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2013年10月15日

なぜD兵器やE兵器は軍事機密なのか? 登戸研究所や731部隊の末裔は 今も大量に其処へ存続している。 秘密戦その2

以前から酷かったが 最近は更に 検索へは不思議な呪文が混じり込み過ぎる。
URLを貼ること一つにも簡単ではない。


最近の千葉市の美浜区の新港にて またしても大きなホームセンターが出来た。
品ぞろえも豊富で アチコチに「設置などで出張する」などが書かれている。
お年寄りなどが使い方や設置が分からない販売品については 自宅へ出張をする という営業手法も
昨今では普通に行われている。

だからこそ疑問に思う。
 どうしてRO逆浸透膜の浄水器が またしても置いて無いんだろう
とね。俺達を殺す気だけしか感じられなかった。



「濾水管」の検索
http://search.yahoo.co.jp/search?p=%22%E6%BF%BE%E6%B0%B4%E7%AE%A1%22

この遺留品は以前、単に 浄水器 として紹介しておりました。
しかし後に文献を見ていると、同じモノが秘密兵器にも相当する「軍機密品」として表されておりました。

それは98式衛生濾水器、通称を石井式濾過器と呼ぶ浄水器の部品、濾水管であった。
この関東軍防疫給水部(通称:満州第731部隊)創設者の名を冠する浄水器は、
細菌戦を主とする同部隊に於いて開発、昭和13年頃に制式制定され、
戦地での飲料水確保に重用されたと云われる。

第32軍隷下には第24師団防疫給水部(山1207)、第27野戦防疫給水部(球5753)が所在、
作井部隊と共に その任(飲料水確保)にあたっていた と思われる。

当時、浄水施設は那覇 上之屋 にしかなく、
http://phoenixexpress.ti-da.net/e3073522.html
飲料水の送水、運搬、貯留には往生したものと思われる。

但し水源に関しては、現在の様に汚染の可能性もなく、濾過器材の出番はなかったであろう。
部隊名は何れも防疫給水部を名乗るも、
両部隊が沖縄に於いて細菌、化学戦を画策していた記録、証言などはない。

濾水器の発見された壕は、歩兵第22聯隊(山3474)の戦線に位置する。
その為、壕を山兵団(第24師団)が用いたであろう、裏付けのひとつとなった。

濾水管
西原町幸地の壕内に於ける発見状況。
http://img04.ti-da.net/usr/phoenixexpress/pl08s_R008a.jpg
完品は登戸研究所資料館に展示保存されています。

濾水管
軍機密の98式衛生濾過器に用いる濾水管。
濾過に用いる素焼きの外筒は収容時に殆ど崩れ、アルミニウム製の上下部、内筒だけが残存する。
http://img04.ti-da.net/usr/phoenixexpress/pl08s_R008b.jpg


防疫給水部の台頭
http://members2.jcom.home.ne.jp/wa-chiyoko/731_0106.html

731部膠の任務 

石井部隊の表の顔である「防疫給水」とは、戦場での疫病対策や浄水(飲料水)の確保などのことである。
衛生環境の悪い外国などに軍隊が入るときには必要だが、
この当時その役割はあまり評価されていなかった。
ある事件は陸軍が「防疫給水」の重要性を認め、石井部隊を拡大させるきっかけとなったものである。

日中戦争が全面化した1937〈昭和12)年8月、
上海近郊のクリーク(水路)の水を飲んでいた日本軍の中でコレラ患者が多発した。
戦場では「下痢は頻発してズボンを着用しているものはほとんどない」状態で、
中国軍による細菌戦ではないかという噂も流れた。

このとき石井は給水部隊編成の必要を訴え、5台の石井式濾水自動車と約200人の部隊が派通された。
石井の濾水機は本来コレラ菌には効果がないが、とにかく患者は激減し、
石井は濾水機の実用化の功で勲章と高額の副賞を得ている。

このことが、アメリカ軍のスパイが「石井」という人物を知るきっかけとなる。
 なぜ軍医の業績がこれほど高い評価をうけたのか、
ということから調査対象になったのである。


石井式濾水機
http://members2.jcom.home.ne.jp/wa-chiyoko/img/731_016_003.gif
濾水管が内壁に沿って並べられていた。
汚水に圧力をかけて中に送りこむと、素焼の珪藻土でできた濾水管を通過した浄水が出てくるしくみだった。

濾水機と細菌爆弾

この新しい容器の素焼の珪藻土でできた濾水管の一番の特徴は
珪藻土あるいは粘土の素焼という点であり、
そのため比較的小さな衝撃によっても粉々に壊れるというところにあった。

したがって輸送に関していえば、金属製のものと比べて難しかった。

しかし石井部隊員は珪藻土を素焼しただけの物の取り扱いには慣れていた。
そして石井式細菌爆弾の容器を製作していたのは主に第三部であった、

この第三部は本当に防疫給水を担当する部隊である。
石井部隊の各部のうち ただひとつ第三部だけがハルピンに残された。

細菌爆弾の容器の主な原料は珪藻土であった。
そして容器は素焼製だった。

私たちが珪藻土に出会うのは これが初めてではない、
石井式濾水機を見ている。

珪藻土はベルケフェルド式の細菌濾過機の心臓部分であった。
そして石井式濾水機は そのベルケフェルド式細菌濾過機を改造したものだった。


すなわち珪藻土は石井式濾水機の主要材料であった。
したがってそれを製作していた第三部には珪藻土が大量に集められていた。
そしてその取り扱いに慣れていただろう。

濾過機と爆弾の容器とでは形状は少し異なるが、
無定形の土を一定の形に仕上げていく工程には 殆どに差が無い。
爆弾の容器の製作を、主に第三部が受け持っていたことは むしろ当然のことだった。
そしてその扱いに石井部隊員は慣れていたはずである。

常石敬−『消えた細菌戦部隊』(らくま文庫)


以下の話は真偽不明。ただコピペして置く。
http://www.geocities.co.jp/Technopolis/9073/zinkotuhp/arcive/syougen1.htm
陳 述 書 k.s 一九九四年四月二日

一、私は、一九三八年(昭和一三年)の秋ごろ、束京郁新宿区にあった旧陸軍防疫研究室の建物の四階屋上で、水瓶の中にホルマリンで漬けられた人間の生首を見たことがありますので、これからそのことについて述べます。

二、私は、一九〇九年(明治四二年)七月二五日今の愛媛県で生まれ、一九二六年(大正一五年)に地元の楠河農業補修学校を卒業した後、大阪に出て銀行員となり、その後親戚筋を頼って横浜に出ました。そして、一九三七年(昭和一二年)から、新宿区戸山の旧陸軍軍医学佼に併設されていた石井四郎軍医の創設した防疫研究室に軍属として勤務することになりました。

三、当時、防疫研究室は、第一研究室から第六研究室までに分かれており、第一研究室は、建物の外の作業場で陸軍防疫給水部の将校たちに濾水器の操作や車輌への装着などを教えていました。また第二研究室では、濾水器に入れる濾水管の開発や研究をしていました。このように第一及び第二研究室は、濾水器に関する研究・開発や研修が主たる業務であったのです。私は第一研究室に配属されていました。

 そして、第三研究室から第六研究室は、細菌の培養を行っていました。細菌とは、ペストやコレラ等の細菌です。私自身、第三研究室に行く階段の途中でコレラ菌の入っていたアンプルが落ちているのを見つけたこともありますし(これを当時防疫研究室にいた北条圓了中佐に報告したところ、北条中佐は第三研究室の室員に厳しく叱りつけました。)、また毎日のように第三ないし第六研究室から大量のノミやマウスの入った輸送用の金属製の筒や金綱製の箱を運び出していくのを見たこともあります。これらのノミやマウスは、恐らく細菌に感染させられ、立川飛行場から中国大陸に運ばれたものと思われます。

四、一九三八年(昭和一三年)の秋ごろのある日、私は何の気なしに防疫研究室の建物の四階屋上に一人で上ってみました。その四階屋上は、従前から北条中佐(後にドイツに渡り、ドイツ軍とともに防疫の共同研究をしたそうです。)の通達により誰も上がってはいけないとされておりましたので、私はそれまで上がったことはなかったのですが、その日は何の気なしに上がってしまったのです。

