉らが単純な意味で生存競争の結果とはしない考察をしているのは今西の影響が指摘される。しばしば共存を強調し、競争を排除していると指摘される今西進化論だが、そもそも棲み分け説自体が「競争が避けられるなら棲み分ける」「食う-喰われるも棲み分け」という説であり、門下とみなされる吉良竜夫などの研究にも競争が重要な位置を占める。また、種社会・同位社会とも平衡関係が作れなければ、絶滅するということも記述しており、社会による意図的な統制というよりも平衡状態に着目した学説である。

今なお今西の強い影響下にある分野は霊長類学である。今西の弟子である伊谷純一郎と河合雅雄は、アフリカ各地に霊長類や自然に強く依拠した生活を行う民族の長期研究の基盤を作り、種間の比較社会学的な研究を可能にした。特に西田利貞・川中健二がチンパンジーの単位群を発見したのは、ジェーン・グドールなど野外研究者の多くが母子関係以上の社会構造について否定的であった当時、今西の影響は無視できない。さらに今西自身は生物学主義に墜ちたと強く批判しているが、霊長類の社会構造を系統的に考察した伊谷の論考(1977; 1981; 1986;)は、今西の系統理論の実証的な研究であり、多くの日本人研究者を引きつけた。また1980年代以降社会生態学・行動生態学よりの研究が日本も含め世界的に主流となったが、野外の長期研究の蓄積が増えたことに伴い、行動の地域変異について詳細な種内比較が可能になり、社会・文化に関する研究が世界的に行われ、今西の再評価が行われている。

一方で、河田雅圭・岸由二・粕谷英一らは今西の議論に対して否定的な見解を示している。例えば河田は先述の可児とは対照的に、「生態学や進化論において今西の「オリジナルな理論的貢献」はまったくないと考えている。」としているし、岸は1980年代まで今西説とルイセンコ説が日本の生物学に総合説の受容を遅らせるという悪影響を及ぼしたと主張している。ただし今西錦司の弟子にあたる西田利貞は、当時日本も含め世界的に一般的であった進化観はウィン・エドワーズに代表される集団選択説であり、個体主義的、遺伝子単位的な進化観が普及したのはウィルソンの『社会生物学』(1975)、ドーキンスの『利己的な遺伝子』(1976)以降であったと指摘し、今西説がジョージ・C・ウィリアムズの個体淘汰説の普及を遅らすような悪影響を及ぼしたという河田らの説に反論している。実際に日本ではウィルソン等の影響を受けた研究は1970年代から大学院生を中心に行われ、80年代初頭には広く一般的になった。

また河田や岸、粕谷は、今西が京都学派の西田幾多郎や田辺元らの全体論から影響を受けているとし、その進化論に全体主義的な思考の萌芽が含まれており、今西の進化論は種による統制という思想であると批判した。この批判は、今西が影響を受けたことを認める西田幾多郎ではなく田辺元に批判の源泉を求めていることが特徴的である。[13]。もっともこういった批判に対して、徳永幸彦が今西の議論に河田らが指摘するような種主義や種による統制という思考は『生物の世界』にないと指摘している。

今西に対して批判的な言説をすることが多いものの、今西の影響で霊長類学を志したという佐倉統は、今西のダーウィニズム批判は概ね1940年代の総合論に対してならばむしろ的確であった一方で、遺伝的浮動や中立説を取り込み性選択を再評価するようになった新総合説については不適当であろうと指摘している。佐倉によれば、今西の悪影響は生態を強調しながらも、生態が反映されたものとしての社会記述に重点をおく風潮を蔓延させ、具体的な生態描写について欧米の社会生態学に遅れを取った点をあげている[15]。この点は霊長類学における第二世代の一人、水原洋城にも意識されており、対談集において生態学=経済学的な側面の研究をすすめる必要性があると指摘されていた。

なお現在でも今西に対するシンパシーを表明する研究者は存在する。構造主義生物学を標榜する柴谷篤弘、池田清彦や、生態学者である市野隆雄[18]らがそれである。柴谷らは『生物の世界』『生物社会の論理』を読み直した結果、現在の進化学、生態学の状況を予言したものであったと再評価している。特に柴谷は、『今西進化論批判試論』(1981)において、ダーウィンが『種の起源』で指摘しつつも自然選択説の影に隠れてしまっていた隔離説・中立説・ニッチ選択・群選択説といった現象に再評価を与えたものであり、直接的に対峙するものではないと指摘している。また、生物記号論の川出由己も、今西の進化説に関しては疑問を呈しているが、その生物に対して主体性を認める姿勢を高く評価している。

今西に師事して生態学を志し、後に日本へ社会生物学を導入した先駆である伊藤嘉昭は、若い研究者は批判一辺倒、年配の研究者は賞賛一辺倒であると述べ、今西の進化観を批判しつつも日本の生態学と霊長類学を牽引した業績は正しく認められるべきだと述べている。

