まぁ そんなトコかな。
バランスの取れた、無難な談話。
小林よしのりは知性と説得力を兼ね備えてはいるが
思想家らしく虚妄に満ちたロマンチストだから、ある意味 非現実的。
そもそも 8/15なぞは「玉音放送」の日で
日本が勝手に「戦争や〜めた」って言った日にすぎない。
第2次世界大戦が本当に終結したのは
東京湾のミズーリ艦上の降伏文書調印式が行われた9/2であろう。
今日 8/15は日本人にとっての記憶の日に過ぎない。
1億総火の玉で突き進んだ戦争
1億経済復興で突き進んだ戦後
1億総無責任で突き進んでいる今。
日本人の本質は何も変わっていない、流されるだけだ。
ならば せめて
侵略指向に感情的否定が生まれたことを再認識する日となるのなら
これからも8/15にマスコミに踊らされるも悪くはない。
すでに始まっている中華の侵略から
すでに始まっている中華の先兵たる朝鮮族の戦闘行為から
どんなに情けなくても 我が愛すべき日本と日本人を護る為に。
あの戦争は何だったのか―大人のための歴史教科書
八月十五日の神話 終戦記念日のメディア学
映像で見る占領期の日本
もうひとつの靖国神社
「明治から大正、そして昭和にかけて、「天皇」という、きわめて多面的な意味を持つ「機能」が、ある種の人々によって利用されて行くにつれ、靖国神社も、その初期から少なくとも明治末年ぐらいまで持っていた、様々な可能性、空間としての可能性が狭まれて行ったのである。そして、それは、現在にまで至っている。今、靖国神社を問題にする人は、賛否両陣営共に、イデオロギー的なことしか問題にしない。」まさにの日本古来の神社のひとつ 八百万の神々のひとつであるに過ぎない。
つまり、イデオロギー的観点以外の靖国神社があった(し、今でもあるはずだ)ということだ。例えば、明治の頃、靖国神社では、しばしば来日してきた外国のサーカス団の興行があったなどということは、小林よしのりの『新ゴーマニズム宣言SPECIAL靖國論』(幻冬舎)にも書いていなかったし、高橋哲哉の『靖国問題』(ちくま新書)にも書いていなかった。サーカスなどというお遊びが靖国神社で行われていたことなど、保守にしてもサヨクにしても「あってはならないこと」なのであろう。しかし実際のところ、靖国神社は軍国主義のイデオロギーから落ちこぼれた少年たちにとっての楽しい遊び場だったのである。
日本人の根幹でもあるが 同時にその程度の話。
大騒ぎするは 自らの狂信性(かつてのオウムの如き)を触れ回ってるようなもの。
放っておけ。
俺は 八百万の神に祈りを捧げる気はあっても、神道のみに祈りを捧げる気は無い
終戦工作と戦後の大改革
戦争の写真