http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130919-00000034-asahi-soci
色覚異常の子どもの2人に1人が異常に気づかぬまま、進学・就職時期を迎え、6人に1人が、進路の断念などのトラブルを経験していることが、日本眼科医会の調査で分かった。学校での検査は10年前に中止された。幼児期や小学校で周囲の理解不足に悩むなどの例も相次いでいた。同会は、希望者は学校で検査できるよう国に求めることを決めた。朝日の一面トップの記事、何故この話が?
生まれつきの色覚異常は男性の20人に1人、女性の500人に1人の割合で見られる。小学4年を対象に全国で色覚検査が行われてきたが、2003年度に中止された。検査が社会的な差別にもつながりかねず、異常があっても生活に支障がない人が多いことが理由だ。
国は01年の労働安全衛生規則の改正で、雇用者が雇用時に色覚検査を行う義務を撤廃。色覚異常があるだけで、採用を制限しないよう指導してきた。だが、航空や写真関係、食品関係の一部、警察官などの公務員では、色の識別が難しいと職務に支障が出ることを理由に現在も制限されている。
しかも朝日紙面と記事が微妙に違う。
情報工作の意図そのものが有る事は明々白々だ。
ならば 如何なる情報工作を目的としているのか? である。
http://mimizun.com/log/2ch/pinknanmin/1273060153/
20 :名無しさん@ビンキー:2010/05/05(水) 21:01:50 0
赤と緑って配色は色弱にケンカ売ってるよね
でもガチャピンとムックは色で区別できるぞw
ガチャピンの色は黄緑に見えるし ムックの色は濃い赤に見えるけど。
https://twitter.com/tokigaraCS/status/380189443157532672
女はX遺伝子が二つだけど男はX遺伝子が一つしか持ってないでしょ?
赤緑色覚異常は劣性だから女は もうひとつのXで正常な遺伝子を貰ってれば発現しない けど
男は貰っちゃうと確実に出るのよ
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1245894107
■父親(色覚異常)+母親(色覚正常)
男児は正常、女児は保因者
■父親(色覚異常)+母親(保因者)
男児の半分は正常、半分は色覚異常
女児の半分は保因者、半分は色覚異常
http://www.fuji.shizuoka.med.or.jp/mamechishiki/vol15-shikikaku-ijo.html
X染色体劣性遺伝という遺伝形式をとります。
難しい言葉ですが、男子に多く女子には少ない先天異常ということです。
しかし、女子の場合、遺伝子は持っていても色覚異常を表さない「保因者」の人が多くいます。
色覚異常者は男子の5%、女子の0 .2%、
保因者は女子の10%と言われています。
両親の組み合わせで、子供への影響は以下のようになります。
1
色覚異常の男性+色覚正常の女性
男児は正常、女児は保因者
2
色覚異常の男性+保因者の女性
男児の 1/2 は正常、1/2 は色覚異常、
女児の 1/2 は保因者、1/2 は色覚異常
3
色覚正常の男性+保因者の女性
男児の 1/2 は正常、1/2 は色覚異常、
女児の 1/2 は正常、1/2 は保因者
4
色覚正常の男性+色覚異常の女性
男児は色覚異常、女児は保因者
赤を感じる細胞系の異常は第1異常、
同じく緑は第2異常と分類されます。
色覚異常は、ほとんどが先天赤緑異常です。
先天青黄異常
先天赤緑異常がありふれているのと対照的に、非常に稀で、 0.002〜0.007%。
性別に関係のない遺伝をします。青を感じる細胞系の異常によります。
そうなんだよなぁ。
其れを考えると家系の出生が実は妙になるんだけど
あえて親戚へは誰にも伝えていないw
今更に誰が困るモノでも無いから。
いずれネタとしては楽しいので書きたいなとは思う。
間違いなく小説や漫画などのネタに出来るw
1 見るものが小さくて薄い色の時、色しか識別の特徴がない場合(対象の条件)
2 照明が暗い場合や短時間で判断しなければならないとき(環境の条件)
3 先入観があったり、惰性や過労などで注意力が欠如しているとき(色覚異常者自身の条件)
赤と緑・・緑の中にちらほら見える赤い紅葉や、赤い花が認識できない。ポインセチアの赤葉と緑葉、熟れたトマトとまだ緑のトマトの区別ができない。
オレンジと黄緑・・コインロッカーなどに使われている小さな発光ダイオードが識別できない。
緑と茶・・木の幹と葉を区別して描けなかった。
青と紫・・色見本の差が分からず、誤った色の印刷物を作成してしまった。
ピンクと白、灰色・・桜の花は白にしか見えない。淡いピンクの真珠を白と区別できない。
緑と灰色、黒・・黒板の緑チョークが読めない。小学生のとき、道路を塗るのに緑を使った。
赤と黒・・ボールペンの赤と黒、カレンダーの祝日と平日、時刻表の特急と鈍行の区別がむずかしい。動脈血と静脈血の区別が困難である。
ピンクと青・・ピンクの白粉花(おしろいばな)を青だと思っていた。
”対象の条件”、”環境の条件”により見分けやすさに違いがあります。たとえば、雨の日や逆光で信号の識別に自信がなくなるが、信号の配列で判断するという方もいます。種々の条件を改善、調整することで色の認識を誤らないよう配慮をすることも大切です。
大学への進学に関しては 1994 年進学用調査書の色覚欄が廃止され、国立大学のすべての学部の入学基準から色覚異常の項目が削除されました。多くの公立・私立大学がこれに続いています。もちろん、理工系・医薬系にも制限がありません。自動車の運転免許の取得も可能です。就職に関しても、近年、法的規制が見直され、色覚異常に対する社会的制限は非常に緩和されました。しかし、航空機乗組員・甲種航海士・動力車操縦者・警察官など弱い色覚異常でも制限される職業もあり、他にも決められた色の識別ができることや強い色覚異常がないことが条件にあげられている職業もあります。規制はなくなり、就職可能な職業でも、実際仕事をしていく中で、色の誤認をしてしまい、仕事に支障をきたした場合、色覚異常故の支障というより個人の不注意として処理され、職場における個人の評価損になることも考慮しなければなりません。職業選択上で色覚異常者にまず必要なことは、自分の色覚異常のタイプ・強度をしっかり自覚し、そして選びたい職業での具体的な職場の作業における色弁別作業を知ることです。しかし、多くは自分の異常を自覚し、色を間違えそうなときは正常者に聞ける勇気と環境があれば、ほとんど支障がないといえます。現在の規定は変更される可能性もあり、希望の学校・職業についてはそれぞれ確認をする事が必要と思われます。
さて、色覚異常者や保因者にとって、結婚についての悩みは避けられないものでしょう。相手の人柄を重視すれば色覚異常は重大な問題にはならないでしょう。しかし、遺伝する異常ということを考えれば、親をはじめ周囲の者が「わが血筋にはいれたくない」と思うことは人間の本能のようなものかもしれません。どんな人もいろいろな能力と、いろいろな弱点・短所をもっています。色覚異常は多少不都合が生じることはあっても、人生を脅かすものではなく、他の能力には何ら問題はありません。色覚異常を嫌う”風習”があるとすれば、それは無知・無理解によると思われます。
先天赤緑異常に対して現在の医学では治療の手段はありません。その理由は、この原因が網膜の視細胞レベルでの異常だからです。治療と称して行われている方法は、検査への慣れ=色覚異常の改善と判断しているのではないでしょうか。色覚補正レンズも出回っているようですが、ご自身も色弱である眼科医師の使用経験によると、 100-Hue test(色を似ている順に100 個並べる検査)で総偏差点では悪化した。「最大の驚きは紅葉が美しく見えたことであった。しかし、緑は暗く、青空は紫に、白い雲はピンクになる。残念ながら、人工的に修飾された赤の美しさにすぎなかった。正常者と同等の色覚が得られるという表現は明らかに誤りである」と感想を述べられています。
誠天調書:2005年02月02日
http://mkt5126.seesaa.net/article/1798142.html
色弱に 緑色を聞くな
誠天調書 2007年06月08日 キチガイな俺の言葉
http://mkt5126.seesaa.net/article/44072150.html
同じ色弱の兄と色の相談をすると マジキチの討論になります。
一般人A「これ何色だ?」
俺「赤じゃね?」
兄「緑じゃね?」
一般人A「茶色だよw」
なんてザラな話wwww
俺と兄「嘘だ! 世の中の殆どが俺らを騙そうとしたって そうはいかねぇ!」
一般人A「・・・」
俺と兄「俺と兄は「緑か赤」だ。でも、お前は「茶色」だ。ならば2対1で「緑か赤」が正解だな」
一般人A「オマイラの頭がオカシイわw」
色弱とかを差別とか言う場合もあるかもしれないけど
俺に限って言えば 殆ど そんな程度の話のネタでしかない。
まぁ 理解はしてもらわないと困る事もあるけどね
誠天調書 2007年09月07日 自爆テロ型
http://mkt5126.seesaa.net/article/54253999.html
画面が黒いのは、色弱なので です。
黒地に黄色文字というリンクが 俺の目には一番に良く見えるんです。
つーか 他を色々と試したけど 他の色とか下地は なんか見えにくくて読みにくくてw
そーいえば思い出したけど 黒板に赤字はかなり厳しくって 緑字はほぼアウトだったなぁ
