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2005年08月15日

夏コミの後、夜の赤坂

監修料禁止したら…社保庁の出版物購入59→1種類に
2003年度までの5年間に「業務に必要」などとして、59種類の出版物を公費で購入していた社会保険庁が、監修料の受け取りが禁じられた04年度から、1種類を除きすべての購入を打ち切っていたことがわかった。

購入をやめた出版物は、本来は不必要だったのに、監修料を受け取るために買っていた疑いが強い。
こうした出版物の購入費用は、5年間で計約41億円に上り、
そのほとんどが無駄な支出だったとみられる。


 社会保険庁などによると、同庁では長年にわたり、
職員が監修した出版物を厚生保険特別会計などの予算で購入。
その部数は1999〜03年度の間、
少なくとも59種類計1569万部に上り、
約41億1590万円が出版元の財団法人などに支払われた。

 一方、職員らはこの期間、
出版元から計3億6463万円の監修料を受け取り、
組織的にプールしてタクシー代や飲食代などに使っていた。


 このうち、03年度に購入していたのは、
社会保険六法、業界関係者名簿、同庁職員の座席表など、職員が使う4種類の出版物と、
保険加入事業者や被保険者などに無料配布する10種類の小冊子の計14種類。
そのために、4億3000万円余りの公費が使われた。

 ところが、04年4月、厚生労働省の印刷物発注をめぐる贈収賄事件で、
贈賄業者が職員に多額の監修料を支払っていたことが発覚。
当時の坂口厚労相が監修料の受け取りを禁止する方針を打ち出し、
同庁は04年度は、社会保険六法以外すべての購入を中止していた。

 同六法も、03年度までは職員1・4人に1冊が行きわたる1万2000部(約1億1000万円)以上買っていたが、04年度は4510部(4025万円)に減らした。

 保険加入事業者らに毎年配布していた10種類の小冊子は、
「健康保険・厚生年金保険事務手続きマニュアル」以外、配布そのものを中止した。

 同マニュアルについても、それまでは財団法人「社会保険協会」から購入していたが、
04年度は職員が業務として編集、印刷だけ外注することにした結果、
1部480円だった単価が約17分の1の28円14銭に安くなり、

全体の支出金額も約2530万円(5万2700部)から173万円(6万1450部)に削減された。

 同庁では、今年度も04年度と同様、同六法以外は購入しない方針という。

 こうした実態について、監修料問題を追及している長妻昭・前衆院議員(民主)は
「六法と『事務手続きマニュアル』以外は、業務の遂行に不必要だったということ。
小遣いを稼ぐために税金を浪費していたことの動かぬ証拠だ」と批判。

 これに対し、同庁は「監修料とは別な次元の問題として、小冊子などの配布や購入の必要性を検討した結果だ」と説・している。
(2005年8月13日3時13分 読売新聞)
( 以上 情報リンク元は TBN 様より )

夏コミの後、夜の赤坂に行きました。
官庁街が目の前にあり、タクシーと黒塗りのハイヤーが 片側4車線の道いっぱいに走ってました。
それ以外の車は殆どが3ナンバー以上の高級車で、私のような小さな車は殆ど走ってませんでした。
夜の街は 飲み屋系は活況を呈し、夏休み中とは思えない雰囲気でした。

満足に食うことすらできない庶民は放り出されても
官庁街の近辺は ココまで景気が良く金回りがいい、という現実があった。
俺が見ていたもの それが
「官庁から流れ出た金」という証拠は全く無い
「税金から流れ出た金」という証拠は全く無い
だが ¥100均一商店の消費税にも苦労する日常の俺には
 どうしても予断を感じさせないでは済まさない夜の街が そこにはあった。 



官庁街近辺の活況と 闊歩する者達の「我が世の春」を謡う姿と
そして一連の社会保険庁のしていることを結びつけるは、
公務員の楽園となった日本官僚機構と結びつけるは、
俺の予断にすぎないのだろうか?



国民から「合法」という印籠で巻き上げたカネを
自らの懐に入れることなど、公務員にとっては日常茶飯事である、
ということは もはや日本人の共通認識ではないのかな。
今回の事例が まさに氷山の一角であることは もはや誰もが感じていることだ。


「合法」的に弱いものから巻き上げたカネを有効的に使うには
私物化を排するコトから始めないでは
いかなる効率性の問答も 全く説得力を持たない。

カネの収奪方法を先に問うているのではない。
巻き上げられたカネが 私物化されているのでは 
日本人の誰が 正しい物事を自らを律して行おうとするのだろうか。


高い収入と安定性を「合法」的に保証されながらの
公務員の「我が世の春」の謳歌があるのならば
俺は絶対に許さない。

高潔な志は かつてはあったかもしれない、
動機だけが良ければ 正しければ
 行為が間違ってても許されるのか?
 結果が間違ってても許されるのか? 
社会に生きていればそんなことは無い、ということは誰もが承知しているはずだ。

高い収入と安定性を「合法」的に保証された公務員が
奉仕すべきはずの国家と国民に 大きな損害を与え続けている以上
いかなる言い訳も もはや何一つ通じさせるわけにはいかない。

俺は断言する。
 満足な仕事ができる体も無く 貧乏で
 地べたを這いずり回る生き方をしていても
 高い志を持って 公共性の高い仕事というのが できないはずがない。

 できないのは 原状のシステムがそれをさせなくさせているからだけだ。

逆に言えば、国家と国民に損害を与えるようなシステムをしている
現状の公務員に 高い収入と安定性を「合法」的に保証する必要性は無い、
むしろ このままを維持するは、あまりに低俗なままで生きるを容認することだ。 


小泉は言った
この郵政民営化よりも
もっと大事なことがあると言う人がたくさんいるのも知っています。
しかし、この郵政事業を民営化できないで
どんな大改革ができるんですか。

 政治は腐敗する、
かつては正しいと思われたことも 必ず時代の実情にそぐわなくなる時が来る。
俺達にできることは
より弱いものを踏みにじった後で「我が世の春」を謳歌する者達を容認することではない、
絶対に そんなことではないはずだ。

弱く間抜けで無様で 地べたに落ちたものを拾い食いしながらしか生きていけない者達を
容赦なく踏みにじって、嘲笑と侮蔑を投げつけた後で 色と欲に染め上げるような
「我が世の春」を謳歌させることでは 絶対にないはずだ。




 俺は ココで声を張り上げる。
満足な仕事ができる体も無いから 貧乏で
地べたを這いずり回る生き方をしてきたし
これからもそうなるだろう。
間違ったこともいっぱいしたし
人の迷惑になることも沢山してきた。
でも だからこそ
より間違ったこと してはいけないこと 大多数を苦しめること
そういうことをしないように生きていこうと
襟を正し 前を見て、一歩一歩 歩いてきたつもりだ。
 そしてそれは 収入の多い少ないで可能かどうかの問題ではなく
 個人の意識の問題であり やる気の問題である、とはっきりと分かった以上
これからも俺は 襟を正し 土を踏みしめ 前を向き、一歩一歩 前を向き歩くまでだ。



今こうして言葉にしたことも いずれは、「間違っていた言葉」になるかもしれない。
でも 今この時点では 俺は間違っていない、と信じる。
俺は今日も 襟を正し 前を向き 一歩一歩歩くまで。




posted by 誠 at 13:41| Comment(0) | TrackBack(0) | (゚Д゚#) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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