貴方達の働き その組織力と戦闘力は健在 というのを見せて頂きました。
特に 現場の皆様の力強さは これからも信用したいです。
そして現場に赴いた私人の皆様 本当にお疲れ様でした。
味方にしても使えないが 敵に回すと恐ろしい、というのが ねらー ですが
敵が はっきりしなくなった以上 その辺りが限界でしょう。
むしろ、
特に中心軸が無いままにでも スタンドアローンで自発的な働きができる日本人の数
を見定める指標ができた事は今後 色々と重要な参考とできるでしょう。
TBN - 長野聖火リレー現地レポート
『聖火リレーin長野』スタート&ゴール地点状況まとめ - 想像力はベッドルームと路上から
誠天調書: これが 日本の報道機関の姿 です。 聖火リレー ゴール地点 ネットライブ
そして結論から書くと
日本が亡国となる未来が決定的になった日
として歴史に刻まれるでしょう。
長野における局地戦で 日本は負けました。
負けたと意識する人も少ない程
隷属するという事の危険性への意識の低さの浸透を
これでもかという程に見せつけました。
しかしそれは 大和民族が
異民族から 大規模な侵略や略奪や虐殺を受けてこなかった歴史
という人類史上に類を見ない稀有な特性ゆえであり、
そこが 無垢な善性 を育む土壌になったこと とは切り離せない。
よって今回の局地戦に大和民族として戦う は そもそも期待ができない。
中共カンミンゾクの併呑政策の成果を見せつける緒戦は 中国の大勝利に終わりました。
15億 対 1億 、という戦力差を利用し
フラット化という戦術を用いてくる この侵略戦争に対し
日本が全くの無策無力である という現実を
ここまで眼前に突きつけた。
その戦力差 15対1 に
恐れおののき または賛美し ひざまづく売国奴な勢力
敵に取り入り寝返り 自分だけは美味しく生き延びようとする国賊な勢力
という存在達を また これほどまでに見せつけてくれた。
すなわち
中共カンミンゾクの侵略は不可避の事業であり
無抵抗のままの放置は大和民族と日本人の支配者がカンミンゾクへ移ることを意味する。
その時になって 如何なる虐殺略奪が起きようとも 全くの手遅れとなる。
そして 日本の支配層が
敵に取り入り寝返り 自分だけは美味しく生き延びようとする勢力
によって構成されていることを ここまではっきりと眼前に突きつけた。
自民党公明党の与党は その道を 余すところなく公にして見せた。
支配下に入ろうとしない 大多数の日本人や大和民族が
虐殺され略奪されても放置をする と宣言したに等しい。
長野での局地戦は
警察の現場の献身さ 右翼の現場での心情 ねらーの無垢な善性 その全てが
敵に取り入り寝返り 自分だけは美味しく生き延びようとする勢力の
権力保全へ都合よく利用されるだけの茶番劇にすぎない。
これは現場での献身 祖国への心情 無垢な善性 その全てが
権力保全に都合よく利用され、
華々しくも馬鹿馬鹿しい玉砕と敗退を繰り返した
あの圧倒的戦力差を眼前に突きつけられながらも徒手空拳しかできなかった大東亜戦争と
寸分の違いも無い事象である。
関連:誠天調書: 硫黄島攻防戦
日本人は あの敗北から あの経験から あの地獄から 何も学べなかった。
そして更に言えば 何も学ばせなかった のは
本来は知的集団であるはずの報道機関である。
報道を通じて 正しき啓蒙を道筋を見出させるべく
知的集団であるはずの 日本の大手報道機関が
大東亜戦争時 そして 戦後の日本において
あらゆるに強者に取り入り 節操なく寝返り 自分だけは美味しく生き延びようとするだけ勢力
という一貫性しかなかった。
よって 大和民族が絶滅しようとも 日本人の支配層がカンミンゾクとなろうとも
日本の報道機関は生き残るだろう。
が その時 大和民族の末裔としては、未来永劫 断じて許さないだろう。
そして 日本人へ 大和民族へ
必要なモノは何かも ここではっきりした。
我々は 中共カンミンゾクの併呑侵略に敢然と立ち向かわなければならない。
その戦力差 15対1 という圧倒的な物量差という現実を知らなければならない。
だから
大和民族の無垢な善性を残しつつ
様々な人々の献身さ 心情の濃さ をも無駄にしない
という方策でなければ 日本での国力の結集は不可能である。
そうでなければ意味が無い。
更に
恐れおののき または賛美し ひざまづく売国奴な勢力
や
敵に取り入り寝返り 自分だけは美味しく生き延びようとする国賊な勢力
は真っ向として否定しなければならない。
それは 国を滅ぼす行為 と断じなければならない。
守るべきは何なのか?