暗色系は 雰囲気とかではなくて あくまで実務的な意味でしかありませんw
俺の事を 何者だろう ってありましたけど いやマジに 単なる下層民の一人ですw
日々 奴隷として生きているだけの 食う為の日銭を稼ぐのが精一杯の 間抜けな人間です。
バックに何もありませんし 交友関係はコミュニケーション不全の人見知りなので…w
自己中心的で身勝手で 妄想と狂気の狭間の更新しかできませんが
また お時間のある時に御来訪して頂けたら 私も幸せです。
誠天調書 2008年04月14日 色弱に優しいデザイン
http://mkt5126.seesaa.net/article/93290934.html
「阪急の時刻表はわかりにくい」 人権救済申し立て
確かに色弱の俺からして、東京での JRや地下鉄の路線図の判別は極めて困難です。
もう絶望的に無理ww 諦めてます。
が 人権救済申し立てを大阪でする というのは まぁ色々とwwwwwww
俺は自分自身の色弱は話のネタの一つにすぎないけど。
色弱だと卑下する阿呆は 小学生レベルの知性の持ち主なので 逆に同情しますので、
むしろ 差別差別 と大上段に言う連中の方が胡散臭すぎて困る。
まぁ 色弱にも分かりやすい色を使うと 色弱の人は助かります。
なので実は 青色LED って色弱にとっては 素晴らしい発明なんですよね。
赤色と緑色と茶色の区別って そんなの無理wwwwwww
あ 石原式は 俺的にはネタとして楽しい。
子供の頃は俺も全く隠さずにいて みんな分かってて 石原式には俺だけ×で
「お前ら全員で俺を騙そうとしているだろうが そうはいかねぇ!w 数字なんてねぇよ!ww」
「いや 見えないの お前だけだってww」
「えーwww」
ってネタにしてたし
つーか思い出すと 小学校の頃から 見えない敵と戦っていたのか俺はwww
ちなみに誠天調書は 色弱に優しいデザインです、多分。
でないと 俺自身が困るので。
誠天調書 2009年03月08日 西松のブーメランを投げさせたのは誰? っていってるじゃんw
http://mkt5126.seesaa.net/article/115288547.html
誠天調書が色的に読みづらい人には申し訳ないですが
こんな感じの色が ちょうど良いんです 色弱なんで俺には、すいません、
本当に申し訳ないです。
構成的に読みづらいのは 俺の構成力の無さです、
頑張ってはいるんですけど・・才能ないんですね やっぱり・・・
本当に申し訳ないです
誠天調書 2009年06月24日 日本の未来の 縮図そのもの
http://mkt5126.seesaa.net/article/121975790.html
一部の色弱な方々には好評な誠天調書の色使いですが
一般の方々には やはり不評のようです。
御機嫌を損ねた皆様へ 何か差し挙げられるほどの甲斐性もございませんので、
こんな最悪のサイト誠天調書を二度と御来訪しない方が
お互いの為に良いのではないかと思います はい
誠天調書 2012年05月04日 核燃料リサイクル じゃなくって 核弾頭リサイクル という話も、やはり一考の余地が充分に有るだろうね。 核燃料サイクル MOX プルサーマル で、今一度の徹底的な勉強をしないとかな。
http://mkt5126.seesaa.net/article/268371569.html
https://twitter.com/yukiko_kajikawa/status/197873105157357568
【誠天調書】さんが、ツイッターで拡散しにくいのは、サイト画面の構成にあるかも。
黒にグレーの文字って、読みづらいから、
良い情報を集めてくれていても、途中で脱落してしまう。
一目みて、読みにくそうなサイトになっているのが、残念だなぁと思う! (^^;;
https://twitter.com/Godonof/status/197886487977656322
誠天調書様の画面構成がああなっているのは、ご本人が弱視だか色弱だかを持っているのだそうで。
それに配慮した色彩設計なのだと以前、記事で書いていましたよ。
当サイトに言及して頂き 本当に本当にありがとうございます。
ご指摘の通り 大変に読みづらい という事は重々に承知してますw
なので当サイトは ななめ読みを推奨 としていまして、
しっかり読むと大変に疲れてしまう事の方を 此方としては危惧しています。
という訳で あまり無理なさらずに なんとなく流し読みをして頂く 位が丁度に良いと思います。
俺自身、分量的にも 真面目に読んだら死んじゃうなw 、とは思ってます。
ですから そんな感じで あまり無理なさらずに読んでください。
あと色の件ですが
赤緑色盲 つまり色弱なので、いわゆる石原式の色覚検査が7割以上は見えません 分かりませんw
ただ俺自身は 本当に全く気にしていなく、むしろ
石原式の中に数字が書いてある? 俺には全く見えねぇぞ?w
皆で俺を騙そうったって そうはいかねぇぞ?w コンチキショーめw
くらいな感じで 話のネタの一つ にしてます、マジにです。
そして 誠天調書の色の使い方を 昔から色々と考えたんですけど
俺個人としては こんな感じが読みやすい感じかな と結局になりました。
普通の人から、読みにくい 色のセンスが感じられない、は
やっぱり そうなんだろうな、世界の色の見え方が違うからなぁw
と いつも思ってます。
大変に申し訳ないのですが 仕様ですので諦めてください としか言えないんですw
ですので やっぱり斜め読みと流し読みが推奨 となります。
誠天調書 2012年12月06日 「未来の党」四国比例2位の「鷲野陽子」の息子の鷲野天音を国会へ送りたい。
http://mkt5126.seesaa.net/article/305423519.html
片手に銃を持って もう片手に聖書を持つ、そんな布教活動をしている狂信的な宣教師だよね。
片手に銃を持って もう片手にテンノウヘイカバンザイな小林よしのりの本を持つ、でも全く同じ意味だよね。
俺が 一神教 という言葉を使う理由は 其処に有るんだよね。
そして 他者を従属させ続けようとする方向性を徹底的に行う を俺は野蛮人と称した
この二つを併せ持つ 一神教で野蛮人の集団を、俺はカルトと称した。
宗教右翼カルト という観点を持って物事を見据えて行くか否か によって
眼前に事象の見分け方が あまりに色鮮やかに激変する。
色の識別が出来ない色弱の俺にとっては そういうモノこそが欲しかったんだよね。
何かを明確化する事で 他の曖昧なモノも識別がしやすくなる、
そういう事が日常的に有る俺からしたらね。
だけど 圧倒的大多数の色弱では無い人達にしてみれば
こういう識別の価値は理解が出来ないは むしろ至極に当然な話なのだろうけど。
誠天調書 2011年09月03日 「文明国とされる日本で何故に この惨劇が起きているのか?」
http://mkt5126.seesaa.net/article/223964467.html
http://twitter.com/#!/areabasari/status/109270916990631937ようやくかw 実物を俺は見ていないけど。
■Nスペで出た津波警報の画面表示は、民放含めて共通色の新表示だったのか
■色弱な人にも配慮されたものだそうな
緑や赤やオレンジの表示のモノ って結構に多いけど、
俺のように色弱だと まず色の識別は不可能。
誠天調書: 2010年09月17日
http://mkt5126.seesaa.net/article/162889395.html
ttp://d.hatena.ne.jp/yas-toro/20100916/1284645320
有害サイト、背景色や広告誘導などで検出 読売(via かーずSP) - 明日は明日の風が吹く
ttp://www.yomiuri.co.jp/national/news/20100913-OYT1T00729.htm?from=main6有害サイト、背景色や広告誘導などで検出色弱の人間ゆえに この色を使っている俺は 有害サイトとして一次認定ですか そうですか。
KDDI研究所と独立行政法人の情報通信研究機構は13日、インターネット上の各種サイトで使われる色や形などの特徴から、有害サイトを検出する新技術を開発したと発表した。
ピンクや黒などの背景色や画像ファイルの多用、特定の広告サイトへの誘導など、有害サイトに使われることが多い特徴を組み合わせて判別する仕組みだ。こうした26種類の特徴を使って2万サイトで実験したところ、90・3%の精度で判別できたという。
あらかじめデータベースに登録した膨大な有害サイトのアドレスと照らし合わせて判別する、現在主流の「URL方式」に比べて割安という。また、サイト内の文章から犯罪を誘発するような単語などを解析して判定する方式に比べて、所要時間を3分の1以下に短縮できるとしている。
(2010年9月13日19時45分 読売新聞)
何この差別主義は。
ナチスも真っ青な焚書を始める気ですな。
粛清と虐殺を始める気がミエミエだよ このキチガイどもが。
という訳で 近いうちに背景色を#000000に切り替えましょうかね。
少しでも色合いを柔らかくしようとしてたんだけどね。
誠天調書 2012年07月26日 小沢一郎の後継者とは「国民の生活が第一」をする者達の全員である。
http://mkt5126.seesaa.net/article/283106038.html
2012年07月12日 汚染地図から眺めるフクシマの影響: 院長の独り言
http://onodekita.sblo.jp/article/57016460.html