 四階屋上には見慣れない水瓶が一五個くらい木で蓋をして並べてありました。その水瓶は、みな直径が約四〇センチメートル、深さもやはり約四〇センチメートルくらいあり、おわん型をしていましたが、特微的なことは、その外側の色でした。それまで国内で見た水瓶は、みな赤茶色をしていましたが、そのとき屋上で見た水瓶は、グレーがかった黒色をしていたのです。それで、私は珍しい色の水瓶もあるものだと思い、一つの水瓶の木で出来た蓋を開けて見たのです。

 そうしたところ、水瓶の中にはホルマリンに漬けられた人間の生首が三個か四個入っており、私は飛び上がらんばかりに驚いてしまいました。その生首は全て男性のもので、顔つきからするとみなアジア系の人種のものでした。生首の中には、眉間に刀傷のあるものもありましたし、また散髪途中だったのか半分だけ髪を刈られたものもありました。私は、続けてそこにあった水瓶を三つくらい開けて中を見ましたが、やはり男性の生首が三個か四個ずつホルマリンに漬けられて入っていました。

 そうして二、三分くらい水瓶の中の生首を見ていたのですが、そのうちに恐ろしくなり、また上がってはいけないと言われていた四階屋上にいるところを人に見られてはいけないと思い、すぐに屋上から階下に下りました。幸い、私が四階屋上に上がって水瓶の中を覗き込んでいたことは、誰にも見られていなかったようでした。

五、私が四階屋上に上がったのはこのときだけです。また、屋上で水瓶の中に入っているホルマリン漬けの生首を見たことは、当時誰にも話しませんでした。なぜなら、私は上がってはいけないと言われていた屋上で、見てはいけないものを見てしまったのではないか、と思ったからです。

 また、当時は水瓶の中の生首が、日木人のものか、それともそれ以外の中国人や朝鮮人などのものかはわかりませんでした。

六、その後、防疫研究室の建物の中では人間の生首を見たことはありませんでしたが、一度、防疫研究室に併設されていた旧陸軍軍医学校の教室から生首を板の上に乗せて運んでいるところを見たことがあります。その光景を見て、私は当時軍医学校の医学実習教育で人間の頭部を使ったのかな、と思った記憶はありますが、私自身軍医学校の教室には入ったことはなかったので定かなことは分かりませんでした。

七、その後、一九三九年(昭和一四年)の五月ころ、私は新宿区の防疫研究室から中国・広東にあった旧陸軍南支那派遣軍防疫給水部(波八六〇四部隊)に転勤になりました。この防疫給水部は、当時広東の東山にあった中山大学医学部に置かれており、私は、そこでも濾水器の使用方法や操作を陸軍将校に教える仕事をしていました。

 ところが、ある日広東郊外の農村地帯を自動車で通りかかった時、私は農家の軒先に新宿の防疫研究室の四階屋上に置かれていたのと同じ形や色をした黒い水瓶が置かれ、日常の家事に使用されていることを発見し、はっとしました。つまり、束京の新宿にある防疫研究室の屋上に置かれていた水瓶、そしてその中にホルマリン漬けにされていた生首は、中国の広東から運ばれたものではないか、と思ったのです。日本ではかつて見たことのない黒い色の水瓶であったことも、それで納得することができました。

八、こうした事実から今振り返って考えてみると、当時新宿の防疫研究室ないしは陸軍軍医学校には、中国大陸からいくつもの人間の生首がホルマリンに漬けられて運ばれてきており、軍医学校ではそれを使って医学的な実習教育や研究が行われていたのではないかと思います。

 また、人骨を処理する上で一番処理しやすいのは自分の所有ないしは管理する土地に捨てることであり、他人の土地に捨てることは常識的に考えてありえないのですから、旧陸軍軍医学校跡地から多数の人骨が発見されたのなら、それは旧陸軍軍医学校の関係者が捨てた人体のものだと思います。


「人体実験・731部隊・陸軍中将石井四郎」と長野県伊那村(現駒ヶ根市東伊那)
http://www.cek.ne.jp/~k-akasu/8-3.htm

731部隊長・石井四郎が発明した濾水器の部品である“濾水管”が、いまも大量に山積みされています。
その数1000本余。(直径8.5cm、長さ46cm)

それを知ったのは、赤穂高校平和ゼミナールの生徒たちが、
元・陸軍第9技術研究所(別名、登戸のぼりと研究所)の伴繁雄(少佐)氏を
駒ヶ根市東伊那の自宅に訪ねたときに、伴氏から「大量にある」と知らされたからです。

731部隊と陸軍第9研究所、そして陸軍中野学校とそれぞれが密接な関係のもとに、
謀略をもって侵略戦争を推し進めたことの“証拠品”が身近にあるとは驚きでした。

◎石井式濾水器とは?

「石井式濾水器」とは、のちに陸軍防疫給水部と石井四郎の名を前線にとどろかせた細菌ろ過器である。
珪藻土を焼いた素焼き陶器からなるろ過室に、汚水や河川水を通し、
素焼きの微細な粒子を通過させることによって細菌を排除し、安全な飲料水を確保することができる。
濾水管は その部品。


1931年(s7)春のことである。
東京・牛込神楽坂の料亭街で毎夜豪遊する男がいた。
戦前の神楽坂は、芸妓置屋だけで十数軒をつらね、農村から身売りしてきた娘たちが身を沈めた花街である。
「このごろ神楽坂の料亭に毎晩のようにあらわれ、湯水のように散財する若いお大尽がいる」
こんな通報が、ひそかに料亭関係者から所轄の牛込警察署に持ち込まれた。
通報を受けて、牛込署の刑事が内定してみると、確かに“客”の素性は怪しい。

牛込憲兵隊は内定を続けた結果、“客”が当時陸軍軍医学校教官、三等軍医正であることを突き止めた。

石井軍医正は、多額の遊興費をどこから捻出するのか?
・・ここにおいて「帝国医療株式会社」という医療器具メーカーの存在が浮かび上がった。

帝国医療は、石井四郎軍医正の発明した「石井式濾水器」の製造を陸軍から一手に受注していた会社である。


「石井式濾水器」とは、
のちに陸軍防疫給水部と石井四郎の名を前線で使われた細菌ろ過器である。

珪藻土を焼いた素焼き陶器からなるろ過室に、汚水や河川水を通し、
素焼きの微細な粒子を通過させることによって細菌を排除し、安全な飲料水を確保することができる。

憲兵隊は、帝国医療が「石井式濾水器」の一手生産を引き受け、
陸軍御用商人として急成長して行こうととする裏に、
石井四郎軍医正との莫大な贈収賄疑惑があることを察知した。

ただちに帝国医療関係者、石井四郎の双方を逮捕した牛込憲兵隊は、
当時の金で5万円という巨額の金子が動いた事実を知ったという。

http://ameblo.jp/aqgel/entry-10011203405.html
石井式濾水器≠ヘ、昭和7年当時、帝国医療と言う会社が一手に引き受けて生産をしており、
当時軍医少佐であった石井四郎にその遊興の為に、
5万円という(今の価値換算で約1億)大金を使われていた。

石井は憲兵隊に逮捕されて、あわや陸軍部内の一大汚職事件と言う時に、
あの相沢中佐に、10年8月12日に斬殺された永田鉄山(当時大佐、軍務局長)に助けられた。、
地団駄を踏んで口惜しがる、牛込憲兵隊を尻目に、陸軍刑務所の門を出た。


石井四郎が、細菌の兵器転用という発想を持ったのは、
昭和5年からの2年にもわたる、ヨーロッパでの視察旅行の結果である。
当時ヨーロッパの列強諸国の間では、すでに細菌兵器の研究が進んでいて
特に、ナチスドイツに於ける研究は群を抜いていた。
その研究視察の為に、石井四郎をヨーロッパへ行かせたのは、
当時陸軍の一課長であった永田鉄山であったのであった。

731部隊では、各種ウイルス・凍傷・ペスト・赤痢・梅毒・コレラ・チフス・結核などの病原菌の培養、
そして感染、治療、そして更に各種の毒ガスによる実験などを、
マルタ≠ニ称する人間の生体を使って行っていた。