したがって今西は学史的には第二次世界大戦以前は若手にしか評価されなかった。そして戦後は動物行動学や生態学的な議論を進めた今西ではあるが、「変わるべくして変わる」と言いながらも発生に関する方法論や、集団遺伝学的な議論について十分な議論をしなかったこと、総合説に対する時代遅れの批判、全体論的な認識論が科学教育と合致しないこと、中心となる種・種社会・主体性といった独自の用語が多くの生物学者に理解されなかったことによって、広く受け入れられるには至らなかった。近年は擬似科学的であると分類する科学哲学者もいるように、現在今西の支持者は非常に少ないことは確かである。


http://kotobank.jp/word/%E4%BB%8A%E8%A5%BF%E9%80%B2%E5%8C%96%E8%AB%96
京都大学名誉教授の故今西氏による生物の進化論で、「棲み分け進化論」と言われる。

これは、生物は棲み分けを可能とする方向に新たな種が発生し、
もとの種と対立しながらも補いあうように共存するというもの。

これにより
 多様な種が展開され、
 棲み分けが密度濃く塗り重ねられることによって生物は進化を遂げる
という。

この、棲み分けをしている集団を「種社会」と呼び、
種社会を構成している個体は、変わるべきときがきたら一斉に変わるとされる。

もう少し細かく は 此処に有る。

今西進化論
http://www.geocities.co.jp/NatureLand/4270/imanishi/imanishievol.html

今西錦司の世界
http://www.geocities.co.jp/NatureLand/4270/imanishi/top.html


http://www.asahi-net.or.jp/~id8k-sgn/BAKA-9812/imanishi.html


今西氏の進化理論は、『棲み分け理論』と呼ばれるように、
「進化とは、種社会の棲み分けの密度化であり、
 個体から始まるのではなく、
 種社会を構成している種個体の全体が、変わるべきときがきたら、皆一斉に変わるのである」
という表現に要約できるかと思います。

正確さを欠くかもしれませんが、
「ある種から新しい種が生まれても、
 従来種は駆逐されることなく、新しい種と共存してゆくものであり、
 その発生事態も突然変異などによる偶発的なものでなく、
 環境の変化などによって、時期が来たら
 複数の個体が、あたかも化学反応のように、同時多発的に変化してゆく現象が進化である」
と、言い換えることができそうです。


・ダーウィンの進化理論が競争原理に基づいている
のと比較して、
・今西氏の進化理論は共存原理に基づいている
と解釈することが可能ですし、特徴だとも言えます。

どちらが正しいかは、検証することができないので、決めつけることは出来ませんが、
それぞれ違った進化理論として認めて行くのが、現状では妥当なのかと思いました。

私が今西進化論を知るきっかけは、学生時代にクラブで山登りをしていた時に、
先輩から有名な登山家として名前を聞いたのが最初だったのですが、
氏の著作を読んで行くうちに、その独創的な理論に魅力を感じるようになりました。

氏は、賀茂川に棲息するヒラタカゲロウの生態を観察するうちに、
この理論を生み出すヒントを掴んだようですが、
私もクワガタを採集しに行く度に、
 同一地域にいろんな種類のクワガタや、その他の昆虫が
 共存している事実
を見る限り、進化とは棲み分けの密度化であると言う氏の考え方を、個人的に支持しています。

それに、
 我々の見る生物的自然が競争の場でなくて、
 種社会の平和共存する場である
という考え方に、否応なしに共鳴してしまうのも、性格から来るのかも知れません。



極東の一諸島の多神教で文明人の社会共同体が 如何に成熟という「進化」をして行ったか、
その観点は
・一神教で野蛮人
・一神教で文明人
・多神教で野蛮人
では 理解の範疇を超える んだよね。
俺達からしたら 別に難しくも無い 肌感覚な話 なんだけどね。

「極東の一諸島の多神教で文明人の社会共同体 な生態史観」などは
宗教右翼カルトからすれば 邪教 に見えるんだろうね。
俺達からすれば どっちが邪教だよw という話でしかないんだけどさ。


今西進化論を人間社会へ応用する、しかも 多神教で文明人の社会共同体の内実を踏まえて
というのは、
 日本人と日本という詐欺と詐術によって
 「頭の良い人達」
 「自分が其処まで馬鹿なはずが無いと信じる人達」
からすれば 理解の範疇を超えてしまう話となるんだろうね。
自分達の肌感覚との差異も だから完全に理解の範疇を超えて
 無駄な言葉を同じ場所で億万に繰り返し続ける“念仏を唱える”
と同じになるんだけど、当人達は気が付いていないから 幸せなままに屠殺を待つのみとなる。


俺なんかは 旧式左翼をも軽く流しちゃう感じなので
今西が生きた時代の“革命思想の様な一気に変わる”とは流石に考えないけどねw
ただただ 使えるモノは使う だけだ。

だから其処から
マンガやアニメが コミケが ニコマスやMMDが 如何に生態として進化(成熟)して行ったか
とか書いてきたんだけどね。

大量の亜種が生まれ
淘汰 や 棲み分け が起こり
総体として成熟という進化をする。
凄く単純で当たり前の話なだけだよね。

大量の亜種が もはや名前が付けられない程に膨大となればこそ 分厚く多様な進化の方向性を創る。
そんな半匿名な亜種の存在が 進化の下部構造の裾野を広げて 進化の道行の幅をも拡げる。

俺達は
 そんな営みを 此処で営々と続けて行きたい
ただただ それだけだよね。


だから これからも俺は そんな感じでボチボチと自分の道を歩くだけだ。




posted by 誠 at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | (゚∀゚) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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