TBN様 が 2/8(金) に触れた話ですね
少し待ってからリンクしようと思ってました
基礎年金の全額税方式を提案…麻生氏、中央公論に論文
消費税率には議論があるでしょうけど、これでしょうね。去年の選挙スペシャル!でも書いたけど、今や半数しか収めてない年金徴収をやめて(社保庁もいらないし)、消費税に移行すればOK。キモは「月額1万4000円程度の国民年金の保険料負担がなくなることで、消費が大きく冷え込むことはない」ってとこですね。よくぞ言ってくれました。多分消費税が上がる時は、そのことは議論されずにW徴収されると思ってたので。
茜「保険料を納めてきた人にはプラスアルファ分の支給って、うまいね(゜◇゜)」
うん、その不公平をどうするかが問題だったけど、そういう解決法があったとは。財源が問題だけど、払ってきた人には早期から年金支給を開始するとかでもいいし、アドバンテージのやりようはあるね。
茜「この案はむしろ民主党案に近いね(゜◇゜)」
それで政界再編説も出てるんだね。確かに中国べっとりの福田や道路命の古賀、無能な額賀・山崎とか自民党はいかにも辛い。むしろ平沼派の方が輝いて見えるような。自民・民主の優秀な若手(チルドレン除く)と平沼・麻生派が合体とか面白いかも。
茜「でもなかなか選挙にならなかったりしてね(^◇^;)」
民主がいまいちウロウロしてるからなぁ。まあなんにせよ、まともな政治家が集まって常識的な政治をやって欲しいですね。
例会挨拶08・02・14
1つの提案として、このようなことを書き記した。
今、年金について、いろんな形に修正したり、次から次に細かい話が出てきて、やっぱり制度としてダメなんじゃないかという話になっているようだが、選挙になれば、これを説明しなければならない。
この際、抜本的に切り替えるには、どういうものがいいのか。
私は、政務調査会長当時にやったアンケート調査に基づいて、今から6年前に基礎年金を税方式でやったらどうかという話をしたことがある。
その時は実現に至らなかったが、時代が変わってきて、社会保険庁の体たらくがいろいろ出たりもしている。
もともと保険方式でやると決めた時は、勤労者7、8人で1人の高齢者を支えていたが、今は2、3人で1人、あと数年も経てば、2人で1人という状況になる。
人口構成がまったく違う。
また、保険料を支払っている人は、今は、およそ半分。
平均寿命はさらに伸びたというのであれば、今までのシステムで維持できるはずがない。
従って、この際、これを基本的に税方式に切り替える。
基礎年金を税方式に切り替え、その部分を消費税で賄う。
民主党の議員は、予算を削って賄うとよく言っているが、それは物理的に出来るはずがない。
税方式でやるしか方法がないのではないかというのが、私の言っている根本的なところだ。
我々政策集団として、これを元に、極めて首相に近い男が 具体的にココまで言ってくれる
皆でいろんな知恵を出し合って、考えてみてはどうかという1つの案だ。
私のことなので、大ざっぱにしか書いてないので、
後の細目を詰めて頂きながら、皆さん方の意見を拝聴したいと思う。
いずれにしても、年金については、
ずっと後々まで長引かせるような話ではないので、
これだけ信用がなくなっているのであれば、
この際、一挙にきちんと作り直すことを考えた方が、
政治の信頼を回復する意味でも大事なのではないかというのが、
一番の主眼だ。
言葉を届けてくれる ネットを通じて訴えてきている
そして 直接に言葉を求めようとしている。
これは 大きな希望である。
現状においては 働く者と年金は切り離せて考えられるモノでは無く