そしてこのマルタ≠ニ称する実験材料の調達源は、
ハルピン市内での住民の拉致、中国軍の捕虜、抗日ゲリラ、浮浪者、そして死刑囚などであったと言い、
それらの人種は、中国人は勿論、モンゴル人、ロシヤ人、等々で、
老若男女を問わず、子連れの女もいた。

これらマルタ≠ニ言われた人たちは、
実験動物の飼育と同様に、実験に適する時期まで飼育棟で、動物と同様に飼育状態で置かれていて、
実験の後は、他の実験動物と同様に、効果測定・観察・標本採取などのために解剖されて、焼却をされた。

当時、当然の事ながら、これらマルタ≠フ取り扱いについては、極秘中の極秘とされていて、
石井四郎は、これらのマルタの扱いについては、
自分の生家がある千葉県の村から選んで連れてきた人たちに、取り扱いをさせた。

しかし石井は、自分の出身大学の京大の医学部の学生を、
3ケ月程のローテーションで、研究と実習の為に部隊内に受け入れていた為に、
誰からともなく、731部隊での実態が、日本内地の医学界の医師たちにも洩れ伝わって、
大学病院などでは、生体解剖を考える医師たちも出てきていた。

現に、九州大学では、20年の5月ごろ、
撃墜されたBー29の搭乗員で捕虜となった米兵8名を、
軍から貰い受けて、生体解剖をやっていた。

戦後軍事法廷でその罪を問われて、教授の一人は縊死して、5人は絞首刑、4人は終身刑の判決を出された。
しかし25年の、再審減刑で、5人の絞首刑は免れたが。

結果として、731部隊は、
その規模は、敷地は6キロ四方の広さであったと言い、人員は2600名ほどの部隊であったそうで、
生体実験で殺されたマルタ≠フ数は3000人に近い数であったと言う。

そして秘密保持の為に、日本軍の飛行機であってもその上空は、飛行禁止とされていて、
そして更に上空を侵犯した飛行機を撃墜をするために、
滑走路を造って戦闘機を待機させて、いつでも発進可能の態勢にしておいたと言う。


http://ameblo.jp/aqgel/entry-10011234418.html
昭和20年8月10日(以下の年号は昭和)ソ連軍は、
日ソ不可侵条約を破棄して、ソ満の国境を越えて怒涛の如く満州に攻め込んできた。

実験材料として捕らえてあったマルタ≠フ毒ガスによる大量殺戮、
そして死体の焼却、部隊施設の完全爆破 等々、
日本陸軍の行ってきた悪魔的な所業の、痕跡の抹殺に総動員であった。

そして多年にわたった人体実験、細菌培養、細菌兵器の開発、
各種細菌感染に対する治療や、抗体の研究等々、学術的にも貴重な膨大なデータは、
厳重に梱包をされて貨車に積み込まれ、部隊の将兵とともにいち早く満州を脱出し、
日本内地に運び込まれた。

ある説によると当時ソ連軍に対しても、南方戦線のアメリカ軍に対しても細菌兵器≠フ徹底的な行使しなかったのは、その効力があまりにも悪魔的に悲惨であったために、軍内部においても、戦後の連合国側の報復を恐れて、その徹底的な行使に踏み切れなかった経緯もあった。

また南方諸島のアメリカ軍に占領された島で、日本の民間人などがいない条件下ならともかく、満州で細菌兵器を行使すれば、開拓団として渡満していた在留邦人も満人も、皆大変な悲惨な状況のもとで犠牲になる。

戦争末期、如何になりふり構わずの軍部といえども、その戦闘手段としての細菌兵器の行使には、おのずと限界も制約もあった。

しかしアメリカのジャーナリストでジョン・パウエルと言う人は、
 19年の頃から日本軍が数千個にもわたる風船爆弾≠、
 福島・茨城・千葉の海岸から飛ばしてジエット気流に乗せて、アメリカ本土を攻撃をしたが、
 あの風船爆弾に細菌爆弾≠ェ使用されていた疑いが濃厚だと言っている。

アメリカには今もスミソニアン博物館に風船爆弾≠フ実物が、展示されている、
日本の「陸軍省軍事課特殊研究処理要領」という陸軍の公文書の第一項目に、
連合国側に証拠を掴まれては困る特殊研究として、
731部隊関連の資料と、風船爆弾を指すと思われる記号を付した項目があって、
「速やかに証拠となるべきものを隠滅すべし」
と書かれていた。

もしこの風船爆弾がジョン・パウエルの言うとおりの、細菌爆弾を吊り下げたものであったなら
戦史上最も幼稚な作戦≠ニ言われたものが、一挙にその様相を変えてしまう。

であるから前に書いた「これからの日本は細菌戦でアメリカをやっつける」とある生徒が私に言ったのは、
上記のような背景があっての話であったのかも知れなかった。

戦後石井四郎の身柄の引渡しを巡って、アメリカとソ連とで かなりの応酬があった。

結果的に
 石井四郎が、731部隊での総ての資料をアメリカに引き渡す事を条件に、
 731部隊全員を戦犯とはしない
というアメリカとの取引の条件として、膨大な資料はアメリカに引き渡された。


しかし石井四郎は、731部隊の解散に際して全員に、
戦後は如何なる時であっても
731部隊にいた者は、お互いに連絡し合うなどは絶対に、これを禁ずる
と申し渡しをしたと言う。

これは即ち、連合国側の事情の変化によって、
731部隊であった者からの事情聴取ということにでもなった場合は、
下手をすると全員検挙≠ノもなりかねないことを懸念したものであつた、。

しかし戦後いかにアメリカが、731部隊の資料の全部を手に入れたからと言っても、
全く731部隊についてその責任の追及をしなかったのは、
風船細菌爆弾によるアメリカ側への731部隊による被害も損害も
現実問題としては殆どになかったからではないのか
と思われるが如何なものであろうか。
さて どうだろうね。何とも言いきれないけど。
いずれにしても BC兵器は使いどころが難しい というのは今も昔も変わらない。



731部隊・中野学校・登戸研究所 日本陸軍の殺人光線開発計画
http://homepage3.nifty.com/time-trek/else-net/1945-4.html
昭和二十年(1945)四月
たばこ屋の婆さんに聞いたとおりに坂道を上って行くと、右に曲がった先でいきなり建物に出くわした。
看板に 『登戸研究所』 とある。学務課で貰った略図を確認すると、名前は違うが場所は同じだ。
念のために買って置いた市販の地図には、この周囲全体に文字らしいものが一切ない。
何もないところに駅だけは書いてあるから極めて不自然な感じがする。
守衛所があるが、こちらに関心を示す様子はない。特に不審がられてもいないようだ。
「陸軍の科学研究所に行きたいのですが … こちらでいいのでしょうか?」
恐る恐る訊いてみる。
「用件は?」
否定も肯定もしないが、要するにここらしい。鞄から " 大槻少佐殿 " と書かれた封筒を取りだして渡すと、
送話器を外して横のハンドルをぐるぐる回し、どこかと何やら話している。
「 … ええ、鳥養教授からです。あ、四科へ直接 … ハイ、わかりました」
守衛係は送話器を置き、メモ用紙を取りだして何やら書き、
「お待たせしました」
と改めて敬礼をした。
「そこの入り口をですね、二階に上がり、ここを曲がって直ぐの部屋が四科です。科長にこれを渡してください」
守衛の階級は見習い士官らしい。

メモの略図を辿って四科へ行くと大槻少佐が座っていたが、
全然軍人らしくない顔付きの人だ。そこでまた封筒を渡す。
大槻少佐
http://homepage3.nifty.com/time-trek/img/0-ohtuki.jpg
(大槻少佐)
「けさ着いたのか?」
「はい。科学研究所と聞いていたのですが、よくわからなくて … 少々まごつきました」
「科学研究所は現在十箇所の技術研究所に分割されておる。
 ここの正式名称は第九技術研究所だが、防諜上看板は出せんからね。
 科学研究所の登戸出張所だったから、登戸の研究所と仮称しているだけだ」
「市販の地図にはありませんでした」
「当然だ。スパイがいるから身辺に気を付けるように。ではこれを庶務の大林曹長に渡してくれ給え」
スパイがいるのか … 少し恐い感じがする。
なにせ秘密研究所なんて、生まれて始めての経験なのだ。
これから何が起こるのか知らないが、とりあえず庶務課へ行って書類を渡した。