http://walkdiet.web.fc2.com/files/20120712osenmap.pdf 5.5M
基礎資料として考える上で良い感じなのが多く置いてあります。
本当に助かります。
でも今回の詳細な地図は 色弱には優しくない色使い だなw
俺には細かい差異が殆ど分からないw
誠天調書 2007年03月18日 低コストとは高リスクなのだが 高リスクが結局コスト増に結びつくという現実は 勤勉な人間ほど理解できない
http://mkt5126.seesaa.net/article/36238109.html
色弱のキーワードを追ってみると。
http://d.hatena.ne.jp/tomoya/20070316/1174062833充電器などのLEDランプは大抵の場合、
赤が充電中で、緑が充電完了ですが、
はっきり言って分かりません。
こういう時のためのユニバーサルデザインなんですが。
信号に関しては、「色弱」よりも「視力が悪い人」の方が危険だと思っています、僕個人としては。
なぜなら、赤緑色盲の場合は赤と黄色の区別が殆どに出来ませんが
どちらにしても 止まれ にすれば良いだけなので 青で進めになれば良いだけなので
実際には殆ど困る事が有りません。
それに今光っているランプの位置さえ分かれば、一般の人が心配するほど問題がないからです。
視力さえよければ、遠方からでも余裕を持って判断できます。年齢によっての視覚の変化は色弱とは全く関係ありません。一番ありやすい誤解ですが、色弱者の色の見え方は生まれたときから死ぬまで同じです。
しかも、色の見え方と感性は別ものです。
なので、新鮮な野菜の色は、色弱の人にとっても、新鮮な野菜の色に感じます。
俺も色弱だけど 普段は笑い話にしかしてねーなw
そら困ることも それなりに多いけど、慣れれば どうとでもなるし。
なので俺の場合は そもそもに隠すとロクな事がない ので基本的には笑い話にして
広く告知させて周知させて そーいうもんなんだ と思わせるようにさせている。
個性の一つな程度の話だ とね。
僕がユーザビリティに興味を持ったのは色弱だからだろうという話。
http://d.hatena.ne.jp/tomoya/20120509/1336570720
色弱というのは、そういう感じだよね。そういうモノでしかない としか言いようが無いんだよね。
色が分からない
というよりは
「自身の見えている色が、自分の思っている色と違うことがある」
というのが一番の問題になるのです。
自分は赤だと判断して「紅葉おろし」だと思ったものが、
実は「柚子胡椒」だったりします。
すげー分かるwww そうそう そういうのなんだよね。
僕からすれば本当に どうでも良いささいな思い違いですが、
そんな間違いをしない人にとっては、きっと目から鱗なのでしょう。
そうして間違ったことのある僕は、自分の直感を あまり信じなくなります。
ここが重要で、直感を信じなくなった僕は、
いま自分が見ているものが「紅葉おろし」か「柚子胡椒」なのか判断がつかない場合、
人に尋ねようとします。
現実世界では、分からなければ人に聞けばいいのです。
ただし、Webはユーザーが全ての主導権を握っているメディアであるため、
分からないことを人に尋ねることが難しくなっています。
全て自分自身で理解する必要がありますし、そう作られているべきなのです。
俺は真逆だなぁ。
俺の場合は 目が色弱で近眼で乱視で 実は鼻も耳も良い方じゃ無い、
味覚音痴だし 肌感覚も鈍いんじゃないかなぁ
なので 感覚器系そのものが信用できない。
そんな状態なので 感覚の問題を人へ訪ねて聞いても殆ど役に立たない のは幼い頃から自覚できていて、
自分の中で答えを導いて行くしかない
自分の中で論理構築をして
必要と有らば其れをも越えて 他者とは違う己が直感や感性 をも だから使う
という生き方を選択せざるを得なくなっただけなんだよね。
俺とか兄弟は子供の頃の絵では 木を茶色に 砂浜を薄い緑に とか塗ったりしていた。
周囲が「ちげーよ 馬鹿w」とか言ってたりして、俺は「そうなんだ」な程度の話で終始させるように
俺はしてきた。
下手に隠したり
差別して俺の方が階級序列が上で有るのネタにするとか
馬鹿みたいにショウガイガーと差別特権化したりする
な方が“アレ”だ と体感してきた。
経験上に分かっている。
其の上で自分の感覚との整合性をも考えながら 改めて論理構築をもして行く。
その結果として此処に言葉を綴ってきたつもりだ。
他者や社会 の云々の前に
とりあえずは 自分で感じ 自分で考え 自分で進んで 其の責任を取る だけな話だよね。
ただし俺は 大概に間違いだらけ だけどさw
色のバリアフリーに配慮した色見本を色弱の僕がレビューします。
http://d.hatena.ne.jp/tomoya/20090611/1244707969
赤
色弱の人が赤と感じやすいように、オレンジ寄りの赤にしています。
黄色
白内障の人が白と区別しやすい、濃い黄色にしています。
緑
色弱の人が黄色や赤と間違えやすい黄色みの強い緑を避け、青みが強い緑を選んでいます。
ただし青緑まで行ってしまうと、今度はグレーや紫と混同するので、
それよりも緑に近い微妙な位置にしています。
オレンジ
赤がオレンジ寄りになっているのとバランスを取るため、少し黄色寄りのオレンジになっています。
空色
青との明度差を確保するため、少し明るめになっています。
ピンク
青みのピンクだと空色と混同することがあるので、やや黄みに寄せたピンクにしています。
茶色
明るめの茶色は赤や緑と混同することがあるので、暗めの色にしています。
(ただし黒と間違えることがあるので注意が必要です。)
紫
青紫は青と間違えやすいので、赤みの強い紫にしています。
確かに チョットはマシ にはなってるけど やっぱり厳しいかなぁ。
色弱と言っても色々な型が有るからねぇ 少しでも此れに近ければマシ なんだろうね。
当然だけど、色弱の人にはカラースターの色の違いが分かんない。
http://d.hatena.ne.jp/tomoya/20090406/1239016413
色弱の人がどうやってぷよぷよするのか。
http://d.hatena.ne.jp/tomoya/20070630/1183201327
俺は無理だなw
色盲は役に立たないのか。
http://d.hatena.ne.jp/tomoya/20041229/1104267697
色弱の利点はないのだろうか。
http://d.hatena.ne.jp/tomoya/20070327/1175003507
色ではなく明度で判断するそうそう 俺も其の傾向は凄く有る。
色弱の程度にもよりますが、
僕は明度で色の違いを判断する傾向が強い
と考えるようになりました。
http://hydrogenblr.tumblr.com/post/61582356863/poochin-wikipedia
色覚異常の人に配慮されたLED信号機。赤信号に×印を表示し、黄信号と見分けやすくした。
2012年2月、芝郵便局前交差点に試験設置。
朝日新聞が急に色覚の話を1面TOPへなんか出したのは
おそらく コレの関係 だろうね。
来年度予算の話を前にして 増税の話を前にして
予算を寄こせ そのカネを出せ
という脅迫の援護射撃なんだろうね。
一神教で野蛮人な者達の大馬鹿野郎でキチガイで詐欺師な快楽殺人の性癖 は一生涯に治らない。
障害者を餌にしてでも自分達の美味しい生活を が当然と考え、骨の髄まで しゃぶりつくす。
多神教で文明人な者達の美意識や価値観や生き方からすれば アレは異民族 としか表現しようがない。
そして俺は己が色弱を こんな風に考えられたら良いな と思ってきた。
誠天調書 2011年11月28日 “その程度”にしか戦えない男、という“その程度”な心胆と性根と本性を証明した橋下。
http://mkt5126.seesaa.net/article/237393468.html
勝てば良い? 俺が求めているのは その中身だよ。
http://www.h2.dion.ne.jp/~soutenko/278hiosasagu.html
蒼天航路
何が何でも江陵を死守すべきと説く程c、それに対する曹操の返答は、
「夏侯惇は
片目を失って、両目では量れぬ人との間合いを見出した。
失うものがあれば、そこには かならず得(う)るものがある。」
「江陵を失ってまで得(う)るべきものなどない」
と叫ぶ程c、
「将軍代行である曹仁が現状兵力のみで戦い抜くことが得(う)るものの1つだ」
と諭す劉曄。
それでも まだ江陵のことを論じようとする程cを制して 曹操が尋ねます。
「程c、天下は俺を何と呼ぶ?」
(乱世の姦雄...)と呟く程c
曹操 「俺が このさき得(う)るべきものは その中身だよ」
一神教で野蛮人な偏狭な視野角でしか人の生きる価値を見出す事が出来ないような連中へは
俺の言葉の意味なんかは永遠に届かないだろう。
http://jas21.com/athenaeum/athenaeum115.htm
齋藤充功 『 幻の特務機關 「 ヤマ 」 』
( 新潮新書、2003.7.20/2006.7.5 4版 ) 680円+税
齋藤充功 『 開戰通告はなぜ遲れたか 』
( 新潮新書、2004.7.20 ) 680円+税
齋藤さんは、後者の 「 あとがき 」 で、
第一作 『 謀略戰 陸軍登戸研究所 』 ( 学研M文庫 ) と合せて
「 昭和史發掘 」 の三部作、と言つてゐます。
上記二冊を貫く 「 鍵となる人物 」 が、
1941年12月 7日、大東亞戰爭開戰當日に ワシントンで葬儀が行はれた陸軍主計大佐、新庄健吉です。
この人物の謎を説き明かす形で、