大和民族の伝統である、
日本人の伝統 という言葉では
売国奴や国賊に反論の機会を与え 隙を作り
総力の結集には もはや向かない現実を直視すれば
大和民族の宗教観といっても良い 無垢な善性と勤勉さ を前面に押し出し
それを持って日本人の伝統と為す とすれば
日の丸 や 君が代 であろうとも 民族意識の発揚の道具にできる
逆に、大和民族という観点を抜きに 日の丸と君が代を利用するは
権力護持の国賊が散々に利用してきた手段にすぎなくなり
日本という共同体の総力の結集を持って 中共カンミンゾクの併呑侵略に対抗する
という戦略に結び付けられない。
15対1という戦力差 を考え
そして 攻撃的性質にやや欠ける大和民族の特性を思えば
如何に上手に守勢を戦い その後退撤退戦において 側面支援的な攻勢を仕掛けるか
という戦略が 大和民族の気質に最も合うだろう。
日本という共同体が求めるべきは 大和民族であり、
中国国旗を振りかざして日本への憎悪を残した者は 帰れ。
ましてや その観点を置きざりにして
利潤と美味しい生活の保全を理由に敵勢民族を引き込むなどということは言語道断である。
大和民族となってくれる人達は大いに歓迎する。
その故郷への恋慕を残しつつも この美しき風土と民族性を愛してくれる人は
日本の地で生きる以上は大和民族の一員として働く という覚悟を持ってくれる人は
熱烈に歓迎したい。
その時は 日の丸と君が代 を愛してくれなくても良い。
美しき風土を謳った「さくら」と共に桜を愛でる大和民族を信じてくれれば十分だ。
もし二つの祖国で諍いが起きた時
大和民族は無垢な善性を持っているが故に 愛すべき馬鹿な民族なのだから
大和民族を陥れるようなことだけには 絶対に加担しないでくれ、
それだけで 大和民族との諍いの殆どは解決できるのだから。
これだけで良い。
後は その先は 馬鹿な民衆を如何に使いこなすか
という為政者と共同体の上部構造に住まう者達の職務だ。
兵隊が馬鹿なのは当たり前で 馬鹿な兵隊が犯した罪を深く問うは それほどに意味が無い。
しかし 馬鹿な兵隊を使いこなせなかった者が残す害悪は
深く問われなければならない、その意味は充分にある。
ましてや 共同体の道筋に大きく影響を与える存在達の積み上げた害悪となれば
当人の万死を持ってすら拭えない罪となるだろう、
その三族をも斬首にすべし とまで言われかねない罪悪
という意識はあるかな そういう覚悟はあるかな。
そして 与党勢力が この問題を 全く解決できそうも無く
野党勢力ですら 解決への期待は望みが薄い というのが現状ではある。
が 与党の硬直化した利権構造が
大局が動く時への対処すら不能にさせるほど機能不全に陥っている以上
その機能不全をこそ 何が何でも変えよう
という小沢民主党の描く道筋の方が まだマシである。
それですら極めて薄い博打ではあるが
コレだけの劣勢にありながら
なお攻勢の政策を軸にするようなことを言い始める国賊の言う事に比べれば
100倍はマシであろう。
長野での局地戦は終わった、
しかし戦端は開かれたばかりである。
大東亜戦争と同じ愚を犯さないというのは
奇跡を祈るようなものなのだろうか?
戦っておいでのようですよ
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先ず圧倒的な戦力差がある状況に於いては直接的な対峙よりも内部離間を仕掛けるのが戦術の基本でありますがこの15をつぶさに観察すれば付け入る隙が相当にあるような気がします。
また局地戦に於ける敗北が必ずしも戦局全体の雌雄を決するとは限らないものであります。
嘗て会戦の口火を切ったパールハーバーという局地戦にて勝利収めた大日本帝国が大戦の勝者と成りえなかったように…。
立ち寄らせてもらいました。
良ければこちらも見てね(*^_^*)
http://ameblo.jp/runrun989/entry-10094607791.html