看板は単に登戸研究所だが、証明書類には " 陸軍 " を入れるらしい。

小田急で新宿に行き、定期券を買った。研究所の表門は稲田登戸駅が近く、
裏門は東生田駅の方が近いそうだ。
下宿は西荻窪だから小田急線と省線の中央線の二枚が必要になる。

小田急線から省線へ乗り換えるには、地下の暗くて長いトンネルをくぐらねばならない。
時間が意外に長くかかるようだ。小田急線は誰でも乗れるが、省線は公用以外の人は乗れないのである。
下宿で一晩ゆっくり寝てから、小田原まで荷物を取りに行かねばならない。

荷物の中には密かに、命の次の次くらいに大事な短波受信機が忍ばせてある。

新宿で乗り換えるとき、折角だから戸山ケ原一帯を散策に及んだ。
登戸研究所の前身 『陸軍科学研究所』 は感慨一汐である。
なにしろ今日からは関係者の一員なのだ。

少し歩くと軍医学校の前に出た。
軍医学校や科学研究所は、満州の秘密部隊とともに生物兵器の研究をしているらしい。
しかも登戸出張所というから今の登戸研究所だ。
そして研究の中心は京大医学部とのこと。

東京へ来て気付いたことは、アメ鷲が投下する宣伝ビラの多さだ。
拾って所持していると罰せられるのだが、皆が持ってる。

そのビラの一つに中波の Voice of America の紹介があった。
http://homepage3.nifty.com/time-trek/img/0-voa.jpg
いつか短波放送で日系人の日本語翻訳部隊を編成したような話をしていた。
だから恐らく連中の仕事らしいが、このままじゃ Voice of America が 『声のアメリカ』 になっちゃうよ。

日本人は右から左へ書くからアメリカの声と読むだろうと思ったのかも知れないが、
いまの日本人で Voice of America の存在を知ってるものなんか殆ど居やしない。

この中波のサイパン放送は最初 1,010 キロサイクルだったが
日本側の電波妨害つまりジャミングを避けるために
850〜1,100 キロサイクルの間を順次変更しながら放送しているらしい。
妨害側は頻繁に変更されると作業が大変なのである。

下宿には何軒かの家の真ん中に井戸がある。
そのまわりの樹木に B29 が投下した宣伝ビラが引っかかっていた。
あまりにも多いと、みな慣れてしまって誰も拾わない。
だからビラも次第に派手になる。これはまた色刷りの惨劇ものだ。
http://homepage3.nifty.com/time-trek/img/0-dentan9.jpg
でも今どき、こんな着物を着たご婦人なんか、どこにも居やしないのだがね
それに家の中で靴や草履を履いている。
裏には、こんなことにならないように直ちに政府に戦争をやめるよう要求しませう とある。
せっかく命懸けでビラ撒きに来るんだから、作る人はもう少し考えた方がいいんじゃないの?

なかには戦争指導者向けのものもある。
http://homepage3.nifty.com/time-trek/img/0-dentan99.jpg

これは日の丸の旗が順次折られて行って、次はいよいよ本土だぞ、という設定なんだろう。
http://homepage3.nifty.com/time-trek/img/0-dentan-tokei.jpg
かなりいい出来の部類に入る。
今でこそ散らかったゴミ扱いだが、とって置けば後年記念の品になるかも知れぬ。
案外高値が付くかも知れないが、そこまで自分が生きている、という保障はどこにもない。


沖縄戦の次は本土上陸だろう、ということは殆どの人が感じてはいるが、
沖縄はサイパンや硫黄島に較べれば ずっと大きいし、
それまでになんらかの休戦とか講和の動きがあるかも知れない。

しかし軍部には本土を焦土と化しても徹底抗戦をしようという人々もいる。

いずれにせよ国民としては
自分たちでは もはや どうにもならない し、
台風とか地震のような災害と同じような感覚に陥っている。

不満を持っても どうなるでもなし、
いずれにしても 撃ちてし止まん、などと本気で思っている人も
実際には殆どいない。
大空襲も 次第に嵐が襲うような感覚 になり、
万事が思考停止の状態だ。

いよいよ明日から登戸研究所へ通勤だ。ところでドイツ方面はどうなっているのだろうか …

短波の VOA によれば、
イギリス軍がドイツ北部から、アメリカ軍はドイツ中部から南部へ進撃してエルベ川に達したらしい。
エルベ川といえばハンブルグを通って北海に注ぐ川だ。
ベルリンからも 100 キロしか離れていない。
http://homepage3.nifty.com/time-trek/img/0-elbe-river.jpg
もうそんな状況になっているのか …

引き続いてヒトラー総統の近況に関する解説が始まった。
先月中頃からドイツ軍はヒトラーの命令で、
ブダペストの奪還と、油田確保のための 『春の目覚め作戦 Operation Frühlingserwachen 』 を行った。
しかし失敗し、これにより組織的兵力としてのドイツ軍は事実上に壊滅をした。

早速に米軍機がベルリン情勢を知らせるビラを撒いた。
http://homepage3.nifty.com/time-trek/img/0-dentan-d.jpg

早朝、いよいよ初出勤だ。
空襲がなければ花見のころだが、今は散る花びらが不吉に見える。
花は桜木、人は武士 … 武士は食わねど高楊枝 … 皆すき腹を抱えて職場へ急ぐ。

医務所で 『三種混合』 という、なにやら得体の知れないものを注射された。
この注射は、打ってから二時間は熱が出て、全身がだるくなる、という。
「ここで寝ていろ」 と言われて案内されたところは、
四階建てで中が吹き抜けになった背の高い木造の建物だった。

二階の踊り場に、なんだか柔らかい大きな気球を畳んだようなものが重ねてあって、
その上に横になって午前中はそこで休むように、と言われた。なんだかフワフワして実に快適だ。

気球らしきものは和紙に何やら処理してあるのか妙に柔らかでツルツルである。
以前、弾薬庫に学徒動員で火薬を充填したとき指がツルツルしたことがある。
あ!、グリセリンだ、と途端に気付いた。試みに指を舐めてみると確かに甘い。
http://homepage3.nifty.com/time-trek/img/0-balloon-3.jpg
それは作戦中止になった気球爆弾のなれの果てであった。

中央に高圧発生装置と天井から吊り下がった長い碍子がある。
その横にサーチライトを大きくしたような巨大な放物鏡があった。
まことに異様な風景だが、ピンと来た。それは殺人光線の実験装置だったのである。

コンクリートではなく木造なのは、壁に火花が散らないようにするためだろう。
四方に観察用の階段があった。
壁に沿って斜めに登り、また水平の廊下になる。
その水平の部分が四階分ある。

高圧発生装置と紫外線ビームの組み合わせは、なんのことはない自分も少年時代に夢見た着想だ。
電離されたビームは電離層のように電気の良導体になる筈だ
だから電撃式殺人光線が可能な筈、などと思っていたが、今そのホンモノの装置が目の前にある。

もし本格的な電気工学を学んでいなかったら、" 俺も同じようなことを考えていた " 、と嘯くだろう。
恐らく同じように思う人が何百人も何千人もいるかも知れない。
だが単なる思い付きと、基礎の学問を土台にした現実の技術開発計画との間には天地の隔たりがある。

鳥が空を飛ぶのを見て、翼を身につければ飛べる筈だと思うのと、
実際に飛行機を設計し製造するのとは同じではない。
リリエンタールの飛翔機械と、いま東京の上空を脅かしている B29 との間には実に大きな差があるが、
目前の恐ろしげな実験装置も、将来は何かに進化し変身して行くのだろうか。