帝國陸軍の秘密機關
「 陸軍登戸研究所 」
「 陸軍中野學校 」
「 ヤマ機關 」
の三位一體の活動が解明されます。
これら三機關は、敗戰と共に證據が隱滅されたので、
その活動どころか存在さへ知る人は稀です。
その僅かな痕跡を辿り、活動の一端を證據づけたのが上記三冊なのです。
實に興味津々、讀み始めたら一氣に最後まで讀み進んでしまひます。
帝國陸軍が本格的スパイ機關を創設するのは、なんと支那事變が契機です ( 上記一冊目の第二章 ) 。
遲すぎる! と言ひたいところですが、
戰後はインテリジェンスについてなーんもしてゐないので、
我々に帝國陸軍の手遲れを批判する資格はありません。
俺は「“インテリジェンス(笑)が無い”という話すら情報工作の一つ」と
此の話を出す事で確信を持てるようになった。
その インテリジェンス(笑)が無い は 単に予算確保の口実でしかない
と今なら確信を持って断言できる。
そういう期間は今の現在も必ずに隠れて存在しているだろう。
ただ 其の能力の低さ は 一神教で野蛮人なハイパーキチガイカルトの性癖 が最大の原因
とも俺は断言できる。
著者によると、スパイ活動 ( インテリジェンス ) に三局面あり。
──諜報・謀略・防諜。
・そのための機材や技術を研究したのが
「 陸軍登戸研究所 」
・スパイ要員を養成したのが
「 陸軍中野學校 」
・兩者と連携して防諜活動を展開したのが
「 ヤマ機關 」
その 「 ヤマ機關 」 が擧げた最大の成果が、ラムゼイ機關 ( ゾルゲの機關 ) の摘發です
(一冊目の第四章 ) 。
このとき、決定的役割を果したのが、
登戸研究所第一科二班の高野泰秋少佐が開發した 「 諜者用無線機 」 ( 短波用通信機 ) でした。
「この機材は、
當時、陸軍が使ってゐた通常の軍用無線機とは比較にならぬほど精度が優れたものだった 」
( 一冊目 142頁 ) さうです。
その優秀さは、朝鮮戰爭當時、GHQ の CIC ( 對敵防諜部隊 ) が、
痕跡を消してゐた高野を わざわざ尋ねて來て詳しく聽取調査をした ほどに優れたものでした。
高野は インタヴューした著者に、 北朝鮮の通信傍受に活用したかつたのでせう 」 と話してゐます。
また戰爭末期に
和平活動に動いた親米派で有ったが故にスパイでもあった吉田茂らを逮捕した
のも 「 ヤマ機關 」 です。
( これについては、機関員東輝次が書いた 『 私は吉田茂のスパイだつた 』 光人社, もあります )
さて、二冊目の 『 開戰通告はなぜ遲れたか 』 です。
一冊目では、 「 ヤマ機關 」 の存在を知らせた人物、
くらゐにしか扱はれなかつた陸軍主計大佐、新庄健吉が、主人公扱ひで登場します。
京都府の農村 ( 今は綾部市 ) に生れ育つ。
真面目で几帳面な性格。陸軍の經理畑を歩み、
陸軍經理學校高等科 ( 兵科の陸大に相當 ) で恩賜の銀時計を貰つてゐます。
その後、陸軍派遣學生として東京帝大經濟學部商業科でも學んでゐます。
そしてソ聯を含め、歐洲各國に海外派遣されてゐますから、エリート將校であつたことは間違ひない。
昭和14年 5月號の 『 現代 』 ( 大日本雄辯會講談社刊行 ) に
「 ロシヤを語る座談會 」 といふ記事が掲載されてをり、
そこで新庄はこんな發言をしてゐます。
昔の戰爭は、交戰國の軍隊同士の戰ひであつたが、今の戰爭は國力の充實で勝負がつく。
綜合國力の充實が、戰爭の第一段階なのだと ( 72-73頁 ) 。
これぞ眞の 「 總力戰 」 の發想です。
この新庄健吉が米國へ派遣され、昭和16年 3月、横濱港を出港する 「 龍田丸 」 に乘船します。
任務は 「 米國の國力調査 」
エンパイア・ステートビルの七階にあつた三井物産ニューヨーク支店に個室を用意して貰つた新庄は、
徹頭徹尾、公開情報から米國の生産能力を推計します。
IBM のホレリス計算機を使つて 7月末に纏めた新庄の 「 第一次報告書 」 の主な數値は以下の通り
( 119-120頁 ) 。
數字は、米國の生産量と、日本の生産量の倍數。
鐵 鋼 生産量 9500萬トン 24倍
石 油 精製量 1億1000萬バーレル 無限倍
石 炭 産出量 5億トン 12倍
發 電 量 1800萬kw 4.5倍
アルミ生産量 85萬トン 8倍
航空機生産機數 2萬機 8倍
自動車生産台數 620萬台 50倍
船 舶 保有量 1000萬トン 1.5倍
工場 勞働者數 3400萬人 5倍
新庄の結論は實に單純明快です。
「日米の工業力比率は、重工業 1對20/化學工業 1對3 」
「この差を縮めることが不可能なら、せめてこの比率を維持せねばならない 」
「そのためには、戰爭の全期間を通じて
米國の損害 100%以上/日本の損害 5%以内
に留めねばならない 」
「日本側の損害がそれ以上に達すれば、1對20/1對3 の比率が絶望的に擴大する 」
從つて、新庄の最終結論はかうです。
「日米戰はば、日本は必ず負ける 」
この報告書は、ワシントン の日本大使館に居る岩畔豪雄大佐の許に届けられます。
8月15日歸朝した岩畔豪雄は、
「 八月中旬から下旬にかけて、
近衞總理、陸軍首腦部、海軍首腦部、宮内省首腦部、豊田外相らに直接面會して披露すると同時に、
宮中で開催中の大本營連絡會議に出席して 1時間半に亙り委細説明し 」
ますが、
「 文武首腦者の頭を切換へさすに到らなかつたことは返す返すも痛恨の極みであつた 」
と ( 「 岩畔豪雄氏談話速記録 」 、二冊目 128頁 ) 。
新庄の奮闘は虚しかつたのです。
新庄の調査を評價したのは、對米戰爭を控へた日本の首腦ではなく、
戰後 「 日本の戰爭經濟力 」 を調べに來た 「 戰略爆撃調査團 」 の米國人でした。
新庄報告を讀んだ彼らは、その正確なことに驚き、日本側に言ひます。
「これほど正確なデータを彈き出してゐたとは! 」
「米國では多額の費用をかけて自國の軍事經濟力を分析してゐたが、新庄報告ほど正確ではない 」
そして反問します。
「かくも立派な報告がありながら、日本はどうして米國に宣戰したのか? 」
日本側は絶句したまま、答へられなかつたやうです。
ところで、二冊目の中心題目は、書名にある通り、 「 開戰通告はなぜ遲れたか 」 です。
結論 ( 1 )
=東條英機首相が 「 奇襲攻撃 」 にするため遲らせた。
結論 ( 2 )
=開戰當日の12月 7日 ( 北米東部時間 ) 、
新庄の葬儀が ワシントン の教會で行はれ、それに野村・栗栖兩大使も出席してゐた。
葬儀が豫定より長引き、中途退席し損ねた兩大使の國務省訪問が遲れた。
だが、 「 葬儀出席で遲れた 」 では拙いので、
暗號電報の翻譯とタイピングに時間がかかり過ぎたことにこじつけて失態を糊塗した……。
この結論への導き方については、皆さん、直接この新書をお讀みください。
http://hide20.blog.ocn.ne.jp/mokei/2008/12/post_6083.html
「ヤマ」とは、陸軍中野学校や陸軍登戸研究所と並んで存在する、
極秘裏に活動した「専門の対敵防諜機関」の秘匿名である。
秘密機関であるため全貌を掴む事はが極めて難しかった。
関係書類は完全に処分され、人員へは秘匿が厳命されていた。
『昭和史発掘 幻の特務機関「ヤマ」』斎藤充功(新潮新書)の著者は、
生き残りの関係者をたどり、様々な事実を明らかにしている。
「ヤマ機関」の本部(東京)は5班で編成されており、
甲班は主に内外要人の監視・外国公館、ホテル等の監視を任務とし、
乙班は内外電信・電話の窃聴・通信傍受、丙班は内外郵便物の開緘、税関荷物の検査、
丁班は要監視者の荷物奪取、窃取、戊班はスパイの謀殺・偵諜等を任務とした。
著者は長崎支店(「支店」とは偽装したヤマ機関の分室)開設のため
単身で長崎市に赴任した友源治郎(副支店長)にたどりつき、
「友」が口述で長男に書き残させた記録を手にしたのである。
同書の「友」の記録より、秘密機関の長崎支店やその任務分担に関する部分を中心に一部を抜粋する。
憲兵隊の組織の中の一部とされてはいたが
組織上の内側の他の憲兵隊からすら秘匿と偽装の組織として隠蔽された 「ヤマ」という特務機関 は
それ故に書類上の証拠すら殆どに残っていない。
しかも
陸軍の秘密研究所として全く同様の措置が取られた「登戸研究所」
其の人員として 全く同様に秘匿の措置が取られた「陸軍中野予備校」
の中で 更に「本当の実行部隊」として存在したからこそ 情報の隠蔽工作は徹底的にも徹底的に行われた。
だから当然に 証拠が極めて少ない。
その存在を隠すためにヤマ機関は、防諜工作を実行するときは、
諜報員全員が身分を商社マンに偽装していた。
そして、東京本部を「本店」と称し、長崎のような地方機関を「支店」と呼んでいた。
では、この「長崎支店」は如何なる目的で作られた地方機関だったのか。
長崎がヤマの西の工作拠点に選ばれたのは、上海線、釜山線、そして香港線の3航路の発着港になっていたほどの国際都市であったこと、そのうえ艦船を主に建造していた三菱長崎造船所が置かれていた関係からであった。当然、憲兵隊や警察の監視が厳しい都市でもあった。このように軍警の目が光っていた長崎で、ヤマ機関の工作担当者は変名で活動していたわけである。
そして、友の記録には
<長崎支店の開設(長西田中佐の下で副支店長)。関係部員は全員身分を秘
匿し特別要務専従者は氏名を変更(変名)自分は山本源治郎を常用した。自己
の秘匿のみならず家族近親まで自らの防衛(秘密)を必要とされ実施した。(中
略) 勤務は支店長西田中佐の副長として甲乙丙丁戊工作を自ら実践した>
とある。組織の編成や仕事の内容も具体的に詳述していた。