また消費税が大きく絡む話となれば 日本に住む全ての人間に関わる重要案件になる。
本当は 麻生太郎氏のページへトラックバックかコメントを送りたい所なんですが、送れません。
まぁ そらそうですね、荒れるのは必死ですからwww
とりあえず 今回は単独項目にしてみました。
この先に 素晴らしい未来があるかどうかは 分かるはずもないけれど
もはや これしか手が残されてない俺からすれば
できることを できる限りの言葉を ココに残すまで です。
この先は 俺の 虚妄に等しいキチガイな言葉の羅列
開かない方が絶対に良いです、いや マジに。
例会挨拶08・02・14
1つの提案として、このようなことを書き記した。理と諭を持って政を為す という観点ならば これは全くもって正しい。
今、年金について、いろんな形に修正したり、次から次に細かい話が出てきて、やっぱり制度としてダメなんじゃないかという話になっているようだが、選挙になれば、これを説明しなければならない。
この際、抜本的に切り替えるには、どういうものがいいのか。
私は、政務調査会長当時にやったアンケート調査に基づいて、今から6年前に基礎年金を税方式でやったらどうかという話をしたことがある。
その時は実現に至らなかったが、時代が変わってきて、社会保険庁の体たらくがいろいろ出たりもしている。
もともと保険方式でやると決めた時は、勤労者7、8人で1人の高齢者を支えていたが、今は2、3人で1人、あと数年も経てば、2人で1人という状況になる。
人口構成がまったく違う。
また、保険料を支払っている人は、今は、およそ半分。
平均寿命はさらに伸びたというのであれば、今までのシステムで維持できるはずがない。
従って、この際、これを基本的に税方式に切り替える。
基礎年金を税方式に切り替え、その部分を消費税で賄う。
民主党の議員は、予算を削って賄うとよく言っているが、それは物理的に出来るはずがない。
税方式でやるしか方法がないのではないかというのが、私の言っている根本的なところだ。
現実主義的な諭を真っ当に直線的に持っていこうとする麻生太郎にして
これまでの行動の真っ当さを以ってすれば 充分に賛同できる。
が 残念ながら
膨大に膨れ上がり 日本という共同体の40%以上を構成するであろう下層民は
もはや 真っ当な理と諭が通じる状況に 全く無い。
善良と勤勉さを旨として生きてきた無垢な大和民族は 奴隷と化した為に
その程度の餌では 絶対に信用を取り戻せない。
蛮族化した下層民には そもそも理も諭も届かない。そこにあっては公的年金制度そのものが成立しない。
では 下層民を切り捨てて 残った人間の為にのみ年金制度を改正するのか?
半数近くを切り捨てても 信義を維持できる平和な社会 というものが古今東西に存在するのか?
下層民以上の日本人は 信義よりも目先の利を求め続けたが故に
縮小再生産と言う没落の中の日本にあって 下層民へと落ちなかった。
という 古来の大和民族とは懸け離れた民族に変貌した その者達は、
奴隷が存在する事を普通と捉える感性を持っている、
目の前の人間が実は奴隷である事にも頓着しない、むしろ当然と考える。
それが野蛮な部族と化した 日本族 である。
信義を軸にした対人関係のなんてモノは この状況下では成立しない。
そこにあるのは 様々な腕力を前提とした上下関係である。
そんな 信義を前提としない社会 にあって
善意を軸にするべき公的年金制度が持続して成立し続けるとは 到底に思えない。
その意識の差がある状態で 万民に向けた年金制度 というモノが持続して成立し続けられるのか?