横になってから三十分も経過したのに、熱も出ずかつ何ごとも起こらない。
誰もいないところで何ごともないままじっとしているということは、退屈以外の何ものでもない。
少し散歩をしようと建物の中を歩き回った。とある机の上に軍事秘密というケースがある。
もう軍事秘密研究の当事者の一員になっているのだから別に構わんだろうと抽き出しを引っ張ったが、
これがまたやたらに重い。" えーいっ! " と力まかせに引くと突然飛び出して中身が周囲に散乱した。
ザラザラッと散らばった銘板には 『鳥養教授委託研究』 とあった。
鳥養教授 … 京大の電気工学の重鎮である。
電気工学教室の各教授はみんな弟子だ。
四科々長の大槻少佐もまた鳥養教授の弟子の一人なのだ。
何やら 風立ちぬ を読んでいるようだw
大林曹長が入って来た。
「なんともありませんよ。熱も出ないし、特にだるくもならないし … 効いてるのかなあ?」
「体質だろ。時々そういう変わり者がいる。じゃ、休んでるところを悪いんだが … 」
曹長は知り合いの息子だという若い男を連れて来て、
「相沢というんだ。話を聞いてやってくれ」
所属は一科だという。
「精密機械が専門なんだけど、アメリカ軍の VT Fuse の解析をやらされてね、
 これがさっぱりわからんのですよ。
 図面はこれなんだけど … 電気の専門家が来ると聞いたもんで、早速曹長に頼んだ、というわけで … 」
見ると瞬発信管の結線図らしい。
「じゃあ預かって置きましょう。少し時間が掛かると思うけど」
「助かった! ところで、少々考えていることがあるんだけど」
彼は一枚の紙切れを取りだした。P-51 が撒いて行ったものだという。
http://homepage3.nifty.com/time-trek/img/0-dentan-7.jpg
「これ、変だと思わない? 二世の幼稚な日本語とは違うしね、
 恐らく捕虜になった学徒出陣の連中ではないだろうか」
「だとすると、持ってると危険じゃないかな」
「その点は大丈夫だと思うよ。なにしろ研究所の証明書があるんだから。
 研究資料だ、で済むことだ。もともと第九技研は謀略も仕事の一つだし… 」

謀略か …
案の定、翌日には中野学校(東部33部隊)の教本を渡された。
第九技術研究所、つまり登戸研究所と協同で作成されたテキストである。
漏洩すると 『軍機保護法』 で処罰され、その最高刑は 『死刑』 だそうだ。


特に印象に残ったところは
戦争には休戦講和あるも、秘密戦には休戦無く講和無し
の部分である。
現代各国の情勢、或いは将来の傾向を勘考し、或いは過去の歴史を観るに、人間世界に絶対的平和境の発現するは到底これを望むべからず。即ち平和とは、その時間に於ける相反する力の平衡状態が保持せられあるに過ぎずして、平衡破壊が忽ち戦争となるものなり。如何なる国家と雖も戦争を覚悟し、軍備を保有しあるものにして一朝戦争行為に出んか必ず勝利を占めざるべからず。


また関東軍の石井四郎中将麾下の六五九部隊が捕虜の生体実験をしているらしいが、
満州のピンファン(平房)にある施設が中心で、ここは七三一部隊と称するらしく、
登戸研究所の二科が生物兵器の協同開発をしているとのことだ。

どうも我々が受けた教育や、それに基づく戦時研究は、
たとえ今次大戦が どのような終わり方をしたとしても、
次の戦いのために研究開発を引き続き行うことを前提にしたものらしい。

上の偉い人達は、もっぱら信州の山奥へ逃げる準備に懸命である。
なにしろ謀略や諜報の類も仕事の一つとする研究所だから、
米軍の動きは中立国にいるスパイを始め、いろんな機関や方法を通じて あらかたは把握しているのだ。

ここいらにしておこう、小説か何かだと思うが 此の後の話も 思ったより良く出来ている。
元の何かの話が有るのだろうか?


http://www.cek.ne.jp/~k-akasu/8-3.htm
「大量の濾水管は、帝国医療のしるし“松風”」

なぜ伊那村にあるのか?
それは、「登戸研究所」が川崎の登戸から伊那谷に疎開した1945年(s20)5月に、
列車にて大量の荷物が運び込まれました。
その中に濾水器やその部品がありました。
終戦とともに それは不必要となったのです。

直径8.5cm、長さ46cmの円筒の部品には、
両端の金属部分に「軍事秘密」と刻印され、
また“風”の記号が打たれています。帝国医療のものです。

なぜ伊那村と周辺の町村へ“登戸研究所”が疎開したのか?
長野市の松代への大本営の移転との関連はどうなのか?

戦前、731・石井部隊長と伴氏は当然に仕事柄の関係がありました。
しかし悪名高い石井四郎731部隊長は、戦後に何らの責任も問われていません。
終戦後、伴氏は占領アメリカ軍(GHQ)にドルだてで雇われ、米国へも行っていたそうです。

俺はね、
水俣病などなどの重松逸造 が 手足口病な川崎病にも関わっている と知った時に
此の話を書くしかない と思った。
長年に思っていた事が此処で繋がっているんだろうな、と考えてしまうようになったからね。

731部隊を軸にしたBC兵器や軍事医療関係の資料や人材などなどの「情報」は
アメリカ軍へ接収をされたのだろう。


そう考えると あの頃から今へ至る 様々な事は 大概に分かりやすく説明が付くからね。
昔の人達ならば 帝銀事件から 其の先を想像していたのだろうけど、
今に起きている事もまた 其の殆どが連続して続いている としてしまえば
大概に分かりやすく説明が付いていしまうだけだよね。

その延長線上に有る A兵器の被曝と汚染の話 E兵器の構造と解析の話 もまた同水準の軍事機密で有り
今も接収されまくっているのだろうし、
もしくは 其の軍事機密のCIAアメリカUSAと「日本人と日本」の攻防戦や
モサド系やEU系や中華系やロシア系などなどの横槍も少なくないのだろう。
其処には不思議な人間関係や宗教関係の内情も絡み合っているのだろう。
結局にカネの話でも有るから 官憲警察やヤクザ暴力団の蛮行だって多くに絡んでいるのだろう。

いずれにしても 馬鹿で豚にすぎない一般民衆からすれば 空の向こうの話にしか見えないのだろう。
屠殺とは 其処で起きるんだけどね。


http://www.cek.ne.jp/~k-akasu/8-3.htm
メ モ <陸軍中野学校>
・陸軍中野学校は、諜報、宣伝、謀略などの秘密戦にたずさわる要員の人的養成機関であった。
・登戸研究所は、秘密戦をささえる資材、機材の研究、開発、製造機関であった。
・ニセ札での経済謀略において、中野学校の果たした役割は大きかった。

メ モ <731部隊とは>
・満州第731部隊(関東軍防疫給水部)
・日本陸軍の細菌戦部隊
・世界で最大規模の細菌戦部隊は、日本全国の優秀な医師や科学者を集めて、
 3000人の捕虜を対象に生体実験を行い、細菌兵器の大量生産を急いだ。
・この技術とノウハウは、現在の米軍生物化学戦部隊に受け継がれている。
・第731部隊の記録は、終戦と同時に完全に抹消され、戦史の空白となっている。
・最高責任者の石井四郎中将は戦後も何らの責任も問われていない。

<100部隊とは>
・関東軍、軍馬防疫廠
・もう一つの細菌戦部隊
・731部隊の研究成果を基礎に、家畜と植物を対象とした細菌戦部隊。

<第9研がかかわった人体実験>
<薬の使用目的>
・敵地に潜入した情報員が捕われたとき、スキを見て看守を薬で殺し、脱出する時間稼ぎ。
・敗戦時の自決用として考えられた。飲んですぐ倒れたら後から飲むものが勇気を失うので、5〜6分の猶予をおくようつくられた。

昭和18年10月(1943)―上海特務機関の一室。相手は中国人捕虜。
3人づつ部屋に入れられ、白い手術衣の軍医(実は第9研究所員)が
「いま伝染病がはやっている。もし発病したら日本軍も困るし、君たちもつらい。
 それで、今日軍医が予防薬を持ってきた。
 飲み方は @第一薬を飲み Aすぐあとで第二薬を飲む」
と説明し、軍医も衛生兵(憲兵)も茶碗へ注いだ薬を飲んだ。
もちろん毒薬は捕虜のみに飲ませた。結果は予想通りうまくいった。
5〜6分たつと激しく苦しみだし、四股を引きつらせ昏倒し、2〜3分の後絶命した。
青酸カリなら即死だが、5〜6分後に倒れるという
この毒物の成果は、これで実験済みとなった。