<支店長 西田中佐(熊本県出身)
工作主任 山本源治郎(私の秘匿名)
店員 約30名(中野学校出身特技者、通訳官、雇員等)
重点目標 支那領事館、フランス領事館、長崎ホテル
拠点 雲仙ホテル、長崎郵便局、長崎税関
容疑者 長崎カトリック教会関係、同系学院関係、米系邦人(クラバ)一味、そ
の他英米系容疑内外人>
・・・
また友は、長崎における甲、丙班の活動状況も次のように記している。
(同書の順序を変え、東京の乙班や丁班も挿入)
<支那領事館・日時を選択し、午前1時から同4時頃迄に工作班が潜入し重要
書類金庫の開緘に成功毎月一会乃至2回文書の盗写を遂げ、文書はその軽
重を詮議した上そのまま東京本店に提報した。
フランス領事館・領事引き揚げのため留守館員の動き、邦人家政婦を懐柔し
出入関係者、文書の窃写等手を尽くしたが、仏の活動は低調であった。(中略)
長崎税関・税関上部の配意を取りつけ税関検査とは別に指名外人公館員の
着発荷物の開閲に連続協力を得た。(中略)
長崎カトリック教会・邦語堪能な牧師数名(外人)の外宣教師の動向諜知の
ため部員を信者に擬装、2、3名潜入させた。尚、土着の信者を懐柔し、学院関
係邦人宣教師等の動向を正確に諜知し得た>
<甲班
政治、経済、外交、社会の高度情報の諜知調査、内外要人
……文書、文献、諸統計、特に内外通信、出版関係等に注目を入れ諜報(防諜)資料の
高度監察に資す。
その一例 新聞、言論界、評論家、文化人、学者、財界、主導官民、
特に外交官、郵信関係者(中枢部)の高級官公人に目安を置き関係拠点に、
或いは住所に、諜者を設定、又外交機関、外人居留地、別荘地帯、内外ホテル、旅館、料亭等には
諜報網を布設(目・耳・写真・窃聴設備等)する等高等工作を実施した。
乙班
……乙班の電話と電信の窃聴は重要な仕事で、根気のいる孤独な作業であった。
東京市内を中心とする内外容疑者に対して、電話線を引き込んでの窃聴を行い、
日本語は要点抜録(その場でメモ)。外語はテープレコーダーで録音した。
その全国リストは、日本の上級官庁から外国商社、公館、政界の要人をくまなく網羅していた。
その他、めぼしい主要拠点を選び出し、国際電話や内外公私電話からも窃聴し、
容疑者の選別を専務とした。
その窃聴室は、牛込区内の元陸軍病院裏山、旧陸軍戸山学校の西隣りにあり、
建物は延べ数百坪の半鉄筋木造2階建て2棟を使い、
窃聴室の外に、分析室、統計室等、計20室が設置されていた。
長 、佐官1(大坪中佐)、附尉官下士官軍属、嘱託、通訳官等合計120名。
丙班
科学諜報(手段のほとんどが非合法)
写真、封書の開緘、郵政税関公社等の金庫から格納所、ホテル滞留者、往来者の荷物類に目をつけ、
時に応じ窃聴器布設、直聴或いは録音をとり容疑資料分析係に送付した。
開鍵は大、公使館をはじめ、内外要人の別邸、住居、出入料亭等、潜入
(使用人、庭師、コック、職人等で)工作を併行して日をかけ、時を費やして準備した
丁班
窃取、強奪、スリ専門班
特定した目標、つまり人、物、場所設備等に対して狙い打ち奪取を専門的に取り行う構成でであった。
其の専任者は中野学校卒青年士官でその道の特訓を受けた技術将校と
その配下に養成した特技者
(此の中には、別にスリ前科の名人なども何等かの方法で登用され)が実績を挙げた訳である。
計画的、或いは、瞬間的に実行に移ったのであるが、
さすがは熟練者、渉外事件(ばれ)などが起きた事例はきかなかった。
戊班
人間抹殺(けし役)
「高度スパイ」「国際スパイ」「国内スパイ」の内政治的、外交的、その他の角度から
探索、検挙等施策の方途が内政的或いは国際的その他の利害から推して、
困難で手がつけられず、つまり「生かしておけないもの」を抹殺する班といえよう。
防諜機関に「殺しのライセンス」を持つ組織が、日本にも存在していたとは驚きである。
そして、そのミッションを実行していたのがヤマ機関の戊班とは……。
友は、自らが指揮したスパイの射殺例も残していた。
http://www15.ocn.ne.jp/~hide20/
吉田茂を逮捕した事件 ゾルゲ事件
この逮捕の為の情報を集める為に動いたのが 特務機関「ヤマ」の人員 と 登戸研究所の技術 である。
そして 実際の逮捕劇が憲兵隊 という構造で有るが故に 表面化しない という結果になる。
そういう本当のスパイを養成していたのが陸軍中野学校という全体像になる。
http://angohon.web.fc2.com/sensi/ho-saito-boryakusen.htm
謀略戦 陸軍登戸研究所
目次
序章 消えた男
第1章 陸軍登戸研究所の全貌
第2章 極秘防諜機関”ヤマ"と研究所
第3章 研究所の疎開そして終戦
第4章 GHQのアプローチ
第5章 帝銀事件と青酸ニトリール
第6章 アメリカに残った元所員
第7章 「チー37号」事件
第8章 アーカイブから消えた資料
第9章 最後の証言者
第10章 登戸研究所の再検証
終章 風船爆弾の戦果は・・・
第二次大戦中、日本軍の秘密研究機関として、陸軍中野学校、関東軍情報部、特務機関とも連携し、風船爆弾開発、紙幣偽造、毒物研究を行なった"陸軍登戸研究所"。
その実態に迫るため取材を重ねるうち著者は、終戦後GHQと深い関わりを持ち、アメリカへ渡った元所員の存在にたどりつく。その足跡を追い、著者自らアメリカ取材を敢行、元所員に鋭く迫る。
日本軍秘密研究の暗部を暴く迫真のドキュメント。
具体的な暗号解読の事例等はないが、
この研究所における任務に「秘密インキ」、「暗号解読」の研究等があったことが記述されている。
暗号に関連すると思われる研究内容
「諜報器材」
・ 無線傍受用全波受信機
・ 有線電信電話の盗聴用増幅器および可搬式録音機
・ 窃話用増幅器および可搬式録音機
・ 不法発信探索用携帯方向探知器
・ 科学的秘密通信法(普通型秘密インキ、紫外線型秘密インキ、
赤外線型秘密インキ、X線型秘密インキ、写真化学利用法、超縮写法、など)
・ 特殊秘密通信用具(オブラート製特殊通信紙、硝化紙製証拠煙滅用秘密通信紙、マイクロフィルム化など)
・ 開鍵および窃取用器材、暗号解読
「防諜器材」
・ 無線探査器材(不法発信波の捜査用全波受信機、地上波・空間波・散乱波の直視鑑別用方向探知機、
傍受機、近距離散 乱波用方向探知器、近接方向探知器、など)
「暗号書の盗写」工作
・ヤマ機関による在日スイス大使館から入手した「英米の中立国政策」文書
とりあえずコピペ
岩畔豪雄 - Wikipedia いわくろ ひでお
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A9%E7%95%94%E8%B1%AA%E9%9B%84
軍人による経済面への強権発動の訓練を満州で積んだ岩畔は1934年(昭和9年)東京に呼びもどされ再度、整備局の課員になる。1936年(昭和11年)8月、二・二六事件の勃発により陸軍省兵務局課員へ異動、事件終息後の軍法会議を担当した[3]。また外国大使館の盗聴や郵便検閲、偽札製造の研究など諜報活動に従事。同年「諜報、謀略の科学化」という意見書を参謀本部に提出。日本陸軍は情報に対する関心を著しく強くし、初めて秘密戦業務推進が命ぜられた。
1937年(昭和12年)8月、歩兵中佐に昇進し、同年11月、防諜・謀略活動を目的として新設された参謀本部第8課へ異動。影佐禎昭大佐を課長とし、別名を謀略課と称した同課の主任として秘密裡に進められた汪兆銘樹立計画に関与[5]。
同年、兵務課内に陸軍省・参謀本部内でさえ、存在を秘匿されたといわれる地下機関「秘匿名警務連絡班」を創設。班長秋草俊とし秘匿名を「山」と称しCIAのような機関を目標とした[6]。
陸軍中野学校
1938年(昭和13年)には秋草俊、福本亀治と共に日本初のスパイ学校、後方勤務要員養成所(のちの陸軍中野学校)を設立[7][8]。ここでは尾行、変装術、錠前の開錠術、柔術などスパイ養成のための講義と並び、岡正雄を招いて民族政策の講義なども行われた[9]。同年3月、陸軍省の中枢・軍務局軍事課へ異動、高級課員に補任され国防国策の設定業務を管掌主導[1]。軍事課は省内でも、官制上の統制課ともいわれ、特殊な地位を持っており、金の問題でも物の問題でも、軍関係のことは、ここを通さないと何一つ処理できない程の力を持っていた[10]。
登戸研究所
1939年(昭和14年)2月、軍政の中心・軍事課長に着任し同年3月、歩兵大佐に進級。直接の上司である武藤章軍務局長よりも実質的に権勢で上回り、陸軍の機密費3000万円を自由に使える立場となり小大臣と陰で囁かれる[3]。満州在勤中にT-35多砲塔戦車の情報を得ていた岩畔は、これに対抗すべく、巨大戦車・100トン戦車(オイ車)を極秘で開発させた[3]。