俺は 甚だ疑問である。
正直に言えば 仮に麻生太郎が首相となった時には
そして その地位にある間は 可能だと思う。
だけれども その後にあっては、ここで改正された公的年金制度すら
様々な腕力ある者達の餌になることは 間違いない事であろう。
要するに
政治機構行政機構 権力機構が 民衆から信用の置ける状況下に無い限り
民衆という下部構造 と 上部構造 とに信義が成立してない限り
どんなに優れた施策も無意味と化すだけである。
俺は 生まれ育った家族の事もあり 下層への階段を あえて降りた。
崩れ落ちる生活 と 理も諭も成立しない中へ身を置いた事で
逆に 醒めた視点で傍観者を続ける という自分を見い出した。
そうして見てきた事、実際に その現場で生きてきた事、
それは ある意味においては無駄では無かった。
基礎年金は、月およそ1万4000円、厚生年金は、人によって違うが5、6万円になる人もいて、同じ額を企業も支払っている。それは 絶対に無い。
これを具体的な例で計算してみると、1人あたり、仮に厚生年金で5万円、プラス、企業は同じ額を国に納めているので、全額とは言わないが、その分を個人に支払えば、さらに数万円、個人の所得が増えるのではないか。
善性ある信義が成立しない社会にあって 企業は間違いなく分配を拒む。
また 下部構造化にある企業ほど もはや蛮族社会へと変貌しているので
企業の腕力の論理によってのみ分配が行われる。
親の総取り になるのが 関の山である。
様々な下部構造化で生きてきた俺は断言できる、
この手法のみでは 下層民の所得は絶対に増えない
それどころか より重税になるという負担が厳しく課せられるのみである。
社会の過半数に等しい人間の所得が大きく減る、日本経済は著しく鈍るだろう。
それでも、止むを得ない 日本社会を成立させる為には 更なる困窮に耐えろ、と言うのか?
下層民に そこまでの社会的責務を求めるのは どう考えても無理がある。
もし それでも耐えろ と言うのならば お前らが先に見本を示せ としか言わなくなる
豚は 鳴くコトしかしなくなる 手すら動かさなくなる。
社会の上部構造にある者が 下層民以上の社会的責務を示せない
それどころか 下層民の困窮を他所にして 贅沢を享受する では
下層民が どうやって耐えて生きていこうか?
麻生太郎の 今回の発案には概ね同意できる、
麻生太郎の立場からすれば 充分に評価できる。
が 日本政府と下層民の信義が なぜ成立しなくなったのか?
という部分を先に解決しない限り 全ては必ず霧散する。
もはや 残念ながら、これだけ大きく見える話であってすら
日本の現状を改善するという目標を前にすると 小手先の話でしかない。
小手先のみでは 絶対に根本的な解決は無い。
様々な公金の流れの先の 様々な公的制度という大義名分の先の 宮廷と化した野蛮人構造がある限り
下部構造が耐えろと要求される困窮 以上の社会的責務の発露が より上部構造から示されない限り
下層民の血は流れ続け 更なる蛮族化は不可避となる。
蛮族社会において公的年金制度は 絶対に持続しない。
だが俺の この虚妄に等しい考えは聞かなくて良いです、いや マジに。
我々政策集団として、これを元に、極めて首相に近い男が 具体的にココまで言ってくれる
皆でいろんな知恵を出し合って、考えてみてはどうかという1つの案だ。
私のことなので、大ざっぱにしか書いてないので、
後の細目を詰めて頂きながら、皆さん方の意見を拝聴したいと思う。
いずれにしても、年金については、
ずっと後々まで長引かせるような話ではないので、
これだけ信用がなくなっているのであれば、
この際、一挙にきちんと作り直すことを考えた方が、
政治の信頼を回復する意味でも大事なのではないかというのが、
一番の主眼だ。
言葉を届けてくれる ネットを通じて訴えてきている
そして 直接に言葉を求めようとしている。
これは 大きな希望である。
そして 俺自身の言葉を 綴ろうと思った。
正しい正しくないを ここでそこで問うても仕方ない。
それでも 自らの位置を確立させる自分の場所において
言葉を綴り続けるという行為は 名無し以上の節度を求められる。
その程度でいいから
この 首相に近い男が発した言葉の意味 を汲み取れれば と思った。
その先に 素晴らしい未来があるかどうかは 分かるはずもないけれど
もはや これしか手が残されてない俺からすれば
できることを できる限りの言葉を ココに残すまで である。