昭和16年五月22日(1941)から、場所は南京の病院。
相手は支那人捕虜の男30人を毒殺する実験。
紅茶の中に薬をいれ、試験官と一緒に飲む。毒薬は捕虜のみ入れる。
島倉氏の供述
「青酸カリは沢山やった。
 完全死まで注射3分、飲ませて5分〜10分、
 心臓が止まるのが10分位。(飲むとすぐ倒れる)

 ↓
帝銀事件とは何だったのか?
http://ameblo.jp/aqgel/entry-10011385227.html

帝銀事件とは何だったのか? 2
http://ameblo.jp/aqgel/entry-10011399723.html

帝銀の椎名町支店の犠牲者の遺体解剖で、飲まされた薬物は青酸性の毒物と判ったので、
早速に捜査当局は松井博士の名刺の線とは別に、
青酸性の毒物は何処から出たものであるのかを求めて捜査を始めた。

とにかく特殊な薬物であるので、それを扱っていた所も特殊な機関などである、
もう既に戦後も3年も経っていたので、警察関係では731部隊でのことなどは周知の事であった、
捜査員は小田急線の登戸に在った
731部隊の支隊とも言われた登戸研究所≠フ、戦時中の関係者であった人を訪ねて情報を探った。

実際に登戸研究所の研究員であった人の話によると、
・一般に使われている青酸カリでは即効性であるので、
 12名もの人を同時に死亡させる事は困難で、
 服用してから1分ないしは2分ぐらいの遅効性がないと、
 今回のような犯行は不可能である

戦時中に登戸研究所≠ナ開発をした謀殺兵器であった青酸ニトリール≠ノ酷似している
・この青酸ニトリール≠ヘ戦中当時、極秘の毒物であったので、
 終戦の時に持ち出したにしても、登戸研究所のその部門の関係者でなければ、不可能であったはず
との話であった。

捜査員は青酸ニトリール≠フ部門に属していた人たちの、洗い出しを始めたが、
これが全く雲を掴むような話であった。
なにせ前述のように731部隊を解散をするときに、
石井四郎は戦後はお互いに連絡をし合うことを禁じた為に、
漸くに登戸研究所≠ノいたと言う人に辿りついても、それから先の人には繋がらない。

しかし捜査員に接した人たちは、銀行員の12名の毒殺と言う悪魔のような犯行に、
その犯人に辿り着くべく日夜を問わずに辛苦を重ねている捜査員の苦労を思って
この場限り≠ニ、念を押してある有力な情報をくれた人がいたという。

その人の情報によれば登戸研究所≠ノいたという人は、
終戦時佐官級の人で、毒物部門の担当官であった人で、今は千葉県に在住であると言う。

やがて その人の住所を突き止めた捜査員の調べによると、
帝銀事件のあった23年当時に其の人は無職であって
あの事件のあった前後には、かなり度々都内に行っていたことは確認が出来た。

捜査員はその人の尾行を始めてから公園で、写真をとる事ができて、
戦闘帽をかぶったその人の写真を、2件の未遂事件のあったそれぞれの行員たちに見せたら
かなり似ている≠ニの反応があって、
帝銀の生き残った4名に見てもらったらやはり似ている≠ニ言う返事であった。

白地の腕章をつけて厚生省から来た≠ニ言った犯人も戦後の事とて やはり戦闘帽をかぶっていた。
 あとは何かの理由をつけて、家宅捜索をすればよい
そして其処に青酸ニトリール≠ェあれば それで決まりだ。


しかしその頃、当時の捜査本部長はGHQの担当官に呼ばれていた。
それは捜査本部が
 登戸研究所≠ノいた毒物の担当官であった者について、
 捜査を進めている件について
であった。

当時は未だ日本の戦犯を裁いている東京裁判は終わってはいなかった。
であるから此処で
 アメリカが、その罪を問わないとした日本の細菌戦部隊員による事件
が国内の銀行での事件ではあっても その一部が、解き明かされようとしているのは
アメリカの立場としては極めて都合が悪い
という事であった。

それは即ちソビエトが、
 日本の細菌戦部隊にいた者が戦後とは言え、
 このように多数の人間を自分の部隊が開発をした毒物を以って殺して、
 警察の捜査も入っている。
 ならば戦時中は、これらと比較にならないほどの多数の人間を、
 細菌兵器の開発の為に殺した 実際に使用を燃して殺した の可能性も低く無いのだから
 アメリカが、戦後はその罪わ問わないとしたのは全く不当である。
 「アメリカはすべからく、細菌戦部隊の罪を当法廷で問うべきである」
とロシヤに動議でも出されたら困るという事であり、
更にアメリカの担当官は
「既に日本の警察は、平沢なる男を犯人として逮捕をしているではないか」
とも言った。

確かに平沢は23年の8月に逮捕をされていた。
しかし警視庁は、平沢と青酸の毒物とが結びつかない為に、
登戸研究所≠ノいた陸軍の佐官であった者にその焦点を絞っていたが、
なんと言ってもアメリカの占領下である。

そのアメリカが都合が悪いと言えば、それをあえてやるわけには行かなかった。
因みに東京裁判は23年の11月で終わっている。

そして陸軍の佐官であった人は、それから数年後に病気の為にこの世を去った という。


帝銀事件とは何だったのか? 3
http://ameblo.jp/aqgel/entry-10011445915.html
帝銀椎名町支店で12名の行員を毒殺をした犯人とされた平沢は
小樽で逮捕されて東京に送致された段階で、
拷問にも等しき過酷な取調べの末に、帝銀事件について私がやりましたと℃ゥ白した。

警察の方は、青酸劇物の入手方法とか、
16名もの行員に揃ってそれらを飲ませた要領とか手順などについて、
前に平沢が青酸劇物を扱った経験があったのかどうか、
あったとすればどのような場面で扱った経験があったのか
などについては、詳しく取り調べたのかどうか、一般には知らされてはいない。

平沢は、銀行に預金とした金の素性については、遂に説明をすることもなく、
昭和30年にはその死刑が確定をした。
しかしの死刑は執行される事もなく、在監39年と言う世界記録を残して、
最後は医療刑務所で、95才の多難であった人生の幕を閉じた。

歴代の法務大臣は、誰一人として平沢の死刑執行書に、印をつこうとした者はいなかった。

警察での帝銀事件の真犯人は、
登戸研究所≠ノいた、あの陸軍の佐官であった男、と言う結論であったようだ。

かつて 非加熱製剤≠ノよって586人と言う数の人がエイズになってしまう大問題 があった。
薬害エイズの原因となった血液製剤は
ミドリ十字・日本臓器製薬・バイエル薬品・バクスター・化学血清療法研究所)によって供給され、
この中で最初に非加熱製剤を輸入したのはミドリ十字≠ナあった。

ミドリ十字は、
戦時中に陸軍軍医学校防疫研究室≠フ主任であった内藤良一≠ノよって
昭和25年11月に設立されている。

この防疫研究室の主幹は、細菌戦部隊の長であった石井四郎≠ナある。
そして内藤良一は実質的には731部隊の参謀役でもあった。

朝鮮戦争でアメリカ兵への輸血の必要が生じた事を契機に、
内藤良一は売血制度を中心として日本ブラッド・バンク≠創設した。
そして731部隊の幹部であった北野政次≠ェ東京の工場長であった。

もし731部隊の幹部が戦犯とされていたら、数名の絞首刑が出たであろう。
しかし一切が免罪をされて 其の情報の多くはアメリカへ接収され
その人材の多くは戦後も全く同じような動きをし続けた。

話の顛末は其処で終わらない。
https://twitter.com/tokaiama/status/285289867099918336
日本ブラッドバンクは数百万の肝炎患者拡大を引き起こしたが不問とされた。
ただし閉鎖はされた。
けれども そのまま放射線検診協会へと名を変えて 事実上には存続し続けた。
児童を結核から守るという屁理屈で、
法的強制によって全員レントゲン被曝させられた。
 一枚10mSv 乳ガン肺ガン患者製造装置
レントゲンが安全 とされる嘘デマ扇動は 其処から始まっている。