また陸軍の兵器行政の大改革を行い、兵器の行政本部、科学研究所をまとめて兵器行政本部を設け、その下に10の技術研究所を設立。その第9研究所が殺人光線などの電波兵器を研究した通称登戸研究所(現在の神奈川県川崎市多摩区生田)で、所長には篠田鐐大佐が就いた。登戸研究所はこの他、毒薬・生物化学兵器の研究・開発、リモコン戦車、風船爆弾など各種爆弾、風船爆弾に搭載する牛疫ウイルス、各種超小型写真機、超縮小カメラ通信、パスポートから偽造紙幣まで何でもつくっていた[11][12][13]。生物化学兵器の研究・開発では、陸軍軍医学校の内藤良一や石井四郎などと連絡を取り合い登戸研究所内で人体実験も行われたといわれる[14]。偽札製造は中国の経済攪乱を目的とする、それまでとは比べ物にならない精巧な法幣(中国紙幣)偽造工作であったが、岩畔はこの計画を発頭[15][16]。秘匿名を「杉工作」と称し、山本憲蔵主計少佐を登戸研究所に配属し工作に専任させ、実施面の責任者に阪田誠盛を起用し上海に杉機関(阪田機関)を設置した[17][18]。製造については、凸版印刷と巴川製紙の社長を兼ねていた井上源之丞の全面協力があったという。山本少佐は「岩畔大佐は、その風貌のしめすごとく、豪気果断であるばかりでなく、俊敏しかも柔軟性のある、いわば軍人ばなれのした逸材として、すでにその上下をとわず衆望を集めていた」と評している。偽札計画は推進され、中国の秘密結社・青幇との密接な協力関係をとりつけるなどで、偽札は実際に印刷し大量に投入もされた。約45億元を製造し、軍事物資の調達などで約30億元が使用されたといわれる。当時の1元はほぼ1円で、1945年の日本の国家予算が約200億であったことから、これほど大量に実際に偽札が使用された事例はなく、登戸研究所を舞台とした偽札印刷は、世界大戦中における最大規模の経済謀略であったとされる[19]。しかしこれは思わぬ結末を迎えた。大きな転機となったのは1941年12月、日本軍による香港攻略である。これにより重慶側の紙幣印刷工場を鹵獲し、工場の"ほんもの"の紙幣ならびに機材を押収した。このため用紙もインキも印刷機械も全て"ほんもの"を使い"、ほんもの"の紙幣を製作。"ほんもの"を大量に投入することになった。結果、この偽札工作は皮肉なことに、法幣不足に悩む重慶側を助けることになったとされる[20][21][20][22]。なお、登戸研究所は1944年頃から米機の空襲が頻繁となったため、研究所の第1科、第2科は、長野県伊那地方に疎開。偽札を製造をしていた前述の第3科は福井県武生市に疎開した。これはここに原料不足で稼働していなかった加藤製紙工場があったためで、ここを借り上げ引越しをしたが、その途中に終戦となった。印刷機械設備は日本海に投棄するなど痕跡をとどめないようにしたという[20]。中国に渡った偽札は戦後どう扱われたかは分からないとされてきたが、終戦後に中国に残留して軍閥の反共工作に協力した元日本軍人[23]によって利用されたともいわれている[24]。
昭和通商
同年4月、三井、三菱、大倉財閥の出資で満州に軍需国策会社・昭和通商を設立[25][1]。昭和通商は、商社として営業機構と外国からの情報収集を主とする特務任務のための調査部機構の二大機構に分けて組織されていた。このため、経済人はもちろん、軍人、役人、学者、ジャーナリスト、スポーツ選手ら多士済々な人物が所属、あるいは関与したエリート集団であった[26]。昭和通商には堀三也、大岸頼好、竹内俊吉、五島徳次郎、関山義人、石田礼助らが在籍した他、岡正雄、川喜田二郎、今西錦司、児玉誉士夫、許斐氏利なども関わったとされる[27]。岡は岩畔に招かれ中野学校で3年間にわたり講義を行うなど親密な間柄だった[28]。昭和通商が通常の商社業務以外に、裏ではアヘンの取引も手がけていたため、ダーティなイメージを強調されるが、それを知っていたのはトップの人物のみで全員が関わったわけではなく、その実態はもっと幅広く、活動範囲も中国大陸だけではなく、全世界にネットワークを張った組織であったという[29]。また同年勃発したノモンハン事件の拡大に反対し、シンガポール奇襲作戦を軍内で唱えるなど南方進出の急先鋒で知られた。「大東亜共栄圏」という言葉は、岩畔と堀場一雄が作ったものといわれる[1]。同年9月総力戦における経済戦の調査研究のための機関設立を秋丸次朗陸軍主計中佐に指令し「秋丸機関」発足。
近衛内閣のために各界の人材を集めて「国策研究会」を編成し、そこで総合的に国策を論じた「総合国策十年計画」を策定[10][30]。これは内閣の基本原案となる[30]。この中に国策としてパルプ自給をはかるという項目が含まれており、これが南喜一と水野成夫が持ち込んだ米糠を媒体に使い、新聞紙からインキを抜いて再生紙を作るというアイデアの採用、軍用の製紙会社・国策パルプ(1938年設立、1940年大日本再生製紙)設立に至る[10][31][32]。当時の製紙業界は海軍に近い王子製紙が独占し、陸軍は王子に対し好感情を持っていなかった。また王子製紙の大口の得意先は、毎日新聞と読売新聞であったため、新会社設立にあたり、岩畔の命を受けて動いたのが、朝日新聞の経済部長だった丹波秀伯で、1938年日清紡績社長・宮島清次郎を社長に迎えて国策パルプを設立させた[30]。朝日新聞も自社の息のかかった製紙会社を望んでいた。先の南の持ち込んだアイデアは結局、線維素のパーセントテージが足らず実際には採用されなかったが、岩畔は若い南と水野を非常に買い、元共産党員では、という周囲の反対をはねつけ、二人に国策パルプの全額出資で別会社・大日本再生製紙を作らせた。これはまだ二人が海のものとも山のものとも分からなかったからであるが、南と水野を最初に見出したのは岩畔である。大日本再生製紙の実務は、この二人と丹波が連れてきた篠田弘作を加えた三名で主に行う。鹿内信隆はこの時の陸軍の担当事務官(需品本廠監督官)[10][31][33]。太平洋戦争開戦後に岩畔がインド独立工作に関わるため、岩畔は同工作に水野を招いている[10][31][34]。
この他、その在任中に、辰巳栄一少佐らと総力戦研究所の設置[35]、陸軍機甲本部の新設、日独伊三国同盟工作の締結促進、航空軍備の拡張などを実現させ「謀略の岩畔」との異名をとった[36]。なお、「謀略」と言う言葉は、当時の日本陸軍用語であり、「兵を動かすことなく目的を達成する」ことを意味しており、現代におけるように、「陰湿」、「卑怯」というようなイメージは陸軍部内では皆無であった。(威勢だけのいい将官たちから多少軽く見られるきらいはあったというが・・・)特定の軍事目的が生じた時、将官たちのあいだでは 「武力でやるか、謀略でやるか」というような使われ方をするのが通例であった。しかし、当時、すでに日本の諜報活動の事実上の総責任者であった岩畔は、「謀略」というよりむしろ「工作活動」というべきだろうと言っていたという。
日米開戦回避に奔走
1941年(昭和16年)3月、緊迫する日米関係の調整のため井川忠雄の要請で、日本大使館付武官補佐官として渡米、日本の興亡を決定する日米交渉を行う[4][37][38][39]。連邦捜査局(FBI)は、秘密裏に岩畔らの行動を監視したといわれている。駐米大使・野村吉三郎らと日米開戦回避のための日米首脳会談などを柱とする日米諒解案の策定を行う。この諒解案には岩畔の思想がかなり盛られていた。しかし非公式だった諒解案が表に出ると外務大臣・松岡洋右からこれを反古にされ(諒解案が松岡が外交で留守の間に日本に送られてきたのも、松岡がヘソを曲げた理由の一つとされる。送付は松岡の留守を狙ったという岩畔の謀略説があるが、当時の慌ただしい国際情勢の中、たまたま時期が重なっただけで、岩畔、野村(大使)、井川らはコーデル・ハルも認めるほど誠実かつ真剣に日米和平を追求しており、スパイ活動などとは一線を画している。むしろ、アメリカにいた岩畔、野村らの方が、訪独した松岡ら外務省が展開する枢軸外交一辺倒の姿勢に驚かされたほどであった。「謀略説」は外務省の当時の素行を正当化するために戦後流布された風説に過ぎないという見方が有力である。岩畔はその後の野村と国務長官・コーデル・ハルとの会談にも同席し交渉を続けたが、6月に独ソが開戦してしまい米国にとって諒解案は急ぐ必要の無いものとなった。岩畔は帰国し陸海軍省、参謀本部、軍令部はいうにおよばず、宮内省へも足をのばし折衝を続けた。新庄健吉大佐からの報告書を基に[40]、「アメリカの物的戦力表は、以下の日米の比率で明らかでありましょう。鋼鉄は1対20、石炭は1対10、石油1対500、電力は1対6、アルミ1対6、工業労働力1対5、飛行機生産力1対5、自動車生産力1対450であります」と数字をあげ「もし、日米が戦い、長期化したら勝算は全くありません」と付け加えた[41]。だが大勢は参謀本部での会合でも「日米開戦は避けがたい」というのが堂々と述べられほどで、岩畔が「勝算があるのか」と反問すると「もはや勝敗は問題ではない」という暴論がかえってきた。非戦論の多い海軍もやがて主戦派の抬頭となって不調に終わり、岩畔は天を仰いで嘆いた[42]。8月直談判した陸軍大臣東條英機に近衛歩兵第5連隊長に転出を命じられた[43]。
なお、独ソ戦開始により、岩畔、野村とコーデル・ハルらの定期的な交渉が暗礁に乗り上げた時、コーデル・ハルは「今後、(日米関係)がどんなことになっても君たちの真剣な努力は忘れないし、君たちの安全は私が保証する」と述べたという。 事実、戦後、アメリカ軍に取り調べを受ける岩畔であったが、イギリスは、岩畔らが大戦中に展開したインド独立工作に対する恨みから執拗に引き渡しを要求する。文字通り「矢の催促」であったという。シンガポールに連行して軍事法廷にかけるというのである。 しかし、アメリカは 「まだ当方の取り調べがすんでいない」と頑として引き渡しを拒否している。 岩畔は「ハルが守ってくれている」と周囲に漏らしていたという。 井川忠雄 らの回想によれば、当時のアメリカ国務省に優秀な人材がいないことに悩んでいたコーデル・ハルは、私にもあんな(岩畔のような)優秀な部下がいたらどんなに助かるだろうとよく漏らしていたという。
戦時中
太平洋戦争開戦後は南方軍総司令部附となり南方作戦に従事。近衛歩兵第5連隊長としてマレー作戦を戦い左足に貫通銃創を負う[44]。