なるほどね。
結核の話の向こう側には そもそもにBC兵器の実働部隊が居た というだけの話だったのね。
結局にはA兵器と合流をして今に至る訳だけど。



http://search.yahoo.co.jp/search?tt=c&ei=UTF-8&fr=sfp_as&aq=-1&oq=&p=%E7%99%BB%E6%88%B8%E7%A0%94%E7%A9%B6%E6%89%80+%E4%BA%8C%E7%A7%91&meta=vc%3D
「登戸研究所 二科」の検索


第3回明治大学平和教育登戸研究所資料館記念証言会「元登戸研究所勤務者が語る“陸軍の秘密研究所”」
http://www.meiji.ac.jp/noborito/info/2012/6t5h7p00000ecsbh.html

陸軍の秘密戦研究所
http://www.meiji.ac.jp/noborito/info/2012/6t5h7p00000ecsbh-att/a1360830976034.pdf

明治大学平和教育登戸研究所資料館
http://21432839.at.webry.info/201205/article_4.html
「登戸研究所」は、秘密戦のための兵器の研究・開発を行う旧帝国陸軍に属する機関で、
現在の川崎市多摩区にありました。

最盛期の1944年には敷地面積11万坪、建物100棟余、技術将校・技師・技手など幹部所員250名、
一般雇員・工員など合わせ総勢1,000名に達する大規模な研究所でした。

猶、秘密戦とは戦争に付随して行われる水面下の戦いで、
防諜(スパイ防止)
諜報(スパイ活動)
謀略(破壊・攪乱活動・暗殺)
宣伝(人心の誘導)
の4つの要素から成り立っています。

明治大学は、戦後、この登戸研究所の敷地のうちから3万坪の払い下げを受けて大学用地とし、
建物や施設をそのまま利用して1950年に「生田校舎」を開設しました。

現在では殆どの建物や施設は建て替わっていますが、残された昔のままの建物の一つが改装されて、
このたび「明治大学平和教育登戸研究所資料館」として生まれ変わりました。

これまで闇に葬られてきた登戸研究所の戦後について、
「敗戦と登戸研究所」と題したパネルに
「証拠隠滅・解散→接収→召喚→免責→協力」
の流れが説明されていましたので、これについて要約します。

1945年8月15日、敗戦と同時に陸軍省から証拠隠滅のための極秘命令が出され、
登戸研究所では機密文書、兵器等の徹底的な証拠隠滅作戦が行われ、翌16日に解散式が行われました。

一方、アメリカは日本各地の施設を次々に接収すると同時に、関係者を召喚し、
秘密戦に関わる情報を、冷戦が進む中でソ連より早く収集しようとしました。
しかし関係者の口は重く、尋問はスムースには進みませんでした。

こうした中、極東国際軍事裁判(東京裁判)の公判中、
アメリカはソ連が731部隊関係者への尋問と訴追の準備をしているとの情報を入手しました。
アメリカはソ連によって秘密戦情報が暴露・独占されることを恐れ、
日本側へ免責を条件に、非協力的であった秘密戦関係者に情報提供を促しました。

その結果、アメリカは関係者より情報やサンプルを入手し、
日本の秘密戦研究とその実戦に関する戦争責任は、東京裁判で不問に付されました。

こうして関係者の協力によってアメリカに渡ったデータとノウハウは、
朝鮮戦争やベトナム戦争に継承されて行くこととなりました。


http://www.meiji.ac.jp/noborito/guide/
明治大学 登戸研究所資料館 館内マップ

http://ameblo.jp/hoshitukiyoru7/entry-11602792979.html
科学と戦争 戦後の歴史から消えた陸軍登戸研究所──殺人光線、 生体実験など血の汚点
偽札作った理由は
 インフレで蒋介石政権を揺さぶるため、
 1940年ごろから約45億元分が作られた
そうです。


http://blogs.dion.ne.jp/yohaku/archives/10547308.html
「敵に證據を得らるる事を不利とする特殊研究は全て證據を隱滅する如く至急處置す」
陸軍省軍事課より昭和20年8月15日に通達された「陸軍省軍事課特殊研究処理要領」の方針に従って、
地上から存在を抹殺されたのが第九陸軍技術研究所、通称「陸軍登戸研究所」です。

戦後、建物だけが残された跡地は、慶応義塾大学・北里研究所を経て、明治大学生田キャンパスとなりました。かつて陸軍登戸研究所で使用された施設の多くは失われたましたが、唯一残された建物である36号棟(名称は慶応時代のもの)を修復して、明治大学平和教育登戸研究所資料館として平成22年(2010)3月に開館し、「処置」から生き残った資料を展示しています。

陸軍登戸研究所は、日本軍の「秘密戦」の頭脳となっていた機関です。

組織は4科に分かれ、
第一科は、「ふ号兵器」、「く号兵器」など特殊兵器の研究・開発。
第二科は、スパイ器財および生物化学兵器の研究・開発。
第三科は、贋札、特に中国法幣の製造。
第四科は、第一・二科の研究品の製造および補給。


『陸軍登戸研究所の真実』を著した伴繁雄(故人)が第二科の技術少佐であったことから、
氏の証言によって活動の断片が掴むことはできます。
また近年発見された『雑書綴』という資料には、
機密事項は無いものの、人や物の移動から、第二科の活動の実態を類推することができます。

第三科の贋札製造は、中国にインフレを起こすつもりが、
国民党政府が高額紙幣を次々発行して自分でインフレを起こしてしまった
という笑い話のようなオチが着いています。


http://www.rikugun-noborito.com/

http://hamarepo.com/story.php?page_no=1&story_id=1211

おそらく 明治大学の展示の情報を既成事実化して 実態の中身の向こう側を探らせようとしない、
其の情報工作の技術の跡だけが明治大学で展示されているのだろうね。

登戸研究所の表に出てきた情報を見ておきながら
その向こう側を類推する事も無く素直に信じるウツクシイ人達は きっと幸せに死んでいけるだろう。




https://twitter.com/onodekita/status/386771048646971392
日本がこのままの暫定基準で食事をとり続けた場合の平均寿命
ウクライナ保健省が出した数値
2012年 男 79 女 86
2017年 男 63 女 72
2022年 男 48 女 55
2027年 男 40 女 43
2032年 男 35 女 31


誠天調書 2011年03月26日 東日本は腐海に沈む、腐海のほとり で生きるとは。 幼き者達ほど短命に しかも残酷に終わる人生しか残されていない、を教えなければならない。
http://mkt5126.seesaa.net/article/192525861.html
大雑把に適当に言えば
 20代以上の平均余命は10年ほど縮まります
 10代後半の平均余命は15年ほど縮まります
 10代前半の平均余命は20年ほど縮まります
 10才〜3才の子供達の平均余命は25年ほど縮まります
 3歳以下の子供達の平均余命は30年ほど縮まります
 これから生まれてくる子供達の平均余命は40年ほど縮まります

 だから「すぐに危険ではありません」

という事ですから御安心してくださいね。
消費税を25%にする事へ賛成する者のみ 余命を5年だけ伸ばしてあげましょう。

自分だけは大丈夫 詐欺になんか騙されるはずが無い 周りの皆が馬鹿なだけ、
と理由もなく信じて思いこむ“幸せな家畜”や“無自覚な下僕”は
今日も素敵な一日を送ってましたね。

戦争や略奪 この世の地獄は遠い空の向こうの世界の話 とか何の理由も無く安直に信じている人達は
今日も素敵な一日を送ってましたね。

本当に本当に 心の底から悔しい。 己が無力を 嫌というほどに味わっている。


活動的平均余命の国際比較
http://www.pfizer-zaidan.jp/fo/business/pdf/forum3/fo03_020.pdf

日本の平均寿命は世界一だが
「痴呆した老人」の時期 を「活動的な平均余命」から差し引いた場合 欧米以下へと転落する。

逆に言えば この問題が日本にあって如何に深刻なのか という意味でもあるんだけど
まぁ ほどなく解消されそうですね。 違う意味で。



https://twitter.com/takec1068/status/387567938896547841
私たちはね、今度の事件でこっぴどく思い知らされたんだ。
インダストリアがどうなるかで、このハイハーバーの運命もまるで変ってしまうことにね。
どうやら私たちは平和に慣れ、すっかり臆病になっていたらしい。
(未来少年コナン 20話)

https://twitter.com/takec1068/status/387567995897143297
オーロのことだって事を荒立てたくない一心で ああなってしまった。
それを君たちが いっぺんに突き破ってくれて、 私は目の覚める思いをした。
やはり、これからの世界は、君たちが築いていくんだね。
(未来少年コナン 20話)

https://twitter.com/takec1068/status/387568303830339585
 私たちはね、今度の震災でこっぴどく思い知らされたんだ。
 原発がどうなるかで、この福井の運命もまるで変ってしまうことにね。
 どうやら私たちは平和に慣れ、すっかり臆病になっていたらしい。
これは、俺が3.11を経験して本当に感じたことだ。

https://twitter.com/takec1068/status/387569080779030529
 福島のことだって事を荒立てたくない一心でああなってしまった。
だが、それを誰かがいっぺんに突き破ってくれて、目が覚める思いをさせてくれるようなことはなかった。
だから自分たちが、これからの世界を築いていく当事者であるんだ
と、自ら自覚して行動していくしかないと思うしかなかった。

https://twitter.com/takec1068/status/387569588667305984
どうしようもない現実に直面したときに、人は、せめて楽にありたいと願うものなのかもしれない。
どうしようもない現実と思っている現状は どうしようもない現実だ、
と思わせなければ行動してもらうことができないのだろうか?
その明確な答えは、俺にはまだない。
ただ、できることはしようと思う。

https://twitter.com/takec1068/status/387569893802913792
福島の人にも、諦めてほしくないという思いはある。 すこしづつでもできることをしてほしいと。
だけど、それを強要はできない。
俺は、俺の場所で、できることをやることしかできないんだろうね。

https://twitter.com/takec1068/status/387582554515062786
プレザンス神父
「焦ることはない。きみは十分に頑張った。
 人の心を変えるには時間が必要だ。
 我々は神ではないのだから、一歩ずつ進むしかないよ。」
プレザンス神父@タクティクスオウガ エンディングセリフから

https://twitter.com/takec1068/status/387582732173180929
「・・・奇蹟を求めてはいかん。所詮、奇蹟は幻だ。
 本当の変革は日常の中からのみ、生まれてくるものだ。
 日々の暮らしを大切にできぬ者に奇蹟を語る資格はない・・・。」
プレザンス神父@タクティクスオウガ エンディングセリフから

https://twitter.com/tetuo64/status/387940878113046529
法が完全だなんて思っているヤツは ただのバカ餓鬼。

https://twitter.com/tetuo64/status/387941000007929856
むしろ、法を越えたところでないと、人間のなんたるかは分からないんじゃないかな。

さりとて 法を守るの中身を知らない者達もまた ただの野蛮人 でしかない。
その両方を己が胸一つで如何に見定めていくか にこそ 人としての厚みが有る。
こんな事は言うまでも無い話だとは思うんだけどね。







posted by 誠 at 23:59| Comment(2) | TrackBack(0) | (゚∀゚) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
「輿水正氏10.17高裁法廷に於て奇形司法裁判官を日本国憲法99条違反内乱罪で威風堂々告発す」

大大々々大ニュースです!ユダ金地位協定治外法権奇形司法が日本国憲法の威力でぶっとびました!

以下をご覧ください。

http://richardkoshimizu.at.web.....e_135.html
不正選挙裁判東京高裁102号:裏社会は飼い犬のごろつき裁判官を使って強引に「不正選挙裁判の幕引き」を
<< 作成日時 : 2013/10/19 07:40

不正選挙裁判東京高裁102号:裏社会は飼い犬のごろつき裁判官を使って強引に「不正選挙裁判の幕引き」を仕掛けてきました。

手口はシンプルです。

原告の訴状、証拠、提出と被告の答弁書の提出を以て、即座に結審を宣言してしまう。原告に発言の機会を与えない。

追加の証拠を当日提出しようとすると、「遅すぎる」と却下しようとする。

RKが立ち上がり、「証拠が直前になって出てきたものを採用しないのはおかしい」と語気強く主張。仕方なく、裁判官3匹はいったん退廷。(新証拠を出されると次の公判日を設定せざるを得なくなり、即日結審という目的を達成できなくなるので、却下しようと必死になる。)

傍聴席にざわめき。「国民が見ているぞ!」との傍聴席からの叫び。

裏社会御用達の裁判官3匹は、しばし悪巧みの上再出廷。証拠の動画をその場で検分することになり、TVにて再生。(その場で動画を検証したことにして、不採用と宣言してしまえば、即日結審できるから。)

裁判長の斎藤は、下を向いて小声早口で「証拠不採用」を告げるが、RKが「聞こえない」と指摘。再度、「不採用….」と述べる。傍聴席から非難の声が続々と上がる。傍聴席50人(満員)が次々立ち上がり、斎藤犯罪者の暴挙を非難。怒号の嵐。多くの女性傍聴者も立ち上がり怒りの声を上げる。傍聴人総立ちで大音響の裁判長批判。あまりに理不尽な斎藤犯罪者の暴挙に自然発生した怒りの爆発。裁判所で傍聴人が総立ちで怒号を上げるなど、前代未聞。傍聴席に入りきれなかった数十人の人たちも外の廊下で怒号を聞いたことであろう。

斎藤犯罪者らは、青い顔をして下を向いたまま早口で「結審」?を告げるや否や、予定していたかのようにこそこそと退廷して逃亡。RKは「原告に発言の機会を与えないのか!」と絶叫。斎藤犯罪者は、焦りまくって何を言っているかわからない。「結審します」と言いたかったらしいが。脱兎のごとく逃げてしまったので、不明。

傍聴席の誰かが「不当裁判だー」と絶叫。

物凄い怒りの渦。怒号。「売国奴」「売国奴」「売国奴」のシュプレヒコールが自然発生。憎しみを込めた「斎藤」「斎藤」も。裁判所の保安要員15名ほどが外に待っていて「写真を撮るな」などと制止。斎藤犯罪者の部署に詰めかける独立党員。党員と警備員が問答。予めこうなると分かっていたが故の警備員配置。こんな裁判見たことない。日本の裁判史上、おそらく前代未聞の事態。現場にいた人は、歴史的場面に立ち会えた幸運の持ち主。・・・

以下略元ページ参照
Posted by 通りがけ at 2013年10月19日 21:34
「日本国憲法に従い直ちに衆参全議員解雇して主権者国民直接選挙管理総選挙を行え」

あの動画がこんなに短時間で広まった今こそ独立党は12.16不正選挙と7.21不正選挙が証拠によって確定したことを全世界に対して宣言し、日本国憲法に従って直ちに衆参同時選挙を政府に要求せねばならない。この国政選挙では、総務省全員解雇し選管ムサシを排除して、NHKはじめテレビの選挙報道や当確速報報道を絶対禁止して、投開票場の設置からすべて地方公務員の手作業で公開して集計開票100%で当選者発表までを行うようにして、主権者国民が直接参政権を行使して選挙全過程を厳正に管理する公平公正な日本国憲法遵守国政選挙とする。現在の国会議員は全員12.16および7.12不正選挙の当選者であるのに国会において誰も不正選挙を問題にせず議題にもせず国民を欺き続けたから、今度の選挙では全員被選挙権を没収停止する。参議院議員に関しては全員再選挙とするので、すべての現職国会議員が出馬禁止となる。 

公明党および幸福実現党は憲法違反につき強制解散。
亀井静香議員だけただひとり自公政権の創価学会依存不正選挙を国会で問題にしてその憲法違反を明らかにした功績に鑑みて例外の立候補資格を与える。

これをRK氏と独立党が中心になって全国民へ呼びかけて主権者国民の総意形成し、憲法に従い直ちに衆参両院解散全議員総選挙を実施するよう政府公僕に対して厳命する。

最高裁判事国民審査も同日に行う。未記入はすべて不信任票である。
12.16と7.21の同日に行われた地方選挙(東京都知事選含む)もすべて憲法違反だから前記の国政選挙とは別日程で迅速に再選挙とする。
Posted by 通りがけ at 2013年10月23日 07:08
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