シンガポール攻略と同時に印度独立協力機関(通称「岩畔機関」)の長としてインド国民軍(INA)の組織と指導・自由インド仮政府の樹立に関与した[45]。参謀本部第8課出身の藤原岩市少佐率いる「藤原機関」(のち「F機関」)と共にこれを成功させ、INAの結成でF機関は「岩畔機関」に包含され「岩畔機関」には、多数の中野学校出身将校の他、水野成夫なども加わり(水野の起用にあたっては日本共産党員時代の彼の地下活動経験を岩畔が高く評価したという。「(インド独立のために)地下活動をしている人たちの心は、地下活動をしたことのある者が一番分かる」と言っていたという)、機関員は盛時500人といわれた[46][47]。
工作はラース・ビハーリー・ボース(ラシュ・ビバリ)とA.M.ナイルと岩畔の三人の話し合いにより主に進められたが、無分別な言動をとるモーハン・シン(Mohan Singh)大尉をラシュ・ビバリに進言し罷免、さらに軟禁させたことで、ラシュ・ビバリは「日本の操り人形」と見られるようになり、さらにラシュ・ビバリが体調を悪くしたことで「岩畔機関」はチャンドラ・ボースを迎えるため、ボースと親交のあった山本敏大佐に引き継がれ1943年(昭和18年)、「光機関」と改称された。「光機関」の命名は岩畔であった[48][49]。岩畔と折り合いの悪かった東条英機らの主導により実現したこうした岩畔はずしの人事は誤りで、インド国民軍ならびにインド独立連盟を目茶苦茶にしたという見方もある[34][50]。 岩畔は「F機関」の事績について「藤原はみんな自分がやったように書いているが、オーバーであり『嘘の皮』」、「インドの独立ということは『F機関』がやったことではなく、私と次の2代の機関長がやったこと」と述べている[34]。
同年少将、スマトラ島の第25軍政監部に異動し参謀副長、第28軍(在ビルマ)参謀長を歴任した。
終戦、再び日米交渉へ
終戦の直前、陸軍兵器行政本部付に発令され[51]、ビルマ・ペグー山中より単独帰国。終戦後20年間の事蹟はそれほどはっきりしていない。この間、開戦前の日米交渉に加わり、親米避戦派と目された経歴から、日本陸軍と米軍の連絡係として活動、ベトナム戦争の準備情報工作等に関与したという説もある[52]が、日頃はむしろ財界人や後進を哲学的に指導することに熱意を示し、戦争哲学への傾倒など、哲学的な思索に多くの時間を費やしたとされている。自衛隊が創設される時、吉田茂から、参加を促されたが、「敗軍の将、兵を語らず」と固辞したという。
1965年(昭和40年)、荒木俊馬・小野良介らと京都産業大学の開学に関わり[1]、初代の世界問題研究所長を務めた。日米交渉の時、仲介にたったメリノール会のウォルシュ司教が中国で行方不明になった時、日米覚え書き貿易関連の所用で訪中する古井喜実を通じて周恩来に「ウォルシュ神父の安否」を聞いてもらったりもしている。周恩来の回答は、「調べたが分からなかった」であったという。(実際には中国共産党政府により拉致監禁されていた)
その後、ウォルシュ司教は米中国交回復に先立つキッシンジャー の秘密交渉により、拉致監禁された日から12年後に香港で解放された。 また、戦後、フジサンケイグループを作り上げた水野成夫(インド独立工作でともに活動)らを始めとした財界人のアドバイザーとしても活躍。沖縄返還交渉の黒子(くろこ)として活躍し日米密約(沖縄返還後も米国は核兵器を日本政府に無断で持ち込む権利を留保)の仲介者として有名な京都産業大学教授若泉敬は岩畔の愛弟子ともいえる存在であった。沖縄返還交渉自体、岩畔が若泉を自民党の椎名悦三郎に紹介して開始したとの話も伝わっている。
駐日大使も務めたライシャワーと若泉が談笑している時、ライシャワーがふと述べた「このたびアメリカは小笠原を返還しますが、だからといって沖縄まで返せと言われたのでは困りますよ」という趣旨の発言を、若泉敬が岩畔に報告したところ、岩畔は「それはライシャワーさんが謎をかけているんだよ。今すぐ、沖縄返還を要求しろというメッセージだ」と、その足で若泉を旧知の自民党議員椎名悦三郎(元幹事長)のところに連れて行き、「この男に返還交渉をやらせてくれ」と述べたという話が伝わっている。
http://blogs.yahoo.co.jp/hiromichit1013/52684806.html
官制外の組織として陸軍省に誕生した軍事資料部の中に防諜班ヤマが生まれた。
ヤマ機関は、9年間、日本陸軍に紛れもなく存在した組織である。
ヤマ機関は、巨大な陸軍という機構の中で、官制外の組織として9年間ではあるが、存在していたという。
またヤマ機関が陸軍中野学校や登戸研究所以上に、秘匿性の高い防諜機関であったため、
これまで全体像が解き明かされる機会がなかった。
ゾルゲ事件や吉田茂逮捕事件にも、ヤマ機関が関与していたという。
http://www.shinchosha.co.jp/book/610026/
防諜、謀略を担っていた極秘の組織があった。
その名は通称「ヤマ」。
戦後これまでも世に出ることはなかった存在である。
わずかながらの手がかりを元に生き残りの関係者や資料をたどっていくと、次第に驚くべき実態が露になってきた。信書の開封、電話の盗聴、スリを使った秘密文書の入手、時に人殺しすら……。そして定説を覆す、「二十世紀最大のスパイ事件」ゾルゲ一団の摘発の真相も明らかに。
本のアマゾンの評価が妙に低いw 文章を読むと工作員らしい書き方がバレバレである。
よっぽど読んで欲しく無いらしい。
さて 似たような組織が 今 この時点で存在していない とか思う人はいるのかなぁ。
『日揮の実態』
『アメリカの戦争と日本と日揮と三菱と』
『現役日揮社員から聞いた生の声・そして安倍と橋本の関係』
『アルジェリアでの日本人人質殺害の報復』
『SPとVSPともうひとつの職務』
セキュリティポリス - Wikipedia:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%82%AD%E3%83%A5%E3%83%AA%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%9D%E3%83%AA%E3%82%B9
セキュリティポリス (Security Police,SP) とは、
日本の警視庁警備部警護課で要人警護任務に専従する警察官を指す呼称である。
警視庁以外の
各道府県警察警備部警備課もしくは刑事部に属する、要人警護を行う警察官全体を指す場合もあるが、
彼らは正確には「警備隊員」「身辺警戒員」などと呼ばれ、
警視庁警備部警護課の課員(SP)とは区別される。
略称「SP」はシークレットサービスの略称「SS」に倣った。
本来に英語で「Security Police」は「公安警察」を意味する。
職務内容
国会に議席を有する日本共産党以外の各政党の代表者や、
各国から来日する要人等、法律によって規定された警護対象者が
自宅を出てから帰宅するまでの 身辺警護 が専門職務であり、
犯罪捜査・地域警戒・交通取締などは その職務外である。
警護対象者の自宅の警備は機動隊や公安警察の担当であり
、自宅の周辺は遊撃警戒車や覆面パトカーなどにより警備される。
SPは非常事態の際には身体を張って警護対象者を護らねばならないことや、
その高度な職務内容に因り、各部署からの選抜者によって構成されている。
現行犯であっても襲撃者に対する司法捜査はしない
(これは機動隊や公安警察など、現場にいる警備陣の担当)。
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/4619981.html
日本の警察庁警備部警護課は、法令上は
内閣総理大臣
参議院議長
衆議院議長
国賓
を警備対象としますが、慣例によって
衆議院副議長
参議院副議長
国務大臣
自民党の党役員(幹事長・政務調査会長・総務会長・参議院議員会長・参議院幹事長・選挙対策委員長)
日本経済団体連合会会長
駐日大使では、米国、中華人民共和国、イスラエル
も警備対象としています。
要請が有った場合には主要な政党の代表も警備対象にするようです。
(民主党はなぜか直前まで派遣要請の連絡しなかったり、共産党は要請すら殆どしないそうです。)
なお一般の国会議員は、特殊な事情が無い限り自腹で警備会社等に警備を依頼しています。
参議院議員の橋本聖子さんの夫は、確かSP出身だったと思います。
一般人でも連合赤軍関係や暴力団絡みの事件の結果、
関係者に身辺警護の警備隊員が派遣されたケースも有ります。
地方自治関係の県知事には都道府県警察本部直轄の警備部警護班の警護専門官がつきます。
皇族関係の身辺警護は『皇宮護衛官』俗に皇宮警察と呼ばれる部署の警察官(皇宮護衛官)がつきます。
警察官は、地方公務員なのに対して、皇宮護衛官は一番下の階級であっても国家公務員になります。
各々の護衛官は、不審者に対しては警護の目的であれば、拳銃の使用が認められており、
警告なしの『射殺』が可能になっています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%82%AD%E3%83%A5%E3%83%AA%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%9D%E3%83%AA%E3%82%B9
警護対象者
民間人においては唯一、日本経済団体連合会(経団連)の現役会長がSPによる警護を受けていた。
経団連会長にSPがついていた期間は、
野村秋介率いる三島由紀夫派の右翼団体による経団連襲撃事件が起きた1977年から2010年までの33年間。
かつてない不景気の中で、正社員雇用の増加を目指した鳩山由紀夫首相
と
非正規雇用の増加と、正社員を一人でも多く非正規労働者へと転身させることによって
不景気を克服することを要望する経団連
との対立が決定的となったのと同じ時期に、
警察庁警備局から警視庁へ異例の指示が下され、警護対象から除外された。
現在、民間人の立場にSPによる警護を受けている者はいない。
↓
2011/12/22 民間人保護強化へ「SP」新設 警察庁、暴力団排除を後押し
http://www.nikkei.com/article/DGXNASDG2104U_S1A221C1CC0000/
暴力団排除が原因で報復などの危険にさらされる民間人の保護を強化するため、警察庁は22日、「民間版要人警護(SP)」ともいうべきポストを新設すると発表した。暴力団側からの保護を徹底し、事業者らによる暴力団排除を後押しする。つまり公費で民間企業への天下りが公然と可能になる訳だ。
名称は「身辺警戒員(Protection Officer=PO)」。POには以前から暴力団からの保護対策を担当してきた組織犯罪対策部門の警官に加え、SPの経験のある人材を中心に、警備部門の機動隊員ら他部門の人材も充てる。
POをかたどった記章をつけた警察官が、状況によっては、自宅以外の勤務先や移動中まで付き添い、必要であれば、24時間態勢の身辺警戒も想定している。
警察は従来も、保護が必要と判断した企業幹部や、暴力団排除運動を進める一般市民らについて、自宅周辺の巡回強化や、専用の通報装置の貸与などで対応してきた。全国で現在の倍程度の民間人らの身辺警戒が可能な態勢にする。
POのほか、各都道府県警には「保護対策官」を置き、保護対象の選定や保護計画の策定を担当させる。保護対象者が他の県などに移動する際は、現地の警察本部に速やかに連絡するよう定め、身辺警戒に漏れがないよう徹底する。
恐怖と暴力を詐欺に使うカルトの本領発揮だね。
2012年01月11日 http://ppsschool.seesaa.net/article/245436636.html
民間人守る身辺警戒員 警察庁
福岡県を中心に暴力団が関与したとみられる事件が相次いでいることを受け、警察庁は二十二日、新たに民間人の身辺を警護する警察官を指定するなど、保護対策の実施要綱を一部見直した。
警察が所有する暴力団情報を企 業や行政機関などに提供する際の新たな基準も決定した。
全都道府県で十月までに暴力団排除条例が施行された一方、一〜十一月に暴力団の関与が疑われる発砲事件などが福岡、佐賀両県を中心に全国で二十七件発生。
警察庁は「関係者の安全確保は排除活動を推進する上で不可欠。不安感の解消に努めたい」としている。
同庁によると、各警察本部の暴力団捜査部門に警備部などが協力する態勢を整え、「身辺警戒員(Protection Officer)」の名称で指定する。
警備部の要人警護官(SP)と同様、武道や警護の経験がある警察官を選考。略称POのバッジを着け、暴力団による犯罪被害者や暴力団との関係遮断を図る企業の関係者らを警護する。
福岡県警は二十一日、専門部隊として「暴力団対策身辺警戒隊」を設置し、組織犯罪対策課などの捜査員を指定した。
暴力団の情報についてはこれまで、主に被害を防ぐために提供してきたが、各地の暴排条例は企業に取引先が暴力団関係者ではないことの確認義務を求めており、企業側から情報提供の要望が増加。
そのため、今後は被害防止の目的ではなくても、条例の義務を履行するのに必要な場合は、取引先が暴力団関係者かどうか情報を提供する。
また、提供する情報の内容も一部見直し、組織情報や個人情報に加え、安全確保のため必要な場合に限り、新たに前科・前歴をそのままではなく犯罪の特徴を伝える。提供の際は、目的外利用をしないとの誓約書の提出を求める。
また、暴力団関係者の認定区分を細分化。従来の「暴力団構成員」「準構成員」に、暴力団の威力を利用して利益拡大を図る「共生者」などを加えてデータベース化する。
2012-04-20「県警身辺警戒隊」が発足 暴力団から企業経営者ら守る 滋賀 - Worldnews.com:
http://article.wn.com/view/WNATffb1462710dfd3ab85344ac5c00c698e/%5B%5D#/related_news
どちらがヤクザだか分からないよね。
だから結局に ヤクザとヤクザは カルトとカルトは
シノギで手を結んだり裏切ったりを繰り返す地獄絵図を永遠に繰り返す。
一神教で野蛮人のキチガイ沙汰が 暗黒の欧州の中世の1000年の地獄を造ったんだけどね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%82%AD%E3%83%A5%E3%83%AA%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%9D%E3%83%AA%E3%82%B9
任務部隊
部隊は近接保護部隊と先着警護部隊の2種類の任務部隊からなり、
両部隊は公安警察や所轄警察署との緊密な連携のもとで警護を行っている。
近接保護部隊は常に警護対象者の身辺にて警護を行う部隊であり、
一般的にSPというと、この部隊の隊員が思い浮かべられる。
他方の先着警護部隊(SAP)は、「アドバンス」と言われる、先着警護を担当する部隊である。
「アドバンス」とは、
公安警察の警察官と一緒に警護対象者の立ち回り先や地元の警察に赴いて
警護に協力を求めるための交渉や打ち合わせをしたり、
不審者や不審物の有無を検索することで事件の予防を図る為の任務である。
SP・SAP両部隊の構成員の一部には、不測の事態の際には現場に留まって、
犯人と最後まで交戦する任務を受けたSPが含まれており、
この隙に警護対象者は他のSPに護られて速やかに退避する。
警護対象者にかかる脅威度等の状況や行動によっては、アドバンスはなされないか、あるいは簡略化される。
SPは、法律等で定められた警護対象者については管轄に関係なく身辺警護を行い、
地元の道府県警察はSPの警護活動の支援を行う。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%82%AD%E3%83%A5%E3%83%AA%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%9D%E3%83%AA%E3%82%B9
2011年3月(福島第一原子力発電所事故)以降、
東京電力の会長、社長にSPをつけることが検討されたが、実施されなかった。
検討された という段階で 完全に狂っている と思うけどね。
現在、東京電力では警備員やボディーガードの私立探偵を雇用して自主警備しているが、
警察としては、SPの代わりに、所轄警察署や機動隊から派遣される制服警察官が入る警備派出所が、
東京電力本社と社長・会長の私邸前に設置されている。
SPとVSP と もう一つの任務 と言われても全くに分からないので
「SP」と「VIP SP」 として
POという とっても不思議な 民間人の「貴種」で「貴族」な者達の警備
な話かなとか妄想した。
そして チョット調べてみるだけで分かる“もう一つの任務”が
つまり「SPが任務にしないはずの“警備”では無く“調査活動”」という話が必ず付随する。
311直前に起きている不思議な話 311以降に起きている不思議な方向性の話、
そして今までの記事や今回の記事などで書いた
・陸軍中野学校
・登戸研究所
・特務機関「ヤマ」
という実行部隊の具体的な話の先を考えると
今 この時点で では“どのような事が起きているのか?”を妄想するのはオカシナ事なのでしょうか?
宗教右翼カルトのハイパーキチガイカルトの教条を信じるシュタージが
身を潜めて企業へ公費で送り込まれて
まぁ 色々と する
というのは日常茶飯事なのでしょうね。
そういう意味合いでの 日揮とか三菱とか な話ならば さもありなん とも思う。
アメリカの戦争 安倍 日揮 三菱 橋下 なカルトのシノギの世界の話は
手を結んだり裏切ったりの繰り返しな地獄絵図な訳で そら報復し合い で 殺し合いまくる 、脅しまくる。
で どの件が どの件になるのだろう?
ならばアルジェリアの日本人人質殺害とは結局に何の話だったのか?
どちらにして俺には分からない。
俺は、そういう情報戦の存在意義を否定しない。
けれども
一神教で野蛮人な「日本人と日本」(笑)な国家(笑)の皇軍(笑)のインテリジェンス(笑)な情報戦
ではなく
多神教で文明人の社会共同体の為の情報戦を
と思っているだけなんだよね。
だから とりあえず こうして外部記憶保存をするだけだ。
http://article.wn.com/view/WNAT4964f5cf87539a86bc0d0b309aed38cb/#/related_news
2013-04-03 FBR安全技術センターが発足 原子力機構 福井
ブログでよく見る人はまじ凄い。
http://d.hatena.ne.jp/tomoya/20130731/1375277650
29歳、なぜブログを書くのか。
http://d.hatena.ne.jp/tomoya/20130730/1375120743
誠天調書 2005年06月15日
http://mkt5126.seesaa.net/article/4368275.html
当時は ユニーク350/1日 PV500/1日 な感じだったんだね。
個人ニュースサイト群の真似をしながら 俺なりに色々として見たいな とか
そんな風に適当な更新していた頃だったな。
其の分に ネトウヨとか 検索からとか も 少なく無かったんだろうね。
今は 他のサイトからのリンクも殆ど無いし 検索は100/1日の前後だし
それでも更新せずに ユニークで1600/1日 PVで4500/1日 が常時に出る。
なんか凄いなぁ と他人事のようにも感じてしまう。